開け放たれた窓から、5月の爽やかな風と、それに乗って吹奏楽部が練習する音や部活動生たちの掛け声が吹き込んでくる。
他に人のいなくなった静かなラウンジで、紫己は佐久良とともに秦の話に耳を傾けた。
秦が示した写真の人物は、この学園に通っていた同じ三年生の溝口薫子。3月に霊園で転落し亡くなった生徒だった。
彼女たちは小学校からの同級生らしい。小学5年生のとき、秦のクラスに薫子が転校してきたときからの付き合いで、中学までは毎日一緒に学校に通うくらい仲がよかったらしい。
二人とも中学までは公立で、秦が華橘学園が第一志望と聞き、薫子も受験を決めたそうだ。ただ、薫子だけが特進コースに合格し、秦が普通科になったことで、徐々に距離が開いていった。
「中学の頃と違って、入学した時からメイクをしていたり彼氏がいたりする子もいて……。私も好きな人がいて、絶対に高校の間に落としたいって思ってたから、色々教えてもらっていたの。でも、薫子は、『そんなことしてたら成績下がるよ』とか、親みたいなことばっか言って……。正直ウザくなってたから、ラインも既読スルーして、わざと距離を取っていたんだよね……」
ぽつりぽつりと喋っていた秦が、ハッとした顔で辺りを見回した。
「ヤバッ。今、薫子の霊がいるんだよね? 悪口言ったの聞かれちゃった?」
紫己は子どもの頃の記憶を手繰り寄せる。
「僕の知っている霊は……、人同士の会話を理解していなかったように思います」
子どもの頃は霊になった母と会話していた。ただ、父と紫己の会話を母が理解している様子はなかった気がする。
「薫子さんのことを避けていたから、薫子さんの霊が成仏せずに先輩の周りにいるってことですか?」
尋ねたのは佐久良だ。
「それだけじゃなくて……。私、あの子に恨まれてるはずだから……」
秦がテーブルの上で擦り合わせていた手を指を絡めて握り込んだ。
「小学生の頃から、あの子、私の真似ばかりしていたの。髪型とか持ち物とか……。音楽やアイドルも、私が好きって言ったのは全部好きになってたし。子供の頃は、お揃いコーデで出かけたり、ライブ行ったりするのも楽しかったけど……、向こうが本物で自分は偽物だって気づいてからは、真似されるのが嫌になって……。だから、高校入試で特進科に落ちてクラスが分かれるってわかったとき、悔しかったけど、少しホッとした」
「あの……、本物と偽物って?」
紫己の問いに、秦がむくれたような顔をする。
「だって……、私と薫子が似たような髪型と服装していたら、どう見ても向こうが本物でこっちが偽物じゃん」
なぜ無理やり本物と偽物に分けようとするのかはわからないが、それ以上の質問は呑み込んだ。
高校に入ってメイクを覚えて、恋もそれなりに上手くいっていたことで、秦は薫子のことを意識せずにいられたらしい。廊下で顔を合わせたら会釈するとか、そのくらいの関係が続いていた。
歯車が狂い始めたのは、薫子が亡くなる少し前のことだった。
「私、今年のバレンタイン前にフラれちゃって。ずっと成績は落ちてたし学期末試験も散々だったから、予備校に行かされることになったのよ。正直、全然勉強が手につかない状態で……。どうやったらフラれた相手の心を取り戻せるかってことばかり考えてた。そんなときにね、予備校に薫子が体験入学に来たの。スーパーでうちのママとばったり会って、私が予備校に行きはじめたこと聞いたんだって。通うなら私と同じクラスがいいなぁとか呑気に言ってて……なんか……自分でも何であんなふうになったのかわかんないんだけど……私、怒りを爆発させちゃったの」
秦は自嘲の滲む笑みを浮かべながら、どこか苦しそうに顔を顰めた。
『私、あんたのこと、もう友達とは思ってないから。学校では友達のふりしてあげるけど、外では話しかけないで。私の真似するのも、気持ち悪いからやめてくれる?』
予備校の授業が終わった帰り際、トイレで二人きりになったときに、秦は薫子にそう言ったらしい。
「だって……。どう考えても、特進クラスの彼女が私と同じクラスになるわけないじゃない? 馬鹿にされてると思ったのよ。髪型や持ち物を真似するのも、同じ格好をして、自分のほうが似合うことを見せつけたいからだと思ってた。好きな人のこととか、成績とか……。上手くいかないことでずっとむしゃくしゃしてて……。でも、クラスの友達には嫌われるのが怖くてノリを合わせることしかできなくて……。薫子には、そういうのを全部ぶつけてもいいと思ってしまったのよ……」
それが、薫子が亡くなった日の出来事だった。
秦から拒絶の言葉を浴びせられた彼女は、その後、雨の中、バスを待たずに徒歩で帰る途中、家までの近道である東雲坂霊園で、階段で足を滑らせて転落したとされている。
途切れ途切れに吐き出される言葉には、深い後悔が滲んでいた。
学校という狭いコミュニティの中では、誰もが何かしらの爆弾を抱えている。
八つ当たりしてしまった秦の気持ちも、理解はできる。ただ、その先に起こった出来事の重さを考えれば、何も言葉が出てこなかった。
佐久良は違ったようで、落ち着いた声が陰鬱な空気を断ち切る。
「先輩が薫子さんに『恨まれてるはず』と言う理由は理解できました。でも、薫子さんの霊が『憑いてる』と思うには、何か他の原因があるはずですよね?」
秦が小さく頷く。
「薫子が亡くなった後からね、うちのクラスでポルターガイスト現象っていうの? おかしなことがしょっちゅう起こるようになったのよ。チョークや筆記具が勝手に床に落ちたりとか、窓を閉め切っててエアコンもつけてないのに、ノートが急にめくれたりとか……」
教室内だけ電波が悪くなることはしょっちゅうで、中には、勝手にクラウドやSNSにデータが飛ばされたり、アプリがアップロードされたりといった不具合も相次いでいたらしい。
「そのうち、窓の外や教室の隅に、女子生徒の影を見たって人も出はじめて……。私と同じ髪型って言ってたから、もしかしてと思うようになったの。それに、昨日、自転車で帰っている途中、何もないところで急に転んで……。私、薫子の祟りとしか思えなくて……」
「転ぶ直前、何かおかしなことはありませんでしたか。音や、いつもと違う感触とか」
やはり刑事の弟だからだろうか。こんな不可解な話を聞かされた後でも、佐久良は至って冷静だった。
「そう言えば……。昨日は漕ぎ始めたときから、シャッ、シャッって何か擦れるような音がしていたような……。それでカーブでスピードが出たときにブレーキをかけたら、急に前輪がガクッて止まって転んだ感じだったかな」
「それだと、ブレーキがずれてた可能性もあるかもしれません。自転車は修理に出しました?」
秦は力なく首を横に振った。
「当分、怖くて乗れそうにないから。今年一年はバス通学でもいいかなって思ってる」
ブレーキがずれていたとして、その原因については、佐久良は言及しなかった。
ポルターガイスト現象は、秦の家で起こることはなく、学校のみ。念のため聞いてみたが、薫子のいた特進クラスでも、そういった不可解な現象は起きていないらしい。
実際に秦の周りを霊はウロウロしているから彼女に執着があるのは間違いないだろうが、だとしたら、家で平穏無事なのは説明がつかない。
霊視のあと意識を失くすことを考えると、なるべく一度の霊視で多くの情報を得たかった。そのため、秦の教室に移動してから霊視を行うことにした。
他に人のいなくなった静かなラウンジで、紫己は佐久良とともに秦の話に耳を傾けた。
秦が示した写真の人物は、この学園に通っていた同じ三年生の溝口薫子。3月に霊園で転落し亡くなった生徒だった。
彼女たちは小学校からの同級生らしい。小学5年生のとき、秦のクラスに薫子が転校してきたときからの付き合いで、中学までは毎日一緒に学校に通うくらい仲がよかったらしい。
二人とも中学までは公立で、秦が華橘学園が第一志望と聞き、薫子も受験を決めたそうだ。ただ、薫子だけが特進コースに合格し、秦が普通科になったことで、徐々に距離が開いていった。
「中学の頃と違って、入学した時からメイクをしていたり彼氏がいたりする子もいて……。私も好きな人がいて、絶対に高校の間に落としたいって思ってたから、色々教えてもらっていたの。でも、薫子は、『そんなことしてたら成績下がるよ』とか、親みたいなことばっか言って……。正直ウザくなってたから、ラインも既読スルーして、わざと距離を取っていたんだよね……」
ぽつりぽつりと喋っていた秦が、ハッとした顔で辺りを見回した。
「ヤバッ。今、薫子の霊がいるんだよね? 悪口言ったの聞かれちゃった?」
紫己は子どもの頃の記憶を手繰り寄せる。
「僕の知っている霊は……、人同士の会話を理解していなかったように思います」
子どもの頃は霊になった母と会話していた。ただ、父と紫己の会話を母が理解している様子はなかった気がする。
「薫子さんのことを避けていたから、薫子さんの霊が成仏せずに先輩の周りにいるってことですか?」
尋ねたのは佐久良だ。
「それだけじゃなくて……。私、あの子に恨まれてるはずだから……」
秦がテーブルの上で擦り合わせていた手を指を絡めて握り込んだ。
「小学生の頃から、あの子、私の真似ばかりしていたの。髪型とか持ち物とか……。音楽やアイドルも、私が好きって言ったのは全部好きになってたし。子供の頃は、お揃いコーデで出かけたり、ライブ行ったりするのも楽しかったけど……、向こうが本物で自分は偽物だって気づいてからは、真似されるのが嫌になって……。だから、高校入試で特進科に落ちてクラスが分かれるってわかったとき、悔しかったけど、少しホッとした」
「あの……、本物と偽物って?」
紫己の問いに、秦がむくれたような顔をする。
「だって……、私と薫子が似たような髪型と服装していたら、どう見ても向こうが本物でこっちが偽物じゃん」
なぜ無理やり本物と偽物に分けようとするのかはわからないが、それ以上の質問は呑み込んだ。
高校に入ってメイクを覚えて、恋もそれなりに上手くいっていたことで、秦は薫子のことを意識せずにいられたらしい。廊下で顔を合わせたら会釈するとか、そのくらいの関係が続いていた。
歯車が狂い始めたのは、薫子が亡くなる少し前のことだった。
「私、今年のバレンタイン前にフラれちゃって。ずっと成績は落ちてたし学期末試験も散々だったから、予備校に行かされることになったのよ。正直、全然勉強が手につかない状態で……。どうやったらフラれた相手の心を取り戻せるかってことばかり考えてた。そんなときにね、予備校に薫子が体験入学に来たの。スーパーでうちのママとばったり会って、私が予備校に行きはじめたこと聞いたんだって。通うなら私と同じクラスがいいなぁとか呑気に言ってて……なんか……自分でも何であんなふうになったのかわかんないんだけど……私、怒りを爆発させちゃったの」
秦は自嘲の滲む笑みを浮かべながら、どこか苦しそうに顔を顰めた。
『私、あんたのこと、もう友達とは思ってないから。学校では友達のふりしてあげるけど、外では話しかけないで。私の真似するのも、気持ち悪いからやめてくれる?』
予備校の授業が終わった帰り際、トイレで二人きりになったときに、秦は薫子にそう言ったらしい。
「だって……。どう考えても、特進クラスの彼女が私と同じクラスになるわけないじゃない? 馬鹿にされてると思ったのよ。髪型や持ち物を真似するのも、同じ格好をして、自分のほうが似合うことを見せつけたいからだと思ってた。好きな人のこととか、成績とか……。上手くいかないことでずっとむしゃくしゃしてて……。でも、クラスの友達には嫌われるのが怖くてノリを合わせることしかできなくて……。薫子には、そういうのを全部ぶつけてもいいと思ってしまったのよ……」
それが、薫子が亡くなった日の出来事だった。
秦から拒絶の言葉を浴びせられた彼女は、その後、雨の中、バスを待たずに徒歩で帰る途中、家までの近道である東雲坂霊園で、階段で足を滑らせて転落したとされている。
途切れ途切れに吐き出される言葉には、深い後悔が滲んでいた。
学校という狭いコミュニティの中では、誰もが何かしらの爆弾を抱えている。
八つ当たりしてしまった秦の気持ちも、理解はできる。ただ、その先に起こった出来事の重さを考えれば、何も言葉が出てこなかった。
佐久良は違ったようで、落ち着いた声が陰鬱な空気を断ち切る。
「先輩が薫子さんに『恨まれてるはず』と言う理由は理解できました。でも、薫子さんの霊が『憑いてる』と思うには、何か他の原因があるはずですよね?」
秦が小さく頷く。
「薫子が亡くなった後からね、うちのクラスでポルターガイスト現象っていうの? おかしなことがしょっちゅう起こるようになったのよ。チョークや筆記具が勝手に床に落ちたりとか、窓を閉め切っててエアコンもつけてないのに、ノートが急にめくれたりとか……」
教室内だけ電波が悪くなることはしょっちゅうで、中には、勝手にクラウドやSNSにデータが飛ばされたり、アプリがアップロードされたりといった不具合も相次いでいたらしい。
「そのうち、窓の外や教室の隅に、女子生徒の影を見たって人も出はじめて……。私と同じ髪型って言ってたから、もしかしてと思うようになったの。それに、昨日、自転車で帰っている途中、何もないところで急に転んで……。私、薫子の祟りとしか思えなくて……」
「転ぶ直前、何かおかしなことはありませんでしたか。音や、いつもと違う感触とか」
やはり刑事の弟だからだろうか。こんな不可解な話を聞かされた後でも、佐久良は至って冷静だった。
「そう言えば……。昨日は漕ぎ始めたときから、シャッ、シャッって何か擦れるような音がしていたような……。それでカーブでスピードが出たときにブレーキをかけたら、急に前輪がガクッて止まって転んだ感じだったかな」
「それだと、ブレーキがずれてた可能性もあるかもしれません。自転車は修理に出しました?」
秦は力なく首を横に振った。
「当分、怖くて乗れそうにないから。今年一年はバス通学でもいいかなって思ってる」
ブレーキがずれていたとして、その原因については、佐久良は言及しなかった。
ポルターガイスト現象は、秦の家で起こることはなく、学校のみ。念のため聞いてみたが、薫子のいた特進クラスでも、そういった不可解な現象は起きていないらしい。
実際に秦の周りを霊はウロウロしているから彼女に執着があるのは間違いないだろうが、だとしたら、家で平穏無事なのは説明がつかない。
霊視のあと意識を失くすことを考えると、なるべく一度の霊視で多くの情報を得たかった。そのため、秦の教室に移動してから霊視を行うことにした。


