「ミキはさ、進路ってどうするつもり?」
立春とはいうものの、春の兆しは一向に見えない帰り道。颯は突然、部活で強制的に買わされたウィンドブレーカーの袖を揺らしながら尋ねてきた。
「唐突だな」
「野菜でトーナメント戦したらどれが最強かなんてくだらない話、いつ切っても問題ないだろ」
それもそうであると。ただ、進路なんて話をするくらいなら、自然薯VSパセリの戦いについてもっと詳しく議論したいと幹央は思った。
「で、どうするの? そろそろ考えろって、みんなうるさいじゃん」
颯はその場にあった小石を蹴飛ばす。小石は勢いよく飛び、干からびたネギだけが残った畑に転がっていった。
「そうだなあ、別にこれといって思いついてないっていうか……」
うまく言えているだろうか。恐る恐る横を見ると、にんまりと広角を上げる颯と目が合った。
「だよな。いきなり将来のこと考えろたって、無理な話だよ。今で手一杯だっつーの」
颯はまた別の小石を蹴飛ばした。先程よりも飛距離は伸び、畑を越えて街灯のない暗闇へと消えていく。
颯は満足そうに小石の行方を見届けると、青白い月に向かってバッと駆け出した。ただ、少し行ったところで、すぐに立ち止まり、幹央の方に振り返る。
「オレさ、前の練習会で『ウチでやってみないかって』っ、てどっかの高校の偉そうな大人から言われたんだよ」
特段驚くべきことではない。ただ、予想していたよりもずっと、その事実は幹央を傷つけた。
「そこにいた他校の奴らも、『いいじゃん』って自分のことでもないのに勧めてくるんだよ。でも、オレ、別に剣道好きじゃないじゃん? だからって、必死こいて頭いい学校に行きてえわけじゃないし、資格習得、就職に有利なとことか言われてもピンとこない。もういっそ働くか? とか、考えだしたらよくわからなくなってきた」
「何を贅沢なことを言っているんだ」 そう言ってやりたい気持ちをグッと堪えて、幹央は不格好な笑みを浮かべる。
「わかるよ。ほんとわかんねえよな」
この言葉は嘘ではない。ただ、颯と自分とでは選べるカードの枚数がまるで違うし、少ないなかから何かを選んだからとて、そのどれもに途方もない不安が伴うと、幹央は思っていた。
「あーあ、ずっとこのままがいいな。剣道はなくていいけど。中2のまま何も考えず、飯食って、学校行って、ミキと喋って、寝る。それだけがいい」
月明かりに照らされた颯の顔は、いつかの挿絵で見た、大切な存在を想い、嘆く狼王によく似ていた。
「……そうだな。そうかもな」
曖昧な返事をすると、颯は顔をくしゃくしゃにさせる。
「おい、そこは否定しろよ。男同士で『ずっと一緒がいいね』なんて、気持ち悪いだろ」
そう言い放つ颯の側には、用水路がある。今朝見た時はわずかに雪が残っていたが、今ではすっかり溶け、もぬけのからになっている。
この場面は終わり、すぐに次の場面へ切り替わる。夢の中だが、それははっきりわかった。
見たくない。拒否反応が出る。ただ、拒否すればするほど、何故自分が続きを見たがらないのかが、映像を見ずとも理解できてきてしまう。
嫌だ、嫌だ――――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「起きろ」
相も変わらず馬乗りである。幹央は文句を言う気力もなく、ただ黙って身体を起こした。
芳しくない反応だったのか、颯も黙って宙に浮かび、そのまま幹央の頭に蹴りを入れた。勿論、痛みはない。ないからこそ、気はさらに重くなった。
「今日は一段としけた顔してんな。ちゃんとしろ、ちゃんと」
「……」
うまく言葉が浮かばない。これは、寝起きで頭が回らないからではない。近藤からの忠告を受けたあの日から幹央は、颯にどう接すればいいのかわからなくなってしまった。
寺の息子であり、霊感があると言う近藤曰く、自分は死んだ霊が憑りついているらしい。近藤の言う死んだ霊というのは――――ほぼ間違いなく颯であろう。
幹央にはわからない。颯はほんとうに自分のことを生き霊だと、つまり死んでいることに気がついていないのか。それとも、死んだことに気づいた上で嘘をついているのか。もしそうであるとしたら、なぜ幹央の側にいるのか……。考えれば考えるほど、思考の糸は絡まり合い、大きいだけの無価値な塊が出来上がっていく。
熱のこもった一室に、舌打ちが響く。颯も颯で、幹央の煮え切らない態度が鼻につくのか、不機嫌をひけらかすような素振りが増えている。
会話が続かない。会話をしなければ、どうすることもできないというのに。
居心地が良いとはけして言えない微妙な空気が、薄汚いワンルームを支配していた。
突然、スマホから鈍い音が鳴る。画面を見ると、山原からのメッセージが表示されていた。
『おい、生きてるか? 全然連絡返ってこないけど』
『わかってると思うけど、明日合宿だからな。忘れんなよ』
文言を見て思い出す。そうだ、明日ではないか。行くと決心した時は、緊張しながらも特別な夏のひと時を楽しみにしていたというのに、颯との再会してからというもの、頭の片隅への追いやられてしまっていた。
幹央は困った。当初の希望も消えてはいない。二泊三日、海の宿での仲間との交流。想像しただけでも心が躍る。
でも、この家から、颯から離れるのはだめだ。なぜだめなのかはうまく説明できない。ただ、直感がけたたましく警鐘を鳴らして、止まなかった。
どうしたものかと幹央が考えあぐねていると、顔とスマホの間からぼやけた輪郭が割ってはいってくる。
「わっ」
半透明な髪は逆さになり、富士型の額が露わになっている。なかなかアグレッシブで奇怪な恰好だが、表情は不思議な程に落ち着きを払っていた。
「なに……?」
「別に。なんとなくやってみただけだ」
そう言って、颯は顎を引く。大きな瞳には、うっすらとスマホの画面が映し出されている。
「馬鹿お前、見んなよ」
「合宿ねえ。何? オマエ、剣道続けてたりしてるんの? 道着とか洗ってんの見たことないけど」
「剣道は中学で辞めている。今は、映像研」
「映像研? カメラで動画とか撮んの?」
「いや、一からアニメ作ってる、っていうか……」
「ふーん……」
そう呟くと、逆さの瞳は行ったり来たりを繰り返す。何を言い出すのか。幹央は固唾を飲んで瞳の動向を見守った。
しばらくして、瞳は幹央一点を捉える。
「アニメ作るのに、合宿がいるの? 走り込みとか必要ないじゃん」
「たしかに必要ないけど……学祭の準備とかコンクールに出す作品つくるとか、色々やることはあるんだよ」
「嘘だ。みんなで遊ぶのが目的だろ?」
ジッと見つめられる。蛇に睨まれたような、身体の自由が失われいくような錯覚に陥った。
「まあ、例年はそんな感じらしいな。でも俺としては真面目に――――」
「ふーん……」
またこれだ。どんなに理不尽な罵倒でもいいから、なにか言ってほしい。幹央の胸は締め付けられたように痛んだ。
「で、行くの?」
「えっ?」
「合宿」
颯は瞳に幹央だけを映したまま尋ねる。幹央は負けじと見つめ返す。しかし、虚空を見つめる猫のような表情から、颯が求めている返答を読み取ることはできなかった。
「えっと……」
「どっちか答えるだけだろ。行くか、行かないのか」
言われなくてもわかっている。わかっているが、悩んでいるから声がでないのだ。
言い淀む幹央に痺れを切らしたのか、颯は幹央の鼻をつまむ。つままれたあたりがこそばゆくて、思わずくしゃみをすると、颯はからかうように身を翻した。
「汚ねえな。唾かかったわ。人の顔の前で咳するとかありえないだろ」
小生意気な笑顔。毎日一緒にいるのに、はっきりと視界に捉えたのは久しぶりだった。
「逆さになって、突然鼻つまんでくる奴の方がありえねえだろ」
その笑顔と楽し気な憎まれ口を見たら、重かった口が反射的に動きだした。
それを聞いた颯は、仰々しく腕を組み、丸めていた背中をピンと伸ばした。
「ミキ。オマエ、行ってこい。これはオレからの命令だ」
「は?」
理解が追いつかない。
「命令って、お前が決めることでもないし」
「ミキはオレの言う事聞いてりゃいいんだよ。オマエ、ただでさえ影薄くて、コミュ障なんだ。こういう時にでも会っておかないと、学校始まった時忘れさられてボッチになるぞ」
颯の言葉は強い。発せられる言葉こそが、絶対であるかのように思えてくる。
「……わかった。行くよ。てか、もう金払ってるし。全然行くつもりだったし」
「どうだか。めっちゃ深刻そうな顔してたぞ」
なじみ深いテンポの小競り合いは、やはり心地が良い。相変わらず暑苦しい部屋だが、たちこめていた微妙な空気は、すこしばかり和らいだように感じられた。
「んじゃあ、身体探すついでに買い出しにでもいくか」
「買い出し?」
「合宿に必要なやつだよ。それにオマエ、ろくな服持てないだろ」
「日用品とかならまだしも服いるか?」
「いるだろ。学食にいたおとなしそうな子もくるんだろ?」
颯はきっと、浅賀のことを言っている。
「えっ、お前、俺が合宿行くとかサークルのこととか知ってたの?」
「いや、知らんよ。でも、学食いった時、何人かと話してるとこは見えた。サークルとかにでも入ってない限り、お前にあんな話しかけてくる奴いないだろ、まして女なんて。なあ?」
カチンとはくるものの、意気揚々とした話しぶりからして、近藤との会話の内容はバレていなそうなことへの安堵が上回った。
「なあ、狙ってんだろ? いいじゃん、地味目だけどそこそこかわいかった気いする」
「やめろ。失礼だろ」
「ここに居ねえんだからいいだろ。とにかく合宿がチャンスだ。どうせオマエのことだからいつもの会話とかはボロボロなんだろ? ここで良いとこ見して、目指せ初彼女ゲットだ」
「だから、俺は別に好きとかじゃなくて……」
「はいはい、そういうのいいから。ほら、顔洗ってこい。ささっと行くぞ」
急かせされるまま、幹央は洗面台に向かう。蛇口を捻ろうとしたところで、ふと疑問が浮かんだ。蛇口に手を置いたまま、壁から顔を覗かせる。
「なあ、颯」
「なんだよ。さっさとしろ」
「あのさ、お前、合宿着いてくんの?」
颯は、幹央に背中を向けていた。問いかけても、向き直ることはなかった。
「なんでオレがオマエの合宿についていかなきゃならんないんだよ」
顔が見えていたからとて、わかるわけではないのだろうけれど。やけに平坦なその声から、感情を読み取ることが幹央にはできなかった。
「あっ、千田。お前遅いよ――って、なんかすごい恰好だな……」
山原はしどろもどろに幹央の全身を見る。馬鹿みたいに鮮やかな赤に南国の植物が描かれたアロハシャツに、暑苦しいレザーパンツ。おまけに首元にはゴールドのチェーンネックレス、頭にはダークブラウンのサングラスが鎮座している。
「いつもと雰囲気違うね……」
「千田君、意外とガタイ良いからそういうのも似合うね」
ただただ驚く山原、明らかに言葉を選んでいる浅賀、妙に感心している近藤。反応は三者三様である。当の本人は、颯とともにほば丸一日かけて考え抜いたコーディネートを身を包み、どこか誇らしげであった。
くじ引きで決まったメンバーで車に乗り込み、2時間ほどのドライブ。宿泊先は、いかにも学生向けの簡素な宿だった。外装は随分年季が入っているが、設備は意外にちゃんとしており、なによりもどの窓からの景色も海が広がっている。規模と場所は違えど、水には親しみがある幹央にとっては、非常に心躍る空間であった。
着いて早々、部員は大部屋に集められた。3年生から簡単な合宿の説明を受けると、合宿という建前もあるのでそれぞれの作業の移る。ある人はサークルとして参加する夏コミの配布物の最終確認を行い、ある人は学生向けのコンクールに向けて制作中のショートアニメの原画を描いている。幹央ら2年生たちはというと、部長である3年生の矢崎に召集された。
「4年生はほぼOBみたいな扱いだし、3年生もぼちぼち就活が始まる。ということで、これからは2年生に色々任せるようになるから。ひとまず、11月にある学祭の出し物とか運営は、君たち主導でよろしく」
「勿論サポートはするから。なんかあったら何でも聞いてくれよ」と昨年の企画書を置き、矢崎は一年生たちのグループへ話しかけに行ってしまった。
学生主導の内輪向けのショートアニメとはいえ、一つのアニメーション作品を作るとなると、やることは膨大だ。たかが数秒のアニメーションであっても、動きとして見せるのであれば何枚もの絵が必要になる。それに、オリジナル作品であれば、一から企画・脚本・設定を考えなくてはいけないし、撮影や動画編集といった作業も多岐にわたる。そしてそれらを期限内に完成できるよう、進行や役割分担を組むことも必要不可欠である。
どんな作品を作りたいのか、どういった配分で作業をすれば間に合うのか、そもそも自分達の技術で実現可能なのか。
普段は和やかな4人だが、いざ一つの目標を前提に話してみれば、好きなものや創作へのスタンスというものは案外違う方向を向いていることがわかった。だからこそ、4人とも言葉に熱が入った。
「おーい、2年。盛り上がるのはいいけど、もう昼だぞー」
話しているうちに、時刻はすでに昼時であった。
宿からすこし歩くと、観光客向けの市場や商店街が現れる。歩いてはじめのうちは、議論の余韻が残っていた4人であったが、他の部員たちの浮かれた雰囲気や観光地の特有の空気にあてられ、「ここは一旦休戦だ」と楽しむ方へと舵を切り出す。
普段の食事なら絶対に選ばない観光地価格の食べ物を食し、わけのわからないお土産を物色する。幹央は、思い切ってみなと同じように羽目を外す。すると、普段はあまり絡みのない先輩や後輩とも、肩の力を抜いて話すことができた。これは、幹央自身も意外なことであり、小さくもたしかな自己肯定に繋がった。
『合宿なんて名目だけど、結局遊んでばっかでね』
学食での浅賀の発言通りであった。合宿らしい事は午前中くらいで、昼は観光、夜はバーベキューに酒盛りと、大学生らしい馬鹿馬鹿しくて、でもそれが楽しくてしょうがない一日が終わろうとしていた。
酒を飲みなれていない幹央は、缶チューハイを2本飲んだところで頭に薄いもやがかかったような感覚を覚え、酒盛り会場になっていた大部屋をそっと抜け出した。
踏みしめる度にギイギイと嫌な音が鳴る床を通り、ぼんやりとした足取りのままトイレに入る。明かりはついていないが窓が開いており、静かな月明かりが差し込んでいた。
蛇口を捻り、火照った顔を濡らす。生ぬるい温度だった。ただ乾いた喉は、それでも構わないと水分を求め、喉仏を何度か上下させた。
すこしばかり、正常な意識が帰ってくる。顔を上げると、ずぶ濡れの自分と目が合う。赤らんみカサついた皮膚に、こけた頬、朝方より濃さを増したヒゲの跡。普段じっくりと自分の顔を見ることなんてない。まだ若者といって差し支えはないのだろうが、中学生の頃なんかに比べれば随分おじさんになった、仏壇にある父に似てきたなと、他人事のように思う。
ふと、颯の姿が浮かんだ。まずは透明の姿。鏡の中にいる自分と比べれば、少年と青年の狭間といった見た目をしていた。次に浮かんだのはあの日の姿。そう、中学校の卒業式。明確に人間であった颯を見た、最後の日である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
式が終わり、校舎の前では浮ついた同級生とその親たちとで溢れかえっていた。
「おう」
一言二言クラスメイトと当たり障りのない会話をしながら、母を探す。すると、強く肩を掴まれた。
嫌な予感がした。それでいて、期待もしていた。振り返える。予感は的中だった。そこには、早々に胸ポケットから花を外した颯がいた。
「ああ、えっと……」
「なんだよ、その反応。気持ちわりいなあ」
変わらない反応が、何より心をえぐる。雑踏の中に置かれているというのに、幹央には颯の言葉しか聞こえない。
「……」
「そんで黙るんかい。……もう、いいわ。急に悪かったな」
颯は大きく息を吐き、人混みの流れに小さな身体を委ねていく。
段々と見えなくなっていくその姿に、言い様のない恐怖を感じた。その瞬間、幹央は人混みをかき分け、咄嗟に颯の袖を掴んだ。
掴まれた袖は一度制止するが、すぐに絶え間なく動く人の波に囚われそうになる。それでも、幹央は必死になって袖を掴みつづけた。
波の終着点。校門の前はまだ疎らであり、大分開けていた。
「いつまで掴んでだよ」
「ああ……ごめん」
颯の言葉には逆らえない。離すと、颯は真っすぐ歩き出す。
このままでは、なにも意味がない。でも、なんの意味がある?
「颯!」
颯は立ち止まる。勿論、何もまとまっていない。でも、何か伝えなくてはならないという衝動に支配されている。
「あの、えっと……」
「……」
「卒業、おめでとう……ございます」
けしてこんなことを言いたいわけではない。焦ってなんとか次の言葉を探そうとした時、大きな笑い声が響いた。
「ハハハッ、なに? オマエ、そんなの言うためにここまで来たの? ハッ、ヒィ……変な奴」
あまりに豪快なその笑い声は、人々の視線を集めるので、急に恥ずかしなってくる。
「そんな笑うなよ」
「ヒッ、ひい。ああ、ごめんごめん」
颯が素直に謝るなんて、はじめて聞いた。違和感に頭が追いつかない。胸が無性にざわつく。
「オマエも、卒業おめでとう」
颯は振り返る。笑っているようにも、泣きそうなようにも見えた。そして、それは自分が作ったものだと、幹央は直感的に悟った。罪悪感が重くのしかかる。
「またな」
そう言うと、颯は持ち前の運動神経で、風のように学び舎を後にする。
引き止めることも、追いつくこともできない幹央は、ただただ桜吹雪の中を掛ける小さな背中を見つめることしできなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
もう二度と思い出すまいと蓋をしていた記憶。それなのに、こんなにもあっさり開いてしまうのだから、酒というものは恐ろしい。
一瞬の回想であったのに、鏡に映る顔は先程よりもずっと老けて見えた。
こんな顔で戻っては、楽しい酒盛りに余計な水を差す。どうしたものかと、あたりを見渡すと、月明かりを浴びた穏やかな海が視界に入る。
幹央の足は、神様にでも導かれるように、海へ向かった。
太陽が昇っていた時刻よりも、潮の匂いが芳醇である。肌にあたる空気はぬるくて湿気っぽいが、今の幹央には冷房の人工的な冷気よりも心地よく感じられた。
足は軽いが、時折もつれる。こんな状態で急いでは危険だと冷静な自分が意見するが、足は速く速くと駄々をこねる子供のように速度を上げていく。
高低差のある舗道から伸びる階段を下ると、海は幹央を歓迎するように揺れ、壮大でいて優美な音を鳴らした。
それに応えるように、幹央は走って海に近寄る。途中でサンダルは脱げたが、そんなことは気にしていられない。むしろ、裸足のまま海に触れると、直に水の温度や感触を感じられる。
水と触れ合う度に、颯に出会う前の頃、無心で用水路の流れ水を見ていたことを思い出す。郷愁というやつなのだろうか。具体的な喜びというのはないのに、妙に心が満たされていく。
規則もなしに無心で足を動かしていると、何やら人の声が聞こえてきた。幹央は自分も観光客である癖に、自分を棚に上げて観光地だからとはしゃぐ人々に苛立ちを感じた。
少しすれば通り過ぎるだろうという予想に反して、何人かの声は近づいてくる。
「――――ぃ、ぉーい」
聞き覚えのある声色に、思わず振り返る。そこには階段を下ってくる、いつもの3人の姿があった。
先頭に立つ山原の右手にはビールのロング缶、左手には重そうなビニール袋を持っている。それにすこし離れてついてきている浅賀と近藤も、片手にアルコールの缶を持ち、どこか浮ついた様子であった。
「どうしたの?」
「どうしたのってそりゃあ、気づいたらいなくなってから心配で探したんだよ。そんで、たまたま外見たら、歩いてく姿見えてな。折角だからコイツら誘って、連れ戻しに来ようと思ったってわけ」
山原はいつもより甘い滑舌でそう言いながら、ビニールからレモンサワーを取り出し、おどけるたように幹央のハーフパンツのポケットにねじ込んだ。
反射的に受け取ってしまう。身体はこれ以上のアルコール摂取を拒否していたが、3人のご陽気な顔を見ていると、戻すのも躊躇われた。
「暑いけど、日差しが無い分昼間よりはマシだね。風もちょっとは涼しいし」
浅賀はそう言うと、思い切りよく喉を逸らし、酒を飲み干す。そして、その勢いのまま片手で缶を潰した。見た目だけでみればおしとやかそうに見える浅賀の豪快な姿は、新鮮に映った。
「良い飲みっぷりだなあ。この中で一番男らしいんじゃないか?」
「男らしいとか女らしいとか、考え方のアップデートが足りてないんじゃない?」
浅賀はするりとビニール袋に手を入れ、鮮やかにロング缶のハイボールを抜き取った。そして、流れるようにプルタブを開け長く一口を楽しむと、これまた豪快に息を吐いた。
はしゃぐ二人を見て微笑みを浮かべていた近藤が、ゆったりと身をかがめ、幹央のサンダルを手に取った。
「なんだ、千田。サンダル脱げてんじゃん」
「入りたかったんでしょ。昼間は結局食べて飲んでばっかで、ちゃんと海で遊んでなかったしね」
話す二人に対して、近藤は静かに幹央にサンダルを差し出す。
幹央は波の音に尾を引かれながらも、3人のいる浜辺へ光を求める羽虫のように吸い寄せられていった。
「結局さ、どんな作品がいいのかな?」
浅賀はすでにハイボールを飲み干しており、次のプルタブに手をかけながら呟いた。
「戻る前に少し4人で語り合おうぜ」という山原の提案で、海からすこし離れた浜辺で、4人は横並びになって座っている。
「やっぱり、学生同士の青春だろ。若者は共感する、年食った奴らは懐かしさやら若さへの羨望やらで、枯れた心が潤う。つまり、間違いがないってこと」
「安直すぎな~い? 誰もが若者の青春物語が好きだとは思わないでよ」
「青春っていってもあれよ? 勝利のために一致団結、そのためにはひたすら努力とか、キラキラ・リア充・楽しいとかじゃなくてだね。未熟で多感な若者同士の、その時だけの痛々しいきらめきこそが、青春の真の核! というかそういう群像劇が~~俺は見たい!」
「ふふっ、いかにも山原の好みって感じだね」
「その貴重な一瞬一瞬を、キャラクターの動作や、細やかなモチーフの提示から繊細に表現したく……」
「アンタの好きな監督の十八番言ってるだけじゃん」
幹央は缶を片手に大きく身振り手振りでプレゼンする山原を見つめ、炭酸の抜けたレモンサワーをゆっくりと飲み込む。
青春か。学生時代を回想したところで、現れるのはほとんど颯との記憶のみ。直近の高校時代なんて、学校と家の往復でしかなく、これといった思い出がない。
颯との記憶は、何かを成し遂げるための努力もなければ、田舎者の男同士、キラキラしているわけでもない。どちらかといえば、未熟で多感、そして何より『その時限り』という、山原の言葉が適している。そう、きっと、そのはずなのだ。
「青春って大人になったら、そこで終わりなのか?」
朦朧とした頭では、言葉の取捨選択というものが難しい。浅賀が「ストーリーは二の次だ。映像やシーンとして面白さこそが正義」とプレゼンしているところで、つい口が滑ってしまった。
「あっ、ごめん。何か変なこと言って」
「いやいや、全然大丈夫だよ。それにしても――」
「なんか、面白そうな議題じゃん」
自分から話題を出すことがない幹央が、珍しく自分から何かを、しかも意味ありげな質問を問いかけてきた。それが珍しいのか、山原と浅賀は盛り上げりだした議論を止めて、前のめりになって幹央の話に耳を傾けてきた。
「千田くんはさ、なんで突然そんなこと思ったの?」
「あっ、えっと……青春が、学生とか思春期のものっていうのは、わかるんだけど……青春の中で仲良くなった人とか、いるじゃないですか……その人とはその、どうなっていくんだろうと思って……」
「つまり、青春は持続するのか、みたいな話かな?」
そう尋ねる近藤は、顔は涼しいままだが、珍しくTシャツ姿である。いつもは大人びて見えるが、ラフな格好をした近藤は、年相応の普通の大学生に見えた。
「持続ねえ……でもやっぱり大学でできた友達と学生時代の友達とかってやっぱり、なんか違う感じあるよね」
「そう? あんま変わんなくない? 友達は友達だろ」
「なんていうか……大学って同じ分野の人でも、学んでることも、やりたいことも、目指す方向も、人によって全然違うよね。あんまり違いすぎるから、いちいち羨ましがったり、イライラすることもあんまりないわけで……『あーそんなことやってんだ。がんばれ』、くらいのスタンス。これくらいの方が居心地いいなって感じることも多いけど、学生時代の友人関係と勝手が違いすぎてほんとに友達なのかな? って、私たまーに思うことなるな」
「えっ、じゃあ浅賀は俺らのことは別に友達と思ってないってこと?」
「あっ、ごめん、言い方ミスってたかも。友達だと思ってます。これもなんか上からかも、ごめん。――でも、私、学生時代は男子の友達とか皆無だったし、アニメの話なんかも長い付き合いで気ごころの知れた子にしか話してなかったんだよね……友達のハードルが下がったってことなのかな?」
「逆に、学生時代は友達に求める条件みたいなのは高かったってことかな?」
「うーん……具体的にこう!っているのはないし、そういうのは烏滸がましいよね。けど、やっぱり学校ってクラスとか部活とか、まとまりがあったのが大きいのかな? 集団の中で一人でいるのは心細い。だから、味方をしてくれる、信頼できる存在が欲しい――――。待って。言葉にすると、あの頃の私、すっごく打算的な人じゃない? さっきから失言しすぎてる……」
浅賀はそう言うと慌てた素振りをみせる。だが、そのまま弁明するかと思いきや、「とりあえずね」と酒を一気に煽った。その様子がツボだったのか、山原は深夜に似つかわしくない大きな笑い声をあげた。
一方、幹央は、浅賀の「打算的」という言葉が心の中で何度も反響していた。
中学時代は 颯の友達、というかお気に入りであるから、学校という社会でなんとか息をすることができていた。出会ったその瞬間も、一人でいる自分が嫌だから、颯についていった。もし、自分にすでに友人がいたら、熱中できる世界があったとしたら、自分は颯についていったのだろうか?
「でも、安心できる居場所をつくるって、当たり前のことじゃないかな」
近藤は宥めるように、諭すように、浅賀に言う。
「孤独は辛いことだよ。それに、味方がほしいっていう考えだけで、関係を築くものじゃないしね。浅賀も、誰でもいいってわけじゃないでしょ?」
「そりゃそうだよ。人類皆友達なんて、山原くんみたいな人しか無理じゃない?」
「浅賀の中の俺ってどんなイメージなん?」
「ふふ。山原みたいな底抜けに明るい奴でも、どんな善人であろうと、人が人である以上、相性ってものはあると思うよ」
「そうだぞ! 俺だって、ムカつく奴とはつるみたくない。それに、俺みたいなグイグイ来る無神経、嫌ってる奴だっていっぱいいるだろうしな」
そういえば、颯も山原のことをやけに貶していたっけ。幹央は食堂での出来事を思い出す。山原のような気のいいお調子者はどのクラスにもいたが、別段颯が苦手そうにしているところは見たことがない。むしろ、相性がいいくらいに見えていたが。
「まあ、友達は大事! 友達の感覚って変わるよねってことはひとまずオッケーとして……本題は、青春は持続するのかって話だよな」
「そうだそうだ。というか、青春の定義、友達だけでいいの? 恋愛とかもあると思うけど……」
「青春というものは無限の広がりと深みを持っているからなぁ……」
「そういうのいいから。千田くん的にはどう?」
「ああ、えっと…… むしろ、友達についてが一番知りたいというか……その方向で色々考えてくれるとありがたい、です……」
含みを持った言い方になってしまったと、言い終わってから気がついた。
いつもなら、気を遣ってとやかく詮索してくることは少ない友人たちだが、酒が回っているのか、おもちゃを見つけた子供のように目が輝きだす。
「なになに、学生時代の友達と何かあったの?」
「そういやあ、千田から学生時代の話ってあんまり聞いたことなかったな」
近藤は何も言わないが、ジッと見つめてくる。
自分から聞いておいて、なにも話さないと言うのもおかしな話である。幹央は大きく息を吸い、そして同じくない大きく息を吐いた。
「久々に、これまで連絡もとってなかった地元の奴と会ったんだ。それも、アッチから突然」
「でも連絡もなしにどうやって会ったんだい?」
「えっと、それは……なんか、同級生づてに住んでるとこ聞いて、らしい」
「えー、なにそれ。随分怪しいな。もしかして、マルチとかじゃないよな?」
「その、そういうのではない、っぽくて。ただ、昔みたいにくだらない話をするくらいで……」
「それもそれで不思議だね。まあ、害はないなら、良い……のかな? それで千田くんは、何が一番気になってるの?」
「……ソイツの目的がわからない」
「目的って、詐欺とかじゃねえなら、普通に久々に会って話したかっただけじゃねえの? やり方は怪しいけど」
ソイツが幽霊である、なんて言えないのでどうにも深刻さを伝えることができない。それに、幹央には、目を逸らし、心奥底へと封じ込めていた負い目があった。でも、再会してしまった。自分の所業が見事に思い起こされた。そして何が辛いって、負い目の原因が常に家にいて、あの頃のように笑いかけてくる。――――そんなの、耐えられるはずがない。
酒のせいか、心地よい波の音のせいか。一番は、信頼しうる新たな友達のせいだろう。幹央は塞ぎこもうという気持ちが緩んだ。
「……ソイツとは、小5の時に出会ったんだ。俺、ソイツのお陰で、ボッチから脱却できた。中学に入ってからも金魚のフンみたいにつけて回ってさ。そのおかげで、一人にならずにすんでた」
ひどく喉が渇く。後が大変になると頭ではわかっていたが、縋るようにポケットの中のレモンサワーを開け、飲み込んだ。
「ハー……。大分面倒臭いし、ムカつくことも言う奴だけど、何年もいたら慣れてた。何より、俺と違ってすごい奴なんだ。それなのに、スクールカーストとか、そんなの無視してずっと俺に話しかけてくた。なのに、なのに、俺は……」
これまで穏やかであったはずの波が、大きく揺れる。全てをかき消さんとでもいう壮大な音。たしかに、幹央の音は一度かき消された。きっとこの波は、親切な悪魔か意地の悪い神様のお慈悲だと思う。ただ、もう誤魔化すことはできない、目を逸らすことはできないと、幹央は自分でわかっていた。
「俺は、アイツを、見捨てた……自分は一人が嫌なくせに、アイツが一人になりそうな時、味方になってやれなかった」
吐き出した瞬間、すこし胸のうちが軽くなる。だが、その感覚も、また自分だけが助かろうとしている卑怯者のようにも思われて、嫌悪感が疼いた。
「えっと、その……ソイツも千田いるのが楽しいから一緒にいたんじゃねえの? てか、そんな見捨てるなんて、大げさに考えすぎてるだけじゃないのか?」
「違う。俺は、間違いなく、アイツを見捨てた」
「千田君、大丈夫? 無理しなくていいんだよ」
近藤は心配そうに顔を覗き込み、震えていた手からレモンサワーを取り上げようとする。
「大丈夫、ありがとう。……つまらないと思うけど、すこし聞いてもらっていいですか? ただただ俺が情けなくて、最低なだけの話なんだけど」
余程深刻な顔をしていたのだろう。3人は顔を見合わせ、呆れたような、心配するような顔で頷く。幹央は持っていたレモンサワーを置き、抱きしめるように膝を抱えた。
立春とはいうものの、春の兆しは一向に見えない帰り道。颯は突然、部活で強制的に買わされたウィンドブレーカーの袖を揺らしながら尋ねてきた。
「唐突だな」
「野菜でトーナメント戦したらどれが最強かなんてくだらない話、いつ切っても問題ないだろ」
それもそうであると。ただ、進路なんて話をするくらいなら、自然薯VSパセリの戦いについてもっと詳しく議論したいと幹央は思った。
「で、どうするの? そろそろ考えろって、みんなうるさいじゃん」
颯はその場にあった小石を蹴飛ばす。小石は勢いよく飛び、干からびたネギだけが残った畑に転がっていった。
「そうだなあ、別にこれといって思いついてないっていうか……」
うまく言えているだろうか。恐る恐る横を見ると、にんまりと広角を上げる颯と目が合った。
「だよな。いきなり将来のこと考えろたって、無理な話だよ。今で手一杯だっつーの」
颯はまた別の小石を蹴飛ばした。先程よりも飛距離は伸び、畑を越えて街灯のない暗闇へと消えていく。
颯は満足そうに小石の行方を見届けると、青白い月に向かってバッと駆け出した。ただ、少し行ったところで、すぐに立ち止まり、幹央の方に振り返る。
「オレさ、前の練習会で『ウチでやってみないかって』っ、てどっかの高校の偉そうな大人から言われたんだよ」
特段驚くべきことではない。ただ、予想していたよりもずっと、その事実は幹央を傷つけた。
「そこにいた他校の奴らも、『いいじゃん』って自分のことでもないのに勧めてくるんだよ。でも、オレ、別に剣道好きじゃないじゃん? だからって、必死こいて頭いい学校に行きてえわけじゃないし、資格習得、就職に有利なとことか言われてもピンとこない。もういっそ働くか? とか、考えだしたらよくわからなくなってきた」
「何を贅沢なことを言っているんだ」 そう言ってやりたい気持ちをグッと堪えて、幹央は不格好な笑みを浮かべる。
「わかるよ。ほんとわかんねえよな」
この言葉は嘘ではない。ただ、颯と自分とでは選べるカードの枚数がまるで違うし、少ないなかから何かを選んだからとて、そのどれもに途方もない不安が伴うと、幹央は思っていた。
「あーあ、ずっとこのままがいいな。剣道はなくていいけど。中2のまま何も考えず、飯食って、学校行って、ミキと喋って、寝る。それだけがいい」
月明かりに照らされた颯の顔は、いつかの挿絵で見た、大切な存在を想い、嘆く狼王によく似ていた。
「……そうだな。そうかもな」
曖昧な返事をすると、颯は顔をくしゃくしゃにさせる。
「おい、そこは否定しろよ。男同士で『ずっと一緒がいいね』なんて、気持ち悪いだろ」
そう言い放つ颯の側には、用水路がある。今朝見た時はわずかに雪が残っていたが、今ではすっかり溶け、もぬけのからになっている。
この場面は終わり、すぐに次の場面へ切り替わる。夢の中だが、それははっきりわかった。
見たくない。拒否反応が出る。ただ、拒否すればするほど、何故自分が続きを見たがらないのかが、映像を見ずとも理解できてきてしまう。
嫌だ、嫌だ――――。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「起きろ」
相も変わらず馬乗りである。幹央は文句を言う気力もなく、ただ黙って身体を起こした。
芳しくない反応だったのか、颯も黙って宙に浮かび、そのまま幹央の頭に蹴りを入れた。勿論、痛みはない。ないからこそ、気はさらに重くなった。
「今日は一段としけた顔してんな。ちゃんとしろ、ちゃんと」
「……」
うまく言葉が浮かばない。これは、寝起きで頭が回らないからではない。近藤からの忠告を受けたあの日から幹央は、颯にどう接すればいいのかわからなくなってしまった。
寺の息子であり、霊感があると言う近藤曰く、自分は死んだ霊が憑りついているらしい。近藤の言う死んだ霊というのは――――ほぼ間違いなく颯であろう。
幹央にはわからない。颯はほんとうに自分のことを生き霊だと、つまり死んでいることに気がついていないのか。それとも、死んだことに気づいた上で嘘をついているのか。もしそうであるとしたら、なぜ幹央の側にいるのか……。考えれば考えるほど、思考の糸は絡まり合い、大きいだけの無価値な塊が出来上がっていく。
熱のこもった一室に、舌打ちが響く。颯も颯で、幹央の煮え切らない態度が鼻につくのか、不機嫌をひけらかすような素振りが増えている。
会話が続かない。会話をしなければ、どうすることもできないというのに。
居心地が良いとはけして言えない微妙な空気が、薄汚いワンルームを支配していた。
突然、スマホから鈍い音が鳴る。画面を見ると、山原からのメッセージが表示されていた。
『おい、生きてるか? 全然連絡返ってこないけど』
『わかってると思うけど、明日合宿だからな。忘れんなよ』
文言を見て思い出す。そうだ、明日ではないか。行くと決心した時は、緊張しながらも特別な夏のひと時を楽しみにしていたというのに、颯との再会してからというもの、頭の片隅への追いやられてしまっていた。
幹央は困った。当初の希望も消えてはいない。二泊三日、海の宿での仲間との交流。想像しただけでも心が躍る。
でも、この家から、颯から離れるのはだめだ。なぜだめなのかはうまく説明できない。ただ、直感がけたたましく警鐘を鳴らして、止まなかった。
どうしたものかと幹央が考えあぐねていると、顔とスマホの間からぼやけた輪郭が割ってはいってくる。
「わっ」
半透明な髪は逆さになり、富士型の額が露わになっている。なかなかアグレッシブで奇怪な恰好だが、表情は不思議な程に落ち着きを払っていた。
「なに……?」
「別に。なんとなくやってみただけだ」
そう言って、颯は顎を引く。大きな瞳には、うっすらとスマホの画面が映し出されている。
「馬鹿お前、見んなよ」
「合宿ねえ。何? オマエ、剣道続けてたりしてるんの? 道着とか洗ってんの見たことないけど」
「剣道は中学で辞めている。今は、映像研」
「映像研? カメラで動画とか撮んの?」
「いや、一からアニメ作ってる、っていうか……」
「ふーん……」
そう呟くと、逆さの瞳は行ったり来たりを繰り返す。何を言い出すのか。幹央は固唾を飲んで瞳の動向を見守った。
しばらくして、瞳は幹央一点を捉える。
「アニメ作るのに、合宿がいるの? 走り込みとか必要ないじゃん」
「たしかに必要ないけど……学祭の準備とかコンクールに出す作品つくるとか、色々やることはあるんだよ」
「嘘だ。みんなで遊ぶのが目的だろ?」
ジッと見つめられる。蛇に睨まれたような、身体の自由が失われいくような錯覚に陥った。
「まあ、例年はそんな感じらしいな。でも俺としては真面目に――――」
「ふーん……」
またこれだ。どんなに理不尽な罵倒でもいいから、なにか言ってほしい。幹央の胸は締め付けられたように痛んだ。
「で、行くの?」
「えっ?」
「合宿」
颯は瞳に幹央だけを映したまま尋ねる。幹央は負けじと見つめ返す。しかし、虚空を見つめる猫のような表情から、颯が求めている返答を読み取ることはできなかった。
「えっと……」
「どっちか答えるだけだろ。行くか、行かないのか」
言われなくてもわかっている。わかっているが、悩んでいるから声がでないのだ。
言い淀む幹央に痺れを切らしたのか、颯は幹央の鼻をつまむ。つままれたあたりがこそばゆくて、思わずくしゃみをすると、颯はからかうように身を翻した。
「汚ねえな。唾かかったわ。人の顔の前で咳するとかありえないだろ」
小生意気な笑顔。毎日一緒にいるのに、はっきりと視界に捉えたのは久しぶりだった。
「逆さになって、突然鼻つまんでくる奴の方がありえねえだろ」
その笑顔と楽し気な憎まれ口を見たら、重かった口が反射的に動きだした。
それを聞いた颯は、仰々しく腕を組み、丸めていた背中をピンと伸ばした。
「ミキ。オマエ、行ってこい。これはオレからの命令だ」
「は?」
理解が追いつかない。
「命令って、お前が決めることでもないし」
「ミキはオレの言う事聞いてりゃいいんだよ。オマエ、ただでさえ影薄くて、コミュ障なんだ。こういう時にでも会っておかないと、学校始まった時忘れさられてボッチになるぞ」
颯の言葉は強い。発せられる言葉こそが、絶対であるかのように思えてくる。
「……わかった。行くよ。てか、もう金払ってるし。全然行くつもりだったし」
「どうだか。めっちゃ深刻そうな顔してたぞ」
なじみ深いテンポの小競り合いは、やはり心地が良い。相変わらず暑苦しい部屋だが、たちこめていた微妙な空気は、すこしばかり和らいだように感じられた。
「んじゃあ、身体探すついでに買い出しにでもいくか」
「買い出し?」
「合宿に必要なやつだよ。それにオマエ、ろくな服持てないだろ」
「日用品とかならまだしも服いるか?」
「いるだろ。学食にいたおとなしそうな子もくるんだろ?」
颯はきっと、浅賀のことを言っている。
「えっ、お前、俺が合宿行くとかサークルのこととか知ってたの?」
「いや、知らんよ。でも、学食いった時、何人かと話してるとこは見えた。サークルとかにでも入ってない限り、お前にあんな話しかけてくる奴いないだろ、まして女なんて。なあ?」
カチンとはくるものの、意気揚々とした話しぶりからして、近藤との会話の内容はバレていなそうなことへの安堵が上回った。
「なあ、狙ってんだろ? いいじゃん、地味目だけどそこそこかわいかった気いする」
「やめろ。失礼だろ」
「ここに居ねえんだからいいだろ。とにかく合宿がチャンスだ。どうせオマエのことだからいつもの会話とかはボロボロなんだろ? ここで良いとこ見して、目指せ初彼女ゲットだ」
「だから、俺は別に好きとかじゃなくて……」
「はいはい、そういうのいいから。ほら、顔洗ってこい。ささっと行くぞ」
急かせされるまま、幹央は洗面台に向かう。蛇口を捻ろうとしたところで、ふと疑問が浮かんだ。蛇口に手を置いたまま、壁から顔を覗かせる。
「なあ、颯」
「なんだよ。さっさとしろ」
「あのさ、お前、合宿着いてくんの?」
颯は、幹央に背中を向けていた。問いかけても、向き直ることはなかった。
「なんでオレがオマエの合宿についていかなきゃならんないんだよ」
顔が見えていたからとて、わかるわけではないのだろうけれど。やけに平坦なその声から、感情を読み取ることが幹央にはできなかった。
「あっ、千田。お前遅いよ――って、なんかすごい恰好だな……」
山原はしどろもどろに幹央の全身を見る。馬鹿みたいに鮮やかな赤に南国の植物が描かれたアロハシャツに、暑苦しいレザーパンツ。おまけに首元にはゴールドのチェーンネックレス、頭にはダークブラウンのサングラスが鎮座している。
「いつもと雰囲気違うね……」
「千田君、意外とガタイ良いからそういうのも似合うね」
ただただ驚く山原、明らかに言葉を選んでいる浅賀、妙に感心している近藤。反応は三者三様である。当の本人は、颯とともにほば丸一日かけて考え抜いたコーディネートを身を包み、どこか誇らしげであった。
くじ引きで決まったメンバーで車に乗り込み、2時間ほどのドライブ。宿泊先は、いかにも学生向けの簡素な宿だった。外装は随分年季が入っているが、設備は意外にちゃんとしており、なによりもどの窓からの景色も海が広がっている。規模と場所は違えど、水には親しみがある幹央にとっては、非常に心躍る空間であった。
着いて早々、部員は大部屋に集められた。3年生から簡単な合宿の説明を受けると、合宿という建前もあるのでそれぞれの作業の移る。ある人はサークルとして参加する夏コミの配布物の最終確認を行い、ある人は学生向けのコンクールに向けて制作中のショートアニメの原画を描いている。幹央ら2年生たちはというと、部長である3年生の矢崎に召集された。
「4年生はほぼOBみたいな扱いだし、3年生もぼちぼち就活が始まる。ということで、これからは2年生に色々任せるようになるから。ひとまず、11月にある学祭の出し物とか運営は、君たち主導でよろしく」
「勿論サポートはするから。なんかあったら何でも聞いてくれよ」と昨年の企画書を置き、矢崎は一年生たちのグループへ話しかけに行ってしまった。
学生主導の内輪向けのショートアニメとはいえ、一つのアニメーション作品を作るとなると、やることは膨大だ。たかが数秒のアニメーションであっても、動きとして見せるのであれば何枚もの絵が必要になる。それに、オリジナル作品であれば、一から企画・脚本・設定を考えなくてはいけないし、撮影や動画編集といった作業も多岐にわたる。そしてそれらを期限内に完成できるよう、進行や役割分担を組むことも必要不可欠である。
どんな作品を作りたいのか、どういった配分で作業をすれば間に合うのか、そもそも自分達の技術で実現可能なのか。
普段は和やかな4人だが、いざ一つの目標を前提に話してみれば、好きなものや創作へのスタンスというものは案外違う方向を向いていることがわかった。だからこそ、4人とも言葉に熱が入った。
「おーい、2年。盛り上がるのはいいけど、もう昼だぞー」
話しているうちに、時刻はすでに昼時であった。
宿からすこし歩くと、観光客向けの市場や商店街が現れる。歩いてはじめのうちは、議論の余韻が残っていた4人であったが、他の部員たちの浮かれた雰囲気や観光地の特有の空気にあてられ、「ここは一旦休戦だ」と楽しむ方へと舵を切り出す。
普段の食事なら絶対に選ばない観光地価格の食べ物を食し、わけのわからないお土産を物色する。幹央は、思い切ってみなと同じように羽目を外す。すると、普段はあまり絡みのない先輩や後輩とも、肩の力を抜いて話すことができた。これは、幹央自身も意外なことであり、小さくもたしかな自己肯定に繋がった。
『合宿なんて名目だけど、結局遊んでばっかでね』
学食での浅賀の発言通りであった。合宿らしい事は午前中くらいで、昼は観光、夜はバーベキューに酒盛りと、大学生らしい馬鹿馬鹿しくて、でもそれが楽しくてしょうがない一日が終わろうとしていた。
酒を飲みなれていない幹央は、缶チューハイを2本飲んだところで頭に薄いもやがかかったような感覚を覚え、酒盛り会場になっていた大部屋をそっと抜け出した。
踏みしめる度にギイギイと嫌な音が鳴る床を通り、ぼんやりとした足取りのままトイレに入る。明かりはついていないが窓が開いており、静かな月明かりが差し込んでいた。
蛇口を捻り、火照った顔を濡らす。生ぬるい温度だった。ただ乾いた喉は、それでも構わないと水分を求め、喉仏を何度か上下させた。
すこしばかり、正常な意識が帰ってくる。顔を上げると、ずぶ濡れの自分と目が合う。赤らんみカサついた皮膚に、こけた頬、朝方より濃さを増したヒゲの跡。普段じっくりと自分の顔を見ることなんてない。まだ若者といって差し支えはないのだろうが、中学生の頃なんかに比べれば随分おじさんになった、仏壇にある父に似てきたなと、他人事のように思う。
ふと、颯の姿が浮かんだ。まずは透明の姿。鏡の中にいる自分と比べれば、少年と青年の狭間といった見た目をしていた。次に浮かんだのはあの日の姿。そう、中学校の卒業式。明確に人間であった颯を見た、最後の日である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
式が終わり、校舎の前では浮ついた同級生とその親たちとで溢れかえっていた。
「おう」
一言二言クラスメイトと当たり障りのない会話をしながら、母を探す。すると、強く肩を掴まれた。
嫌な予感がした。それでいて、期待もしていた。振り返える。予感は的中だった。そこには、早々に胸ポケットから花を外した颯がいた。
「ああ、えっと……」
「なんだよ、その反応。気持ちわりいなあ」
変わらない反応が、何より心をえぐる。雑踏の中に置かれているというのに、幹央には颯の言葉しか聞こえない。
「……」
「そんで黙るんかい。……もう、いいわ。急に悪かったな」
颯は大きく息を吐き、人混みの流れに小さな身体を委ねていく。
段々と見えなくなっていくその姿に、言い様のない恐怖を感じた。その瞬間、幹央は人混みをかき分け、咄嗟に颯の袖を掴んだ。
掴まれた袖は一度制止するが、すぐに絶え間なく動く人の波に囚われそうになる。それでも、幹央は必死になって袖を掴みつづけた。
波の終着点。校門の前はまだ疎らであり、大分開けていた。
「いつまで掴んでだよ」
「ああ……ごめん」
颯の言葉には逆らえない。離すと、颯は真っすぐ歩き出す。
このままでは、なにも意味がない。でも、なんの意味がある?
「颯!」
颯は立ち止まる。勿論、何もまとまっていない。でも、何か伝えなくてはならないという衝動に支配されている。
「あの、えっと……」
「……」
「卒業、おめでとう……ございます」
けしてこんなことを言いたいわけではない。焦ってなんとか次の言葉を探そうとした時、大きな笑い声が響いた。
「ハハハッ、なに? オマエ、そんなの言うためにここまで来たの? ハッ、ヒィ……変な奴」
あまりに豪快なその笑い声は、人々の視線を集めるので、急に恥ずかしなってくる。
「そんな笑うなよ」
「ヒッ、ひい。ああ、ごめんごめん」
颯が素直に謝るなんて、はじめて聞いた。違和感に頭が追いつかない。胸が無性にざわつく。
「オマエも、卒業おめでとう」
颯は振り返る。笑っているようにも、泣きそうなようにも見えた。そして、それは自分が作ったものだと、幹央は直感的に悟った。罪悪感が重くのしかかる。
「またな」
そう言うと、颯は持ち前の運動神経で、風のように学び舎を後にする。
引き止めることも、追いつくこともできない幹央は、ただただ桜吹雪の中を掛ける小さな背中を見つめることしできなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
もう二度と思い出すまいと蓋をしていた記憶。それなのに、こんなにもあっさり開いてしまうのだから、酒というものは恐ろしい。
一瞬の回想であったのに、鏡に映る顔は先程よりもずっと老けて見えた。
こんな顔で戻っては、楽しい酒盛りに余計な水を差す。どうしたものかと、あたりを見渡すと、月明かりを浴びた穏やかな海が視界に入る。
幹央の足は、神様にでも導かれるように、海へ向かった。
太陽が昇っていた時刻よりも、潮の匂いが芳醇である。肌にあたる空気はぬるくて湿気っぽいが、今の幹央には冷房の人工的な冷気よりも心地よく感じられた。
足は軽いが、時折もつれる。こんな状態で急いでは危険だと冷静な自分が意見するが、足は速く速くと駄々をこねる子供のように速度を上げていく。
高低差のある舗道から伸びる階段を下ると、海は幹央を歓迎するように揺れ、壮大でいて優美な音を鳴らした。
それに応えるように、幹央は走って海に近寄る。途中でサンダルは脱げたが、そんなことは気にしていられない。むしろ、裸足のまま海に触れると、直に水の温度や感触を感じられる。
水と触れ合う度に、颯に出会う前の頃、無心で用水路の流れ水を見ていたことを思い出す。郷愁というやつなのだろうか。具体的な喜びというのはないのに、妙に心が満たされていく。
規則もなしに無心で足を動かしていると、何やら人の声が聞こえてきた。幹央は自分も観光客である癖に、自分を棚に上げて観光地だからとはしゃぐ人々に苛立ちを感じた。
少しすれば通り過ぎるだろうという予想に反して、何人かの声は近づいてくる。
「――――ぃ、ぉーい」
聞き覚えのある声色に、思わず振り返る。そこには階段を下ってくる、いつもの3人の姿があった。
先頭に立つ山原の右手にはビールのロング缶、左手には重そうなビニール袋を持っている。それにすこし離れてついてきている浅賀と近藤も、片手にアルコールの缶を持ち、どこか浮ついた様子であった。
「どうしたの?」
「どうしたのってそりゃあ、気づいたらいなくなってから心配で探したんだよ。そんで、たまたま外見たら、歩いてく姿見えてな。折角だからコイツら誘って、連れ戻しに来ようと思ったってわけ」
山原はいつもより甘い滑舌でそう言いながら、ビニールからレモンサワーを取り出し、おどけるたように幹央のハーフパンツのポケットにねじ込んだ。
反射的に受け取ってしまう。身体はこれ以上のアルコール摂取を拒否していたが、3人のご陽気な顔を見ていると、戻すのも躊躇われた。
「暑いけど、日差しが無い分昼間よりはマシだね。風もちょっとは涼しいし」
浅賀はそう言うと、思い切りよく喉を逸らし、酒を飲み干す。そして、その勢いのまま片手で缶を潰した。見た目だけでみればおしとやかそうに見える浅賀の豪快な姿は、新鮮に映った。
「良い飲みっぷりだなあ。この中で一番男らしいんじゃないか?」
「男らしいとか女らしいとか、考え方のアップデートが足りてないんじゃない?」
浅賀はするりとビニール袋に手を入れ、鮮やかにロング缶のハイボールを抜き取った。そして、流れるようにプルタブを開け長く一口を楽しむと、これまた豪快に息を吐いた。
はしゃぐ二人を見て微笑みを浮かべていた近藤が、ゆったりと身をかがめ、幹央のサンダルを手に取った。
「なんだ、千田。サンダル脱げてんじゃん」
「入りたかったんでしょ。昼間は結局食べて飲んでばっかで、ちゃんと海で遊んでなかったしね」
話す二人に対して、近藤は静かに幹央にサンダルを差し出す。
幹央は波の音に尾を引かれながらも、3人のいる浜辺へ光を求める羽虫のように吸い寄せられていった。
「結局さ、どんな作品がいいのかな?」
浅賀はすでにハイボールを飲み干しており、次のプルタブに手をかけながら呟いた。
「戻る前に少し4人で語り合おうぜ」という山原の提案で、海からすこし離れた浜辺で、4人は横並びになって座っている。
「やっぱり、学生同士の青春だろ。若者は共感する、年食った奴らは懐かしさやら若さへの羨望やらで、枯れた心が潤う。つまり、間違いがないってこと」
「安直すぎな~い? 誰もが若者の青春物語が好きだとは思わないでよ」
「青春っていってもあれよ? 勝利のために一致団結、そのためにはひたすら努力とか、キラキラ・リア充・楽しいとかじゃなくてだね。未熟で多感な若者同士の、その時だけの痛々しいきらめきこそが、青春の真の核! というかそういう群像劇が~~俺は見たい!」
「ふふっ、いかにも山原の好みって感じだね」
「その貴重な一瞬一瞬を、キャラクターの動作や、細やかなモチーフの提示から繊細に表現したく……」
「アンタの好きな監督の十八番言ってるだけじゃん」
幹央は缶を片手に大きく身振り手振りでプレゼンする山原を見つめ、炭酸の抜けたレモンサワーをゆっくりと飲み込む。
青春か。学生時代を回想したところで、現れるのはほとんど颯との記憶のみ。直近の高校時代なんて、学校と家の往復でしかなく、これといった思い出がない。
颯との記憶は、何かを成し遂げるための努力もなければ、田舎者の男同士、キラキラしているわけでもない。どちらかといえば、未熟で多感、そして何より『その時限り』という、山原の言葉が適している。そう、きっと、そのはずなのだ。
「青春って大人になったら、そこで終わりなのか?」
朦朧とした頭では、言葉の取捨選択というものが難しい。浅賀が「ストーリーは二の次だ。映像やシーンとして面白さこそが正義」とプレゼンしているところで、つい口が滑ってしまった。
「あっ、ごめん。何か変なこと言って」
「いやいや、全然大丈夫だよ。それにしても――」
「なんか、面白そうな議題じゃん」
自分から話題を出すことがない幹央が、珍しく自分から何かを、しかも意味ありげな質問を問いかけてきた。それが珍しいのか、山原と浅賀は盛り上げりだした議論を止めて、前のめりになって幹央の話に耳を傾けてきた。
「千田くんはさ、なんで突然そんなこと思ったの?」
「あっ、えっと……青春が、学生とか思春期のものっていうのは、わかるんだけど……青春の中で仲良くなった人とか、いるじゃないですか……その人とはその、どうなっていくんだろうと思って……」
「つまり、青春は持続するのか、みたいな話かな?」
そう尋ねる近藤は、顔は涼しいままだが、珍しくTシャツ姿である。いつもは大人びて見えるが、ラフな格好をした近藤は、年相応の普通の大学生に見えた。
「持続ねえ……でもやっぱり大学でできた友達と学生時代の友達とかってやっぱり、なんか違う感じあるよね」
「そう? あんま変わんなくない? 友達は友達だろ」
「なんていうか……大学って同じ分野の人でも、学んでることも、やりたいことも、目指す方向も、人によって全然違うよね。あんまり違いすぎるから、いちいち羨ましがったり、イライラすることもあんまりないわけで……『あーそんなことやってんだ。がんばれ』、くらいのスタンス。これくらいの方が居心地いいなって感じることも多いけど、学生時代の友人関係と勝手が違いすぎてほんとに友達なのかな? って、私たまーに思うことなるな」
「えっ、じゃあ浅賀は俺らのことは別に友達と思ってないってこと?」
「あっ、ごめん、言い方ミスってたかも。友達だと思ってます。これもなんか上からかも、ごめん。――でも、私、学生時代は男子の友達とか皆無だったし、アニメの話なんかも長い付き合いで気ごころの知れた子にしか話してなかったんだよね……友達のハードルが下がったってことなのかな?」
「逆に、学生時代は友達に求める条件みたいなのは高かったってことかな?」
「うーん……具体的にこう!っているのはないし、そういうのは烏滸がましいよね。けど、やっぱり学校ってクラスとか部活とか、まとまりがあったのが大きいのかな? 集団の中で一人でいるのは心細い。だから、味方をしてくれる、信頼できる存在が欲しい――――。待って。言葉にすると、あの頃の私、すっごく打算的な人じゃない? さっきから失言しすぎてる……」
浅賀はそう言うと慌てた素振りをみせる。だが、そのまま弁明するかと思いきや、「とりあえずね」と酒を一気に煽った。その様子がツボだったのか、山原は深夜に似つかわしくない大きな笑い声をあげた。
一方、幹央は、浅賀の「打算的」という言葉が心の中で何度も反響していた。
中学時代は 颯の友達、というかお気に入りであるから、学校という社会でなんとか息をすることができていた。出会ったその瞬間も、一人でいる自分が嫌だから、颯についていった。もし、自分にすでに友人がいたら、熱中できる世界があったとしたら、自分は颯についていったのだろうか?
「でも、安心できる居場所をつくるって、当たり前のことじゃないかな」
近藤は宥めるように、諭すように、浅賀に言う。
「孤独は辛いことだよ。それに、味方がほしいっていう考えだけで、関係を築くものじゃないしね。浅賀も、誰でもいいってわけじゃないでしょ?」
「そりゃそうだよ。人類皆友達なんて、山原くんみたいな人しか無理じゃない?」
「浅賀の中の俺ってどんなイメージなん?」
「ふふ。山原みたいな底抜けに明るい奴でも、どんな善人であろうと、人が人である以上、相性ってものはあると思うよ」
「そうだぞ! 俺だって、ムカつく奴とはつるみたくない。それに、俺みたいなグイグイ来る無神経、嫌ってる奴だっていっぱいいるだろうしな」
そういえば、颯も山原のことをやけに貶していたっけ。幹央は食堂での出来事を思い出す。山原のような気のいいお調子者はどのクラスにもいたが、別段颯が苦手そうにしているところは見たことがない。むしろ、相性がいいくらいに見えていたが。
「まあ、友達は大事! 友達の感覚って変わるよねってことはひとまずオッケーとして……本題は、青春は持続するのかって話だよな」
「そうだそうだ。というか、青春の定義、友達だけでいいの? 恋愛とかもあると思うけど……」
「青春というものは無限の広がりと深みを持っているからなぁ……」
「そういうのいいから。千田くん的にはどう?」
「ああ、えっと…… むしろ、友達についてが一番知りたいというか……その方向で色々考えてくれるとありがたい、です……」
含みを持った言い方になってしまったと、言い終わってから気がついた。
いつもなら、気を遣ってとやかく詮索してくることは少ない友人たちだが、酒が回っているのか、おもちゃを見つけた子供のように目が輝きだす。
「なになに、学生時代の友達と何かあったの?」
「そういやあ、千田から学生時代の話ってあんまり聞いたことなかったな」
近藤は何も言わないが、ジッと見つめてくる。
自分から聞いておいて、なにも話さないと言うのもおかしな話である。幹央は大きく息を吸い、そして同じくない大きく息を吐いた。
「久々に、これまで連絡もとってなかった地元の奴と会ったんだ。それも、アッチから突然」
「でも連絡もなしにどうやって会ったんだい?」
「えっと、それは……なんか、同級生づてに住んでるとこ聞いて、らしい」
「えー、なにそれ。随分怪しいな。もしかして、マルチとかじゃないよな?」
「その、そういうのではない、っぽくて。ただ、昔みたいにくだらない話をするくらいで……」
「それもそれで不思議だね。まあ、害はないなら、良い……のかな? それで千田くんは、何が一番気になってるの?」
「……ソイツの目的がわからない」
「目的って、詐欺とかじゃねえなら、普通に久々に会って話したかっただけじゃねえの? やり方は怪しいけど」
ソイツが幽霊である、なんて言えないのでどうにも深刻さを伝えることができない。それに、幹央には、目を逸らし、心奥底へと封じ込めていた負い目があった。でも、再会してしまった。自分の所業が見事に思い起こされた。そして何が辛いって、負い目の原因が常に家にいて、あの頃のように笑いかけてくる。――――そんなの、耐えられるはずがない。
酒のせいか、心地よい波の音のせいか。一番は、信頼しうる新たな友達のせいだろう。幹央は塞ぎこもうという気持ちが緩んだ。
「……ソイツとは、小5の時に出会ったんだ。俺、ソイツのお陰で、ボッチから脱却できた。中学に入ってからも金魚のフンみたいにつけて回ってさ。そのおかげで、一人にならずにすんでた」
ひどく喉が渇く。後が大変になると頭ではわかっていたが、縋るようにポケットの中のレモンサワーを開け、飲み込んだ。
「ハー……。大分面倒臭いし、ムカつくことも言う奴だけど、何年もいたら慣れてた。何より、俺と違ってすごい奴なんだ。それなのに、スクールカーストとか、そんなの無視してずっと俺に話しかけてくた。なのに、なのに、俺は……」
これまで穏やかであったはずの波が、大きく揺れる。全てをかき消さんとでもいう壮大な音。たしかに、幹央の音は一度かき消された。きっとこの波は、親切な悪魔か意地の悪い神様のお慈悲だと思う。ただ、もう誤魔化すことはできない、目を逸らすことはできないと、幹央は自分でわかっていた。
「俺は、アイツを、見捨てた……自分は一人が嫌なくせに、アイツが一人になりそうな時、味方になってやれなかった」
吐き出した瞬間、すこし胸のうちが軽くなる。だが、その感覚も、また自分だけが助かろうとしている卑怯者のようにも思われて、嫌悪感が疼いた。
「えっと、その……ソイツも千田いるのが楽しいから一緒にいたんじゃねえの? てか、そんな見捨てるなんて、大げさに考えすぎてるだけじゃないのか?」
「違う。俺は、間違いなく、アイツを見捨てた」
「千田君、大丈夫? 無理しなくていいんだよ」
近藤は心配そうに顔を覗き込み、震えていた手からレモンサワーを取り上げようとする。
「大丈夫、ありがとう。……つまらないと思うけど、すこし聞いてもらっていいですか? ただただ俺が情けなくて、最低なだけの話なんだけど」
余程深刻な顔をしていたのだろう。3人は顔を見合わせ、呆れたような、心配するような顔で頷く。幹央は持っていたレモンサワーを置き、抱きしめるように膝を抱えた。
