大学は甘くない 〜女子校上がりの私、先輩の「特別」になりたかった〜

「ハッピーバースデー、宙」
 テーブルの上のケーキを囲みながら、親がニコニコしながら歌を歌い、私の十九歳の誕生日をお祝いしてくれた。
 我が家の夏休みの恒例行事とはいえ、私はもう大学生なんだが。やれやれ、家ではいつまでも子供扱いされている感じがする。
 
 初めての大学の期末試験を無事に終えた私は、夏休みを迎えていた。
 私は暇にならないように、バイトを始めたり、親に映画のサブスクを契約させたり、女子校時代の友人と会ったりした。
 友人に水族館デートの話をしたら大盛り上がり。ちょっとだけ話を盛ったのは、ナイショ。
 
 でも。
 スマホのメッセージアプリを眺める。雪谷淳——ユッキーさんからのメッセージは来ない。水族館の時の猫のスタンプで止まっている。
 ああ、ユッキーさんと話したい。思いは募るばかりだ。
 こちらから何か送るか? でも、何を送ればいいのかわからないし、気が引ける。
『こんにちは』こんなの送られても困るか。
『元気ですか?』元気じゃなかったらどうすんだ。
『好きです』いやいや無理。却下。
 私はメッセージを入力しては消す行為を繰り返す。
 はあ。ため息をついて目を閉じる。
 何やってんだろ、私。
 近いけど遠い、ユッキーさん。
 何もすることができない自分がもどかしい。
 
 目を開けると、先日の猫のスタンプの下に、メッセージがあった。時刻は今。
 なんと、私が目を閉じた隙に、ユッキーさんからのメッセージが来ていた。
 ぎゃあ! もう既読を付けてしまった!
 取り返しのつかない事態に頭を抱えるものの、もう仕方がない。
 私は諦めて、届いたメッセージを見る。
『明日ひま?』『よかったら遊びに行かない?』
 おお! ユッキーさんからのお誘いだ! 思いがけない誕生日プレゼント!
 待ち焦がれていたそのメッセージに、私は迷わず即レスする。
『はい!』『大丈夫です!』
 その後、私はバイト先に休みの連絡を入れた。
 ごめんなさい。でも、どうか明日だけは。
 
 *

 真夏の太陽が道行く人たちを照りつける。徐々に夕方になる時間だけど、この季節は本当に日が長い。
 今回のデート先は遊園地だ。私の服装は、白いTシャツに黒のキャミワンピ。デート感のある動きやすい服装を選んでみた。偶然にも、ちょうど美容院に行った直後だった。ラッキー。おかげで髪も軽い。
 待ち合わせ場所は遊園地の入口前。キャップを被ったユッキーさんは私を見つけると、ひらひらと手を振りながら近づいてきた。
「お待たせ。待った?」
「いいえ、今来たところですぅ」
 嘘だ。十五分以上前には到着していた。日傘を差しながら木陰にいたものの、そろそろ暑さで茹で上がりそうだった。
 水族館の時と同じようなやり取りに、またデートをしていることを実感して、ちょっと感動。

 遊園地には様々な乗り物があった。
 でも、ちょっと暑すぎでしょ、というユッキーさんの提案で、屋内のゲームコーナーで涼むことにした。それには私も大賛成。
 もしかして、暑そうにしていた私に気を遣ってくれたのかな。そう思うと、目の前の人の優しさに、心を鷲掴みにされてしまう。
 冷房の効いた室内で、二人でエアホッケーやクレーンゲームに興じた。前回とは打って変わってアクティブなデート。ああ、なんて楽しいんだろう。
 バスケのフリースローのゲーム機に挑戦したユッキーさん。長い手足から、綺麗なフォームでボールを投げるものの、それは全然ゴールに入らない。
「スポーツ、苦手なんだよね」
 頭を掻き、はにかみながら言う。その意外な姿に、私の胸はキュンと鳴った。

 あんまり混み出す前に、ということで、フードコートで早めの夕食をいただく。
 とはいえ、それでも十分に混んでいて、席を探すのに少し苦労した。夏休みの遊園地だからしょうがない。
 ユッキーさんは細身なのに、よく食べる。さすがは男子だ。細い指で巨大なハンバーガーを掴み、ぺろりと平らげてしまった。
 きっと、この人は太らないんだろうな。まったく、世の中は不公平だ。
 そうこうしているうちに、外が暗くなり始めた。席から離れた窓の外に、園内のイルミネーションが輝いている。
 夜の遊園地デート。なんだかとってもロマンチック。
「田中、次は観覧車に乗らない? 混んでると思うけど」
 私の心を見透かすように、ユッキーさんは言った。観覧車から見下ろす遊園地の夜景は、きっととても美しいだろうなあ。
 いや待てよ。観覧車?
 狭いゴンドラの中で、ユッキーさんと二人きり。
 その状況を想像すると、途端に心臓がバクバクと音を立てた。
 でも。
 ちょっと緊張するけど。
 観覧車に乗りたい。
「いいですねぇ。行きましょう」
 狭い密室に備えて、私は女子トイレでせっせと汗を拭いた。万全の状態で観覧車へ向かう。

 ユッキーさんの予想通り、観覧車には長蛇の列ができていた。そこにはどう見てもカップルばかりがたくさん並んでいる。密室で二人の世界が作れる観覧車は、カップルにぴったりの乗り物なんだな、と初めて気が付いた。
 巨大な観覧車を下から見上げると、その大きさは圧巻。
私はアクティブな乗り物のほうが好きなので、これまでは観覧車といえば遠くから眺めるだけのものだった。でも、今はそれに乗ることが待ちきれないくらいに楽しみだ。
 列に並んでいる間は、全く退屈しなかった。ユッキーさんがいろんな話をしてくれるからだ。
 例えば、夏休みは何してる? と聞かれたので、サブスクで映画を見ている、と答えれば、その映画の豆知識から監督の別作品の話題まで、いろんな情報が彼の口から出てくる。ユッキーさんは物知りだ。

「そういえば、疑問だったんですけど」
 私はふと思ったことを口にした。
「うちのサークル名の『キャノンディー』って、何が由来なんですか? キャノンは大砲ですよね。折り紙と関係ないなって思ってました」
 すると、ユッキーさんはにやりと笑った。
「ああ、それね。謎なんだよね。でも、俺なりの説はあるよ。パッヘルベルのカノン」
 パッ? なんて? 聞きなれない言葉に、私は怪訝な顔になってしまった。
 すると、ユッキーさんはメロディーを口ずさんだ。どこかで聞いたことのある、素敵なメロディー。
「これがパッヘルベルのカノン。超有名なクラシック曲。聞いたことない?」
「はい、あります。そんな名前があったんですね」
「パッヘルベルのカノンは、英語圏ではキャノン・イン・ディーとも呼ばれる。カノンってのは、同じメロディーをずらしながら重ね合わせる音楽の種類。そう聞くと、なんだか折り紙っぽいでしょ」
 その説明を聞いたら、私は目の前がぱあっと明るくなった気がした。あのへんてこなサークル名が、素敵なクラシック曲に由来している可能性!
「きっとそうですよ! そうとしか考えられません!」
 私が目を輝かせて言うと、ユッキーさんは満足そうに笑った。ユッキーさんは音楽にも詳しい。本当にすごい人だ。
 私の中のユッキーさんデータベースがまた更新された。

 ・スポーツが苦手。NEW!!
 ・よく食べる。NEW!!
 ・映画に詳しい。NEW!!
 ・音楽に詳しい。NEW!!

うふふ。デートするたびに、彼の新たな一面が次々と出てくる。
なんて奥深い人なんだろう。私はうっとりと彼の背中を眺めた。

 列は進み、ようやく乗り場までたどり着く。待っている間に、また汗をかいてしまった。最悪だ。
 でも、背に腹は代えられない。私は意を決してゴンドラに乗り込む。
 狭いゴンドラの中は、意外にも冷房が心地よい。汗が引いていくのを感じながら、席に着く。
 ユッキーさんもゴンドラに乗った。
「もうちょっと詰めてよ」
 と言い、私の横に腰かけた。
 え。
 てっきり向かい合わせで座るものだと思っていたので、完全に面食らってしまった。

 女子校の生徒というのは、本当に初心(うぶ)だ。
 中学の頃、男の子と手をつないだだけで『妊娠したかも……!』と大騒ぎして学校を休んだ女子がいた。当時、私はそんな子を馬鹿だなあと思っていた。妊娠の仕組みはちゃんと習ったじゃないか、と。
 でも、今なら彼女の気持ちもわかる。今、真横にユッキーさんが座っている。腕と腕が触れ合いそうになる距離。こりゃあ妊娠してもしょうがないよ。
「イルミネーション、上から見ても綺麗だね」
「ええ、本当に綺麗ですね」
 ユッキーさんは、私越しにゴンドラの窓を眺めている。私は必死に横の窓を見る。振り返ればユッキーさんが至近距離でこちらを見ていると思うと、恥ずかしさで燃え上がりそうだ。

 私の頭に、手が触れた。
 思いがけない出来事に、私の体は電撃が走ったようにビクンと跳ねた。
 恐る恐るユッキーさんの方を見る。彼は優しく微笑んでいる。
「あ、ごめんね。触っても大丈夫?」
 その優しい問いかけに対して、私は喉から声を絞り出す。
「ダ、ダイ、ジョウブ、デス」
 すると彼は無言のまま、頭に触れた手を私の肩に回した。
 あ、ヤバい。これはカップルのそれだ。
 彼の爽やかな香水と、わずかに混じった熱い汗の香りに、私はくらくらする。
 ゴンドラの冷房なんて、もう感じない。彼の指が触れている場所が、火がついたみたいに熱い。
 彼の反対の手も肩に置かれる。これはまさか、抱きしめられてしまう? 自分の顔が真っ赤になるのを感じた。
 ところが、その手は私の鎖骨をなぞり、胸元へと滑り込んできた。
 あ、え? 触るって、そういう?
 私は石像のように固まってしまう。されるがままだ。
 彼の細長い指が、ワンピースの隙間に潜り込み、私の胸元をまさぐる。
 ああ、ごめんなさい。私の胸、全然なくて。
 固まった私の頭の上で、彼はふふっと笑った。
「田中って、リスみたいで可愛いよね」
 可愛い。
 その一言で私は何も考えられなくなり、強張っていた体が緩む。
 ああ、もっと。もっとあなたの手で。
 ところが、彼の手はふっと離れた。いつの間にか、ゴンドラは地上に近づいていた。

 体が熱い。足元がふわふわしていて、おぼつかない。
 夢のような時間は、あっという間に終わってしまった。
 最初はちょっと怖かったけど、終わってみれば幸せな時間だったと実感する。
 一方のユッキーさんは、ゴンドラに乗る前と何ら変わらない様子だ。
 さっきまで私の服の中に忍び込んでいたあの指先は、今は何事もなかったかのようにポケットに突っ込まれている。
「じゃあ、もう夜だし、そろそろ帰ろうか」
 彼の声は驚くほどカラッとしていて、まるで今の出来事なんてなかったみたい。
 ああ、きっとこれが、大人の余裕。私の知らなかった、ユッキーさんの新たな一面。
 私は、自分の肩に残った熱を感じながら、彼の背中を追って遊園地の出口へと歩き出した。

 ああ、お父さん、お母さん。私は今日、大人への階段を登ってしまいました……。