水流の先にあるものは

 「颯!」

 呼びかけに気が付いただろう。颯な身体は、幹央に水の流れから視線を外し、幹央を見る。
 颯は用水路の端に腰掛けていた。透明な脚はいまにも水に触れる寸前であった。
「お前さぁ、はあ……それ、危ないって昔も言ったろ」
 暑さと今日歩いた分の疲労で、幹央の足は動かす度に不満を訴え、声も掠れ気味になっている。
 颯はそんな幹央をジッと見つめる。そして、微かに笑った。
 出会った日のデジャブのようだ。
 しかし、あの日と違い、横並びでなく二人の間には水の隔たりがある。そして何より、姿がすっかり変わった。片や、冴えない成人男性。片や、透明な永遠の青少年。
 こんなことになるとは。考えもしなかった現実を直視したことで、気を引き締めてきたはずの幹央は、早くも心が揺さぶられた。
「もうガキじゃねえから、大丈夫だよ」
「大人は用も無く用水路に入ろうなんて思わないんだよ。それに――――」
「お前は、大人じゃないんだろ?」
 颯の一瞬肩を震わせる。そして、睨みを利かせてきた。
 「はあ? オマエ、オレを馬鹿にしてんのか? オマエと同い年なこと忘れたんか」
 「忘れてねえよ。でも、お前、死んだんだろ。高校生ん時に」
 幹央にとってこれは、揺さぶり、というよりは本質に踏み込む言葉つもりであった。
 しかし、颯は依然として強情な態度を崩すつもりはないらしい。ギラギラと光る瞳は、真っすぐ幹央を捉えている。
 ただ、言葉は返ってこない。これが何を意味しているのか、幹央には計り知れない。
「おっ、おい。何とか言えよ」
「……オマエはオレになんて言って欲しいの。オマエにそれを黙ってた謝罪か? それとも嘘ついてオマエを振り回してたことへの謝罪?」
「謝罪ばっかじゃねえか。別に、謝ってほしいわけじゃ……」
「じゃあ、何で話かけてきた? 死んだってわかってんなら、オレにわざわざかまう必要ねえだろ」
「いや、それは、でも……」
 本人を目の前にすると、急に言葉がでなくなる。積み重ねてきた関係性にどうしても引っ張られてしまうのだ。
「まあ、その、勝手に押しかけたのは悪かった。声かけたのも、急にいなくなったからだろ? どんな奴であれ、急に消えてたらそりゃあ、ビビると思う。……こんなもんか? 下手だけど許せ。謝るのとか、慣れてない」
 やめろよ。そんな、謝罪の言葉なんて、聞きたくない。
「うし、これで終わり。ほら、帰れよ。そろそろ暗くなるぞ」
「えっ、なんで。お前は、どうすんだよ」
「……どうもしねえよ。なんか、知らねえけど地獄にすらいけねえみてえだから、そこらへんフラフラしてる。いっそ、もう一度どっかの川に飛び込んでた揺蕩ってるのもいいかもな。まあ、とりあえずオマエに迷惑かけないようなとこ行くから、安心しろ」
 安心とか、そういことじゃねえんだよ。
 信じてもらえないかも知れないけど、俺はそんなお前に対して薄情な奴じゃない。
 今度こそ、ちゃんと向き合いたいんだよ。
 言いたいことが山程ある。いつもなら、言葉が募っても、結局颯のペースに飲まれて何も言えないことがほとんだ。
 でも、今日は、絶対に流されてはいけない。きっとこれは、お前が俺に与えてくれた最後のチャンス。今日を逃せばきっと、俺は――一生後悔する。
「ダメだ」
「は? 何の権限があってそんなこと言うんだよ」
「オマエを一人にはできない。」
 颯は眉を顰める。
「なんだ、一丁前に同情してんのか? いらんお世話だな」
「違う。これは、その、俺の、お前とずっといた俺だから言ってる。その、つまり……我儘だ」
「わがまま……」
「そう、我儘。俺に何の話もなしに、勝手に一人にならないでほしい。あの時は、人の目とか、思春期こじらせすぎて、お前のことを知るのが怖かったし、正直、お前のこと避けてた」
 颯は何も言わない。だが真っすぐだった瞳は、微かに揺れている。
「それで、俺ってほんとダサいからそれすら忘れようとしてた。でも、お前がまた現れた。最初は何でだよとか、お前が何か昔と変わって見えてむしゃくしゃした。……でも、色々昔のこと思い出して、思い返して、あの時もっと話せばよかったてただただ後悔した。そして、また何も考えず、くだらない話がしたいって、すっごい自分勝手だけど思ったんだ」
 自分の本心を声にする度、羞恥が滲みだす。取り繕わずに自分の想いを伝えるというのは、こんなにも恥ずかしく、気力を使うものなのか。幹央の身体は酒を飲んだように熱が回る。それでも幹央は、どうにか自分の想いが正しく、それでいて強く、目の前の彼に伝わるように、必死になって言葉を紡ぐ。
「こんな俺が、お前にお願いするのはおこがましいと本当に思う。お前が俺のことどう思ってるか知らないし、もう関わりたくないとすら思ってるかもしれない。でも、だから、その……俺は、お前のことちゃんと理解したい。そんで、できれば、友達に戻りたい、てかなりたい。だから、お願い。お前のことを教えて、ください……」
 幹央は深く、頭を下げた。後半はもう、自分でも何を言っているのかわからなくなっていた。
 きっと、上手く伝わってはいないんだろうな。不安は消えない。でも、今は言葉が返ってくることを祈り、頭を垂れるしかないと、幹央はどこか清々しい心持ちであった。
 急に、幹央の右側から風が通る。床屋に行くタイミングを逃し伸びた髪が頬を掠めた。
 あるのは水の流れる音だけ。しかし、幹央は、自分の右隣から、静かな、それでいて確かな気配を感じ取った。
「颯……」
 幹央は恐る恐る、横を見る。
「ふはっ、なんだよその顔。きしょ。てか、さっきのも必死すぎてめっちゃキモかったんだけど」
 ああ、あの笑顔だ。それを見た瞬間、幹央の目から涙が流れた。
「おい、なに泣いてんだよ。もお、ほんっと、きしょいな」
「おれも、ひっく、なんで泣いてっか意味わかんねえよ」
「なんでお前キレ気味なんだよ。ふふ、はははっ」
 
 ひとしき笑うと、颯はゆっくりと腰を下ろす。そして、顎でオマエも座れと促す。
 幹央が座ったことを確認すると、颯は満足げにそれでいてどこか緊張した様子で口を開いた。
「オマエがあんまりダサいこと言うからな。その度胸に免じて、しょうがねえからオレもオマエに晒してやる。オレの、オマエの非にならないダサいとこ」
 どう聞いても、虚勢を張っていることがわかる声色だ。それに、「ダサい」は颯という男にとって、けしてあってはならない、そして晒してはいけないことなのを、幹央は知っていた。
「ダサいを晒す」と聞いた時、幹央は思わず息をのみそうになった。だがグッと堪え、何とか冷静な顔を作った。
「オレな、めっちゃ父さんと、母さんのこと好きだったんだ」
 颯の両親。元ヤクザで猟奇殺人鬼の父と、それを手伝った愚かな母。幹央が知っているのは、そんなろくでもない情報だけだ。
「貧乏だし、なんか常に誰かに見られてるみたいにこそこそしてる。話す内容もどことなくきな臭い。だから、ウチの家族は訳ありなのんだろうなってことはなんとなくわかってた。でも、調子乗りの父さん、父さんを尻に引く母さん、そしてその二人の掛け合いを見て笑ってる常連客のおっさん達。今思い出してもあの時は、すごく楽しいかった。他の家族なんかよりずっと仲良いし、幸せだったって、今でも胸張って言える」
 過去を語る颯は、透明なはずの頬に赤みが差したと錯覚するほど、誇らしげだった。
(自分は人に、何より母親に、こんなにも純粋に「好きだ」と言えないな)
 幹央は感心するのと同時に、颯から出た言葉達に嘘偽りないことを確信した。
「でも、あいつらはオレを置いてった」
 颯は伸ばしていた脚を折りたたみ、膝に顔を埋めた。
「オレは別に、ヤクザの子だってかまいやしない。そんな過去のことより、今の父さんが好き。父さんを信じて着いてきて、オレを産んでくれた母さんが好き。それなのに、昔の性だとか縁だか知らないが、オレとの生活よりもその時の怒りを優先したのが、腸が煮えくり返るくらい腹が立つ。捕まってから一回だけアイツらに会った。『すまない、オマエだけは……』ってよくわかんねー屁理屈ばっか。ふっ、どの口が言ってんだって。……そっから、アイツらには会ってない」
 そう言うと、颯はより深く顔を埋め、「あー」とか「うー」とかうめき声を上げる。
 幹央には、どうすることもできない。だが、その呻きから、颯にはまだ心の奥底に溜まっているものがあることは理解できた。
 だから、幹央は実体を持たない透明な肩に手を置き、ただ颯の次の言葉を待つことにした。
 きっとその身体に感覚はない。しかし、幹央が肩に手を置いた瞬間、颯はピタリと声を止め、大きく深呼吸をした。
「そういうのやめろ。気い散るわ」
「いや、でも、辛そうだったじゃん」
「オマエじゃあるまいし、なめんな」
 そういって、颯は肩をゆらし、顔をあげた。目は腫れぼったくなっているが、すました顔を作る余裕はできたようで、幹央は少しほっとした。
「……今でも、ムカついてる。でも、好きだったて気持ちも今も同じくらいあって、嫌んなる。でも、大分この気持ちに折り合いはついた。でも、アイツらがやらかして、ババアに引きとられるまでは、どうしようもないくらいムカついてた。……そして、オレはおんなじくらい――――」
「さみしかった、んだと思う……」
 颯は消え入りそうな声で呟いた。そして、小さな身体をギュッと織り込み、より小さく見せた。
 その姿を見ても、今の幹央には失望の気持ちはない。むしろ、これまで仕舞いこんでた面を見せてくれたことに、言い様のない喜びを感じていた。
「知らない場所、知らない人。そして、何より好きだった人達がオレを裏切っていなくなった。みんながみんな信じられない。何をしたらいいのか、どうやって毎日を過ごせばいいのか、わからない。もういっそ、アイツらへの当てつけで、オレもバラバラになったチンピラみたいに水に流されて死んでみようかな、なんて思ってた。――そんな時、ここで何もしないでただジッと水見てる、いかにも冴えない変な奴を見つけた」
 颯の瞳の中の自分と目が合う。不意を突かれたような感覚。幹央はどんな反応をしたらいいのかわからなくて、意味も無く自分の頭や首を掻いた。
 慌てる幹央を見て気を良くしたのだろう。颯はにんまりと片方だけ口角を上げた。
「その変な奴にな、オレ、声かけたんだ。みんな敵に見えてたのに、ソイツがあんまり変だから、興味が湧いたんだ」
「変、変、言いすぎだろ」
「別にまだ誰とは言ってないだろ?」
「いや、俺だろ。俺ずっとここにいたけど、そんな奴俺以外見た事ない」
 そうだっけと、颯はケラケラ笑った。
「そんでソイツな、思った以上におどおどしてたんだ。見てるだけで揶揄いたくなる。そこでオレは思いついた。そうだ、目撃者になってもらおうって」
「流石に勝手すぎないか、それは?」
「コイツには何の関係もないことは重々承知。けど、オレだけ辛いのも何か癪じゃん? いい感じにトラウマにでもなってもらって、今後の人生でオレを思い出して、苦しんでくれたらなって」
「最悪すぎる……」
「いやあ、照れるな」
 照れんなよと、幹央は颯の頭を小突いてみたが、相変わらず風を切るだけだった。
「……でも、ほんと、そん時は何もかもどうでもよかった。でも、久々に自分から人と話してみたら、自分はこんなにも苦しいんだってこと誰かに知ってほしいなって、自分でもよくわからない欲が湧いた。しかも、そう思わせたソイツは、気が弱そうでずっとオレのこと覚えててくれそうな、おあつらえ向きな奴。だから、しょうがない。不可抗力ってやつだ」
「ひっでえ責任転嫁」
「でも、ソイツ、期待外れのことしてきた。すげえキョドりながら、でも死に物狂いでオレのこと止めてきたんだ」
 今目の前にある水も、あの時のように激しく水しぶきを上げながら流れている。こんなスゴいものの中に飛び込むなんてとんでもない。渾身の力で颯の腕を掴んだあの時の幹央は、颯の言う通り、まさしく死に物狂いだった。
「なに止めてんだよって、ガッカリした。でも、同時にコイツのこと気になるな。コイツとならもうちょっと遊んでやってもいいかなって思った」
 幹央からすれば、出会ったその時から颯はすでに自分とは違う、特別な存在だった。
 だから、あの日あんなに眩く見えていた颯が、死にたがりで、周りを巻き込もうとする最低な奴で、死ぬのをやめるくらいに自分に興味を持ってくれていたとは……。
「なんか、驚いた。お前、あの時そんな感じだったんだ」
「まだソイツがオマエとは言ってねえぞ」
 颯はふんっ、と鼻を鳴らす。
 いつまでそれを引っ張るんだ。そこまで意固地になられると、こっちが照れ臭くなるからやめてほしい。幹央は全身がむず痒くなった。
「楽しかったよ。ソイツ、最初はオレにもビビッてたくせに、徐々に慣れてきたのか、オレの言う事にも偉そうに口聞いてくるようになった。オレがふっかけて、ソイツがそれを嫌がりながらも返す。他の奴には言えないくらいのクソ程くだらないことも、オマエになら安心して投げつけられた。……それをオレは、オマエも楽しんでくれてるって勝手に思い込んでた……」
「思い込みなんかじゃ……」
「でも、オマエ、なんか段々よそよそしくなってたじゃん。気づいてないとでも思ってんのか」
 けして怒っているような口調ではない。それでも、幹央の胸は申し訳なさで張り裂けそうになる。
「遠慮がちっていうか……オレといて楽しくない? というかむしろ苦しいんか? みたいな態度とってくること多かったじゃん、オマエ」
「それはその……」
「そこはハッキリしろや。ちゃんと知りたいんだろ、オレのこと。なら、オマエももっとちゃんと自分のこと晒せよ」
 颯の瞳がグッと見開かれ、威圧するように幹央に向けられる。幹央はそれにたじろいだが、負けじと見つめ返した。
「そうだよ! ……だって、お前と俺は違う。お前は選ばれた側の人間、俺は選ばれない側の人間だからだよ。一緒にいると、自分がすごく惨めになってくる。だから……お前から離れたくなった。お前にとっても、その方が良いことだと思ったんだよ」
「オレとミキが違うなんて当たり前のことじゃん。勿論、オレはミキよりもすごい奴だし、ミキがオレより偉くなるなんて天地がひっくりかえってもあり得ない。でも、それは、オレとオマエとの間の話じゃん? 決定事項みたいなもんでさ。あっ、そうか。でもそういう前提自体が嫌になったってことか」
 いや、そういうことじゃない。幹央は、颯の言うはっきりとしたパワーバランスがある関係性が嫌いなわけでない。むしろ、それが好きで、心地がよかった。
「そりゃ、ずっと上からいじられるって、普通ストレスだもんな。ミキも、流石に鬱憤が溜まってたってわけか」
 颯の見当違いない言葉に、幹央の神経は逆立っていく。無意識のうちに踏み締めていた足元には、ぽっかりと穴が空いていた。
「お前、ほんっっと、わかってない。俺みたいなコミュ障で、卑屈で、そのくせ周りの目ばっか気になるグズは、どんなに話してて楽しいとか思っても『俺なんかと……』って、なるんだよ」
「卑屈すぎないか? そんなの、楽しかったら気にしねえって」
「気にするの! 俺みたいなこじらせた奴は!」
 幹央の迫力に気をされ、颯は目をまん丸くさせねいた。逆は数えきれない程あったが、言葉で幹央が颯を押し込むのは、出会ってからはじめてのことだった。
「……そんなでけえ声ださなくても、わかったわ」
「どうせわかんねえよ。お前みたいな、優れてる側の人間には一生わからん」
「いや、そんな突然キレられても……。まあ、オレはオマエのこと理解できないとしてもだ、普通にさ、『何で?』ってならん? これまで軽口叩き合ってた奴がなんも言わないでよそよそしくなったらさ」
 それは、至極真っ当な意見だと幹央は思った。そうなると、勢いは一気に下火に変わる。
「まあ、それは、本当にそうです……」
「だろ? てか、キレといてすぐへこむのやめてくんない。情緒どうなってんのオマエ」
 俺の情緒なんて、お前と会ってからずっとおかしい。
 そんなことを言いそうになったけれど、同性の友達にぶつけるにしてはくさい台詞じみている。幹央は慌ただしく言葉を飲み込んだ。
「何かまだ言いたそうな顔だな。でも、キリないし普通に飽きたから黙れ。オマエがオレのこと話せって言ったんだろ。そんで、あーどこまで話したっけ?」
「俺がよそよそしくなったってとこまでだ」
「あっそ。そんで、オマエがなんでそうなってるか理由はわからないけど、多分オレの方に非があるんだろうなとは思ってた。でも、理由なんて聞きたくないし、だからといってオマエに絡みに行くのはやめたくなかった」
「なんで?」
 そう聞くと、颯はわざとらしく大きなため息をついた。
「オマエさ、そんなんだから女にモテねえんだな。ちったあ察せよ、ノンデリ野郎」
 颯は呆れた顔でそう言った。幹央は実際にモテておらず、颯の意図を察することもできていないので、何も言い返すことができない。
「ははっ、黙ってやんの。いいか、これは本当にダサいから、一回しか言ってやらない。精々耳の穴かっぽじって聞いとけ」
 すると、涼しい風が耳たぶのあたりを撫でる。反射的に幹央は背筋を伸ばした。
「オレは何より、オマエとの関係を崩したくない。たとえ、オマエがどんなに不満を持ってたとしても、オレか離れるなんて許さない」
 先程までコロコロと表情を変えていた瞳が、急に冷たさを持ち、人外じみたあの瞳に変わる。
「オレは、オマエの、オレに逆らえないって弱さを利用して、オマエの気持ちを無視し続けた」
 自分の弱みを曝け出してるとは思えない程の圧が、幹央に重くのしかかる。
「あーあ、今自分で言ってて吐き気してくる。オレは、オマエの前では、極力弱みなんて見せちゃいけねえのに」
「そんなことないだろ」
「そうだよ。だってオマエ、オレがガキくさいこと言った時とか、情けないこととか言った時、露骨に嫌な顔するじゃん」
「ガチで? 昔から?」
「ガチだし昔からだぞ。自覚なかったん?」
 幽霊になってからの颯に対して、そういった苛立ちを覚えていた自覚はある。ただ幹央は、昔からもう、自分がそんな厄介な奴だったとは思いもしなかった。
「まじか、嘘……それ俺めっちゃキモくね? 友達に対して、理想を押し付けてるってことだろ」
「オマエがキモいのは生まれつきだろ。それを言うなら、オマエの期待に応えようとして、あまつさせそれを利用してたオレも、キモい奴判定になるだろ。だからやめろ」
「そっちの方が重症ではないか?」と思いながらも、無意識を指摘され狼狽える幹央に比べると、腹をくくっているのか颯は極めて落ち着きを払っているように見える。
 その余裕が、癪に障る。「なんだよ、さっきまでもったいぶってた癖に落ち着きやがって……」
「オマエに鏡みしてやりたいよ。そんな狼狽えてる奴いたら、誰でも落ち着くわ」
「うぅ……てか、そんな、お前みたいなのが気を遣うなんて価値ないだろ、俺に」
「そうだよ。オマエはダサいし、キモいし、グズだ。でも、そんなオマエと話してる時が一番楽しいし、安心できるんだから、しょうがないだろ。そんな深い理由とか求めんな」
 途方もないくすぐったさから逃れるために、幹央は流れる水に救いを求める。しかし、水面に映る自分は気持ちの悪い笑みを隠しきていなくて逆効果だった。
「ほら、起きろグズ。まあ、オレとしてはここで終わりでいいけど、どうせオマエはこの後のこと知りたいんだろ?」
 結局、主導権は颯に握られる。幹央は無意識に颯の支配を求め、颯もそれに応えようとしている。
 最悪な答え合わせをされてしまった今、幹央は恥ずかしさを感じつつも、もう自棄だとばかりにしっかりと頷いた。
「ふふ。でも、なあ……ほんとにこれといってないんだよな」
「ないって……自ら死を選んでるんだぞ、何もないわけないだろ」
「オマエといるのが一番楽しい。でもオマエが離れていった。でも、それはオマエのことを知ろうとしなかったオレの落ち度。そんで久々に一人になる。一人になると、他人の声が妙にデカく感じる。面白ければいいものの、下らないことばかりで何の面白味もない。でもオマエといた時の癖でとりあえず毅然と振舞った。そしたら声はもっと大きくなった。うるさい。楽しくない。で、たしか便器に顔突っ込まれた時だったかな。毅然として振舞う理由、別に無いなってふと思った。オマエいないし。そう思ったら、帰りに川に向かってた。それで流されて、死んで、こうなってた。死んだのに一人が終わらない。でも、この身体ならどこへでもいける。だから、オレはまた、オマエに会いに来た。以上」
 颯の祖母は守り切れなかった自分のせいだと言っていた。木下は自分が噂を流したのが元凶だと怯えていた。でも、この話ぶりでは、確実に――――
「それ……めっちゃ俺のせいじゃん」
「違う。オレがダサかったせいだ」 颯はそう言うが、幹央はけして賛同することができない。
 颯の死の原因は自分である。
 予想はしていた。自分の罪は十二分に自覚していると思っていた。それでも、本人の口から直に語られることで確約された罪の意識は、予想をはるかに超えた苦痛であった。自分の罪とその重さが、より具体的な姿で幹央の前に現れる。そして、身体の全てを覆いつくし、幹央の全てを容赦なく蝕んでいく。
 どうしよう。どうすれば責任をとれる? 答えなんてあるはずもないのに、身体を突き破る勢いで心臓が脈打つ。
 目を伏せた先の用水路は、いつの間にやら水の量が増えていた。ふいに、晒されたうなじに一滴の冷たいものがあたる。幹央はのろのろと顔を上げる。暗い空にねずみ色が混じり、斑模様を描いている。
「雨だ」 そう言う前に、無数の雫達はすでに空から解き放たれ、地上に降りたっていた。

 雨も、そして用水路の中の水も、激しさを増している。
 幹央のTシャツもすっかり濡れ、元の色がわからなくっている。
 雷の気配もあるなかで、二人はいまだ黙って横並びでいた。
 話し合ったのはいい。お互いの間に齟齬があったのことも今更ながら知ることができた。
 洗いざらい話せば、何かが進展すると思っていた。でも、結果は【無言】という体たらく。
 この結果を招いたの自分であるという自覚が、幹央にはあった。過去の自分が犯した罪の大きさにショックを受けた。そして、それを知った上で、自分が颯に対して何をするべきなのか……思考は幼い迷子同然である。
 彼が、自分に想像以上の執着を抱いているのは理解できた。だが、今、自分は彼になにをすればいい。
 自分も颯との関係が好きだ。演じ、演じさせていた一面を自覚し共有した上でも、きっとお互いこの作り上げてきた関係に固執し続けるだろうという確証がある。
 そう考えていると、釘をさすように近藤の忠告が思い起こされる。
 そして追い打ちのように、現在の自分の立場を案じてしまう。颯と会わない間に、自分にも新たな世界が広がった。そしてきっと、これからも広がり続ける。「それらを投げ捨て、不可思議な存在である颯に寄り添い続ける勇気が、自分にあるのか?」 何度も自問するが、今の幹央は「ある」と断言することが一度だってできなかった。
 でも、なら、どうすればいい。自分のせいで死に、死にきれずさまよっている、唯一無二な存在と、どう向き合えばいい?
 
 話す前よりも、幹央の悩みは一層深刻さを増している。幹央は様子をうかがうように、ちらりと、横を見た。
 激しい雨のせいで、透明な身体はもう目視できるギリギリのラインにいた。よく目を凝らす。どうやら、彼は口を動かしている。
 水の音で、その声はよく聞こえない。幹央は口元に触れるギリギリまで、耳を近づけた。
「――む……たな」
「なに? 悪いけど、もっとはっきり……」
「ら……ぃわ」
「いいわ? なにが『いい』んだ?」
「……もういいって言った」
「えっ」
 もだついていた焦燥が、瞬時に頭の天辺まで駆け抜ける。待って。まだ、俺の答えが出せてない。
「色々迷惑かけてすまんかったな」
 さようなら。
 雨音の中でもそれだけははっきりと聞こえた。そして、雨のカーテン間から微かに、瞳が見えた。
 見慣れた瞳。だが、そこにあるはずの光がない。いついかなる時だって、消えることはなかったあの絶対的な輝きがない。
 幹央は微塵も迷うことなく、颯を抱き寄せようとした。しかし、そこにはおぼろげな輪郭すら残っていない。腕は無様に宙を切るだけだった。
 声を上げて幹央は泣いた。しかし無情にも、その悲痛な叫びは水の音にかき消されていく。
 ついに溢れだした用水路の水は、冷やかすように幹央の膝を撫でた。