「俺、すっげぇ寂しかった!
以上!俺っ、帰る!」
カラン……ッ
扉のベルの音と同時に
俺の足は
軽やかに駆け出した。
――言えた。
――やっと言えた!!
悠に、
俺の一番伝えたかったこと。
寂しいって。
俺の中で
5年も引きこもってた――言葉。
外に出るまで
散々、抵抗したくせに、
俺の口が開くのも
待てない速さで
外に飛び出していった。
それだけで
俺の心が動き出す。
止まってたボールが
転がり出すように。
弾むように。
さっき見た
高速で流れる雲へ
トン!と跳ね上がる。

「言ってやったぞぉぉぉお!」
全身が湧き上がる。
こんなに気持ちいいの
知らなかった。
――悠。
言葉ってすげぇな。
あの頃、
お前は
名曲の言葉の
ひとつひとつを
ギターの音色に乗せて
道行く人の、
いや、俺の中心に、
じわっと
焼き付けてくれた。
英語の歌詞の
意味がわからなくても、
その言葉の温かさは
ちゃんと
俺の心に染み込んでいった。
お前の声が
そうしてくれたんだ。
―――――
珈琲館でバイトを始めて、
早くも
1ヶ月が経とうとしている。
夕方からの
ほんの数時間だけ。
定休日以外は
毎日、出勤している。
店は、
相変わらずの忙しさだ。
扉の外からは
人の気配すら感じないほど
静かに見えるのに。
カラン……
中へ一歩入ると、
ざわっと
人の陽気に包まれる。
店の雰囲気も相まって
まるで
平行世界にでも
迷い込んだような、
不思議な感覚だ。
ある日の帰り際、
悠が言った。
「新作あるから、
慎と、――Liuさんに。
今、用意してくるから
座って待っててくれる?」
静かな店内に、一人。
「俺と。――Liuさんに、か。
クソ流のは、要らなくね?」
口を尖らせ
座ってるチェアを
回転させる。
ぐるっと
天井を
そして店内を見渡す。
さっきまでの
賑やかさが、
嘘のようだ。
「あ。そうだ。」
隣に置いたリュックに
手を伸ばす。
そのまま手探りで
ポケットを開ける。
俺の指先は
イヤホンを探している。
「ん?……あれ?」
ゴソゴソッ。
ゴソッ……。
なかなか探り当てられない。
待てよ?
最後にイヤホン使ったの
――いつだっけ?
ここに初めて来た日。
帰り道に握りしめてた。
次の日、
……どうだったっけ。
「……マジか。」
あんなに毎日、
暇さえあれば……
というか、
授業以外いつでも、だったな。
俺の片耳にはいつも
イヤホンがくっついてて、
俺の世界は、
いつだって
悠の歌声がBGMだったのに。
俺は今、
毎日、
悠の話し声、
張り上げた声、
ため息混じりの声、
笑い声、
たまに聴こえる鼻歌、
独り言、
全部を独り占めしている。
「クスッ……
生演奏には敵わない――か。」
隣に置いているリュックを
目の前に置き直し、
もう一度、
ポケットの中を確認する。
「おっ。あったあった。
お前、放置しててごめんな。」
イヤホンに謝りながら
片耳につける。
久しぶりに
録音データを再生する。

「クッ……わっかいなぁ……」
中学2年生の悠の声。
その幼さに
ほろ苦い笑いがこぼれた。
「何一人で
にやついてんだ?」
ドキィーーッ!
体ごと跳ねる。
振り返ると
悠が壁に寄りかかって
立っていた。
「お前、オコジョみたいだな。」
「は?オコジョ見た事あんのかよ。」
「……見た事ねぇわ。そういえば。」
しらっとした目で悠を見る。
悠が笑って肩を竦める。
「これが、慎ので。
こっちが、Liuさんな。」
茶色のゴワゴワした袋と、
綺麗にラッピングされた袋。
なんだ、この差は。
「渡す方間違えるなよ。
お前のは、
少しマイルドに仕上げてあるから。
外装も、
外気と日光防ぐやつにしてある。」
「え?それぞれ違うのか?」
「Liuさんは
ちゃんとしてそうだけど、
お前は
分かってなさそうだから。
口さえ縛っとけば
いけるようにしたんだよ。」
キュゥ……
うっかり、
下唇を噛んでしまった。
慌てて平静を装う。
こんなキモイ顔見せられない。
「ありがと。
今から兄貴んとこ
早速届けるわ。」
「うん。感想お待ちしてまーす。」
「はいよ。また明日な。」
手をヒラヒラと振り、
扉を出る。
カラン……。
俺の指が、
タシタシ!とスマホ画面を
動き回る。
『兄貴、新作貰ったから
今から持って行ってもいい?』
送信。
すぐに返信が来る。
「は!?
明日来い?
幸せそうだな!チッ!」
クソ流に、
あっさり断られた。
グンッと伸びをして
俺は家路に足を向けた。
―――――
ピロン……
絵の具だらけの手が
スマホの画面を
タップする。
コトッ。
筆と絵皿が
床にそっと置かれる。
「流~?ソースなにがいい?」
奥の部屋から声が聞こえる。
「ガーリックがいいな。」
「オッケー。」
画面を
滑らかに動く指。
『今日はダメ。
慧とゆっくり過ごすから。
明日来い。』
スマホを閉じ、
ゴロンとソファに寝転ぶ。
あれは――
知り合いの画廊に
立ち寄った日。
たまには
外気を満喫しようと、
俺は気まぐれに
散策を楽しんでいた。
「そういや、この辺り、
慎の大学の近くだな。」
商店街から少し外れた
静かな住宅街。
色とりどりの家が
立ち並ぶ中に
その店があった。
そっと。
街並みに紛れるように。
――珈琲館。
「雰囲気のある喫茶店だな……」
自然と
扉を開けていた。
カラン……
まだ開店前だったのか、
店内に人は居ない。
静まり返っている。
「――不用心だな。」
入口から声をかける。
「すみませーん。
誰か居ますか?」
コトッ……
カウンター奥から
小さな音が聞こえる。
ほどなくして
若い男性が
ひょっこりと顔を出した。
「いらっしゃいませ。」
「開店前でしたか?
鍵開いてたので、
声をかけてみました。
――すみません。」
「いえ。大丈夫ですよ。
実は今日、
今からオープンなんです。
記念すべき、
――1人目、ですね。」
物腰柔らかそうな笑顔だ。
「マスター、いい笑顔するね。
一杯オススメをもらえるかな?」
「ハハッ!ありがとうございます。」
マスターが手際よく
コーヒーを淹れる。
その音
ひとつひとつを
楽しみながら、
改めて店内を見渡す。
――凄いな……。
細部にまで拘りが見える。
チェアとカウンターの高さも
きっと、計算してる。
オーダーメイドだな。
何者だ?この人。
「はい。――どうぞ。」
コトッ……。
ふわっと、
香ばしく
ほろにがい
ふっと
息をつきたくなるような香りが
一瞬にして、俺を取り囲む。
コクッ。
口に含む。
「……うまいな。」
「せっかくの記念なんで、
その豆、プレゼントしますよ。」
「え?そんな、悪いよ。
買いますよ?」
「いえ、当店第1号ですから。
そうさせてください。
――それに……。」
マスターが
俺の顔をじっと見る。
どうしたんだろうか。
「それに……?」
ふっとマスターの顔が緩む。
――いい顔するじゃないか。
「それに――
貴方は、
僕の知ってる人に、
纏う空気がよく似てるから。」
マスターの瞳が
ゆらっと和らぐ。

「――マスター、名前は?」
ふいに
口をついて出た、
言葉だった。
「“悠”っていいます。」
――悠。
あれ?
「歳は?」
マスターの目が
驚いたように
僅かに大きくなった。
「あ、別に誘ってるとかじゃない。
おかしなことを聞いて、
――申し訳ない。」
「――いえ。
二十歳です。」
慎と同じ歳――。
もしかして。
「マスター、もうひとつだけ
変な質問してもいいかな?」
「――?」
首を傾げて、
マスターは『どうぞ』と頷いた。
またひとくち、
口に含む。
香りを転がす。
マスターの目を見る。
「どうしてここに店を?
もっと人通りの良い場所が
この地域には
たくさんあるのに。」
マスターが、
静かに微笑む。
「俺、5年越しで
会いたい人がいるんですよ。
でも――自分からは
ちょっと、勇気が出なくて。
だから、
ここに居れば、
そのうち会えるような気がして。
5年って年月は
人を臆病にさせますね。」
クスッと小さく笑うと、
マスターは
豆の袋をラッピングし始めた。
指の腹に
古いギターダコが見える。
俺によく似た人。
5年越し。
会いたい人。
この立地。
名前が“悠”。
多分、この人は、
弟・慎が探してる人だ。
ラッピングを終えたマスターが
1冊の本を棚の端に置いた。
あ。
あれ、俺の装丁だ――。
「その本は?」
マスターがクスクスと笑う。
「これね、父が買ってきたんですよ。」
え?お父さんが?
この本を?
「俺、昔、音楽やってたんですけど、
事情あってもうギター弾けなくて。
そしたらある日、
『お前がよく言ってた
ジャケ買いってやつしてきたぞ!』
って、俺にお土産だとか。」
プッ……
思わず吹いてしまった。
ジャケ買いで
BLを買ってくるお父さん、か。
マスターが続ける。
「この本、BLなんです。
おい!BLじゃねーか!と
思ったんですけど、
読んでみたら、すごく良くて。
気に入って
持ち歩いてるんですよ。」
「なんか素敵な話ですね。」
縁っていうのは
不思議なものだ。
マスター、きっと会えるよ。
近いうちに。
俺の弟に。
「さて、そろそろ帰るよ。
俺、ここの常連になってもいいかな?」
「もちろんです!」
マスターが用意してくれた
綺麗にラッピングされた豆を受け取り、
店を出る。
スマホの画面を
トントン……とタップする。
『慎、お前大学生やってんなら
バイトくらいしたらどうだ?』
送信。
「俺が出来るのは
こんなことくらいだな。」
「流、飯食おうぜ。」
「慧、いつもありがとう。」
「なぁ、後でコーヒー淹れてくれよ。
あれ、結構気に入ってるんだ。」
「いいよ。一緒に飲もうか。」
パタン。
ドアが閉まる。
以上!俺っ、帰る!」
カラン……ッ
扉のベルの音と同時に
俺の足は
軽やかに駆け出した。
――言えた。
――やっと言えた!!
悠に、
俺の一番伝えたかったこと。
寂しいって。
俺の中で
5年も引きこもってた――言葉。
外に出るまで
散々、抵抗したくせに、
俺の口が開くのも
待てない速さで
外に飛び出していった。
それだけで
俺の心が動き出す。
止まってたボールが
転がり出すように。
弾むように。
さっき見た
高速で流れる雲へ
トン!と跳ね上がる。

「言ってやったぞぉぉぉお!」
全身が湧き上がる。
こんなに気持ちいいの
知らなかった。
――悠。
言葉ってすげぇな。
あの頃、
お前は
名曲の言葉の
ひとつひとつを
ギターの音色に乗せて
道行く人の、
いや、俺の中心に、
じわっと
焼き付けてくれた。
英語の歌詞の
意味がわからなくても、
その言葉の温かさは
ちゃんと
俺の心に染み込んでいった。
お前の声が
そうしてくれたんだ。
―――――
珈琲館でバイトを始めて、
早くも
1ヶ月が経とうとしている。
夕方からの
ほんの数時間だけ。
定休日以外は
毎日、出勤している。
店は、
相変わらずの忙しさだ。
扉の外からは
人の気配すら感じないほど
静かに見えるのに。
カラン……
中へ一歩入ると、
ざわっと
人の陽気に包まれる。
店の雰囲気も相まって
まるで
平行世界にでも
迷い込んだような、
不思議な感覚だ。
ある日の帰り際、
悠が言った。
「新作あるから、
慎と、――Liuさんに。
今、用意してくるから
座って待っててくれる?」
静かな店内に、一人。
「俺と。――Liuさんに、か。
クソ流のは、要らなくね?」
口を尖らせ
座ってるチェアを
回転させる。
ぐるっと
天井を
そして店内を見渡す。
さっきまでの
賑やかさが、
嘘のようだ。
「あ。そうだ。」
隣に置いたリュックに
手を伸ばす。
そのまま手探りで
ポケットを開ける。
俺の指先は
イヤホンを探している。
「ん?……あれ?」
ゴソゴソッ。
ゴソッ……。
なかなか探り当てられない。
待てよ?
最後にイヤホン使ったの
――いつだっけ?
ここに初めて来た日。
帰り道に握りしめてた。
次の日、
……どうだったっけ。
「……マジか。」
あんなに毎日、
暇さえあれば……
というか、
授業以外いつでも、だったな。
俺の片耳にはいつも
イヤホンがくっついてて、
俺の世界は、
いつだって
悠の歌声がBGMだったのに。
俺は今、
毎日、
悠の話し声、
張り上げた声、
ため息混じりの声、
笑い声、
たまに聴こえる鼻歌、
独り言、
全部を独り占めしている。
「クスッ……
生演奏には敵わない――か。」
隣に置いているリュックを
目の前に置き直し、
もう一度、
ポケットの中を確認する。
「おっ。あったあった。
お前、放置しててごめんな。」
イヤホンに謝りながら
片耳につける。
久しぶりに
録音データを再生する。

「クッ……わっかいなぁ……」
中学2年生の悠の声。
その幼さに
ほろ苦い笑いがこぼれた。
「何一人で
にやついてんだ?」
ドキィーーッ!
体ごと跳ねる。
振り返ると
悠が壁に寄りかかって
立っていた。
「お前、オコジョみたいだな。」
「は?オコジョ見た事あんのかよ。」
「……見た事ねぇわ。そういえば。」
しらっとした目で悠を見る。
悠が笑って肩を竦める。
「これが、慎ので。
こっちが、Liuさんな。」
茶色のゴワゴワした袋と、
綺麗にラッピングされた袋。
なんだ、この差は。
「渡す方間違えるなよ。
お前のは、
少しマイルドに仕上げてあるから。
外装も、
外気と日光防ぐやつにしてある。」
「え?それぞれ違うのか?」
「Liuさんは
ちゃんとしてそうだけど、
お前は
分かってなさそうだから。
口さえ縛っとけば
いけるようにしたんだよ。」
キュゥ……
うっかり、
下唇を噛んでしまった。
慌てて平静を装う。
こんなキモイ顔見せられない。
「ありがと。
今から兄貴んとこ
早速届けるわ。」
「うん。感想お待ちしてまーす。」
「はいよ。また明日な。」
手をヒラヒラと振り、
扉を出る。
カラン……。
俺の指が、
タシタシ!とスマホ画面を
動き回る。
『兄貴、新作貰ったから
今から持って行ってもいい?』
送信。
すぐに返信が来る。
「は!?
明日来い?
幸せそうだな!チッ!」
クソ流に、
あっさり断られた。
グンッと伸びをして
俺は家路に足を向けた。
―――――
ピロン……
絵の具だらけの手が
スマホの画面を
タップする。
コトッ。
筆と絵皿が
床にそっと置かれる。
「流~?ソースなにがいい?」
奥の部屋から声が聞こえる。
「ガーリックがいいな。」
「オッケー。」
画面を
滑らかに動く指。
『今日はダメ。
慧とゆっくり過ごすから。
明日来い。』
スマホを閉じ、
ゴロンとソファに寝転ぶ。
あれは――
知り合いの画廊に
立ち寄った日。
たまには
外気を満喫しようと、
俺は気まぐれに
散策を楽しんでいた。
「そういや、この辺り、
慎の大学の近くだな。」
商店街から少し外れた
静かな住宅街。
色とりどりの家が
立ち並ぶ中に
その店があった。
そっと。
街並みに紛れるように。
――珈琲館。
「雰囲気のある喫茶店だな……」
自然と
扉を開けていた。
カラン……
まだ開店前だったのか、
店内に人は居ない。
静まり返っている。
「――不用心だな。」
入口から声をかける。
「すみませーん。
誰か居ますか?」
コトッ……
カウンター奥から
小さな音が聞こえる。
ほどなくして
若い男性が
ひょっこりと顔を出した。
「いらっしゃいませ。」
「開店前でしたか?
鍵開いてたので、
声をかけてみました。
――すみません。」
「いえ。大丈夫ですよ。
実は今日、
今からオープンなんです。
記念すべき、
――1人目、ですね。」
物腰柔らかそうな笑顔だ。
「マスター、いい笑顔するね。
一杯オススメをもらえるかな?」
「ハハッ!ありがとうございます。」
マスターが手際よく
コーヒーを淹れる。
その音
ひとつひとつを
楽しみながら、
改めて店内を見渡す。
――凄いな……。
細部にまで拘りが見える。
チェアとカウンターの高さも
きっと、計算してる。
オーダーメイドだな。
何者だ?この人。
「はい。――どうぞ。」
コトッ……。
ふわっと、
香ばしく
ほろにがい
ふっと
息をつきたくなるような香りが
一瞬にして、俺を取り囲む。
コクッ。
口に含む。
「……うまいな。」
「せっかくの記念なんで、
その豆、プレゼントしますよ。」
「え?そんな、悪いよ。
買いますよ?」
「いえ、当店第1号ですから。
そうさせてください。
――それに……。」
マスターが
俺の顔をじっと見る。
どうしたんだろうか。
「それに……?」
ふっとマスターの顔が緩む。
――いい顔するじゃないか。
「それに――
貴方は、
僕の知ってる人に、
纏う空気がよく似てるから。」
マスターの瞳が
ゆらっと和らぐ。

「――マスター、名前は?」
ふいに
口をついて出た、
言葉だった。
「“悠”っていいます。」
――悠。
あれ?
「歳は?」
マスターの目が
驚いたように
僅かに大きくなった。
「あ、別に誘ってるとかじゃない。
おかしなことを聞いて、
――申し訳ない。」
「――いえ。
二十歳です。」
慎と同じ歳――。
もしかして。
「マスター、もうひとつだけ
変な質問してもいいかな?」
「――?」
首を傾げて、
マスターは『どうぞ』と頷いた。
またひとくち、
口に含む。
香りを転がす。
マスターの目を見る。
「どうしてここに店を?
もっと人通りの良い場所が
この地域には
たくさんあるのに。」
マスターが、
静かに微笑む。
「俺、5年越しで
会いたい人がいるんですよ。
でも――自分からは
ちょっと、勇気が出なくて。
だから、
ここに居れば、
そのうち会えるような気がして。
5年って年月は
人を臆病にさせますね。」
クスッと小さく笑うと、
マスターは
豆の袋をラッピングし始めた。
指の腹に
古いギターダコが見える。
俺によく似た人。
5年越し。
会いたい人。
この立地。
名前が“悠”。
多分、この人は、
弟・慎が探してる人だ。
ラッピングを終えたマスターが
1冊の本を棚の端に置いた。
あ。
あれ、俺の装丁だ――。
「その本は?」
マスターがクスクスと笑う。
「これね、父が買ってきたんですよ。」
え?お父さんが?
この本を?
「俺、昔、音楽やってたんですけど、
事情あってもうギター弾けなくて。
そしたらある日、
『お前がよく言ってた
ジャケ買いってやつしてきたぞ!』
って、俺にお土産だとか。」
プッ……
思わず吹いてしまった。
ジャケ買いで
BLを買ってくるお父さん、か。
マスターが続ける。
「この本、BLなんです。
おい!BLじゃねーか!と
思ったんですけど、
読んでみたら、すごく良くて。
気に入って
持ち歩いてるんですよ。」
「なんか素敵な話ですね。」
縁っていうのは
不思議なものだ。
マスター、きっと会えるよ。
近いうちに。
俺の弟に。
「さて、そろそろ帰るよ。
俺、ここの常連になってもいいかな?」
「もちろんです!」
マスターが用意してくれた
綺麗にラッピングされた豆を受け取り、
店を出る。
スマホの画面を
トントン……とタップする。
『慎、お前大学生やってんなら
バイトくらいしたらどうだ?』
送信。
「俺が出来るのは
こんなことくらいだな。」
「流、飯食おうぜ。」
「慧、いつもありがとう。」
「なぁ、後でコーヒー淹れてくれよ。
あれ、結構気に入ってるんだ。」
「いいよ。一緒に飲もうか。」
パタン。
ドアが閉まる。



