金曜日の夕方。紫己は学校帰りに、佐久良と秦と共に、秦の母校である小学校を訪れた。
学童保育の子供たちだろうか。橙色に染まる校庭では、小さな子供たちが追いかけっこをしていた。
下駄箱に並ぶ小さな上履きや廊下へ上がる低い段差に、自分が通っていた学校でもないのに懐かしさを覚える。
職員室で出迎えてくれたのは、女性の教頭先生だった。
五十代前半くらいの、丸眼鏡をかけた柔和な面立ちで、秦が小学生の頃からこの学校に勤めているという。秦のことも、顔を見て、いつもよく似た雰囲気の少女と一緒にいたことを思い出したようだった。紫己と佐久良については、秦と薫子の共通の知人で、秦のことを心配して付き添ってきたことを、彼女が挨拶がてら説明した。
「お母様からお話はうかがいました。溝口さんのことは、秦さんもお辛かったでしょうね」
職員室を出て廊下を歩きながら、教頭先生が痛ましそうに眉をひそめた。
秦は視線を伏せ、何か言いかけてわずかに口を開いたが、すぐに唇を引き結んだ。
「ありがとうございます」
少し強張った声で、それだけ返す。
槇村にスマホの音声を削除されていたことに気づいた日から、秦は学校に来ていない。
彼女だけが私服姿であることに教頭先生が触れないのは、不登校のことも母親から聞いているのかもしれない。今回の依頼を快く受け入れてくれたのも、塞ぎ込んでいる彼女が少しでも前を向くきっかけになればという配慮かと思われた。
槇村が薫子を襲い、その末に彼女が階段から転落して亡くなっていたことは、彼の逮捕と共に世間にも明らかになった。宗史の話によると、彼は薫子を襲ったのはあくまで「猥褻目的」とし、秦との交際や受験問題の漏出については否認を貫いているらしい。
彼の中に、生徒を守ろうとする教師の部分が残っていたのか、あるいは、これ以上余罪を増やしたくなかっただけか。できれば前者だと思いたかった。
「でも、お母様はよく、タイムカプセルのことを覚えてらっしゃいましたね」
沈んだ空気を和ますように、教頭先生が話題を変える。
「あ……、はい」
秦は曖昧に返しつつ、横目でちらりと紫己を見た。
タイムカプセルのことを彼女の母に相談したのが紫己と佐久良であることを、見抜いているのだろう。そのきっかけをくれたのは、薫子だった。事件の解決後も彼女が成仏しない理由を探るために、佐久良の力を借りて霊視した。そのときに読み取った記憶だ。
「ここです」
「資料室」というプレートの掲げられたドアの前で教頭先生が足を止めた。
手にしていたマスターキーで鍵を開ける。引き戸は滑りが悪いのか、ぎぃ、と軋んだ音を立てながらゆっくりと開いた。資料室特有の、古紙と埃の混じったような匂いが鼻を掠める。
教頭先生が入り口脇のスイッチで明かりをつけ、中へと通される。
八畳ほどの広さの室内には、壁際を囲むように棚が並び、半透明の収納ケースや古い文集、ファイル類が隙間なく収められている。
床にも、授業用の教材や運動会で使う備品らしき段ボール箱が無造作に積み上げられていた。
「秦さんの学年は……」
教頭先生が呟きつつ、収納ケースに張られた卒業年度の書かれたラベルを順に辿り、「あった」と指さしていた手を止めた。
佐久良と二人で手を貸し、収納ケースを床へと下ろす。土に埋めることもあると聞いたことがあるが、この学校では、それぞれの収納ケースがタイムカプセル代わりらしい。本来なら十八歳の夏休みにクラス全員で集まり開ける予定だったそれを、今回は特別に秦と薫子の分だけ見せてもらうことになっていた。秦の母親を通じて、薫子の母からも了承をもらっている。
うっすらと埃の積もった蓋をそっと開けると、中には、小さな箱や缶、封筒らしきものがぎっしりと詰め込まれていた。それぞれに名前の書かれたシールが貼られているが、一つ一つ手に取って確認するのは骨が折れそうだ。
「秦さん、自分のがどれか覚えてる?」
同じことを考えていたのか、教頭先生が尋ねた。
「たぶんこれ……」
中でも目を引いていた、アクセサリーケースのような可愛らしい小箱に秦が手を伸ばす。
「あら。それ、二人分の名前がついてるわね」
言われて覗き込むと、たしかに、その箱だけはシールが二枚貼ってあった。秦茉莉花と溝口薫子。少しバランスの悪い、丸み帯びた文字で、二人の名前が記されている。
秦は一瞬考え込み、すぐに何かを思い出した顔をした。
「薫子、おまんじゅうの箱に入れようとしてたから……。私のに一緒に入れる? って言ったの」
つぶらな瞳を懐かしそうに細める。
彼女が初めて見せた、母校に来た卒業生らしい表情に、少しホッとした。
「それ、どちらも持って帰ってもらっていいですよ。溝口さんのお母さんからも連絡をいただいたんです」
「えっ……」
秦が顔を上げる。
「今はまだ、薫子さんのタイムカプセルを見る気持ちの余裕がないから、薫子さんの分は秦さんに預かっていてほしいそうです。気持ちの整理ができたら、秦さんのところに伺うと仰っていました」
困惑気味に見つめ返すだけで返事をできずにいる秦に、教頭先生が優しく微笑み、頷いてみせた。
以前、薫子の記憶を読んだとき、彼女の両親がいつも言い争っていて、学校だけが彼女の安らげる場所だったことを思い出した。
遅すぎたのかもしれないけど。母親の、今はまだ娘のタイムカプセルを見られない気持ちも、それでもいつかは見たいと思っていることも、薫子さんに伝わればいいなと思った。
学童保育の子供たちだろうか。橙色に染まる校庭では、小さな子供たちが追いかけっこをしていた。
下駄箱に並ぶ小さな上履きや廊下へ上がる低い段差に、自分が通っていた学校でもないのに懐かしさを覚える。
職員室で出迎えてくれたのは、女性の教頭先生だった。
五十代前半くらいの、丸眼鏡をかけた柔和な面立ちで、秦が小学生の頃からこの学校に勤めているという。秦のことも、顔を見て、いつもよく似た雰囲気の少女と一緒にいたことを思い出したようだった。紫己と佐久良については、秦と薫子の共通の知人で、秦のことを心配して付き添ってきたことを、彼女が挨拶がてら説明した。
「お母様からお話はうかがいました。溝口さんのことは、秦さんもお辛かったでしょうね」
職員室を出て廊下を歩きながら、教頭先生が痛ましそうに眉をひそめた。
秦は視線を伏せ、何か言いかけてわずかに口を開いたが、すぐに唇を引き結んだ。
「ありがとうございます」
少し強張った声で、それだけ返す。
槇村にスマホの音声を削除されていたことに気づいた日から、秦は学校に来ていない。
彼女だけが私服姿であることに教頭先生が触れないのは、不登校のことも母親から聞いているのかもしれない。今回の依頼を快く受け入れてくれたのも、塞ぎ込んでいる彼女が少しでも前を向くきっかけになればという配慮かと思われた。
槇村が薫子を襲い、その末に彼女が階段から転落して亡くなっていたことは、彼の逮捕と共に世間にも明らかになった。宗史の話によると、彼は薫子を襲ったのはあくまで「猥褻目的」とし、秦との交際や受験問題の漏出については否認を貫いているらしい。
彼の中に、生徒を守ろうとする教師の部分が残っていたのか、あるいは、これ以上余罪を増やしたくなかっただけか。できれば前者だと思いたかった。
「でも、お母様はよく、タイムカプセルのことを覚えてらっしゃいましたね」
沈んだ空気を和ますように、教頭先生が話題を変える。
「あ……、はい」
秦は曖昧に返しつつ、横目でちらりと紫己を見た。
タイムカプセルのことを彼女の母に相談したのが紫己と佐久良であることを、見抜いているのだろう。そのきっかけをくれたのは、薫子だった。事件の解決後も彼女が成仏しない理由を探るために、佐久良の力を借りて霊視した。そのときに読み取った記憶だ。
「ここです」
「資料室」というプレートの掲げられたドアの前で教頭先生が足を止めた。
手にしていたマスターキーで鍵を開ける。引き戸は滑りが悪いのか、ぎぃ、と軋んだ音を立てながらゆっくりと開いた。資料室特有の、古紙と埃の混じったような匂いが鼻を掠める。
教頭先生が入り口脇のスイッチで明かりをつけ、中へと通される。
八畳ほどの広さの室内には、壁際を囲むように棚が並び、半透明の収納ケースや古い文集、ファイル類が隙間なく収められている。
床にも、授業用の教材や運動会で使う備品らしき段ボール箱が無造作に積み上げられていた。
「秦さんの学年は……」
教頭先生が呟きつつ、収納ケースに張られた卒業年度の書かれたラベルを順に辿り、「あった」と指さしていた手を止めた。
佐久良と二人で手を貸し、収納ケースを床へと下ろす。土に埋めることもあると聞いたことがあるが、この学校では、それぞれの収納ケースがタイムカプセル代わりらしい。本来なら十八歳の夏休みにクラス全員で集まり開ける予定だったそれを、今回は特別に秦と薫子の分だけ見せてもらうことになっていた。秦の母親を通じて、薫子の母からも了承をもらっている。
うっすらと埃の積もった蓋をそっと開けると、中には、小さな箱や缶、封筒らしきものがぎっしりと詰め込まれていた。それぞれに名前の書かれたシールが貼られているが、一つ一つ手に取って確認するのは骨が折れそうだ。
「秦さん、自分のがどれか覚えてる?」
同じことを考えていたのか、教頭先生が尋ねた。
「たぶんこれ……」
中でも目を引いていた、アクセサリーケースのような可愛らしい小箱に秦が手を伸ばす。
「あら。それ、二人分の名前がついてるわね」
言われて覗き込むと、たしかに、その箱だけはシールが二枚貼ってあった。秦茉莉花と溝口薫子。少しバランスの悪い、丸み帯びた文字で、二人の名前が記されている。
秦は一瞬考え込み、すぐに何かを思い出した顔をした。
「薫子、おまんじゅうの箱に入れようとしてたから……。私のに一緒に入れる? って言ったの」
つぶらな瞳を懐かしそうに細める。
彼女が初めて見せた、母校に来た卒業生らしい表情に、少しホッとした。
「それ、どちらも持って帰ってもらっていいですよ。溝口さんのお母さんからも連絡をいただいたんです」
「えっ……」
秦が顔を上げる。
「今はまだ、薫子さんのタイムカプセルを見る気持ちの余裕がないから、薫子さんの分は秦さんに預かっていてほしいそうです。気持ちの整理ができたら、秦さんのところに伺うと仰っていました」
困惑気味に見つめ返すだけで返事をできずにいる秦に、教頭先生が優しく微笑み、頷いてみせた。
以前、薫子の記憶を読んだとき、彼女の両親がいつも言い争っていて、学校だけが彼女の安らげる場所だったことを思い出した。
遅すぎたのかもしれないけど。母親の、今はまだ娘のタイムカプセルを見られない気持ちも、それでもいつかは見たいと思っていることも、薫子さんに伝わればいいなと思った。


