コールマイネーム

 南街駅前通り商店街の祭りは昼過ぎからが本番だ。午前中はひたすらに餃子の仕込みをやって、業務用冷蔵庫は餃子で一杯だ。
 
 10時半に優奈のパン屋に行く。制服はレンタルのものを渡され、パン屋のロッカールームで着替えた。

 ビアガーデンのスタッフの目印は、ベレー帽とおそろいの緑のネクタイ。ネクタイの締め方が分からず、優奈に締めてもらう。

「あっくん、ジッとして」優奈は先ず自分のネクタイを動画を見ながらしめて、それなりに苦戦しながら僕のも締めてくれた。
「優奈、ベレー帽似合うよ。かわいい」
「あっくんも。今日、学校の友達がお祭りに来るから、あっくんを紹介するね」


 商店街のアーケードにズラリと並んだテーブルと椅子は、客でまたたくまに埋まった。
 重いジョッキの生ビールを運ぶ。こぼさないように気を使った。商店街の店それぞれがビールに合うメニューを出し合う。

 キリマンジャロは餃子、グーテンモルゲンはドイツ仕込みのプレッツェルとソーセージ。商店街の他にも、地元の牧場や製菓工場などが力を合わせた。
 
 元々は厳しい冬が来る前に、11月に何かやろうと始めた小さなお祭りだったらしい。今年で10年目だが、いまはガイドブックに載るほどのイベントに成長した。
祭りの間は店舗も客が来て、ビアガーデンにも手がかかるので、とても県大会の応援に行く余裕は無かった。

「ブルーナイトエールが3つにマウンテンラガーが2つです」

 最初の1杯目のジョッキをテーブルに持っていくと、必ず歓声が上がる。みんなビールが好きなのだ。喜んでいるのをみると、僕も嬉しい。

 キリマンジャロの餃子もよく注文が入っているようだ。冷めないうちに食べて欲しい、と思う。
 お客さんが帰るとテーブルを綺麗にして、すぐ次の一団がはいる。ウェイターは去年の倍に増やした、と聞いていた。去年は客の入りを甘く見ていて、全員がぶっ通しで10時間働く羽目になったのだ。

「牧場の搾りたて牛乳です」

 瓶入りの牛乳は子どものためのメニューだったが、大人もよく注文していた。桃のパイとアップルパイも飛ぶように売れる。あっという間に午後二時だ。
「優奈、休憩入って」
「あっくんは?」
「僕は後で平気」
人の波は全く途切れない。たくさんの笑顔。美味しいものは人を幸せにする。

「丸山さん、キリマンジャロの餃子は品切れだから、メニューにシール貼って」渡されたシールをメニューに貼りに行く。
「餃子は品切れなの?」お客さんが驚いたように言う。
「はい。おかげさまで」言葉の使い方は合っているのだろうか。
「じゃあキリマンジャロのパイコーを2つ」シール貼りのついでに注文も取る。
「アップルパイと桃のパイはどちらがおすすめですか」
「アップルパイは少し歯ごたえがあって、桃のパイは柔らかいです。僕は桃が好きです」
「一つづつください」
何もかもが、飛ぶように売れていった。
 
夕方からは気温が下がり、ラクレットなど温かいメニューが出始める。ブランケットを貸し出し、寒くないかを聞く。
 ホットのアップルワインから立ちのぼる湯気で酔ってしまいそうだ。アーケードにはささやかなイルミネーションが点灯した。

 午後七時で、ビアガーデンは店じまいだ。

飲み足りないお客さんにまだやっている店を紹介し、テーブルを片付け、パン屋のロッカールームへと引き揚げようとすると、優奈が小柄な男の子から声をかけられた。
メガネとジャケットの感じがまるでイギリス人みたいな男の子。イギリスへ行ったことはないけれど。
「佐々木くん。ごめん、全然スマホ見れなくて待ったよね」
「いいよ」
「あっくん、この人が会わせたかった人。私の彼氏」

それなりに、衝撃があった。なんとかしどろもどろの挨拶をする。
「あの……僕は優奈ちゃんの友達の丸山朝陽です」
「優奈から聞いてます」
「僕は聞いてなくて……誰?」
「同じテニス部の佐々木くん」気の利いたセリフが出てくるわけもない。佐々木を見ながらなんとか言葉を押し出す。
「僕は男ですけど、優奈ちゃんは絶対に僕とは付き合わないから大丈夫です。僕、すごい馬鹿なんです」
「あっくん、びっくりさせちゃった?」
「気にしないで。勝手に僕がびっくりしただけ。遅いから帰ろう。家まで送る……のは佐々木くんが送るからいいか。またね、優奈」 

 
 
 アーケードを通り、キリマンジャロに入ると、ビアガーデンから流れてきたお客さんがたくさんいた。
急いで母屋へ行き、仕事着に着替えて戻る。
「お母さん、交代する」
「おかえりなさい。あっくん。武流くんはまだ帰ってない?」
「わかんない。スマホ見てない」

 スマホは母屋に置いてきた。店にスマホは持ち込まない。
母は店から出ていき、すぐ戻ってきた。
「あっくん、優奈ちゃんが来てる。あなたたちけんかしたの?」
「してないよ」
「店の裏で泣いてるから行ってあげて」母は再びエプロンをして、店に出た。

 優奈は滅多なことでは泣かない。僕のせいで恋人が怒ってしまったのかもしれない。

店の裏に出ると、優奈はまだウェイターの服装のままそこにいた。優奈が抱きついてきて、僕も抱きしめ返す。
「私のことがっかりしたよね」
「がっかりなんかしないよ」
「あっくん、自分のこと馬鹿って言わないで」
優奈が泣き止んでから、手をつないでパン屋の裏まで連れて行く。
佐々木はそこにいて、僕たちをみてホッとした顔をした。

「僕、仕事があるので、優奈ちゃんをお願いします」繋いだ手を離す。優奈はいつも、僕の手を繋いでくれていた。

 一人、店に戻る。

 商店街のアーケードにあったビアガーデンのテーブルや椅子は撤去され、跡形も無い。
まだ人通りは多く、賑やかだ。

 朝のラインは、優奈にはもう必要無いだろう。学校へ行く電車も、好きな人の事を考えていたらあっという間だ。
僕も朝は仕込みがあって忙しい。みんなそれぞれ、忙しいのだ。考える暇なんて、きっとない。
 
 店に戻る。
「優奈ちゃん、大丈夫だった?」
「うん。何でもない」

 店のドアが開く。大きなドラムバッグを下げたムッちゃんが姿を見せた。
「ただいま戻りました」
「武流くん、お帰り!試合どうだった」
「ハイ、優勝しました」ポケットから出したメダルは鈍く光る金。
「優勝?凄いな、県大会だろ?お祝いしなくちゃ。おじいちゃんに連絡したかい」
「はい。さすが俺の孫って言ってました」
 照れた笑顔のムッちゃんと目が合う。目の上が腫れ、頬も擦れていた。

「ここ、怪我してる」
「何でもない。朝陽、バイトが終わったら2階に来て」


 10時半に最後のお客さんが帰り、片付けが終わる頃には日付が回りそうだった。

「今日は忙しかったなぁ。朝陽はよく働いたね。助かった」
「ビアガーデンの餃子、売り切れたよ」
「パイコーもだ。観光客が来るとすごい」
「みんなが美味しいって食べてるのをみて、嬉しかった」
「そうか。夜は少し冷えたから、お客さんたちが風邪を引いてないといい」父は僕の肩を抱き寄せ、頭のてっぺんにキスした。
「朝陽はいい子だな。なんでこんなにいい子なんだろう」
「そう思ってるのパパだけだよ」
「そんなことない。ほら、もう上がりなさい」

 店を出て、二階を見上げるとまだ明かりがついていた。チャイムを鳴らす。スウェットにロンT姿のムッちゃんがドアを開け、僕を見て笑顔になった。
「お疲れ、朝陽」
「目、お化けみたいになってるよ」
「このくらいよくある」
「全部一本勝ち?」顔を見ればそうだと分かった。
「もちろん」
「ハハ、カッコいい」
「朝陽にカッコいいと思われるために、柔道してる」
「嘘だ」
「半分本当。こっち来て」
「僕、バイト終わりで臭い……」
「キスしていい?」
「お風呂入ってから」
「待てない」