Interlude
俺の一番古い記憶は母の泣いている顔だ。
母はすごく綺麗な人だった。嫁に欲しいという話も、金持ちから妾にしたいいう話もあったらしい。
けど、その話は母から直接聞いたわけではない。
娯楽がない閉鎖的な村でそれは残酷で楽しい話題の一つだったのだろう。みんなよくその話をしていた。
そして、そんな母から生まれた俺もまた、村人たちの格好の憂さ晴らしになっていた。俺が、金色の髪と緑目という異形の姿だったからだ。
黒い髪に黒い目の人間しかいない中で、金色の髪に緑の目の人間がいたら、そりゃ確かにかなりの衝撃だろう。
俺は母に似てかなり綺麗な顔だった。それが余計に不気味に見えたんだろう。それに、嘘か本当か俺の父は天狗だったとも言われていた。
俺が生まれた頃は、自分たちの国の外にいろんな髪、目の色の人間がいるなんて、誰も知らなかった時代だった。
そんな異形を生んだ母は家族や村人から白い目で見られながらも、多分3歳くらいまでは俺を育ててくれたようだ。
けれど、ある日突然、俺は村の神社につれていかれて、そこに預けられた。
異形の穢れは神社に封じておいた方がいいという話になったのだそうだ。
そして、母はかねてから妾にと請われていた金持ちのところに行ってしまった。
神社に預けられた俺の生活はそれほど悪いものではなかった。
年老いた神主は、村のヤツらとは違って、わりと普通に接してくれた。神に仕えているだけのことはあって、異形も怖くなかったのだろう。
神社は村から少し離れた山の中だったから、村のヤツらと出会うこともなかった。
侮蔑と恐怖が混じった村のヤツらの目がないことも、俺には居心地が良かった。
「薪!」
声が聞こえた。
薪っていうのは、俺のことだ。異端だった俺は名前をもらえなかった。
漁に出たり、畑仕事をしたりという、みんなでやる仕事はやらせてはもらえず、山に入って薪を集めることを課せられた。
そんなわけで、俺は便宜上「薪」と呼ばれているわけだ。安直な呼び方だが、どんな呼ばれ方がいいかと問われても、どうでもよかった。
「おいっ薪!」
さらに言われて俺はちらっとそっちを見た。村の若い衆がいた。
「やっぱり、気持ちの悪いヤツだ」
今度はそんな言葉と、石が飛んできた。
俺はちょっとだけ頭を動かして石をよけて、足元の薪を拾う。石を投げられるのはよくあるので、どうってことはないし、避けるのも上手くなった。
石を投げてきたのは、村の若い衆の中心、弥助だった。そのまわりには取り巻きがいる。
俺は穢れているらしいから、村のヤツらが積極的に俺に関わってくることはなかった。 が、どうやら、弥助たちは俺を見に来たらしい。
ああ…嫌だなと思った。
弥助が俺に近づいてきた。取り巻きたちも、その後ろからついてくる。
これは面倒なことになりそうだなと思ったから、
「穢れに近づくと、穢れるぞ」
俺は弥助たちに向き直ると、真っすぐ視線を合わせて言った。
こうすると、俺の目の色が際立つ。
奴らが忌み嫌う緑の目…穢れには近づいてこないだろうと思ったからだ。
弥助は一瞬ひるんだが、無理をしているような引きつった笑みを浮かべて、どんっと俺の肩の辺りを強く押した。
俺はぐっと踏みとどまって、じっと弥助を見た。こいつがなにをしたいのか、理解できなかったからだ。
けれど、それが弥助のなにかを刺激したらしい。
「穢れのくせに、偉そうな顔しやがって」
弥助は言うと、俺の胸倉を掴んできた。
後ろにいる取り巻きたちが、息を飲む音が聞こえてきた。
「こんなばあさまの白髪みてぇな髪のどこがきれいなんだ。」
胸倉を掴んだまま、弥助が俺の髪に手を伸ばしてきた。
穢れに触ると穢れると言ったり、なにがあったかと知らないが触ろうとしてきたり、全くなにがしたいのか。
俺自身はけっこうこの髪が気に入っていいたから、弥助なんかに触らせなくなった。
伸びて来た手を軽く払って、俺は軽く弥助の胸元を押した。
「うわっ」
俺は軽く押したつもりだったが、弥助には軽くではなかったらしい。
弥助はよろっと後ずさった。
ろくな物を、食べていなかったから痩せてはいたが、俺は力が強かったし、背も高かった。
これも今思えば、天狗と言われていた父の血なのかもしれない。
「おっおい、大丈夫か」
よろけた弥助を取り巻きが心配そうに声をかける。
それが、弥助の自尊心を傷つけたようだった。
あとで、聞いた話なのだが、村の娘たちが俺のことを噂していたらしい。
男尊女卑が激しく閉鎖的な村。年ごろの娘たちからすれば、神社に封じられた異形の俺は、神様の遣いくらいに感じていたのかもしれない。
とにかく、俺のことを好意的に話していたらしいのだ。
俺は顔も母似できれいだったし、村のむさ苦しい男どもに比べたら、きゃーきゃー言いたくなるだろう。
今でいうところの推し活だ。
娘たちがこそこそ話しているのを、若い衆の誰かがききつけて、弥助に告げ口して、弥助が腹立てて、俺につっかかってきたという流れだ。
本当に迷惑な話だ。
弥助は怒りで顔を真っ赤にすると、俺に殴りかかってきた。遅いなーと思いながら、大振りの攻撃をよける。
「その拳が俺に当たったら、穢れに触れるのとになるぞ」
もういい加減にしてほしかったので、警告も含めて俺が言うと、弥助の顔はさらに赤くなった。
「馬鹿にしやがって!化け物が!お前らぼさっとしてねぇで手伝え!」
弥助はすこし離れたところにいる取り巻きに声をかけた。
「けっけど、穢れが」
「触ると呪われるって」
取り巻きたちが、おどおどしながら言う。
「何が穢れだ!呪いだ!そんなもんが怖いのか!お前らそれでも男か!」
弥助が怒鳴った。取り巻きはその声にびくっとして、顔を見合わせてた。
そして、びくつきながらも俺に向かってきた。
穢れも怖いが、弥助に目をつけられるのも怖いのだろう。
相手は三人こっちは一人。まったく連携の取られてないバラバラに動きで、やりづらい。俺は追い詰められていった。
そして、ついには取り巻き二人に腕を掴まれて、拘束された。
そこに興奮しきった弥助が、滅茶苦茶に殴ってきた。顔は、頭を動かして決定的なダメージは受けないようにはしていたが、それでも、顔だけじゃなく、胸やら腹を殴られるのは痛いし、不快だ。
みぞおちに深くはいって、込み上げてくるものを吐いた。
俺が体を折り曲げて、うずくまると、調子に乗った弥助は俺の胸ぐらつかんで引き上げた。
「化け物」
憎々しげに弥助は言うと、俺の顔を殴りつけた。
口の中が切れてる。鉄のような味が口いっぱいに広がって、唇の端からこぼれた。
手で拭うと鮮やかな赤。俺の血を見て、弥助も取り巻きも少しひるんだ。
自分で傷つけたくせに、その相手が血を流すと、急に怖じ気づく。
俺は自分の血を指先に付けると、動きを止めている弥助の頬に線をひくようにした。
「ひっ」
取り巻きたちが息をのんだ。
弥助の頬にべったり俺の血でと赤い線がひかれる。
「お前も穢れたな」
なにをされたのがわからないらしい弥助に言うと、弥助は目を見開いて、頬にさわった、
指先に濡れた感触があったのか、さらに目を開く。白目が血走っていた
弥助は指先を震えながら自分の目の前にもってきた。
「っ!」
そこではじめで自分に穢れの血が塗りつけられたことがわかったらしい。
「うわっうわー」
と声をあげると、これをどうすればいい?とでもいうように、取り巻きたちに手を伸ばした。
取り巻きたちは弥助の顔と手を見て、ガクガク震えて、
「穢れだー」
「いやだー」
声を上げて逃げ出した
弥助もうわわーとものすごい声をあげると走り去った。追われているように。
自身が穢れているのに、何から逃げるのやら。
はぁと息を吐くと、思いだしたように口中や腹が痛んだ。
特に薪を拾おうと屈むと殴られた場所が痛む。
薪を拾うことを諦めて、俺は帰ることにした。
俺がノロノロと神社に帰り着くと、神主が帰ってきたところだった。
俺の顔を見て、眉をひそめた。
「その顔、なにかあったのか」
「転びました」
正直に話すつもりはなかった。面倒なことになるだけだ。
それに弥助たちもまた今日の出来事は秘密にするだらうと俺は思っていた。
だいたい、俺の存在を無視するというのが、村での暗黙の決まりなのだ。それを破って、穢れに触り、さらには穢れの血を受けたことを知られれば、弥助自身も穢れとして扱われてかねない。
そうなることがわかっていて、正直に話すなどしないだろう。
神主は俺の顔をじっと見つめて、
「そうか、ドクダミをつけておけ」
木陰に生えている白い花に目を向けて神主は言うと、さっさと社家に入っていった。
俺はドクダミが生えているところに屈みこんで、摘もうと手を伸ばた。
ドクダミの花はきれいだった。
弥助たちの俺に向ける目を思い出した。
俺はドクダミに伸ばした手をぐっと握った。
「安心しろ、ちぎったりしねぇよ」
俺はドクダミにそう言うと、立ち上がった。
ドクダミを摘んで、つぶすことを考えたら、我慢できない痛みではなかった。
俺はなるべく傷に響かないようにゆっくり歩いて、社家の横にある狭い小屋に入った。
それから、しばらくは平穏だった。
朝になれば起き出して、境内の掃除をして、山に薪を拾いにいく。
日が暮れれば、小屋に帰り眠る。
変わらない毎日、ただ季節だけは変わっていく。
今年の夏はあまり暑くなくすごしやすかった。山を歩きまわる俺にしてみれば、暑くないほうがいい。
が、涼しい夏はけっしてよいことではないのだと、俺はあとから知ることになる。それは村のヤツらもだ。
涼しい夏が過ぎる。毎年、秋は実りを祝って祭りが行われる。祭事を取り仕切る神主もこの時期は忙しい。
だが、その年は別の意味で村は浮き足だっていた。
米がいつも半分しかとれなかったのだ。とにかく、豊穣の神から見捨てられたような状態だった。
いわゆる、飢饉だ。
そして、冬が来た。
夏が涼しいかったから、冬は暖かくならなるーなんていう都合のいいことはおこることもなく。
厳しい冬だった。
俺は冬でも変わらず山に入って薪を集めてまわっていた。
凍えるほどに寒かったが、俺は山を歩いて回るのは嫌いではなかったし、ドングリやノビルの根、カラマツの樹皮なんかは、わりと食べられる。
俺はそんな食べられる物を集めながら、薪を拾いを続けていた。
ある日の朝、異変が起きた。
その日は一際寒かった。
いつも通りに起き出して、境内の掃除をしながら、ふっと神主が住んでいる社家を見た。
いつもと違う。
俺が掃除をしていると、いつもなら竈からの煙があがっているのだが、今日は煙が上がってない。
神主は朝は湯を沸かして、それを飲むのを日課にしている。それはうんざりするほど、毎日同じだった。
胸の奥にモヤっとしたものを感じたが、俺はそれを無視した。面倒だと思ったからだ。
そのときはそう思った。けれど、今、思えば怖かったんだ。何かが変わってしまうことに。
掃除が済んでも、社家に変化はなかった。
神主が姿を見せることもなかった。そんなことは今までにないのとだった。もしかしたら具合が悪くなって寝込んでいるのかもしれない。
穢れである俺は社家への出入りを禁じられている。が、俺はそれを無視することにした。
家族のようなものではなかったが、神主はできる範囲で俺をそ育ててくれた人だ。
もし、なにかこまったことになって助けるのは当然だろう。
俺は社家の戸を少しだけ開いた。
「神主様」
まだ中には入らずそこから声をかけかけてみた。
返事をしてくれ、と俺は無意識に思っていた。が、返事はなく、人の気配さえも感じなかった。
胸の奥のモヤっはさらにはっきりとしたものになっていた。
「神主さま、体の具合でも悪いのか?神主様、入ります」
俺は声をかけながら、初めて社家へ入った。
土間にはかまどがあり、炊事ができるようになっていた。上がり框があって、その先に神主の部屋がひとつある。
だから、俺が入り口から声をかければ、聞こえないはずはない。けれど、なんの返事はない。
しんとした社家の中、自分の胸の音だけがきこえていた。
閉まってる障子に手をかけた。
開けなければ…開けたくない。
そんな思いがドクドクの音と一緒に俺の中を駆け回っていた。
「神主さま」
声をかけて、障子をあけた。
神主はいた。
冷たい床に横になっていた。
「神主さま!」
少し迷って、部屋にあがって、神主に触ってみた。眠っているように見えたからだ。けれど、神主の体は床の同じくらい冷たく、そして硬くなっていた。
「神主さま…」
俺はもしものことがあったときに…と、神主に指示されていたとおり、村長へ知らせた。
それからはあっと言う間だった。村から男たちがきて、神主の遺体を運び出して行った。
神域である神社にもっとも強い穢れの死がとどまることは許されないからだと、村人たちは言っていた。
神主が運ばれていくときも、葬式も、俺は完全に蚊帳の外だった。
そんなことは別にどうでもよかった。
倒れていた神主に、さわったときもうそれは神主ではないと俺にはわかったから。神主の魂が抜けたあとの殻。そんな感じだった。
そんな抜け殻を、神主として、弔う儀式をするということに何の興味もなかった。
それより、神主が冷たくなって、見つかって、村人が神主の抜け殻を大騒ぎで、運びだしたその日の夕方、俺は奇妙なものを見た。
ぼぉっと白く光る、拳ほどの大きさの玉がふわふわと社家の入り口を飛んでいた。
それが本当にあるものなのか、見間違いなのか、わからないうちにその玉は見えなくなった。何だったんだろう、そう思いながら、俺は小屋に入って休んだ。
翌日、俺はいつも通りに起きた。神主はいなくなったが、やるべきことはやることにした。
境内の掃除をする。
ふと、なにかの気配を感じて、社家を見ると、またあの玉がふよふよ飛んでいた。
俺は近づいてみた。怖いとは思わなかった。玉からは敵意も好意もなにも感じなかったからだ。
玉は俺が近づいても、逃げることはなかったが、俺は触ろうとすると、すいっと避けられてしまう。
何度やっても、避けられるので、触るのは諦めることにした。
「なんなんだ?」
と、思わず口に出すと、玉はふわふわと、神社の方へ入っていった。
「おい!」
そこは神主と一部の村人しか入ることが許されていないところで、俺は慌てた。
玉は迷うことなく奥へ入って行く。今までふよふよだったのが、少しパリとして見えた。
俺の頭にあり得ない考えが浮かんだ。
「まさか、神主様か?」
いや、そんなことあるのか?
死ぬと魂が体から離れると聞いたことはあったが、魂とやらを見たことも感じたこともなかったから、俺は信じてはいなかった。
呆然と俺がその場に立ち尽くしていると、玉が出てきた。
神主が朝の勤めをすませて、出てくるのと同じ時間がたっていた。
玉はまたパリからふよに戻った。
玉を神主だと思って見ると、その変化も納得がいく。いつもはどこにでもいるじいさんにしか見えないが、神主の仕事をするときだけ、ピシッと背筋が伸びて、別人のようだった。
その姿を見る度に、不思議な気持ちなっていた。その気持ちを玉にも感じた。
玉は俺が立っていると、ふよっと近くまで来て、山へ向かう道の方へ少し行って、また戻ってきて、それを繰り返した。
山へ薪を拾いに行けと言われているみたいだった。
「わかりました、いきますよ」
俺は返事をして山へ向った。
ちらっと振り向くと、玉はふよふよしながら社家の方へ行ってしまった。
その姿は、もう神主にしかみえなかった。
それからの毎日、全く以前と変わらなかった。
日が昇って小屋を出ると、玉も社家を出てくる。俺は境内の掃除をして、玉は朝のお勤めをする。それから玉は見送られて山に入る。
たまに玉も山についてくることもあった。
玉は神主のときより、俺のそばにいてくれた。
どうしてだろう。
俺の中にほんの少し、ほわっとしたものが芽生えはじめていた。
家族とかいうものはもしかして、こんなもんなのかなと、思った。
そして、数日が過ぎた。
また、1日が始まる。
俺はいつも通りに小屋をでて、掃除をしながらちらちらと、社家の方を見た。
いつもなら、そろそろ玉が出てくるはずだ。が、いつまで経っても玉は姿を見せなかった。
あの日、神主が冷たくなっていた日、それを確かめに社家の戸に手をかけたとき以上に、鼓動が嫌な高鳴りをしていた。
まさか、まさか。
俺は社家の戸を開けて中に入った。
中はあの日のままだ。冷たく、静かだ。
俺は、社家の中を隅々まで見た。筵をめくって、膳と器を入れてある木箱も開けた。
いない。
どこだ。
俺は、ひたすら白く淡く光る玉を探し続けた。
狭くもののない社家には隠れるところはない。
俺は社家を出て、神社の本殿へ向かった。
神主と一部の村人しか入ることが許されていない神聖な場所、俺はためらうことなく入った。
簡素な祭壇に丸くて平べったいものが飾られていた。ただそれだけ。
こんなところをもったいぶって神聖だとか、神様がいるとか言っていたのかと思ったが、それより玉だ。
俺は祭壇の裏まで、玉の姿を探した。
探すというより、もっとはげしかったかもしれない。家探しだ。
玉はいない。
俺は本殿から飛び出すと山に向かった。一緒に歩いたところ全部まわった。
けれど、どこにも玉はいなかった。
寒いはずなのに、山を走り回ったせいで、体が熱かった。
顔は汗でぐしゃぐしゃに濡れていた。顔を濡らしていたのは汗だけじゃなかったかもしれない。
山を駆け回って、もしかしたら、神社に戻っているかもしれないと、思って神社に戻る。
俺はバカみたいに、何度もそれを繰り返した。
それは、日が沈み、周囲が闇に包まれるまで、続けた。
帰って来た俺は、境内の地面に倒れ込んだ。
息があがり、胸が痛み、熱くなった体は冷え始めていた。
玉はどこにもいなかった。
どこにもいない。
どこにも、いないんだ。
「あーーー!」
俺は叫んで、拳を地面に何度も叩きつけた。
拳は傷ついて、皮膚は裂け、血が出た。けれど、痛みは感じなかった。
感じたことのない衝動に動かされていた。
「ぁあああーー!」
自分の声じゃないみたいだった。
声は、いつの間にか枯れて、喉がひどく痛かった。
それからの俺の生活は変わることはなかった。
親しんでいた人が亡くなって、食べ物も喉を通らなくなった村のヤツの話をきいたことがあったが、そんなことはなかった。朝がくれば目は覚めるし、腹も減る。
神主がいなくなってから、村人から食べ物が届くことはなかったから、俺は山で食べられるものを集めてなんとか飢えをしのいでいた。
俺ひとりだからなんとかなっていたのだろう。
けれど、村は大変な状態になっていたらしい。らしいというのは後からわかったことで、わかったときには、俺はどうしようもなない状態になっていた。
その出来事も突然だった。
いつも通りの時間に起きて、境内の掃除をしていた。
いないとはわかっていても、つい社家の方を気にしてしまって、ため息をつくのも日課だ。
そろそろ、山に入ろうかと思っていると、大勢の足跡が近づいてくるのが聞こえた。
何事かと、思っていると、村長や弥助を含む村人たちが、やってきて、俺を取り囲んだ。
「ほう、これは確かに異形ですな。こんなものを放置しておくのはよくないことです」
「神主さま、どうすればよいでしょう」
「神にお返しするのがよかろう」
「神様に?穢れですよ」
「強い穢れほど、しっかりお奉りすれば守ってくださる」
「なっなるほど」
神主様と呼ばれた男は若く、見たこともないきれいな神主の衣を着ていた。衣だけ見れば本当に神様の使いのように見える。
いつも偉そうにしている村長が、自分よりずっと若い神主の顔色を伺っている。
きっと、偉い神主なんだろう。
そんなことを思いながら、ぼぉとその神主を見ていると、ヤツは値踏みするように俺を見て、
「儀式の前にはできるだけ、穢れを封ずるのがよかろう。この縄で縛り、社殿に閉じ込めておきなさい。」
持参してきていたらしい縄を村長に渡した。
村長は、その縄を捧げるように持ちながら、
「社殿にですか?あそこは神聖な場所でございますが」
おどおどと神主に言った。
神主はぴくっと片方の眉を上げて、村長を見た。
「この穢れを、これからお奉りするのですよ。神器のお力で清めるのです」
俺にはこの神主の言っている意味がまったくわからなかった。
けれど、村長も村人たちもおーと声を上げて、頷きあっている。
神主は俺から過ごし離れると、村長に頷いてみせた。
村長が弥助たちに声をかけた。と、同時に俺は男たちにおさえつけられ、神主の縄でぐるぐるに縛りつけられいた。
神主が地面で横になっている俺を見下ろす。
「喜びなさい、異形。お前はこれからこの地に返され、この地を末永く守る役をあたえられるのですよ。」
本当に意味がわからない。
地に返す?守る役?
「みなさんは飢饉で苦しんでおる。この地の神のお力も弱まっておられる。異形であるお前を捧げ、祭ることによってまた村も豊かになるであろう」
そんな風に言われても、やっぱり俺には理解できなかった。
ただ、自分にとってはすごくよくないことが起きようとしているというは、わかった。
重くのしかかってくるような、空気。
どう足掻こうと逃れることができない流れ飲み込まれている。
俺は村のヤツらに担ぎ上げられ、社殿に放り込まれた。
玉を探して中に入ってから、なにも変わってない。
逃げようという考えは起きなかった。というより、無理だなと思っていた。首から足首まで縄でぐるぐるにされているのだ。
少し身体を捩るくらいしかできない。
漏れてくる光でなんとなく時間の経過はわかったが、一日経っても誰も来ることはなかった。
これからどうなるんだろう。
喉が渇いた。
腹が減ったな。
これからどうなるんだろう…。
日が昇り、夜が来て。
喉が…渇い…た
腹…減った…
これ…から……。
また日が昇り…夜が…。
喉…渇い…
腹…った…
こ…か…ら……。。
寒さと乾きと飢えで、俺はもうまともではなかった。
もしかしたら、俺の魂はこの時点で体から離れようとしていたのかもしれない。
どれくらい日にちがたったのかわからなかったが、ある日、俺は社殿から連れ出された。
村人の男たちが境内に集まっていた。
神社の隅、ドクダミが生えていたところに大きな穴が掘られていて、その周りにしめ縄が張り巡らされている。
あの神主はこの前のときよりさらに、豪華な衣を着ていた。
「穢れを」
神主が言うと俺は男たちにひきずられ、境内を横切り、穴の縁までつれてこられた。
俺を捕まえている村の男たちは怯えているような怒っているような顔で、けっして俺を見ることはなかった。
「捧げよ」
神主が言った。
俺を掴む男たちはびくっとして、俺の体を穴へ押した。
そのとき俺の中は空っぽで、もうなにもなかった。
ただ、この穴に落ちてはいけないと身体が反射した。
俺は身体を捩って掴まれている腕を振り払った。
うわっと男たちが声をあげた。そこから、もみくちゃのようにされて、気付けば俺は穴の底で四つん這いになっていった。
神主が祝詞をあげる声が聞こえてきて、背中にドザと重いものが降ってきた。
ドサ、ドサと背中と言わず全身に降ってきた重みに耐えられない。
ドスっドサ…ザザ。
降りかかってくる土。
動けない。
少し頭が動いた。上を見上げた。
月。
ドサ、ドサ、ドサ…ド…。
少し欠けた月だった。
俺の一番古い記憶は母の泣いている顔だ。
母はすごく綺麗な人だった。嫁に欲しいという話も、金持ちから妾にしたいいう話もあったらしい。
けど、その話は母から直接聞いたわけではない。
娯楽がない閉鎖的な村でそれは残酷で楽しい話題の一つだったのだろう。みんなよくその話をしていた。
そして、そんな母から生まれた俺もまた、村人たちの格好の憂さ晴らしになっていた。俺が、金色の髪と緑目という異形の姿だったからだ。
黒い髪に黒い目の人間しかいない中で、金色の髪に緑の目の人間がいたら、そりゃ確かにかなりの衝撃だろう。
俺は母に似てかなり綺麗な顔だった。それが余計に不気味に見えたんだろう。それに、嘘か本当か俺の父は天狗だったとも言われていた。
俺が生まれた頃は、自分たちの国の外にいろんな髪、目の色の人間がいるなんて、誰も知らなかった時代だった。
そんな異形を生んだ母は家族や村人から白い目で見られながらも、多分3歳くらいまでは俺を育ててくれたようだ。
けれど、ある日突然、俺は村の神社につれていかれて、そこに預けられた。
異形の穢れは神社に封じておいた方がいいという話になったのだそうだ。
そして、母はかねてから妾にと請われていた金持ちのところに行ってしまった。
神社に預けられた俺の生活はそれほど悪いものではなかった。
年老いた神主は、村のヤツらとは違って、わりと普通に接してくれた。神に仕えているだけのことはあって、異形も怖くなかったのだろう。
神社は村から少し離れた山の中だったから、村のヤツらと出会うこともなかった。
侮蔑と恐怖が混じった村のヤツらの目がないことも、俺には居心地が良かった。
「薪!」
声が聞こえた。
薪っていうのは、俺のことだ。異端だった俺は名前をもらえなかった。
漁に出たり、畑仕事をしたりという、みんなでやる仕事はやらせてはもらえず、山に入って薪を集めることを課せられた。
そんなわけで、俺は便宜上「薪」と呼ばれているわけだ。安直な呼び方だが、どんな呼ばれ方がいいかと問われても、どうでもよかった。
「おいっ薪!」
さらに言われて俺はちらっとそっちを見た。村の若い衆がいた。
「やっぱり、気持ちの悪いヤツだ」
今度はそんな言葉と、石が飛んできた。
俺はちょっとだけ頭を動かして石をよけて、足元の薪を拾う。石を投げられるのはよくあるので、どうってことはないし、避けるのも上手くなった。
石を投げてきたのは、村の若い衆の中心、弥助だった。そのまわりには取り巻きがいる。
俺は穢れているらしいから、村のヤツらが積極的に俺に関わってくることはなかった。 が、どうやら、弥助たちは俺を見に来たらしい。
ああ…嫌だなと思った。
弥助が俺に近づいてきた。取り巻きたちも、その後ろからついてくる。
これは面倒なことになりそうだなと思ったから、
「穢れに近づくと、穢れるぞ」
俺は弥助たちに向き直ると、真っすぐ視線を合わせて言った。
こうすると、俺の目の色が際立つ。
奴らが忌み嫌う緑の目…穢れには近づいてこないだろうと思ったからだ。
弥助は一瞬ひるんだが、無理をしているような引きつった笑みを浮かべて、どんっと俺の肩の辺りを強く押した。
俺はぐっと踏みとどまって、じっと弥助を見た。こいつがなにをしたいのか、理解できなかったからだ。
けれど、それが弥助のなにかを刺激したらしい。
「穢れのくせに、偉そうな顔しやがって」
弥助は言うと、俺の胸倉を掴んできた。
後ろにいる取り巻きたちが、息を飲む音が聞こえてきた。
「こんなばあさまの白髪みてぇな髪のどこがきれいなんだ。」
胸倉を掴んだまま、弥助が俺の髪に手を伸ばしてきた。
穢れに触ると穢れると言ったり、なにがあったかと知らないが触ろうとしてきたり、全くなにがしたいのか。
俺自身はけっこうこの髪が気に入っていいたから、弥助なんかに触らせなくなった。
伸びて来た手を軽く払って、俺は軽く弥助の胸元を押した。
「うわっ」
俺は軽く押したつもりだったが、弥助には軽くではなかったらしい。
弥助はよろっと後ずさった。
ろくな物を、食べていなかったから痩せてはいたが、俺は力が強かったし、背も高かった。
これも今思えば、天狗と言われていた父の血なのかもしれない。
「おっおい、大丈夫か」
よろけた弥助を取り巻きが心配そうに声をかける。
それが、弥助の自尊心を傷つけたようだった。
あとで、聞いた話なのだが、村の娘たちが俺のことを噂していたらしい。
男尊女卑が激しく閉鎖的な村。年ごろの娘たちからすれば、神社に封じられた異形の俺は、神様の遣いくらいに感じていたのかもしれない。
とにかく、俺のことを好意的に話していたらしいのだ。
俺は顔も母似できれいだったし、村のむさ苦しい男どもに比べたら、きゃーきゃー言いたくなるだろう。
今でいうところの推し活だ。
娘たちがこそこそ話しているのを、若い衆の誰かがききつけて、弥助に告げ口して、弥助が腹立てて、俺につっかかってきたという流れだ。
本当に迷惑な話だ。
弥助は怒りで顔を真っ赤にすると、俺に殴りかかってきた。遅いなーと思いながら、大振りの攻撃をよける。
「その拳が俺に当たったら、穢れに触れるのとになるぞ」
もういい加減にしてほしかったので、警告も含めて俺が言うと、弥助の顔はさらに赤くなった。
「馬鹿にしやがって!化け物が!お前らぼさっとしてねぇで手伝え!」
弥助はすこし離れたところにいる取り巻きに声をかけた。
「けっけど、穢れが」
「触ると呪われるって」
取り巻きたちが、おどおどしながら言う。
「何が穢れだ!呪いだ!そんなもんが怖いのか!お前らそれでも男か!」
弥助が怒鳴った。取り巻きはその声にびくっとして、顔を見合わせてた。
そして、びくつきながらも俺に向かってきた。
穢れも怖いが、弥助に目をつけられるのも怖いのだろう。
相手は三人こっちは一人。まったく連携の取られてないバラバラに動きで、やりづらい。俺は追い詰められていった。
そして、ついには取り巻き二人に腕を掴まれて、拘束された。
そこに興奮しきった弥助が、滅茶苦茶に殴ってきた。顔は、頭を動かして決定的なダメージは受けないようにはしていたが、それでも、顔だけじゃなく、胸やら腹を殴られるのは痛いし、不快だ。
みぞおちに深くはいって、込み上げてくるものを吐いた。
俺が体を折り曲げて、うずくまると、調子に乗った弥助は俺の胸ぐらつかんで引き上げた。
「化け物」
憎々しげに弥助は言うと、俺の顔を殴りつけた。
口の中が切れてる。鉄のような味が口いっぱいに広がって、唇の端からこぼれた。
手で拭うと鮮やかな赤。俺の血を見て、弥助も取り巻きも少しひるんだ。
自分で傷つけたくせに、その相手が血を流すと、急に怖じ気づく。
俺は自分の血を指先に付けると、動きを止めている弥助の頬に線をひくようにした。
「ひっ」
取り巻きたちが息をのんだ。
弥助の頬にべったり俺の血でと赤い線がひかれる。
「お前も穢れたな」
なにをされたのがわからないらしい弥助に言うと、弥助は目を見開いて、頬にさわった、
指先に濡れた感触があったのか、さらに目を開く。白目が血走っていた
弥助は指先を震えながら自分の目の前にもってきた。
「っ!」
そこではじめで自分に穢れの血が塗りつけられたことがわかったらしい。
「うわっうわー」
と声をあげると、これをどうすればいい?とでもいうように、取り巻きたちに手を伸ばした。
取り巻きたちは弥助の顔と手を見て、ガクガク震えて、
「穢れだー」
「いやだー」
声を上げて逃げ出した
弥助もうわわーとものすごい声をあげると走り去った。追われているように。
自身が穢れているのに、何から逃げるのやら。
はぁと息を吐くと、思いだしたように口中や腹が痛んだ。
特に薪を拾おうと屈むと殴られた場所が痛む。
薪を拾うことを諦めて、俺は帰ることにした。
俺がノロノロと神社に帰り着くと、神主が帰ってきたところだった。
俺の顔を見て、眉をひそめた。
「その顔、なにかあったのか」
「転びました」
正直に話すつもりはなかった。面倒なことになるだけだ。
それに弥助たちもまた今日の出来事は秘密にするだらうと俺は思っていた。
だいたい、俺の存在を無視するというのが、村での暗黙の決まりなのだ。それを破って、穢れに触り、さらには穢れの血を受けたことを知られれば、弥助自身も穢れとして扱われてかねない。
そうなることがわかっていて、正直に話すなどしないだろう。
神主は俺の顔をじっと見つめて、
「そうか、ドクダミをつけておけ」
木陰に生えている白い花に目を向けて神主は言うと、さっさと社家に入っていった。
俺はドクダミが生えているところに屈みこんで、摘もうと手を伸ばた。
ドクダミの花はきれいだった。
弥助たちの俺に向ける目を思い出した。
俺はドクダミに伸ばした手をぐっと握った。
「安心しろ、ちぎったりしねぇよ」
俺はドクダミにそう言うと、立ち上がった。
ドクダミを摘んで、つぶすことを考えたら、我慢できない痛みではなかった。
俺はなるべく傷に響かないようにゆっくり歩いて、社家の横にある狭い小屋に入った。
それから、しばらくは平穏だった。
朝になれば起き出して、境内の掃除をして、山に薪を拾いにいく。
日が暮れれば、小屋に帰り眠る。
変わらない毎日、ただ季節だけは変わっていく。
今年の夏はあまり暑くなくすごしやすかった。山を歩きまわる俺にしてみれば、暑くないほうがいい。
が、涼しい夏はけっしてよいことではないのだと、俺はあとから知ることになる。それは村のヤツらもだ。
涼しい夏が過ぎる。毎年、秋は実りを祝って祭りが行われる。祭事を取り仕切る神主もこの時期は忙しい。
だが、その年は別の意味で村は浮き足だっていた。
米がいつも半分しかとれなかったのだ。とにかく、豊穣の神から見捨てられたような状態だった。
いわゆる、飢饉だ。
そして、冬が来た。
夏が涼しいかったから、冬は暖かくならなるーなんていう都合のいいことはおこることもなく。
厳しい冬だった。
俺は冬でも変わらず山に入って薪を集めてまわっていた。
凍えるほどに寒かったが、俺は山を歩いて回るのは嫌いではなかったし、ドングリやノビルの根、カラマツの樹皮なんかは、わりと食べられる。
俺はそんな食べられる物を集めながら、薪を拾いを続けていた。
ある日の朝、異変が起きた。
その日は一際寒かった。
いつも通りに起き出して、境内の掃除をしながら、ふっと神主が住んでいる社家を見た。
いつもと違う。
俺が掃除をしていると、いつもなら竈からの煙があがっているのだが、今日は煙が上がってない。
神主は朝は湯を沸かして、それを飲むのを日課にしている。それはうんざりするほど、毎日同じだった。
胸の奥にモヤっとしたものを感じたが、俺はそれを無視した。面倒だと思ったからだ。
そのときはそう思った。けれど、今、思えば怖かったんだ。何かが変わってしまうことに。
掃除が済んでも、社家に変化はなかった。
神主が姿を見せることもなかった。そんなことは今までにないのとだった。もしかしたら具合が悪くなって寝込んでいるのかもしれない。
穢れである俺は社家への出入りを禁じられている。が、俺はそれを無視することにした。
家族のようなものではなかったが、神主はできる範囲で俺をそ育ててくれた人だ。
もし、なにかこまったことになって助けるのは当然だろう。
俺は社家の戸を少しだけ開いた。
「神主様」
まだ中には入らずそこから声をかけかけてみた。
返事をしてくれ、と俺は無意識に思っていた。が、返事はなく、人の気配さえも感じなかった。
胸の奥のモヤっはさらにはっきりとしたものになっていた。
「神主さま、体の具合でも悪いのか?神主様、入ります」
俺は声をかけながら、初めて社家へ入った。
土間にはかまどがあり、炊事ができるようになっていた。上がり框があって、その先に神主の部屋がひとつある。
だから、俺が入り口から声をかければ、聞こえないはずはない。けれど、なんの返事はない。
しんとした社家の中、自分の胸の音だけがきこえていた。
閉まってる障子に手をかけた。
開けなければ…開けたくない。
そんな思いがドクドクの音と一緒に俺の中を駆け回っていた。
「神主さま」
声をかけて、障子をあけた。
神主はいた。
冷たい床に横になっていた。
「神主さま!」
少し迷って、部屋にあがって、神主に触ってみた。眠っているように見えたからだ。けれど、神主の体は床の同じくらい冷たく、そして硬くなっていた。
「神主さま…」
俺はもしものことがあったときに…と、神主に指示されていたとおり、村長へ知らせた。
それからはあっと言う間だった。村から男たちがきて、神主の遺体を運び出して行った。
神域である神社にもっとも強い穢れの死がとどまることは許されないからだと、村人たちは言っていた。
神主が運ばれていくときも、葬式も、俺は完全に蚊帳の外だった。
そんなことは別にどうでもよかった。
倒れていた神主に、さわったときもうそれは神主ではないと俺にはわかったから。神主の魂が抜けたあとの殻。そんな感じだった。
そんな抜け殻を、神主として、弔う儀式をするということに何の興味もなかった。
それより、神主が冷たくなって、見つかって、村人が神主の抜け殻を大騒ぎで、運びだしたその日の夕方、俺は奇妙なものを見た。
ぼぉっと白く光る、拳ほどの大きさの玉がふわふわと社家の入り口を飛んでいた。
それが本当にあるものなのか、見間違いなのか、わからないうちにその玉は見えなくなった。何だったんだろう、そう思いながら、俺は小屋に入って休んだ。
翌日、俺はいつも通りに起きた。神主はいなくなったが、やるべきことはやることにした。
境内の掃除をする。
ふと、なにかの気配を感じて、社家を見ると、またあの玉がふよふよ飛んでいた。
俺は近づいてみた。怖いとは思わなかった。玉からは敵意も好意もなにも感じなかったからだ。
玉は俺が近づいても、逃げることはなかったが、俺は触ろうとすると、すいっと避けられてしまう。
何度やっても、避けられるので、触るのは諦めることにした。
「なんなんだ?」
と、思わず口に出すと、玉はふわふわと、神社の方へ入っていった。
「おい!」
そこは神主と一部の村人しか入ることが許されていないところで、俺は慌てた。
玉は迷うことなく奥へ入って行く。今までふよふよだったのが、少しパリとして見えた。
俺の頭にあり得ない考えが浮かんだ。
「まさか、神主様か?」
いや、そんなことあるのか?
死ぬと魂が体から離れると聞いたことはあったが、魂とやらを見たことも感じたこともなかったから、俺は信じてはいなかった。
呆然と俺がその場に立ち尽くしていると、玉が出てきた。
神主が朝の勤めをすませて、出てくるのと同じ時間がたっていた。
玉はまたパリからふよに戻った。
玉を神主だと思って見ると、その変化も納得がいく。いつもはどこにでもいるじいさんにしか見えないが、神主の仕事をするときだけ、ピシッと背筋が伸びて、別人のようだった。
その姿を見る度に、不思議な気持ちなっていた。その気持ちを玉にも感じた。
玉は俺が立っていると、ふよっと近くまで来て、山へ向かう道の方へ少し行って、また戻ってきて、それを繰り返した。
山へ薪を拾いに行けと言われているみたいだった。
「わかりました、いきますよ」
俺は返事をして山へ向った。
ちらっと振り向くと、玉はふよふよしながら社家の方へ行ってしまった。
その姿は、もう神主にしかみえなかった。
それからの毎日、全く以前と変わらなかった。
日が昇って小屋を出ると、玉も社家を出てくる。俺は境内の掃除をして、玉は朝のお勤めをする。それから玉は見送られて山に入る。
たまに玉も山についてくることもあった。
玉は神主のときより、俺のそばにいてくれた。
どうしてだろう。
俺の中にほんの少し、ほわっとしたものが芽生えはじめていた。
家族とかいうものはもしかして、こんなもんなのかなと、思った。
そして、数日が過ぎた。
また、1日が始まる。
俺はいつも通りに小屋をでて、掃除をしながらちらちらと、社家の方を見た。
いつもなら、そろそろ玉が出てくるはずだ。が、いつまで経っても玉は姿を見せなかった。
あの日、神主が冷たくなっていた日、それを確かめに社家の戸に手をかけたとき以上に、鼓動が嫌な高鳴りをしていた。
まさか、まさか。
俺は社家の戸を開けて中に入った。
中はあの日のままだ。冷たく、静かだ。
俺は、社家の中を隅々まで見た。筵をめくって、膳と器を入れてある木箱も開けた。
いない。
どこだ。
俺は、ひたすら白く淡く光る玉を探し続けた。
狭くもののない社家には隠れるところはない。
俺は社家を出て、神社の本殿へ向かった。
神主と一部の村人しか入ることが許されていない神聖な場所、俺はためらうことなく入った。
簡素な祭壇に丸くて平べったいものが飾られていた。ただそれだけ。
こんなところをもったいぶって神聖だとか、神様がいるとか言っていたのかと思ったが、それより玉だ。
俺は祭壇の裏まで、玉の姿を探した。
探すというより、もっとはげしかったかもしれない。家探しだ。
玉はいない。
俺は本殿から飛び出すと山に向かった。一緒に歩いたところ全部まわった。
けれど、どこにも玉はいなかった。
寒いはずなのに、山を走り回ったせいで、体が熱かった。
顔は汗でぐしゃぐしゃに濡れていた。顔を濡らしていたのは汗だけじゃなかったかもしれない。
山を駆け回って、もしかしたら、神社に戻っているかもしれないと、思って神社に戻る。
俺はバカみたいに、何度もそれを繰り返した。
それは、日が沈み、周囲が闇に包まれるまで、続けた。
帰って来た俺は、境内の地面に倒れ込んだ。
息があがり、胸が痛み、熱くなった体は冷え始めていた。
玉はどこにもいなかった。
どこにもいない。
どこにも、いないんだ。
「あーーー!」
俺は叫んで、拳を地面に何度も叩きつけた。
拳は傷ついて、皮膚は裂け、血が出た。けれど、痛みは感じなかった。
感じたことのない衝動に動かされていた。
「ぁあああーー!」
自分の声じゃないみたいだった。
声は、いつの間にか枯れて、喉がひどく痛かった。
それからの俺の生活は変わることはなかった。
親しんでいた人が亡くなって、食べ物も喉を通らなくなった村のヤツの話をきいたことがあったが、そんなことはなかった。朝がくれば目は覚めるし、腹も減る。
神主がいなくなってから、村人から食べ物が届くことはなかったから、俺は山で食べられるものを集めてなんとか飢えをしのいでいた。
俺ひとりだからなんとかなっていたのだろう。
けれど、村は大変な状態になっていたらしい。らしいというのは後からわかったことで、わかったときには、俺はどうしようもなない状態になっていた。
その出来事も突然だった。
いつも通りの時間に起きて、境内の掃除をしていた。
いないとはわかっていても、つい社家の方を気にしてしまって、ため息をつくのも日課だ。
そろそろ、山に入ろうかと思っていると、大勢の足跡が近づいてくるのが聞こえた。
何事かと、思っていると、村長や弥助を含む村人たちが、やってきて、俺を取り囲んだ。
「ほう、これは確かに異形ですな。こんなものを放置しておくのはよくないことです」
「神主さま、どうすればよいでしょう」
「神にお返しするのがよかろう」
「神様に?穢れですよ」
「強い穢れほど、しっかりお奉りすれば守ってくださる」
「なっなるほど」
神主様と呼ばれた男は若く、見たこともないきれいな神主の衣を着ていた。衣だけ見れば本当に神様の使いのように見える。
いつも偉そうにしている村長が、自分よりずっと若い神主の顔色を伺っている。
きっと、偉い神主なんだろう。
そんなことを思いながら、ぼぉとその神主を見ていると、ヤツは値踏みするように俺を見て、
「儀式の前にはできるだけ、穢れを封ずるのがよかろう。この縄で縛り、社殿に閉じ込めておきなさい。」
持参してきていたらしい縄を村長に渡した。
村長は、その縄を捧げるように持ちながら、
「社殿にですか?あそこは神聖な場所でございますが」
おどおどと神主に言った。
神主はぴくっと片方の眉を上げて、村長を見た。
「この穢れを、これからお奉りするのですよ。神器のお力で清めるのです」
俺にはこの神主の言っている意味がまったくわからなかった。
けれど、村長も村人たちもおーと声を上げて、頷きあっている。
神主は俺から過ごし離れると、村長に頷いてみせた。
村長が弥助たちに声をかけた。と、同時に俺は男たちにおさえつけられ、神主の縄でぐるぐるに縛りつけられいた。
神主が地面で横になっている俺を見下ろす。
「喜びなさい、異形。お前はこれからこの地に返され、この地を末永く守る役をあたえられるのですよ。」
本当に意味がわからない。
地に返す?守る役?
「みなさんは飢饉で苦しんでおる。この地の神のお力も弱まっておられる。異形であるお前を捧げ、祭ることによってまた村も豊かになるであろう」
そんな風に言われても、やっぱり俺には理解できなかった。
ただ、自分にとってはすごくよくないことが起きようとしているというは、わかった。
重くのしかかってくるような、空気。
どう足掻こうと逃れることができない流れ飲み込まれている。
俺は村のヤツらに担ぎ上げられ、社殿に放り込まれた。
玉を探して中に入ってから、なにも変わってない。
逃げようという考えは起きなかった。というより、無理だなと思っていた。首から足首まで縄でぐるぐるにされているのだ。
少し身体を捩るくらいしかできない。
漏れてくる光でなんとなく時間の経過はわかったが、一日経っても誰も来ることはなかった。
これからどうなるんだろう。
喉が渇いた。
腹が減ったな。
これからどうなるんだろう…。
日が昇り、夜が来て。
喉が…渇い…た
腹…減った…
これ…から……。
また日が昇り…夜が…。
喉…渇い…
腹…った…
こ…か…ら……。。
寒さと乾きと飢えで、俺はもうまともではなかった。
もしかしたら、俺の魂はこの時点で体から離れようとしていたのかもしれない。
どれくらい日にちがたったのかわからなかったが、ある日、俺は社殿から連れ出された。
村人の男たちが境内に集まっていた。
神社の隅、ドクダミが生えていたところに大きな穴が掘られていて、その周りにしめ縄が張り巡らされている。
あの神主はこの前のときよりさらに、豪華な衣を着ていた。
「穢れを」
神主が言うと俺は男たちにひきずられ、境内を横切り、穴の縁までつれてこられた。
俺を捕まえている村の男たちは怯えているような怒っているような顔で、けっして俺を見ることはなかった。
「捧げよ」
神主が言った。
俺を掴む男たちはびくっとして、俺の体を穴へ押した。
そのとき俺の中は空っぽで、もうなにもなかった。
ただ、この穴に落ちてはいけないと身体が反射した。
俺は身体を捩って掴まれている腕を振り払った。
うわっと男たちが声をあげた。そこから、もみくちゃのようにされて、気付けば俺は穴の底で四つん這いになっていった。
神主が祝詞をあげる声が聞こえてきて、背中にドザと重いものが降ってきた。
ドサ、ドサと背中と言わず全身に降ってきた重みに耐えられない。
ドスっドサ…ザザ。
降りかかってくる土。
動けない。
少し頭が動いた。上を見上げた。
月。
ドサ、ドサ、ドサ…ド…。
少し欠けた月だった。

