それからしばらくはまた静けさが戻っていたが、ふと肩に重みを感じて顔を傾けると、八神がこちらにもたれかかっていた。結局は睡魔に抗えなかったらしい。今にも肩からずり落ちそうになっている頭と背中を両手で支えながら、膝の上にゆっくりと体を倒す。
「さ……く、ら……?」
眠りが浅かったようで、八神が寝ぼけた声を漏らした。
「そのまま寝てていいぞ」
起こさないよう、優しく囁いたつもりではあるが、発せられた声の甘さに、自分でも若干引いてしまった。
横髪を撫でていると、また、すーすーと規則正しい寝息が聞こえ始める。
さらさらした猫っ毛は病みつきになるような触り心地のよさだが、このままだと起きているときも触るのが癖になりそうで、気合いで手を離した。
ちょうど赤信号で車が停まり、バックミラー越しに宗史と目が合う。
「紫己君、結局寝ちゃった?」
「今日は学校でも、朝からずっと緊張してる感じだったから。心配事が解決して気が緩んだみたい」
宗史が体を捻って運転席と助手席の間から身を乗り出し、旺史の膝の上の八神を覗き込んだ。
「寝顔も赤ん坊みたいだな」
「なわけねーだろ。高1男子だぞ! かわい子ちゃんとか赤ん坊とか、セクハラ発言はヤメレ」
八神を起こさないよう、ひそひそ声で文句を言う。
「赤ん坊はセクハラじゃないだろ」
「赤ん坊みたいに可愛いってことだから、セクハラだ」
「どさくさで膝枕してる奴に言われてもなー」
皮肉と非難が混じったような意味深な流し目を寄越しながら、宗史が前方へと体の向きを戻す。
「久々に旺ちゃんが天使だった頃のことを思い出してたのよ」
「俺は今でも天使ですが、何か?」
しれっと言うと、バックミラー越しにニヤついた笑みだけ返された。
信号が青へと変わり、車が静かに発進する。
「それで、聞きかじった話からすると、その子に霊視能力があって、霊園でネカフェの店長の霊を見て、事件の真相に気づいたってことでいいんだよな?」
宗史の口調が真面目なトーンに変わる。
兄には、東雲坂霊園での刺傷事件の関係者に話を聞きに行くとしか説明していない。ただ、その前に、東雲坂霊園での事故の報告や、DV被害者への対応などについて尋ねていたから、兄もなんとなく事件の背景を察してはいたのだろう。
「霊の話、驚かねーの?」
「驚きはしたけど……。何の理由もなく事件を解決されたら、警察の面目はないからね。むしろ納得というか……。それ系の話、警察の中でもたまに聞くから。事故がよく起きる現場とか、神隠しとか……。俺たちはそういうのを超常現象のせいにしちゃいけないんだけど」
「八神は……子供の頃は霊と会話することもできていたんだって。でも、最近は昔ほどはっきりとは見えなくなっていたみたい。それが、俺に触っている間だけ、店長の霊がはっきり見えたんだ。それだけじゃなく、霊の記憶や感情まで読み取れたって。それって……何でだと思う? うちの先祖に霊能力者っぽい人はいなかったよな?」
バックミラーに映る切れ長の眼は別段驚いた様子はなく、ただ、考え込むように一瞬視線を揺らす。
「実は遠い親戚とか?」
「俺と同じこと言ってんじゃん。ちな、八神の両親は九州出身だって」
「あとは……。いや、まぁ、考えたところで証明のしようがないからな」
宗史は何か他の選択肢も思いついたようだが、言葉を濁した。
「言いかけてやめんなよ。気になるじゃん」
「んーーー。まぁ……。突拍子もない話だけどな。もしかして、紫己君が昴史の生まれ変わりなら……。そういうこともあるのかなとチラッと思っただけ」
「……昴にぃの……」
予想外の答えに、旺史は息を呑んだ。
旺史には、もともと兄が二人いた。とは言っても、もう一人の兄は旺史が生まれる前にすでに亡くなっている。亡くなった昴史については、仏壇に飾られている赤ん坊の写真と、宗史の双子の片割れとして生まれたが、生まれつき体が弱く、2歳を待たずに亡くなったことしか知らない。
「もし、それが理由なら、俺相手でも同じことが起きるはずだよな? 今度、霊園で試してみるか?」
「い……いや、それは駄目だ!」
考えるより先に否定の言葉が出ていて、自分でもそのことに驚いた。後付けで、駄目だと思う理由を考える。
「ほら。兄貴は仕事で忙しいじゃん。八神の能力に貢献できたとしても、いざというとき役に立たないだろ。だから、試すだけ無駄だ」
会ったことのないもう一人の兄は旺史にとって親戚や友達以上に存在が遠く、物心ついた頃から「もう一人のおにいちゃん」と言われても全くピンとこなかった。兄に双子の弟がいたことを羨ましく思ったこともない。
ただ、八神が昴にぃの生まれ変わりかもしれないという可能性を考えたとき、宗史に対し急に敗北感に似た気持ちを覚えた。もしそれが本当なら、自分以上に、双子の片割れだった宗史のほうが、八神との相性がいいに違いない。それを八神に、身をもって体験されることが怖かった。
「まぁ、もし、俺相手に同じことが起きたとしても、単に佐久良家の血筋と相性がいいだけかもしれないからな。確かに、試したところで、って感じだな。性格の相性と一緒で、理由なんてあってもなくても、どっちでもいいんじゃないか?」
双子の片割れの生まれ変わりかもなんて爆弾発言を落としておいて、宗史はさしてこの話題に興味がなさそうだった。元も子もない答えで切り上げ、話を続ける。
「でもそうすると、あの刺傷事件以降に霊園周囲で起こった事故は、全部霊の影響ってことになるのかな? 紫己君はそれについて何か言ってた?」
信号が青に変わり、車がゆっくりと走り出す。
「八神にも因果関係はわからないっぽい。ただ、俺たちが霊って呼んでるものは、人の思念だけが体から離れて取り残されたようなもので、そういうのに影響されやすい人っているみたい。八神も意識失くしたり熱を出したりしてたみたいだし。店長の霊がいなくなって事故が起こらなくなったら、やっぱり霊のせいだったってことになるんじゃないかな……」
もちろん、店長に無関係の人を害する意図はなかっただろうが、中には亡くなっている人もいることを思えば、どうにもやりきれなさは残る。
「何で店長だけだったんだろうな」
「え?」
沈みかけていた気持ちを断ち切られ、旺史は顔を上げた。
バックミラーの兄の視線は前方へと向けられている。
「紫己君が見たのは店長の霊だけだったんだろ? そのあと、階段で転落して亡くなった女子高生もいたじゃん。その若さで突然の死を何の未練もなく受け入れられるはずないと思うんだよね。恨み辛みとか、両親や友達に言い残したいこととか……、たくさんあっておかしくないのに。何でその子の霊は、霊園にいないんだろうな」
言われてみれば、確かに不思議ではある。ただ、それを言うなら――
「納得して死ぬ人なんていないでしょ。未練抱えて亡くなった人全員が、霊になってこの世に留まるわけじゃないからじゃねーの?」
死というものは、いつどんな理由で見舞われても、不幸であることには変わりない。未練のない死なんてないことを思えば、自分の死に納得できない人が全員この世に留まっていたら、あちこち霊だらけになってしまうだろう。
「……だと、いいけどな……」
兄の呟きになんとなく引っかかりを覚えたものの、さすがにこれ以上は脳がキャパオーバーで、真意を問い質す気にはなれなかった。
それから10分ほどでナビが到着を知らせ、10階建てくらいの中規模マンションの敷地内に停車した。八神を揺り起こしてエントランスに消えるまで見送り、その後は兄に焼き肉を奢ってもらって家路についた。
旺史が八神と連れ立って東雲坂霊園を訪れたのは、翌日の放課後のことだった。
下校する生徒の波から外れ霊園へと向かう小道に入って行く中、何となく背中に好奇の視線を感じていた。
彼は恥ずかしがって嫌がったが、八神がいつ意識を失うかわからないから、今回も旺史が背後からハグする体勢を取った。片腕で彼の体を支え、もう片方の腕に八神が両手でしがみ付く。
そうして見えたものは、前回と変わり映えはなかったようだ。一方的に流れてくる光景や音を受信するだけで、霊との対話や意思疎通は難しかったらしい。事件から4カ月もの時間が経っていることも、霊のコミュニケーション能力に関係しているのかもしれない。
それでも八神は、意識を飛ばすまで、吉岡が彼氏の家を出て警察に相談に行ったことや、彼女の証言を元に交際相手が逮捕されたこと、彼女からの伝言などを繰り返し伝え続けていた。
八神が意識を失っている間は、吉岡から教えてもらった動画サイトで彼女の曲を流していた。
「わかんないけど……でも、たぶん伝わった気がする。店長さん、最後は泣いてるっぽかったから……」
20分ほどして目が覚めた八神は、そう言って、やり遂げた顔をしていた。
それが功を奏したのかはわからないが。
翌日、店長は救急搬送後初めて、呼びかけに反応を見せたらしい。そのことをメールで知らせてくれたのは、見舞いに行った吉岡だった。
二人の『いつまでも待ってる』が叶う日も、きっとそう遠くないだろう。
「さ……く、ら……?」
眠りが浅かったようで、八神が寝ぼけた声を漏らした。
「そのまま寝てていいぞ」
起こさないよう、優しく囁いたつもりではあるが、発せられた声の甘さに、自分でも若干引いてしまった。
横髪を撫でていると、また、すーすーと規則正しい寝息が聞こえ始める。
さらさらした猫っ毛は病みつきになるような触り心地のよさだが、このままだと起きているときも触るのが癖になりそうで、気合いで手を離した。
ちょうど赤信号で車が停まり、バックミラー越しに宗史と目が合う。
「紫己君、結局寝ちゃった?」
「今日は学校でも、朝からずっと緊張してる感じだったから。心配事が解決して気が緩んだみたい」
宗史が体を捻って運転席と助手席の間から身を乗り出し、旺史の膝の上の八神を覗き込んだ。
「寝顔も赤ん坊みたいだな」
「なわけねーだろ。高1男子だぞ! かわい子ちゃんとか赤ん坊とか、セクハラ発言はヤメレ」
八神を起こさないよう、ひそひそ声で文句を言う。
「赤ん坊はセクハラじゃないだろ」
「赤ん坊みたいに可愛いってことだから、セクハラだ」
「どさくさで膝枕してる奴に言われてもなー」
皮肉と非難が混じったような意味深な流し目を寄越しながら、宗史が前方へと体の向きを戻す。
「久々に旺ちゃんが天使だった頃のことを思い出してたのよ」
「俺は今でも天使ですが、何か?」
しれっと言うと、バックミラー越しにニヤついた笑みだけ返された。
信号が青へと変わり、車が静かに発進する。
「それで、聞きかじった話からすると、その子に霊視能力があって、霊園でネカフェの店長の霊を見て、事件の真相に気づいたってことでいいんだよな?」
宗史の口調が真面目なトーンに変わる。
兄には、東雲坂霊園での刺傷事件の関係者に話を聞きに行くとしか説明していない。ただ、その前に、東雲坂霊園での事故の報告や、DV被害者への対応などについて尋ねていたから、兄もなんとなく事件の背景を察してはいたのだろう。
「霊の話、驚かねーの?」
「驚きはしたけど……。何の理由もなく事件を解決されたら、警察の面目はないからね。むしろ納得というか……。それ系の話、警察の中でもたまに聞くから。事故がよく起きる現場とか、神隠しとか……。俺たちはそういうのを超常現象のせいにしちゃいけないんだけど」
「八神は……子供の頃は霊と会話することもできていたんだって。でも、最近は昔ほどはっきりとは見えなくなっていたみたい。それが、俺に触っている間だけ、店長の霊がはっきり見えたんだ。それだけじゃなく、霊の記憶や感情まで読み取れたって。それって……何でだと思う? うちの先祖に霊能力者っぽい人はいなかったよな?」
バックミラーに映る切れ長の眼は別段驚いた様子はなく、ただ、考え込むように一瞬視線を揺らす。
「実は遠い親戚とか?」
「俺と同じこと言ってんじゃん。ちな、八神の両親は九州出身だって」
「あとは……。いや、まぁ、考えたところで証明のしようがないからな」
宗史は何か他の選択肢も思いついたようだが、言葉を濁した。
「言いかけてやめんなよ。気になるじゃん」
「んーーー。まぁ……。突拍子もない話だけどな。もしかして、紫己君が昴史の生まれ変わりなら……。そういうこともあるのかなとチラッと思っただけ」
「……昴にぃの……」
予想外の答えに、旺史は息を呑んだ。
旺史には、もともと兄が二人いた。とは言っても、もう一人の兄は旺史が生まれる前にすでに亡くなっている。亡くなった昴史については、仏壇に飾られている赤ん坊の写真と、宗史の双子の片割れとして生まれたが、生まれつき体が弱く、2歳を待たずに亡くなったことしか知らない。
「もし、それが理由なら、俺相手でも同じことが起きるはずだよな? 今度、霊園で試してみるか?」
「い……いや、それは駄目だ!」
考えるより先に否定の言葉が出ていて、自分でもそのことに驚いた。後付けで、駄目だと思う理由を考える。
「ほら。兄貴は仕事で忙しいじゃん。八神の能力に貢献できたとしても、いざというとき役に立たないだろ。だから、試すだけ無駄だ」
会ったことのないもう一人の兄は旺史にとって親戚や友達以上に存在が遠く、物心ついた頃から「もう一人のおにいちゃん」と言われても全くピンとこなかった。兄に双子の弟がいたことを羨ましく思ったこともない。
ただ、八神が昴にぃの生まれ変わりかもしれないという可能性を考えたとき、宗史に対し急に敗北感に似た気持ちを覚えた。もしそれが本当なら、自分以上に、双子の片割れだった宗史のほうが、八神との相性がいいに違いない。それを八神に、身をもって体験されることが怖かった。
「まぁ、もし、俺相手に同じことが起きたとしても、単に佐久良家の血筋と相性がいいだけかもしれないからな。確かに、試したところで、って感じだな。性格の相性と一緒で、理由なんてあってもなくても、どっちでもいいんじゃないか?」
双子の片割れの生まれ変わりかもなんて爆弾発言を落としておいて、宗史はさしてこの話題に興味がなさそうだった。元も子もない答えで切り上げ、話を続ける。
「でもそうすると、あの刺傷事件以降に霊園周囲で起こった事故は、全部霊の影響ってことになるのかな? 紫己君はそれについて何か言ってた?」
信号が青に変わり、車がゆっくりと走り出す。
「八神にも因果関係はわからないっぽい。ただ、俺たちが霊って呼んでるものは、人の思念だけが体から離れて取り残されたようなもので、そういうのに影響されやすい人っているみたい。八神も意識失くしたり熱を出したりしてたみたいだし。店長の霊がいなくなって事故が起こらなくなったら、やっぱり霊のせいだったってことになるんじゃないかな……」
もちろん、店長に無関係の人を害する意図はなかっただろうが、中には亡くなっている人もいることを思えば、どうにもやりきれなさは残る。
「何で店長だけだったんだろうな」
「え?」
沈みかけていた気持ちを断ち切られ、旺史は顔を上げた。
バックミラーの兄の視線は前方へと向けられている。
「紫己君が見たのは店長の霊だけだったんだろ? そのあと、階段で転落して亡くなった女子高生もいたじゃん。その若さで突然の死を何の未練もなく受け入れられるはずないと思うんだよね。恨み辛みとか、両親や友達に言い残したいこととか……、たくさんあっておかしくないのに。何でその子の霊は、霊園にいないんだろうな」
言われてみれば、確かに不思議ではある。ただ、それを言うなら――
「納得して死ぬ人なんていないでしょ。未練抱えて亡くなった人全員が、霊になってこの世に留まるわけじゃないからじゃねーの?」
死というものは、いつどんな理由で見舞われても、不幸であることには変わりない。未練のない死なんてないことを思えば、自分の死に納得できない人が全員この世に留まっていたら、あちこち霊だらけになってしまうだろう。
「……だと、いいけどな……」
兄の呟きになんとなく引っかかりを覚えたものの、さすがにこれ以上は脳がキャパオーバーで、真意を問い質す気にはなれなかった。
それから10分ほどでナビが到着を知らせ、10階建てくらいの中規模マンションの敷地内に停車した。八神を揺り起こしてエントランスに消えるまで見送り、その後は兄に焼き肉を奢ってもらって家路についた。
旺史が八神と連れ立って東雲坂霊園を訪れたのは、翌日の放課後のことだった。
下校する生徒の波から外れ霊園へと向かう小道に入って行く中、何となく背中に好奇の視線を感じていた。
彼は恥ずかしがって嫌がったが、八神がいつ意識を失うかわからないから、今回も旺史が背後からハグする体勢を取った。片腕で彼の体を支え、もう片方の腕に八神が両手でしがみ付く。
そうして見えたものは、前回と変わり映えはなかったようだ。一方的に流れてくる光景や音を受信するだけで、霊との対話や意思疎通は難しかったらしい。事件から4カ月もの時間が経っていることも、霊のコミュニケーション能力に関係しているのかもしれない。
それでも八神は、意識を飛ばすまで、吉岡が彼氏の家を出て警察に相談に行ったことや、彼女の証言を元に交際相手が逮捕されたこと、彼女からの伝言などを繰り返し伝え続けていた。
八神が意識を失っている間は、吉岡から教えてもらった動画サイトで彼女の曲を流していた。
「わかんないけど……でも、たぶん伝わった気がする。店長さん、最後は泣いてるっぽかったから……」
20分ほどして目が覚めた八神は、そう言って、やり遂げた顔をしていた。
それが功を奏したのかはわからないが。
翌日、店長は救急搬送後初めて、呼びかけに反応を見せたらしい。そのことをメールで知らせてくれたのは、見舞いに行った吉岡だった。
二人の『いつまでも待ってる』が叶う日も、きっとそう遠くないだろう。


