背後を振り返ると、スーツ姿の男がこちらに歩いて来るのが見えた。背丈は旺史より少し低いくらい。同時に振り返り、身を強張らせた八神の様子から、吉岡の交際相手だとすぐに察しがついた。近くに植え込みがあるから、そこに身を隠し話を聞いていたのかもしれない。
パッと見、柔和な顔立ちの優男風だが、寝不足気味なのか腫れぼったい一重の瞼が、どこか神経質な印象を与える。
「なんで……」
呻くように呟いたのは吉岡だった。
彼女は駅でスマホをロッカーに預けていた。おそらく位置情報を彼氏と共有させられているのだろう。だが、事件を境に、彼氏の彼女への監視の目は更に強くなっているはずだ。バッグの中や身につけているものに追跡タグが仕込まれていてもおかしくない。
「先週、急に『店長の意識が戻ったのか』と聞いてきて、そのあともずっとそわそわしていたよな。だから今日、会社の飲み会ってことにして隙を作ってやったんだよ。わざと泳がされていることにも気づかないで、お前、本当にバカだな」
男は喋りながら近づいてきて、旺史と八神の傍を通り過ぎ、吉岡の手首を掴んだ。
「こんなガキが何かしてくれるとでも思ったのか? 時間の無駄だ。さっさと帰るぞ」
吉岡の顔が引き攣る。怯えていることは確かなのに、彼女が決意しない限り、自分たちは何もできないことが歯痒かった。
男が駅のほうへと歩き出し、強引に引っ張られる形で吉岡も体の向きを変える。
「吉岡さん!」
八神が追い縋るように一歩踏み出したが、吉岡がそれ以上進もうとしないのを見て、足を止めた。
振り返った男が、一瞬強張らせた顔を取り繕うようにやわらげる。
「美桜、今日は食事して帰ろう。お前のお気に入りの店、最近行ってなかっただろ。今から予約できるか聞いてみるから」
その声も、甘さを帯びたものへと変わっていた。
「吉岡さん」
彼女の背中に向かって、旺史は静かに呼びかけた。
「ここに来る前に、刑事の兄に連絡しました。もうすぐ仕事が終わると言っていたから、そろそろ来る頃だと思います。もし、貴方が今、何かにお困りなら、あとは兄に任せてもらって大丈夫です」
その瞬間、男の目がすっと眇められた。
「おいっ。ガキが適当なこと言ってんじゃねーぞ!」
「あぁ」
旺史は男に、小馬鹿にした笑みを向けた。
「店長や俺たちのことを心配する必要はありませんよ。犯人が自分以外考えられない状況で店長の命を狙う度胸なんて、こいつにはないでしょうし……。自分より弱い相手をいたぶることでしか優越感を得られない幼稚な人間なんて、俺たちは怖くもなんともありませんから」
「お、おい、佐久良っ」
わざと相手の神経を逆撫でする言い方をしたのだが、八神は声を上擦らせ、旺史の袖を引いた。
「こんのやろう!」
案の定、男が吉岡の手を離し、目を血走らせてこちらに向かってくる。
「ちょっとやめて!」
吉岡が悲痛な声を上げる中、旺史は八神の手を払い、彼の体を押して自分から離した。
憤怒の形相の男が、旺史の頬をめがけ、大振りに拳を振るう。
動きは見えていた。
当たる直前に横っ飛びし、最小限のダメージで済ませるつもりだったが、そう思い通りにはいかないものだ。飛ぶ速さより拳のほうが速く、直後、左の頬に鈍い痛みがした。
ただ、痛みのわりに体は大袈裟に吹っ飛んだから、目的は達成したってことでいいのだろう。
「佐久良!」
いつのまにか人が集まってきていたようで、八神の叫び声に混じり、周囲からも悲鳴やざわめきが聞こえてくる。
「あいてててて」
頬を手で押さえ、地面をのたうち、痛がるふりをしながら、旺史は視線を走らせる。中にはスマホのカメラを向けているギャラリーもいる。それでもこちらに向かってくる男は、すっかり冷静さを失っているようだった。
さすがに二発目をもらうのは御免だ。
乗りかかられる前に腰を蹴り上げ、腕ひしぎに持ち込もう。
久々に血が沸き立つ。しかし、その熱を断ち切るように、ギャラリーの中から間延びした声がした。
「はーい。そこまでー」
パッと見、柔和な顔立ちの優男風だが、寝不足気味なのか腫れぼったい一重の瞼が、どこか神経質な印象を与える。
「なんで……」
呻くように呟いたのは吉岡だった。
彼女は駅でスマホをロッカーに預けていた。おそらく位置情報を彼氏と共有させられているのだろう。だが、事件を境に、彼氏の彼女への監視の目は更に強くなっているはずだ。バッグの中や身につけているものに追跡タグが仕込まれていてもおかしくない。
「先週、急に『店長の意識が戻ったのか』と聞いてきて、そのあともずっとそわそわしていたよな。だから今日、会社の飲み会ってことにして隙を作ってやったんだよ。わざと泳がされていることにも気づかないで、お前、本当にバカだな」
男は喋りながら近づいてきて、旺史と八神の傍を通り過ぎ、吉岡の手首を掴んだ。
「こんなガキが何かしてくれるとでも思ったのか? 時間の無駄だ。さっさと帰るぞ」
吉岡の顔が引き攣る。怯えていることは確かなのに、彼女が決意しない限り、自分たちは何もできないことが歯痒かった。
男が駅のほうへと歩き出し、強引に引っ張られる形で吉岡も体の向きを変える。
「吉岡さん!」
八神が追い縋るように一歩踏み出したが、吉岡がそれ以上進もうとしないのを見て、足を止めた。
振り返った男が、一瞬強張らせた顔を取り繕うようにやわらげる。
「美桜、今日は食事して帰ろう。お前のお気に入りの店、最近行ってなかっただろ。今から予約できるか聞いてみるから」
その声も、甘さを帯びたものへと変わっていた。
「吉岡さん」
彼女の背中に向かって、旺史は静かに呼びかけた。
「ここに来る前に、刑事の兄に連絡しました。もうすぐ仕事が終わると言っていたから、そろそろ来る頃だと思います。もし、貴方が今、何かにお困りなら、あとは兄に任せてもらって大丈夫です」
その瞬間、男の目がすっと眇められた。
「おいっ。ガキが適当なこと言ってんじゃねーぞ!」
「あぁ」
旺史は男に、小馬鹿にした笑みを向けた。
「店長や俺たちのことを心配する必要はありませんよ。犯人が自分以外考えられない状況で店長の命を狙う度胸なんて、こいつにはないでしょうし……。自分より弱い相手をいたぶることでしか優越感を得られない幼稚な人間なんて、俺たちは怖くもなんともありませんから」
「お、おい、佐久良っ」
わざと相手の神経を逆撫でする言い方をしたのだが、八神は声を上擦らせ、旺史の袖を引いた。
「こんのやろう!」
案の定、男が吉岡の手を離し、目を血走らせてこちらに向かってくる。
「ちょっとやめて!」
吉岡が悲痛な声を上げる中、旺史は八神の手を払い、彼の体を押して自分から離した。
憤怒の形相の男が、旺史の頬をめがけ、大振りに拳を振るう。
動きは見えていた。
当たる直前に横っ飛びし、最小限のダメージで済ませるつもりだったが、そう思い通りにはいかないものだ。飛ぶ速さより拳のほうが速く、直後、左の頬に鈍い痛みがした。
ただ、痛みのわりに体は大袈裟に吹っ飛んだから、目的は達成したってことでいいのだろう。
「佐久良!」
いつのまにか人が集まってきていたようで、八神の叫び声に混じり、周囲からも悲鳴やざわめきが聞こえてくる。
「あいてててて」
頬を手で押さえ、地面をのたうち、痛がるふりをしながら、旺史は視線を走らせる。中にはスマホのカメラを向けているギャラリーもいる。それでもこちらに向かってくる男は、すっかり冷静さを失っているようだった。
さすがに二発目をもらうのは御免だ。
乗りかかられる前に腰を蹴り上げ、腕ひしぎに持ち込もう。
久々に血が沸き立つ。しかし、その熱を断ち切るように、ギャラリーの中から間延びした声がした。
「はーい。そこまでー」


