「襲われた人は今のところいない……と思う。ま、生きて帰れなかったとしたら目撃談も何もないけどな」
「……でも、この学校で誰かが行方不明になったなんて話、聞いたことないぞ」
だとしたら襲われた人は本当にいないのかもしれない。まあ、花子さんの存在はまだ否定できないけど。
「なーんじゃ、つまらんの~~。少しは張り合いのある相手じゃとよかったんじゃがな~、せっかくワシが出てきてやったのに、かーっ、だるいの~~」
耳の穴をかっぽじりながらのたまうシオリ。
さっきまでめちゃめちゃ怖がってたくせに、手のひら返し早すぎるだろ。
「だったらお前なら楽勝だよな、シオリ?」
「と、当然じゃ。ワシを誰だと思っとる?」
調子に乗りかけたシオリに圧をかけ、俺は廊下の突き当たりにあるトイレに視線を向けた。
とにかく確かめるだけだ。花子さんがいなければそれで良し、万が一いてもシオリがなんとかしてくれるだろ。神だし。
「…………」
一歩、また一歩とトイレに近づくごとに、俺たちの口数は減っていった。
三人分の足音だけが仄暗い廊下に響いている。
ぽちゃり、と聞こえた一滴の水音に、隣を歩くシオリがびくっとする気配がした。
「流しの蛇口だろ。心配するな」
それだけ言って、俺はトイレの入り口から中を覗き込んだ。
音らしい音はしない。小便器が並び、特有のアンモニア臭が漂う、ごくありふれたトイレの光景。
何も変わったことはない。この問題はこれで――
「お、おい勇次郎」
大輝に服の袖を引っ張られ、俺は眉根を寄せた。
「あ、あそこ……三番目の個室」
スマホのライトで個室を手前側から順に、照らしていく。
一つ目の個室……開いてる。
二つ目の個室……開いてる。
そして、三つ目の個室は――
「閉まってる……?」
こんな夜に。俺たち以外に誰もいないはずなのに。まさか、本当に……?
「ににに逃げようぜ勇次郎今ならまだ間に合う」
震えながらカッスカスの声で言ってくる大輝。発案者のお前が言うなよ。
「ここまで来たら……行くしかないだろ」
俺はシオリの手を掴み、トイレ内へと一歩踏み込んだ。
「何かあったら助けろよ、神様」
「……うむ」
流石に覚悟を決めたのか何も言い返すことなく、シオリは頷いてくれた。
遅れて大輝も後に続くなか、俺は三つ目の個室の前に立ち止まった。
じっとりと湿った手を握り込み、ドアへと伸ばす。
コン、コン、コン、とノックを三回。
それから、呼びかけ。
「はーなこさん、あーそびましょ」
固唾を呑み、返事を待つ。
自分たちの鼓動と呼吸の音だけが、いやに大きく響いているようだった。
そして。
「はーい」
声がした。
俺たちは硬直したまま、視線だけを交わし合った。
いる。けれど、もう逃げられない。
スゥと息を吸い込み、俺は意を決して扉に手をかけた。
それと同時――カチャン、と鍵が外れる音。
扉が開く。
「……何して遊ぶ?」
現れたのは黒髪おかっぱの女の子。前髪がだらりと垂れて顔はよく見えず、ワイシャツに赤いサスペンダースカートを履いている。
こいつが花子さん――出会ったら最後、やられる……!
「やれッ、シオリ!!」
「『汝、ここに在るべからず』――」
俺と入れ替わる形で前に飛び出したシオリが、手のひらをかざして祝詞の一節を唱える。
その瞬間だった。
「まっ、待ってくださいっ!!!」
馬鹿でかい声を出してきた花子さんに、俺は腰を、もとい拍子を抜かした。
「へっ……?」
「ち、違うんです! ぼ、僕……」
花子さんが自分の頭をがしっと掴み、引き剥がす。
思わず目をぎゅっとつぶった俺だったが、何も起きていないことに気づき、薄く目を開いた。
そこに立っていたのは花子さん――ではなく、紫色の髪の男子生徒に見えた。
「あ、あの……僕、人間なんです」
「え、ええ……?」
どういうことなんだ。意味が分からない。
「花子さんじゃないのは、確かなんだな?」
「はっ、はい。間違いなく人間、ホモサピエンスのオスです」
そんな自己紹介初めて聞いたぞ。
第一声の「はーい」が花子さんにしては低いなと思ったけど、まさか過ぎる結果だ。
「神騒がせなやつじゃのー。して、お主は何故こんなことをしておったのじゃ?」
気の抜けた口調で聞いてくるシオリに、紫髪の男子は面食らった顔になった。
和装で「のじゃ」口調のやつが現れたら驚くのは当然だけど、お前も大概だぞ。
「……でも、この学校で誰かが行方不明になったなんて話、聞いたことないぞ」
だとしたら襲われた人は本当にいないのかもしれない。まあ、花子さんの存在はまだ否定できないけど。
「なーんじゃ、つまらんの~~。少しは張り合いのある相手じゃとよかったんじゃがな~、せっかくワシが出てきてやったのに、かーっ、だるいの~~」
耳の穴をかっぽじりながらのたまうシオリ。
さっきまでめちゃめちゃ怖がってたくせに、手のひら返し早すぎるだろ。
「だったらお前なら楽勝だよな、シオリ?」
「と、当然じゃ。ワシを誰だと思っとる?」
調子に乗りかけたシオリに圧をかけ、俺は廊下の突き当たりにあるトイレに視線を向けた。
とにかく確かめるだけだ。花子さんがいなければそれで良し、万が一いてもシオリがなんとかしてくれるだろ。神だし。
「…………」
一歩、また一歩とトイレに近づくごとに、俺たちの口数は減っていった。
三人分の足音だけが仄暗い廊下に響いている。
ぽちゃり、と聞こえた一滴の水音に、隣を歩くシオリがびくっとする気配がした。
「流しの蛇口だろ。心配するな」
それだけ言って、俺はトイレの入り口から中を覗き込んだ。
音らしい音はしない。小便器が並び、特有のアンモニア臭が漂う、ごくありふれたトイレの光景。
何も変わったことはない。この問題はこれで――
「お、おい勇次郎」
大輝に服の袖を引っ張られ、俺は眉根を寄せた。
「あ、あそこ……三番目の個室」
スマホのライトで個室を手前側から順に、照らしていく。
一つ目の個室……開いてる。
二つ目の個室……開いてる。
そして、三つ目の個室は――
「閉まってる……?」
こんな夜に。俺たち以外に誰もいないはずなのに。まさか、本当に……?
「ににに逃げようぜ勇次郎今ならまだ間に合う」
震えながらカッスカスの声で言ってくる大輝。発案者のお前が言うなよ。
「ここまで来たら……行くしかないだろ」
俺はシオリの手を掴み、トイレ内へと一歩踏み込んだ。
「何かあったら助けろよ、神様」
「……うむ」
流石に覚悟を決めたのか何も言い返すことなく、シオリは頷いてくれた。
遅れて大輝も後に続くなか、俺は三つ目の個室の前に立ち止まった。
じっとりと湿った手を握り込み、ドアへと伸ばす。
コン、コン、コン、とノックを三回。
それから、呼びかけ。
「はーなこさん、あーそびましょ」
固唾を呑み、返事を待つ。
自分たちの鼓動と呼吸の音だけが、いやに大きく響いているようだった。
そして。
「はーい」
声がした。
俺たちは硬直したまま、視線だけを交わし合った。
いる。けれど、もう逃げられない。
スゥと息を吸い込み、俺は意を決して扉に手をかけた。
それと同時――カチャン、と鍵が外れる音。
扉が開く。
「……何して遊ぶ?」
現れたのは黒髪おかっぱの女の子。前髪がだらりと垂れて顔はよく見えず、ワイシャツに赤いサスペンダースカートを履いている。
こいつが花子さん――出会ったら最後、やられる……!
「やれッ、シオリ!!」
「『汝、ここに在るべからず』――」
俺と入れ替わる形で前に飛び出したシオリが、手のひらをかざして祝詞の一節を唱える。
その瞬間だった。
「まっ、待ってくださいっ!!!」
馬鹿でかい声を出してきた花子さんに、俺は腰を、もとい拍子を抜かした。
「へっ……?」
「ち、違うんです! ぼ、僕……」
花子さんが自分の頭をがしっと掴み、引き剥がす。
思わず目をぎゅっとつぶった俺だったが、何も起きていないことに気づき、薄く目を開いた。
そこに立っていたのは花子さん――ではなく、紫色の髪の男子生徒に見えた。
「あ、あの……僕、人間なんです」
「え、ええ……?」
どういうことなんだ。意味が分からない。
「花子さんじゃないのは、確かなんだな?」
「はっ、はい。間違いなく人間、ホモサピエンスのオスです」
そんな自己紹介初めて聞いたぞ。
第一声の「はーい」が花子さんにしては低いなと思ったけど、まさか過ぎる結果だ。
「神騒がせなやつじゃのー。して、お主は何故こんなことをしておったのじゃ?」
気の抜けた口調で聞いてくるシオリに、紫髪の男子は面食らった顔になった。
和装で「のじゃ」口調のやつが現れたら驚くのは当然だけど、お前も大概だぞ。
