青薔薇の箱庭



「……ほんとに、夢に見るとは」

 薔薇に囲まれた王子様の夢から、白良(あきら)は目覚めた。
 数ヶ月前、あの美貌の先輩と出会った瞬間の光景。未だその美しさが、まどろみの底にこびりついているような気がした。現実に引き戻されたあとも、その残像は淡い熱を持って胸をざわつかせている。

「あれ以来結局、一回も見てないんだよな。茨蒼美(いばら あおい)先輩」

 ひとりごとを溢しながら、重い体を起こして階段を降りる。
 キッチンに漂っていたのは、炊飯器から噴き出す柔らかな蒸気の匂いと、夜の間に居座った微かな冷気だった。
 朝ごはんは腹を満たせればそれでいい。運動部に所属してエネルギーを浪費しているわけでもないし、自分は多分、燃費が良い方だ。白良は一人、無機質なカウンターで納豆ご飯を口に運んだ。
 ふと視線を向けると、リビングのソファには昨日脱ぎ捨てられたであろうスーツが、抜け殻のように力なく掛かっていた。共に暮らす血のつながらない姉、紫凛のものだ。その皺の一つ一つに、彼女の生活の重みが張り付いているようで、白良はすぐに目を逸らした。

「……行ってきます」

 義務的な食事を終え、手早く歯を磨く。洗面所の扉越しに響くドライヤーの唸り声に向けて、一度だけ声をかけた。
 返事はない。轟音にかき消されたのか、それとも聞こえないふりをされたのか。答え合わせをする勇気も、扉を開ける理由も、今の白良にはなかった。
 両親が、第二の人生を謳歌するために世界旅行へ飛び立ってから一年と少し。父の再婚によって突然現れた姉との二人暮らしは、言葉を交わす代わりに互いの足音を探り合うような、奇妙で、あまりに静かな共同生活へと成り果てていた。
 白良は深く、肺の奥に溜まった澱を吐き出すように溜息をつく。紫凛が用意してくれた弁当をカバンに詰めると、布越しに伝わる微かな温もりが、余計に今の冷え切った沈黙を際立たせる。
 姉には感謝している。毎日欠かさず弁当を作ってくれることも、家事当番をビジネスライクに分担してくれることも、私生活に踏み込んでこないその節度も。
 だが、家のいたるところに張り巡らされた見えない壁は、少しずつ、しかし確実に白良の呼吸を浅くさせていた。
 その壁の壊し方も、あるいは自分から近づく方法も、彼にはまだわからない。

「……行ってきます」

 玄関の鏡に映る自分の顔を見ないようにして、詰まった喉をこじ開けるように、もう一度小さく呟く。
 息苦しさを逃がすようにシャツの第二ボタンを指先で外し、白良は逃げるように家を後にした。



 放課後、旧校舎の四階。
 誰も通らない廊下の突き当たりで、今日は珍しく化学部の集まりがあった。
 立ち並んだ薔薇の世話という日課の他には、部長の橙真以外ろくな活動もしないため、組織として成り立っているかすら曖昧な化学部だが、時折こうして部活動らしきことが行われる日があった。
 とは言ってもその実態は、机を囲んで、たわいもない雑談に興じるだけのことなのだが。
 今日もまた、大輪の薔薇を揺らす風を感じながらボードゲームの駒を動かし適当に時間を潰しているうちに、窓の外は既に朱に染まりはじめていた。

「結局、今日も白良と桃凪ちゃんだけだったなあ。オレもしかして嫌われてる?」

 橙真がわざとらしく肩を落とすと、白良は手元の駒を片付けながら淡々と応じる。

「俺は割と嫌いじゃないですよ、このメンツ。ていうか、他に誰がいるか知らないだけですけど」
「橙真部長が嫌われてるんじゃなくて、みんな暇じゃないだけだと思います! 名前貸してるだけですし、興味もないでしょうし、もっとやりたいことあるんですよ、多分」
「白良は優しいし、桃凪ちゃんは結構厳しいね……」

 橙真がぐでん、と理科机に突っ伏したのを見て、桃凪はそんなつもりじゃ、と慌てたように弁明した。
 三年生の先輩、刺野橙真(さしの とうま)と、二年生の同級生、甘利桃凪(あまり ももな)
 桃凪は白良と同時に化学部にスカウトされ入部したが、強引に誘われただけの白良とは違い、彼女は心底この場所に魅せられているようだった。 
 個人で育てるにはあまりに繊細な薔薇という花の栽培を、まさか学校で体験できるなんて!と、土に触れる彼女の瞳はいつも宝石のように輝いている。
 人工的なライトと厳正な光や温度の管理による薔薇の室内栽培。それに心血を注ぐ橙真の情熱こそが化学部の本体であり、元々彼以外は数合わせの幽霊部員ばかりだった。そう考えれば、桃凪は橙真を除くと初めて、化学部員としての役割を全うしている存在といえるだろう。
 翻って自分はどうだろうか、と白良は思う。家に帰っても冷え切った沈黙が待っているだけで、それならここで適当に時間を潰している方がいくらかマシだという消極的な理由。
 化学部以外にも、図書室の隅でページを捲ったり、美化委員の仕事を引き受けたり、児童館でのボランティアに顔を出したり──ただ、日常の空白を埋めるためのピースの一つとして、この部室を選んでいるに過ぎない。
 とはいえ、白良はこの場所をそれなりに気に入っていた。甘く重厚な薔薇の香りに満ちた部室も、その美しさに取り憑かれたどこか浮世離れした部員たちのことも。

「でも薔薇、こんなに綺麗なのに、もったいないですよね」
「それはほんとそう! 室内でここまでって、普通ありえないよぉ」
「まあそれは、天才かつ努力家で何より薔薇をこよなく愛するこの刺野橙真が、手塩にかけて育てているからね! あとは頼れる協力者もいるし…… あーーー!!!」
「わ、びっくりした」
「急に大きい声出さないでくださいよ」
 
 得意げに胸を張った橙真が唐突に、静かな夕暮れの部室に絶叫を響かせた。慌てたようにカバンをあさり、クシャついた数枚のプリントを差し出してくる。
 桃凪と白良が顔を見合わせて首を傾げると、橙真は両手を合わせてコミカルに頭を下げた。

「これ、蒼美に届けなきゃいけないんだけど、オレ今日どうしても無理なんだよ。どっちか、行ってくんない?」
「えぇ、ボドゲとかしないでこの時間で行けばよかったじゃないですか……」
「だって忘れてたんだもんー!」
「どうしよう、わたしも今日、家族でご飯行くって話になってて……」

 縋るような橙真の瞳と、困り果てた桃凪の視線が、自然と白良一点に集中する。逃げ道を塞がれた白良は、口を引き攣らせながら窓の外へと目を逸らした。

「俺、茨先輩とマジで絡みないですよ。挨拶して二、三言交わしたくらいで」
「わたしなんて会ったこともないよぉ」
「大丈夫大丈夫、二、三言交わしただけでも奇跡だって! 多分気に入られたよ」
「ええ……」
「おねがーい! 今日も持ってけなかったなんて言ったらオレ、担任にめっちゃ怒られちゃう」

 嘘くさい泣き真似を始める橙真と、気遣わしげに苦笑する桃凪。
 しばらく部室を支配した気まずい沈黙の後、白良は観念したように頭を掻いた。帰宅を急ぐ理由もない。待っているのは空っぽの家だけだ。

「……住所とか、わかりやすく教えてくださいね」
「やば、マジ神! ありがとー! すぐ送るね」

 大袈裟に喜ばれ、握られた手をブンブンと乱暴に振られる。その感謝の勢いに気圧されていると、橙真はふと真面目な顔を作りなおして、試すような悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「でもまあ、見りゃすぐわかるよ。ついでに、度肝抜かれるかもね」

 旧校舎を、少しだけ冷たい風が吹き抜けた。
 胸の内に兆した得体の知れない嫌な予感と、それを上回る微かな好奇心に揺れながら、白良は曖昧に頷いた。



 橙真から送られた地図のナビに従い、駅前で場違いなほど背伸びして買った菓子折りを抱えて、白良は指定された住所へと足を進めた。
 静かな住宅街。その突き当たりに突如として現れたのは、周囲の家々を威圧するように聳え立つ、時代錯誤なほど巨大な洋館だった。

「な、るほど……。橙真先輩が言ってたのって、こういう……」

 思わず独り言が漏れる。重厚な鉄門の前を不審者のようにうろちょろしていると、ようやく柱に埋め込まれた高性能そうなインターフォンを見つけた。
 数度深呼吸し、喉の奥に詰まった緊張を飲み込んでからボタンを押す。すると、返ってきたのは予想に反して、鈴を転がすような可愛らしい女性の声だった。

「あ、あの、俺、化学部の下級生で……その、橙真先輩に頼まれて、茨先輩にプリントを届けに来たんですけど……!」
「あら! 蒼美様のお客様ですね。今開けますわ、すぐにお迎えに上がりますので、そこで待っていてくださいね」

 しどろもどろな説明に、弾んだ声が返ってくる。あまりの気恥ずかしさにその場から逃げ出したくなるが、それもすぐに衝撃にかき消された。
 巨大な鉄門が、重厚な音を立ててゆっくりと左右へ開いていったからだ。その瞬間、溢れ出したのは圧倒的なバラの香気。
 視界に飛び込んできた前庭には、赤、白、黄──数えきれないほどの薔薇が咲き乱れ、迷路のように奥へと続いている。
 呆然とその光景に見惚れていると、フリルを揺らした一人のメイドが駆け寄ってきた。

「ようこそいらっしゃいました! 私はエリナです。おしゃべりと掃除が取り柄の元気印ですよ! ほらほら、遠慮なさらずお入りになってくださいな」

 笑顔で捲し立てるエリナに、白良はたじろぐ。

「あ、いや、よく考えたらプリント渡すだけですし、本当にお気遣いなく! これ、適当に渡してくれれば俺はここで……」
「そんな寂しいことおっしゃらないで! 蒼美様がお客様を連れてくるなんて、橙真様以外では初めてなんですもの。さあさあ、こちらへ!」

 なかば強引に袖を引かれ、門を潜り抜ける。一歩足を踏み入れるたび、とんでもない場所に迷い込んでしまったという戦慄が背筋を伝った。
 案内された玄関ホールには、さらに数人のメイドたちが整列して待ち構えていた。

「ようこそ、お越しくださいました」

先頭に立つ、落ち着いた雰囲気の女性が深く頭を下げる。

「そんなそんな、呼ばれてもないのに勝手に来て、本当にすみません……!」

 白良も慌てて、腰が折れんばかりに頭を下げ返した。動揺のあまり、口にする必要のない謝罪まで口をついて出る。

「私はメイド長のマリーナと申します。蒼美様のお父様の代から、この屋敷に仕えております。どうぞ、お見知りおきを」
「あ、俺は、えっと、遠香白良、です。遠く香るに、白く良いで」
「遠香様ですね」

 マリーナが穏やかに微笑む傍らで、一人のメイドが冷めた手つきでワゴンを整えていた。

「……マリーナ、立ち話はそれくらいに。お客様をいつまでも玄関に立たせておくのは、この屋敷の品位に関わります」

 そう呟いたのは、眼鏡の奥に気難しそうな瞳を光らせる女性だった。

「彼女はジュリア。少々口うるさいですが、紅茶を淹れる技術は一級品ですよ」

 マリーナの紹介に、ジュリアは小さく鼻を鳴らした。
 さらに、その後ろで白良をじっと、どこか値踏みするように見つめる小柄なメイドがいた。

「……ふうん、へえ。蒼美様の客って言うからどんな人かと思えば、超普通ですね」
「こら、マサユキ。お客様に失礼ですよ」

 マリーナに窘められたその彼女──いや、よく見れば少年は、生意気に顔を逸らした。
 ひく、と顔が引き攣るのを感じる。心構えしていたよりも多くの人間がいきなり現れたのもそうだし、矢継ぎ早に自己紹介されても覚えられないのもそうだし、一度に受け入れられる容量を超えてきている。
 庭の薔薇の香りは、部室で嗅ぎ慣れたはずのものだったから少しは安心もしたが、屋敷の中に漂うのは、それとは違う歴史と格式の匂いだ。平々凡々な白良は自然、窮屈な心地にもなる。
 どうしてこんな目に、と心の中で橙真を呪っていた、その時。

「おい、なんの騒ぎだ」

 階段の上から響いた、低く涼やかな声。
 その主の美貌に、白良は思わず息を飲んだ。窓から差し込む斜光を浴びる、透き通った青い髪。
 自然にはありえないその髪色は、染めているであろうはずなのに、神秘的な色彩は彼自身の存在にあまりに馴染んでいて、まるで絵画の中の貴族が現代に迷い込んだかのような錯覚に陥る。
 怪訝そうに眉を顰める蒼美の視線に射抜かれ、白良は我に返って手土産を差し出した。
 よく考えてみればプリントを渡すだけのためにわざわざ手土産を用意するのも変で、このおつかいを頼まれた瞬間からどこか浮き足立っていたことを自覚した。
 だけどそれも仕方がない、と、心の中で言い訳する。
 だって、茨蒼美という先輩は、一目見た瞬間からずっと、なんだかあまりにも現実離れしたひとだから。

「あの、これ、親御さんとかに……皆さんと食べてください」
「私は天涯孤独だけど」
「え、あ、そうなんですね……すみません……」
「はぁ……おい、使用人」
「はい、若様」

 マリーナが歩み寄ると、蒼美は菓子折りを一瞥もせずに告げた。

「お前たちで食べなさい。私は甘いものは好まない」

 突き放すような物言い。しかし、そこには他人を気安くからかうような響きがあり、それが決して悪意ではないことが不思議と伝わってきた。

「よかったわね、エリナ、マサユキ。若様からのご褒美よ」
「わーい! ジュリアさんの淹れたお茶でいただきましょう!」
「……全く、騒々しいですね。遠香様、こちらへどうぞ」

 メイドたちの大歓声と、それを見守るマリーナの温かな眼差し。
 おそらく友人を連れてくることなど滅多にない主人の客だから、屋敷の住人たちは全力で歓迎しようとしているのだろうと思う。
 白良は逃げ場のない居心地の悪さと、得体の知れない高揚感に包まれながら、深い赤絨毯の上を一歩踏み出した。



 健全な高校生男子である白良にとっては、自分以外の全員が女性、あるいは女性にしか見えない者たちだけの歓談の場に放り込まれることは、あまりにもハードルが高い。
 ティーカップを置く音さえ遠慮してしまうような空気の中、メイドたちの舌戦は容赦なく繰り広げられていた。

「だから蒼美様って学校ちゃんと行ったところで意外と全然モテないと思うんですよ私!」
「うわ、エリナ超失礼〜。でも確かに、蒼美様に惚れちゃう子って変な子多そうで面白そう」
「マサユキ、貴方も失礼ですよ」
「じゃあジュリアはどう思うのさ」
「若様は生涯独身でいらっしゃった方がよろしいタイプの方かと」
「あらあら、うふふ」

 次々に飛び交う、主への容赦ない評価。笑顔でそれを見守るマリーナの包容力が逆に恐ろしい。  
 場違いな居心地の悪さに、白良は額にじわりと汗をかいた。

「あの、すみません、お手洗いを……」
「え〜、ご案内しましょうか?」
「いえ、さっき教えてもらったので! 一人で大丈夫です!」

 メイドたちによる熱烈な歓迎と、騒がしいお茶会。その異様な熱気から逃げ出すように、白良は必死の口実を作って席を立った。
 しかし、さきほど案内されたはずばかりの廊下は、角を曲がるたびに似たような重厚な扉と肖像画が並び、不慣れな白良の方向感覚を容易に狂わせる。
 迷路の中で、静寂が背後から追いかけてくるようだった。

「……ここ、どこだ?」

 戻るのも一苦労だ。白良は半ば諦め、迷い込んだついでに吸い寄せられるように屋敷の奥へと足を進めた。
 正直、少しワクワクしてきた。埃ひとつない回廊を一人歩いていると、子どもの頃に図書館で読んだ冒険譚の主人公になったようで、胸の鼓動がわずかに速まる。
 ひっそりと静まり返った回廊の先に、一際大きな観音開きの扉があった。そこだけが、周囲の調度品とは一線を画す異様な雰囲気を放っている。
 ごく、と唾を飲む。本能に近い直感が、扉の向こうに何かがあると告げていた。
 テーマパークのような浮世離れした場所とはいえ、ここは他人の家だ。勝手な真似をしてはいけないと分かっているのに、どうしても好奇心の熱が抑えられない。
 何かに導かれるように、震える指先でそのノブを回す。
 鍵が閉まっていれば諦められる──そんな淡い期待は、あっけなく裏切られた。幸運にも、あるいは不幸にも、そこは解錠されていた。

「う、わ、すご……」

 現れたのは、月明かりを模したような青白い照明に照らされた、秘密の温室を彷彿とさせる円形の部屋だった。
 部屋の中央。巨大な円柱型のガラスケースの中に、白良の視線は吸い寄せられた。
 そこには、男がいた。いる、というより、在った。
 芸術的なまでに完璧な筋肉のライン、陶器よりも滑らかで血色の薄い肌。青く光を反射する艶やかな黒髪と、小さな顔に完璧な配置でおさまった、形のいい目鼻と唇。
 この世のものとは思えないほど美しい男が、ガラスの中に沈黙を纏って存在していた。
 深い眠りについた男の周りには、血管のように無数の薔薇の蔓が複雑に絡みついている。その美しさは、静止した時間の中に永遠に閉じ込められた神話の一場面のようだった。

「お前、なんでここにいるんだ」

 背後から響いた、地を這うような低い声。心臓が跳ねた。
 振り返ると、そこには冷徹な不快感を露わにした蒼美が立っていた。氷のような瞳が、侵入者を射抜く。

「あ、すみません。迷ってしまって……」
「それで、勝手に立ち入ったと? ドアを開けて?」
「……すみません」

 言い訳の余地もない。もう一度謝って視線を逸らすと、またガラスの中で眠る男が嫌でも目に入る。いや、男、というか、そもそもこれは生きている人間なのか。

「これ……なんですか?」

 白良の純粋な問いに、蒼美は自嘲気味に、鼻で笑うように吐き捨てた。

「見ての通りだ」
「見ても、わからないんですけど……」
「アンドロイドだよ」

 アンドロイド、と、白良は呆然と復唱する。
 SF映画や遠い研究室のニュースでしか聞いたことのない存在。
 しかし白良が言葉から想像するものよりも、目の前にあるそれは、あまりにも人間らしく、あまりにも生命の気配に満ちていた。

「私の理想、だよ」
「理想?」

 首を傾げる白良に、蒼美は嘲弄するように口の端を上げた。

「私はゲイだ」
「はあ」
「そして、見ての通り私は美しすぎる」
「あ、はい」
「ゆえに、この私と釣り合う美形しか愛せない」
「……なるほど」
「だがこの腐りきった世界に、私を満足させる男など存在しないんだ」
「そっすか……」
「だから作った。私の理想を詰め込んだ、究極の男を」

 あまりに直球で、かつ、傲慢なカミングアウト。白良は呆気に取られて、間抜けな声を上げるしかない。正直なところ、いきなりなんだ、という感想しかなかった。別に、蒼美がゲイで面食いで厭世的でも白良は構わないが、それを打ち明けられても何も言えない。ちょっとびっくりするか、あるいは怯えるかもしれない。
 だが、その突き抜けた極端さへは、不思議と恐怖よりも可笑しさが勝った。
 白良にだってわかる。
 これが本当にアンドロイドであるというのなら、それはとんでもない執念と技術力の結晶だということくらい。多分世に出せば、権威のある賞などをもらえるのではないだろうか。
 それを成し遂げさせてしまう動機が、この世に理想の男がいないから、という、あまりにも身勝手で純粋な絶望だというのが、妙に愉快だった。
 権威のある賞をもらってスピーチで今の言葉を話したら、きっとものすごく話題になるだろう。賛否両論を呼んで、悲喜交々、ご意見万バズの嵐まで想像できる。
 白良はその様を想像して、しみじみとその面白味を噛み締めた。

「先輩って、綺麗なだけじゃなくて面白いんですね……」
「面白い? どこが。私を馬鹿にしているのか」
「いや、まさか! 真剣なのは伝わりました。でも、これ……」

 白良はガラス越しに、その眠れるアンドロイドをまじまじと見つめた。
 しなやかな面差しは中性的にも見えるが、浮き出た喉仏や硬質な顎のラインは男らしい色気がある。見れば見るほど彫像のように美しいが、その姿にはどことなく、見覚えがあった。

「ちょっと、これ、蒼美先輩に似てますよね。顔立ちも、なんだろう、雰囲気……?」

 その言葉が落ちた瞬間、屋敷の空気が氷点下まで下がった。

「……っ、ち」

 蒼美が、明確な嫌悪を込めて舌打ちをする。その瞳に宿ったのは、先ほどまでの余裕のある冷笑ではなく、剥き出しの苛立ちだった。

「あ、あの、変な意味じゃなくて。ナルシストとか言いたいんじゃなくて……」
「……黙れ。興が削がれた。私は寝る。お前も、もう帰ればいい」

 弁明する間もなく、蒼美は冷たく背を向けて足早に立ち去っていった。
 一人残された白良は、静まり返った暗い部屋で立ち尽くす。
 どうやら、決定的に気に触ることを言ってしまったらしい。余計な一言だった自覚はあるが、自分に似ていると言われることの何が、あれほどの怒りを買ったのだろうか。蒼美曰くの、理想の男であるはずなのに。
 動揺を鎮めようと、もう一度アンドロイドを見上げた。人工的な光を浴びる機械の男は、やはり、息を呑むほどに美しい。白良自身は別にゲイではないものの、本当に整った造形のものには、性別に関わらず惹きつけられるのが人間だ。

「本当に、綺麗だな……」

 感嘆の溜息をつきながら後ずさりした、その時。
 床に落ちていた何かを踏んで、白良の足が、滑った。

「お、わっ!?」

 派手にバランスを崩し、転倒を免れようと咄嗟に手を伸ばした先には、制御盤のようなパネルのボタンがあった。

 ──カチリ。

 静寂の中で、微かな、しかし決定的な駆動音が響く。
 やばい、と直感したときにはもう遅かった。駆動音は重低音を帯び、部屋全体に振動が伝わっていく。
 ガラスケース内の薔薇の蔓が生き物のように脈動し、青白い発光がアンドロイドの四肢を駆け抜けていく。その光景すら、恐ろしいほどに幻想的だった。

 あれ、このアンドロイドの起動用パネルなのかよ。その割に剥き出しすぎるだろ、もっと守っておけよ。

 パニックに陥りながらも、目は逸らせない。
 眠っていた器に命が吹き込まれていく姿は、神話の誕生を目の当たりにしているかのようだった。ひゅ、と喉が鳴って、息を止めてしまっていたのだ、と、気づく。
 そして、白良の目の前で、ゆっくりと、重厚な瞼が持ち上がった。

「嘘だろ……」

 もう、逃げるしかない。血の気を引かせた白良が、体を翻した瞬間。異変を察知したマリーナたちが慌ただしく駆け込んできた。

「遠香様、大丈夫ですか」
「え、え、え、それ、もしかして、起こしちゃったんですか!?」
「うわ〜やったね、あんた。これやばいんじゃない?」
「やっぱり、やばいですよね……」

 ジュリア、エリナ、マサユキが、覚醒したばかりのアンドロイドと、震える白良を交互に見つめて口々に囃し立てる。白良は顔面を蒼白にして、自身の頭を抱えた。
 わざとじゃない。決してわざとではないが、白良の勝手な行動が引き起こした事態は重く、蒼美が冷静に事情を聞いてくれる姿など想像もできなかった。

「遠香様」

 後ろで静観していたマリーナが、低く威厳を含んだ声で白良の名を呼んだ。口元は微笑んでいるが、その鋭い眼光は一切笑っていない。
 しん、と、部屋に冷たい沈黙が落ちる。

「あの、俺、お金とかないんですけど、本当に手伝いとか、俺にできることなら何でもしますから! だからどうにか、便宜を図っていただけないでしょうか……!?」
「蒼美様にこのことが伝わったら、私が何を言ったところで無駄でしょうね」
「そ、そんな……」

 絶望に打ちひしがれ、必死に頭を下げる白良のその姿をしばらく眺めていたマリーナは、あごに手を当てて「ふむ」と深く頷いた。

「ですがいい加減、蒼美様も前に進むときだと私も思っていたのです。いつまでも眠らせていても、意味がないでしょう?」
「え、それってどういう……」
「荒療治ではありますが、ちょうどいいかもしれません。動作確認も含めて」
「……俺、どうすれば」

 パン、と乾いた音を立てて手を叩き、マリーナはどこか楽しげな笑みを見せた。

「では、責任を取っていただきましょうか」
「せ、責任?」

 仰々しい単語を、ただ復唱する。責任って、まさか、機械と結婚するわけでもあるまいし。
 マリーナは白良の混乱が収まるのを待ちはせず、続けた。

「目覚めたばかりのこの子には、まだデータが足りません。蒼美様にバレるまでの間……遠香白良様、あなたを、このアンドロイドの情操教育係に任命します」
「……はい?」
「名前は『薔薇(そうび)』ですから、たくさん呼んであげてくださいね」

 理解が追いつかず、口を開けて呆然とする白良に、使用人たちがパチパチと、まばらに拍手を送った。おそらくマリーナ以外全員が、事態をよく飲み込めていない。
 何か、とんでもないことに巻き込まれてしまったという予感が、白良を襲う。
 その横で、ケースの中から、目を覚ましたばかりの澄んだ無垢な瞳が、運命の相手を見定めるようにじっと、白良を見つめていた。