「流星? って、寝てる」
鍋やら食器やらを片付けて、戻ってくると、彼は縁柱によりかかって寝ていた。
「首、痛くならないのかな」
あんまりにも寝顔が穏やかで、起こすのをためらう。
でも、ずっとこの体勢というのも、それはそれで。
なんて愚考していたら、彼の二重まぶたが開いて、青い半月と目が合った。
「あ、ごめん。お腹いっぱいになったら、眠くなっちゃって」
「カレー、三杯も食べてたもんね」
「もしかして、僕、せなちゃんの分まで、食べちゃった?」
はっとした表情で、開けた口を抑える彼。
たくさんあったから大丈夫だと、わたしが言うと、流星はほっと胸をなでおろした。
時折、彼が見せる子どものような反応に心を癒される。
胸の中にはびこる悪感情が、流星といると、浄化されるような気がするのだ。
「今日は、ありがとう、せなちゃん。おかげで、元気をもらえたよ」
なんて、流星は言ってくれたけれど。
彼の存在に元気付けられているのは、きっとわたしの方だった。
* * *
忘れもしない、中学二年の夏。
結星が死んだ。
終業式の前日だった。
わたしは結星と話をしながら、二人で帰っていた。
「夏休み、みんなで何しよっか」
「和葉は部活の大会で、大忙しかもね。宿題、去年みたいにためこんで、最終日に困らなきゃいいけど」
「どうせ、やらないだろうなぁ」
「そしたら、また結星先生の出番だね」
「俺は、あいつ専任の家庭教師じゃないんだが」
わたし達の関係に変化が訪れたのは、中学に入ってから。
この頃、ヒーローズの三人でいる時間が、目に見えて減った。
理由は、和葉がバレーボール部に入ったこと。
そこで、才能を開花させた彼女は、一年生の内から大会メンバーにも抜擢され、毎日が引っ張りだこだった。さらには放課後、練習が長引くと、わたしと結星だけで帰る日も増えた。
「わたし達が付き合ってること、そろそろ和葉に言った方がいいんじゃない?」
それから、もう一つ。
わたしと結星は、この頃、付き合っていた。
一応、和葉には内緒で。
別に何か後ろめたい理由があったわけじゃない。
仮に和葉が知ったとして、わたし達三人の関係が崩れるようなこともなかったと思う。
「んー、もう少しだけ黙っててみない? 和葉が気付いた時、どんな顔するか見たいからさ」
「結星って、好青年に見えて、意外と性格悪いところあるよね」
「そういうせなだって、クールぶってるわりには、仲間思いじゃないか」
「まぁ、一応、感謝はしてるからね」
それは、まがいもない本心だった。
結星には、「珍しく素直だね」なんて、茶化されてしまったけれど。
「結星はさ、なんで、わたしを選んだの?」
「というと?」
「質問の意味、わかってて聞いてるでしょ」
「さぁ? それはどうかな」
ずっと疑問だった。
結星は、和葉のことが好きなんじゃないかって。
でも、あの日、告白してきたのは結星からで。
「んー」
少し悩んで、彼は言う。
「単純に、俺がせなに惹かれたから、かな」
思いの外、答えはざっくりしていた。
そのことをツッコンだら、
「じゃあ、逆に聞くけど、せなは、なんでOKしてくれたの?」
「断る理由がなかったから」
「そっちだって、大概じゃないか」
目元を緩めて、彼は笑った。
「俺と和葉は、多分、そういうんじゃないんだよ。確かに、小さい頃から一緒にいて、気の置けない仲ではあるけど」
要するに、恋愛対象としては見ていない。
それは和葉も同じだろうと、結星は言う。
「loveじゃあなくて、likeくらいの関係が、俺と和葉には、ちょうど良かったってことだよ」
loveとlikeの違い。
どちらも好きという同じ響きを持つ言葉。
けれど、二つは似て非なる意味を持つ。
この時のわたしは、一体、どちらに近かったのだろう。
恋人として、彼を愛せていた自信が、わたしにはない。
それから、程なくして。
事件は起きた。
男の子が海で溺れている。
突然、誰かが叫んだのだ。
どうやら、友達と遊んでいる最中に、波にさらわれてしまったらしい。
その日は、波風が強かった。
おまけに、わたし達の暮らす田舎街では、消防署や病院の数が少なく、場所も離れている。救急要請を出しても、到着するまでに三十分はかかる。
居合わせた大人の人達も、みんな難色を示していた。
本物のヒーローなら、きっと迷わず助けにいく。 だけど、現実は違った。人の命が懸っている場面を目の当たりにして、足がすくんだ。
その時、初めて、わたしがやっていたのは、しょせん、子どものヒーローごっこだったのだと、思い知らされた。
「俺のバッジ、預かっててくれる? 」
そう言って、結星が渡してきたのは、彼のヒーローバッジ。
それだけで、わかってしまった。
結星は、男の子を助けるつもりなのだと。
わたしは彼を止めようとした。
中学生のわたし達に、何とかできる問題じゃない。救急隊が来るのを待った方がいいと。
でも、彼は決して、自分の正義を曲げようとはしなかった。
「こんな時に手足が震えるなんて、かっこ悪いヒーローだよな」
そして、彼は最後、笑顔でわたしに言ったんだ。
「リーダーのレッドのこと、任せたよ」
* * *
結星の最期は、まさにヒーローそのものだった。
彼は自分の命に代えて、男の子を救ったのだ。
クラスメイトや近所の人、結星のお葬式には、たくさんの人が来た。
誰もがみんな彼の死を悼み、冥福を祈った。
そして、棺の中で眠る正義のヒーローは、とても安らかな顔をしていた。
日中、外を歩くのは数日ぶりだった。
夏の太陽の下、わたしはパーカーのフードに身を隠し、彼女の家へ出向く。
傍から見たら、不審者に見間違われても文句は言えないような出で立ちだ。
玄関のチャイムを押すか悩んで、伸ばしかけていた手を引っこめる。結局、顔を合わせる勇気も出ず、風呂敷に包んだ鍋を足元に置いた。
「せな?」
その声に、ドキッとする。
踵を返すと、思った通り、和葉が立っていた。
ちょうど、学校から帰ったところらしい。
「ちょっと! 何しにきたのよ」
無言で素通りしようとしたら、肩を掴まれた。
こうなっては、わたしには抵抗する手段がない。
「鍋、返しにきただけ。後、この前のカレー、美味しかった」
一瞬、和葉の目が泳いだ気がした。
けれど、わたしは気付かないふりをして、彼女の家を去った。
あの時とは、逆のシチュエーションだな、なんて回想にふけりながら。
* * *
結星のお葬式に、和葉は来なかった。
後日、わたしが見かけた時、和葉は砂浜に一人でいた。
「せなはなんで、平然としてられるの?」
わたしとて、全く平気ではなかったけれど。
和葉は和葉で、きっとショックを受けていた。
自分の知らない間に起こった一連の出来事に。
「付き合ってたんでしょ、結星と」
報告なんてせずとも、やっぱり、和葉は気が付いていた。
七夕祭の時だって、本当はわざと離れたんだろう。
わたしと結星を二人きりにするために。
「……ごめん」
「なんで、謝るの」
「ずっと黙ってたから」
和葉の口調は、わたしを責めるものでもなく、怒っているわけでもなかった。
「これ、和葉が持っててよ」
「結星のヒーローバッジじゃない。あんた、いつの間に」
「預かったの、結星から。後、リーダーのレッドをよろしくって」
「なによ、それ」
和葉は、声を詰まらせた。
そして、結星のバッジを、わたしの手から引ったくると、海に投げ捨てた。
「あたしのせいだ……あたしが、ヒーローズなんて作ったから!」
和葉は、責任を感じていた。
自分こそが、結星の死の原因を作ってしまった張本人だと。
「和葉のせいじゃない」
わたしは、和葉を説得しようとした。
けれど、その言葉は、どれも和葉には届かなくて。
「ヒーローズは、もうやめにしよう」
そう告げられた時、わたしは何も言い返せなかった。
去っていく彼女を引き止められなかった。
鍋やら食器やらを片付けて、戻ってくると、彼は縁柱によりかかって寝ていた。
「首、痛くならないのかな」
あんまりにも寝顔が穏やかで、起こすのをためらう。
でも、ずっとこの体勢というのも、それはそれで。
なんて愚考していたら、彼の二重まぶたが開いて、青い半月と目が合った。
「あ、ごめん。お腹いっぱいになったら、眠くなっちゃって」
「カレー、三杯も食べてたもんね」
「もしかして、僕、せなちゃんの分まで、食べちゃった?」
はっとした表情で、開けた口を抑える彼。
たくさんあったから大丈夫だと、わたしが言うと、流星はほっと胸をなでおろした。
時折、彼が見せる子どものような反応に心を癒される。
胸の中にはびこる悪感情が、流星といると、浄化されるような気がするのだ。
「今日は、ありがとう、せなちゃん。おかげで、元気をもらえたよ」
なんて、流星は言ってくれたけれど。
彼の存在に元気付けられているのは、きっとわたしの方だった。
* * *
忘れもしない、中学二年の夏。
結星が死んだ。
終業式の前日だった。
わたしは結星と話をしながら、二人で帰っていた。
「夏休み、みんなで何しよっか」
「和葉は部活の大会で、大忙しかもね。宿題、去年みたいにためこんで、最終日に困らなきゃいいけど」
「どうせ、やらないだろうなぁ」
「そしたら、また結星先生の出番だね」
「俺は、あいつ専任の家庭教師じゃないんだが」
わたし達の関係に変化が訪れたのは、中学に入ってから。
この頃、ヒーローズの三人でいる時間が、目に見えて減った。
理由は、和葉がバレーボール部に入ったこと。
そこで、才能を開花させた彼女は、一年生の内から大会メンバーにも抜擢され、毎日が引っ張りだこだった。さらには放課後、練習が長引くと、わたしと結星だけで帰る日も増えた。
「わたし達が付き合ってること、そろそろ和葉に言った方がいいんじゃない?」
それから、もう一つ。
わたしと結星は、この頃、付き合っていた。
一応、和葉には内緒で。
別に何か後ろめたい理由があったわけじゃない。
仮に和葉が知ったとして、わたし達三人の関係が崩れるようなこともなかったと思う。
「んー、もう少しだけ黙っててみない? 和葉が気付いた時、どんな顔するか見たいからさ」
「結星って、好青年に見えて、意外と性格悪いところあるよね」
「そういうせなだって、クールぶってるわりには、仲間思いじゃないか」
「まぁ、一応、感謝はしてるからね」
それは、まがいもない本心だった。
結星には、「珍しく素直だね」なんて、茶化されてしまったけれど。
「結星はさ、なんで、わたしを選んだの?」
「というと?」
「質問の意味、わかってて聞いてるでしょ」
「さぁ? それはどうかな」
ずっと疑問だった。
結星は、和葉のことが好きなんじゃないかって。
でも、あの日、告白してきたのは結星からで。
「んー」
少し悩んで、彼は言う。
「単純に、俺がせなに惹かれたから、かな」
思いの外、答えはざっくりしていた。
そのことをツッコンだら、
「じゃあ、逆に聞くけど、せなは、なんでOKしてくれたの?」
「断る理由がなかったから」
「そっちだって、大概じゃないか」
目元を緩めて、彼は笑った。
「俺と和葉は、多分、そういうんじゃないんだよ。確かに、小さい頃から一緒にいて、気の置けない仲ではあるけど」
要するに、恋愛対象としては見ていない。
それは和葉も同じだろうと、結星は言う。
「loveじゃあなくて、likeくらいの関係が、俺と和葉には、ちょうど良かったってことだよ」
loveとlikeの違い。
どちらも好きという同じ響きを持つ言葉。
けれど、二つは似て非なる意味を持つ。
この時のわたしは、一体、どちらに近かったのだろう。
恋人として、彼を愛せていた自信が、わたしにはない。
それから、程なくして。
事件は起きた。
男の子が海で溺れている。
突然、誰かが叫んだのだ。
どうやら、友達と遊んでいる最中に、波にさらわれてしまったらしい。
その日は、波風が強かった。
おまけに、わたし達の暮らす田舎街では、消防署や病院の数が少なく、場所も離れている。救急要請を出しても、到着するまでに三十分はかかる。
居合わせた大人の人達も、みんな難色を示していた。
本物のヒーローなら、きっと迷わず助けにいく。 だけど、現実は違った。人の命が懸っている場面を目の当たりにして、足がすくんだ。
その時、初めて、わたしがやっていたのは、しょせん、子どものヒーローごっこだったのだと、思い知らされた。
「俺のバッジ、預かっててくれる? 」
そう言って、結星が渡してきたのは、彼のヒーローバッジ。
それだけで、わかってしまった。
結星は、男の子を助けるつもりなのだと。
わたしは彼を止めようとした。
中学生のわたし達に、何とかできる問題じゃない。救急隊が来るのを待った方がいいと。
でも、彼は決して、自分の正義を曲げようとはしなかった。
「こんな時に手足が震えるなんて、かっこ悪いヒーローだよな」
そして、彼は最後、笑顔でわたしに言ったんだ。
「リーダーのレッドのこと、任せたよ」
* * *
結星の最期は、まさにヒーローそのものだった。
彼は自分の命に代えて、男の子を救ったのだ。
クラスメイトや近所の人、結星のお葬式には、たくさんの人が来た。
誰もがみんな彼の死を悼み、冥福を祈った。
そして、棺の中で眠る正義のヒーローは、とても安らかな顔をしていた。
日中、外を歩くのは数日ぶりだった。
夏の太陽の下、わたしはパーカーのフードに身を隠し、彼女の家へ出向く。
傍から見たら、不審者に見間違われても文句は言えないような出で立ちだ。
玄関のチャイムを押すか悩んで、伸ばしかけていた手を引っこめる。結局、顔を合わせる勇気も出ず、風呂敷に包んだ鍋を足元に置いた。
「せな?」
その声に、ドキッとする。
踵を返すと、思った通り、和葉が立っていた。
ちょうど、学校から帰ったところらしい。
「ちょっと! 何しにきたのよ」
無言で素通りしようとしたら、肩を掴まれた。
こうなっては、わたしには抵抗する手段がない。
「鍋、返しにきただけ。後、この前のカレー、美味しかった」
一瞬、和葉の目が泳いだ気がした。
けれど、わたしは気付かないふりをして、彼女の家を去った。
あの時とは、逆のシチュエーションだな、なんて回想にふけりながら。
* * *
結星のお葬式に、和葉は来なかった。
後日、わたしが見かけた時、和葉は砂浜に一人でいた。
「せなはなんで、平然としてられるの?」
わたしとて、全く平気ではなかったけれど。
和葉は和葉で、きっとショックを受けていた。
自分の知らない間に起こった一連の出来事に。
「付き合ってたんでしょ、結星と」
報告なんてせずとも、やっぱり、和葉は気が付いていた。
七夕祭の時だって、本当はわざと離れたんだろう。
わたしと結星を二人きりにするために。
「……ごめん」
「なんで、謝るの」
「ずっと黙ってたから」
和葉の口調は、わたしを責めるものでもなく、怒っているわけでもなかった。
「これ、和葉が持っててよ」
「結星のヒーローバッジじゃない。あんた、いつの間に」
「預かったの、結星から。後、リーダーのレッドをよろしくって」
「なによ、それ」
和葉は、声を詰まらせた。
そして、結星のバッジを、わたしの手から引ったくると、海に投げ捨てた。
「あたしのせいだ……あたしが、ヒーローズなんて作ったから!」
和葉は、責任を感じていた。
自分こそが、結星の死の原因を作ってしまった張本人だと。
「和葉のせいじゃない」
わたしは、和葉を説得しようとした。
けれど、その言葉は、どれも和葉には届かなくて。
「ヒーローズは、もうやめにしよう」
そう告げられた時、わたしは何も言い返せなかった。
去っていく彼女を引き止められなかった。



