【藍染明友】
(極楽に行けますように)
その一念だけで、目の前の木材を彫り続ける。
高さは一メートルほど、幅は教室の机の横幅よりあるだろう。
ああ、これは夢だ。
五歳の七五三を境に、頻繁に見る夢。
夢を見ている間、俺は男と同化する。男の視界が俺の視界であり、味覚も嗅覚もありとあらゆる感覚がリアルに伝わってくる。
ただ、思考は違った。
男の感情や思考とは別に、冷静な自分がいた。
幼い頃。お袋に夢の話をしたら、「前世かもね」と笑った。今では迷惑な夢扱いだ。
まあ、そうだろう。
中学一年生になる俺の目指す先は専門職。彫刻で仏像を制作する仏師だ。
遠出をした初めての七五三で出会った木造の仏像に心を奪われ、祈祷の最中に「あの大きいの作る」宣言した時からの俺の夢。
いつ一人前になれるか、ご飯を食べていけるか、収入の目安すらわからない。
男はただただ彫り続ける。
時代は江戸あたりか、それより前か。
総木造作りで土間がある小さな廃屋を少し手入れした室内に、差し込む陽光は少ない。
男の少し角ばった大きな手は、薄く汚れて潤いはなく、骨が浮きでていた。爪の間は黒く汚れ、ささくれから血の色が見えるが、男は痛みを感じていなかった。
湿り気のある空間に、土と緑の匂いが混ざっている。
季節は初夏辺りだろう。
(極楽に行けますように)
男の願いは変わらない。
いや、ブレてはいけないと必死になっているだけかもしれない。
何故なら、これは願掛けなのだ。願いがブレたら叶わなくなる。
男が額から流れる汗を拭った。
男の腕と下半身が視界に入る。
手と同じく汚れた素足で胡坐をかき、洗ったら解体しそうな薄い襤褸を着ている。百姓が捨てた衣服を拾い、洗わずに着続けている感じだ。
物乞い手前な姿の男が息を吐き、彫っていた木材の隅々まで目を向ける。
男の彫り方は異常だった。
仏師を目指す俺は、本やネット検索で彫り方を研究しているからわかる。
普通は木材に書き込みをしてから全体を大まかに削るが、男は書き込みをせず、後ろはそのままに頭部と側面を削っていた。そこから、前面を削り、ある程度形になると木をそのままに体をずらして横を彫る。
化石を発掘するかのような彫り方だ。
こうして一周削り終えてから、細かな作業に移るつもりなんだろう。
もう一つ、気になる点がある。仏師として致命的な間違い。
成仏を願うならば、彫るのは極楽往生を叶える阿弥陀如来になる。
だが、どう見ても観世音菩薩だ。観音様で呼ばれることが多く、現世利益の本尊として知られている。
阿弥陀如来が死後を願うならば、観音様は現世だ。
男が掘り進める仏像は観音様の姿をしながら、印相と呼ばれる両手のポーズは阿弥陀如来だった。
男の記憶を探れたら、謎は解決するだろう。
けど、俺にわかるのは男が今考えていることだけ。
(―が極楽に行けますように)
やっぱり、今日も聞き取れなかった。
耳鳴りみたいな邪魔が入り、男の思考がここだけ読み取れない。男が極楽浄土に行けるよう願う相手の名を……。
(極楽に行けますように)
その一念だけで、目の前の木材を彫り続ける。
高さは一メートルほど、幅は教室の机の横幅よりあるだろう。
ああ、これは夢だ。
五歳の七五三を境に、頻繁に見る夢。
夢を見ている間、俺は男と同化する。男の視界が俺の視界であり、味覚も嗅覚もありとあらゆる感覚がリアルに伝わってくる。
ただ、思考は違った。
男の感情や思考とは別に、冷静な自分がいた。
幼い頃。お袋に夢の話をしたら、「前世かもね」と笑った。今では迷惑な夢扱いだ。
まあ、そうだろう。
中学一年生になる俺の目指す先は専門職。彫刻で仏像を制作する仏師だ。
遠出をした初めての七五三で出会った木造の仏像に心を奪われ、祈祷の最中に「あの大きいの作る」宣言した時からの俺の夢。
いつ一人前になれるか、ご飯を食べていけるか、収入の目安すらわからない。
男はただただ彫り続ける。
時代は江戸あたりか、それより前か。
総木造作りで土間がある小さな廃屋を少し手入れした室内に、差し込む陽光は少ない。
男の少し角ばった大きな手は、薄く汚れて潤いはなく、骨が浮きでていた。爪の間は黒く汚れ、ささくれから血の色が見えるが、男は痛みを感じていなかった。
湿り気のある空間に、土と緑の匂いが混ざっている。
季節は初夏辺りだろう。
(極楽に行けますように)
男の願いは変わらない。
いや、ブレてはいけないと必死になっているだけかもしれない。
何故なら、これは願掛けなのだ。願いがブレたら叶わなくなる。
男が額から流れる汗を拭った。
男の腕と下半身が視界に入る。
手と同じく汚れた素足で胡坐をかき、洗ったら解体しそうな薄い襤褸を着ている。百姓が捨てた衣服を拾い、洗わずに着続けている感じだ。
物乞い手前な姿の男が息を吐き、彫っていた木材の隅々まで目を向ける。
男の彫り方は異常だった。
仏師を目指す俺は、本やネット検索で彫り方を研究しているからわかる。
普通は木材に書き込みをしてから全体を大まかに削るが、男は書き込みをせず、後ろはそのままに頭部と側面を削っていた。そこから、前面を削り、ある程度形になると木をそのままに体をずらして横を彫る。
化石を発掘するかのような彫り方だ。
こうして一周削り終えてから、細かな作業に移るつもりなんだろう。
もう一つ、気になる点がある。仏師として致命的な間違い。
成仏を願うならば、彫るのは極楽往生を叶える阿弥陀如来になる。
だが、どう見ても観世音菩薩だ。観音様で呼ばれることが多く、現世利益の本尊として知られている。
阿弥陀如来が死後を願うならば、観音様は現世だ。
男が掘り進める仏像は観音様の姿をしながら、印相と呼ばれる両手のポーズは阿弥陀如来だった。
男の記憶を探れたら、謎は解決するだろう。
けど、俺にわかるのは男が今考えていることだけ。
(―が極楽に行けますように)
やっぱり、今日も聞き取れなかった。
耳鳴りみたいな邪魔が入り、男の思考がここだけ読み取れない。男が極楽浄土に行けるよう願う相手の名を……。
