コールマイネーム

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御海駅の上りホームで、優奈は後ろから声をかけられた。
「おはよう。優奈ちゃん」
「室見くん」
「朝陽のことで話したい。時間もらえるかな」
「今は無理」
「合わせる」連絡先を交換してすぐに電車が来た。電車に乗って振り返ると、もう室見はいなかった。
 
 室見を朝陽から紹介されたのは確か6月の半ばだ、と優奈は車窓をみながら思った。通学の友、参考書を開けたが目が滑る。
 
 最初に会った時は派手でチャラついた、いかにも箱崎高校の生徒。優奈は室見を半ば無視した。次第に朝陽の話題に『ムッちゃん』が増えたと思うと、キリマンジャロの二階に越してきた
 。
店の二階は中1まで朝陽が両親と住んでいた。
長い時間を、あの家の居間、商店街に面した大きな窓のある部屋で、優奈は朝陽と過ごしたのだ。
「僕、パンが好きだな。パン屋さんの子になりたかった」
「ラーメンは?あっくんの家のラーメン大好きだよ」
「熱いから苦手。ママとパパには内緒にしてね」
「いいよ。私もカレーパン嫌いなの」
「なんで?僕大好き」
「だってトゲトゲして、口を刺すんだもん」
「ふふ、じゃあ僕が優奈ちゃんの食べるカレーパンのトゲトゲ、全部取ってあげる」

 ラーメン屋の2階の、二人の聖域。外に出れば辛いことばかりだ。学校では毎日泣いていたが、朝陽は決して学校を休まない。勉強やいじめで辛い思いをしてることを知っていたはずなのに、朝陽の親は何もしなかった。
 
 室見からの話とはなんだろう。ビアガーデンの日から3日経つが、優奈は朝陽から来たラインに返信してはいない。
室見を朝陽の友人リストから発見しコメントを送る。
『今日は家に戻るのは八時頃です』
『深氏まで行きます。時間と場所は指定してください』ドライな業務連絡。駅前の店のリンクを送る。

 佐々木と付き合い始めたのは1年前だった。高校に来て初めて、話が通じ合う人間に囲まれて暮らす快適さを知った。毎日自分のことだけを考えればいい。朝陽がいなくなって気楽だった。毎朝電車から送るラインに、朝陽は几帳面に返信してきた。
 
 午後七時に指定した店に行くと、店の前に室見が立っていて二人の女の子から話しかけられている。深氏高校の生徒だ。しかも同学年。
室見は高校の柔道部のジャージ姿だった。ズボンには大きくアルファベットでHAKOZAKIと入っている。遠目に見ても姿勢や肩周りで、アスリートだと分かる。
 
人目を惹く顔だ。朝陽のような色白で誰が見ても整っている顔とは違う。室見の顔はクッキリとしてパーツが大きく、内側のエネルギーが隠しきれていない。女の子に愛想笑いをしている口元が『ゴメンね、待ち合わせ中』と動いた。
遠慮する質ではない。優奈は店の前まで行った。
「優奈ちゃん。部活お疲れ」笑顔で拳を差し出される。フィストバンプ?柄じゃないと思いながら優奈は応じた。
「お店入っててよかったのに」
「さっき来たところ。行こう」同級生の視線が刺さるが痛くはない。こういう目つきには朝陽と過ごしている時に慣れた。佐々木といる時には感じたことがない目線。

 店に入る。席と席が高い仕切りで区切ってあり、装飾も中東風で独特だが、喫茶店だ。値段もそれなりで優奈は友達や佐々木と何回か来たことがある。


 店員が来て注文する。室見はメニューをじっくり見てバナナスプリットを頼んだ。
 
「内地に来てから、バナナスプリットを食べるの初めてだ。この店いいな」
「室見くんはどこの出身なの」
「沖縄。親戚もほとんど沖縄にいる。優奈ちゃんと朝陽って親戚?」初めて指摘された。今まで気がついた人はいなかった。
「曽祖父が兄弟」
「親がまたいとこって事か。8親等」やけに関係性の把握が早い。
「なんでわかったの。私とあっくんは似てない」
「ラーメン屋なのに店名がキリマンジャロなのを不思議に思ってたんだ。
 朝陽の家に古いキリマンジャロ山の写真が飾ってあった。右下に手書きで日付があった。1914の春。
隣にあった店の創業時の写真には『1922、軽井沢』。グーテンモルゲンは店名の横に『1922』と書いてあるだろ。おそらく創業年……2人が親戚かどうかは確信はなかった。ただ、どちらの店もドイツ系のルーツがありそうだと思って」32分の1のドイツ人の痕跡は親の世代には消えていたのに、朝陽にだけ現れた。
「なんで箱崎高校に通ってるの」
「いいところだよ。プールにヤゴがいるんだ。それに朝陽もいる。室見と丸山で、席が前後で仲良くなった。下宿までさせてくれて、感謝してる」
「話は何」
 
「バナナスプリットです」
飲み物のあとに、テーブルの真ん中にバナナスプリットが置かれ、スプーンが2つ付いてきた。
「一緒に食べない?佐々木くんに怒られるかな」
これではまるでデートだ。室見は端のチョコレートアイスを一口食べた。
「朝陽が、優奈ちゃんを泣かせた事を心配してる。既読無視してるよね」
「少し考えたかったの。彼氏がいることもずっと言えなかったから」
「言わない理由を聞いてもいい?」
「付き合ってすぐに、お母さんに付き合ってる人がいると言ったら、お母さんはあっくんと付き合ってると思って大喜びした。訂正したら露骨にがっかりして、気持ちの整理に時間がかかった」
「血が繋がってるんだろ」
「お母さん同士が又いとこ。お母さんはあっくんがお気に入りで、私たちは双子みたいに育った」
「朝陽は優奈ちゃん以外の女の子に興味が全くない。優奈ちゃんは朝陽が自分に興味があると思ったことは」
「お互いそういう好きじゃない。あっくんは高校は卒業できそう?」
「追試と補習で何とかなってる」
「難しそうなら教えて」
「箱崎は登校日数以外で留年はしない。朝陽が卒業できるように、俺も気をつけて見ておく」
「ありがとう」
「どういたしまして。ああ、あと朝陽と三日前から付き合ってる」室見はバナナをフォークに刺して、口に入れた。
「誰が?」
「俺。朝陽と付き合ってる」室見はすべすべとした褐色の肌に、妙に光る目をしている。不安になる光だ。態度は友好的、しかし彼は友達になりに来たわけでは無いだろう。
「冗談でしょ。あっくんに変なことさせてない?」
「自分だって佐々木くんとやることやってるだろ。俺たちも本気」
「『本気』って何なの。ありえない。朝陽を虐待しないで」
「同い年の恋人同士で無理強いもしてないのに虐待か」
「朝陽の理解力は年齢相応じゃない。同意は無効」
「半年かけて仲を深めて、ちゃんと説明した。朝陽も俺が好きだった。それに朝陽は女の子には興味がないけど、俺にはある」
「都合のいい解釈を室見くんがしてるだけ。別れて」
沈黙。室見はチョコレートアイスを口に入れ美味そうな顔をした。
「キスは向こうからしてくる。でもその先はしない。まだ朝陽に準備が出来てないし、まじめに付き合ってるつもりでも、今みたいに周りの理解も得られそうもない。……優奈ちゃん、取り引きしない?。朝陽には手を出さないって約束する」
「手を出さない代わりに、私に何をしろって言うの」
「朝陽と仲直りしてほしい。今朝も優奈ちゃんにラインをしていいか悩んでた。俺たちが付き合ってる話も、聞いてやって」
「それだけ?」
「裏は無い。朝陽が好きなんだ」室見はチョコレートアイスをスプーンで掬い、口に入れた。

最悪の話し合いが終わり、2人は電車で1時間かけて御海駅に帰った。
商店街を室見と2人で並んで歩く。キリマンジャロの前に着いた。午後9時。まだ暖簾は出ている。
室見は店のドアを開け、顔を出して声をかけた。
「お父さん、ただいま戻りました」
「おかえり、武流くん」
「ムッちゃんおかえり!」朝陽の声だ。室見の手が優奈の背中をそっと押し、優奈を店の入り口へ押し出した。
「優奈ちゃん!おかえり。武流くんと一緒だったんだ?」
「はい。たまたま、おじさんこんばんは」店内はテーブル席は埋まっている。朝陽は厨房から出てきて、優奈を見つめた。
「あっくん、ただいま」朝陽は店の入り口までやってきて、優奈の手をつなぎ店の外に出た。
「もう優奈と仲良しじゃなくなったと思ってた。お父さんに相談したんだ。僕がヤキモチを妬いてるって。優奈ちゃんとボーイフレンドを応援してあげなさいって言われた」
「妬きもちなんか妬いてないでしょ」
「やいてる。優奈が大好きなんだ。でも応援するね」
「彼氏がいても、あっくんはずっと仲良しだよ。あっくんがいないと、私もさみしい」朝陽は優奈の顔を嬉しそうに眺めた。
「あっくん、お店に戻って」
「明日の朝、ラインしていい?」
「うん。またね」朝陽は一度ぎゅっと優奈に抱きついて、店に戻って行った。
 
「送る」室見と優奈はグーテンモルゲンまで歩いた。
「ほんとに我慢できるの」
「精神力を鍛える」
「あっくんからしてきたから、って言い訳は無し。必ず断って」
「わかった。またな」不意に室見が見せたニヤケ笑いは、いかにも恋している男のものだった。
店の前で優奈から拳を差し出してフィストバンプする。室見とは長い付き合いになりそうだった。

 

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