神様、その契約、命がけで守ります

律先輩が掴んでいた更衣室のドア枠に、亀裂が走っていた。
吸い込む力はなおも強まっていく。


「っ、ぁ……!」


律先輩の靴底がずるりと滑った。
細い指がドア枠へ食い込む。
だが、耐えきれない。
めきめき、と歪んだドア枠が、次の瞬間、ガラスみたいに砕け散った。


「――っ!!」


支えを失った律先輩の身体が宙へ浮く。


「律先輩!!」


それでも律先輩は、大輝の手を離さなかった。


「離してください……っ!」
「離せるわけ、ないでしょう……!」


二人の身体が、そのまま黒い穴の奥へと引きずり込まれていく。


「大輝!! 律先輩!!」


必死に手を伸ばしても届かない。
俺の指先が空を掴んだ直後――二人の姿は完全に暗闇の奥へ呑み込まれ、空間の裂け目は音もなく閉じた。
あとに残ったのは、静まり返った廊下だけだった。


「……大輝……律先輩……なんで……」


ひび割れた声で二人の名前を繰り返す俺は、膝から崩れ落ち、床に手を突いてうなだれた。
また、一人になるのか。
今度は脱出できるかも分からない閉鎖空間で、永遠に。


「シオリ……」


あいつも俺と同じように、一人でいるのだろうか。
きっと寂しがってるんだろうな。一人で寝るのも嫌がって、いつも俺のベッドまで入り込んでくるようなやつだったから。
――迎えに行かなければ。
俺が行かなければ、あいつはずっと一人だ。
立ち上がろうとした瞬間、廊下の景色が一瞬だけ歪んだ。
同じ廊下のはずなのに、その先に見覚えのある扉が見えた。
図書室のドアだ。
今だ、と思った。俺は床を蹴って走り出した。


「シオリっ、シオリっ、シオリ……!!」


足を踏み出すごとに部活棟の出入り口の扉がだんだんと近づいてくる。
心臓が痛いほどに肋骨を打つ。
シオリ。待っていてくれ、シオリ。いま、助けに行くから――。
手を伸ばし、それから重い鉄の扉を肩でこじ開ける。
たちまち差し込んできた陽の光に目を細め、俺は渡り廊下を駆け抜けて校舎へと急いだ。
さっき見えたビジョン。図書室。シオリはきっと必ず、あそこにいる。


「はっ、はっ、はぁっ……!!」


校舎西棟に入ってすぐの階段を一足飛びに駆け上がる。
早く。早く。早く早く早く早く早く。
汗を飛ばし息を切らしながら図書室の前まで転がり込んだ俺は、そのままの勢いでドアを思い切り開いた。


「シオリッッッ!!!」


白いレースのカーテンが穏やかな風に吹かれる、窓際にて。
温かく差し込んでいる日の光の下で、シオリは目を見開いたまま固まっていた。けれど、その瞳はかすかに揺らいでいるように見えた。


「ユウ、ちゃん……!?」


唇をぎゅっと噛み、何かを堪えるように睫毛をわずかに伏せる。
少しの間を空けて俺のことをまっすぐ見つめ、シオリは訊いてきた。


「なぜ……なぜ、ここに来てしまったのじゃ!? ワシを追いかけるなと、あれだけ言ったじゃろうが!」
「……言ってない」


本当に言われた記憶がない。俺が正直に突っ込むとシオリは頬を赤くして言い返してくる。


「言った言ってないはどうでもいいのじゃ! 文彦の話をしたじゃろう!? お主はワシのそばにいてはならんと、どうして分からんのじゃ!?」


小さな体をいっぱいに使って、シオリは必死に訴えかけてくる。
文彦のように怪異の犠牲になってほしくないから。
それは分かる。シオリの気持ちは十分理解できる。でも、じゃあ俺の気持ちはどうなんだよ。


「……分かるよ」


絞り出すように口にした声は、自分でも驚くほど掠れていた。


「じゃったら! なぜ、ワシの言うことが聞けんのじゃ!」


握った拳を机に叩きつけ、震える声でシオリは叫ぶ。


「お主まで失ったら、ワシは……!」


そこで言葉が途切れる。
潤んだ金色の瞳が揺れて、今にも涙がこぼれ落ちそうになっていた。


――ああ、そうか。


こいつは怖がっているんだ。俺を失うことを。文彦の時みたいに、手遅れになってしまうことを。
そんな顔をさせているのが自分だと思うと、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。

「お前が、泣きそうな顔してるから」
「っ……!」


眦をきっと吊り上げて俺を睨みつけるシオリ。
俺はそんなあいつにゆっくりと、一歩ずつ、歩み寄っていった。


「なんで、そんな顔するんだよ」
「お主のことが、好きになってしまったからじゃ! 理由などそれだけだ! 笑いたければ笑え!」


ヤケクソみたいに叫んでから、シオリは耐えきれなくなったのか机に突っ伏した。髪の毛から少し覗く耳が、先っぽまで赤く染まっている。


「……笑わない」
「へっ?」