一瞬で相思相愛って怪異すぎるだろ!!

【藍染明友】

「それは是非見せていただきたいですねえ」
 不意打ちの囁き。しかも、知らない男の声。
 驚きのあまり、俺は声にならない悲鳴を上げて飛び上がった。破裂しそうなほどの勢いで、心臓が脈打つ。
 手から転がり落ちそうになる達磨を必死になって両手で押さえて、大きく安堵の息を吐く。落とさなかったのは奇跡でしかない。
 振り向けば、頭がツルツルの人の良さそうな坊さんが立っていた。
 坊さんの装いに詳しくないから、どの宗派の坊さんかわからない。けど、人を脅かすなんて坊さん失格だろ。
「それにしても見事なタコですね」
 見た目は三〇歳行くか行かないかくらいの坊さんにいきなり話を振られて、俺はワタワタした。
「手のタコです。今世も相当彫られてるんですね」
 俺の手を見ながら、坊さんが嬉しそうに目を細めた。
「今世?」
 俺は引っかかった言葉を繰り返した。
 坊さんは答えずに、俺の手から達磨をヒョイと取りあげた。
「こういうのをお探しですか?」
 坊さんが達磨をしげしげと見つめる。
 初めて会うのに、やたらに距離感が近い坊さんだ。坊さんの振りをした詐欺だろうか。
「いやちょっと……。奈良に来たから、ご利益ありそうな土産がいいかなと思って」
「例えば、どんなご利益ですか?」
 坊さんが達磨を元の場所に戻した。
「達磨なら達成祈願。おかめなら夫婦円満。おたふくなら多くの福が訪れるように。こちらの鶴や亀は長寿ですね」
 坊さんの視線が、置き物から俺へ向けられる。
「そうですね」
 俺は下唇を湿らせた。
 言うだけ言ってみるか。言ったところでどうなるものでもないけど、言わないでいるより前向きだ。
「順番に殺される呪いを跳ね除ける効果とか」
 探るように尋ねると、坊さんは片手を顎に当てて小さく唸った。
「ああ、いい物がありますよ」
 何かを思いだした坊さんが声を上げると、数歩下がって店をでた。
 少しの期待と興味につられて、俺も店をでる。
「ちょっと待ってくださいね」
 坊さんが首に掛けてい頭陀袋に手を突っ込んだ。
「いつもは違う子を持ち歩くんですが、今日は朝、この子がいいと師匠に言われまして」
 坊さんが取り出したのは、片手に収まる置き物だった。円の上で、祈るように羽の先を合わせようとしているプクプクのヒヨコに見えるが、嘴がない。右の羽の先から棒が上に伸び、左の羽先は紐が巻かれたような彫りになっている。
「これなんていかがですか?」
 坊さんがそれを俺に差しだしてきた。
 意図的に無駄という無駄を態と剥ぎ取った彫りにしたのだろう。全体がのっぺりしている。羽には縦に走る溝が幾つもあるが、ヒヨコをシンプルに仕上げるなら、この溝はいらない。台にも溝が彫られている。
 俺はそれを受取ろうと、両手の平を上に向けた。
 ヒヨコが手の平に載るか載らないかの瞬間、手の平に強烈な違和感がして、それが体中を駆け巡った。
 目を見開いた俺に、「感受性が相当高いですね」と坊さんが頷いた。
 手の平にヒヨコが触れた。ブワッと体中の毛穴が畏怖で広がった。緊張で体中が強張る。
 これ、絶対に威力があるヤツだ。無碍に扱ったら罰が当たるヤツ。
「怖がる必要はありませんよ」
 坊さんは俺の両手に触れ、導くようにヒヨコを包み込ませた。
 包み込み切れないヒヨコの頭部から、目が離せない。
 触れているだけで、圧倒的な存在感が重く、恐れ多くて膝から崩れそうになる。
「これは護法童子です」
 サラッととんでもないことを告げた坊さんに、「これ、全開で開眼されてませんか?」と俺は涙目になった。
 護法童子は、仏法を守る神が子供の姿をした時の総称だ。護法童子にも色々種類があるが、これだけシンプルな像では想像がつかない。
「よくおわかりで」
 坊さんがあっさりと答える。
 開眼がされているということは、今、俺が触れているヒヨコは護法童子そのものということになる。
 開眼にはレベルがあって、最高レベルが寺にある仏像だ。仏壇の仏画の開眼レベルは低く、多少扱いが雑でも支障はないが、最高レベルは扱い一つで障る。下手したら死ぬ。だからこそ、人は寺で仏像と対面すると、圧倒的な力に畏怖を感じて厳かな気持ちになる。
 俺は今、厳かを通り越して、血の気が引いていた。
「信貴山縁起絵巻をご存じですか?」
 坊さんが笑顔を絶やさずに訊いてきた。
 たしか、大昔の絵巻物で、粗筋を読んだくらいの知識しかない。
「名前だけは……って、まさか剣の護法童子⁉」
「大正解」
 坊さんが人差し指を立てた。
 俺は頬を引き攣らせた。
 剣の護法童子は、七福神の一体で甲冑をした毘沙門天の遣いとされている。絵巻では、輪宝と呼ばれる船の舵輪に似た宝物から後ろへ伸びる雲みたいなものに乗って現れている。姿は子供で、剣がいっぱいぶら下がった衣を纏い、右手に剣を持ち、左手に縄を握っていた。
 毘沙門天のご利益は色々あるけど、武将の上杉謙信も信仰したほどの勝ち運は有名だ。今縋りたいのは、まさにそれ。災いに勝つ力が欲しい。
 扱いを間違えれば危険が倍増するけど、恐怖よりご利益が勝ってきた。
「あの……。それ、いくらですか?」
 恐る恐るダメ元で訊いてみる。
「そうですねえ。良心価格で三〇万円くらいかな」
 坊さんが首を傾げた。
 気持ち的に安すぎる!!
 けど、学生の身では高すぎる。
 小さくてもしっかりと開眼された木仏だ。それに、触れるだけで怖いほど厳粛な気持ちになる木仏が数千円から一万円で買えるわけがない。
「えっ、安すぎますか?」
 坊さんが横を見て、何もない空中に尋ねた。
 えっ何? そこに何かいるわけ?
「いくらなんでも、その値段は彼に引かれてしまいます。正しい価値を知ることは大切ですが、相手は学生です」
 何を話してるの?
 和やかだけど丁寧な言葉遣いになっているところが更に怖い。
 坊さんだからって、ほとんどが普通の人だ。幽霊や何かを見たり感じたりする力はないはずで……。
 ヤバい。背筋が冷たくなってきた。
「すみません。私についてきてくださった方が納得されましたので、話を続けさせていただきますね」
 坊さんが軽く頭を下げてきた。
「いえ、こちらこそ」
 よくわからないまま、つられて俺も頭を下げた。
「相場は秘密です。超高額だと思ってください」
「ですよねえ」
 仏像代はともかく、開眼代が高そうだ。一介の高校生が買えるわけない。
「ですが、ここで会ったのも何かの縁。特別にお貸ししますよ」
「えっ?」
 聞き間違いか? 俺は瞬いた。
「アフターサービス込みで無料」
「無料?」
 頭が働かなくて、オウム返しになる。
 これがタダ?
「いかがですか?」
 笑顔で尋ねられても、いきなりの通販番組な展開に「はい、お願いします」と即答するのは怖い。何かある。絶対にある。傷をつけたら一生弁償とか。
 けど、貸してほしい。
「ただし、お貸しする場合、一つお願いがあります」
 やっぱりきたーっ!! この展開。
 俺はゴクリと唾を飲み込んだ。
「いつか、私に木仏を一体彫っていただきたい」
「はぁ?」
 ポカンとしてしまった。
 たったそれだけ?
 いやいやいや、対価に値する木仏を素人の俺が彫れるわけない。
「俺、素人だし、独学ですよ?」
「構いません。そうだ。すでに完成した木仏はありますか?」
「もうすぐ完成しますけど、それは知り合いのために彫っているもので……」
「もしかして、恋人ですか?」
 ほぼ図星で、顔中が熱くなった。
 愛とか恋とか語るには、まだ朔良は幼い。
 俺自身、毎日会えて朔良の幸せに貢献出来うるなら、今すぐどうにかなりたいという欲はない。頬にキスしたいくらいはあるけど、その程度だ。
 それに、俺は朔良に隠し事をしている。そんな俺が告白出来るわけもなく……。
「えっと……あの……」
「返事は不要ですよ。あなたが木仏を彫るほどの相手ということは伝わりましたから。そういうことなら、順番待ちします。よろしければ、彫られている木仏の画像ありますか?」
「はい」
 俺は恐る恐る剣の護法童子を片手で持つと、ポケットからスマホを取りだして、画像を表示させた。
「これです」
 差しだしたスマホを、「失礼します」と坊さんが手に取った。
 坊さんから笑顔が消えた。
 彫っている時は集中しているから、自信がなくなることはない。プロに見せる気がないから、彫っていない時も自信は揺らがない。
 けど、今初めて気持ちが揺らぐ。
「これは凄いですね」
 坊さんにガン見されると、彫った木仏に自信が持ててくる。
「土台がコンパクトですけど、もしかして一本の木からすべてを彫りだしてますか?」
 さすが、仏像をたくさん見てきたプロ。目の付け所が違う。
「それにしても、鬼子母神にこのポーズはありそうでない発想ですね。初めて見ました。どうしてこのポーズに?」
「好きな鬼子母神の像をモチーフにしました。立ったままだと子育ては大変だと思ったので、座った状態で片腕に抱いた子を見つめさせました。子供を守る神なので、子への愛が満ちた眼差しに、子が喜ぶ姿が一番じゃないかって……」
「ザクロを掲げさせた理由は?」
「それは、二つの意味があって、その意味を一番活かした形がこれだと思ったからです。鬼子母神のザクロには、鬼女の時は人肉を食べていたため、人肉を食べたくなったら代わりにザクロを食べるためという話があります。人肉代わりのザクロを食べる姿を、抱いた子供に見せたいでしょうか? そう考えたら、ザクロは子から遠ざけようと考えました。けど、ピンと腕を真上にあげるのは不自然で、軽く肘を曲げました。もう一つ、ザクロには魔を払って子孫を繁栄させる意味があります。祈る人がザクロを見やすいように、そして祈りの象徴になるように曲げた肘が前にくるようにしました。手が横だと、木材から食みでてしまうのも理由です」
「素晴らしい。見事な作品です」
 坊さんが片手をずらして拍手をすると、俺のスマホを勝手にタップしだした。
「えっ、ちょっと、何してるんですかっ」
「いえ、メッセージアプリが入っているか確認を……。入ってますね。はい、ありがとうございます」
 坊さんが悪気一切なしの爽やかな笑顔でスマホを返してきて、俺は引っ手繰るように受け取った。
「交渉成立で行きましょう。ちょっと待ってくださいね」
 坊さんが右の袖に手を突っ込んだ。
「ありました」
 坊さんは長財布を取り出して、財布から一枚の紙を抜き取った。
「これはちょっと特別な名刺でして、配る人を限定しています。裏にQRコードがありますから、護法童子が焦げたような変色を少しでもしたらで結構です。友達登録して、ご連絡ください。必ずあなたの力になります。お友達がレジに向かいましたね。では、私はこれで」
 坊さんが一礼して俺に背を向けた。
 店内を見れば、朔也が会計をしている。
「待ってください。その……護法童子の扱い方ってどうしたらいいんですか?」
 他にも、訊かなければならないことがいっぱいある。いつまでにどんな木仏が欲しいのか、なんで剣の護法童子を貸してくれるのか、護法童子を誤って落としたりしたら祟られるかとか。それに、俺は名刺を貰ったからいいけど、坊さんは俺の名前すら知らない。
 坊さんが軽く振り返った。
「大切な人に預けてください。態と傷つけたりしなければ障りはありません」
 それだけを言い残して、再び去っていく坊さんに、
「俺、藍染明友と言います!!」
 俺は声を張り上げた。
 坊さんが振り返った。
「アキトモさんですね。もしかして、明るい友と書いて明友さんですか?」
「はっ、はい」
 なんで漢字がわかったんだろう。
「良い名ですね」
 坊さんはもう一度俺に一礼すると、歩きだした。
 もらった名刺は簡素だった。表には、『蓮顕』とあり、小さくアルファベッドの大文字で『RENKEN』と振り仮名があった。
裏にはQRコード。そして、『L〇NEご利用でない方は』とメールアドレスが書かれていた。
 住所も電話番号も宗派も書かれていない。
 詐欺用の名刺に疑われるシンプルさだ。
「もうしたの? デカい声だして」
 紙袋を下げた朔也が店から出てきた。
「ちょっと坊さんと話してて……」
 俺は手の平にある剣の護法童子を見つめた。
 これ、どうやって持ち帰ろう。このまま鞄に入れるわけにはいかないし……。
「何それ、買うの?」
 必要な買い物が済んだからか、朔也がサッパリした顔をしている。
「坊さんに借りたんだよ。朔也、両手出して」
「はい」
 素直な朔也が両手を広げで出した。
「そのまま、洗顔で水を掬う時の形にして」
「はいっ」
 俺はそこに護法童子を置いた。
「えっ、くれるの?」
「違うよ。持ってて。落としたら呪われるから丁重に扱えよ」
「なんでそんなもん渡すんだよ!」
「それ包むハンドタオルを買ってくるから、それまで持ってて」
 俺は慌てて店に入った。

【蓮顕】

 夕暮れ時。
 師僧の寺の本堂で正座をしたまま硬直して、どれくらいが経っただろうか。
 私は今、命の危険に直面していた。
 目の前には、仏像を置けるように作られた壁の須弥壇に、台座含めて高さ一メートル六〇センチほどの大日如来像が置かれ、その両脇にも大きめの仏像が数体並んでいた。
 その前にある横幅二メートルほどの木目を生かした三段の台には、後ろの仏像に比べれば小ぶりの仏像や、仏像が納まる厨子も並んでいる。
 その前には、供物や蝋燭などを置く前机がり、さらに前に向机がある。その左側少し前にリンが、左側に木魚が置かれ、向机の前には礼盤と呼ばれる高座がある。要は、僧侶が座る場所だ。
 私は高座から少し下がった位置で、仏像が並ぶ台から目を離せずにいた。
 僅かに動いだだけで障りがある。
 下手をすれば数日以内に死ぬ。
 私は唾を飲み込むこともできず、口腔から喉にかけての渇きに咳を堪えるのが必至だった。
 問題は厨子だ。
 開いていて問題のない厨子もあれば、普段ならば閉じている厨子もある。
 閉じているはずの厨子は全部で九つ。普段は錠がかかっていたはずなのに、正座をした時に錠の外れる音が続けざまに聞こえて、顔を上げた時にはすべての扉が僅かに開いていたのだ。
 普段から閉じている厨子には、祀るのが難しい仏像が納められているため、扱える人が限られている。例えるなら劇薬だ。
 しかも、ここは祈祷寺。檀家がないため墓もなく、一般の拝観は基本お断りしている。奈良のガイドマップに載っていないのと、師僧の術により、観光客が訪れることはまずない。
 虫の声を聞きながら、そっと息を吐く。
 開眼された仏像に降りている神仏たちと、今日一日私とともにいた毘沙門天様が語り合っている声が聞こえる。
 私が明友に再会した時の様子や、見せてもらった画像について会話が弾んでいるから、多分障りはないだろう。
『それほど素晴らしいならば、私たちの仏像も彫らせようか』
 これ、どなたの声ですか。たちって言うからには複数で一つの神仏だろう。……ということは、聖天様だろうか。
『是非、実物を見たいですね。ウフフフフフッ』
 上品な女性の笑い声と、
『怖気づいて彫れんかもしれんぞ?』
 嗄れ声なのに響く老人の声。これは宇賀神様だ。
『ねえ、蓮顕。私たち、あの子たちにいつ再会出来るかしら』
 男性とも女性とも区別がつかない透き通った声が重なって聞こえた。この声は阿弥陀観音様だ。
 本来、阿弥陀観音様という神仏は存在しない。この寺の住職であり、私の師僧である白秀がつけた呼び方だ。壁の台の端ある厨子に納められた木像であり、前世の私の罪により彫られたものだ。
 高さは一メートルと少しあり、両手の印は阿弥陀如来様だが、姿は観世音菩薩様だ。
 この木仏を彫ったのは、前世の明友だ。ただただひたすらに、亡くなった恋人の女性が極楽浄土に行けるようにと、幸せであるようにと祈り、彫りあげた秀逸な作品だ。
 そして、この木仏を開眼したのが前世の私だ。
 何の因果か、仏像の知識が浅い古物商がこの寺に阿弥陀観音様を持ち込んだのが、当時小学五年生だった私が家族に連れられてこの寺の門を潜る一日前。
 すべては前世の不徳を贖うための、神仏の導きだったのだろうと今は思う。
「あらあらあら。賑やかだと思ったら、原因は蓮顕ですか。いつ戻ったの?」
 待っていた白秀師僧のおっとりした声に、緊張が最高潮に達してた私は、安心しすぎて一瞬気絶しかけた。
 だが、倒れて無様な姿を神仏に晒すわけにはいかない。
 私はなんとか意識を持ち直すと、畳に両手をついて師僧に体を向けた。
「先ほど戻りました」
 まずは一礼する。
「白秀先生、態と私を待たせましたよね」
 私は七三歳になる師僧の虚偽を指摘した。
 この寺の一門は呪術に長けており、師僧は私と同じで霊や神などが見え、その声が聞こえる人だ。
 今日、どの時間に私を遣いに行かせれば明友さんに会えるかまで、事前にわかっていたに違いない。
 師僧は何も言わないが、師僧の顔は前世所属していた寺の住職にそっくりで、本人の生まれ変わりで記憶まであるのではと疑っている。
 師僧は私の前世を知っている。
 私が前世を思いだしたのが、ここに連れてこられた日であり、この本堂で如来観音様と対面した瞬間なのだから。
 当時の私は霊に憑かれることが多く、どうして自分ばかりが見えないはずのものが見えるのかと苦悩し、学校にも行かず、引きこもっていた。
 けれど、阿弥陀観音様を見た瞬間、今の自分は前世で望んだ自分なのだとわかった。
 前世の私は、物覚えと要領だけが良い最低の僧侶だった。
 恋人のために阿弥陀如来像を彫りたいが、どれがその像かわからないと言う明友に、私はからかい半分で嘘を教えた。見た目はそれでもいいと。手の形さえ合っていればと。
 私の話を信じて彫られた木仏は、ただただ圧巻だった。その尊い姿に、私は自分の過ちと最低さに気づき、心を入れ替えた。
 前世の最期も覚えている。静まり返った夜中だった。老衰した私は布団から這いでて、なんとか障子を開けた。星が降る夜空だった。
 這いつくばったまま、私は明友が彫った阿弥陀観音様のある本堂に向かって願った。
 来世こそ、人の為に尽くす僧侶になりたい。もし会えたなら、少しでも明友へ償いをしたいと……。
 霊能力がなければ、この寺に連れられてくることも、僧侶になることも、明友に再会することもなかっただろう。
「私に非はありませんよ。ここにいらっしゃる神仏の総意で遅れてきただけですから」
 ニッコリする師僧に、私は言いたいことを飲み込んだ。神仏の総意ならば抗えない。
「それと、今日、明友に何も伝えなかったのは、阿弥陀観音様からの指示ですからね。知って会うのと知らずに会うのでは、喜びも驚きも格段に違いますからね」
「終わったことはもういいです。だから、先生お願いです。勝手に開いた厨子をすべて閉じていただけませんか?
 まだまだ師僧の足元に及ばない私は、こうして師僧に頼るしかない。
 負けた悔しさはあるけれど、力の差が大きすぎて仕返ししたい気持ちすら湧かない。
「他の弟子たちが見たら障りがありますから閉めますが、明友は大丈夫ですよ。神仏が自ら扉を開けたのですから。正しく納めていますから、自分から会いに来て呪ったりはしませんよ。からかい甲斐があると、天部のみなさんが喜んでいますよ」
 ついに、師僧が声を上げて笑いだした。
 ええ、私にも師僧とそれ以外の笑い声が聞こえますよ。
 仏には大きく四種類あり、天部、明王、菩薩、如来とくらいが高くなる。
 天部の神様は、名前の最後に「天」か「神」がつくことが多い。
 他にも、天狗などの妖怪や自然霊などを崇拝することもある。
「私も、生きているうちに一体彫っていただきたいですね」
 師僧が厨子を閉じていくが、数秒で開いていく。
「話足りないと言ってますねえ」
「そうですね」
 心身の疲れがドッと噴きだした私は、フラフラと立ち上がった。
 いつの間に現れたのか、私の家にいるはずの座敷童の女の子が、両足を投げ出して高座に座り、こっちを見て笑っている。
 夕飯までには帰ると言って家を出たから、迎えに来たのだろう。
 私が片手を差しだすと、座敷童が駆けてきて私の手を握った。
「今日は毘沙門天様を置いていきますので、聞きたいことは毘沙門天様にお尋ねください」
 話すべきことはいっぱいあるけれど、ありすぎて夜が更けてしまう。
 現世の明友の守護霊は、前世の明友だった。
 守護霊の明友は私を覚えていた。
 そして、懸命に助けてほしいと縋ってきた。恋人と恋人の家族を助けてほしいと……。
 もう一人の守護霊は、過ちを犯し続ける母親を導いてほしいと必死に頭を下げていた。
 何かが起きているだけはわかった。
 だから、剣の護法童子を託した。
 毘沙門天様は、眷属である剣の護法童子から今どこにいて何を見ているか報告を受けることができるだろう。
 楽しそうに語りを再開した毘沙門天様にこの場を託し、師僧に帰りの挨拶をした私は、一秒でも早くお風呂に入って寝たいとお堂を後にした。