一瞬で相思相愛って怪異すぎるだろ!!

【桜木朔也】

 高校生になって、初めて本格的な文化祭を経験した余韻。
 それが、完全に消えた秋の日曜日。
 俺は昼食のかき揚げと月見うどんをオカズにご飯を食べると、やる気を奪う満腹感からリビングのソファに横たわっていた。
 桜が朔良に改名してから、四年と数か月が経った。
 俺は瞼を閉じた。
 朔良がまだ桜だったあの日。トントン拍子に決まった改名の瞬間を、俺はまだ鮮明に覚えている。
 前夜までは、読みも漢字も男らしい名前に変えたいと、候補名をノートに書いていた桜。
 桜が名前を変えたくないと主張した時、あまりの変わりように俺の思考は停止した。
 一方、今の桜しか知らないブッシは冷静だった。
 いや、違うな。
 俺の知るブッシとは別人だった。
 どこか大人びていながら、桜への眼差しも声も浮かべる表情も常に柔らかで、桜の言葉は全肯定。もはや、桜にのみ全方向で激甘のホストだった。
 ショッピングセンターの通路の端に移動すると、ブッシは桜をそっと下ろしてしゃがませた。そのままブッシもしゃがんで、桜の肩を優しく抱いた。
 しゃくりあげながら泣く桜が、何度も小さな腕で涙を拭う。
「桜っていい名前だもんね」
 リズムをとるように、ブッシが桜の肩をゆっくりと叩き始めた。
 朔良が頷いた。
「俺も、ずっと桜って呼びたい」
 それだけを言うと、ブッシが黙った。
 朔良がぐずぐずな声で小さく「呼ばれ……たい」と漏らした。
 書店から駆けてきた母さんが俺に「どうなってるの」と小さく責め立てるように訊いてきたが、わけわからない俺に答えられるわけがない。
「桜君は、名前の読み方をそのままにしたい? 漢字もそのままがいい?」
 ブッシの先が読めない質問に、俺と母さんは聞き耳を立てながら首を傾げた。
 遅れて、「読み」とだけ朔良が答える。
「じゃあ、漢字だけ変えようか?」
 ブッシが桜の顔を覗き込んだ。
 桜が何度も涙を拭いて、ブッシの目を見つめる。
「例えば、朔也の朔に良い子の良いで朔良。意味は、始まりから良いことしか起きない。ずっと良いことばかり」
「朔良?」
「うん。名前を変えた途端、良いことばかり起きますようにって。笑って暮らせますようにって。俺の勝手な願いばかりだけど、ダメかな」
 桜が力いっぱい頭を振った。
「朔良がいい。明友さんがつけてくれる名前がいい!!」
 桜がガバッとブッシに抱きついた。
 その日の夕食時、桜から名前の案を聞いた父さんは狼狽えながら、何度も桜に確認した。
 俺は父さんに同情した。
 名前一つで壮絶なイジメを受けたら、名前を全部変えたくなるはずだし、実際、朝までの桜はそうだった。なのに、突然読みはそのままにしたいという心変わり。
 俺も母さんも、桜が何を考えているのかわからない。
 けど、空元気から元気になった桜を見ていたら、どうでもよくなった。
 桜が納得しているなら、それでいい。
 後日、家庭裁判所に提出した名の変更許可申立書はすんなりと通り、桜が正式に朔良となり、今に至る。
 桜は中学一年生になり、テストや成績に大きく関わることがないかぎり、登校拒否を続けている。
 けど、過度な引きこもりはなくなり、誰かと一緒なら出掛けられるまでになった。
 一方、高校二年の俺とブッシは、同じ公立高校の同じクラスになった。
 実のところ、中一からずっと同じクラスだ。
 ここまでくると腐れ縁だ。
 あの日の翌日から、平日は俺の帰宅にブッシがついてきて、桜と一緒にリビングで勉強するようになった。
 それが、進学した今も続いている。土日や祝日も、ブッシは頻繁にやってきては桜と過ごしている。
 ブッシは早々と朔良を呼び捨てするようになった。
 朔良もブッシも何も言わないから俺も訊かないけど、二人の仲が未だによくわからない。
 父さんも母さんも、朔良が幸せならそれでいいと達観している。
 二人が思いあっているのは、最初からわかりきっている。
 けど、それがどの程度の思いなのかわからない。
 見ているかぎり友達以上なんだけど、「好き」や「大好き」を言葉にしても、「愛している」や「結婚しよう」は口にしない。でも、「一緒にいよう」や「一緒に暮らそう」はある。
 外で抱きしめあうことはなくなったけれど、大概二人でくっついていて、手を繋ぐのも普通だ。
 せめて、恋人同士なのかハッキリすれば、俺も応援する覚悟を決められるのに……。
 でも、煮え切らない関係の方がラクといえばラクだ。朔良は小柄なのもあるけど、まだまだ子供だ。それに、歳の差が大きすぎる。二人がキスなんかしようもんなら、問答無用でブッシの頬を殴り飛ばす自信しかない。
 俺は大きな欠伸をした。
 明日からは修学旅行。
 それが終わったら、来週からはテスト週間。
 学生って忙しすぎる。
 朝からウチに上がり込んでいるブッシと朔良は、今頃洗い物の手伝いをしているだろう。
 ブッシの猫被りは徹底しているし、朔良は俺と違って手伝いを率先してする子だ。
 父さんは料理の手伝いをしないし、俺も母さんも雑なのに、なんでこんなにイイ子に育ったんだろう。不思議でしかない。
 ああもうダメだ。眠い。眠すぎる。
 俺は考えるのをすべて放棄して、寝ようと決意した。
 だが、
「お母さん!!」
 朔良の悲鳴に近い声と、
「桃花さん!!」
 ブッシの叫びに、俺は飛び起きた。

【藍染明友】

「俺、なんでこのタイミングで修学旅行なんだろう」
 肩を落とし続ける朔也に、俺は同感しながらも言葉にしなかった。
 三泊五日の修学旅行最終日。
 仏閣や仏像の宝庫の奈良だ。
 仏師を目指す俺にとっては願ってもない場所だけれど、家族以外との旅行は初めてで、眼鏡をかけながらコンタクトしているのがバレないよう過ごすのが大変だった。
 家族と事情を知る親戚の前でしかコンタクトを外せなくて、泊まりがけの行事があるたびに仮病で回避してきた。
 けれど、もう高校生だ。
 再来年は実家をでて、京都の大学に通うつもりでいる。
 いい加減、克服しなければならない。
 だから、修学旅行に参加した。
 とはいえ、すぐにコンタクトを外す覚悟ができるわけもなく……。事前に担任と学年主任に相談して、朝と夜に一回ずつ、人目がないところでコンタクトを外して少し目を休ませることにした。
 それに、いつまでも朔良に嘘をつき続けたくない。
 朔良が知る俺は偽ったままの俺だ。
 兄貴が「変われるなら俺が変わってやるのに」と羨ましがるほどの、人によっては大したことない秘密だろうけど、イジメられた心の傷は今も痛くて瘡蓋すらできない。
 だから、登校拒否を続ける朔良の気持ちがわかるし、朔良を傷つけたヤツらは一ミリも許せない。
 みんなと少し違う。普通と違う。それだけで、簡単にイジメが起きる。それだけで、簡単に異物扱いされる。
 そこに加えて、桜木家の親族繋がりで起きている偶然を通り越した呪いのような出来事。
 今頃、朔良は心細くしているはずだ。
 俺は歯を食いしばり、両手を強く握った。
 自分のことでいっぱいになっている時じゃない。
 今すぐ、朔良を力いっぱい抱きしめたい。そして、安心させてあげたい。
 俺だって、なんで今修学旅行だよって思うよ。
 修学旅行の前日を思い返す。
 あの日、朝から桜井家に訪れていた俺は、お昼をご馳走になり、朔良と洗い物をしていた。
 桃花さんも一緒に洗っていたけど、スマホが鳴り、俺に「お願い」と片手で謝りながら数歩離れた。
「アナタ? 何かあったの?」
 桃花さんの声をBGMに、朔良が皿を濯ぎ、俺がその皿を受け取って拭いている時だ。
 後ろから、ガタンと大きな音がした。
 反射的に振り向けば、テーブルの椅子が一脚倒れ、その横で桃花さんが床に尻をついていた。
 思わず桃花さんを呼んだ俺と、桜の声が重なった。
 朔良は気が動転したのか、開けた蛇口と濡れた手をそのままに桃花さんの横にしゃがんだ。
 俺が蛇口を閉めた時、物凄い足音を立てて台所の引き戸が開いた。
「どうした‼」
 血相を変えた朔也が飛び込んでくる。
「どうしよう。お父さんが……お父さんが……重体だって」
 ボロボロと泣き始める桃花さんを、朔良が抱きしめた。
 朔也が大股で近づき、桃花さんからスマホを奪う。
「親父? えっ? ちょっと待って? 母さん、父さんが元気だって言ってんだけど」
 朔也の言葉に、桃花さんが「良かった~っ」とワンワン泣きだし、つられてか朔良も目を滲ませる。
「朔也、ちょっと出るぞ」
 俺は宗也さんと話し続ける朔也の背中を押して台所をでた。
「あっちはなんとかするから、お前は宗也さんから話を聞いてこい」
 踵を返した俺の腕を、
「ちょっと待ってブッシ」
 跡が残るくらい強く朔也が掴んだ。
「父さん、これから警察の事情聴取で帰れないって」
 震える朔也がその場で崩れた。
 これはダメだ。朔也も動揺しすぎて任せられない。
 桜木家は稀に見ないほど家族の仲が良く、結束も強い。だから、高校生になっても家族で買い物したり、ちょっとした地元の祭りでも一緒に出掛けるのが当たり前だ。
 それでも、ここまでの狼狽は異常すぎないか?
 俺は朔也の震える手からスマホを取りあげた。
「明友です。宗也さんは怪我してないんですよね? 無事なんですよね。今、どこにいるんですか? 何が起きたのか順番に教えてください」
『今、静岡なんだ。父の葬式でね』
 いつもは丁寧に話す宗也さんが、珍しく心持ち早口だ。
 小太りで柔らかな物腰が印象的な宗也さんは、イベント会社勤務のため、土日祝日の出勤が多い。
 だから、今日も仕事だと思っていた。
『葬式は終わったけど、直後にちょっとね。それで今、警察が来てて、今日中に帰れそうもないんだ』
「何があったんですか?」
『弔問客が突然俺の弟に暴力を振るい、コンクリートに頭を叩きつけたんだ』
「えっ?」
 一瞬、頭が真っ白になった。
『犯人はすぐに取り押さえたけど、立て続けに親族が亡くなると色々疑われてね。俺も警察から事情聴取を受けることになった。それを桃花に伝えようとしたら、ここしばらく心配をかけすぎてて失敗した』
 宗也さんの吐く息が聞こえた。盛大な溜め息をついたんだろう。
「わかりました。桃花さんにはそう伝えます」
『ありがとう。明友君には色々迷惑かけるね』
「迷惑なんて思ってないです。一つ訊きたいんですけど、立て続けに亡くなってるって、何ヵ月内に何人ですか。それが原因で桃花さんが取り乱したのかなと」
『ああ。今日知ったのも含めて、多分三ヵ月で六人。弟が助からなければ七人になる』
 想像を超えた数字に、俺は息を飲んだ。
 単純計算で、一か月で二人亡くなっている。
「呼ばれたから行くよ。明友君、俺の家族をお願いするね」
 宗也さんから通話を切られた。
 瞬間、俺は金縛りが解けたみたいに力が抜けて、壁に凭れた。
 いつの間にか、朔也は蹲っていた。
「お前んとこ、何が起きてんだよ」
 俺が差しだしたスマホを、
「知るかよ」
 血の気が失せた朔也が受け取った。
「静岡に本家があるんだけど、そこのひい爺ちゃんが施設で亡くなって、次に本家を継いだ父さんの兄さんが亡くなって、次にその子供が亡くなったって。嫌な感じがしたけど、関係ないと思ったんだ。そしたら、爺ちゃんが亡くなった」
 ぐったりした朔也が、両膝を抱えて顔を伏せた。
「また一人死ぬかもしれないと思ったら、何も考えられなくなった」
 朔也の肩が小刻みに揺れた。
「お前はそこで休んでろ。桃花さんに伝えてくる」
 俺は振り返ると、台所の開いた戸口に手を置いた。
 朔也が亡くなったと言ったのは四人。桜木家の曽祖父。大叔父とその子供。祖父。
 宗也さんの言葉を信じるなら、あと二人亡くなっているはずだ。
 そこに加えて、一人が重体。
 たった三ヵ月で、これだけの親族が亡くなったり重体になるだろうか。
 致死率の高いウィルスや細菌に感染したとしたら、まわりにいる全員に被害がなければおかしい。
 こうなると、呪いしか言えなくなる。
 けど、呪いなんて存在するのだろうか。
 喉が渇きを覚えて、俺は無理矢理唾を飲み込んだ。
 桃花さんには最低限のことを伝えよう。過度に怖がらせるのは危険だ。
 本当に呪いだとしても、まだ一人は生きている。順番に亡くなっているなら、叔父が生きているかぎりは誰も死なないはずだ。
 空気が重く淀んでいるような気持ち悪さに鳥肌が立つ。
「明友さん」
 桃花さんに寄り添う朔良が、縋るように俺を呼んだ。
 その日、俺は午後七時過ぎまで桜木家で過ごした。
 無気力気味な桃花さんを休ませて、朔良と朔也が洗濯物を取り込んだ。風呂掃除は朔也がした。
 夕食は俺と朔良が率先してお好み焼きの準備をして、朔也に焼かせた。
 その頃には、桃花さんも笑顔を見せられるまで復活していた。
「おいブッシ。歩きながら寝るなよ。ブッシッ!」
 朔也に肩を掴まれて、俺は我に返った。
 そうだ。今は修学旅行中の最終日。
 俺と朔也は最後まで修学旅行を楽しめないまま、プラプラと二人で歩いていた。
 宗也さんからは個別に連絡をもらっていたけれど、心配は消えない。
 今日の予定はかなり雑だ。午前中はクラスや班関係なく自由行動が許されている。奈良公園のバスターミナルで下ろされ、少し距離があるドライブインみたいなお土産屋に一一時半集合。団体レストランで食事。出発時間まで館内での自由行動が許されているが、あとは帰るだけだ。バスで京都駅まで向かい、新幹線とバスを乗り継いで学校に到着。
 ああ、帰れるまでが長い。
 朔良に会えるまでが長すぎる。
「お前さあ、マジ大丈夫かよ。隈が凄いぞ」
「朔良に会うまでは倒れないから大丈夫」
「いや、それ大丈夫で言わないだろ。ほれ、これで今日もエネルギーチャージしろ」
 朔也が俺にスマホを渡した。
 アプリのメッセージが表示されたそれを受け取り、俺は立ち止った。
 グループでのやり取りの『モモカ』のメッセージは朔良が入力したんだって、確認しなくてもわかる。
 朔良はほぼ家にいるし、出掛ける時は家族か俺と一緒だからスマホを持っていない。
≪明友さんへ。僕は明友さんに会えなくて寂しいです。でも、明友さんが見たがっていた仏像を見れたなら、僕は嬉しいので我慢できます。今日、お兄ちゃんを迎えに駅まで行きます。明友さんに会えたらとっても嬉しいです。我儘だけど、早く会いたいです。元気で帰ってきてください。≫
 脳内で、朔良からのメッセージを桜の声で読み上げる。
 それを五回繰り返す。何十回と繰り返したいが、道端では通行の邪魔になる。
「健気すぎて尊い。神かよ!」
 画面を自分に向けてスマホを掲げた俺に、「末期だろ」と朔也が呆れた。
 なんとでも言え。
「朔良が可愛い」
 朔良が無事で、今日も可愛いのが伝わってきて、気分が浮上する。
「スマホは朔良じゃないぞ」
「ああもう、今すぐ帰りたい。瞬間移動したい。どこでもなドアが欲しいっ」
「それはわかる」
「この画面、スクショして送って。その前に朔良にメッセージを送らなきゃ」
 俺は朔良へとメッセージを入力していく。思いが溢れすぎてツラい。
≪朔良へ。俺も朔良に会いたいです。今すぐ会いたいです。≫
 この思いに合う言葉が見つからなくて、気持ちを全部表現出来なくて、ありきたりな言葉の羅列になる。
「毎日毎日、人のスマホ使ってラブコールすんなよ。気色悪い」
「これでも気を遣って入力してるの。宗也さんや桃花さんも読むのに、変なこと書けないだろ」
 俺は暫し入力に専念した。
≪仏像より朔良が見たいです。だから、仏像を見ても楽しくないです。駅で会えるのを楽しみにしています。≫
 朔良への文章は朔良がしてくれたように、最後の『。』まで入力する。
 ああ、このネット慣れしていないところも可愛い。
 愛しすぎて泣きたくなる。
 俺は自分のメッセージを一度見直して、送信ボタンを押した。
「ほい、ありがとう。スクショは今すぐ送ってくれ」
 晴れやかな俺に、朔也が苦笑した。
「どれどれ、真っ先に読んでやるか」
 俺の打った文を見て、朔也が態とらしくよろけた。
「何これ。マジでヤバッ。警察に通報だろ。幼児趣味のおっさんの呟きだろ。鳥肌が立ったわ」
 朔也が両腕を擦って、上体を離してきた。
「立ってないだろ。いい加減な嘘つくな」
 俺が後ろから蹴る素振りをすると、朔也が数歩前に駆けて振り返った。
「二人して毎回『会いたい』が必ず入るメッセージって、今時のバカップルでもないわ」
 朔也は茶化し飽きたのか、すぐに追いついた俺の横に並んだ。
「元気になったのなら何よりだけど、お前は大丈夫なのか?」
「何が?」
「今までずっと泊りがけの行事に参加してなかったよな」
 朔也は面倒見がいい。
 だが、今ここでそれを思いだしてほしくなかった。
「それに、担任や学年主任に何回も呼ばれてたよな。ウチにだって一回も泊ったことないし。中学ん時は無呼吸症候群とか言ってたけど、あれ嘘だろ。ウチで朔良と昼寝している時、いつも呼吸が普通だった」
「人の呼吸なんて観察するなよ」
「心配したんだよ。死んだら大変じゃん」
 朔也の一言で、会話が途切れた。
 朔也もだろうけど、『死』という単語で桜木家の連続死が浮かんだからだ。
「そんなことよりお前、昨日の夜のアレはなんだよ」
 俺は空を仰いだ。俺の気持ちとは真逆の青空だ。所々に浮かぶ雲は厚みのない爽やかな白。
「アレって?」
「怪談話だよ。実話って言ったよな」
 修学旅行といえば、恒例らしい就寝時のコイバナと暴露大会と怪談。
 伝説か物語の中だけと思ったそれが、三夜続けて行われた。
 しかも、本当に教師が見回りにきて注意するのにビックリした。あれは心臓に良くない。
「怪談と聞いただけでムシャクシャしたから、嫌がらせに実話を披露してやろうっと思ってさ」
 朔也が両手を頭の後ろにまわした。
「だから、トリを志願したのかよ」
「そういうお前は、トップバッターですぐ逃げたじゃん。しかも画像つきでみんなドン引き」
 朔良がニヤッとした。
 ああ、バレている。
「ちょっとビビらせてやっただけだよ。あれ、トリックあるし、怪談でもなんでもないから」
「マジかよ。あとでトリック教えて」
「教える代わりに、俺の質問にちゃんと答えろよ」
「難しいのはパスな」
「簡単だよ。昨日の実話怪談の真実だよ」
「お前、寝てなかったのかよ」
 明友がしくじったみたいに舌打ちした。
「あんなに煩くて寝れるか」
「これ以上心配かけられないって、朔良や母さんに口止めされてたのに~っ」
 両手で髪を乱した朔也が深々と息を吐いた。
「髪の毛のとこはアレンジな。介護士が見たらしいけど警察が来る前に消えたって。父さんから聞いた話で、父さんも葬儀で聞いた噂話だって最初は笑ってたけど……。ここまでくると笑えないよな」
 そう言いながら、失笑を浮かべる朔也は痛々しかった。
 昨夜、俺と朔也も泊った八人の和室に、違う部屋のヤツらも集まってきて、一人ずつ怪談を披露するミニイベントが勝手に始まった。気にせず寝ようとした俺は、掛け布団を剥ぎ取られて強制参加。
 俺は付き合っていられるかと、トップバッターに立候補した。
 朔也も怪談の気分ではない表情をしていたが、少し遅れてトリに立候補した。
 俺は天井に浮きでた手形と足跡の話をして、さっさと眼鏡を外して布団を被った。だが、寝れない。煩いのもあるけど、朔良が心配なのと、コンタクトしたまま眠るのが怖かった。
「じゃあ最後」
 朔也の少し潜めた声に、俺はこれで静かになると安堵した。
「実際に起きた俺のひい爺ちゃんの話と、その息子で俺の爺ちゃんの兄ちゃんの話」
 けど、まさかな内容に頭が冴えた。
「ひい爺ちゃんは歳が歳だから施設で寝たきりで、娯楽はテレビくらい。文句は言うけど、あまり呆けなかった。けど、亡くなる少し前から一気に呆け始めた。『あそこに黒髪の女がいる』とか『青い目の女が怒鳴ってる』とか『首を絞めてくる』とか、喚いては暴れるを繰り返すようになった。それから間もなく、ベッドにつけた転落防止の柵に掴まり、虚空に向かって『知らん』『ワシじゃない』『ワシが殺したんじゃない』『来るな』『寄るな』『殺される』『助けてくれ』『まだ死にたくない』と、まくし立てるように叫びながら呼びだしボタンを何度も押し、何かを追い払うように老衰でやせ細った手足をバタつかせた。駆けつけた看護師の前で、逃げるようにベッドから落ちた。首の骨を折って即死。監視用カメラにもその姿はハッキリと残っていた」
 朔也の声に少し笑いが滲む。
 桜木家の親族に起きる呪いのような怪奇に、朔也も飲み込まれて、気が狂いだしたのかと思った。
 誰もが恐怖を感じたのか、声を上げない。
「カメラには一瞬だけど女の高い叫び声が残っていて、シーツには無数の土が混じった赤黒い手形が残り、ひい爺ちゃんの指には黒くて長い髪が何本も絡んでたんだって」
「マジかよ」
 誰かの声に、
「大マジ」
 朔也が、ゆっくりとにこやかな声で答えた。狂ってないなら、完全に相手をビビらせにかかっているのが、声だけでわかる。
「そんな死に方だから警察を呼んだものの、事件性はなしとなり葬儀へ。ひい爺ちゃんが亡くなってから、自宅に住んでいた息子も女を見たと騒ぐようになった。けど、一緒に住む奥さんには何も見えない。ひい爺ちゃんの死から約二週間後。その息子が亡くなった。ハンドルを切り損ねて壁と電柱に激突。でも、変なんだ。場所は見通しのいい一直線。フロントガラスやボンネットには無数の土が混じった赤黒い手形。車内には無数の長い髪が散らばっていた」
 朔也の言葉が途切れたと思ったら、いきなり「ワッ」とデカい声を上げた。
 途端に大パニック。
「ヤバいヤバいっ」
「先生来るって」
 電気が消えて、みんながドタバタと布団に入る。遊びにきた数人も合間に入って寝たふりしたのだろう。
 静まり返る部屋。
 少しして、本当に先生が見回りにきた。
 外から「寝てるよな」と声をかけられて、返事をする馬鹿はいない。
 そうして、怪談話はお開きになった。
「桃花さんが取り乱すはずだよ」
 目的もなく歩きながら、俺はそれ以上続ける言葉が見つからなくて視線をさ迷わせた。
 他校の修学旅行生らしき人から、大人に子供まで、みんな楽しそうだ。
 道路を歩く鹿にはしゃぐ知り合い発見。
 しけた顔で歩いてるのは、俺と朔也くらいだろう。
「他の親族も不自然な死に方をしてるみたいだけど、詳しくは教えてくれなくてさ。言ってほしいよな。想像するだけの方が怖いだろ」
 朔也が小さく唸った。
「で、どうするこれから」
 いきなり話を振られて、俺は腕時計を見た。
 楽しめない二人に、自由時間が長すぎる。
「お前さあ、お守りばかり買って、肝心のお菓子を買ってないだろう」
 他人のことを言えないが、とりあえず指摘してやる。
 俺の場合、お守りすら買っていない。
 買おうとは思ったけれど、わかるんだよ。持つと力がどれほどのお守りかって。軽く力が込められているお守りと、かなり強い力が込められているお守りは持つと全然違う。力の大きさが存在感となるから、触れると圧倒されるんだ。
 朔良にお守りを買いたかったけど、どれも朔也が買っているのと似たり寄ったりの力で、これだと思うものに出会えないまま、土産と呼べる物を何一つ買っていない。
「ヤベッ!」
 突然、朔也が漫画みたいに頭を抱えた。
「全然買ってないわ。母さんにお守りを頼まれて色々買ったけど、菓子はマストだよな。八つ橋買わないと」
 落ち着きなくキョロキョロしだした朔也に、俺は噴きだした。
「八つ橋って京都だろ?」
「じゃあ、奈良ってなんだよ」
「奈良漬け?」
 スマン。俺もこの程度だ。
「漬け物いいよな。でも、やっぱ菓子だろ」
「財布に余裕があるならだけど、両方買えば? そんで、買ったら見せて」
「なんで?」
「日頃お世話になってるから、お前んちの分も買うんだよ。ダブって買うの嫌なの。どうする。ここで買う? それとも、集合場所で買う? 中の売店がかなり広いらしいから、今行けばゆっくり買える」
「せっかくだから、そこのお土産屋を覗いて、それから集合場所のに行こうぜ」
 朔也がさっさと一番近い土産物屋に入っていく。
 俺も選ぶか。
 一番に選ぶのは朔良へのお土産。予算は決めていない。
 他の土産は残金次第。
 奥に土産用の手頃の仏像が並んでいるが、どれも型で作った量産品だろう。有名な仏像を真似ているだけで何も感じない。
 俺はスマホをスラックスのポケットに仕舞うと、入口に並べられた小さな木の置き物たちに顔を近づけた。
 表面がスベスベの達磨を手に取る。値段を確認して……。
「自分で作ったほうが安上がりだな」
「それは是非見せていただきたいですねえ」
 俺の耳元で、穏やかそうな男の囁きがした。