それでは、お先にごきげんよう

 入学から半月が経ち多少は慣れたといっても、やはりラッシュ時の電車は地獄でしかない。
 満員電車から解放され自動改札を抜けて、ようやく新鮮な空気が肺を満たす。
 すでに昼間は夏日の陽気だが、朝夕は外を歩くのにちょうどよい。そんな心地よさに誘われるようにあくびを噛み殺し、佐久良旺史(さくらおうし)は人の流れに身を預けた。
 この時間、駅から学校まで続く歩道は同校の生徒で埋め尽くされていて、半覚醒の頭でも足さえ動かしていれば、人の波に乗って目的地に辿り着く。
 
 旺史が通う華橘(かきつ)学園は駅から歩いて20分のところにあり、旺史も含め電車通学の生徒は多い。
 快速も停車する駅だけあって、周辺には飲食店やネットカフェが軒を連ね、駅直結の複合施設には大手予備校まで入っている。大通りを一本外れれば、古い木造家屋や昔ながらの商店が残る下町の風景があり、広大な霊園を挟んだその先には静かな住宅街が広がっている。
 そんな新旧の入り交じる街並みを横目に惰性で足を動かしていると、前方から聞こえてきた声にふと意識を取られた。

「ねぇ、あの人、大丈夫かな」

 眠たげな視線を上げると、会話の主は、数人挟んだ先にいる、明るい髪色の女子たちのようだった。パーマをかけているのか、ゆるくウェーブした髪がふわふわと風に揺れている。旺史のいる特進科では見かけないタイプだ。
 華橘学園は中高一貫の私立校で、旺史は高校からの受験組で、授業料が免除される特待生として特進クラスに在籍している。普通科は中学からの内部進学生が多く、見かけが派手めな生徒も多い。

 こういうとき、180cm越えという長身は役に立つ。
 人波の上から彼女たちの視線の先を辿ると、通学路を外れ、T字路の側道へと向かう男子生徒が目に入った。たまたま車は来ていなかったものの、左右を確認することもなく道路を渡っていく姿に、自然と眠気が覚めた。
 襟足を少し残した黒髪と男にしては細すぎる後ろ姿には見覚えがある。――どこの教室にもいそうな髪型と体型でもあるが。

「あっちって霊園だよね? 行ったら呪われるんじゃないの?」
「先輩も、彼氏と肝試しに行って、翌日フラれたって言ってた。でも、彼氏のほうも、二股していた女に本命の彼氏がいて、金を取られてボコられたって」
「霊園にいるのがストーカーの霊だから、カップルで行くと呪われるんでしょ?」
「え? カップル関係なくない? 階段から落ちて亡くなった先輩は一人で霊園を通り抜けてたみたいよ」

 女子たちの横顔は一様に眉を顰めているが、声は面白半分といったニュアンスを隠せていない。
 周りを歩く生徒たちも、なんとなしに側道に視線を送るものの、列から離れる人は一人もいなかった。

 旺史が高校に入学する以前から、学園内でまことしやかに囁かれている噂がある。

 ――東雲坂霊園には近づくな。近づけば呪われる。

 東雲坂霊園というのは、学園へと続く大通りから逸れ、T字に交差する側道を進んだ先にある市営の霊園のことだ。旺史が入学したときにはすでに学園中にその噂が広まっていて、クラスメイトの名前を覚えるより先に学園から最寄りの霊園の名前を覚えることとなった。

 霊園で黒い影や亡霊を見たという話も少なくないが、きっとお調子者が人を怖がらせようとしてついた嘘か、怖がりな人が恐怖フィルターを通して錯覚したとか、そういうことだろう。
 ただ、原因はともあれ、霊園内やその周囲で事故が相次いでいることは事実のようだ。
 傾斜地に広がる霊園は、中央の長い石段を挟んで、雛壇状に墓石が並んでいる。周囲を取り囲むように車道も通っているが、霊園利用者以外の車はほとんど通らない。住宅街と駅を結ぶ抜け道になっているため、地域の人々の通勤や通学、散歩コースになっていた。

 その、普段ならただ静かなだけの霊園で、去年の12月から事件や事故が相次いでいる。散歩中の人が何もないところで転倒したり、階段を踏み外して転げ落ちたり。自転車や車が絡む事故や、些細な口論が殴り合いの喧嘩に発展したこともあったという。刑事をしている兄にそれとなく聞いてみたところ、実際に警察に通報が来ているケースもあるらしい。
 三月には、ついに死者まで出た。
 雨の日に霊園の階段から転落し、女子高生が亡くなっている。
 亡くなったのが学園の生徒だったことから、学園側もさすがに看過できないと考えたようだ。入学式の日、担任となった男性教諭はホームルームでの挨拶の最後に、事故が続いているため霊園にはなるべく近づかないようにと注意を促した。

 通学の足を止めたのは、こんな時間に中高生が霊園に行く理由がわからなかったからだ。
 トイレなら駅に引き返すだろうし、それ以外なら誰かに呼び出された可能性が高い。しかし、朝っぱらから学生を人気のない場所に呼び出すのに、ろくな理由はないだろう。
 小さくなる男子生徒の後ろ姿を見つめそんなことを考えていたが、ただ立ち止まってあれこれ推測していても仕方がない。そう思い、側道へと足を向けた。