液晶ディスプレイが放つ無機質な白い光が、深夜のオフィスにぽつんと浮かび上がっている。
カタカタ、と静まり返ったフロアに響くのは、阿久津 湊(あくつ みなと)が叩くキーボードの音だけだ。
28歳、UI/UXデザイナー。社内では「職人気質の完璧主義者」「阿久津さんのデザインにバグはない」
と評される一方で、「近寄りがたい冷徹な先輩」としても有名だった。
「……はぁ」小さく溜め息をつき、湊は目元を揉んだ。
画面に表示されているのは、現在制作中の大手アパレルブランドのECサイトの設計図だ。
一般のユーザーが見れば完璧に見える画面だが、湊の目には「ユーザーが購入ボタンを押すまでの動線に、ほんの数ミリの無駄がある」ように見えて仕方がなかった。
仕事に関しては、どこまでも妥協を許さない。
それが湊のプライドであり、同時に、彼が他人を寄せ付けないための防壁でもあった。
湊がここまで頑なに「完璧」に固執するのには、理由がある。
3年前、当時付き合っていた男に言われた、あの最悪の言葉が、今でも彼の胸の奥に錆びついたナイフのように突き刺さっているからだ。
『お前ってさ、仕事はできるけど、付き合っても全然可愛くないんだよね。ただのセフレなら都合いいんだけどさ』
二股をかけられた挙げ句、そんな言葉とともにゴミのように捨てられた。
それ以来、湊の恋愛機能は致命的なエラーを起こしたままだ。
素直に他人に甘えること、誰かを信じること、そして「自分が本命に選ばれる」と期待すること――それらすべての選択肢が、湊の脳内から強制的にデリートされていた。
傷つかないための唯一の方法は、最初から誰も心の中に入れないこと。
トゲだらけの針を逆立てて、他者を威嚇し続けることだけだった。
「阿久津先輩、まだ残ってたんですか。お疲れ様です」
突然、背後から降ってきた聞き慣れた声に、湊の肩がびくりと跳ねた。
振り返ると、そこにはジャケットを片手に引っ掛けた高瀬 律(たかせ りつ)が立っていた。
26歳、配属されて半年のフロントエンジニア。
そして、湊の平穏な「孤独」を脅かす、最大にして最凶のイレギュラーだ。
律は顔が良く、高身長で、誰にでも人当たりが良い。
入社直後から社内のあらゆる女性(そして一部の男性)の視線を集めている、いわゆる「全方位モテ男」だった。
そんなキラキラとした世界の住人が、なぜか湊にだけは、最初から妙に懐いているのだ。
いや、懐いているというよりは――距離感が最初からバグっている。
「……高瀬。お前、さっさと帰ったんじゃなかったのか」
湊はわざと低く、冷ややかな声を絞り出した。
いつもの「冷徹な先輩」の仮面だ。
「開発チームの進捗が少し遅れてたんで、裏でコードの修正をしてました。
それより先輩、今日のキックオフ飲み会、もうすぐ始まっちゃいますよ?主役のデザイナーが遅刻するのはまずいですって」
「私は行かないと言ったはずだ。この修正が終わるまで帰らん」
「ダメです。部長が『阿久津が来ないと締まらない』って泣いてましたから。
ほら、PC閉じてください。保存は俺がやっときますから」
律は悪びれもせず湊のデスクに近づくと、長い指先で湊のキーボードのショートカットを奪うように叩き、データを保存して画面をスリープに追い込んだ。
「ちょっ……何をするんだお前は! 触るなと言っているだろ!」
「はいはい、怒らない怒らない。怒るとせっかくの綺麗な顔が台無しですよ。ほら、コート着てください」
「綺麗とか言うな気持ち悪い……! 離せ、自分で歩ける!」
ツンツンと容赦なく棘のある言葉をぶつけても、律は
「えー、冷たいなぁ」
と人懐っこい犬のような笑みを浮かべるだけだ。
その余裕のある態度が、湊には猛烈に居心地が悪かった。
律が近づいてくるたびに、防衛本能が警鐘を鳴らす。
あいつは誰にでも優しいチャラい男だ。
ただのからかいか、気まぐれだ。
本気になって、またあの時のように惨めな思いをするのは御免だ。
そう自分に言い聞かせながら、湊は引っ張られるようにして夜の街へと連れ出された。
カタカタ、と静まり返ったフロアに響くのは、阿久津 湊(あくつ みなと)が叩くキーボードの音だけだ。
28歳、UI/UXデザイナー。社内では「職人気質の完璧主義者」「阿久津さんのデザインにバグはない」
と評される一方で、「近寄りがたい冷徹な先輩」としても有名だった。
「……はぁ」小さく溜め息をつき、湊は目元を揉んだ。
画面に表示されているのは、現在制作中の大手アパレルブランドのECサイトの設計図だ。
一般のユーザーが見れば完璧に見える画面だが、湊の目には「ユーザーが購入ボタンを押すまでの動線に、ほんの数ミリの無駄がある」ように見えて仕方がなかった。
仕事に関しては、どこまでも妥協を許さない。
それが湊のプライドであり、同時に、彼が他人を寄せ付けないための防壁でもあった。
湊がここまで頑なに「完璧」に固執するのには、理由がある。
3年前、当時付き合っていた男に言われた、あの最悪の言葉が、今でも彼の胸の奥に錆びついたナイフのように突き刺さっているからだ。
『お前ってさ、仕事はできるけど、付き合っても全然可愛くないんだよね。ただのセフレなら都合いいんだけどさ』
二股をかけられた挙げ句、そんな言葉とともにゴミのように捨てられた。
それ以来、湊の恋愛機能は致命的なエラーを起こしたままだ。
素直に他人に甘えること、誰かを信じること、そして「自分が本命に選ばれる」と期待すること――それらすべての選択肢が、湊の脳内から強制的にデリートされていた。
傷つかないための唯一の方法は、最初から誰も心の中に入れないこと。
トゲだらけの針を逆立てて、他者を威嚇し続けることだけだった。
「阿久津先輩、まだ残ってたんですか。お疲れ様です」
突然、背後から降ってきた聞き慣れた声に、湊の肩がびくりと跳ねた。
振り返ると、そこにはジャケットを片手に引っ掛けた高瀬 律(たかせ りつ)が立っていた。
26歳、配属されて半年のフロントエンジニア。
そして、湊の平穏な「孤独」を脅かす、最大にして最凶のイレギュラーだ。
律は顔が良く、高身長で、誰にでも人当たりが良い。
入社直後から社内のあらゆる女性(そして一部の男性)の視線を集めている、いわゆる「全方位モテ男」だった。
そんなキラキラとした世界の住人が、なぜか湊にだけは、最初から妙に懐いているのだ。
いや、懐いているというよりは――距離感が最初からバグっている。
「……高瀬。お前、さっさと帰ったんじゃなかったのか」
湊はわざと低く、冷ややかな声を絞り出した。
いつもの「冷徹な先輩」の仮面だ。
「開発チームの進捗が少し遅れてたんで、裏でコードの修正をしてました。
それより先輩、今日のキックオフ飲み会、もうすぐ始まっちゃいますよ?主役のデザイナーが遅刻するのはまずいですって」
「私は行かないと言ったはずだ。この修正が終わるまで帰らん」
「ダメです。部長が『阿久津が来ないと締まらない』って泣いてましたから。
ほら、PC閉じてください。保存は俺がやっときますから」
律は悪びれもせず湊のデスクに近づくと、長い指先で湊のキーボードのショートカットを奪うように叩き、データを保存して画面をスリープに追い込んだ。
「ちょっ……何をするんだお前は! 触るなと言っているだろ!」
「はいはい、怒らない怒らない。怒るとせっかくの綺麗な顔が台無しですよ。ほら、コート着てください」
「綺麗とか言うな気持ち悪い……! 離せ、自分で歩ける!」
ツンツンと容赦なく棘のある言葉をぶつけても、律は
「えー、冷たいなぁ」
と人懐っこい犬のような笑みを浮かべるだけだ。
その余裕のある態度が、湊には猛烈に居心地が悪かった。
律が近づいてくるたびに、防衛本能が警鐘を鳴らす。
あいつは誰にでも優しいチャラい男だ。
ただのからかいか、気まぐれだ。
本気になって、またあの時のように惨めな思いをするのは御免だ。
そう自分に言い聞かせながら、湊は引っ張られるようにして夜の街へと連れ出された。
