――――飴をなめたり非常食を食べながら山道を登る。少しずつ岩の道を進みながらも山小屋が見えてくるのが分かる。山小屋と言ってもどこかお社のようである。
「……」
鳴砂さまが心配そうにこちらを見てくる。
「ま、まだまだ大丈夫だよ」
「……」
鳴砂さまが安心したように頷き、私たちは山小屋で出迎えられる。
「ここは七合目だね。今晩はここで一泊しよう」
「は……はい、紅鳶さん」
「……雛」
「えっと……その?」
顔を近付けて何だろうか?
紅鳶さんがそっと忌面をめくってくる。
「顔色が悪い」
「その……私まだまだ……っ」
ぎゅっと握られたのは鳴砂さまの手だ。
「雛さま。無理はなりません。ひとまず中で休みますよ」
「い……一華」
「いいですね?」
「う……うん」
何だか一華の勢いに押し負けてしまった。だけど紅鳶さんはどうして分かったのだろうか。
※※※
山小屋の一室で布団に横たわる。
「頭痛に吐き気……か。大人しく休んだほうがいい」
紅鳶さんの言葉に恐れていたものが来たのだとガックリする。
「その……登山は」
「症状が収まればね。普通は下山させてやりたいけど……」
「出来ない……んですよね」
「そうだね。入山し儀式が始まっている以上は無理なんだ。それが儀式の掟だから」
こう言った信仰の禁忌に触れるのは気が引ける。そもそもそれを承知で登ったのは私なのだし。
「昔一度無理に下山させようとしたこともあるんだけど……儀式は失敗し多くの被害が出、忌み鬼たちも苦しんだ」
「そんな……っ」
私ひとりのために鳴砂を苦しませるなんて出来ない。それに他の忌み鬼たちもだ。
「明日朝までに間に合わなかったら俺たちは先に行くしかない」
置いていかれてしまうのは最も恐れていたことだ。
「その場合、一番最後に登ってくる南部の忌み鬼の一団とどうにかして登ってもらうことになる」
「南部……どうして最後なんですか?」
「こう言う時のためにだよ」
「……」
良くならなければそうするしかなくなる。それで行くこともできる。だけど私は鳴砂さまたちと行きたい。
「とにかく今はゆっくり休むんだ」
紅鳶さんが額を掌で優しく撫でてくれる。何だかお兄ちゃんみたいで安心してしまう。
※※※
あれはいつのことだろうか。
お兄ちゃんがいなくなって、初めてひとりで鬼鳴村の祭りに参加した時だ。
私は具合が悪くなって近くの山小屋で休んでいた。
「誰かいるのか?」
誰かが山小屋に入ってきた。
「……鬼?」
祭りで鬼を見かけることはあったが彼は見かけたことがなかった。同じ年頃で水色の瞳が印象的な男の子。
「具合が悪いのか」
「……うん」
「ならこれをなめな」
男の子が差し出したのはあめだまのようだ。
「これは?」
「中に薬草を溶かして入れてるんだ」
そっと口に含めば、ひんやりと冷たく感じる味が心地よい。
「良くなるまで側にいてやるよ」
「うん」
飴をなめながらうとうととしてきた。
なめ終わる頃にはすっかり体調も良くなったが、男の子はずっと側にいてくれたのだと気が付いた。
「何だ、良くなったのか?」
「うん!」
「なら、祭りを見に行こうぜ」
「そうだ……お祭り」
男の子に手を引かれるがまま山小屋を飛び出せば祭りのキャンプファイヤーの側に向かう。
「……へぇ……きれいだな」
「うん……!」
毎年見ているから特に気にもしていなかったものが何となく特別なものに思えたのだ。
※※※
「ん……っ」
目を開けば目の前に鳴砂さまの忌面がある。
「……どうして?」
急いで飛び起きれば、それに気が付いたのか鳴砂さまが身を起こす。
「その……」
言葉を出す前に口の中に何かを放り込まれる。
「……んむっ」
口の中に広がったのはどこか懐かしいひんやりとした味。
鳴砂さまが優しく頭を撫でてくれる。
あの日のように、また元気になれるだろうか。
あめだまをゆっくりとなめながら懐かしい心地に包まれる。
※※※
――――翌朝。
あのあめだまのお陰だろうか。思いの外スッキリとした目覚めを迎えた。
「うん、今日はなかなか良さそうだ」
「はい、紅鳶さん」
何とか紅鳶さんに及第点をもらえたようだ。
「へぇ、まさか復活するとはね」
「その、氷雨さん。ご心配をおかけして……」
「別にしてないけど」
え……ええと。
「少しは気の効いたことを言えないのですか、あなたは!」
しかし一華にバシンと腕を叩かれそっぽを向く。
「ふふっ。一華ちゃんがいると氷雨さんが微笑ましく思えるね」
紅鳶さんの言葉に陸璃くんが困ったように笑い、鳴砂さまがこくんと頷く。
「さて、今日も登りますわよ!」
「何でお前が仕切ってんの、一華」
「いいからほら、先導してくださいませ。氷雨さま」
「……はいはい」
やっぱりあの2人、いい組み合わせなのだろうか。
そして順調に歩を進め八合目の山小屋が見えてきた。私たちが到着すると神職の鬼が出迎えてくる。
「ようこそ起こしくださいました。ただいま東の忌み鬼さずりさまも休憩なされております」
東の……鳴砂さま以外の忌み鬼に会うのは初めてだ。
「鳴砂、挨拶していく?」
「……」
紅鳶さんの言葉に鳴砂さまが頷く。私も同行させてもらい、東の一行と合間見える。
「これは鳴砂さま。お会いできて光栄です」
受け答えしているのは違う忌面の鬼である。
「さずりさまでしたらこちらでお休みになられています」
東の鬼が示した方向には女性と見られる水色の髪に翡翠の鬼角の忌面の鬼が横たわっている。
しかし彼女を見た瞬間ゾクリと肩を震わせる。彼女の肌と言う肌を覆う紫色の澱み。
「……」
鳴砂さまはぐったりとした彼女の手を握る。
こんなになるなんて。鳴砂さまは毎日手を握れば澱みは晴れるのに。
そうだ……私がやるしか……!
私は咄嗟に彼女の手首に手を伸ばす。
お願い、穢れを浄化して!
彼女の手から肌色が見えかけた瞬間、掌にビリリッと電撃のようなものが走る。
「雛!」
「いけません!」
しかし瞬時に紅鳶さんと一華に引き剥がされる。
鳴砂さまがすっと立ち上がり首を横に振る。
「いけません、雛さま。人間には背負えないからこそ、鬼が背負うのです」
「一華……」
「これより先は、さずりさまにも鳴砂にも触れてはいけない」
紅鳶さんの言葉に驚愕する。
その時気が付いた。
鳴砂さまの頬にも紫色の澱みが伸びている。それはじわじわと鳴砂さまの肌を侵食し始める。
「山頂が近いからね」
紅鳶さんが沈痛そうに告げる。
「儀式も大詰めってことだよ」
「……陸璃くん」
「こうなったら……ぼくには支えられないから」
陸璃くんが手を握ってくる。
「氷雨と紅鳶に任せるしかないから」
八合目より先を登るために装備を厚手に整えれば、鳴砂さまは氷雨さんと紅鳶さんに支えられながら山道に向かう。その見える肌は紫色に染まっている。
「我々も向かいます」
東の鬼たちもさずりさまを支えながら進む。私たちは進むしかない。すぐ近くにいるのに触れられない悲しさに包まれながらも、同じ気持ちを抱きながら手を握ってくれる陸璃くん。一華や続く鬼たち。
だから私も登らないといけない。儀式を見届けないといけない。
――――しかし後ろで悲鳴が上がる。
「さずりさま!」
「しっかり!」
さずりさまが膝をついて倒れている。
鳴砂さまは紅鳶に支えられながらゆっくりとさずりさまのもとへ向かえば肩を貸し、立ち上がる。
「鳴砂さま……」
自身も辛いであろうに。
同じ務めを抱く鬼として支え合うように先へ進もうとするがそれでもさずりさまの脚は崩れていく。
しかしその時さずりさまの腰をずいと上げて支える鬼がいる。
彼の肌を侵食する澱みに、彼も忌み鬼なのだと分かった。
「南の忌み鬼、千里さまだ」
陸璃くんが呟く。彼が南の……!
さずりさまは千里さまに支えられながらか細い脚を必死に動かす。
「忌み鬼は修験者として自らの脚で進まないといけないから」
陸璃くんが悔しげに漏らす。だから彼らはおぶられるわけでもなく、抱き抱えられるわけでもなく、自らの脚で進むのだ。
――――そうして、九合目。
山頂も目前のその地には立派な社が立ち竦んでいる。
出迎えたのは白い髪、白い角。顔には面布の鬼の青年だ。
「斎鬼、鬼塚静那と申します」
鬼塚姓……?鳴砂さまたちのお知り合いだろうか?
「無事に到着されたようで何よりです。西と北は既に揃っております。どうぞ儀式の間へ」
彼が示したのは社よりも高いまさに山頂のいわやであった。

