私とユッキーさんが交際を始めたという事実は、あっという間にキャノンディーのメンバーに知れ渡った。
裕子はおめでとうと言ってくれたものの、ユッキーさんへの警戒心を解いていない。
その警戒を解くべく、私はノロケ話を次々と聞かせたけど、むしろ煙たがられるようになった。だから最近は控えめにしてる。
珠奈さんも祝福してくれた。でも、よかったね、頑張ってね、と言う彼女の目には寂しさが見えた気がした。この人、きっと未練があるよ。
でも、相変わらずユッキーさんとの距離はとっていて、完璧な聖人君子として振る舞っている。
そして光恵さんは、部室での一件などなかったように過ごしている。私も誰にも話さなかった。
逆に言えば、彼女のユッキーさんとの親しい友人としての距離は変わっていない。四年男子のグループに紛れて会話をする場面をよく見かける。それは私を嫉妬させた。
そのことをユッキーさんに伝えたものの、「あいつとは何もないから。大丈夫だよ」としか言われなかった。
ムカつくけど、長年一緒にサークルを運営してきた四年生たちの絆を無下にもできない。
*
「ホテルでいい?」
「うん……」
ユッキーさんは体を重ねるのが好きだった。
出かける場所に困ると、だいたいこの選択になる。最近は私もそれに慣れてしまっていた。
ホテルに入ると、彼はいつものように優しく抱きしめてきた。乱暴なところは一切ない。まるで壊れ物を扱うような、丁寧すぎる愛撫。
「田中、可愛いよ」
ベッドの上で何度も繰り返されるその言葉は、最初は心地よかった。でも三度目、四度目と繰り返されるうちに、急に空虚に聞こえ始めた。
夏に買った下着はとうとう出番を迎えた。でも、それは早々に脱がされてしまう。
何も纏わない私を、彼は可愛いだの綺麗だのと褒めそやした。それは嬉しいはずなのに、どこか肩透かしを食らった気分だった。
特別になったはずなのに。
この腕の中にいる今でさえ、なぜか特別だという気がしない。
優しい声と、熱い吐息と、肌が触れ合う湿った音だけが部屋に満ちていく。
「どうして珠奈さんのことは珠奈って呼ぶんですか?」
私はいつまでも田中だった。付き合い始めてもいつまでも苗字で呼ばれるので、気になって聞いてみた。
ユッキーさんは腕を組み、首を傾げて考えだした。
「なんだろう……考えたこともなかった」
あれ?
「なんかあいつは、珠奈って感じなんだよな」
驚いたことに、何の理由もなかった。
あんなに気になっていたことだったのに、実は彼にとってはどうでもいいことだったんだ。
「私のこと、宙って呼んでほしいです」
「おお、いいよ」
こうして私は宙になった。もしかしたら、いつでもなれたのかもしれない。
*
「何が不満なのよ」
裕子は苛立ちを隠さずに聞いた。その苛立ちの矛先は、半分は私ではなく、目の前の熱々のミルクティーに対してだ。裕子は猫舌。
「初詣も仲良く一緒に行ってきたんでしょ」
「あのね……」
私は頬杖をつき、テーブルの傷を眺めていた。
「会っているときは優しいのに、離れると急に他人になっちゃうんだよね」
メッセージでのやりとりになると、途端にそっけなく感じる。返信も遅い。
私は他愛のないやり取りをしたいけど、向こうからはサラッとした一言やスタンプが返ってきて終わってしまう。そして、やり取りの最初のメッセージがあちらから来ることはほとんどない。
付き合う前はスタンプ一つで尻尾を振っていたのに。今ではそれでは満足できない。
「どう思う」
裕子は私のスマホを覗き込む。
『この猫めっちゃ可愛くないですか?』
『いいね』
『充電器が行方不明です!』
『やべーじゃん』
『玄関に蛾がいました!』
最後のは既読無視だ。
「虫だけに」
「ふざけないで」
茶化してくる裕子に、私はぷりぷりと怒る。
「事務連絡じゃないと、全然続ける気がないみたいなの」
「ユッキーさんのこと、よく知らないけど、そういう人なんじゃない? 直接会ったときは話が弾むんでしょ。ならいいじゃない」
よくない。裕子は私の気持ちをわかってない。
彼がそばにいない時、私がどれだけ彼のことを思っているのか。どれだけ求めているのか。
でも、彼は私を必要としてくれている気がしない。
どうしてかな。
私ってやっぱり、ちんちくりんで貧相で、魅力が足りないのかな。
特別になったはずなのに、なんで満たされないんだろう。
*
「ユッキーさんは、私のどこが好きですか?」
相変わらず可愛いを連発する彼の腕の中で、私は別の愛の言葉を求めた。
「んー? そうだなあ。明るくて元気なところかな」
彼は微笑みながら答えた。
しかし私は満足できない。そのカテゴリだと、珠奈さんや光恵さんでも同じだ。
「他にもありませんか?」
「ここも好き」
彼の長い指が私の平らな胸の先端に向かって伸びたのを、手でそっと制した。
「ばか」
ふん、嫌い。ううん、嘘、本当は嫌いじゃない。
うっかり、珠奈さんの体を思い出してしまった。この指は、あのマシュマロも悦ばせたんだ。
「男の人って、胸が大きい方が好きじゃないですか?」
「俺は別に、どっちでも」
どっちでも。彼は私の身体的コンプレックスを、優しく否定してくれた。
でも、それじゃあ、私でも珠奈さんでも、どっちでも?
はあ。なんで心の中で、珠奈さんとの背比べなんかしてるんだろう。
彼の腕の中は温かかった。でも、私の心には寒風が通り抜けた。
裕子はおめでとうと言ってくれたものの、ユッキーさんへの警戒心を解いていない。
その警戒を解くべく、私はノロケ話を次々と聞かせたけど、むしろ煙たがられるようになった。だから最近は控えめにしてる。
珠奈さんも祝福してくれた。でも、よかったね、頑張ってね、と言う彼女の目には寂しさが見えた気がした。この人、きっと未練があるよ。
でも、相変わらずユッキーさんとの距離はとっていて、完璧な聖人君子として振る舞っている。
そして光恵さんは、部室での一件などなかったように過ごしている。私も誰にも話さなかった。
逆に言えば、彼女のユッキーさんとの親しい友人としての距離は変わっていない。四年男子のグループに紛れて会話をする場面をよく見かける。それは私を嫉妬させた。
そのことをユッキーさんに伝えたものの、「あいつとは何もないから。大丈夫だよ」としか言われなかった。
ムカつくけど、長年一緒にサークルを運営してきた四年生たちの絆を無下にもできない。
*
「ホテルでいい?」
「うん……」
ユッキーさんは体を重ねるのが好きだった。
出かける場所に困ると、だいたいこの選択になる。最近は私もそれに慣れてしまっていた。
ホテルに入ると、彼はいつものように優しく抱きしめてきた。乱暴なところは一切ない。まるで壊れ物を扱うような、丁寧すぎる愛撫。
「田中、可愛いよ」
ベッドの上で何度も繰り返されるその言葉は、最初は心地よかった。でも三度目、四度目と繰り返されるうちに、急に空虚に聞こえ始めた。
夏に買った下着はとうとう出番を迎えた。でも、それは早々に脱がされてしまう。
何も纏わない私を、彼は可愛いだの綺麗だのと褒めそやした。それは嬉しいはずなのに、どこか肩透かしを食らった気分だった。
特別になったはずなのに。
この腕の中にいる今でさえ、なぜか特別だという気がしない。
優しい声と、熱い吐息と、肌が触れ合う湿った音だけが部屋に満ちていく。
「どうして珠奈さんのことは珠奈って呼ぶんですか?」
私はいつまでも田中だった。付き合い始めてもいつまでも苗字で呼ばれるので、気になって聞いてみた。
ユッキーさんは腕を組み、首を傾げて考えだした。
「なんだろう……考えたこともなかった」
あれ?
「なんかあいつは、珠奈って感じなんだよな」
驚いたことに、何の理由もなかった。
あんなに気になっていたことだったのに、実は彼にとってはどうでもいいことだったんだ。
「私のこと、宙って呼んでほしいです」
「おお、いいよ」
こうして私は宙になった。もしかしたら、いつでもなれたのかもしれない。
*
「何が不満なのよ」
裕子は苛立ちを隠さずに聞いた。その苛立ちの矛先は、半分は私ではなく、目の前の熱々のミルクティーに対してだ。裕子は猫舌。
「初詣も仲良く一緒に行ってきたんでしょ」
「あのね……」
私は頬杖をつき、テーブルの傷を眺めていた。
「会っているときは優しいのに、離れると急に他人になっちゃうんだよね」
メッセージでのやりとりになると、途端にそっけなく感じる。返信も遅い。
私は他愛のないやり取りをしたいけど、向こうからはサラッとした一言やスタンプが返ってきて終わってしまう。そして、やり取りの最初のメッセージがあちらから来ることはほとんどない。
付き合う前はスタンプ一つで尻尾を振っていたのに。今ではそれでは満足できない。
「どう思う」
裕子は私のスマホを覗き込む。
『この猫めっちゃ可愛くないですか?』
『いいね』
『充電器が行方不明です!』
『やべーじゃん』
『玄関に蛾がいました!』
最後のは既読無視だ。
「虫だけに」
「ふざけないで」
茶化してくる裕子に、私はぷりぷりと怒る。
「事務連絡じゃないと、全然続ける気がないみたいなの」
「ユッキーさんのこと、よく知らないけど、そういう人なんじゃない? 直接会ったときは話が弾むんでしょ。ならいいじゃない」
よくない。裕子は私の気持ちをわかってない。
彼がそばにいない時、私がどれだけ彼のことを思っているのか。どれだけ求めているのか。
でも、彼は私を必要としてくれている気がしない。
どうしてかな。
私ってやっぱり、ちんちくりんで貧相で、魅力が足りないのかな。
特別になったはずなのに、なんで満たされないんだろう。
*
「ユッキーさんは、私のどこが好きですか?」
相変わらず可愛いを連発する彼の腕の中で、私は別の愛の言葉を求めた。
「んー? そうだなあ。明るくて元気なところかな」
彼は微笑みながら答えた。
しかし私は満足できない。そのカテゴリだと、珠奈さんや光恵さんでも同じだ。
「他にもありませんか?」
「ここも好き」
彼の長い指が私の平らな胸の先端に向かって伸びたのを、手でそっと制した。
「ばか」
ふん、嫌い。ううん、嘘、本当は嫌いじゃない。
うっかり、珠奈さんの体を思い出してしまった。この指は、あのマシュマロも悦ばせたんだ。
「男の人って、胸が大きい方が好きじゃないですか?」
「俺は別に、どっちでも」
どっちでも。彼は私の身体的コンプレックスを、優しく否定してくれた。
でも、それじゃあ、私でも珠奈さんでも、どっちでも?
はあ。なんで心の中で、珠奈さんとの背比べなんかしてるんだろう。
彼の腕の中は温かかった。でも、私の心には寒風が通り抜けた。



