忌み鬼に嫁いで山に登ります



――――五合目に着いたのはすっかり日が昇りきった頃だった。

各々馬から下りれば、早速馬を馬舎に預けに向かっている。

「今日はここから登るんですか?」
紅鳶さんに問えば首を横に振る。

「普通の登りならなくもないけど……今回は儀式で来ているのもあるし、鳴砂の体調もある」
「鳴砂さまはどこかお加減が……?」
それなのに山登りなんて大丈夫だろうか?

「五合目で行う儀式で分かるよ……」
紅鳶さんがどこか辛そうに漏らす。それは一体どういう意味なのだろうか……?

五合目の山小屋は元々多くの宿泊者を迎えるような広々とした造りとなっている。

「儀式の準備が整ったそうです」
一華が知らせに来れば、鳴砂さまに手を引かれながら少し暗めの部屋に招かれる。そこに神職の服装をした神官の鬼たちが私たちに液体の入った器を配っていく。

お酒……ではないのは分かる。

「今年も鬼塚の忌み鬼を山に迎えられたこと、安心いたしました」
神官の鬼が告げる。

「毎年のことになりますが、今年初めて登るものもおりましょう。ここでは鎮命山の儀を執り行う原点を思い起こし、道中の安全を祈る儀になっております」
ついに分かるのか。忌み鬼のこと。この山のこと。

「古来、鬼と呼ばれていたものは人間が怨鬼に堕ちたものを指しました」
おん……き?

「しかしその怨鬼の穢れを一身に纏い浄化させる役目を負った忌み鬼により、怨鬼は鬼と言う種族となりました」
え……?忌み鬼は不吉な存在でも何でもなく、むしろ……。

「その役目は現代においても続けられ多くの同胞を救い続けております」
鬼は元々人間だった。しかし鬼に堕ちた人間はそのままでは今の鬼のように生きられなかったから忌み鬼が役割を果たしていたのだ。

だから頭領が鳴砂さまに頭を下げていたのは、鬼と言う種族が忌み鬼がいなければ存続出来なかったからだ。

「山には不思議な力が宿る。時には人間に。人間であった鬼に。鬼になりきれない間合のものに、その力を与える。ゆえに山とは古来信仰を集めてきた」
山には……思えば登り始めてからもどこか不思議な感覚に包まれている。東部でも同じように感じることがあった。

「今年もまた、鬼に堕ちた同胞たちをお救いくださいませ」
神官がそこまで言うと、鳴砂さまが器を飲み干す。ほかの皆も飲み干しているようだ。私も遅れないうちに……っ!

その味は……どこか薬茶のようだった。

※※※

山小屋の宿泊用部屋で、一華と共に布団に腰を落とす。

「あの……一華、穢れって言うのはもしかして……」
「ええ。鳴砂さまのあの紫色の澱みがそうですわ」
やっぱりそうだったのか。
「それを私が……」
「一時的に浄化しているのですわ。裏祭を執り行う巫女の家系に稀に見られる力。それが雛さまの力ですわ」
「裏祭?それって……鬼鳴村の祭りってこと?」
「鎮命山の儀の後に行われる古くは怨鬼を鎮めるための祈りの祭り。地方に幾らか残っており、鬼鳴村もそのひとつなのでしょう」
「そうだったんだ。忌み鬼のことも、鬼の成り立ちのことも何も知らなかった」
人間はいつしか忌み鬼を不吉な存在として見なしていたのだ。一方で鬼鳴村のようにその面影を残している地方もある。

「一華たち鬼はみんな受け継いでいたの?」
「私は元々鬼だったわけではありませんわ」
「え……っ。もしかして一華は……」
「元人間です。と言っても私は氷雨さまや紅鳶さまとは違います。同行する忌面の鬼たちはかつて怨鬼となったもの、浄化されたもの」
氷雨さんや紅鳶さんたち、同行していた鬼たちは忌み鬼によって浄化を受けるために共に登る。もしくは登ったのだ。

「でも一華は違うってのはどういうこと?」
「私は南部の深奥の村で生まれ育ちました。その村では大昔怨鬼となった鬼女を巫女に選ばれた娘が封じてきたのです」
「人間の巫女が封じてきたの?」
「ええ。ですが怨鬼を人間が封じるなど到底困難なもの。巫女は鬼女の魂を受け入れた時点で生きる屍となるのです」
「そんな……っ。それじゃぁ一華は……」
「私もそうなるはずでした。巫女に選ばれ兄を喪い、もう思い残すことなどないと受け入れた。しかし鬼女とは別の怨鬼が生まれ村は滅ぼされました」
村ひとつ滅ぼすだなんて。怨鬼と言うものはそれほどまでに恐ろしいものなのか。

「ですが私は鬼の角が生え鬼のような見た目になったことで助かったのです。私だけが……生きる屍から息を吹き替えしたのです」
「一華……」
「その影響からか、私は忌み鬼たちが浄化される穢れから外れている。通常の怨鬼は人間だった頃の記憶を忘れてしまうのに私だけが覚えている」
それじゃぁ氷雨さんや紅鳶さんは人間だった頃の記憶を失ってしまっているんだ。

「まぁ覚えていると言っても失った村のことだけ。私のせいで死んでいった兄の顔だけですが。私には何も残らなかった」
「一華」
思わず一華を抱き締める。

「でも今一華と過ごしているのは現実だから。今を大切にしてほしいの」
「……雛さま」
一華の腕が背中を包む。

「ありがとうございます、雛さま」
「一華」
抱擁を緩め一華がじっとこちらを見る。
「そんなお優しい雛さまだから……どうか見届けてくださいませ」
「鎮命山の儀を……」
「はい。そして見届けることこそが忌み鬼の花嫁の役目です」
「その……それは麓でも言われたけどどうしてなの?」
「鬼塚を本家とする忌み鬼の家系である5家には必ず絶えず忌み鬼が生まれます。だからこそ忌み鬼の母となった時、臆し反対するようでは鬼も人間も滅んでしまいます」
村ひとつ滅ぼす怨鬼を浄化できなければ世界が壊れてしまうから。

「だからこそ見届ける度胸や器量がなければならないのです」
「私……」
「はい、雛さま」
「鳴砂さまの花嫁になりたいから……だから見届けたいと思ったの」
あの時差し出された手の温もり、優しさに答えたい。そう感じたのだ。
「それで良いのです、雛さま」
「鳴砂さまは何も語られないけど」
「それも忌み鬼としてのお役目なのです」
「え……っ」
どういうこと?

「鎮命山の儀に臨まれる忌み鬼は浄化を必要とする怨鬼たちの穢れを一身に受けるので声を出すと穢れが漏れ出てしまうのです」
だからずっとしゃべらずに……?

「それじゃぁ儀式が終わったら……」
「再び言葉を介することが出来るようになりましょう」
「うん……っ」
そうしたら鳴砂さまの言葉を直接聞くことも出来るだろうか。

※※※

――――早朝。

今日からはついに歩きで鎮命山を登る。
登山杖を装備し、一華に装備の最終チェックをしてもらう。

「ええ、これで大丈夫です。雛さま」
「ありがとう、一華」

「……本気で登る気なんだ」
陸璃くんがボソリと呟く。

「足手まといにならないでよ」
「それはその……」

「陸璃さま、雛さまは初めてなのですから」
「だからこそだよ」
「けれど初めてでも鬼に堕ちたものたちは登らねばならぬのです。鬼になれるまで、浄化が済むまで何年も見届けるのです」
浄化は一度きりで終わるわけじゃないんだ。

「その代わり儀式を行えば一年だけ穢れを抑えられる。そうして何年も何年も。ですがみな、初めての時があるからこそ助け合えるのですよ」
「それは……」
「それに陸璃さまも最初は頭痛が出て……っ」
「それは言うな!」
陸璃くんは顔を赤らめて去ってしまう。

「ふふっ。陸璃さまも本当は心配しているんじゃないかしら。最初は私にもあんな感じでしたから」
「その……それなら」
ただ素直になれないというだけなのかな?

「さて、俺と氷雨さんが先導するからみんな続いて」
「はい、紅鳶さん」

まるで当たり前のことのように鳴砂さまが手を重ねてくる。言葉を交わせないのは歯がゆいが、思いなら分かる。

「一緒に行きましょう」
「……」
鳴砂さまがこくんと頷く。繋いだ手の温もりが優しさと儀式に挑む力強さを伝えてくる。その度にこの方の花嫁になりたいと言う思いが私の中で大きくなっていく。

忌み鬼の真実を知った。儀式のことを知った。だけど山の上にまだまだ何が待っているのか分からない。

ただ伝わる掌の熱が一歩一歩を前に進ませてくれる。