【桜木明友】
車内アナウンスが流れた。
まもなく新幹線が駅に到着すると知って、少ない荷物をまとめ、テーブルを戻し、背凭れの角度をそっと元の位置に戻した。
「明友さん、眼鏡も外して片づけていただけませんか?」
蓮顕さんの頼みだ。何か理由があるんだろう。
まあ、予想はつくんだけど。
ここには知り合いがいない。
だから、あっさりと叶えられる。
普段は持ち歩かない眼鏡ケースだが、もしやと鞄に入れて正解だった。
眼鏡ケースを仕舞い、動くタイミングを待っていると、蓮顕さんが更に注文してきた。
「新幹線を降りてから帰るまでの間、なるべく顔を髪で隠さないようにしてください。髪が落ちてきたら、こうバッと髪を掻き上げてって……髪がないのでできませんが、お願いしますね」
体を張って笑いをとる蓮顕さんに、俺は気軽に「はい」と返事した。
蓮顕さんは新幹線を降りた早々、「明友君、向かうのは北口です」と通路探しを俺に全振りしてきた。
初めての駅は多少迷うものだ。商業施設が併設されていると、更に迷う。
朔也と朔良が一緒なら迷うのも楽しいが、今は責任重大だ。
草履の蓮顕さんをさ迷わせるわけにはいかない。
確実に案内看板や表示を見つけて行動する。
そうして、もう少しで駅を出る時だった。
「蓮顕和尚ですか?」
近づいてきたのは五〇代くらいに見える男だった。短髪の半分は白髪で、斑なグレーに見える。剃り損ねたような髭も同じ色だ。肌はかなり日焼けしていて、茶色と濃いオレンジ色を混ぜたような色だ。くすんだ薄いグレーのスラックスに、長袖のポロシャツは、洗いすぎてヨレヨレになったような白と薄い水色のボーダーで、無理に若く見せようとしている感じがした。
「お待ちしておりました。こちらにどうぞ。車は少し離れたところに停めておりまして。さあ、こちらです。早く行かないと切符を切られてしまうので」
歯は黄ばんでいて清潔感のない猫背気味の男が、低姿勢で何度も蓮顕さんに頭を下げる。
ニヤニヤしているから、蓮顕さんを敬ってはいないだろう。
「すみません。お伝えし忘れたのですが、一人連れがいるのですがいいでしょうか」
蓮顕さんの営業スマイルに、男がまたヘコヘコと頭を下げる。
「いいですよいいですよ。高名な和尚さんが二人もいらっしゃるなら、心強いです。まったく雇った坊主も神主も全然役に立たなくてですね。無料で原因を見つけてくださるってだけでありがたいもんですよ。今は金にがめついヤツらばかりでして、正則の倅もやっといい仕事してくれましたよ」
男がイシシシシと下卑た笑いをした。
「そうですか。正則さんも浮かばれますね」
「はい、そりゃあもう。葬儀にしか顔を出さないって絶縁に近かい関係でしたからね。それで、お連れさんはどちらですか」
「連れはこちらです」
蓮顕さんが俺へと揃えた手を向けた。
俺は慌てて髪を掻き上げた。
やっと男の眼中に入った途端、男は潰れかけたような悲鳴を上げて尻餅をついた。
俺に眼鏡を外させ、顔を見せるように言ったのはこれが狙いか。
青い目の日本人は恐怖の対象らしい。
こうなるならカツラが欲しかったなあ。長髪のヤツ。
俺は態とにこやかに、男へ手を差しだした。
恐怖を顔に貼りつけた男が、地面に倒れてしまう。
「明友さんもいい性格してますねえ。多分彼、殺されると思って腰を抜かしたんですよ。動けないところに近づいたら、逃げようとしてこうなるのは予想出来るでしょう」
「蓮顕さんでもないですし、いくらなんでもここまでは予想出来ませんよ。困りましたね。移動ができなくなりました」
「少しすれば動けるようになるでしょう。私、お手洗いに行きたいのですがいいですかね」
「あっ、俺も。移動って結構な距離ありますよね。飲み物も欲しいですし」
行き交う人々が俺たちを眺める中、蓮顕さんが男の前にしゃがんだ。
「この青年は幽霊でないですし、アナタたちを呪わないから安心してください。すぐに戻りますので、ここで待っていてくださいね」
さすがは蓮顕さん。
端から見たら、お坊さんに何かしようとして罰が当たった男にしか見えない。
自分にやられなきゃだけど、俺は蓮顕さんのいけずなとこが、結構好きなんだ。
俺と蓮顕さんは、洗車がされていない白い乗用車の後部座席に並んで腰を下ろしていた。
市街地を抜け、田畑が目立つようになり、やがて緑豊かな田舎に入る。
稲穂が陽光を受けて黄金色に輝く。所々稲刈りがされているが、耕作放棄地と思われる場所がチラホラと見える。背の高いススキばかりの土地もある。
必要最低限の受け答えしかしなくなった男の運転はスムーズだけど、長時間乗っていて音楽もラジオも流れ流れないのは正直ツラい。
擦れ違う車はほぼなくなり、ウトウトしかけた時だった。
砂利を踏むような音に俺は目を開けた。
車が停まった。
「つきました。降りてください」
出会ったすぐとは大違いな男の硬質な口調に、あそこで意地悪しなくても車に乗るだけで相当な恐怖を与えられたなと、やりすぎた駅前の出来事をちょっとだけ反省する。
車から降りれば、濃い緑と乾いた稲の香りが混ざった美味しい空気に目が覚める。
深呼吸をしていると、男が何も言わずにスタスタ歩いていく。
「ついってこいって意味でしょうね」
反対側から降りた蓮顕さんが俺の横に立ち、辺りを見遣った。
そこにはテレビで見たことあるような光景が広がっていた。
緑が豊かな田舎の広い敷地には、明治か昭和に建てたような古くて大きな木造の平屋建て家屋があり、一般の家のサイズの木造の小屋があって、隣の家が遠くに見える。
桜木家は元地主の家系だと、車内で蓮顕さんに教えてもらっていた。だからか、典型的な田舎の地主の家にしか見えない。
男は家屋の入口でなく、家屋の端に立ってこちらを見ている。
これが家じゃないの?
納得いかないまま蓮顕さんと男を追って走ると、男が角を曲がった。
見失わないようについていくと、男が平屋の裏に回った。
俺もまわれば、そこには今時の作りの一軒家があった。
しかも、前にある木造の平屋より小振りだ。面積は半分くらいだろう?
男はその平屋の入口を当たり前のように開けた。
今は田舎でも不審者が盗みを働く時代だ。
鍵くらいかけようよと思ったが、大窓が開いているのが見えて、肩を竦めた。
「奥様! 連れてきました」
男が玄関を開けっぱなしにして声を張り上げた。
「今準備するから、入ってもらって」
年配だろう女性の声が少し奥から聞こえてきた。
男は玄関をあがると、「入って」と促し、すぐ横の引き戸を開けて入っていく。
「失礼します」
蓮顕さんと、
「お邪魔します」
俺は、遅れてドア框を潜った。
六畳ぐらいの畳の部屋で座布団に座り、布団のない炬燵に絵巻物のように広げられた家系図を見せてもらう。
歴史の番組で、有名武将の家系図などを見たことあるが、ナレーション頼りで観るからなんとなくわかるのであって、こうしてただ見せられてもわからない。
見させてもらう前に「途中から書いてないから、見ても無駄だと思うけどね」と婆さんに言われたそれは、最初の呪いの被害者の代の手前までしか書かれていないとのことだった。
蓮顕さんは昔の紐で閉じてある冊子と、家系図を交互に見ながら、向かいでグチグチベラベラ喋る婆さんに相槌を打つ。
俺たちをここまで連れ来た男は、ヤマネと婆さんに呼ばれていた。
ヤマネさんは俺たちを案内した後、そそくさと出ていき、大窓の外を横切っていった。帰りも運転してくれるだろうから、そう遠くにはいってないだろう。
宗也さんから見て、第二の呪いの被害である祖父の兄の嫁に当たる婆さんは、見た目が八〇歳くらいの中肉中背で、唇が分厚く、目をギラギラさせていた。正面に大きくHEAVENと黄色でプリントされたショッキングピンクのトレーナーに、モンペというミスマッチなコーディネートは、婆さんの人となりがわかってくると、似合っていると思えてしまう。
多分、単語の意味を知らずに着ているんだろうなあ。
意味は天国。
わかって着ていたら、相当性格が悪いか、頓着しないタイプだろう。
ショートカットの髪は、伸びきったパーマなのかボサボサだ。
俺はスタイリング剤を使って態とボサボサ感をだしているけど、この人はクシで髪を梳いているかも怪しい。
婆さんがチラチラ俺を見るたびに、俺は小さく会釈をした。
最初に婆さんが俺を見た時、目を丸くしたと思ったらニタニタして、真っ直ぐ俺から目を逸らさなかった。ヤマネさんとは反対の反応で、正直ビックリした。
婆さんは俺が気に入ったらしく、客用の湯呑の茶二つとマグカップの茶をテーブルに置くと、すぐに引っ込んで、未開封の歌舞伎揚げの袋を持ってきて「全部あげるよ。持ってきなさい」とくれた。
俺は黙ってつまらない話を聞きながら、出されたお茶で口を湿らせた。
歌舞伎揚げの袋は開封して、一個だけ食べた。頂いた物を食べないのは申し訳ないし、蓮顕さんはお茶だけだし、居たたまれない。
「今のところ生きてるけど、アタシは死にたくないんだよ。ようやく、自由になったんだ。娘が死んだのはちょっと残念だったけどねえ、人がせっかく汗水流して働いて、クソ爺や夫の暴力にも耐えてきたっていうのに、勝手に家のモンを盗んで売る親不孝者でね。亡くなった時はワンワン泣いたが、まあ死んで当然だね。家出して戻ってきたかと思ったら、いけ好かない男を連れてきてねえ。桜木家の血を引くとクズばっかが生まれるってのは本当だね。だから次々死んでいくんだよ。ざまあみろだよ」
婆さんがケタケタと笑った。
早口なのに、ネットリして聞こえるのは、不快な内容のせいだけではないだろう。
「それはそれは。今は快適に暮らされるんですね」
冊子から顔をあげた蓮顕さんが、どう見ても自由奔放な婆さんを気持ちよくさせる言葉を紡ぐ。
「そりゃあ最高ですよ。桜木家の嫁なんて、奴隷ですよ。働いても働いても、小遣いすらもらえない。子供の養育費さえ惜しむクズばかりさ。ムシャクシャしてたり、気に食わなきゃ罵倒の嵐。それで済めばいいけど、アイツらは短気ですぐに手をあげる。家の財産は全部自分の物。今はアタシの物だけどね」
また、婆さんがケタケタと笑う。
蓮顕さんの営業スマイルが、嘘くさいレベルにまで強められた。
「この一族はしぶといからねえ。そろそろ生き残って、がめつく家を大きくしていくよ」
「興味深いですねえ。過去に同じようなことがあったんですか?」
蓮顕さんが身を乗りだした。
婆さんの目が一段と輝く。
「そうだよ。義母はアタシと違ってこの村の出身だから、村に代々伝わってる悪口を知ってて、それをアタシに教えてくれたんだ。いつかまた、この家に罰が当たるから楽しみにしろってね。義母はアタシより酷い仕打ちをされてたから、それを信じなきゃ生きていけなかったのかもしれないね。まあ、信憑性なんてどうでもいいんだよ。桜木家がみんなに憎まれてる証があるってだけで、楽しくなってくるじゃない」
「それはわかります」
共感出来て、つい声を漏らしてしまった。
イジメられていた時、イジメたヤツらに思ったことだったから。本当はイジメたお前らが一番嫌われているくせにって。怖いからみんな言わないだけだって。
「やっぱりね。アンタはとってもいい子だ。あげたんだからもっと食べなさい」
婆さんの表情がようやく優しいものになり、俺は「ありがとうございます」と会釈して、もう一つ歌舞伎揚げを取りだした。
「そうなんですよ。私のことを心配して、学校を休んでまでついてきてくれたんです」
「ちょっとアンタ、坊主なら学校に行かせてあげなきゃダメでしょう」
「もっともです。彼はイジメられら過去がありまして、だから共感したんだと思います」
「アンタもかい。そりゃあ苦労したねえ」
婆さんが途端に涙目になって、トレーナーの袖で目元を拭った。
俺は何も言わずに会釈で留めた。
蓮顕さんの口数が多くなってきたということは、何か仕掛ける気だ。
その邪魔は出来ない。
「そうなんですよ。よろしければその言い伝え、彼に詳しく教えてあげてくださいませんか? そしたら彼も、アナタと同じように踏ん張って頑張れると思うんです」
蓮顕さんの力説に、婆さんがウンウンと頷いた。
「そんなことでいいなら、どんだけでも語ってやるよ。だから、挫けず頑張りな」
婆さんの目を見て身を乗りだしてきた。
蓮顕さんが俺の腿を軽く叩いた。
これはリアクションしろって合図に違いない。
「ありがとうございます。頑張ります」
慌てて声が大きくなったが、婆さんは満足したように少しだけ上体を引くと、両膝をテーブルに乗せた。
「いつの時代かわからんが、桜木家が地主になれたのは、大きな地主の娘を無理矢理手籠めにして嫁にしたからんだと。地主は乱暴者に全財産を横取りされたくなくてね。幸い、娘はもう一人いるからと、森沿いの開拓していかなければならない土地を手切れ金として少しだけ分け与えたんだ。もちろん、手籠めにされた娘は勘当だ。名字のない男は、春に土地を与えられたからと桜木を名乗り、暴力で村人を従わせて開拓をしていった。そうして江戸時代に入り、ここからちょっと離れた森を伐採して蔵つきの家を建てた。桜木家の子孫は先祖に似た乱暴者が多くてねえ。その中でも一際残忍な享楽男が、桜木家で一番最初に恨みの力で呪い殺された男よ」
婆さんの話に熱が入っていく。
これは長い話になりそうだ。
俺はほとんど残っていないお茶を飲みほした。
車内アナウンスが流れた。
まもなく新幹線が駅に到着すると知って、少ない荷物をまとめ、テーブルを戻し、背凭れの角度をそっと元の位置に戻した。
「明友さん、眼鏡も外して片づけていただけませんか?」
蓮顕さんの頼みだ。何か理由があるんだろう。
まあ、予想はつくんだけど。
ここには知り合いがいない。
だから、あっさりと叶えられる。
普段は持ち歩かない眼鏡ケースだが、もしやと鞄に入れて正解だった。
眼鏡ケースを仕舞い、動くタイミングを待っていると、蓮顕さんが更に注文してきた。
「新幹線を降りてから帰るまでの間、なるべく顔を髪で隠さないようにしてください。髪が落ちてきたら、こうバッと髪を掻き上げてって……髪がないのでできませんが、お願いしますね」
体を張って笑いをとる蓮顕さんに、俺は気軽に「はい」と返事した。
蓮顕さんは新幹線を降りた早々、「明友君、向かうのは北口です」と通路探しを俺に全振りしてきた。
初めての駅は多少迷うものだ。商業施設が併設されていると、更に迷う。
朔也と朔良が一緒なら迷うのも楽しいが、今は責任重大だ。
草履の蓮顕さんをさ迷わせるわけにはいかない。
確実に案内看板や表示を見つけて行動する。
そうして、もう少しで駅を出る時だった。
「蓮顕和尚ですか?」
近づいてきたのは五〇代くらいに見える男だった。短髪の半分は白髪で、斑なグレーに見える。剃り損ねたような髭も同じ色だ。肌はかなり日焼けしていて、茶色と濃いオレンジ色を混ぜたような色だ。くすんだ薄いグレーのスラックスに、長袖のポロシャツは、洗いすぎてヨレヨレになったような白と薄い水色のボーダーで、無理に若く見せようとしている感じがした。
「お待ちしておりました。こちらにどうぞ。車は少し離れたところに停めておりまして。さあ、こちらです。早く行かないと切符を切られてしまうので」
歯は黄ばんでいて清潔感のない猫背気味の男が、低姿勢で何度も蓮顕さんに頭を下げる。
ニヤニヤしているから、蓮顕さんを敬ってはいないだろう。
「すみません。お伝えし忘れたのですが、一人連れがいるのですがいいでしょうか」
蓮顕さんの営業スマイルに、男がまたヘコヘコと頭を下げる。
「いいですよいいですよ。高名な和尚さんが二人もいらっしゃるなら、心強いです。まったく雇った坊主も神主も全然役に立たなくてですね。無料で原因を見つけてくださるってだけでありがたいもんですよ。今は金にがめついヤツらばかりでして、正則の倅もやっといい仕事してくれましたよ」
男がイシシシシと下卑た笑いをした。
「そうですか。正則さんも浮かばれますね」
「はい、そりゃあもう。葬儀にしか顔を出さないって絶縁に近かい関係でしたからね。それで、お連れさんはどちらですか」
「連れはこちらです」
蓮顕さんが俺へと揃えた手を向けた。
俺は慌てて髪を掻き上げた。
やっと男の眼中に入った途端、男は潰れかけたような悲鳴を上げて尻餅をついた。
俺に眼鏡を外させ、顔を見せるように言ったのはこれが狙いか。
青い目の日本人は恐怖の対象らしい。
こうなるならカツラが欲しかったなあ。長髪のヤツ。
俺は態とにこやかに、男へ手を差しだした。
恐怖を顔に貼りつけた男が、地面に倒れてしまう。
「明友さんもいい性格してますねえ。多分彼、殺されると思って腰を抜かしたんですよ。動けないところに近づいたら、逃げようとしてこうなるのは予想出来るでしょう」
「蓮顕さんでもないですし、いくらなんでもここまでは予想出来ませんよ。困りましたね。移動ができなくなりました」
「少しすれば動けるようになるでしょう。私、お手洗いに行きたいのですがいいですかね」
「あっ、俺も。移動って結構な距離ありますよね。飲み物も欲しいですし」
行き交う人々が俺たちを眺める中、蓮顕さんが男の前にしゃがんだ。
「この青年は幽霊でないですし、アナタたちを呪わないから安心してください。すぐに戻りますので、ここで待っていてくださいね」
さすがは蓮顕さん。
端から見たら、お坊さんに何かしようとして罰が当たった男にしか見えない。
自分にやられなきゃだけど、俺は蓮顕さんのいけずなとこが、結構好きなんだ。
俺と蓮顕さんは、洗車がされていない白い乗用車の後部座席に並んで腰を下ろしていた。
市街地を抜け、田畑が目立つようになり、やがて緑豊かな田舎に入る。
稲穂が陽光を受けて黄金色に輝く。所々稲刈りがされているが、耕作放棄地と思われる場所がチラホラと見える。背の高いススキばかりの土地もある。
必要最低限の受け答えしかしなくなった男の運転はスムーズだけど、長時間乗っていて音楽もラジオも流れ流れないのは正直ツラい。
擦れ違う車はほぼなくなり、ウトウトしかけた時だった。
砂利を踏むような音に俺は目を開けた。
車が停まった。
「つきました。降りてください」
出会ったすぐとは大違いな男の硬質な口調に、あそこで意地悪しなくても車に乗るだけで相当な恐怖を与えられたなと、やりすぎた駅前の出来事をちょっとだけ反省する。
車から降りれば、濃い緑と乾いた稲の香りが混ざった美味しい空気に目が覚める。
深呼吸をしていると、男が何も言わずにスタスタ歩いていく。
「ついってこいって意味でしょうね」
反対側から降りた蓮顕さんが俺の横に立ち、辺りを見遣った。
そこにはテレビで見たことあるような光景が広がっていた。
緑が豊かな田舎の広い敷地には、明治か昭和に建てたような古くて大きな木造の平屋建て家屋があり、一般の家のサイズの木造の小屋があって、隣の家が遠くに見える。
桜木家は元地主の家系だと、車内で蓮顕さんに教えてもらっていた。だからか、典型的な田舎の地主の家にしか見えない。
男は家屋の入口でなく、家屋の端に立ってこちらを見ている。
これが家じゃないの?
納得いかないまま蓮顕さんと男を追って走ると、男が角を曲がった。
見失わないようについていくと、男が平屋の裏に回った。
俺もまわれば、そこには今時の作りの一軒家があった。
しかも、前にある木造の平屋より小振りだ。面積は半分くらいだろう?
男はその平屋の入口を当たり前のように開けた。
今は田舎でも不審者が盗みを働く時代だ。
鍵くらいかけようよと思ったが、大窓が開いているのが見えて、肩を竦めた。
「奥様! 連れてきました」
男が玄関を開けっぱなしにして声を張り上げた。
「今準備するから、入ってもらって」
年配だろう女性の声が少し奥から聞こえてきた。
男は玄関をあがると、「入って」と促し、すぐ横の引き戸を開けて入っていく。
「失礼します」
蓮顕さんと、
「お邪魔します」
俺は、遅れてドア框を潜った。
六畳ぐらいの畳の部屋で座布団に座り、布団のない炬燵に絵巻物のように広げられた家系図を見せてもらう。
歴史の番組で、有名武将の家系図などを見たことあるが、ナレーション頼りで観るからなんとなくわかるのであって、こうしてただ見せられてもわからない。
見させてもらう前に「途中から書いてないから、見ても無駄だと思うけどね」と婆さんに言われたそれは、最初の呪いの被害者の代の手前までしか書かれていないとのことだった。
蓮顕さんは昔の紐で閉じてある冊子と、家系図を交互に見ながら、向かいでグチグチベラベラ喋る婆さんに相槌を打つ。
俺たちをここまで連れ来た男は、ヤマネと婆さんに呼ばれていた。
ヤマネさんは俺たちを案内した後、そそくさと出ていき、大窓の外を横切っていった。帰りも運転してくれるだろうから、そう遠くにはいってないだろう。
宗也さんから見て、第二の呪いの被害である祖父の兄の嫁に当たる婆さんは、見た目が八〇歳くらいの中肉中背で、唇が分厚く、目をギラギラさせていた。正面に大きくHEAVENと黄色でプリントされたショッキングピンクのトレーナーに、モンペというミスマッチなコーディネートは、婆さんの人となりがわかってくると、似合っていると思えてしまう。
多分、単語の意味を知らずに着ているんだろうなあ。
意味は天国。
わかって着ていたら、相当性格が悪いか、頓着しないタイプだろう。
ショートカットの髪は、伸びきったパーマなのかボサボサだ。
俺はスタイリング剤を使って態とボサボサ感をだしているけど、この人はクシで髪を梳いているかも怪しい。
婆さんがチラチラ俺を見るたびに、俺は小さく会釈をした。
最初に婆さんが俺を見た時、目を丸くしたと思ったらニタニタして、真っ直ぐ俺から目を逸らさなかった。ヤマネさんとは反対の反応で、正直ビックリした。
婆さんは俺が気に入ったらしく、客用の湯呑の茶二つとマグカップの茶をテーブルに置くと、すぐに引っ込んで、未開封の歌舞伎揚げの袋を持ってきて「全部あげるよ。持ってきなさい」とくれた。
俺は黙ってつまらない話を聞きながら、出されたお茶で口を湿らせた。
歌舞伎揚げの袋は開封して、一個だけ食べた。頂いた物を食べないのは申し訳ないし、蓮顕さんはお茶だけだし、居たたまれない。
「今のところ生きてるけど、アタシは死にたくないんだよ。ようやく、自由になったんだ。娘が死んだのはちょっと残念だったけどねえ、人がせっかく汗水流して働いて、クソ爺や夫の暴力にも耐えてきたっていうのに、勝手に家のモンを盗んで売る親不孝者でね。亡くなった時はワンワン泣いたが、まあ死んで当然だね。家出して戻ってきたかと思ったら、いけ好かない男を連れてきてねえ。桜木家の血を引くとクズばっかが生まれるってのは本当だね。だから次々死んでいくんだよ。ざまあみろだよ」
婆さんがケタケタと笑った。
早口なのに、ネットリして聞こえるのは、不快な内容のせいだけではないだろう。
「それはそれは。今は快適に暮らされるんですね」
冊子から顔をあげた蓮顕さんが、どう見ても自由奔放な婆さんを気持ちよくさせる言葉を紡ぐ。
「そりゃあ最高ですよ。桜木家の嫁なんて、奴隷ですよ。働いても働いても、小遣いすらもらえない。子供の養育費さえ惜しむクズばかりさ。ムシャクシャしてたり、気に食わなきゃ罵倒の嵐。それで済めばいいけど、アイツらは短気ですぐに手をあげる。家の財産は全部自分の物。今はアタシの物だけどね」
また、婆さんがケタケタと笑う。
蓮顕さんの営業スマイルが、嘘くさいレベルにまで強められた。
「この一族はしぶといからねえ。そろそろ生き残って、がめつく家を大きくしていくよ」
「興味深いですねえ。過去に同じようなことがあったんですか?」
蓮顕さんが身を乗りだした。
婆さんの目が一段と輝く。
「そうだよ。義母はアタシと違ってこの村の出身だから、村に代々伝わってる悪口を知ってて、それをアタシに教えてくれたんだ。いつかまた、この家に罰が当たるから楽しみにしろってね。義母はアタシより酷い仕打ちをされてたから、それを信じなきゃ生きていけなかったのかもしれないね。まあ、信憑性なんてどうでもいいんだよ。桜木家がみんなに憎まれてる証があるってだけで、楽しくなってくるじゃない」
「それはわかります」
共感出来て、つい声を漏らしてしまった。
イジメられていた時、イジメたヤツらに思ったことだったから。本当はイジメたお前らが一番嫌われているくせにって。怖いからみんな言わないだけだって。
「やっぱりね。アンタはとってもいい子だ。あげたんだからもっと食べなさい」
婆さんの表情がようやく優しいものになり、俺は「ありがとうございます」と会釈して、もう一つ歌舞伎揚げを取りだした。
「そうなんですよ。私のことを心配して、学校を休んでまでついてきてくれたんです」
「ちょっとアンタ、坊主なら学校に行かせてあげなきゃダメでしょう」
「もっともです。彼はイジメられら過去がありまして、だから共感したんだと思います」
「アンタもかい。そりゃあ苦労したねえ」
婆さんが途端に涙目になって、トレーナーの袖で目元を拭った。
俺は何も言わずに会釈で留めた。
蓮顕さんの口数が多くなってきたということは、何か仕掛ける気だ。
その邪魔は出来ない。
「そうなんですよ。よろしければその言い伝え、彼に詳しく教えてあげてくださいませんか? そしたら彼も、アナタと同じように踏ん張って頑張れると思うんです」
蓮顕さんの力説に、婆さんがウンウンと頷いた。
「そんなことでいいなら、どんだけでも語ってやるよ。だから、挫けず頑張りな」
婆さんの目を見て身を乗りだしてきた。
蓮顕さんが俺の腿を軽く叩いた。
これはリアクションしろって合図に違いない。
「ありがとうございます。頑張ります」
慌てて声が大きくなったが、婆さんは満足したように少しだけ上体を引くと、両膝をテーブルに乗せた。
「いつの時代かわからんが、桜木家が地主になれたのは、大きな地主の娘を無理矢理手籠めにして嫁にしたからんだと。地主は乱暴者に全財産を横取りされたくなくてね。幸い、娘はもう一人いるからと、森沿いの開拓していかなければならない土地を手切れ金として少しだけ分け与えたんだ。もちろん、手籠めにされた娘は勘当だ。名字のない男は、春に土地を与えられたからと桜木を名乗り、暴力で村人を従わせて開拓をしていった。そうして江戸時代に入り、ここからちょっと離れた森を伐採して蔵つきの家を建てた。桜木家の子孫は先祖に似た乱暴者が多くてねえ。その中でも一際残忍な享楽男が、桜木家で一番最初に恨みの力で呪い殺された男よ」
婆さんの話に熱が入っていく。
これは長い話になりそうだ。
俺はほとんど残っていないお茶を飲みほした。
