コールマイネーム


 6月12日はプール開きだ。まだ肌寒く、女子は自由参加になった。

「寒い!」
「冷たい!」
あちこちで楽しげな悲鳴があがる。水泳は男女混合で、女子はラッシュガードにハーフパンツのような水着。男子も半分以上はラッシュガードを着ていて、下もハーフパンツタイプが多い。

 短い水泳パンツだけの自分を無防備に感じたが、後ろにいたムッちゃんは競泳パンツだけだった。

「よかったー。僕より布の面積が狭い人いた」
「水泳の授業なんだから、ガンガン泳ぎたい」
「泳げるんだ。いいな」
「俺、中学まで沖縄よ」
「ムッちゃん沖縄出身?」
「そうさー」いたずらっぽいゆったりとした言い方、少し変わったイントネーション。これが沖縄方言なのだろう。

 自分の番が来て脚を水に浸し、思い切ってプールに肩まで浸かった。
「わー」寒くても黙っていようと思ったのに、思わず声が漏れる。

「冷たいな」
ムッちゃんは隣のレーンだった。トプンと水紋を残してプールに沈み、上がってくるとゴーグルをして泳ぎ出す。慌てて僕もゴーグルを付けて、泳いだ。まだ後ろに待っている人がいるのだ。
25メートルをやっと泳ぎ切る。ムッちゃんはコースの終わりで僕が終わるのを待っていた。やっとのことでプールサイドに上がる。
「朝陽のさっきの口ぶりじゃ、泳げないのかと思ってた」
「高校に入ってから、スイミングに通って泳げるようになったんだ。苦手なことを無くしたい」
「いいね」ハイタッチする。プールサイドを歩いて、また並んだ。プールにいるときより寒い。
「寒すぎるだろ。凍死する」
「筋肉あっても寒い?」
「当たり前。朝陽、唇が紫になってる」ムッちゃんは肩を組んできた。人肌は温かい。
「震えてんじゃん、平気?」
「寒がりなだけ」

「筋肉すげー。ムロって肉体系のバイトしてる?」後ろから同じクラスの男子が言った。
「してる」
「引っ越し屋?」
「柔道教室の手伝い」
「格闘家かよ!だからムロは放課後誘っても来ないのか。何曜が暇?」
「じいちゃんが道場やってて、基本休みなし。こき使われてる」
泳ぐ順番がやってきて、ムッちゃんの腕が離れた。
水は最初に入った時よりも暖かく感じた。クロールで泳ぎ出し、無心になる。指先が壁に触れ、足をついた。隣のレーンのムッちゃんもほぼ同着だ。水面に顔を出し、プールから上がる。息があがり、ゴーグルを外すと目が、すっとする。ムッちゃんもゴーグルを外した。きりりとした目がなおのことくっきりと見える。ダサい水泳キャップは髪を隠し、ムッちゃんの顔を引き立てるのに一役買っていた。目が合い、恥ずかしくなって目をそらす。
「なんだよ、朝陽」
「秘密!」僕はプールサイドを小走りで移動し、先生に怒られた。
 

放課後。正門脇の駐輪場までムッちゃんと一緒に来た。
「じゃーな、朝陽」
「うん……」
「なに、どうかした」
「自転車が無い。ここに停めたのに」
「列を間違えてない?」
「間違えてないと思う。たまにあるんだよね、鍵を挿しっぱなしにしちゃって、誰かが乗ってく」駅までは徒歩で30分だ。バスを使う生徒が多い。
「泥棒だろ。箱崎高校はガラが悪い」
「毎回駅前で見つかるから、探してみる」

 ムッちゃんと二人でバスに乗り、箱崎高校前から、御海駅前についた。バスから降りた所で、駅の東口から出てきた優奈と出くわした。チェックのミニスカートにグレーのトレーナーを着て、小柄な身体に大きなリュックを背負っている。

「優奈、おかえり」
「ただいまー」
「リュック持つよ」僕の荷物はトートバッグだけだ。優奈のリュックを背負う。
「ありがと。あっくん自転車見つかった?」さっきバスで『自転車を盗まれた』と優奈にラインした。
「これから探す」
「鍵かけてた?」
「忘れてた」
「もー。早く探しに行こう」怒っている優奈に思わず笑う。
「朝陽の彼女?」ムッちゃんが聞いた。
「僕たち付き合おっか」ふざけると優奈から睨まれた。
「あっくんは絶対無理」
「ごめん、ムッちゃん、僕の幼なじみの蓮見優奈ちゃん。深氏高校の2年生」
「箱崎高校の室見です。バイトがあるからもう行くけど、自転車見つかったら教えて」
 
 ムッちゃんは優奈と入れ違いで駅へ行った。
自転車はこれまでに二回乗り捨てされていた場所、ゲームセンターの前の、客の自転車に紛れて放置されていた。どこか壊れている様子もない。
「よかったー」
「あっくん、鍵忘れちゃだめだよ」
「うん。探すの手伝ってくれてありがとう。優奈大好き」

 自転車を押して、優奈のパン屋の前まで送ると、優奈の父親がエプロン姿で店の奥から出てきた。
「優奈おかえり。朝陽くん、ちょうど良かった。明日午前中にバイトに来て欲しいんだ。七時から来れる?」
「早ーい」優奈が文句を言った。僕がバイトに呼ばれるということは、優奈も店を手伝うという事だ。
「来ます。じゃーね、優奈」
「バイバイ、あっくん」

裏通りを通って、ラーメン『キリマンジャロ』の裏手に出る。店の二階は、昔両親と僕の三人で住んでいた2DKの部屋がある。今は、店から徒歩2分の母屋に住んでいるから、2階は僕の部屋兼事務所代わりになっていた。
 
 学校で着ていた服を脱ぎ洗濯機に入れる。シャワーを浴びながら水着もついでに洗って洗面所に干した。
 
 髪をドライヤーで乾かす。4月に切ったきりで、中途半端に伸びていた。ムッちゃんのように染めたいが、ヘアサロンでどう頼んだらいいだろう。いつも、同じ商店街にある美容院で「かっこよくしてあげるよ」という美容師さんの言葉を信じて任せていた。今のところ特に不満は無い。髪形も褒められる。だが少し、ほんの少しハメを外してみたかった。
 
 店のTシャツを着て、仕事用のジーンズを履く。髪をオールバックにして、バンダナのような帽子にきっちり押し込んだ。
明日はパン屋のバイトがある。忘れない様にスマホを明日の朝六時にセットして、ついでにムッちゃんに『自転車見つかった』とラインした。
 
二階を出て、店に裏口から入る。手をきっちりと洗い、消毒する。
「あっくんおかえり」
ホールから戻ってきたお母さんが笑顔で言った。
「ただいま、おかあさん」
 
 さぁ、仕事だ。




22時10分。
「お父さん、一人で平気?」
「平気平気。次からはもっと早くに上がろう」
「家だもん。金曜日だし」
「さあ、家に帰って」
「ハーイ。お父さんおやすみなさい」
「おやすみ朝陽」

前掛けを外し、帽子を取って店の二階へいく。
きょう二回目、プールの地獄のシャワーを入れたら四回目のシャワーを浴びる。

夕食は、仕事の合間に手早く食べた。
まだ父は下で明日の仕込みと後片付けをしている。優しい父と母。
一日中、働いている。一人っ子で育ち、叱られた記憶はほとんどない。

乾燥の終わった洗濯物を畳んで籠に入れて抱え、学校のリュックを背負い、キッチンカウンターに置いてあったスマホを手に取る。点滅している。

クラスラインに何件か。書道部の部活ラインは音沙汰無し。

 中学の友達からは彼女が出来た報告がある。画像付き。坊主頭の野球部と元気そうな可愛い女の子。幸せそうだ。みんな妬ましい、死ねなどと冗談のスタンプを送っているが、ここは素直におめでとうと送る事にする。

 ムッちゃんからも来ていた。

『御海駅にいる。朝陽はバイト終わった?』

ラインがきた時間は……22時8分。今はもう22時50分だ。すぐスマホをみればよかった。

『いまラインみた。まだいる?』
『御海駅の商店街で飯食ってる。食い終わったところ』
『どこで?』
『キリマンジャロって変わった名前のラーメン屋』


洗濯物とリュックをその場に置き、部屋の鍵も閉めずに駆け出した。裏口から店に入ると、カウンターに見慣れた日焼けした顔がある。

「ムッちゃん!」

閉店10分前で店に客はムッちゃんだけだった。
「朝陽?」
「朝陽の友達?」父が聞いた。
「うん!同じクラスのムッちゃん」
「室見武流です。よろしくお願いします」ムッちゃんが父に頭を下げた。
「朝陽がお世話になってます」

「ムッちゃん何食べたの」
テーブルに食券の半券がある。『須山ラーメン』と書いてあった。
「須山ラーメン。お父さんがサービスで餃子出してくれたんだ。美味しかったです」
「いえいえ、食べてくれてありがとうね」

父はムッちゃんが食べ終わったどんぶりと皿を下げた。僕はムッちゃんの隣の席に座った。

「餃子は夜の分は僕が包んだんだよ」
「すごいな。朝陽の餃子美味しかった。そうだ、朝陽にこれを渡しに来た」

ムッちゃんはボディバッグから、小さな紙袋を出し僕に手渡した。
「開けていい?」
「いいよ」

 そっけない白一色の紙袋から、かわいらしいウサギのキャラクターと丸く反射板のついたキーホルダーが出てきた。
「『長野県警』って書いてある?」
「長野県警察のキーホルダー。じいさんが元警察官で、家にあった。自転車の鍵につけろ。朝陽が鍵をかけ忘れても、警察のキーホルダーがついてたら、盗みにくい」
「このキーホルダーを盗られたら嫌だから、鍵をちゃんとかけよう。ありがとう」
「そうして。じゃあ、帰る」
「お父さん!ムッチャンを駅まで送って来る!」
「気をつけて帰ってね」
「はい。ごちそうさまでした」

 夜の商店街を2人で歩いた。
「ムッちゃん、うちがキリマンジャロだって知ってた?」
「知らない。急に朝陽が飛び出して来たから、びっくりした」
「僕もびっくりした。二階にいたんだ」2人でゲラゲラ笑う。


「なんでキリマンジャロって名前?変わってるよな。キリマンジャロってアフリカの山だろ」
「キリマンジャロっていうコーヒー豆があるのわかる?」
「わかる」
「曾おじいちゃんがキリマンジャロって名前の喫茶店を始めたんだ。おじいちゃんが中華料理屋に変えたけど、店の名前をそのままにした」
「へえ。夕飯食おうと思ったら、居酒屋しか開いてなくて、たまたまキリマンジャロに入ったんだ。ラーメンも餃子も美味くて、また来ようと思ってた」
「御海駅に何しにきたの?遊びの帰り?」
「朝陽に会いにきた」
 
 駅に着く。
 「電車がそろそろ来る。じゃあな」
「うん」
ムッちゃんは軽快に階段を上がって行った。

 今日、ここでムッちゃんを見送るのは二回目だ。一度目とはどこか違う気分だった。