重低音と駆ける風


奏斗がたまたま覗いた空き教室の中に、ポツンとギターが置かれていた。

「え、ギター?かっこよ」

楽器には全く詳しくないけれど、見ていてカッコ良いとは思う。少しだけ近づいてマジマジと見たそれは、窓から差し込む夕日を浴びてピカピカと輝いている。

「ギターじゃなくてベースやね」

そう後ろから声を掛けられて振り返れば、少し制服を着崩した男子生徒が居た。

「ベース?」
「そうそう。知らない?」
「聞いたことはあるよ。なるほどこれが噂のね」
「なんの噂なん、それ」

男子生徒は奏斗の言葉に笑って、持ってみる?とベースを差し出してくれた。けれど壊しでもしたら大変なので全力で手と首を横に振る。奏斗が触ったことある楽器なんて、リコーダーと鍵盤ハーモニカぐらいなのだ。

「ギターとベースって何が違うの?」
「見た目ならベースの方がちょいデカイ」
「へー」
「あとは弦が少ない。大体4本やし」
「ギターは違うの?」
「ギターは大体6本かな」

言われてもう一度ベースをじっくりと見る。大きさはちょっと分からないが、確かに弦は記憶の中のギターより少ない気がする。

「結構違うんだ」
「そうやね。あと、ギターはジャカジャカ鳴ってる目立つ方で、ベースは低い音で後ろ支えてるやつって感じかな」
「大事なやつだ」

奏斗の言葉に「そうなんよ」と返しながら、目の前の男子生徒はベースに指を滑らせる。日焼けした奏斗とは違って白い焼けてない肌の色だ。

「そーいや名乗ってなかったけど、俺2年の朝倉奏斗」
「同学年だ。俺は望月律」

そう告げられた名前になんとなく聞き覚えがあり、奏斗は記憶を探る。

「もちづき……?あ、モッチー?」
「急にあだ名やん」
「いや、クラスの女子が話してたから」

カッコ良い男子の話でクラスの女子が騒いでいたのを思い出す。何人か名前が上がっていたが、その中にモッチーという単語があったのだ。バンドの話も出ていたのでおそらく本人だろう。

「なんて話してたん?」
「えー、カッコ良いって」
「ありがと」
「どーいたしまして」

クラスの女子が話していた通り、律は整った顔立ちをしている。奏斗も自分の顔が嫌いでは無いが、律と違ってカッコ良いより可愛いと言われることの方が多いので少し羨ましい。

「奏斗は何部なん?」
「俺は陸上」
「はえー、陽キャだ」
「なんで?」
「運動部は陽キャ」
「範囲広すぎでしょ」

そう言いながら教室の時計を見ればいつの間にか時間が経っていた為、奏斗は慌てて立ち上がった。

「ってことで部活いってくる!ばいばいモッチー!」

慌てて扉の方に駆け寄って手を振りながら振り返る。それに答えて律もこちらに向かって柔らかく笑って手を振ってくれた。


「またね、奏斗」


*



「そういえば噂のモッチーに会ったんだよね」

陸上部の練習終わり。ストレッチをしながら奏斗がそう言えば、後ろにいた同じクラスの佐久間が「へぇ」と反応する。

「それほんとに噂のやつ?」
「イケメンでベースのモッチー」
「なら噂のやつだ」

グイグイと背中を押して貰いながら答える。時々限界以上に押されるので「痛い!痛い!」と抗議の声も上げる。

「てかなんで話したわけ?」
「ギターかっけぇって言ったらベースだよって教えてもらった」
「やさし」

そう言った佐久間の言葉に、奏斗も同意を返す。楽器を全然知らない自分に色々教えてくれただけでなく、断ってしまったが触らせてくれようともしたのだ。今年度奏斗内ランキング優しさTOP10入りである。

「バンドやってる人って怖そうなイメージあるけどな」
「確かに。でも全然そんなこと無かったわ」
「変な噂とかあるしな」
「変な噂?」

首を傾げた奏斗に、佐久間は「あくまで噂だけどな」と前置きして噂の内容を教えてくれる。女の子をとっかえひっかえしているとか、貢がせているとかそんな感じのものだ。

「へーそんな感じしなかったわ。あ、けど」
「けど?」
「本当にイケメンだったから……」
「あぁ、イケメンって大変だな」

先程の空き教室での律の姿を思い出す。夕日に照らされる横顔は、何かの雑誌かと思うほど整っていた。けれど、その口から発せられたベースの解説は、何も分からない奏斗に分かりやすい言葉だった。

「ほんと、大変だよな」

柔らかい声で投げかけられた「またね、奏斗」の言葉を思い出す。その声の柔らかさが、妙に奏斗の耳に残っていた。


*


晴れた日の5限目。律のクラスは、担当するはずだった教師の体調不良により自習の時間になっていた。ザワザワとした教室の喧騒を聞きながら、なんとなく窓の外を見ればどこかのクラスが体育の授業を受けているらしい。
見知った顔が無いかと見ていると、先日話した奏斗の姿が目に留まる。
なにか面白いことでもあったのか、爆笑しながら隣の人物の背中を叩く姿は随分と楽しそうだ。

「律ー、何見てんだ?」

ずっと窓の外を見ていたせいか、同じ軽音部のクラスメイトが律の隣に来て窓の外を見る。

「あれ」
「ん?あ、朝倉じゃん」
「友達?」
「ダチってわけじゃないけどわりと有名じゃん。大会で入賞して集会で表彰されてたし」
「そうだっけ?」

思い返すが記憶にない。そもそも集会は襲い来る眠気に逆らわないことが多いのだから当たり前だ。けれどそれで表彰されている奏斗を見逃していたのなら、なんとなく勿体ないことをしたなという気持ちになった。

「てか律こそダチなわけ?タイプ違うくね?」
「友達、なんかな?」
「いや、俺に聞くな」
「1回ちょっと話しただけやけど」
「ふーん?それで悩むってことはダチになりたいんじゃね?」

そう言われて、律はあの日の事を思い出す。テンポよく交わされる会話と素直な反応。律を見つめる真っ直ぐな瞳。自然と自分の口から溢れた「またね」の言葉。

「そうかもなぁ」

目を細めてグラウンドをもう一度見る。差し込む太陽が少し眩しかった。


*


「あ、」

ある日の昼休み。生徒で賑わっている廊下に出た奏斗は、自分の少し先にいる律の姿を発見した。

「モッチー!」

あだ名を呼んで駆け寄れば、律は少し驚いた顔をした後に奏斗へと笑いかけた。その隣にいた生徒も驚いた顔をしていたが何故かは分からない。

「モッチー今から食堂?」
「そーそー。奏斗は?」
「俺も!」
「なら一緒に食う?」

誰かと食べる約束をしていた訳でもないので、律の問いかけに奏斗は「うん!」と元気よく答える。今日は日替わり定食がチキン南蛮の日なので急がなくてはいけない。奏斗は、律の手を引いて「早く行こ」と廊下を急ぎ足で食堂へと向かった。


無事に目当てのチキン南蛮定食を手に入れ、ほくほくと食べている時、ふと律が「奏斗はさ」と口を開いた。

「ん?」
「ライブちゃんと見たことある?」
「え、ないけど」

口に入れたチキンを飲み込んで答える。ベースをこの前教えてもらった人間だぞこっちは。という思いで律を見れば「じゃあさ」とスマホの画面を見せられる。

「俺らのライブ見にこん?」
「えっ!いいの!?」
「うん、これ」

表示されている日時と場所を確認する。その日は部活の練習が午前に終わる日なので特に問題ない。

「行きたい!」
「おっけー。詳細送るからLINE交換しよ」

そうして追加された律とのトーク画面と、送られてきたライブの詳細を確認して奏斗の口角は自然と上へと上がった。

「ちょー楽しみ!」


*


初めて訪れるライブハウスは奏斗にとって未知の場所だった。

狭い階段を下に降り、重い扉を開けた先は想像していたよりも暗い部屋。それなりにいる人の間をすり抜けて、邪魔にならないよう部屋の端を陣取った。
そのままどうして良いのか分からず貰ったドリンクを見つめていれば、ステージの方からジャランと大きな音が聞こえてきた。

「うえっ」

びっくりして思わず肩を揺らしてしまい、近くにいた人が小さく笑う。顔を上げてステージを見れば、何やら機材の調整をしているらしく何人かが慣れた様子で動き回っていた。

(あ、モッチーだ)

その中に律の姿を見つけて、奏斗は少しだけ目を見開く。

学校で会う時とは違う黒いTシャツ姿に、首から下げられたベース。気だるげに見えた雰囲気は変わらないのに、ステージの上に立つだけで別人みたいに見えた。

律はなにかの機材の前にしゃがみ込み、コードを繋ぎ直したあと軽くベースの弦を弾く。

ドゥン、と低い音が腹の奥に響いて、奏斗は思わず瞬きをした。

(……すご)

上手いとかは分からない。けれど、さっきまで流れていたBGMとは全然違う音だった。耳で聞くというより、体に直接響いてくる感じがする。

「次、準備できたら始めまーす!」

ステージ横から声が飛ぶ。照明が少し落ち、周囲のざわめきが期待するような空気へと変わった。

律は立ち上がると、客席を軽く見渡した。

そして、部屋の端にいる奏斗を見つけた瞬間、緩く目を細めた。
あ、っと思い奏斗が何か反応を返す前にステージの中央へ向かった律が、ベースを構える。

暗かったライブハウスの中で、そこだけに光が集まった。

「――それじゃ、始めます」



多分心を奪われるというのはこういうことなんだろうな、と奏斗は思った。

周りのざわめきは全て消えて、ただただステージから響く音楽だけが体を支配する。ベースを鳴らす律の指から、真剣な表情から、流れる汗から目が離せなくて瞬きすら惜しかった。

「すごい……」

体の奥に響く音のせいか、奏斗の心臓もドクドクと脈打つのが分かる。
一瞬バチッと合った律の視線が、知らない温度を纏っていて一層心臓が大きく脈打った。

(やば、かっこよ……)

夢みたい。なんて言うとあまりにも陳腐な感じがするが、それでも夢のようだった。あまりにも現実から切り離されていて、終わったあとも戻って来れずにいる様な感覚だった。

「音楽って……」

すごい。

奏斗の胸の鼓動は、暫く速いままだった。



「奏斗」

演奏の合間、2杯目のドリンクを受け取っている時に後ろから名前を呼ばれて振り返る。

「モッチー!」

見れば、タオルを首にかけた律が奏斗のすぐ後ろに立っていた。

「来てくれてありがとね」
「こちらこそ誘ってくれてありがと!すげーカッコよかった!!」

身振り手振りでどれほど感動したかを伝えれば、律は少しはにかんで「なんか、照れるなぁ」と首を傾けた。汗をかいた為か、普段と違い髪をかきあげているのでいつもより表情がよく見えた。

「また誘ってええ?」
「もちろん!」

返事をした瞬間、ステージから試し弾きの音が響く。
けれど律には、その言葉がちゃんと聞こえていたみたいで嬉しそうに目を細めた。


*


「俺も奏斗が走ってるとこ見たいな」

奏斗がバンドを見に行った数日後の昼休み。
律にそう言われて、奏斗は思わず唐揚げを口に運ぶ手を止めた。

「俺の?」
「うん」
「走ってるだけだから面白くないと思うけど」

特に奏斗は短距離走選手だ。リレーやハードルよりも更に見応えが無いだろう。

「んー、そうかもやけど」
「うん?」
「でも、俺は奏斗の走っとるとこみたい」

律の言葉にからかいの色はない。本当に奏斗の走っているところが見たいらしい。
そこまで言うのならと、奏斗は次の大会の日程を告げた。幸い、近いうちに地区の大会がある。

「じゃあ、予定空けとく」

律はそう言って、奏斗から教えられた日程をスマホに打ち込んでいく。その姿を見ながら、奏斗はなんだか落ち着かない気持ちになった。

ライブを見に行った時とは逆で、今度は自分が見られる側になる。

「……なんか緊張してきたかも」

ぽつりと零せば、律が「早いやろ」と可笑しそうに笑った。


*


大会の日は、あっという間に訪れた。

奏斗はスタート位置に立って軽く辺りを見渡す。観客席の人は多く、律の姿を見つけることは出来ない。少し残念だが、会場に着いたとLINEが入っていたので何処かには居るのだろう。

ふーっと1度目を閉じて深く息を吐き出す。

そうしてゆっくりと目を開けば、奏斗にはもう目の前の白線しか見えなかった。


*

スタート位置にいる奏斗の姿を、律は観客席から眺めていた。グッと肩を伸ばす姿が様になっていた。
普段の太陽みたいな笑顔はなりを潜め、今は波のない水面のように静かな表情をしている。

(あんな顔もするんや)

やがて促されて選手達はスタートの姿勢を取る。そして鳴らされた合図で一斉に駆けた。

走る姿を「風のよう」と評することがあるが、それは正しい表現なのだとその時初めて思った。
風を受けて靡く奏斗の黒髪が、律の目の前をあっという間に通り過ぎていく。

「かっこええな」

誰よりも早くゴールした奏斗は、タイムを確認していつも通りの笑顔をパッと浮かべてチームメイトへと駆け寄った。

(……かわい)

おそらくコーチである人物に、頭をクシャクシャに撫でられて笑う姿は、先程の走っていたのと同じとは思えない騒がしさだ。

律は自分のスマホを取り出して、その姿を1枚カメラへと収めた。


*

律のバンドを見に行き、逆に奏斗の大会を見に来て貰ってから、奏斗と律の距離は更に縮まった気がする。
それこそ「最近2人って仲良いよね」とクラスメイトに言われるぐらいには。

だからこそ奏斗は、以前聞いた律の噂をすっかり忘れていた。


授業終わり、奏斗は部活に向かう為に1階の渡り廊下を歩いていた。そこでふと中庭の隅から話し声が聞こえて来てそちらを見れば、律が誰かと話している姿が目に入った。

(なんか、揉めてる……?)

穏やかとは決して言えない雰囲気に、奏斗は悪いと思いつつもこっそりと近づいて聞き耳を立てる。
どうやら相手は3年生の先輩らしく、律が彼女を取ったと責めているようだった。
奏斗は律がそんなことしないと思ってはいるが、ここで出ていって余計に話をややこしくするのも……と思いどうしようかと頭を悩ませる。
すると、いつの間にかヒートアップした先輩が拳を振り上げるのが見えて思わず奏斗は飛び出した。

「先輩!ダメですって!良くないですって!暴力反対!」

突然現れた奏斗に抱きつかれたことにより、先輩はギョッとした表情を浮かべて慌てて振りほどこうとする。

「なんだお前!?はなせ!関係ないだろ!こら!」

しかし先輩も無関係な生徒を殴るのは気が引けたのか、どうにか押しのけて奏斗を外そうしていた為わちゃわちゃと二人で力比べのような感じになった。
するといつの間にか後ろに回っていた律が、奏斗の後ろ襟を引っ張って先輩から奏斗を引き剥がす。
そして「え?」と思っている間に、自分より少し高い位置にある律の顔が近づいてくる。

感じたのは唇への柔らかい感触。

「俺が好きなのこいつなんで」


そう言った律は、何事も無かったようにこの場を去っていった。けれどその歩調はいつもより少しだけ速い気がする。
そして残ったのは奏斗と先輩、それから2人の「えーーー!?!?」という叫び声だけだった。


*

その後先輩は「なんかよくわかんないけど頑張れよ」と奏斗の肩を叩いて帰っていった。奏斗も部活へ行かないといけない為、混乱した頭のまま部活へ参加したがその日は集中しろと何度も怒られてしまった。


その日の夜、奏斗は自室のベッドで抱き枕を抱えて天井を見つめていた。

「俺のことが好き……?モッチーが……?」

信じられない言葉だ。けれど確かにあの時感じた唇の柔らかさは本物で、奏斗は無意識に己の唇へ指を這わす。

「なんで……?」

迫ってきた整った顔を思い出して首から上が暑くなる。思わず抱き枕を更に抱きしめて顔を埋める。

「……なんで俺なんか」

あんなふうに輝いている律が、自分を好きだなんて信じられなかった。
釣り合わない。浮かんだ言葉はそれだった。ステージの上でどうしようもなく輝いていた姿を思い出す。あの日の感動は、今でも奏斗の中でキラキラと光っていた。


結局それから数日、奏斗は律と話せずにいた。
どういう顔をして合えば良いのか、何を話して良いのか分からなかったからだ。
なんとなく思い悩んでいるのが伝わったのか、クラスメイトの佐久間が「なんかあった?」と心配そうに尋ねてくる。

「例えば、で聞いて欲しいんだけど」
「はいはい」
「自分なんかに釣り合わない、すごい人から好きって言われたらどうする?」

奏斗の質問を聞いた佐久間は「んー」と少し考えて口を開いた。
「それってなんか考える必要あんの?」
「え、」
「いやだってさ、好きって言われて悩むのは奏斗も好きかどうかだけじゃね?」

全くもってその通りだ。けれどそう簡単に思えるほど、奏斗の自己肯定感は実は高くない。それでもそう指摘されたら、自分が律の思いに対して不誠実なんじゃないかと思えてくる。

「あと、俺は奏斗は「なんか」じゃないと思うけどな」
「えっと」
「いつも明るいし楽しいし、顔もわりと整ってるし」
「え、えへ。そう?」
「大会で成績残してるし、まぁ勉強はアレだけど」
「ねぇ、今貶す必要あった?ねぇ」
「まぁ、つまりさ。奏斗はどうしたいわけ?」

言われて、奏斗はもう一度考える。何故自分がではなく、自分は律をどう思っているのかを。
ベースを撫でる指、こちらに向けたやんわりと細められた瞳、奏斗を、呼ぶ柔らかい声。

「佐久間」
「ん?」
「俺ちょっと行ってくる」
「おー、行ってら」
「ありがと!」

教室を出て、1段飛ばしで階段を駆け下りる。放課後、初めて会った空き教室。
その前の廊下を歩く後ろ姿を見かけて、奏斗は思わず駆け寄って律の腰あたりの服を掴んで引き止めた。

「モッチー!」
「えっ!?奏斗!?」
「あの!俺、俺……」

言葉が上手く出てこない。心臓が走り終わった後と同じぐらいバクバクと音を立てている。

「俺も……モッチーのこと好き、だと思う」

情けない告白だった。全然カッコよくないし、スマートでも無い。けれどその時見た、律の表情は今まで見た中で1番嬉しそうだった。

「ありがとう奏斗」

律の顔が赤く染まる。おそらく自分の顔も。
多分夕焼けのせいではないだろう。


END