申し訳なさそうにシオリは睫毛を伏せた。
「……でも、シオリは悪くない」
思わず言葉が口を衝いて出てきていた。
「シオリがいなかったらきっと、俺は初めて怪異を見た日に死んでいた。花子さんだって、鎧武者の怪異だって、シオリとか関係なく誰かに危害を加えていたかもしれない。だから……」
「ユウちゃん……」
シオリは嬉しそうな、でもどこか寂しげな表情で俺を見ていた。
その表情はなんだよ。もっと素直に喜べよ。
なんで……そんな悲しげな顔をするんだよ。
「そう言ってもらえるのはワシとしてもありがたい。じゃが……ワシの影響で怪異が増えるのなら、ワシも身の振り方を考え直さねばならん」
立ち上がり、シオリは白い一つ結びを翻した。
「先に帰る。お主はちゃんと勉強、するんじゃぞ」
「待てよ! シオリ……!」
呼びかけても振り向きもせず、シオリは屋上の出入り口へと姿を消していった。
シオリの力が完全に復活したら、どうなるんだろう。
俺の知らないところに、行ってしまうのか。
……わからない。
俺はシオリを追いかけることもできず、ただ立ち尽くすしかなかった。
*
授業が終わっても、俺はなかなか帰路につく気になれなかった。
大輝のサッカー部の都合で今日はオカルト研究クラブの活動もない。
律先輩に声をかけても歯医者があるからと断られてしまった。
「シオリ……」
俺は教室の窓からグラウンドを眺めつつ、ノートを広げてペンを走らせた。
ぐにゃぐにゃとした線。脳内になんとなくのイメージは存在しているのに、それが形として結びつかない。
結局、何も描けなかった。
気づけば外は真っ暗で、運動部の練習の声も聞こえなくなっていた。
……いい加減帰ろう。
俺は重い身体をどうにか舵取りして、立ち上がった。
「……あそこにも」
帰り道、電柱の脇に青白い犬が座っているのが見えた。
怪異だ。飼い主でも待っているのか、身動き一つ取らずにいる。
待っていても迎えに来る人はいないのに。
俺はその犬の霊から目を逸らし、ポケットに手を突っ込んで足早にこの場を通り過ぎた。
「……はぁ」
敢えて遠回りをして、まだ昼間の暑さが残る道をぐるぐると回る。
けれどそれもすぐに限界になった。
滝のように流れる汗を袖で拭い、背中までびしょ濡れになったシャツにパタパタと風を通しながら、俺は観念して自宅まで向かうことにした。
「……」
ドアの前で立ち止まる。
いつもなら雑に開けている取っ手が、今日は嫌に重かった。
何度も握って、離して。それを繰り返す。
もしこのドアを開けた先に、シオリがいなかったら。
そう考えると怖くて、ドアノブを回すことができなかった。
だが、不意に。
「……なんじゃ、ユウちゃんか」
遠慮がちに扉が開いて、俺は後ろにのけ反った。
「しっ、シオリ……!?」
「何を驚いておる。ものすごい汗じゃ、さっさと中に入ってシャワーでも浴びたらどうじゃ。汗臭いぞ」
全身の力が抜け、俺はその場でへたり込んだ。
いた。シオリがいてくれた。いつもみたいに、当たり前のように。
「っ、ユウちゃ――」
シオリが引きつった声を上げる。
その声が妙に、遠い。視界がぐらぐらする。あれ、なんか、へん――?
*
目を開けて最初に見えてきたのは、見慣れた天井だった。
視線を少しずらすと、すぐ上にうつむいたシオリの顔が目に入った
瞼を閉じ、すうすうと規則的な寝息を立てている。
これは、どういう状況だ……?
髪の毛の下に感じるのは、枕とも違うごわつきと、少し硬めの感触。
ああ、これって。
もしかすると俺は、シオリに膝枕をされているのか……?
「シオ……」
「ん……起きたのか、ユウちゃん」
シオリと目が合った瞬間、俺の頬はかあっと紅潮した。
すると熱を帯びたそこにシオリが少し冷えた手のひらを当ててきて、言う。
「まだ熱が下がりきってないか。身体は起こせるか? ちょうどポカリ○エットがあるぞ、飲むとよい」
「ね、つ……?」
「お主は日射病に……いや、現代なら熱中症か。ともかくそれになっておったのじゃ」
ああ、と俺は納得した。うだるような暑さの中、水も飲まずに何十分も外をうろついていたのだ。倒れてもおかしくはない。
「いま、何時……?」
「午後九時じゃ」
「ゆうはん……用意しないと……」
俺はだるさの残る上体を起こし、ベッドから足を下ろそうとした。
が、すぐにシオリに制止される。
「馬鹿者っ、病人に飯を作らせるほどワシの性根は腐っとらんぞ」
「で、でも……作れるの?」
