大学は甘くない 〜女子校上がりの私、先輩の「特別」になりたかった〜

「ありえない」
 抹茶ラテのグラスに付いた水滴を睨みつけながら、私は不満を口にした。
 大学の近くのカフェで、裕子と二人で今日の出来事——珠奈さんについて話しているところだ。
 珠奈さんは、私とは何もかもが違う。
 大人びた佇まい。手間をかけたであろう巻き髪。
 何よりも、あの体だ。豊満で柔らかな肉体。私がどんなに背伸びしても手に入らないもの。
 私が新調した下着を思い浮かべる。珠奈さんの立派そうな双丘には、可愛いチュールがよく映えるだろう。ショーツは腰に肉感的な段差を生み出し、白い肌とのコントラストが美しい。
 きっと、私のような貧相なちんちくりんが着るよりも、それはずっと魅力的。
 どんよりとした私を見た裕子は、アイスティーのストローから口を外し、慰めの言葉をくれた。
「気にしすぎない方がいいと思うよ。二人が付き合っていたのは昔の話なんだから」
「でもさぁ、ユッキーさんはあのマシュマロと付き合っていたんだよ? ってことは、きっとああいうのが好みなんだよ」
 私なりに気を遣って、できるだけ悪口にならない言葉を選んだ。マシュマロは多分セーフ。
「そうだとしても、今はタナチューがデートに誘われたことも事実でしょ。きっとどっちもストライクゾーンなんだよ」
 そうかなぁ。だって、珠奈さんはユッキーさんの彼女になったことがあるけど、私はまだだ。
 悔しい。実に悔しい。
 珠奈さんは、ユッキーさんを欲しいままにしていたなんて。
 確かに、裕子の言う通り、今は二人は付き合っていない。しかし、もし珠奈さんがユッキーさんとヨリを戻すために来たのだとすれば?
 二人の関係が再燃してしまうかもしれない。きっとよく燃えるだろう。だって、あれだけの脂肪だ。
 どす黒い嫉妬の炎はさらに燃え盛る。グラスの中の氷が溶ける音がした。これも、あの脂肪の影響かも。

 *

 ところが、私の珠奈さんへの敵意は、あっという間に消えてしまった。
 
 珠奈さんは、誰とも分け隔てなく話す。学年や性別は関係ない。新入生の私たちにも気さくに話しかけてくれるし、話も面白い。
 はっきり言って、とてもいい先輩だ。悪口を言う隙もない。私も裕子もすっかり懐いてしまった。
 光恵さんが腕っぷしの団長なら、珠奈さんは包容力に溢れたオカンといった感じ。思わず、あのマシュマロボディに飛び込みたくなるほどだ。しないけど。
 ちなみに、折り紙の腕前はそこそこ。むしろちょっと下手かも。今日は手裏剣を折り損ねて、ケラケラと笑っていた。すごい親近感。
 
 もちろん、どんなにいい人でも、ユッキーさんの元カノだったという事実は消えない。
 でも、珠奈さんとユッキーさんは、普通のサークルメンバーとして過ごしているように見える。コバさんや萩野さんと同じ。
 そんな様子のおかげか、元カノという事実がすっかり過去のものになっている気がして、ちっとも気にならない。
 
 裕子、あなたの言う通りでした。何も気にすることはなかったね。
 
 *
 
 夏休みが終わり、また大学の日々が始まった。講義の時間割を眺めながら、学生の本分は勉強だったことを思い出す。
 結局、未だにユッキーさんとはちゃんと話せていない。
 まず、サークル活動中は他の人がいるから無理。
 それならメッセージを送りたいけど、どうやって送ればいいかわからない。『私のことどう思っていますか?』なんてとても聞けない。かといって、私から呼び出して会うのも難しい。
 そんな私に、裕子はいいアイデアをくれた。
 
 私は、裕子と話し合った内容を慎重に思い返しながら、震える手でスマホを打つ。
『私のバイト先は猫カフェです』『もしよかったら来てください』『可愛い猫がたくさんいます!』『日曜日はシフトに入っています』
 送った。送ってしまった。
 猫カフェ。夏休みから始めた、私のバイト先。猫に囲まれた仕事は楽しそう、という動機で始めたものだ。
 裕子は、それを使おう、と言った。
「バイト先の猫カフェに誘うの。それならメッセージを送りやすいんじゃない? 職場だから、あまり深い話はできないかもだけど、会って話すきっかけにはなりそうでしょ」
 私はぱあっと笑顔になる。それはいい考えだ。これまでとは異なり、私のテリトリーで勝負するのだ。
 ついでに、ユッキーさんは猫が好きかもしれない。メッセージでは、よく猫のイラストのスタンプが送られてくる。

 翌日、雪谷淳——ユッキーさんから返信が来た。ドキドキしながらメッセージを開く。
 そこには一言。
『いいね。時間があったら行くよ』
 そして『OK』と書かれたゆるい猫のスタンプも添えられていた。
 やった! お店に来てくれる!
 私は小さくジャンプしてから、スマホを胸に当てた。心臓の高鳴りを全身に感じる。
 いいぞ。これは大切な一歩だ。次のバイトが待ちきれないよ。
 猫カフェで猫にデレデレするユッキーさんを思い描くと、私もついデレデレしてしまう。
 そして、私はアイスラテを提供しながら、ユッキーさんとお話するんだ。きっと、猫に負けないくらいの猫なで声を出すだろう。
 期待を胸いっぱいに抱いて、私はベッドに仰向けに倒れた。天井のシーリングライトが、私を祝福するように輝いている。
 
 *
 
 店のドアベルがチリンと鳴り、来客を知らせる。
「いらっしゃいませ……あ!」
 すらりとした長身。綺麗な顔。
 ユッキーさんが猫カフェに来た!
 
 誘ってから三週間が経っていた。
 あれからさっぱり連絡もなかったので、諦めかけていた時だった。彼は突然やってきた。
 ヤバい、嬉しい! ユッキーさんだ!
 きゃあ、と興奮の声を上げそうになるのを必死に堪えて、受付で彼を待ち構える。顔がにやけているかも。私は鼻息が荒くなる。長身のユッキーさんがずんずんとこちらに近づいてくる。
「わあ、本当にタナチューだ。ヤッホー」
 彼の後ろから、ひょっこりとマシュマロが現れ、私に明るい声をかけた。むっちりした腕をこちらに向かってぶんぶんと振っている。
 は?
 巻き髪を揺らすその人は、紛れもなく珠奈さんだった。その肉感的な体型を包むブラウスに、大人っぽいスカートを合わせた綺麗めなコーデが眩しい。
「ふふ、タナチューがここで働いているって聞いたから、遊びに来ちゃった」
 珠奈さんは屈託のない笑顔で言った。私は、驚きのあまりに固まってしまう。
 一方のユッキーさんは涼しい顔をしている。
「ああ、田中のバイト先のことを話したら、珠奈が行きたいって言い出してな」
 それはまるで、仕方なく来た、みたいな言い草。
 何それ。どういうこと?
 私が誘ったのはユッキーさんだ。珠奈さんじゃない。
 二人とも大好きな先輩だけど、こういう形で会ってしまうのは全くもって不本意だった。
 グッと頬に力を込めて、どうにかして営業スマイルを取り戻す。
 私は猫なで声を喉の奥に飲み込んで、店員として振る舞った。
「あはは、本当に、来てくれて嬉しいです。……ええと、当店は時間制です。お飲み物はこちらからお選びください」
 私は、震えそうになる指先でラミネートされたメニューを差し出した。
 
 猫の逃走防止用の二重扉を開けて、靴を脱ぎ、二人は店内へ入る。
「わあ、猫がいっぱい」
 低めのソファにテーブル。立てかけられた猫用のおもちゃ。席の仕切りはキャットウォークにもなっている。
 店内では、猫たちが自由気ままに過ごしている。クッションで丸くなって寝たり、ゆっくり歩き回ったり、どこか一点を見つめたり。私の気持ちなんてお構いなし。
 席に着くと、二人は周りをキョロキョロと見回す。どんな猫がいるのか、様子を見ているようだ。
 珠奈さんはユッキーさんに何かを話している。多分、あの子が可愛いねとか、膝の上に乗ってほしいねとか。身振りで何となくわかる。
 すっかりやる気を失った私は、ドリンクの提供を他の店員に任せて、遠くから二人を眺めた。
 猫と遊ぼうとするものの、構ってもらえなくて頬を膨らませる珠奈さんと、それを見つめるユッキーさん。その優しそうな眼差しは、長年連れ添ったような関係性を思わせる。
 いつしか猫のことを諦めて、ソファで楽しげに会話をする二人。
 うげ。何これ。カップルじゃん。
 二人の様子を見たくないはずなのに、目を離すことができない。
 私の胸の中に、ドロドロとした真っ黒な液体が溜まっていくのを感じた。
 
「すみませんね、全然お構いできなくて」
 予定の時間を迎えて帰る二人に向かって、社交辞令の挨拶をする。口からトゲを出さないように注意しながら。
「ううん、大丈夫。楽しかったよ」
 そりゃそうでしょうね。可愛い猫に囲まれて、かっこいい元カレと、二人で仲睦まじく過ごしてたんだから。
 結局、ユッキーさんとはろくすっぽ話せないまま、ただ二人のデートを眺めるだけになってしまった。苛立ちから奥歯をギリッと噛む。
 
 ドアを開けて退店する二人。秋の風が静かに吹き込んだ。その風は、私の胸のドロドロをなぞり、少しずつ冷え固まらせていった。