佐久良が他のクラスの女子に呼び出されているところなら、何度か見かけたことがある。自分が呼び出される理由に皆目見当がつかない紫己は、声をかけてきたクラスメイトに尋ねた。
「僕? 佐久良じゃなくて?」
「俺も尋ねたけど、八神で間違いないってよ。三年の先輩」
上級生となると、なおさら接点などない。
佐久良と顔を見合わせ立ち上がると、彼も後に続いた。
「俺も行く」
「何で君まで?」
「付き添い?」
紫己が入り口へと向かうのを見て、クラスメイトは「じゃ」と軽く手を上げ教室を出て行った。
残された女子生徒は近くで見ても初めて見る顔だった。長めのボブというのだろうか。ストレートの黒髪が肩にかかる手前で切りそろえられている。目立つタイプの美人ではないけど、黒目がちな目に小ぶりな鼻と口がバランスよく収まった、どこか幼さの残る顔立ちだった。
きっと可愛い系に入るのだろうが、今は顔色が悪く、目の下に濃い隈ができていて、そちらのほうが目を引いてしまう。
「あの、僕が八神です」
軽く頭を下げると、彼女の左膝から下腿に包帯が巻かれているのが目に入った。左手の甲にも大きめの絆創膏が貼ってある。上履きの先は小豆色で、やはり三年生のようだ。
顔を上げ、視線で促して廊下の人のいないところへと移動する。
「貴方、もしかして、霊とかそういうのが見える人?」
開口一番、彼女はそう言った。
「え?」
思わず声が漏れ、辺りを見回す。近くを歩く人はいても、こちらに気を取られている様子はなかった。そのまま隣に立つ男を見上げる。佐久良も困惑した表情をしていた。
以前、朝から霊園に引き寄せられて遅刻したあと、しばらくの間、「八神、霊に呼ばれたってよ」と噂されていた時期があった。その頃は似たようなことを尋ねてくる人たちもたくさんいたが、「ちょっと近くを散策しようとしたら、気分が悪くなっちゃっただけだよ」とかなんとか言って適当にはぐらかしていた。
目の前の彼女は彼らとは全然違っている。面白半分といった様子はなく、落ち窪んだその目は、明らかに怯えをはらんでいた。でも、だからこそ、不用意に答えてはいけない気がする。
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
なるべく声を和らげて尋ねると、彼女はスカートの前で指先をぎゅっと握りあわせ、顔を俯かせた。
「前に……一年生の男子が霊園の霊に呼ばれたって噂を聞いたことがあって……。そのあと、放課後、霊園のほうに向かう貴方たちを見かけたの。一年生の美少年って言ってたから、すぐに噂の子だとピンときたんだけど……、それからすぐに、ネカフェの店長の意識が戻ったってニュースを見て……」
一度話を区切り、言葉を探すように視線を揺らす。
「店長はストーカーじゃなく、刺した男のほうがDV野郎で、男から彼女を守ろうとしていたんだよね? 四か月以上意識が覚めなくて、事件も解決していなかったのに……、貴方たちが霊園に行った途端、何もかもがいいほうに動き出したから、どうしても、全くの無関係とは思えなくて……」
紫己は再び隣を見上げた。
彼女の相談事が心霊関係だった場合、紫己一人では解決できない可能性が高い。それに正直、紫己も霊が怖くないわけではない。霊の解像度が上がることを差し引いても、佐久良が一緒にいてくれるのなら、それだけで心強かった。
「俺なら大丈夫」とでも言うように、佐久良が鷹揚に頷いてみせた。
それを見て、紫己は彼女へと向き直る。
「力になれるかはわかりませんが……。何か心配事があるのなら、僕たちでよければ話を聞きますよ」
彼女は三年の普通クラスの生徒で、秦茉莉花と名乗った。
昼休み中に話をする気はなかったようで、「放課後、ラウンジで待っていてほしい」とだけ告げ、すぐに帰って行った。
放課後のラウンジは下校時間まで開放されていて、クラスの異なる友達や恋人との待ち合わせ場所にしたり、下校前の雑談を楽しんだりする生徒は多い。
その一角の周りに人のいないテーブル席で先輩を待つ間、一つ気になっていたことを佐久良に尋ねた。
「佐久良は、どうしていつも、僕に協力してくれるんだ?」
東雲坂霊園の件では、散々巻き込んでおいて今更だが。また新たな相談事となると、さすがに迷惑だろう。午後の授業の間、そんな考えが芽生えて、ずっと気になっていた。
予想外の質問だったらしく、佐久良が怪訝そうな顔をする。
「だって、もし、それ系の相談だった場合、俺がいたほうがよく見えるんだろ?」
「それはそうだけど……、君は僕と違って、何かやりたいことがあるんだろ? 友達も多いから、遊びに誘われることもあるだろうし……。僕につきあったところで、君には何のメリットもないだろう?」
以前、なぜ高校の柔道部に入らないのか聞いたところ、「他にやりたいことがあるから」と言っていた。霊園の一件以降、いつも駅まで一緒に帰っているが、それは紫己が霊園に引き寄せられないよう、見張るためでもあった。店長の意識が戻り、霊園に危険がなくなったのだから、佐久良は自分のやりたいことを優先してよいはずだ。
「お前も、何のメリットもないのに、自分から首を突っ込みに行くじゃん」
「僕にはメリットはあるよ」
即答すると、佐久良がカップコーヒーを口に運ぼうとしていた手の動きを止めた。
「たぶん、だけど……。霊の思念って、最初は、亡くなった人なら誰でも持つような心残りや負の感情だったのが、一人でそれを抱えているうちにどんどん増幅されていくみたいなんだよね……。店長さんの声が、刺されてすぐじゃなく、四か月経って聞こえるようになったのも、そういうことだと思う。そうしてそのうち、声すら聞き取れない、ただ重くて苦しい『気』のようなものになってしまう」
話しているだけで、喉に重石がつかえたように、気分が重くなっている自覚があった。
「怨霊みたいなやつ?」
カップをテーブルに置いた佐久良が気づかわしげに眉根を寄せる。
「そういうイメージでいいんだと思う。子供の頃にうちに来た祓い屋っぽい人の話では、そうなった霊は、負の感情を生きている人たちに植え付けることで、少しずつ小さくなったり、他の怨念とくっついて大きくなったりしながら、気が遠くなるほど長い時間、この世に留まることになると言っていた。僕は、そうなられるほうが怖い。だから、霊の声を聞くのは、自分の安心のためなんだ……」
佐久良はしばらくの間、小難しい顔で口を噤んでいたが、やがて再び口を開いた。
「俺も一緒だ。俺の知らないところでお前が危険に巻き込まれるほうが怖い。だから、協力するのは自分の安心のためだ」
どう返してよいかわからず、佐久良の真剣な眼差しをじっと見つめ返す。
霊の声が聞けなくなり、怨霊になられるのが怖い自分と、紫己が危ない目に遭うことが怖いという佐久良。それは同じなようで、何かが決定的に違う気もする。
考えても答えは出なさそうで、ひとまず棚に上げることにした。
「それは僕としてはすごくありがたいけど……。やりたいことがあるときは、そっちを優先してね」
誰に対してもきっぱりと物を言う佐久良が、含みのある言い方をすることは珍しい。「やりたいこと」について追及することは、なんとなく憚られた。
佐久良は物言いたげな目でじっと見てくるだけで何も言わない。
居心地の悪さを覚え、何か他の話題をと考えていると、急に背筋がぞくりとした。
何度となく経験したことだから、このあとの展開は予想がつく。
プールに飛び込みずぶずぶと奥底まで沈み込んだかのように、纏わりつく空気が重く、冷たくなる。息苦しさを覚え、思考がじわりと麻痺していく感覚があった。今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる一方で、それとは真逆の、二度と会えないはずの人がすぐそこにいるような焦燥が、胸を締め付ける。
気配が迫ってくるほうを見たいのに、金縛りにあったように指一つ動かせなかった。焦点が定まらなくなり、佐久良の顔もぼやけてくる。
「……さ……くら……」
どうにか声だけは絞り出すことができた。
「……く、る……」
「おいっ! 八神!」
机の上に置いていた手の甲に何かが触れる。すっぽりと包み込む大きさとあたたかさで、見なくても佐久良の手だとわかった。
深い水の底で、急に空気の層に全身を包まれた気がした。呼吸が楽になり、荒ぶっていた情動が凪いでいく。
直後、横から声がした。
「お待たせ。……って、貴方たち、そういう関係?」
完全に固まっていた体も、ぎこちないながらに動かせた。
まるで錆びついたロボットのように、声のしたほうにゆっくりと顔を向けると――、そこにいたのは、同じ髪型をした二人の女子生徒だった。
「僕? 佐久良じゃなくて?」
「俺も尋ねたけど、八神で間違いないってよ。三年の先輩」
上級生となると、なおさら接点などない。
佐久良と顔を見合わせ立ち上がると、彼も後に続いた。
「俺も行く」
「何で君まで?」
「付き添い?」
紫己が入り口へと向かうのを見て、クラスメイトは「じゃ」と軽く手を上げ教室を出て行った。
残された女子生徒は近くで見ても初めて見る顔だった。長めのボブというのだろうか。ストレートの黒髪が肩にかかる手前で切りそろえられている。目立つタイプの美人ではないけど、黒目がちな目に小ぶりな鼻と口がバランスよく収まった、どこか幼さの残る顔立ちだった。
きっと可愛い系に入るのだろうが、今は顔色が悪く、目の下に濃い隈ができていて、そちらのほうが目を引いてしまう。
「あの、僕が八神です」
軽く頭を下げると、彼女の左膝から下腿に包帯が巻かれているのが目に入った。左手の甲にも大きめの絆創膏が貼ってある。上履きの先は小豆色で、やはり三年生のようだ。
顔を上げ、視線で促して廊下の人のいないところへと移動する。
「貴方、もしかして、霊とかそういうのが見える人?」
開口一番、彼女はそう言った。
「え?」
思わず声が漏れ、辺りを見回す。近くを歩く人はいても、こちらに気を取られている様子はなかった。そのまま隣に立つ男を見上げる。佐久良も困惑した表情をしていた。
以前、朝から霊園に引き寄せられて遅刻したあと、しばらくの間、「八神、霊に呼ばれたってよ」と噂されていた時期があった。その頃は似たようなことを尋ねてくる人たちもたくさんいたが、「ちょっと近くを散策しようとしたら、気分が悪くなっちゃっただけだよ」とかなんとか言って適当にはぐらかしていた。
目の前の彼女は彼らとは全然違っている。面白半分といった様子はなく、落ち窪んだその目は、明らかに怯えをはらんでいた。でも、だからこそ、不用意に答えてはいけない気がする。
「どうして、そんなことを聞くんですか?」
なるべく声を和らげて尋ねると、彼女はスカートの前で指先をぎゅっと握りあわせ、顔を俯かせた。
「前に……一年生の男子が霊園の霊に呼ばれたって噂を聞いたことがあって……。そのあと、放課後、霊園のほうに向かう貴方たちを見かけたの。一年生の美少年って言ってたから、すぐに噂の子だとピンときたんだけど……、それからすぐに、ネカフェの店長の意識が戻ったってニュースを見て……」
一度話を区切り、言葉を探すように視線を揺らす。
「店長はストーカーじゃなく、刺した男のほうがDV野郎で、男から彼女を守ろうとしていたんだよね? 四か月以上意識が覚めなくて、事件も解決していなかったのに……、貴方たちが霊園に行った途端、何もかもがいいほうに動き出したから、どうしても、全くの無関係とは思えなくて……」
紫己は再び隣を見上げた。
彼女の相談事が心霊関係だった場合、紫己一人では解決できない可能性が高い。それに正直、紫己も霊が怖くないわけではない。霊の解像度が上がることを差し引いても、佐久良が一緒にいてくれるのなら、それだけで心強かった。
「俺なら大丈夫」とでも言うように、佐久良が鷹揚に頷いてみせた。
それを見て、紫己は彼女へと向き直る。
「力になれるかはわかりませんが……。何か心配事があるのなら、僕たちでよければ話を聞きますよ」
彼女は三年の普通クラスの生徒で、秦茉莉花と名乗った。
昼休み中に話をする気はなかったようで、「放課後、ラウンジで待っていてほしい」とだけ告げ、すぐに帰って行った。
放課後のラウンジは下校時間まで開放されていて、クラスの異なる友達や恋人との待ち合わせ場所にしたり、下校前の雑談を楽しんだりする生徒は多い。
その一角の周りに人のいないテーブル席で先輩を待つ間、一つ気になっていたことを佐久良に尋ねた。
「佐久良は、どうしていつも、僕に協力してくれるんだ?」
東雲坂霊園の件では、散々巻き込んでおいて今更だが。また新たな相談事となると、さすがに迷惑だろう。午後の授業の間、そんな考えが芽生えて、ずっと気になっていた。
予想外の質問だったらしく、佐久良が怪訝そうな顔をする。
「だって、もし、それ系の相談だった場合、俺がいたほうがよく見えるんだろ?」
「それはそうだけど……、君は僕と違って、何かやりたいことがあるんだろ? 友達も多いから、遊びに誘われることもあるだろうし……。僕につきあったところで、君には何のメリットもないだろう?」
以前、なぜ高校の柔道部に入らないのか聞いたところ、「他にやりたいことがあるから」と言っていた。霊園の一件以降、いつも駅まで一緒に帰っているが、それは紫己が霊園に引き寄せられないよう、見張るためでもあった。店長の意識が戻り、霊園に危険がなくなったのだから、佐久良は自分のやりたいことを優先してよいはずだ。
「お前も、何のメリットもないのに、自分から首を突っ込みに行くじゃん」
「僕にはメリットはあるよ」
即答すると、佐久良がカップコーヒーを口に運ぼうとしていた手の動きを止めた。
「たぶん、だけど……。霊の思念って、最初は、亡くなった人なら誰でも持つような心残りや負の感情だったのが、一人でそれを抱えているうちにどんどん増幅されていくみたいなんだよね……。店長さんの声が、刺されてすぐじゃなく、四か月経って聞こえるようになったのも、そういうことだと思う。そうしてそのうち、声すら聞き取れない、ただ重くて苦しい『気』のようなものになってしまう」
話しているだけで、喉に重石がつかえたように、気分が重くなっている自覚があった。
「怨霊みたいなやつ?」
カップをテーブルに置いた佐久良が気づかわしげに眉根を寄せる。
「そういうイメージでいいんだと思う。子供の頃にうちに来た祓い屋っぽい人の話では、そうなった霊は、負の感情を生きている人たちに植え付けることで、少しずつ小さくなったり、他の怨念とくっついて大きくなったりしながら、気が遠くなるほど長い時間、この世に留まることになると言っていた。僕は、そうなられるほうが怖い。だから、霊の声を聞くのは、自分の安心のためなんだ……」
佐久良はしばらくの間、小難しい顔で口を噤んでいたが、やがて再び口を開いた。
「俺も一緒だ。俺の知らないところでお前が危険に巻き込まれるほうが怖い。だから、協力するのは自分の安心のためだ」
どう返してよいかわからず、佐久良の真剣な眼差しをじっと見つめ返す。
霊の声が聞けなくなり、怨霊になられるのが怖い自分と、紫己が危ない目に遭うことが怖いという佐久良。それは同じなようで、何かが決定的に違う気もする。
考えても答えは出なさそうで、ひとまず棚に上げることにした。
「それは僕としてはすごくありがたいけど……。やりたいことがあるときは、そっちを優先してね」
誰に対してもきっぱりと物を言う佐久良が、含みのある言い方をすることは珍しい。「やりたいこと」について追及することは、なんとなく憚られた。
佐久良は物言いたげな目でじっと見てくるだけで何も言わない。
居心地の悪さを覚え、何か他の話題をと考えていると、急に背筋がぞくりとした。
何度となく経験したことだから、このあとの展開は予想がつく。
プールに飛び込みずぶずぶと奥底まで沈み込んだかのように、纏わりつく空気が重く、冷たくなる。息苦しさを覚え、思考がじわりと麻痺していく感覚があった。今すぐ逃げ出したい衝動に駆られる一方で、それとは真逆の、二度と会えないはずの人がすぐそこにいるような焦燥が、胸を締め付ける。
気配が迫ってくるほうを見たいのに、金縛りにあったように指一つ動かせなかった。焦点が定まらなくなり、佐久良の顔もぼやけてくる。
「……さ……くら……」
どうにか声だけは絞り出すことができた。
「……く、る……」
「おいっ! 八神!」
机の上に置いていた手の甲に何かが触れる。すっぽりと包み込む大きさとあたたかさで、見なくても佐久良の手だとわかった。
深い水の底で、急に空気の層に全身を包まれた気がした。呼吸が楽になり、荒ぶっていた情動が凪いでいく。
直後、横から声がした。
「お待たせ。……って、貴方たち、そういう関係?」
完全に固まっていた体も、ぎこちないながらに動かせた。
まるで錆びついたロボットのように、声のしたほうにゆっくりと顔を向けると――、そこにいたのは、同じ髪型をした二人の女子生徒だった。


