大学は甘くない 〜女子校上がりの私、先輩の「特別」になりたかった〜

「田中、お待たせ。待った?」
 私を見つけたユッキーさんは、手を上げて微笑みかける。
 私は興奮を可能な限り抑えつつ、猫なで声で答えた。
「いいえ、さっき来たばかりですぅ」
 嘘だ。約束の時間の二十分前には着いて、丹念に前髪を整えていた。
 五月の日差しは、なんだか私を祝福してるみたいに暖かかった。駅前の若葉がキラキラしてて、アスファルトの影までくっきり見える。世界がハイビジョンになったみたい。
 
 先日、大学のサークルの先輩であるユッキーさんから、遊びに行こうと誘われた。
 四年生のユッキーさんのことは気になっていたものの、私はまだ加入したばかりだったので、ほとんど話したことがない。
 だから、スマホにユッキーさんからのメッセージが来たのを見た時は、心臓が飛び出しそうになってしまった。
 男の人から! メッセージが! しかもユッキーさんから!
 私は、中学高校の六年間を女子校で過ごした。
 おかげで、父親と教師以外の男性とのやり取りは全く経験なし。高校生男子なんてフィクションの存在なのでは、とすら思ったものだ。
 いつか高校の先生が『大学に行けば彼氏なんてすぐにできるよ』と言っていた。
 当時は、そんな簡単なわけないじゃん、と思いながら聞いていた。ちんちくりんで貧相な私なんかと、誰が付き合いたいと思うのか。でも、実はあながち間違いではないのかも。
 だって、大学に入って、こんなにすぐに男性とお近づきになれるなんて!
 大学ってすげえ。大学サイコー。
 
 今日は、ユッキーさんと水族館へ行く。私にとって人生で初めてのデート。水族館なんて、小学生の時以来かも。
 服装の正解がわからずに迷った結果、ネイビーのワンピースに白のカーディガンを羽織ることにした。私なりに、可能な限り可愛く仕上げたつもり。
「そういえば、田中は魚とか好き?」
「はい、可愛いですよねぇ」
 本当はそうでもないけど、ユッキーさんとのデートのきっかけを提供してくれたと思うと、今は魚に感謝している。
 ユッキーさんは、誰のことも苗字で呼ぶ。本名の田中(たなか)(そら)をもじってタナチューと呼ばれている私のことも、彼だけは田中と呼ぶんだ。なんだか、ちょっと特別感。
 背が高くて、スラっとしている。明るくて、よくみんなを笑わせる、サークル内の人気者。そんなユッキーさんが、私を誘ってくれた。
 女子校で過ごした色気のない六年間は、今日この日を迎えるための下準備だったのかも。
「いいね、俺も好きだよ」
 はあ、ヤバい。好きだよ、だって。私に向けられた言葉じゃないとわかっていても、ついニヤけそうになってしまう。
 
 薄暗い水族館の中を、ユッキーさんから離れないように、でも近づきすぎない距離を保ちながら進む。
 ユッキーさんは魚に詳しい。私の隣で、水槽の中にいるカラフルな魚たちを指差しながら、パネルを見ずに名前を言っていく。まるでガイドツアー。しかも、かっこいいというオマケ付き。一石二鳥じゃん。
 魚を指差す度に、爽やかな香水がふわりと私の鼻腔をくすぐる。はあ、これが大学生の香りかあ。思わずとろけそうになる。
 私は魚の名前をさっぱり覚えられそうにないけど、ユッキーさんと二人だけの時間を過ごすというだけで大満足。館内はひんやりしてるのに、体の火照りが止まらない。
「見て、これはキッシンググラミー。オスが力比べをするとき、キスするような仕草をするんだ」
 二人で小さな水槽を覗き込むと、ユッキーさんの顔の近さに胸の鼓動が速くなる。
——キスするような仕草をするんだ
 その綺麗な顔とキスする様子を想像してみると、驚くほどにムラッと来てしまう。そのせいか、小さなくしゃみが出ちゃった。
 
 クラゲの水槽では、魚にさほど興味のない私でも、とても幻想的で綺麗だと感じた。
 もし龍宮城があるのなら、きっとこんな様子だろうなあ。食べるならタイやヒラメだが、舞い踊るならクラゲが一番いい。
「クラゲって綺麗ですねぇ」
 私は正直な感想を述べる。薄暗い色とりどりの照明の中で、ふわふわと漂うクラゲたち。まるで、この夢のようなデートを祝福しているみたい。
「ね、クラゲって自由な感じがしていいよな」
 ちょっとズレた回答をするユッキーさんがなんだかおかしくて、クスリと笑ってしまう。そして相変わらず、生態などを楽しそうに話している。
「こいつは毒クラゲ。たまに釣り糸に触手が引っ掛かってて、困るんだよな」
 毒クラゲの水槽の前に、彼の細身ながら大きな背中が見える。私はクラゲの写真を撮るついでに、照明の逆光に映るそのシルエットをカメラに収めた。
 
 その後、カフェでお茶をしてから解散した。
「甘いのが好きなんだよね」
 そう言いながら、キャラメルシロップ入りのカフェラテを飲むユッキーさん。それは、彼の甘い佇まいにとても似合っている。
 西日が窓のブラインド越しに差し込み、テーブルを照らす。グラスの中でカフェラテが琥珀色に透き通っている。氷がカランと音を立てるたび、私の心臓も小さくキュンと鳴る。
 
 私の中のデータベースに、ユッキーさんの情報がどんどん蓄積されていった。
 
 ・背が高い。
 ・かっこいい。
 ・人気者。
 ・魚に詳しい。NEW!!
 ・いい香り。NEW!!
 ・甘い物が好き。NEW!!
 
 ああ、なんて幸福な箇条書き。この幸せの記録は、今後もどんどん更新されていくんだろうな。
 
 私は夢見心地で帰路に着いた。
 帰りの電車の中で、今日撮った写真を眺める。水槽の前に立つ彼のシルエット。カフェのテーブルに二つ並んだカップ。
 私はSNSを開き、迷わずそれらの写真を選択する。そこに「大学生活、満喫中」という気取った文字を添えて。親しい友達だけに公開、っと。
 投稿して五分。通知が跳ねる。
『嘘でしょ⁉』『え、誰と⁉』『デート⁉』
 女子校時代の友人たちからの絶叫に近いDMに、私はニヤニヤが止まらない。へへ、こりゃ堪んないぜ。もう、人生勝ち組じゃないか。
 大学ってすげえ。大学サイコー!