窓から射し込む陽が、机や床をオレンジ色に染めている。
目を覚ましたとき、教室には佐久良と二人だけになっていた。
秦は予備校があるので、先に帰ったということだった。
霊の気配もなくなっていたから、やはり薫子は秦につき纏っているのかもしれない。ただ、読み取れた中では秦への悪意は全く感じなかったから、今のところ彼女を害する心配はない気がした。
意識を失くしていたのは30分くらいで前回とそれほど変わらないが、起きたときはこれまでになく眠気が残っていて頭が重い感じだった。佐久良の力を借りた3度の霊視を経験してわかったことは、霊と意識を通わせようとすると最後はかならず眠ってしまうということだ。それに、念を送るよりも読み取るほうが疲弊する。
「意識を失くしたら起きるまで床に転がしておいて」と事前に言っておいたのだが、佐久良の腕の中で目を覚まし、気まずい思いをするのも前回と同様だった、
霊園に寄り道することを提案し、その道すがら、紫己は薫子の霊体を通じて見聞きしたことを佐久良に伝えた。自分で足を滑らせたのではなく、男に襲われて逃げようとして転落していたことを伝えても、佐久良はさほど驚かなかった。
「だって普通は、いくら雨の日でも、階段で足を滑らせて落ちたからって、打ち所が悪くて亡くなるなんてこと滅多にないよな? よっぽど勢いよく落ちたんなら、何かその理由があるはずだ」
佐久良の説明に、紫己は「なるほど」と頷く。
そうだとして、警察が他殺の疑いについて言及しないのは、はっきりとした証拠がないからだろうか……。
「でも……、そいつは一体、何がしたかったんだろうな」
佐久良は顎に指を当て、小難しい表情をした。
「財布やお金が亡くなっていたら、警察も『強盗疑い』って発表するんじゃないの? そうじゃないってことは、普通は痴漢だろ」
もっともらしく喋りながら、必死にもがいてもびくともしなかった腕を思い返し、紫己はぶるりと身震いする。
「いやでもさ……。触られたのは腰の辺りなんだろ?」
「たしかこの辺だった」
紫己は自身のスラックスの、右のウエストから太腿にかけて、上下に撫でてみせる。
「それが本当なら、痴漢っぽくもないんだよな……。普通、痴漢が狙うとしたら、胸かスカートの中だろ」
さらっと口にされた卑猥な発言に、紫己は思わず顔をしかめた。
「痴漢がみんな、君みたいにスケベとは限らないだろう?」
「スケベじゃない痴漢がいるかよ。つーか別に俺はスケベじゃない! 一般論を言っているだけだ! 実際、寝ているお前にイタズラしたこともないだろう?」
「そ、それは僕が男だから……、いや、まぁ。たとえ女子相手でも、寝ている人をどうこうするような人ではだろうけど……」
「お前はあまり俺を信用しすぎないほうがいいと思うぞ」
それはどういう意味だろう。まさかの犯罪予備軍アピール?
冗談を言われ慣れていない紫己は、こういうとき上手い返しができずに困る。
「でも、強盗でも痴漢でもないとなると、本当に何がしたかったんだろうね。ただの変質者?」
「その可能性はあるかもしれないが……、それにしては、準備がよすぎないか?」
「準備?」
紫己のオウム返しに、佐久良が鷹揚に頷いた。
「痴漢みたいに触って性的興奮を得ることが目的でないにしても、変質者がいきなり背後から抱きつくのは、相手を怖がらせたいからだろう? でも、だとしたら、わざわざ雨の日にやるかな? 傘が邪魔だし、相手が怯える顔もはっきり見えない。犯人は目出し帽まで用意してるくらいだから、衝動的な犯行とも考えにくい。防犯カメラから身を隠すために、わざと雨の日を狙ったのかもしれない」
目についた点と点を線で結ぶことしかできない紫己と違って、佐久良は最初から全体像を俯瞰で捉えられている気がする。理論だった思考回路も含めて、もしかして、見た目は高校生、中身はおじさんかなと思うときがあった。
「それって、犯人は最初から薫子さんを狙ってたってこと? 何のために……」
佐久良はすぐには答えず、いつになく険しい顔をしていたが……。やがてぼそりと呟いた。
「狙いは、薫子さんじゃなかったかもしれない」
「……えっ…………」
思わず足を止める。
東雲坂霊園と書かれた石碑を通り過ぎ、霊園の敷地内に足を踏み入れたときだった。
つられて立ち止まった佐久良が体ごと振り返り、向かい合わせで見つめ合うことになる。
「だとしたら、本当に狙っていた相手って……」
声を上擦らせ、佐久良がそう考える根拠について頭を巡らせる。
犯人が取り違えたかもしれない相手がすぐに思い浮かんだのは、つい先ほど、二人が並んで立つ姿を見て、雰囲気が似ていると感じたばかりだからだ。一人は生きている人ではなかったけれども。
秦と薫子。確かに二人は顔は似ていないが、髪型と背格好が一緒だから、遠くから見たら見間違うかもしれない。それに、薫子は何でも秦の真似をしたがると言っていた。傘の絵柄も似ていた可能性がある。
例えば、犯人が予備校の入り口が見えるところで見張っていたとして、最初に出てきたのが薫子なら、秦だと思い込んでもおかしくはない。もし、犯人が雨の日に襲うことを決めていたのなら、ストーカーでもない限り、一日だけの体験入学に来ていた薫子をたまたま雨の日に襲ったのは偶然がすぎる。狙いが秦だったと考えるほうが辻褄が合う気がした。
「犯人が薫子さんのストーカーだった可能性は?」
「ストーカーなら、わざわざ防犯カメラのある駅周辺で待ち伏せして尾けてきたりはしないだろ。学校帰りに人気のないところで狙ったほうが安全だ。秦先輩は普段は自転車通学だから、雨の日だけ徒歩になることを知っていたんじゃないかな。何度もチャンスがあるわけじゃないから、焦っていて、それで薫子さんと先輩を取り違えたのかもしれない」
正論を返され、再び唸ることとなった。
自分で足を滑らせたのではなく、加害者がいた上に、もしかしたら人間違いだったかもしれないと考えると、重かった気分が一層陰鬱になる。
「それって……犯人は秦先輩の知り合いってことになるのかな?」
「おそらくな。彼女が自転車で転んだと言っていたのも、事故の様子を聞いた感じでは、事前に部品に細工されていた可能性が高い」
「え? じゃあ、先輩の身が危ないってことだよね? 早く知らせなきゃ」
焦る紫己とは裏腹に、佐久良は踵を返し、霊園の奥に向かって歩き出した。
紫己もその背を追いかける。
「自転車のことがあったから、お前が寝ている間に、彼女には一人にならないよう伝えている。下校時間なら学校から駅までは誰かしら人がいるし、予備校が終わったあとは親に迎えに来てもらうと言っていた。それに、今の話を聞いて、狙いは彼女に怪我を負わせることではない気がしてきた。自転車にまで細工をしたとなると、かなり追い詰められているようだがな」
怪我を負わせることが目的でないとすると、いったい何が目的なのだろう。
「薫子さん、いる?」
尋ねられ、紫己は首を横に振った。
ここに来た目的の一つが、目を覚ましたとき教室には彼女の姿がなく、もしかしたらここにいるかもしれないと思ったからだ。ここに来たら、霊視で見落とした犯人の手がかりも見つかるかもしれないとも期待していた。今のところは、佐久良に話した以上のことは何も思い出せない。
「襲われたのはこの辺?」
階段の手前まで来て、佐久良が足を止める。
「うん。ちょうどこの辺だった。傘を持って歩いていて……」
夜な上に雨も降っていたから今とはだいぶ景色が違っている。
階段までの距離を目安に、彼女が襲われた瞬間の景色に一番近い場所に立った。右手は、傘を持つように胸の前に上げている。
「ここで背後から犯人が傘の内側に入って来て……」
架空の傘と紫己との間に体を滑り込ませるように身を捻り、佐久良が背後に立った。
「最初は両腕で抱きついて、口を塞いだんだよな?」
記憶の中と同じように拘束され、左手で口を塞がれる。わざわざ再現する必要あるのかなと思いつつ、うんうんと首肯した。
「それで右手は腰から太もも付近をまさぐって……」
実際に触られ、無意識に身をよじる。彼の右手は止まることなく、するりと奥に入り込んできた。入り込んだ先にあったのは、すなわち……。
「やっぱこういうことだよな?」
ニヤリと片笑む佐久良の右手には、スマホが掲げられていた。
目を覚ましたとき、教室には佐久良と二人だけになっていた。
秦は予備校があるので、先に帰ったということだった。
霊の気配もなくなっていたから、やはり薫子は秦につき纏っているのかもしれない。ただ、読み取れた中では秦への悪意は全く感じなかったから、今のところ彼女を害する心配はない気がした。
意識を失くしていたのは30分くらいで前回とそれほど変わらないが、起きたときはこれまでになく眠気が残っていて頭が重い感じだった。佐久良の力を借りた3度の霊視を経験してわかったことは、霊と意識を通わせようとすると最後はかならず眠ってしまうということだ。それに、念を送るよりも読み取るほうが疲弊する。
「意識を失くしたら起きるまで床に転がしておいて」と事前に言っておいたのだが、佐久良の腕の中で目を覚まし、気まずい思いをするのも前回と同様だった、
霊園に寄り道することを提案し、その道すがら、紫己は薫子の霊体を通じて見聞きしたことを佐久良に伝えた。自分で足を滑らせたのではなく、男に襲われて逃げようとして転落していたことを伝えても、佐久良はさほど驚かなかった。
「だって普通は、いくら雨の日でも、階段で足を滑らせて落ちたからって、打ち所が悪くて亡くなるなんてこと滅多にないよな? よっぽど勢いよく落ちたんなら、何かその理由があるはずだ」
佐久良の説明に、紫己は「なるほど」と頷く。
そうだとして、警察が他殺の疑いについて言及しないのは、はっきりとした証拠がないからだろうか……。
「でも……、そいつは一体、何がしたかったんだろうな」
佐久良は顎に指を当て、小難しい表情をした。
「財布やお金が亡くなっていたら、警察も『強盗疑い』って発表するんじゃないの? そうじゃないってことは、普通は痴漢だろ」
もっともらしく喋りながら、必死にもがいてもびくともしなかった腕を思い返し、紫己はぶるりと身震いする。
「いやでもさ……。触られたのは腰の辺りなんだろ?」
「たしかこの辺だった」
紫己は自身のスラックスの、右のウエストから太腿にかけて、上下に撫でてみせる。
「それが本当なら、痴漢っぽくもないんだよな……。普通、痴漢が狙うとしたら、胸かスカートの中だろ」
さらっと口にされた卑猥な発言に、紫己は思わず顔をしかめた。
「痴漢がみんな、君みたいにスケベとは限らないだろう?」
「スケベじゃない痴漢がいるかよ。つーか別に俺はスケベじゃない! 一般論を言っているだけだ! 実際、寝ているお前にイタズラしたこともないだろう?」
「そ、それは僕が男だから……、いや、まぁ。たとえ女子相手でも、寝ている人をどうこうするような人ではだろうけど……」
「お前はあまり俺を信用しすぎないほうがいいと思うぞ」
それはどういう意味だろう。まさかの犯罪予備軍アピール?
冗談を言われ慣れていない紫己は、こういうとき上手い返しができずに困る。
「でも、強盗でも痴漢でもないとなると、本当に何がしたかったんだろうね。ただの変質者?」
「その可能性はあるかもしれないが……、それにしては、準備がよすぎないか?」
「準備?」
紫己のオウム返しに、佐久良が鷹揚に頷いた。
「痴漢みたいに触って性的興奮を得ることが目的でないにしても、変質者がいきなり背後から抱きつくのは、相手を怖がらせたいからだろう? でも、だとしたら、わざわざ雨の日にやるかな? 傘が邪魔だし、相手が怯える顔もはっきり見えない。犯人は目出し帽まで用意してるくらいだから、衝動的な犯行とも考えにくい。防犯カメラから身を隠すために、わざと雨の日を狙ったのかもしれない」
目についた点と点を線で結ぶことしかできない紫己と違って、佐久良は最初から全体像を俯瞰で捉えられている気がする。理論だった思考回路も含めて、もしかして、見た目は高校生、中身はおじさんかなと思うときがあった。
「それって、犯人は最初から薫子さんを狙ってたってこと? 何のために……」
佐久良はすぐには答えず、いつになく険しい顔をしていたが……。やがてぼそりと呟いた。
「狙いは、薫子さんじゃなかったかもしれない」
「……えっ…………」
思わず足を止める。
東雲坂霊園と書かれた石碑を通り過ぎ、霊園の敷地内に足を踏み入れたときだった。
つられて立ち止まった佐久良が体ごと振り返り、向かい合わせで見つめ合うことになる。
「だとしたら、本当に狙っていた相手って……」
声を上擦らせ、佐久良がそう考える根拠について頭を巡らせる。
犯人が取り違えたかもしれない相手がすぐに思い浮かんだのは、つい先ほど、二人が並んで立つ姿を見て、雰囲気が似ていると感じたばかりだからだ。一人は生きている人ではなかったけれども。
秦と薫子。確かに二人は顔は似ていないが、髪型と背格好が一緒だから、遠くから見たら見間違うかもしれない。それに、薫子は何でも秦の真似をしたがると言っていた。傘の絵柄も似ていた可能性がある。
例えば、犯人が予備校の入り口が見えるところで見張っていたとして、最初に出てきたのが薫子なら、秦だと思い込んでもおかしくはない。もし、犯人が雨の日に襲うことを決めていたのなら、ストーカーでもない限り、一日だけの体験入学に来ていた薫子をたまたま雨の日に襲ったのは偶然がすぎる。狙いが秦だったと考えるほうが辻褄が合う気がした。
「犯人が薫子さんのストーカーだった可能性は?」
「ストーカーなら、わざわざ防犯カメラのある駅周辺で待ち伏せして尾けてきたりはしないだろ。学校帰りに人気のないところで狙ったほうが安全だ。秦先輩は普段は自転車通学だから、雨の日だけ徒歩になることを知っていたんじゃないかな。何度もチャンスがあるわけじゃないから、焦っていて、それで薫子さんと先輩を取り違えたのかもしれない」
正論を返され、再び唸ることとなった。
自分で足を滑らせたのではなく、加害者がいた上に、もしかしたら人間違いだったかもしれないと考えると、重かった気分が一層陰鬱になる。
「それって……犯人は秦先輩の知り合いってことになるのかな?」
「おそらくな。彼女が自転車で転んだと言っていたのも、事故の様子を聞いた感じでは、事前に部品に細工されていた可能性が高い」
「え? じゃあ、先輩の身が危ないってことだよね? 早く知らせなきゃ」
焦る紫己とは裏腹に、佐久良は踵を返し、霊園の奥に向かって歩き出した。
紫己もその背を追いかける。
「自転車のことがあったから、お前が寝ている間に、彼女には一人にならないよう伝えている。下校時間なら学校から駅までは誰かしら人がいるし、予備校が終わったあとは親に迎えに来てもらうと言っていた。それに、今の話を聞いて、狙いは彼女に怪我を負わせることではない気がしてきた。自転車にまで細工をしたとなると、かなり追い詰められているようだがな」
怪我を負わせることが目的でないとすると、いったい何が目的なのだろう。
「薫子さん、いる?」
尋ねられ、紫己は首を横に振った。
ここに来た目的の一つが、目を覚ましたとき教室には彼女の姿がなく、もしかしたらここにいるかもしれないと思ったからだ。ここに来たら、霊視で見落とした犯人の手がかりも見つかるかもしれないとも期待していた。今のところは、佐久良に話した以上のことは何も思い出せない。
「襲われたのはこの辺?」
階段の手前まで来て、佐久良が足を止める。
「うん。ちょうどこの辺だった。傘を持って歩いていて……」
夜な上に雨も降っていたから今とはだいぶ景色が違っている。
階段までの距離を目安に、彼女が襲われた瞬間の景色に一番近い場所に立った。右手は、傘を持つように胸の前に上げている。
「ここで背後から犯人が傘の内側に入って来て……」
架空の傘と紫己との間に体を滑り込ませるように身を捻り、佐久良が背後に立った。
「最初は両腕で抱きついて、口を塞いだんだよな?」
記憶の中と同じように拘束され、左手で口を塞がれる。わざわざ再現する必要あるのかなと思いつつ、うんうんと首肯した。
「それで右手は腰から太もも付近をまさぐって……」
実際に触られ、無意識に身をよじる。彼の右手は止まることなく、するりと奥に入り込んできた。入り込んだ先にあったのは、すなわち……。
「やっぱこういうことだよな?」
ニヤリと片笑む佐久良の右手には、スマホが掲げられていた。


