Counterfeit Hearts

「はぁ…」
礼真は溜息をつくと、こてんと敷きっぱなしの布団に横になった。
 こっくりさん事件から4日が過ぎていた。
 浮遊霊が飽和状態になるほど学校に集まったせいで、学校も無傷ではなく、応急処置が済むまで休校になっていた。一部の生徒が精神に異常をきたしていたり、パニック状態になっていると噂が広がり、それに対して他の生徒たちの動揺を抑えようとしたことも休校の理由のひとつだった。
 最初の休みは、こっくりさん事件で大量の浮遊霊の中に長時間いた影響か、ほとんど寝て過ごし、次の日もぐったりしていた。
 翌日は、休校の間に出されていた宿題を思い出して、必死で片付けた。
 そして、最終日くらいは妹の真美と遊ぼうかと思っていたのだが、真美は体調が優れないまま眠っていた。
 朝から何度か真美の部屋の様子を見に行ったが、真美が起きる気配はなかった。
 真美は、どこが悪いというのではないらしい。ただ、元気が出ず、起きることができないらしい。
 その原因はわからない。
 病院に行こうと何度か言ってみたが、真美はそれを嫌がって、激しく泣き出してしまう。そうなると、礼真もなにも言えない。
 そして、なにより父が、真美を病院につれて行くことを許さなかった。
 病院の話をしたときは、かなりひどく殴られて、礼真の方が寝込んでしまって、真美に心配をかけてしまった。
 それ以来、病院の話はタブーだ。
 せっかくの休み、父はでかけていて、真美と静かに遊ぼうと思っていたが、真美はぐっすり眠っていて、礼真は暇をもて余すことになっていた。
「なんか、単発のバイトでも入れようかなー」
父はあまり働かず金が入れば自分で全部使ってしまう。真美と礼真の生活費は礼真がなんとか稼いでいた。
 と、いっても定期のバイトをするにも、真美が急に熱を出したら休むことなり、父にひどく殴られた日も休むことになって、礼真はもっぱら単発のバイトをばかりをしていた。
「あの単発は最高だったな…」
礼真はスマホを見た。
 怪異を解決するというとんでもない内容で、怖い思いもしたが、破格のバイト代だった。
 それに…と礼真は、スマホの画面に表示されている、マキシホットラインが反応しないようにそっと触れた。
 好きだとかなんだとか言ってきたくせに、4日の間、マキシからなんの連絡もなかった。
 そのせいで、礼真の方からはどうしても、マキシホットラインを使うことできないでいた。
 忙しいかも、寝ているかも、仕事中かも…そりより、一回だけ仕事を手伝った礼真からの連絡など、迷惑かも…そんなこをぐるぐる考えているうちに4日経っていた。
「はぁ…」
溜息をついて、スマホを眺めていると、マキシホットラインがアイコンが、着信音に合わせて震え始めた。
「うわっ…」
じっと見ていたところに着信来て、驚いたが、すぐにアイコンをタップする。
 『SOUND ONLY マキシ』と画面に表示されて、礼真はスマホを耳にあてた。
「はい…」
「レイマぁ俺っおれぇ」
なんとなく気まずさを感じながら声を発した礼真と違って、マキシは4日前とまった変わらない調子だ。
 変らないのも嬉しいが、気にしていたのは自分だけかと思うと、少しモヤっとしてしまうが、そのモヤは次のマキシの言葉で吹き飛んでいた。
「レイマぁー助けてぇ。早く来てぇ」
助ける求めるマキシの泣き出しそうな声に、礼真は表情を硬くした、
 いつも余裕たっぷりで、軽いマキシとは思えない声とその内容。
「マキシっどうした?何があったんだよ!」
礼真は声をかけながらも、マキシに身になにが…と不安になる。
「早く来て、事務所だからっ」
それだけ言うと、通話は一方的に切られた。
 あのマキシが助けを求めてくるというのは、この前のこっくりさんより恐ろしいことが起きているのかもしれない。
 礼真の体が一瞬竦んだが、なんも取り柄も力ないけれど、マキシに呼ばれたのなら行かなければと、礼真は上着を掴んで、自室を出た。
 真美の部屋を覗いてみると、まだ眠っている。
 バイトに出かけてくるということを書いたメモと、飲み物を真美の枕元に置いた。
 なるべく音を立てないよう、玄関を閉めて、外に出ると、礼真はそのまま駆け出した。


「マキシっ!」
花子の事務所のドアをバーンと開けて、礼真はマキシを呼んだ。
「レイマぁ待ってたよー会いたかったぁ」
両手を広げたマキシが体当たりする勢いで抱きついてきた。
「うっわ…マキシ…やめ…」
「よかったぁ、レイマが来てくれなかったら、俺は殺されてたからね」
マキシは言いながらぐりぐりと顔を礼真の肩のあたりに押し付ける。
「えっそんな状況?」
マキシを引きはがしながら聞くと、
「そうなのっヤバいの、所長に殺されるの」
顔を上げたマキシがちらっと後ろを見た。
「花子さんが?」
「所長と呼べ。それから、マキシ、人聞きの悪いことを言うな。もう3日もこの状態だから、明日までになんとかしろと言っただけだ」
物騒な言葉に、礼真は部屋を覗き込むと、いつも通り不機嫌そうな花子が答える。
「あー引っ越ししてきたって言ってた…よ…ね…」
抱きついたまま離れてくれないマキシをはがすことを諦めた礼真は、そのまま事務所の中
へ入って、絶句した。
 段ボールがたくさん積み上げられている。
 収納の為にキャビネットもある。
 花子が使うのだろうアンティークな書斎デスクとそれに合わせた椅子もある。
 それが無秩序に押し込められたようになっていた。
 引っ越ししてきた当日ならわかるが、花子の話では3日この状態だという。
「3日間って言ってたけど」
潔癖ではないがだが、最低限の整理整頓は保ちたい礼真にとって、目の前の光景は理解の外にあった。
 書類を収納するためのキャビネが、部屋の中心に、しかも斜めに置かれている。
 花子の書斎デスクは、そこから少し離れた位置で、やはり見当違いの方向を向いている。
 どれか一つくらい、壁に沿っていてもよさそうなものだが…ひとつもない。
 段ボールも、ひとつのところにまとまってはおらず、部屋のあちこちに置かれて、中途半端に中身が出されていて、それがまた、あちこちに置かれている。
 空間は、混沌としていた。
「中身、出したよ…」
マキシがあちこちに置かれた段ボールを指さした。
「けど、全然片付かないの。この棚に入れればいいんだよね。けど、入れても片付かないの」
キャビネットには、ファイルが斜めに突っ込まれ、なぜかサランラップが入れられていた。
 礼真は、指で眉間を押さえながら、はぁ…と溜息をついた。
「片付けができない人って…リアルにいるんだ…」
「礼真、お願い片付け手伝って、ここ片付かないと所長が、前の公園で寝るっていうの」
「別にお前ひとりで寝ろとは言ってない。私も行くぞ」
絶望的な表情のマキシとは対象的に花子は、のんびりと煙草の煙を吐いている。
 まだくっついているマキシを引きはがして、礼真は上着を脱いでソファの上に置いた。
「ほら、マキシ。ぼーっとしてないで、やるぞ。」
礼真はじっと自分の方を見ているマキシの頭をくしゃっと撫でた。
 いつもはマキシにされるヤツだ。
 礼真の言葉に、マキシの顔が一瞬で輝く。
「はいっやります。なんでも言ってください。重いのとか俺が運びます」
びしっと姿勢を正したマキシに、
「重いのは一緒に運ぶんだよ」
と、笑った。
「あれ…礼真、頬っぺたどうした?ちょっと青っぽいけど…」
その礼真の笑顔を受けて目を細めたマキシは、礼真の右の頬に痣を見つけて、少し表情を硬くすると手を伸ばしてきた。
 礼真はさっとその手から離れると、
「大したことない、その…転んで。転んでぶつけちゃって…俺。鈍くさいから…」
頬を押さえた。礼真はマキシの視線から、逃げるように俯いた。
「でも…」
「マキシ!さっさと始めろ。まぢで公園で寝ることになるぞ」
二人の様子を見ていた花子は言うと、立ち上がった。
 伸ばしかけた手を止めて、じっと礼真を見たマキシは頬に触れようとしていた手を、頭へ持って行って、くしゃとその髪を撫でた。
「そっか、気を付けてねぇ。俺の見てないところで、痛いことにならないで。助けてあげられないから」
ねっと最後に確認するように、言ったマキシは、
「どこから始めたらいいのー」
パーカーの袖をまくって、近くにあった段ボールをあさり始めた。
 『俺の見てないところで、痛いことにならないで』というマキシの言葉に、一瞬、鼻の奥の方がツンっとなりかけた礼真はそれをぐっと飲み込んだ。
 飲み込んで、一度深呼吸をしてから、
「まずは棚動かして、それから花子さんの机」
と、大きく言って、マキシの腕を引いた。


「片付いた…」
2時間後、マキシは事務所の中を見まわして声を上げた。
 キャビネットは壁に背をつけるように並び、花子の机は、所長の席らしく、奥の窓の近くへ置かれ、最初の状態に比べれば、事務所らしくなっていた。
「礼真の言うとおりに動かしたら、片付いたねぇ」
マキシはお世辞ではなく、心底そう思っているらしく感心していた。
 礼真からしてみれば、棚や机を部屋の真ん中に、しかもどっちを前にするかも決めないで、配置することが理解できない。
「まだまだ、段ボールの中のもの、分類して収納しないと」
「あーそっかぁ…その為の棚だもんね」
マキシが頷いて、近くにあった段ボールを棚の前に運んでいく。
「けっこう、荷物あるな」
「所長、いい加減だから。いろんなものぶち込んでるから気をつけてね」
「気をつけるって書類とかだろ?」
部屋に散らばって置かれていた段ボールは紙が詰まったような重みのあるものから、軽いものまでまちまちだった。
「軽っ、なんだこれ」
大きさのわりには軽い箱を持ち上げた礼真は、好奇心から箱の上に張ってあった古いシールのようなものを剥がして、その箱を開けた。
「うわっかわい、クマだ」
箱の中には、バスケットボールくらいの大きさの茶色いクマのぬいぐるみが入っていた。
 くりくりとした毛並みに、まん丸で真っ黒の目、手先には肉球らしいもので張られていて、そこは少しだけ赤黒いもので汚れていた。
 妹の真美が見たら喜びそうだ…そんなことを思いながら、礼真は無意識にそのぬいぐるみに手を伸ばしていた。
 クマの目がキラっと光って、手が動いた。
「えっ?」
クマの手が礼真の手首を掴んだ。
「え…?」
信じられない出来事を前に、同じ疑問符を発して、礼真は固まったが、次の瞬間、クマが掴んだ手首に痛みが走る。
「っいた…痛い」
見かけのふわふわもこもこととは想像もできない強さで礼真の手首は掴まれていた。
「まっマキシっ」
礼真が痛みを堪えながら、なんとかマキシに声をかける。
「なぁに…って…それ」
マキシは礼真の手首を掴んでいるクマぬいぐるみを見て、次の瞬間にさっと左腕をクマと礼真の間に差し込んだ。
 そのマキシの腕にクマの手が絡んで、礼真の手首を掴んでいた方の手も、マキシの腕をしっかり掴んだ。
「大丈夫?レイマ」
「うっうん…」
「あー痕ついてる」
マキシはクマに腕をつかまれたまま、礼真の腕を取った。クマに掴まれたところが赤くなっている。
「こいつー礼真に痛いことしたな」
マキシはクマを睨むと、ガシっとその頭を掴んだ。
 マキシが掴むと、クマはさらにマキシの腕にぎゅっと腕にしがみつく。
「このぉ離せっこのクマ」
マキシはクマの頭から手を離して、自分の腕に巻き付いている腕を引き離そうとするが、びくともしない。それどころかさらにぎゅっとしがみついてくる。
「くぅ…さすが、クリングベア(Cling Bear)、本当にくっついて離さないな。」
ギリギリしながらマキシがクマと格闘してるのを、礼真はただおろおろするしかない。
「これ、クマなに?」
「私たちの間ではクリングベアの名前で呼ばれている。」
どこに行っていたのか、姿を見えなかった花子が事務所に入ってきた。
「へぇー片付いたじゃねぇか」
事務所を見まわしながら、悠々と事務所のボスの席らしい位置に配置された書斎デスクにつく。
「そんなことより、これなんとかしてください」
礼真が花子の机の前に行って訴える。
 後ろの方ではマキシがクマをボカボカ殴っているが、柔らかいクマには全く効いてない。
 煙草に火をつけた花子は、
「そうなると、どうしようもねぇなぁ。クマが離すまで待つしかない。」
つまらなそうに煙を吐いている。
「マキシは俺をかばってくれたんです。なんとかしてください」
「なんとかと言われても、なんとかならないから、呪物として私のところに預けられてたんだ」
「そんな…」
花子の言葉に、礼真は言葉を失くす。
 あのときマキシから、気を付けてと言われてたのに…と今さらのように思い出す。
 まさか、そんな呪物が引っ越しの荷物に紛れているなんて思いもしなかったのだ。
「このっこの離れろっ俺はぬいくっつけて出歩く趣味はないの」
マキシの大きな声が聞こえて、礼真は振り向く。
 マキシがクマを掴んで力任せに引っ張っている。
「おい、そんなに引っ張たら…」
礼真は慌てて、マキシへ駆け寄った。
 その瞬間、バキと乾いた音がして、クマがなにかを抱えたままに床に転がった。
「離れた!…っひ」
喜びかけた礼真はクマの抱えているモノを見て青ざめた。
 クマが肘から下の腕にしがみついていた。
「腕…腕っ!マキシっ」
礼真は悲鳴のような声を上げるた。
 腕がちぎれたのだ。
 大量の血、痛みにどうにかなっているだろうマキシ。
 凄惨な光景を想像して、怯みそうになりながら、礼真はマキシを見た。
「あー取れちゃったーもぉー」
マキシはいつもどおり…ではなく、肘から下がなくなった腕を見て溜息をついていた。
 ちぎれた腕から見えるものは、血でも肉でも骨でもない、紐のようなものが垂れさがり、その中は空洞だった。
 目はそれを見ても、頭の理解が追いつかない。
 礼真は、震えながら、ポケットからスマホを取り出して救急通報をタップした。
 待つことなく、
『119番です。火事ですか?救急ですか?』
と、落ち着いた声でオペレーターが聞いてくるが、パニックになっている礼真は、
「腕っ腕がとれて」
冷静に受け答えができない。
『腕がどうしたんですか?落ちついて』
「あっその腕が…」
オペレーターの問いかけで、状況を説明しようした礼真のスマホをマキシが取り上げた。
「マキシっ」
返せと手を伸ばしてくる礼真から逃げながら、
「すみませんっ大丈夫です。ちょっとした怪我なのに、友達がテンパってかけちゃいました。本当にたいしたことなくて、救急車は必要ないです。本当にすみません」
マキシはオペレーターに言うと、通話を切って、礼真に向きなおった。
 礼真は泣きそうな顔で手を震わせていた。
 マキシは震えている礼真の手を引いて、ソファに座らせて、その前に膝をついて目線を合わせた。
「レイマ、見て」
と、穏やかに声をかけて、腕の切断箇所を指さした。
 礼真が言われるままにそこに目を向けて、ひゅっと息を飲んだ。
「大丈夫だから、ねっほら、俺ね人間じゃないの、だから、腕とれても痛くもないしなんともないんだよ」
マキシは笑顔で肘から下がない腕を、ぶんぶんと振って見せた。
 そのマキシ顔と、腕を交互に見て、
「痛くないの?」
礼真が掠れた声で聞く。
「ないよー人形だから、平気」
大丈夫だと、さらに笑顔を作るマキシに、礼真の眉が少し顰められた。
「…けど、腕…取れたんだぞ」
取れた場所に手を伸すと、その縁に恐る恐るというように礼真が触れた。
 触れるか触れないかくらいの接触。礼真の気遣いを感じて、
「大丈夫、だいじょーぶっ関節のところだから、もともと取れやすい場所なの」
マキシは、腕がない方の手を振って見せる。
「本当に大丈夫、俺、人形だから」
精一杯、安心させようと笑って、礼真の頭を撫でようとした手は礼真に払われた。
「っ大丈夫じゃない!」
礼真は叫んで立ち上がった。マキシもつられて立ち上がる。
「人形とか関係ないっ!腕取れたんだぞ、痛くないかもだけど、大丈夫じゃないっ!大丈夫にするなっ!!マキシの腕取れたらっ俺が…大丈夫じゃない…」
礼真はマキシの二の腕辺りを掴むと、勢いのままに叫んで、最後の方は声を落として、俯いた。
パーカーを握る礼真の手が震えている。
 マキシはその手を見つめると、ふっと目を細くめて、
「…ごめん、ごめんね、そっかぁ、礼真が大丈夫じゃないかー」
と、よしよしとその頭を撫でた。
 今度はその手が払われることはなかった。
「そうだよ、マキシ俺に言ったじゃん、俺の見てないところで、痛いことにならないでって。俺も一緒だからな、痛くないからって体、雑に扱うな」
鼻をすすって礼真は言うと、マキシを見上げる。
 大きな目が真剣な色をして、マキシの返事を待つ。
 吸い込まれそうだなんて、陳腐な表現しか出でこないのが、くやしく感じるくらいの礼真の目。この目に弱いんだな…マキシは思いながら、
「うん、もうしない」
吐く息と一緒に甘く囁くように礼真に頷いたマキシは、この騒ぎの中で悠然と座って、爪を磨いている花子に声をかけた。
「とっいうわけでぇー所長ー新しい腕つけてぇー」
マキシは軽く強請る。
「ない」
爪磨きながら花子は答えた。
「お前の腕のスペアはもうない。この前のが最後だと言っただろ。希少な材料使っているんだ、そんなにストックがあるわけないだろ」
ふぅっと爪に息をふきかけて、花子は肩を竦めた。
 その答えにマキシは、一瞬、呆然としてから、クマに向き直って、
「えーん、返してぇー」
と、言いながらクマの手から腕を引っ張るが、引っ張れば引っ張るほどクマは離さない。
「まあ、少し待てば離すんじゃねぇの?今までそうだったらしいし」
「少しって?」
「腐って、ぼろぼろになって、持てなくなったら」
「でも、マキシの腕って人形なんだろ?腐らないじゃん」
花子とマキシの会話を聞いていた礼真が冷静につっ込んだ。
「「……は?」」
礼真を芯をとらえた言葉に、二人の視線が同時に、クマの握るマキシの腕に落ちる。二人から言葉が続かない。
 礼真はクマの手が届かない場所にしゃがんで、改めてクマを見つめた。
 見ただけでは、ちょっと間が抜けたかわいいクマのぬいぐるみだ。が、よくみると、茶色毛にところどころに赤黒いものが付いて、ふわっとした毛がカビカビになっている。
 この汚れって…と、礼真は、花子の言葉からその汚れの意味を想像して、考えないようにすることにした。
 クマはマキシの腕を本当に大事そう抱えて、嬉しそうにしている。
 どうして、かわいいぬいぐるみがこんな怖いものなったんだろう…そんな疑問が浮かぶ。
「聞いていいですか?どうして、呪物に?」
礼真は花子に質問した。
「よくある話だ。“ずっと一緒”ほど当てにならん約束はない」
ふぅ…と花子が煙を吐く。
「……」
礼真は自分の子供の頃を思い出していた。
 ヒーローの変身ベルトを買ってもらったときは、ずっとつけておきたいと思っていたのに、新しいベルトがでると、今までものはもう必要なくなっていた。
「あとはお決まりだ。フリマ、フリマ、バザー、バザー。値札を替えて、持ち主を替えて、満たされないまま、あれは自分が求めるものを選んだんだ」
「それが…腕。」
礼真はぽつりと呟いた。
「よかったなークマ。その腕なら永遠にぎゅっしておけるぞ」
「♪」
花子はめずらしく笑みを作って、クマに言う。
「所長ぉーなんとかしてぇーっていうか所長が雑に放置してたからじゃん」
「うるせぇよ」
「俺の腕ー片方しかなかったら、ゲームできないし、スマホもあつかいにくい」
言い合いをしているマキシと花子の声を聞きながら、礼真はクマへ手が届く距離にペタンと座った。
 そして、クマの顔を覗き込むように顔を近づける。
 クマは少し警戒しているように、腕は渡さないよ…というように抱え込んだ。
 礼真はそんなクマにゆっくりと話かけた。
「なあ?腕だけでいいの?自分だけがぎゅって寂しくない?」
「?」
しゃべれないのだろうクマは礼真の優し気な声に、戸惑っているように首を傾げた。
「俺はお前をモフってみたいけど、モフっていい?さわるよ?俺がぎゅっしていい?」
礼真は上からではなく、横の方から手を伸ばした。
「……」
クマはじぃと礼真を見つめている。
 礼真の手がクマの頬の辺りに触れた。
「っ!」
それを見ていたマキシが動こうとしたが、花子に無言で制された。
 礼真はもう片方の手も伸ばして、クマの脇の下に差し込んで持ち上げた。
「んっふわふわだな」
クマの感触を確かめながら、礼真はクマをしっかりと自分の腕の中に抱っこした。
「かわいーなっ」
礼真が頬をクマの頭に押し付けた。
 クマはじぃと礼真を見上げて、キラキラっと目を輝かせて、自分がされているように礼真に腕を伸ばしかけた。が、マキシの腕をしっかり握っていること気付く。
 クマは、礼真とマキシの腕を見比べると、そのままぽいっとマキシの腕を投げた。
「わーー俺の腕、なに急に雑っひどい」
マキシが慌てて腕を回収して、抗議の声を上げるが、礼真とクマは二人の世界だ。
「よしよし。ずっと、ぎゅってしてたらな、新しいぎゅっはないんだよ。わかる?」
「…?」
「一回こうやって、離れるだろ?」
礼真はクマを一度、床に置いた。クマは不安そうに礼真を見上げている。
「ちょっと、寂しいって思うけどー」
礼真は言うと、またクマを抱きあげてぎゅっとする。
「ほら、新しいぎゅっていいだろ?」
クマが礼真にぎゅっとして、すりすりしている。
 礼真は笑顔を作ると、クマを抱っこしたまま立ち上がって、マキシと花子のところへ近づいたきた。
「いっぱいぎゅっする方がいいだろ?花子さんともぎゅっしてみな」
礼真はクマを花子の方へ差し出した。
 クマも花子へ手を伸ばしてくる。
 花子は軽く溜息をつくと、まだ長い煙草を灰皿におしけてから、クマを受け取って、
「ぎゅっな。ほら、次」
軽くぎゅっとすると、すぐにクマをマキシに差し出した。
「えーーっ!」
マキシが嫌そうに声を上げたが、
「マキシ」
と、礼真にお願いというように名前を呼ばれてしまっては、やらないわけにもいかず、
「はいはい、ぎゅ」
と、腕を取られた恨みを少し込めて、つぶれるくらい抱きしめた。
 クマはつぶされたことは気にならないらしく、礼真のところに戻ってきた。
「えらいな、ベア吉」
「?」
「…ベア吉…なにそれ…ダサ…」
礼真の中で、クマの名前が決定したらしい。またぎゅをし合っている一人と一匹に、マキシはげっと、声を上げた。



「片付け終わらないのに、またバイト代もらっちゃった」
礼真は花子から「また、頼む」と言われて渡された封筒を覗いてほっと笑みを作った。
 今回は、8時間働いて11,500円で普通の金額だったからだ。
 こっくりさん事件を手伝ったときは、そんなに働いたつもりはなかったのに、9万円以上あってびびっていたのだ。
 クマ騒ぎはあったが…。
 そのクマ、ベア吉は礼真が帰るというと、寂しそうにしたが、礼真がまた来ることをわかっているらしく、バイバイと手を振ってくれた。
「また、来てくれるよね?」
横を歩くマキシが伺うように聞いてきた。クマより察しが悪い。
「まだ片付いてないだろ。明日、学校終わってから行くよ」
 礼真が笑いながら答えるとマキシは、ふっと真顔になる。
「レイマ…さ、俺が人形だってわかってもなにも変らないね」
いつもの軽さはない声でマキシが言った。
「変わる?」
礼真は首を傾げた。
「いや、怖くない?人形がさ、生きて動いてんだよ」
マキシには自覚はないが、普通の人ならそう感じるのではないかと思う。
「えっ!怖いことするの?」
「しない、しないっレイマが怖いことも痛いこともしないって言ってるじゃん」
マキシの問いに逆に問い返した礼真は、少し身を引いが、マキシは引かれた距離を縮めて全力で否定した。
「ならいいだろ…あっ…」
焦って答えるマキシにちょっとほっとしつつ、ある考えが浮かんで礼真は声を上げた。
「もしかして、正体がバレたらどっかに行っちゃうとか?」
「ないないっ引っ越ししてきたばっかりだよー」
こういうパターンで起こりがちな可能性を言うと、それもマキシが全力で否定する。
 その答えに、「怖いことをしない」という言われたときより礼真は、ほっとしていた。
 その安堵がどこから来ているのはわからなかったが、これからもマキシがいると思うと心が軽く感じる。
「…そうか、よかった!俺さ、小さいときから、霊とか見えてたから、人とか、霊とか、そうじゃないとかに偏見ないよ」
礼真が笑いながら言うと、マキシもつれたように、ほっと笑って、
「そうなんだ…やっぱりレイマってつよつよ…あっ…新作のパフェだって」
スイーツの店の前でぱっと目を輝かせると、足を止めた。
「俺さ、本物のパフェって見たことないんだよね。SNSではいろいろ見てるけど。本物はきれいでいい匂いするんだろうなぁ。」
 マキシは黒板に描かれた『パフェとケーキのお店フルール』と店名とパフェのイラストとその横の説明文を熱心に眺めている。
 礼真もその横に並んで、黒板を見た。
 鮮やかな色のチョークを使って描かれた『あまおうのパフェ』は、イラストと説明文を見るだけでも美味しそうだった。
「まぁ、食えないんだけどね」
黒板にスマホを向けて撮影したマキシが、軽く言って、さっと歩き出す。
「食えないの?パフェが?」
少し遅れた礼真が後ろ姿に聞くと、
「ん?パフェがっていうか、飲食できないよ。必要ないし」
さらりとマキシは答えた。
 速足でマキシに追いついて、
「…そうなんだ。じゃあさ、俺が食べるからパフェ注文しよ。」
横に並んだ礼真は少し考えて言ってから、
「あっごめん、食べられないのに、俺だけ食べるの無神経だよな」
へにゃと眉を下げた。
 ダイエットをしてる人の前で、自分だけ好きなもの食べるというような、そんな最低な提案をしてしまった…と反省するが、マキシは顔を輝かせた。
「えー全然いいよぉ。本当にいいの?礼真が食べてくれるの?じゃあ行こっ」
と、礼真の手を取ると、引き返してさっきのスイーツの店に入る。
 若い女性店員に出迎えられて、礼真はマキシは隅っこの席についた。すぐにやってきた店員に、『あまおうのパフェ』を一つと、ホットコーヒーを注文した。
 コーヒーはマキシが香りが好きだからと頼んだ。
 パフェが来るのを待っていると、
「食べてるとこ動画撮らしてー」
と、マキシがわくわくとスマホを出してくる。
「動画は嫌かな」
食べているところを撮られるのはかなり恥ずかしい。
 礼真が拒否していると、店員がパフェとコーヒーを運んできた。
「おまたせしました、季節のいちごパフェのお客様?」
「はい」
小さく手をあげた礼真の前にパフェが、マキシの前にコーヒーが置かれた。
 細長いパフェグラスに、下から透明なジュレ、鮮やかなイチゴソース。
 その上にアイスクリームとチョコレートソース。一番上には、イチゴが花びらのように飾られている。
「きれいだ…キラキラしてる。甘い匂いと、いちごの匂いもするね。食べてすぐなくなっちゃうものなのに、こんなにきれいな形にするってなんかすごいよね。レイマ食べてぇ」
マキシは、子供ように声を上げてはしゃいでいる。
「うん、食レポとかできんけど、ごめん…写真だったら撮影おっけー…です」
マキシにとっての初パフェだったことを思い出して、写真の一枚くらいは記念だし…と、譲歩してやることにした。
 礼真の言葉に、
「やったー!」
ぱっと顔を輝かせたマキシが、パシャパシャ、パシャパシャと、スプーンでイチゴとクリームをすくって口に運ぼうとしている礼真を、スマホで連写する。
「それはダメ!」
開けかけていた口を閉じて、礼真が小さく叫ぶように言う。
 動画より連写の方がもっと恥ずかしい。
「写真いいって言ったじゃん」
「連写はダメっ」
「えーお願い、お願い」
「ダメっだいたい、パフェが見たかったんだろ。パフェ撮れよ」
「だって、礼真が美味しそうに食べているところ、記録したいんだもんっ」
「かわいく言ってもダメっ」
二人が言い合いをしていると、
「ね、見て」
「え、やば」
「あの金髪…」
「てか前の子も」
「どっちも顔面つよ」
「金髪、必死すぎ…」
「あれはもうさ…」
笑いを含んだひそひそ声が聞こえてくる。
 礼真は周りからの視線に気付く。
 女性客たちが自分たちの方をちらちら見ては、くすくすしている。
 じわっと頬が熱くなって、
「……もう、好きにしていいから。静かにして…」
礼真は視線を落として言うと、バクバクとパフェを食べ始めた。
 無言で食べる礼真に、マキシは撮影していたスマホをテーブルに置くと、頬杖をついて、じっと今度は自分の目で録画しているように礼真を見つめる。
 さっきまでのレンズの代わりに、今度はその目が、まばたきもせずに礼真の動きを追う。 静かになったらなったで、今度はそれが気になって、顔を上げた礼真は、マキシの視線とぶつかる。
「……なに?」
 自分は食べていないのに、甘さに浸っているように、やわらかく溶けて、満ちた表情のマキシは、
「録画中」
と、自分のこめかみの辺りをトンっとタップした。
 その表情、仕草にドキっと心臓が跳ねた。
 同性なのに…と思ったが、よくよく考えてみれば、同じ生物でもないのだから、性差など些細なことだと、礼真は自分の考えに笑ってしまった。
「えっどうしたの?」
むうっと黙って食べていた礼真のふいの笑顔にマキシが聞くと、
「なんでもないよ」
と、アイスを口に運ぶ。
 それをマキシはじぃと見つめながら、
「レイマってさー、美味しくなさそうに食べるよね」
「は?」
「いや、なんていうか…顔変わんないじゃん、美味しいって思っているのはわかるけど。」
マキシの言葉に礼真はスプーンの動きを止めた。
 礼真は、食べることにあまり熱がない。美味いか不味いかはわかるが、それ以上でも以下でもない。
 けれど、このパフェは違った。
 マキシのために食べるそれは、ふわふわと、少しだけ楽しい。
 表情には出ていなかったらしいが、マキシには伝わったらしい。
 そう思うと、少し恥ずかしくなって、マキシの視線から逃げると、
「あー…なんかさ、こんなの一人で食べていいのかなって、ちょっと…思う」
またパフェに視線を落として、スプーンで、溶けかかったアイスをつつく。
 マキシは頬杖を解いて、姿勢を起こした。
「クッキー、売ってるよ。買ってかえってあげたらいいじゃん」
礼真が妹の真美にパフェを食べさせてやりたいと考えているんだろうと思ったマキシは、レジの横のディスプレイされた手作りクッキーを指さした。
 マキシに言われて、礼真もそちらへ顔を向ける。
「クッキー?そうだね、弟が好きかも」
と、礼真は答えて、パフェの最下層にとりかかる。
 「?」
マキシは一瞬、眉を寄せた。
 弟…と聞こえた。
 いや…とマキシは心の中で、否定して聞き間違いだ…と結論づける。
 そうじゃないと、説明がつかない。
 帰ったら耳のメンテしてもらおう…とマキシが思っていると、
「ごちそうさま」
と、礼真がスプーンを置いた。
「俺も、ごちそうさま。じゃ、出ようか」
マキシがテーブルに置かれた伝票を手に取った。
「ちょっ、それは俺が」
と、礼真がマキシの手からそれを取り上げる。
「いやいや、俺が」
「だって、俺が食べたし」
「俺が見たいって言ったから」
「でも食べたの俺」
二人でまた言い合っていると、またくすくす笑いと女性客の視線が痛い。
「今日はバイト代も入ったし、俺が払う」
礼真はビシっと強く言うと、伝票を持ってレジに向かう。
 けっこう頑固だなぁ…と礼真の後ろ姿を眺めていたマキシは、ふっと眉をひそめた。
 礼真がレジ横の籠の中からクッキーを取って、一緒に支払っている。
 手作りクッキーとポップが張られた籠の中のクッキーは透明な袋の口をリボンできゅっと結んでいた。
 リボンの色は、ピンクと青と黄色。
 礼真はその中から、青を選んで取った。
 礼真が話す妹、真美は、ちょっと体は弱いが、ごく普通のかわいいもの好きで、イチゴが好きな女の子だ。
 青のリボン…マキシは、礼真が上着のポケットにクッキー入れるのを見つめていた。
「マキシ?」
会計が終わった礼真がやってくる。
「あっ…ごちそうさまでしたー次のデートは俺が払うねー」
マキシはことさら軽い調子で言って、
「デっ」
と、絶句している礼真の肩に腕を回して店を出た。
 店の中が騒がしくなったのは気にしないことにする。
「マキシっていつも冗談ばっかり…」
横に並んで歩きながら、礼真が言うと、
「ん?俺、冗談言った?」
マキシが顔を覗き込むようにしてくる。
「言ったじゃん…そのデート…とか」
礼真は俯く。デートという言葉を口にするのも恥ずかしい。
 マキシの方は礼真とは対照的に楽しそうに笑っている。
「冗談じゃないよ。礼真と二人でやることはデートだよ。今日は、お家デートでしょー」
「事務所の片付けな…」
「お食事デートでしょー」
「俺がパフェ食べただけな」
「今はお散歩デート」
「…それは…」
と、言いかけて礼真はぶっと吹き出した。
 マキシと話していると、体の中の蓋がポンと弾けて、中から紙吹雪やらテープが飛び出すようなそんな気持ちになる。
 それが笑いになって溢れる。
「もう本当にマキシってさー」
ひとしきり笑った礼真が涙を拭きながら、マキシの顔を見ると、
「かっこいい?」
と、ニコニコのご褒美を待っている大型犬のような顔で見つめ返されて、また笑ってしまう。
「ふふっイケメンは認めるけど、じゃなくって面白い」
「面白い?」
「うん、面白い」
礼真が頷くと、
「好き?」
と、被せるようにテンポよく聞かれる。
「うん、好き…あっ違う、いや違わないけど」
乗せられた形でつい言ってしまった礼真は、わっと声を上げて、ぶんぶんと手を振って、否定したが、この場合は否定は「嫌い」となるので、さらに焦って言葉が続かない。
「やったー俺も好き」
じたばたする礼真に、マキシが嬉しそうに声を上げる。
 嬉しそうなマキシ。マキシの行動と言葉はいつも心のままのようで、心の中の言葉に蓋をしがちな礼真だが、それを少し反省する。
「…その、マキシ…その…ごめん、マキシと同じ好きかはわかんないけど…好きは好き…です」
心にある言葉の半分も言えていない。もどかしく思いながら、なんとか言葉にすると、礼真が言葉にするのをじっと聞いていたマキシが、柔らかく目を細めて、
「ありがとう…レイマ」
と、ぽふっとその頭を撫でた。
 上の方から他人の手が、自分に向かって下りて来られるとつい、怖くなって体がかまってしまう礼真だったが、このときはマキシの手が嬉しかった。
 じゃれあうようにしながら、二人で歩いていると、マキシが足を止めた。
「あーと、送るのはここまででよかったっけ?」
前に、礼真を送ったとき『このスーパーに寄るからここまでていいいよ』と礼真が言ったスーパーまで来ていた。
「うっうん、ありがとう。明日、また行くから」
礼真は手を振った。
「また明日よろしくねー」
マキシはそこで立ち止まって、礼真を見送って、スマホを取り出した。
「所長、ちょっと遅くなります。送り狼じゃないですよぉ。どっちかっていうとストーカーです。マールボロ?了解です。じゃ」
マキシはスマホをポケットに入れると、ゆっくり歩きだした。
 自分の中の霊力を調整して気配を薄くしたマキシは、礼真の後を追った。
 しばらく歩いていると、T字路で立ち止まっている礼真を見つけた。
 マキシは礼真の顔を見てぴくっと眉を上げた。
 礼真は表情豊かな方ではない、が、今の礼真からは全ての感情が削ぎ落とされている。
 礼真は右に行きかけて足を止めると、少し首をかしげて、また戻ってきた。
 そして、また右へ行く。
 が、なにか引き留められたように足を止めた。
 礼真はポケットから、クッキーの袋を取り出した。
 なにをするのか…と、マキシはじっと礼真を見つめた。
 礼真は、クッキーに目を向けることもなく、手をだらりと体の横に垂らした。
 垂らした手の指先から力が抜けて、クッキーは道路へ落ちた。
 クッキーを落とした礼真には表情が戻っていた。
 礼真が妹のことを話すときの、優し気な表情だった。
「早く帰らないと…」
と、小さく礼真は呟くと、急ぎ足になって、左へ歩き出した。
 礼真が去ったあとに残されたクッキーのところへマキシは駆け寄って、それを拾う。
『パフェとケーキのお店フルール』と店名の名前のシールが貼っていて、さっき礼真が買ったものだと確信する。
「お土産にするんじゃなかったの?」
マキシはクッキーと、礼真の帰った方向を見て呟いた。
 ざわっとなにか嫌なものが空洞のはずのマキシの胸に湧き上がる。
 マキシはポケットにクッキーを入れると、礼真の後を追いかけた。
 追いついたとき、礼真は一軒の家に入っていくところだった。
「ここ…家?」
マキシは思わず口に出していた。
 そこは、気配も温度も感じない、荒れた家が一軒あった。
「礼真、ここに入ったよね…なんか、片付けられない系の人なのかな?それはないな…礼真はきれい好き」
今日、一緒に片付けをしていたからわかる。礼真は整理整頓された空間を心地いいと感じる人間で、自分でもその空間ほ作ることができる。
 それに、制服も今日着ていた服も、礼真が身に着けているものは清潔なものだ。
 この家とまったく結びつくところがない。
 だとしたら、この家は…と、マキシは家に近づいて、すぐに距離を取った。
 強い結界が張られていた。
 この領域に誰も入ってくることは許さないという強い意思を感じる結界。
「これは、あれかな?霊たらしのレイマのこと気に入ったヤツがどういう方法かはわかんないけど、レイマを支配しているってこと…か…?」
マキシははぁ…と息をついた。
「圧倒的情報不足…けど、そういう感じなら、礼真大丈夫かな…うーん、あっ…」
マキシはスマホを取り出すと自分の霊力を流して、礼真のスマホにいれている、マキシホットラインのアプリに侵入する。
「マキシホットラインからマキシセキュリティに仕様を変更っと、まぁお守り代わりくらいかもだけど」
マキシはひとりごちると、礼真が迷うようしていたT字路まで戻った。
「こっちに行こうとしてたよな…」
マキシは礼真が行こうとしていた右の方の道を進む。
 少し行くと、住宅街に入っていく。
 子供用の自転車と、自転車用チャイルドシートを荷台にとりつけたママチャリ。
 小さい花壇や、プランターに花。
 生きた幸せが、どの家からも同じ温度で、ふわふわと漏れ出しているようで、さっき礼真は入って行った家とは真逆の世界だ。
「こんなに家があるとは思わなかったな…どうしよう…」
マキシは立ち止まって、見まわした。みんなごとなく同じような家ばかりだ。
「ほらぁ、マックス、頑張ろう。もうちょっとでお家ですよー」
女性のそんな声が聞こえてきた。
 ほどなく、マキシの横をゴールデンレトリバーをつれた中年の女性が通り過ぎていく。
「マックス、今日はいっぱい歩いたねーえらいねー」
マックスと呼ばれたゴールデンレトリバーは高齢のようで、ゆっくりゆっくり歩いているが、手入れが行き届いている毛並みはきれいで、ふわふわでつやつやしていた。
「ふわもこ…ゴールデン…レト…マックス?マックス!」
マキシの頭に礼真との会話がよみがえってくる。
『なに?マックスって?俺、マキシだけどー』
『あっごめん、つい。マックスは隣のゴールデンレトリバーだった』
 マックスは隣のゴールデン…マキシは口の中で呟くと、先を歩いていく一人と一匹の後を追った。
 すぐに、一人と一匹は芝生がきれいな庭へ入って行った。
 女性は庭でマックスに水を飲ませていた。
「あのーすみませぇん。サトウレイマくんの家ってそこですよね?」
マキシ明るい軽い口調で女性に話かけた。
「は?」
女性は中年らしい容赦のない目で、じろっとマキシを睨んできた。
「怪しいけど、怪しいもんじゃないです。俺、レイマのバイトの同僚で、レイマの忘れもの届けにきたの。ポストに入れて行っていいよーって言われたけど。隣にかわいいマックスってゴールデンがいるって情報しかくれないんだもん、レイマ」
ペラペラといつも軽い調子でマキシが話ていると、女性の表情が少し変ってきた。
 金髪緑目に整った顔立ちのマキシが、親し気に話かけると、たいていの女性は好感を抱く。
「隣にマックスがいる家って言われたの?」
女性は少しだけマキシに近づいてきた。
「そうそう、このへんーって言われて、あとは隣にマックスくんがいるって。ひどいよねぇ。俺、マックスのお母さんとマックスに会えなかったら、絶対、迷ってたからね。」
 自分の顔の有効性を知ってるマキシはここぞとばかりそれを発揮して、にっこりと笑って見せる。
 女性はさらに近づいてきた。その後ろからマックスもついてきている。
「レイマが言ったとおり、ふわもこですねーマックス」
「そうね、礼真くん、いつもマックスはふわもこだーって撫でてくれるのよ。この子も礼真くんのこと大好きなのよ。あっ礼真くんの家はね、そこよ」
女性は隣の上を指とさした。
 マキシは背伸びするようして、家を覗き込んだ。
「忘れものって?」
女性が聞いてきた。
「数学の参考書、バイトの合間に教えてあげてたの。そしたらレイマ忘れて帰っちゃって。明日、学校で使うかもだから困るかなーって」
マキシはそれほど緊急性はないが、なくては困るかもという忘れ物をでっちあげて答えた。 数学の参考書という忘れ物は、その女性の好感をさらにアップさせたらしい。女性はさらに近づいてきた。声をひそめて話ができる距離に。
「だったら、ポストに入れておくのは止めた方がいいかも。礼真くんの手元に届かないかもしれないから」
女性は声を低くして言った。
 マキシは首を傾げた。
「お隣さんのこと悪くは言いたくないけど、礼真くんのお母さんはその…あんまり礼真くんのこと好きじゃないみたいだから…ね…」
言葉を選ぶようにして女性はちらっと礼真の家を見た。
「あーそうなんだーやっぱり、レイマもちらっとそんなこと言ってた。家族みんなともうまくいってみたいだし…」
女性が秘密の話をしやすくするために、マキシはカマをかけるように言う。
 女性の目が輝いた。
「そうなの、ほら、礼真くんってお母さんの連れ子でしょ。ここに越してきたときは、親子三人で仲良く見えたんだけど、琉輝空くんが生まれてからはね…」
「ルキア…あぁ弟くんね」
マキシは頷いた。
 礼真がパフェを食べながら言った『クッキー?そうだね、弟が好きかも』とクッキーの青いリボンがつながる。
 礼真の下は、妹では弟だ…とマキシは確信する。
「奥さんもご主人も琉輝空くんが生まれてからは、もう琉輝空くんに夢中でね。礼真くんはよくマックスのところに遊びに来てたのよ」
ねっマックス…と女性は足元に座るマックスの頭を撫でた。
「礼真くんが小学校のときにね、マックスのお家に住んじゃだめですか?って聞かれたことあって…。ほら、そこの犬小屋あるでしょ?この子お座敷ゴールデンだから、まったく使ってないんだけど。真剣な顔してそんなこというから、私もう…なんて言っていいのか…わからなくなっちゃって…」
「………」
マキシは「マックスの別荘」と入口の上に書かれた、犬小屋を見てた。
「………。あっすみません。忙しいのにお時間とらせちゃって。」
しばらく無言だったマキシは、あっと声を上げると、すまなそうな表情を作って、女性に謝った。
「あら、いいのよ」
「ありがとうございました。レイマの忘れ物は、バイトが一緒になったときに本人に渡すことします」
マキシが言うと、女性は「それがいい」と頷いて、去って行くマキシをマックスと二人と見送ってくれた。
「住んじゃだめですか…ね…」
マキシの顔から表情が消えていた。


「ただいま」
マキシは事務所のドアを開けて、
「はい、マールボロ。箱で買ってきましたよー」
と、デスクについている花子の前にコンビニの袋を置いた。
「ご苦労。どうした?その顔はストーキングは上手くできなかったようだな?」
さっそく一本取り出し、火をつけて煙を吐きながら、花子がニヤとする。
 マキシがソファに座ると、すかさず元クリングベアのベア吉がマキシの膝の上に乗ってくる。
「その逆ですよ」
マキシはため息をつきながら、膝の上のベア吉の頭をぎゅうぎゅうと揉む。
「なんだ、本当の姿を見てしまって、魔法がとけたか?」
花子はふぅ…と煙を吐く。
「そんなわけないでしょ。それより所長、…嘘の中にある幸せと、本当の中の不幸だったら…どっちがいいと思う?」
マキシの手はベア吉の顔をぐりぐりし続ける。
 花子はそのマキシの手を見つめなが、答えた。
「本当の中の幸せ、だな」
「いや、だから二択なんですけど」
「だから、どうして二択にするんだ」
少し苛立って返してくるマキシと、二本目の煙草に火をつけた花子の視線が合う。
「クイズ番組じゃねぇんだ。それともなにか?お前はまだ誰かのルールの中にいるのか?」
花子はじっとマキシを見つめた。
 マキシはその視線から逃れるように、ボスっとソファにうつ伏せになった。
「俺、どうしたらいい?」
マキシがクッションに顔をうずめたまま言った。
「知らん」
そっけない花子の声がかえってくる。
「…ヒントだけでも」
「ヒントは答えを歪めるかもな」
「…じゃあ…いい…」
ぽそぽそマキシは言うと、
「うぅーーーー」
意味のない声を上げ続けた。
 しばらく、その声を黙って聞いていた花子だったが、
「うるせぇ…」
と低く言って、立ち上がった。
「マキシ…」
声をかけながら、花子が近づくと、マキシは眠っていた。
 眠っているというより、機能停止したように体の力が抜けていた。
「慣れないこと考えすぎだ」
花子は肩を竦めた。
 花子の声を聞きながら、マキシの思考はゆっくりと記憶の底に沈んで行った。