君の世界の話をしよう。


コトッ……。

俺は今、
慎に
コーヒーを出している。


あぁ、
初めてだな。

お前に淹れるのは。


目の前に座ってる慎。

俺を見る目が
なかなかに、厳しい。



大学生になった。

――とはいえ、

変わってないなぁ……。


面影の主張が強すぎて

心の中、少し笑う。



懐かしさが

くすぐったくて。




扉の外に
臨時休業の札を引っ掛け、

自分にも
コーヒーを淹れる。


「さて、どこから話そうか。」

カップを片手に
慎の隣に座る。


何をどこから語るにしろ、
重たい話ばかりだ。


慎はどこから聞きたい?

お前の要望に
俺はきちんと応えるよ。


だって、
お前に会いたい一心で


俺は

――戻ってきたんだから。


―――――


あの頃の俺たちは、

今よりずっとずっと

未熟で
青臭くて

進路なんかクソ喰らえだ。

ってイキがりながら

先の見えない未来に
少し怯えてたな。

ほんの少しでいい。
何かに抗いたかった。





「もっと笑え!」

慎の指が
俺の脇腹をくすぐる。


――すげぇ寂しいって言え。
なんて、
願った自分。

照れくさくて、

大声で笑って
吹き飛ばした。


本当は俺、

そんなに
脇腹弱くないんだ。


俺の本心は、
心の中に、
そっとしまっておきたい。



だって、
お前、悩むだろう?




「じゃぁ、また明日な。」

手を振って
踵を返し
歩いていく慎の背中。

いつも、
見えなくなるまで
見送ってるなんて



お前は
知りもしないだろうな。



「はぁ……」
すっかり暗くなった
空を見上げる。

慎との夕方は
あと一週間か。

夏休みが終わったら
学校でしか会えない。

「くぅ……寂しいねぇ……」


街灯が作る長い影を

ひとつ、

またひとつ、

越えて家路につく。


「あ。いいフレーズ浮かんだ。
 メモしよっと。」

背中の
ギターケースのポケットを
歩きながらさぐる。


ゴソゴソ……


ノートの角が引っかかって
なかなか取り出せない。

「横着しちゃダメか。」

立ち止まる。

ケースを地面に立てる。


しゃがんで
ポケットに手を突っ込む。


あっさり取れた。


「忘れないうちに……と。」

俺はノートに
ペンを走らせた。


この歌が

完成したら

真っ先に

慎に聴いてもらうんだ。


しゃがんだまま
ノートを抱きしめる。



―――――


気づくと、
目の前には
真っ白な天井。

それから、
なんか、
物々しい機械がたくさん。

俺の体のあちこちに
線が繋がってて、


……腕には点滴?


『あ。そうだ。ノート!』


あれ?

声が、

出ない――。



「……悠っ!!」

突然、母さんの声が
耳に飛び込んできた。

「先生、呼んでくる!」

あ。父さんの声だ。

あれ?
父さん、会社は?




「……痛っ……!?」

激痛が走る。


なんだ!?
頭からつま先まで
強烈に痛い!


右手だけ、
痛く……ない?


えーーー……

何がどうなったか
誰か、まず教えてくれ。


俺、さっき、
いいフレーズ浮かんだんだ。


ノートにメモして、

それから……

どうしたっけ?



「母さん……!ノート、どこ……?」

掠れた声を、振り絞る。


力のない声に

心がひんやりする。


その胸に、
母さんがしがみついてる。


――え?泣いてる?


「……母さん、どうしたの?」

母さんが顔を上げる。

「悠……っ!分かる?」

「……うん。……分かるよ。」


「事故に遭って
 ……入院してるの。

 頭も……怪我したの。

 本当に、お母さん分かる?」


「――うん。
 ちゃんと……分かってるよ……。」

いや、
本当は戸惑ってる。

この人は母さんなのに、

確信が持てない。

変な感じだ。

初めての感覚。
頭が追いつかない。

でも、
声と、
匂いと、
仕草で、

この人は母さんだ――
って分かる。


「分かってるよ。」


もう一度、口にする。

自分に言い聞かせる。

―――――

たくさんの検査を受けた。

種類の多さに
もう、うんざりだ。


担当医から説明は受けた。

俺自身の把握としては、


一回、心臓止まった。

身体中の傷は、まぁまぁ残る。

頭部外傷で、後遺症あり。

人の顔が分からない――
とかなんとか。

右手は使えるけど、
細かい作業は無理。

リハビリが今後を左右する。

といったところ。


そんなこと
急に言われても

俺――、
実感ないんだけどな。

袖をめくると
確かに傷だらけだ。

父さん母さんの顔……
分からなかったのは、
意識が戻った時だけだった。

分かってるのかどうか、

そこは怪しい、
……かもしれない。


だけど、
俺の中で“一致”したから、
さほど不便はないんだよな。


ギターを抱える。

コードを押さえ、
軽く歌う。

なんだ。
別に何ともないじゃん。

でも、すぐに、
腕の力が抜けてしまった。

俺の意思に――関係なく。


なるほど。
体感して、やっと実感。

不思議と、絶望はない。



「母さん、俺、いつ学校行ける?」

ベッド脇の
母さんに声をかける。

母さんの瞳が
一瞬、悲しく揺れる。

もしかして、
聞いちゃいけないことだったか?


「動けるようになったら、
 ――かな。」


「そう?分かったよ。」


窓の外、
遠くで子供たちの声がする。

自転車のベルの音。

バスのエンジン音。

けたたましい
クラクションの音ですら

今の俺には、恋しい。


早く――そこに戻りたい。


風が吹く。

窓から見える木々が
何にもなかったように

葉っぱを、揺らしてる。


―――――


「どこから?……か。」

慎が呟く。

一呼吸おいて、
慎がまた口を開く。

「――うん。
 あのさ、俺、
 何をサポートすればいいんだ?」


「え?」


「いや、お前、すげーからさ。

 俺がサポートすることなんて
 あるのかな?って。」


「――あぁ。」

正直、驚いた。

てっきり、
俺の5年間を
話す機会がやってくると
思っていたのに。

少し残念。

慎に話したい。
聞いて欲しい。
分かちあって欲しい。

寂しくて、
恋しくて、
戻りたい一心で、

必死に頑張ったんだ。



少し安堵。

慎は慎のままだ。
聞かせたくない。
心配させたくない。

何より、

悲しませたくない。

お前はきっと

俺の痛みを知ったら
泣くだろう?



「お前に頼みたいのは、
 今日みたいなほころびを
 補充してほしいんだ。」

「補充?」

「顔と名前一致まで
 時間がかかる。
 だから、例えば、
 常連さんの名前を呼んで
 挨拶するとか、
 そういうのがあると助かる。」


「あー、なるほどね。
 任せろ。うまくやるよ。」

慎の目が俺を見る。

ゆらゆら揺れる
その瞳に

俺が、
確かに映ってる。


あぁ、俺、
――生きてるんだ。

慎の傍で、
――息してる。




「それと……、
 どうしても聞きたいことある。」

慎が戸惑うように
俺に投げかける。


――来た。

きっとこう聞くんだろ?
『今までどうしてたんだ?』
『心配してたんだぞ。』

返事は準備してある。

いつでも来い。



「なんだ?」


心臓が、静かに

深く、波打つ。

カップに唇をつけ
ゆっくりと口に含む。



「お前、なんでコーヒーなの?」



「――ブホッ!!

 ゲホゲホッ!……ケホッ!」




「おいっ!悠!?
 ゆっくり息しろ!」

慎の手が背中をさする。

あったかいな、
お前の手。

「悠、大丈夫か?
 猫舌なら、気をつけて飲めよ。」

こいつ……
ド天然が成長してる。


なんでコーヒーなの?


じゃねーよ。

何だ?その質問は。


笑いが込み上げて
仕方ない。

限界だ。

「……ククッ……アハハハ!
 慎、お前っ、……なんなの!?
 ダメだ、苦しっ……アハハハ!」

「え!?悠、何笑ってんだ!?」

俺、
久しぶりに、

“爆笑”ってやつをやってる。

大声で笑うって、
気持ちいいんだな。

手の甲で
目尻を拭いながら

俺に添えられた慎の手を取る。

カウンター上に
そっと、その手を置く。


「ありがとうな。もう大丈夫だ。

 ――なんでコーヒーか。って?

 香りに敏感になったんだよ。

 顔が分からなくなった
 その代わりだと思ってるけど。」


「代わり?」


「――うん。敏感なだけじゃない。
 すごく、
 心が揺さぶられるんだ。

 中でも、
 コーヒーは最高だ。

 あと、俺は猫舌じゃないぞ。」


クイッと、
もうひとくち。

香りを楽しみ、
そして、飲み込む。

慎も
つられるように
カップに唇を添え、

初めて口に含んだ。


――やっと飲んでくれた。


慎なりに
重くならないよう
考えてくれてたのかな。


「あ。このコーヒー……」

「オリジナルだよ。
 俺がブレンドしたんだ。」

「超うまいよな。
 兄貴もこれ好きだって。
 昨夜、飲ませてくれたんだ。」

ん?
Liuがうちの店のを?

――今は、聞くのはやめておこう。

今日は、
慎が俺に尋ねる日。だからな。

「夜に、か。
 セレクトがいいな。
 これ、ノンカフェインなんだ。」

「へー。お前、こんなの
 作っちゃうんだな!すげぇ。」

「だって、焙煎士だし。」

「マジで!?
 ハハッ!お前やっぱり
 タダじゃ起きない奴だな!」

パッとした慎の笑顔。


『お前、すげぇいい声じゃん!』

路上で出会った時が

フラッシュバックする。


まだあどけない、
中学生の慎。




「もう、質問は終わりか?」

慎が微かに口を結ぶ。
ムッとしてるな。


「まだ、今日の最後のお題がある。」

「最後のお題か。――なんだよ?」

「この店、どうしたんだ?」

「それ、聞く?」

「興味ある。」


正直な奴だ。

確かに、気になるよな。

俺は若いし。
なのに店がこうだ。


「聞いて後悔すんなよ?」

「するか!」


コソッと耳打ちする。

「俺……マネーは持ってんの。」



「……は?」

慎が訝しげに
横目で俺を見る。

俺も神妙な面持ちで
更に耳打ちする。

「損害賠償金……。
 
 細かく言うと生々しいから
 短くまとめたけど。

 親が、リスタートに使えって。」


「ぅお……充分に生々しいな……。」
慎もつられて、
ウィスパーボイスで返事する。


「その……生々しい店で……
 お前は、働いてるんだよ……」


バシッ!

「耳元でその言い方やめろ!」

慎の軽い一撃が
俺の肩に入る。

あ。
慎の耳が赤い。


――この感じ。

懐かしいよ。

すごく。

自然と笑い声がこぼれる。

「アハハハ!」

こんな声、
俺に出せたんだな。


「なぁ、悠。」

「なに。」

「俺、言いたいことあったんだよ。」

「言いたいこと?」

目尻を拭いながら
慎を見る。


真面目な顔をしてる。

泣きたいような、
照れてるような、


なんだその顔は。


「あのな、えっと……その。」

「なんだよ。」

「…………った。」

「ハハッ!どっから声出してるんだ?
 ゴニョゴニョじゃわかんねーよ?」


慎は、
ギュッと目を閉じると

いきなり、
――叫んだ。



「俺、すっげぇ寂しかった!
 以上!俺っ、帰る!」



バタバタ!!

「あ!おい!慎っ!」

ガチャッ!バタン!



カラン……。

遅れて

ベルが鳴る。


「ベルより速いとか……
 なんなん、アイツ……。」


俺は呆けて

しばらく扉を見つめた。