ゴールデンウィーク明けの教室には、どこか浮ついた空気と気怠さが混在しており、紫己自身も普段と比べて授業に集中できていない自覚があった。
4限目の終わりのチャイムが鳴り、教師が授業の終了を告げると、ホッと肩の力が抜ける。
皆が教科書や筆記具を机に仕舞う中、女子の数人がパタパタと小走りで教室の入り口に駆け寄り、出て行こうとする女性教師を呼び止めた。
「ねーねー。紗良ちゃん、三年担当の槇村先生と結婚するって本当!?」
「あ、指輪してる! もしかして、結婚指輪?」
「槇村先生って若いしめっちゃイケメンだし、授業もわかりやすいって先輩が言ってた」
「どっちが先に好きになったの?」
紗良ちゃんというのは、英語を担当している花房紗良のことだ。確か教師になって二年目だったはず。教師でも生徒でも、他人の個人情報に興味を持つことのない紫己だが、彼女がこの学園の理事長の孫だということは噂で知っている。女子たちが目を輝かせている結婚の話は初めて聞いた。
「婚約しただけで結婚はもう少し先なの。次の授業があるから、詳しい話はまた今度ねー」
花房は体よくあしらい、逃げるように教室を出て行く。
「マジかー。紗良ちゃん、結婚するんかー」
隣の席の萩原は大袈裟に頭を抱えている。
「俺の女神が人妻に……。いや、まぁ、それはそれで、新婚の人妻に教わってるって考えたら、なんかちょっとエロくていいかもしれん。なぁ、八神はどっち派?」
何やらぶつぶつ呟いていた萩原が急にこちらに質問の矛先を向けてきて、紫己は思わず、ぅぐっと変な声が漏れそうになった。
「ど、どっち……と言いますと……」
霊園で意識を失ったとき助けてもらった縁で同じクラスの佐久良と仲良くなり、彼を通じて萩原や他の仲のいいメンバーたちとも話をするようになった。ただ、未だに佐久良以外とは、一対一で話すのに緊張して、無意識に敬語が出たりする。
戸惑う紫己を特に気にする様子もなく、萩原がずいと顔を近づけてくる。
「だから、今まで通り清純路線の紗良ちゃんと、人妻の紗良ちゃん、どっちがいいかって……」
萩原が言い終える前に紫己と彼の顔の間に大きな手がぬっと現れ、彼の顔をひと掴みにし、後方へと引き離した。
「いてっ! おいっ。急に何すんだよ!」
「それはこっちの台詞だ。八神にセクハラ質問するくらいなら、さっさと学食に行け」
二人の席の間に立っていたのは、佐久良だった。彼はいつも、萩原が学食に行ったあと、萩原の席で弁当を食べる。
「セクハラなんかしてねーよ。好みのタイプを聞いてただけじゃん。八神も中身は普通の男子高校生なんだから、こういう話も嫌いじゃないだろ」
「外身も普通の男子高校生だ」
佐久良は手にしていた弁当箱を萩原の机の上に置き、今度は彼の頭を両側から拳でぐりぐりし始めた。
「いてえ! マジで痛いって!」
萩原は表情を苦悶様に歪め、涙目になっている。
「さ、佐久良! 僕は気にしてないから!」
紫己は慌てて彼の頭に手をやり、佐久良の拳を剥した。
子供の頃からかっこいいと言われた記憶はないが、可愛いと言われたことは何度もあり、自分の見た目が男子高校生らしくないことは自覚している。萩原も、そのことを揶揄したつもりはなく、部活動や趣味といった属性の一つくらいの感覚でいるのだろう。
「ハギ、また八神にセクハラ発言して、番犬怒らせてんの?」
茶々を入れながら近づいてきたのは、グループの一人である斎藤だ。テニス部の彼も、佐久良と同じくらい背が高いが、いわゆる細マッチョな佐久良に比べて一回り線が細い。その後ろにいる上野も含めて、彼らはクラスの女子たちから、陰で「イケメン四人組」と持て囃されている。佐久良が何かと気にかけてくるおかげで、最近では紫己も彼らと行動を共にすることが多くなった。
「俺はDKとして至って健全な会話をしていただけですー! 俺にばっかセクハラとか言って、自分はちゃっかり一番人気の女子、お持ち帰りしてたくせによー」
「はあ? お、おいっ、なに言ってんだ!」
佐久良は珍しく、ぎょっとした顔をした。
「あ、大丈夫。俺たち、デリカシーのある大人だから。それ以上は聞かないでおくよ」
「初めては誰にでもあるからな。まぁ、次、頑張れ」
萩原は急に腕を組んでうんうんと頷き、なぜか斉藤までもが、憐みのこもった眼差しで佐久良の肩をぽんぽんと叩いている。
「早く行かねーと席なくなんぞ」
最後は上野が痺れを切らして二人を急かし、三人は教室を出て行った。
途中から話についていけなくなった紫己は、会話の終了を待たずに弁当を広げ始めていた。
彼らと行動するようになってからというもの、こういうことは珍しくない。
紫己は小1にして友達作りに失敗し、人が見えないものを見えてしまう自分が異質な存在なのだと知った。以来、仲良くなってまた弾かれるくらいなら、最初から一人のほうがいいと、群れることに価値を見出せなくなった。
佐久良のグループに加えてもらうようになってからも、そのへんのスタンスは変わらない。自分にもわかる話題なら会話に加わることもあるし、興味のない話題のときは聞き流して他のことを考えている。
それでも小学生の頃と違い、「無視すんな!」と怒り出す人も陰で嫌がらせをする人もおらず、居心地は悪くなかった。
4限目の終わりのチャイムが鳴り、教師が授業の終了を告げると、ホッと肩の力が抜ける。
皆が教科書や筆記具を机に仕舞う中、女子の数人がパタパタと小走りで教室の入り口に駆け寄り、出て行こうとする女性教師を呼び止めた。
「ねーねー。紗良ちゃん、三年担当の槇村先生と結婚するって本当!?」
「あ、指輪してる! もしかして、結婚指輪?」
「槇村先生って若いしめっちゃイケメンだし、授業もわかりやすいって先輩が言ってた」
「どっちが先に好きになったの?」
紗良ちゃんというのは、英語を担当している花房紗良のことだ。確か教師になって二年目だったはず。教師でも生徒でも、他人の個人情報に興味を持つことのない紫己だが、彼女がこの学園の理事長の孫だということは噂で知っている。女子たちが目を輝かせている結婚の話は初めて聞いた。
「婚約しただけで結婚はもう少し先なの。次の授業があるから、詳しい話はまた今度ねー」
花房は体よくあしらい、逃げるように教室を出て行く。
「マジかー。紗良ちゃん、結婚するんかー」
隣の席の萩原は大袈裟に頭を抱えている。
「俺の女神が人妻に……。いや、まぁ、それはそれで、新婚の人妻に教わってるって考えたら、なんかちょっとエロくていいかもしれん。なぁ、八神はどっち派?」
何やらぶつぶつ呟いていた萩原が急にこちらに質問の矛先を向けてきて、紫己は思わず、ぅぐっと変な声が漏れそうになった。
「ど、どっち……と言いますと……」
霊園で意識を失ったとき助けてもらった縁で同じクラスの佐久良と仲良くなり、彼を通じて萩原や他の仲のいいメンバーたちとも話をするようになった。ただ、未だに佐久良以外とは、一対一で話すのに緊張して、無意識に敬語が出たりする。
戸惑う紫己を特に気にする様子もなく、萩原がずいと顔を近づけてくる。
「だから、今まで通り清純路線の紗良ちゃんと、人妻の紗良ちゃん、どっちがいいかって……」
萩原が言い終える前に紫己と彼の顔の間に大きな手がぬっと現れ、彼の顔をひと掴みにし、後方へと引き離した。
「いてっ! おいっ。急に何すんだよ!」
「それはこっちの台詞だ。八神にセクハラ質問するくらいなら、さっさと学食に行け」
二人の席の間に立っていたのは、佐久良だった。彼はいつも、萩原が学食に行ったあと、萩原の席で弁当を食べる。
「セクハラなんかしてねーよ。好みのタイプを聞いてただけじゃん。八神も中身は普通の男子高校生なんだから、こういう話も嫌いじゃないだろ」
「外身も普通の男子高校生だ」
佐久良は手にしていた弁当箱を萩原の机の上に置き、今度は彼の頭を両側から拳でぐりぐりし始めた。
「いてえ! マジで痛いって!」
萩原は表情を苦悶様に歪め、涙目になっている。
「さ、佐久良! 僕は気にしてないから!」
紫己は慌てて彼の頭に手をやり、佐久良の拳を剥した。
子供の頃からかっこいいと言われた記憶はないが、可愛いと言われたことは何度もあり、自分の見た目が男子高校生らしくないことは自覚している。萩原も、そのことを揶揄したつもりはなく、部活動や趣味といった属性の一つくらいの感覚でいるのだろう。
「ハギ、また八神にセクハラ発言して、番犬怒らせてんの?」
茶々を入れながら近づいてきたのは、グループの一人である斎藤だ。テニス部の彼も、佐久良と同じくらい背が高いが、いわゆる細マッチョな佐久良に比べて一回り線が細い。その後ろにいる上野も含めて、彼らはクラスの女子たちから、陰で「イケメン四人組」と持て囃されている。佐久良が何かと気にかけてくるおかげで、最近では紫己も彼らと行動を共にすることが多くなった。
「俺はDKとして至って健全な会話をしていただけですー! 俺にばっかセクハラとか言って、自分はちゃっかり一番人気の女子、お持ち帰りしてたくせによー」
「はあ? お、おいっ、なに言ってんだ!」
佐久良は珍しく、ぎょっとした顔をした。
「あ、大丈夫。俺たち、デリカシーのある大人だから。それ以上は聞かないでおくよ」
「初めては誰にでもあるからな。まぁ、次、頑張れ」
萩原は急に腕を組んでうんうんと頷き、なぜか斉藤までもが、憐みのこもった眼差しで佐久良の肩をぽんぽんと叩いている。
「早く行かねーと席なくなんぞ」
最後は上野が痺れを切らして二人を急かし、三人は教室を出て行った。
途中から話についていけなくなった紫己は、会話の終了を待たずに弁当を広げ始めていた。
彼らと行動するようになってからというもの、こういうことは珍しくない。
紫己は小1にして友達作りに失敗し、人が見えないものを見えてしまう自分が異質な存在なのだと知った。以来、仲良くなってまた弾かれるくらいなら、最初から一人のほうがいいと、群れることに価値を見出せなくなった。
佐久良のグループに加えてもらうようになってからも、そのへんのスタンスは変わらない。自分にもわかる話題なら会話に加わることもあるし、興味のない話題のときは聞き流して他のことを考えている。
それでも小学生の頃と違い、「無視すんな!」と怒り出す人も陰で嫌がらせをする人もおらず、居心地は悪くなかった。


