神様、その契約、命がけで守ります

俺は人の顔を描くのが苦手だ。
でも、最初からそうだったわけじゃない。いつからこんなふうになってしまったんだっけ。


「俺は……」


思い出すのは、小さい頃の風景。母さんが俺の絵を見て笑ってくれた時の記憶。


「……俺が絵を好きになったのは……子供の頃、母さんが褒めてくれたからだ」


画用紙いっぱいに絵の具を塗りたくって、服や床を汚したこともあったけど。
母さんは怒りもせずに俺の絵を認めてくれて、額縁に入れて飾ったりもしてくれた。
あの頃はただ、描いているのが楽しかった。それが変わってしまったのは、果たしていつからだっただろうか――。


「お主の母親は、優しい人じゃったのじゃな」
「……ああ」
「その……お母様は、もう……?」


すごく聞きづらそうな顔で訊いてくるシオリに、俺は「ん?」と首を傾げた。
なんか重大な勘違いをされてるような……。


「いやいや、生きてるよ! 今はただ、別々に住んでるだけ!」
「な、なんじゃ、驚かすでない! お主が今まで何も言わぬから、てっきりそういうことかと……」
「母さんが仕事に集中したいのと、俺の高校が実家からちょっと距離があるのもあって、母さんがここの部屋を借りてくれたんだ」


そういえば今まで言ってなかったなと気づき、俺は今さらながら語った。
得心がいった顔で頷いたシオリは、しみじみとした口調で言う。


「子供想いのいい親ではないか。良かったのう、ユウちゃん」
「ああ、まぁ……」


口ごもった俺にシオリは若干怪訝そうな顔をしつつも、特にそのことには言及しなかった。
どこか遠い目で窓の外に視線を向け、シオリは静かに口を開く。


「ワシにもな、大切な人がおった」


唐突な告白に俺は瞬きした。
気恥ずかしそうな笑みを浮かべて鼻を掻き、シオリは続ける。


「大正の時代のことじゃ。街が近代化の流れに呑まれ、古いものが失われかけていく中……それを守ろうと立ち上がった男がおった」


慈しむような眼差しで俺を見つめ、その名を言葉にする。


「菅原文彦。……かつてこの地の名士であった、お主の祖先じゃ」


その名を聞いて、俺はすぐにピンときた。鎧武者との戦いで訪れた夜見城の中、シオリが食い入るように見ていた肖像に記されていた名前。


「当時は神々への信仰が急速に薄れ、怪異を見ることのできる人間も数を減らしつつあった。その状況を危惧した文彦は、文化財を保護し、神や怪異の棲まう場所を残そうとしたのじゃ。ワシはそんな文彦に契約を持ちかけた。菅原の血が神との相性が良かったのも当然ある。じゃが、一番の理由は……あの男の熱い想いに、胸を打たれたからじゃった」


よどみなく語るシオリの瞳は、どこか寂しげだった。
ベッドの上で小動物のように丸くなり、シオリは膝に顔を埋める。


「結局……契約は最後まで果たされることはなかったがな」


何と声をかけたら良いかわからず、俺は沈黙した。
しばらくの間を置いた後、シオリは顔を上げ、いつもの明るい声音で言ってくる。


「すまぬ、辛気くさい話をしたな! 絵の続きに戻るかの?」
「――あ、ああ」


訊きたかった問いを胸の奥にしまい込んで、俺は再びスケッチブックに向き合った。
窓辺を眺めているシオリのアンニュイな表情を見つめ、鉛筆を走らせる。
日が暮れるまで俺は、書いては消してを繰り返した。
シオリはそれに文句一つ言わず付き合ってくれた。
結局、顔は輪郭と鼻までしか描けなかった。
描けなかった目元の空白が、いやに白く見えた。






あれから俺は、一度もスケッチブックを開けずにいた。
期末テストに集中しなきゃいけなかったから、仕方なかった。
そう自分に言い聞かせているうちに、夏休みがやってきた。


『勇次郎! 夏祭り、行くぞ!』


夏休みをだらだらと過ごし、なんだかんだで八月も下旬を迎えてしまった俺のもとに届いたのは、そんな大輝からのメッセージであった。
こんな暑い中人混みに行くやつの気が知れねぇよ。
後で返信しとこ、と俺はベッドにスマホを放り投げる。
が、そこでちょうど寝転がって漫画を読んでいたシオリに、画面を思いっきり見られてしまった。


「ほう、夏祭りとな?」
「……行かないぞ」
「なぜじゃ!? 祭りとは古来から脈々と続く、その地の神を祀る儀式じゃ! ワシらが行かなくてどうする!」
「行きたきゃお前一人で行けばいいだろ。俺はやだよ、暑いし」


俺が素っ気なく言うと、シオリは顔を真っ赤にして怒りだした。


「かーっ、これだから最近の若者は! 暑いだのだるいだのまるで根性がない! 己の人生が短い自覚もなくただ時間を浪費しているなど、もったいないと思わんのか!?」