ひとりぼっちのヒーローと、星になった宇宙人

 目が覚めると、部屋で寝ていた。
 けれど、昨夜と違って、わたしの心は、晴れた日の海のように凪いでいる。

 開けずじまいのまま、枕元に置いていた流星の遺書。昨日は、中を見る覚悟がなかった。

 でも、流星は、わたしにこの遺書を残した。

 もう遅いかもしれないけれど。
 読めば、彼のことを知れるかもしれない。
 
 わたしは、そっと封筒を開けて、中の便箋を取り出した。

 せなちゃんへ

 ずっと君のことが好きでした。
 振られたばっかりなのに、しつこくてごめんなさい。
 僕にたくさん優しくしてくれてありがとう。

 迎えの星が来たので、僕は宇宙に還ることにします。
 でも、決して、せなちゃんに告白を断られたのが、悲しかったからじゃありません。
 ずっと前から決めていたことです。

 だから、どうか自分を責めないでください。
 そして、この手紙を読んだら、僕のことなんて忘れてください。

 でも、その前に、僕の昔話を少しだけ聞いてほしいのです。

 ずっと昔、小学生の時にも僕らは一度、会っています。って、せなちゃんは、きっともう覚えていないよね。

 今から八年前。
 小学二年生の僕は、あの日、天の川を近くで見たくて、公園の木に登ったんだ。でも、そしたら、木から下りられなくなっちゃって。泣いていた僕を、せなちゃんが助けてくれた。

 そして、それが僕の初恋でした。

* * *

 七夕祭の帰りだった。
 結星や和葉と別れた後、誰かの泣き声が聞こえた。
 
 その夜は、空一面に天の川が見えていて。
 星の光があったから、たまたま公園の木に登って下りられなくなっている流星を見つけた。それこそ当時は、まだお互い顔も名前も知らなかったけれど。

 大人を呼ぼうにも、近くには誰もいなくて、どうにか流星を木から下ろす方法を考えていたわたしは、以前、和葉が子猫を助けた時のことを思い出した。

* * * 

 放課後、みんなで遊んでいた最中の出来事だった。
 飼い猫が屋根に登ってしまって、困っているおじいさんがいた。
 そしたら和葉が、ヒーローの出番だ、とか言って、三人で救出することにしたんだ。

 子どもながらに、かなり危険なことをしたと思う。
 見てた飼い主のおじいさんだって、だいぶ不安そうにしてたし。

 わたし達は、それぞれ役割分担をした。

 まず和葉が屋根に登って、子猫を救出。
 結星が下で指示を出しつつ、登り下りするのに使う脚立を支える。
 そして、わたしは、万が一、子猫がびっくりして、屋根から落ちてきた時にキャッチする役だった。
 
 もしもの場合の備えとはいえ、なんか、わたし責任重大じゃない?
 和葉みたいに反射神経よく動けるわけじゃないんだし。

 と思ったのは、さておき。
 子猫の命が懸かっているからには、やるしかなかった。

 子猫の救出劇は、無事、事なきを得た。
 子猫が警戒しないように、餌でおびき寄せる作戦が上手くいった。
 その作戦を提案したのは結星で、おかげで、わたしの出る幕もなかった。

 和葉の腕に抱き抱えられた子猫を見て、安心した。
 言い出しっぺの和葉なんて、子猫を下ろした後は、ほっとして座りこんでいたくらい。

 けれど、それ以上に、やりきった感があった。
 みんなで力を合わせて、困難を乗り越える。
 まるで本物のヒーローみたいで、いいなって思ったんだ。
 
* * * 

 わたしは公園中を探し回った。
 そしたら、偶然、ベンチの下に長縄で使う縄を見つけた。
 見た限り、まだ新しくて丈夫そうだったし、傷んだりもしていなかった。
 多分、誰かの忘れ物だったんだと思う。

 わたしは、それを使って流星を木から下ろせないか考えた。
 そして、思い付いたのが、枝に縄をくくりつけて、地面に垂らす方法。
 そうすれば、救助用のロープみたいに掴まりながら下りて来れるんじゃないかって。

「……無理だ、ぼくには。できるわけないよ」

 でも、流星は、木にしがみついたまま、一向に下りてこようとしなかった。

「そんなの、やってみなくちゃわからないじゃん」

 あの日、和葉に言われた言葉。
 まさか、自分で言うことになるなんて思ってもいなかった。
 
「もし落ちても、わたしが君をキャッチするから」
 
 無茶苦茶を言っている自覚はあった。
 でも、どうにか彼を勇気付けたくて。

「大丈夫、わたしを信じて」

 わたしは手を伸ばした。
 めいいっぱい背伸びをして。
 後、数センチで届きそうだというところで、彼の指先が触れた。

 縄を頼りに、流星は、ゆっくりゆっくり下りてきた。

「ね? 無理じゃなかったでしょ」
「う、うん……その、ありがとう」

「どうして、木に登ったの?」
「あ、天の川が綺麗だったから……もっと近くで見たいと思って」
「それで、下りられなくて困ってたんだ」
「ま、間抜けだって思うよね……。学校でもそうなんだ。おまけに泣き虫だし。そのくせ、背だけは大きいから、宇宙人みたいだって、みんなによくからかわれる」

 この時から既に、流星は痩せ型で、たっぱがあった。

「君は今、何年生?」
「えっと、小学二年生だよ」
「じゃあ、わたしより一個下か」
「も、もしかして、お姉さん……でした?」

 とたん、あわあわし出した流星に、思わず、くすっと笑ってしまった。

「いいよ、敬語じゃなくて。ていうか、かしこまられる方が、逆にしゃべりづらいかも」
「ご、ごめんなさい」
「いや、謝らなくていいんだよ!? わたし、怒ってるわけじゃないし……後、多分、ごめんなさいも敬語だし」

 そうなの? と、顔を上げた彼。
 まるで水晶玉のような瞳が、まだ少し不安そうだった。
 
「昔から、よく誤解されるんだよね。何考えてるかわからない、冷たい子だって」
「そ、そんなことないと思うよ」
「まぁ、今は少しマシになったかな。でも、前は嫌われてた」
「……いじめられてたの? お姉さんも」
「そんな感じ。でも、ヒーローが助けてくれた」
「ヒーロー?」
「わたしにとってのね。だから、今はもう一人じゃないんだ」

 あの日、わたしは彼に伝えたかった。
 その気になれば、人は何にでもなれるんだって。

「笑っちゃうよね。ほんのちょっと前は、嫌われ者だったのに。自分でもびっくりだよ」

 もしもあの時、二人と出会っていなければ。
 差し出してくれた手を取っていなければ。

 きっと、わたしは自分の殻に閉じこもっていた。

「君はさっき、自分のことを泣き虫だって言ってたけど、別にいいんじゃない?」
「え?」
「だって、泣いたからって、死ぬわけじゃないし。校則で、禁止されてるわけでもないでしょ?」
「それはそうだけど……」
「いじわるな奴の言うことなんて、気にしなくていいんだよ。ああいうのって、誰か一人を陥れて、自分達が威張ってたいだから。いじわるする相手なんて誰でもいいんだよ」
「そ、そうなのかなぁ」

 うつむいたまま、流星は靴のつま先をじっと見つめる。

「迷ったら、自分の信じた道を進めばいいよ。たとえ、それが理想と違っても、また新しい道を選び直せばいいんだから。って、仲間の一人が言ってた」

 全部、結星の受け売りだった。
 あの頃はまだ小さくて、深い意味なんて考えてなかったけれど。
 
「お姉さんって、なんか面白いね」
「お、面白い?」
「うん、僕を元気付けようとしてくれたんだよね」

 やっと笑ってくれた彼を見て、気付いた。
 わたしは、流星を助けたかったんだって。
 
 あの日、和葉と結星の二人がしてくれたように。
 わたしも、誰かのヒーローになりたかった。

 * * * 

 途中、文字がかすんで見えなくなる。
 けれど、手紙はまだ続いていて、わたしは涙に濡れた指先で、便箋をめくった。
 
 せなちゃんと出会った日、僕には夢ができました。
 それは、小さい頃からの憧れだった宇宙飛行士になること。
 せなちゃんのくれた言葉が、僕の背中を押してくれたんだ。

 それから僕は、必死に勉強を頑張りました。
 でも、クラスメイトや先生は、みんな言うんだ。
 宇宙飛行士なんて、僕には無理だって。

 それでも、僕は諦めるわけにいかなかった。
 宇宙飛行士の夢を叶えるんだって、あの日、自分の心に誓ったから。
 そして、いつか、君にありがとうを伝えたかったんだ。

 でもね。
 いざその時が来たら、僕は逃げちゃった。

 僕が小学四年生の時。
 お姉ちゃんが、家に友達を連れてくるって言ったんだ。

 なんとなく気になって、僕は部屋のドアを少しだけ開けて、お姉ちゃんの友達が来るのをこっそり待ってた。そしたら、驚いたよ。だって、せなちゃんがいるんだもん。

 声をかけられたら、よかった。
 お姉ちゃんの邪魔になるから、なんていうのは言い訳で。
 僕には部屋を出る勇気がなかった。

 そして、せなちゃんが帰った後、僕は決めた。
 都会にある進学校を受験しようって。
 せなちゃんに会いに行くのは、それからでも遅くないんじゃないかって。

 だから、死ぬ気で頑張ったんだ。
 たったの一日だって、サボらなかった。
 そうでもしないと、ただでさえ僕は物覚えが悪いから。

 勉強漬けになる僕を心配して、お姉ちゃんは、よくおやつを持ってきてくれた。
 
 お姉ちゃんは、昔から僕に優しかった。
 他の弟達の面倒だって見なきゃいけないのに。
 生まれた順番ひとつで、いっぱい我慢してきたのに。

 僕が合格を伝えた時だって、「やったじゃん、流星!」って、一番に喜んでくれた。
 まぁ、小六にもなって、頭をなでられるのは、ちょっと恥ずかしかったけど……。

 学校には、寮から通うことにした。
 中高一貫だったし、ここからじゃ船や電車を乗り継いで半日はかかったから。

 でも、本当は、すごく不安だった。
 誰も知り合いのいない場所で、お姉ちゃんや家族と離れて暮らすのが。

 でも、僕は変わらなきゃいけなかった。
 なんとしても、君に伝えなきゃいけなかった。
 
 僕は、僕の信じた道を進めているよって。

 だけどね。
 現実は、そう甘くなかったんだ。

 進学校に入学すると、周りの子のレベルが高すぎて、僕は全くついていけなかった。
 それこそ英語の授業は、先生が宇宙人語を話しているように聞こえたし、教科書の公式なんて、まるで暗号みたいに見えたよ。

 おまけにクラスメイトのほとんどは、小さい頃から塾に通っていたような子ばっかりで。
 田舎者の僕は、入学して早々、落ちこぼれ呼ばわりだった。
 小学生の時の宇宙人ってあだ名の方が、まだマシだったかもね。
 
 後は、そうだなぁ……。
 寮での共同生活が、僕には難しかったみたい。

 部屋は、四人部屋だったんだけどね。
 体の大きい僕がいると、みんな邪魔だって言うんだ。

 だから、僕が使っていいスペースは、部屋の隅っこだけ。
 ベッドは荷物置きにされちゃうから、いつも床で寝てた。
 入学してから、ずっとそう。
 まぁ、おかげで、どこでも眠れるようにはなったけどね。
 
 正直、家に帰りたいって思ったよ。
 でも、ここで逃げ出したら、また逆戻りだって。
 弱虫なりの僕の意地だった。
 
 だけど、成績は上がってくれなかった。
 なんなら、下がっていく一方だったよ。

 ある日、胸の奥で、何かが砕ける音がした。
 ああ、なんかもう無理だなって。
 その時、気付いちゃったんだ。

 僕には何の才能も素質もない。
 頑張っただけじゃ、カバーしきれないんだって。

 そして、高校一年になったこの夏。
 学校に入学して初めて、僕は帰省することにしたんだ。

 でもね。
 こっちに着いたら、家に帰るのも怖くなった。
 
 だって、三年ぶりだったから。
 お姉ちゃんや弟達が、どんな顔するかって、色々、考えちゃった。

 それで、あの日は、船を下りた後、ずっと海のそばをうろうろしてた。
 そしたら、いつの間にか、夜になってて。
 空に流れ星が見えたんだ。

 荷物を投げ出して、僕は夢中で追いかけた。
 だけど、足元をよく見てなくて、うっかり岩場で転んじゃったんだ。

 子どもみたいって思ったでしょ?
 でも、あの時ばっかりは、転んでよかったって思ったよ。

 だってまた、せなちゃんが助けに来てくれたから。

 それと、僕が宇宙から来たって言う話は嘘です。
 もうとっくに気が付いていると思うけれど。
 あれは全部、とっさに思い付いた僕の作り話です。

 でも、まさか、宇宙船を見せて、なんて頼まれるのは予想外だったなぁ。
 一瞬、僕の嘘を本気で信じたのかと思った。

 でも、すぐに思い出したよ。
 せなちゃんが、優しい女の子だってこと。
 だから、バレバレな僕の嘘にも付き合ってくれたんだよね。

 七夕祭の夜。
 実はあの日、お父さんとケンカしたんだ。
 って言っても、怒らせたのは僕なんだけどね。

 元々、お父さんは、僕の受験に対して、あんまり肯定的じゃなかった。
 それが、学校がしんどいくらいの理由で、のこのこ家に帰ってきて。
 そりゃ怒るのも当然だって思った。

 だけど、僕だって、必死に食らいついたんだよ。
 田舎者だろうと、凡人だろうと、死に物狂いでみんなに追い付こうとした。
 でも、駄目だった。

 それを伝えたら、お父さんに殴られた。
 なら、学校なんてやめればいいだろって。

 そしたら、もう心が折れちゃったんだ。
 僕が積み上げてきた努力も、時間も、全部、否定された気がして。
 でも、お姉ちゃんや弟達がいる前で、泣き顔なんて見せたくなくて。
 思わず、家を飛び出したんだ。

 本当はね。
 あのカレー、お姉ちゃんが作ったんだって、僕、わかってた。

 最初にここへ来た日、せなちゃんと別れた後にね、僕、自分の家に行ってみたんだ。

 びしょ濡れの僕を見て、お姉ちゃんは、びっくりした顔で出てきた。
 でも、次の瞬間、泣きそうな顔になって、僕を抱きしめてくれた。

 その日の夕飯は、お姉ちゃんの作ってくれたカレーをみんなで食べたんだ。

 お父さんだけは、まだ帰ってきてなかったけど。
 家族の顔を見たら、なんだか、すごくほっとした。

 それから、お姉ちゃんに聞いたよ。
 結星お兄ちゃんの話。
 
 まさか、僕の知らない間に、結星お兄ちゃんとせなちゃんが恋人同士になってたなんて。

 聞いた時は、正直、ショックだった。
 でも、せなちゃんは、もっと悲しい思いをしてたんだよね。

 あの日、せなちゃんに助けてもらったのに。
 僕は何もできなかった。
 君が苦しんでいたことすら、知らなかった。
 
 僕はずるい人間です。
 最初から断られるとわかっていて、あの日、君に告白をした。
 本当は、墓場まで持っていくつもりだったのに。

 どうしても、抑えきれなかった。

 君を困らせて、ごめんなさい。

 支えにもなれなかったくせして、好きだなんて言って、ごめんなさい。

 でも、僕は今、満足です。
 あの日、君に好きだと伝えられたから。
 もう思い残すこともありません。
 
 出会ってくれて、ありがとう、せなちゃん。
 あの日からずっと、君は僕のヒーローでした。

 だから、このヒーローバッジは持っていけません。

 星見岩の近くに置いておきます。
 どうか取りに来てください。
 
 流星より

 そこで、手紙は終わっていた。