君の世界の話をしよう。



なぜ急にこんなことに?

未然に防げたんじゃないか?



悠のことを知りたい――。



もう、嫌なんだ。



“どうしたんだ?”

なんて――。

間抜けな声をかけるのは。



ちゃんと、

分かっていたい。



待合室の片隅で
両膝に置いた手を
握りしめる。

悔しい。

慌てた自分が
嫌で仕方ない。


俺って

こんなに

小さい奴だったのか。


俺の心臓は
まだ跳ねている。

さっきとは違って、

胸の奥が

ズクズクと


疼くように……。



――痛い。



カラカラッ……

扉が開いた。


「悠!?」

バッと顔を上げる。


だが、
そこに立っていたのは、

スクラブを着た医師だった。


ゴクッ……

喉が鳴る。


「……先生、悠は――。」

「おぉ!君、慎くんか!」


え?

なに?


「いやぁ~、会いたかったぁ!」


え?

あれ?

握手されてる。



なに?




「そうかぁ!
 うん、いい面構えになったな!」


今度は
頭ポンポンされてる。


なに?

なになに?


なんだ?この人っ……!



「ちょっ……近い……んですけど!」

頭に置かれた手を
そっと振り払う。

「あの、なんなんですか?」


“愛想笑い”とか
そういうのは
ちゃんと知ってる。

でもさ、

苦笑いも出てこないよ。


「あぁ、ごめんごめん。
 君に会えて嬉しくてさ。

 悠くんの主治医の藤井だ。
 
 よろしくね。」


今度は礼儀正しく
右手を差し出された。

警戒しながら
俺も手を差し出した。


俺の手を力強く握ると、
藤井先生は俺の隣に
ドサッと座った。


「やぁ。
 はじめまして、かな。
 慎くん。」

柔らかな笑顔だ。

さっきの登場には
少々驚いたけど、

俺、この先生、好きだな。


「はじめまして。
 
 でも、
 なんで俺の名前を?」


「そりゃ、
 キーパーソンだからだよ。」


「キーパーソン?」


「うん。キーパーソン。
 悠くんの今があるのは、
 君のおかげ……」


「おい!オッサン!
 余計なこと言うなよな!」

悠の声がした。


声に呼ばれたように
目が行く。


悠が、立っている。




「……っ!」

悠の足元がふらつく。


「悠!大丈夫か!?」
駆け寄って、脇を抱える。

「コラコラ、興奮しちゃダメだぞ。」
先生も、
反対側の脇を抱えた。


悠が呻くように言う。
「誰のせいで興奮したと?」


「あ、慎くん、中で話そうか。」

悠の言葉を完全スルーし、

首の動きで処置室を指す。



なかなかの強者、――来たり。


―――――


処置室のベッドに
悠を下ろし、
ゆっくり寝かせる。

枕は……

足の下がいいのかな……?


「うん。それでいいんだよ。」
藤井先生が笑顔で頷く。


さっと悠の足の下に
枕を滑らせる。

なぜか
少し恥ずかしい。


「――慎くん。
 素晴らしい対応だったよ。」

「え。」

「これからも、それで頼むよ。」

「……はぁ。」

どんな顔すればいいか
分からない。



藤井先生が
ヘルプマークを見せる。


「これ――、何か分かる?」


「ヘルプマーク……です。」

「これ、見つけてくれてありがとう。」

「いえ……。」

「うーん。重要さが分かってないな?
 
 これね、ほら、
 搬送先とか書いてるんだよね。」


「あ。本当だ。」


「だから、悠くんは
 僕のところに
 スムーズに来れたんだよ。

 で、君とも会えた!」


知らなかった。

周りの人に、
自分は助けが要るって
知らせるだけなのかと思ってた。

処置室のドアを振り返る。

「あの、先生?
 悠のご家族とかは……?」

「あー、いい、いい。」

え?
いいんだ!

俺、
めちゃくちゃ心配したのに。

この人、普通に明るいな。

「まぁ、オーバーワークだな。
 今までも何度か、あるんだ。

 聞いてると思うけど、
 悠くん、昔、頭部外傷してね、
 疲労の自覚が体より後なんだよ。」

「どういうことですか?」

「疲れたなぁって感じると、
 休むでしょ?普通はさ。」

「そりゃ、まぁ。」

何を言ってるんだろう。

疲れたら、
なんなら俺は、
ベッドにダイブするよ。

そのまま寝落ちだ。

みんな似たようなもんだろう?

「悠くんの場合、
 その、疲れたなぁ……が、
 無いに近いんだな。」

「はい?」


「エネルギー使い果たして、
 ――強制終了だ。」


藤井先生が
両手をパッと広げる。

息を飲む。

そんなことがあるのか?

横目で悠を見る。

先生に目線を戻す。

「本人はもう成人だし、
 家を出て自立してる。
 
 家族に連絡は行くが、
 “あら、また?”って感じかな。

 ハハハハ!」

いや、先生、
そこ笑うとこかな?


この先生

安心感が半端ないな。

「何をオーバーワークしたのかねぇ……」

なんか、
ニヤニヤしてるし。


「おい、オッサン……
 マジで余計なこと言うなよ?」

悠が
うっすらと目を開け
先生をじっと見ている。


―――――


長い入院生活。

俺が一番、
一緒に過ごした人。

それが、藤井先生だ。

ある日、
目を覚ますと
この人が
俺の顔を覗き込んでた。

「……オッサン、誰?」

「ハハハハ!
 いいね、それ。採用しよう。」

「……は?」

これが初めて交わした言葉。

寝起きの俺に
景気の良さそうな笑い声が

とても……

とても、



不快だった。

「はぁ……変なオッサン。」



その日から、
オッサンは毎日病室に来る。

診察してる風でもなく、
ひたすら喋って
部屋から出ていく。


ひょっこりと

また現れる。


何度も現れる日もあれば、
1回だけの日もあった。

後々、
オッサンが
結構偉い先生だと知った。

心と身体、
両方の専門だとか。


ふーん。
オッサン、やるじゃん。

中二の俺は、
何故か誇らしげだった。




リハビリが始まった。

立つことすら
ままならない自分に
衝撃を受ける。


俺、もしかして……

学校には、
もう行けないんじゃないか?



いや、



学校どころか

普通の生活は無理なんじゃ……?


初めて感じる、
得体の知れない不安。

怖くなった。

自分の出来ないことを
知っていくのは

あまりに残酷だった。


ギターを手にする。

弾いてみる。

ほどなくして、
ストン……と

俺の腕は、力なく落ちた。


もう一度、弾く。

また――落ちる。


「お母さん、俺、
 今日は眠いから
 ……リハビリはいいや。」

この日を境に
俺は
布団を頭から被り、
ベッドから出ることをやめた。



「……そろそろ自分でも臭うな。」

久しぶりに
シャワーを浴びる。

何日ぶりだろうか。

「うわ……泡立たない……オエェ……」

汚れてんな、俺。

少し嘲笑う。


髪を乾かす。

ドライヤーって
こんなに重かったっけ。

途中で断念。

半乾きの髪。

随分伸びたな。

「なんか、外、行きてぇ……」

口からこぼれる。




病室に戻ると……

「あ。オッサン。」

「よぉ!」

あれ?――私服だ。

ベッド脇に
バスセットのカゴを置く。

「オッサンが、
 オッサン服着てどうしたんだよ。」

藤井先生が
ワクワクした目で
身を乗り出す。

「悠くん!今日、散歩行こうよ!」

「――はい?」


―――――


近くのバス停を通り過ぎ、
小さな公園が見えてくる。

藤井先生が
俺の乗った車椅子を
押して歩いている。

「オッサン……
 マジの外だなんて聞いてない。」

「ハハハハ!」

チッ!
笑ってごまかしやがって。



誰かに会ったら
どうしてくれんだよ。

帽子を深く被り直す。


「悠くん、
 行きたい場所はあるかな?」


――行きたい場所?


ふと、
歌を歌ってた
あの路上を思い出す。

でも、

記憶は
意外と曖昧だった。


――これじゃぁ寂しいな。


「――歌ってた路上……。」

うっかりと、
俺の口からこぼれてしまった。


「うん!いいよ。行こう。」


「あ、やっぱナシで!」


「それこそがナシだぞ。

 せっかく
 本音が出たんだから

 大切にしよう。――な?」


「……本音?」


「うん。――本音。

 悠くん、

 君はいつだって、
 湧き出る言葉を
 大切にしてきたんだ。

 もう一度、
 君の言葉、心の声、

 ――拾っていかないか?」


「……。」



ひらひら、と。

落ち葉が

舞っている。


目の前に広がる、

オレンジ、

きいろ、

燃えるような赤。



膝上のブランケットに

ふわり。

「――もみじだ。」



俺の知らないうちに

眩しかった青空は

ビタミンカラーの似合う

淡い水色に変わっていた。


「――うん。オッサン!
 あそこに、連れて行って!」

「合点承知之助!」

「それ、リアルで言ってる人
 初めて見たわ。」


軽やかに
車輪が回り出す。




久しぶりに来た。

この路上。

しばらく、

言葉もなく眺める。



少し離れた場所に

誰かが立っていることに

気づいた。


長く伸びた前髪の隙間から

その誰かを確認する。


あれは……

あの、立ち姿。

佇まいは――



「……慎?」

呼び慣れた名前を
久しぶりに口にする。


「そうか。
 彼、慎くんっていうんだね。」


「え?」


「多分だけど、
 彼は毎日ここに来てるよ。」

オッサンが俺に
耳打ちをする。

「あいさつ、するかい?」


ギュッと唇を噛む。

首を振ると、
帽子を下げ、顔を隠した。

「しない。」



「うん。わかった。」

オッサンは
それ以上何も言わない。

でも、聞いて欲しい。

俺の心の声を
誰かに聞いて欲しいんだ。

「今の俺、見せたくない……」

「そうか。」

「見せられる俺になりたい……」

「うん。」

「俺、やれるだけやってみる。
 少しは、
 見せられる俺になれるよね?」

「もちろん。」

オッサンの大きな手が
俺の頭をポンポンと撫でた。



―――――



俺の傍で
心配そうに座る慎。

こんな顔、
慎にさせたくなかったな。

「もう、大丈夫だから。」

ニッと笑ってみせる。

「……。」

慎は何も言わない。

いっそ、
何か言ってくれた方が
安心するのに。

なんて顔してんだよ。


「大丈夫って、説得力ないなぁ。
 どの口が言ってるんだ?」

オッサンが、
アンニュイな空気をぶち壊す。


「チッ!うるせ。」


「誰かに甘えられてこそ、
 真の大人なんだぞ。」

わかってるよ。
耳に痛い。


「悠くん、そろそろ潮時だよな。
 何がベストかわかってるんだろ?」


あーもう。
分かってる!
分かってるけど!

「オッサンうるさいなぁ……」

ジロっと先生を見る。


「クッ……アハハハ!」
急に慎が吹き出した。


俺と先生、
キョトンと顔を見合わせる。


「いいコンビだなぁ。

 悠、ゆっくりでいいからさ、

 ――俺も仲間に入れてくんない?」



今すぐ、
抱きしめたい。

その俺の
代わりみたいに、
オッサンが慎を抱きしめた。


おい、離れろ。