それでは、お先にごきげんよう

「誤解だからな」

 渋面のまま、佐久良は萩原の席に腰を降ろした。
 
「誤解?」

 途中から話を聞いていなかった紫己は、何か誤解するようなことがあっただろうかと首をかしげる。

「お前、俺に興味なさすぎだろ」

 佐久良が軽く唇を尖らせ、拗ねたような顔をした。
 会話に加わらなかったから興味がないと思われたということだろうか……。確か女子の話題が出てから自分には関係のない話だとフェードアウトしたことを思い出し、紫己は慌てて首を横に振った。

「違うよ! 僕にはわからない話だったから会話に加わらなかっただけで。佐久良に興味がないわけじゃないよ!」
「じゃ、俺のどんなところに興味ある?」

 まさかのブーメラン。
 佐久良は普段、物分かりがよくさっぱりした性格だが、たまに子供っぽくなることがある。これまでは、兄の宗史が絡む話題のときだけのような気がしていたが、スイッチはそれだけではなかったらしい。

「週1~2回でもいいから、また柔道の道場に通いたいって言ってたじゃん。あれもう始めたのかなとか。練習がない日は何をしてるんだろうとか。もし試合に出るなら見に行きたいなとか……」

 話している途中から、佐久良のしかめっ面はみるみる機嫌がよくなっていった。
 佐久良は後ろをチラッと振り返るそぶりを見せ、椅子から腰を浮かし、机をこちらに動かし始める。

「机、くっつけていい?」
「聞く前からくっつけてんじゃん」

 佐久良は背も高く、無駄を削ぎ落したような引き締まった体格で、三白眼の鋭い目つきがワイルドな魅力がある。それでいて明るくて人当たりがよく気遣い屋なのだから、女子にモテないわけがなかった。
 そういうことに疎い紫己でも、クラスの女子たちの彼を見る皆差しが、眩しそうにキラキラと輝いているのはわかる。食事中も、いつも近くの席の女子たちが聞き耳を立てている気配だから、机を寄せたのは話を聞かれたくないからかと思った。

「いただきます」と二人で揃って手を合わせ、食べ始める。

「それ、ふき? それも自分で作ったの?」

 紫己の弁当を覗き込み、佐久良が興味を示す。
 視線の先は、ふきと筍の煮物だった。いりこで出汁を取っている。

「うん。ふきは皮を剥くのが面倒だけど、父さんが好きだからたまに作るんだ。これも昨日の残り物。食べてみる?」

 あからさまに物欲しそうな目で見ていたので尋ねると、佐久良はパッと顔を輝かせた。彼のお弁当箱の蓋に筍とふきを一切れずつ置いてやる。佐久良がまずはふきから口に運び、グルメレポーターよろしく、目を閉じてゆっくりと咀嚼する。

「美味しい。しゃくっとしてて歯応えがいいし、噛むと出汁がじんわり沁みていくのがいいね。さっぱりしてるからいくらでも食べられそう」

 佐久良は筍のほうも同じように丁寧に味わい、感想を伝えてくれた。
 普段、父も、紫己が夕食を用意していたときには美味しいと褒めてくれるが、どちらかというと労いのニュアンスが強い。他人である佐久良に食レポつきで褒められるのは、どうにも擽ったい気分になる。

「あっ、くそっ。食べる前に写真撮っとくんだった」
「写真なんか撮ってどうするんだよ」
「八神が作ったおかずもらったって兄貴に自慢する」
「自慢になんないし。宗史さんの仕事の邪魔にしかならないだろ」

 佐久良は時々、妙なところで兄に対抗意識を燃やす。
 呆れた顔を向けたが、本人はどこ吹く風だ。

「もらってばっかじゃ悪いから、俺のおかずも何か欲しいのない?」
「あ、じゃあ、卵焼きもらっていい? 人んちの卵焼きってどんな味か気になる」
「うちのは甘め」

 佐久良が卵焼きを抓み上げ、紫己のご飯の上に載せた。

「ヤバッ」
「はぁ。今日も尊い」
「合掌」

 背後から女子たちのそんな声が聞こえてくるのも、すっかり日常風景と化した。
 
「美味しい。甘いけど、醤油も利いてて甘じょっぱさがちょうどいいね」

 お返しで慣れない食レポをしていると、ふいに佐久良が体を寄せてきた。

「さっきの話、全然違うから」

 声を潜めているところを見るに、後ろの女子たちに聞かれたくない話らしい。

「八神も誘われただろ。斉藤たちがスポパークで遊ぼうって言ってたやつだよ。お前が行かないつったから俺も断ったら、三人だと対戦ゲームで一人余るだろって泣きつかれて、仕方なく行ったんだ。そしたら他校の女子も来ていて……。いわゆる合コン的なやつだったんだよ。あ、合コンの意味わかる?」

「そのくらい僕にもわかるよ」

 里芋を咀嚼しながら、ちょっとばかりムッとした顔をする。
 ゴールデンウィーク直前に、そんな誘いがあったことを思い出した。遊ぶ場所がスポーツ系アミューズメント施設と聞き、運動神経に自信のない紫己は即行で断ったのだ。
 実は合コンだったと聞いてやはり断って正解だったと思うが、連休後半は、断ったことを後悔する気持ちもじわじわと芽生えていた。友達とたった一週間やそこら会えないだけで顔を見たくなるなんて、初めての経験だった。

「ボーリング終わったあと、カラオケする流れになったから、そっちは断って抜けようとしたんだよ。そうしたら女子の一人が追いかけてきてさ。歩きながらずっと話しかけてくるから、一緒に帰ってる感じになっただけ。連絡先聞かれたけど、俺は数合わせで呼ばれただけだからつって教えてない」

「へー」

 適当に相槌を打ちつつ思考を巡らせる。

 ということは、佐久良が「誤解だからな」と言っていたのは、一番人気の女子をお持ち帰りしたうんぬんが「誤解だった」ということだろうか……。
 ただ、そもそも誤解していたのは萩原たちだ。なぜ部外者の紫己に懇切丁寧に言い訳をしているのかがわからない。

「えっと……。もしかして、佐久良は彼女がいるのか?」

 さっき佐久良は、「お前、俺に興味なさすぎだろ」と拗ねた顔をしていた。それはこういうことかと思った。こういうことを聞いてほしいのかと。
 実際、全く興味がないわけじゃない。佐久良がどんな人を好きになるのかは気になる。ただ、相手の人を知りたいかと考えると、知りたいような知りたくないような、モヤモヤした変な気分になる。

「いたら、さすがにあいつらも俺を誘わねーよ」
「まぁ、確かにそうだな。でも、だったら何で連絡先を教えなかったんだ?」
「友達でもない相手に連絡先を教える意味がわからん。ただ、あいつらの反応見ると、別の感じで聞かされてるみたいだな」

 言ってることの意味が分からず、紫己は小首を傾げた。
 佐久良が身を屈め、耳に唇が触れるほど近くに顔を寄せてくる。

「相手の女は、俺がエッチやキスが下手だったからつき合わないことにした、的なことを言ってるっぽい」

 吹き込まれた吐息の生温かさと甘く響く低音に、首筋がぞくぞくした。
 直後、囁かれた言葉を反芻し、急に熱が顔へと上がってくる。

「……なっ……!」

 急に何を言うんだ!? ――という言葉を発せられず、唇をただぱくぱくと空振りさせる。
 佐久良が、「してやったり」といった様子でニヤリと片頬を上げた。


 そんなこんなでいつもより落ち着かない気分で昼食を終えた頃。持参した水筒のお茶を飲んでいると、教室の入り口付近から声がした。

「八神ー。呼び出し」

 ドアの横に立っていたのは、声をかけてきたクラスメイトの男子と、見たことのない女子生徒だった。