「よくぞ聞いてくださいました……! ギリシャ、北欧、インドにエジプト、果てはクトゥルフまでっ、神話は大好物です!!」
「否、ワシはそういう御伽噺に出てくる類いでは……!」
「ぜひぜひぜひ! 取材させてくださいっ!!」
「いやじゃいやじゃ! ユウちゃん、ワシを守れっ!」
ものすごい勢いで迫る律先輩から逃れるようにシオリが俺の背中に隠れる。
二人の間に挟まれた俺は視線をあさっての方向に泳がせ、それからさっと踵を返した。
こういう時は逃げるに限る。
「あっ、こら待つのじゃ!」
「じゃ、おれも失礼するわ」
「だっ、大輝まで……このッ、薄情者ぉぉぉ!」
すまん。耐えてくれシオリ。
背後から聞こえる喚き声に若干の申し訳なさを感じながらも、俺たちはそそくさとこの場から退散するのだった。
グラウンドに立ち込める汗と砂埃の熱気。
仲間からの声援を受けてバトンを繋ぐ、リレーの走者たち。
応援に夢中になるクラスメイトたちから離れた木陰にて。脳内に焼き付けたワンシーンを反芻しながら、俺はデッサンに励んでいた。
「祭りじゃというのに、相変わらず辛気くさい顔で絵を描いておるのか」
「祭りといっても体育祭だ。所詮は授業の一環でしかない」
着物の袖を捲り、胸元もだいぶ着崩した格好のシオリが茶々を入れてくる。
丸めた膝の上に置いたノートへと視線を戻し、俺は鉛筆を握り直した。
走る男子生徒の四肢の躍動。地面を蹴った時に立ち上がる砂塵の粒。一つ一つの動作に魂を込めるように、線を描く。
そこまではすらすらといけたのに、顔を描こうとした途端、手が止まった。
表情をどう描いたらいいのか分からない。頭の中にモヤがかかったみたいに、そこだけがどうしても浮かばない。
「……」
俺はノートを閉じ、鉛筆をポケットにしまって立ち上がった。
「何じゃ、もう描き終わったのか? ワシにも見せろ!」
「違う。トイレだ」
別に尿意も何もない。
ただ、これ以上続けても描けないと思っただけだ。
地面の小石を蹴飛ばしながら、俺は足早に校舎へと向かった。
このあと俺が出場する競技はない。面倒だしこのままバックレてしまおうか。……あとで大輝に怒られるか。
「……はぁ」
「何じゃ溜め息などついて。まさか騎馬戦で負けたのをまだ引きずっとるのか?」
俺の内心などいざ知らず、シオリが後をついてくる。
騎馬戦で負けたのは一〇〇パーお前のせいだぞ。何が「ワシが大将軍じゃ!」だ。いきなり上に乗っかってきやがって。下手したら大事故だったぞ。
「引きずってない」
「引きずっとるじゃろ! お主は無駄にこだわりが強い質じゃからの」
「引きずってないって」
「いーや、その顔はどう見てもむしゃくしゃしとる顔じゃ!」
ニヤニヤして煽ってくるシオリ。いつもだったら適当に聞き流せるのに、今日はなぜか、それができなかった。
「だから、引きずってないって!」
自分でも思っていなかったくらいの大声が出た。
周囲の人たちがざわついている気配に、かあっと顔が熱くなる。
「…………」
普段なら何か言ってくるところなのに、シオリは口を閉ざし、言葉に詰まっているようだった。
「……っ」
俺も何も言えず、いたたまれなくなって足早にその場を後にした。
観戦している保護者たちの合間を縫って、人気のない校舎へ。
――俺は何をムキになっているんだ。
喧騒から離れた静けさの中、冷静さを取り戻しかけてきた頭で思う。
――シオリはただ、いつもみたいにちょっかいをかけてきただけだ。悪意はなかった。俺が過敏になりすぎていた。
胸がざわついている。シオリは俺の態度をどう思っただろう。あいつは何も言わなかった。ドン引きしていたのかもしれない。
「はぁ……」
溜め息を深々と吐く。それを繰り返して、ゆっくりと心を落ち着かせていく。
小さい頃に母親が教えてくれたことだ。仕事でイラついた時はこうするのよ、と母は笑ってそう言っていた。
けれど俺は笑えない。笑い方が分からないまま、ずっと、この年になるまで生きてきてしまったから。
『あれっ、お兄ちゃん?』
ふと、声をかけられた。小さな子供の声だった。
「……?」
怪訝に思って振り返った先にいたのは、おかっぱ頭の小学生くらいの男の子だった。
顔は青白く、腕も足も異様に細い。それに、纏っている服も薄汚れた白いぼろ切れのような布で、まるで幽霊のような――
「っ……!?」
咄嗟に身構える。こいつは怪異だ。こんな戦時中の子供みたいなやつが、現代にいるはずがない。
『お兄ちゃん、ぼくのこと、きらい?』
「否、ワシはそういう御伽噺に出てくる類いでは……!」
「ぜひぜひぜひ! 取材させてくださいっ!!」
「いやじゃいやじゃ! ユウちゃん、ワシを守れっ!」
ものすごい勢いで迫る律先輩から逃れるようにシオリが俺の背中に隠れる。
二人の間に挟まれた俺は視線をあさっての方向に泳がせ、それからさっと踵を返した。
こういう時は逃げるに限る。
「あっ、こら待つのじゃ!」
「じゃ、おれも失礼するわ」
「だっ、大輝まで……このッ、薄情者ぉぉぉ!」
すまん。耐えてくれシオリ。
背後から聞こえる喚き声に若干の申し訳なさを感じながらも、俺たちはそそくさとこの場から退散するのだった。
グラウンドに立ち込める汗と砂埃の熱気。
仲間からの声援を受けてバトンを繋ぐ、リレーの走者たち。
応援に夢中になるクラスメイトたちから離れた木陰にて。脳内に焼き付けたワンシーンを反芻しながら、俺はデッサンに励んでいた。
「祭りじゃというのに、相変わらず辛気くさい顔で絵を描いておるのか」
「祭りといっても体育祭だ。所詮は授業の一環でしかない」
着物の袖を捲り、胸元もだいぶ着崩した格好のシオリが茶々を入れてくる。
丸めた膝の上に置いたノートへと視線を戻し、俺は鉛筆を握り直した。
走る男子生徒の四肢の躍動。地面を蹴った時に立ち上がる砂塵の粒。一つ一つの動作に魂を込めるように、線を描く。
そこまではすらすらといけたのに、顔を描こうとした途端、手が止まった。
表情をどう描いたらいいのか分からない。頭の中にモヤがかかったみたいに、そこだけがどうしても浮かばない。
「……」
俺はノートを閉じ、鉛筆をポケットにしまって立ち上がった。
「何じゃ、もう描き終わったのか? ワシにも見せろ!」
「違う。トイレだ」
別に尿意も何もない。
ただ、これ以上続けても描けないと思っただけだ。
地面の小石を蹴飛ばしながら、俺は足早に校舎へと向かった。
このあと俺が出場する競技はない。面倒だしこのままバックレてしまおうか。……あとで大輝に怒られるか。
「……はぁ」
「何じゃ溜め息などついて。まさか騎馬戦で負けたのをまだ引きずっとるのか?」
俺の内心などいざ知らず、シオリが後をついてくる。
騎馬戦で負けたのは一〇〇パーお前のせいだぞ。何が「ワシが大将軍じゃ!」だ。いきなり上に乗っかってきやがって。下手したら大事故だったぞ。
「引きずってない」
「引きずっとるじゃろ! お主は無駄にこだわりが強い質じゃからの」
「引きずってないって」
「いーや、その顔はどう見てもむしゃくしゃしとる顔じゃ!」
ニヤニヤして煽ってくるシオリ。いつもだったら適当に聞き流せるのに、今日はなぜか、それができなかった。
「だから、引きずってないって!」
自分でも思っていなかったくらいの大声が出た。
周囲の人たちがざわついている気配に、かあっと顔が熱くなる。
「…………」
普段なら何か言ってくるところなのに、シオリは口を閉ざし、言葉に詰まっているようだった。
「……っ」
俺も何も言えず、いたたまれなくなって足早にその場を後にした。
観戦している保護者たちの合間を縫って、人気のない校舎へ。
――俺は何をムキになっているんだ。
喧騒から離れた静けさの中、冷静さを取り戻しかけてきた頭で思う。
――シオリはただ、いつもみたいにちょっかいをかけてきただけだ。悪意はなかった。俺が過敏になりすぎていた。
胸がざわついている。シオリは俺の態度をどう思っただろう。あいつは何も言わなかった。ドン引きしていたのかもしれない。
「はぁ……」
溜め息を深々と吐く。それを繰り返して、ゆっくりと心を落ち着かせていく。
小さい頃に母親が教えてくれたことだ。仕事でイラついた時はこうするのよ、と母は笑ってそう言っていた。
けれど俺は笑えない。笑い方が分からないまま、ずっと、この年になるまで生きてきてしまったから。
『あれっ、お兄ちゃん?』
ふと、声をかけられた。小さな子供の声だった。
「……?」
怪訝に思って振り返った先にいたのは、おかっぱ頭の小学生くらいの男の子だった。
顔は青白く、腕も足も異様に細い。それに、纏っている服も薄汚れた白いぼろ切れのような布で、まるで幽霊のような――
「っ……!?」
咄嗟に身構える。こいつは怪異だ。こんな戦時中の子供みたいなやつが、現代にいるはずがない。
『お兄ちゃん、ぼくのこと、きらい?』
