忌み鬼に嫁いで山に登ります



――――時代が切り替わるのが分かった。

奥殿の向こうには一華、その反対の座敷には氷雨さんと顔が同じ人間の青年がいる。

『兄さま』
一華が氷雨さんを呼ぶ。

九郎(くろう)兄さま』
氷雨さんの……一華のお兄さんだった頃の本名?

『どうか息災で。長生きしてくださいませね』
一華は大切そうに何かを抱き締めていた。
だが扉が閉まる直前、一華はそれを落っことしてしまう。涙が震えるものを、その目に映してしまったから。

「氷雨!」
「氷雨さん!」
手を伸ばせども、掴むのは幻ばかり。

「くそ……くそ……っ、何でっ」
「こんな……」
槍で串刺しにされ、社の中から引きずり出されるさまを見るしか出来ない。

『これを捨てておけ』
神主が冷たく告げる。

「追うぞ、雛!」
「うん!」
神官たちに崖下に打ち捨てられた彼を追う。

「氷雨!」
「氷雨さん!」
死体が投げ捨てられたそこには……誰かが立っている。

「まさか怨鬼として目覚めて!?」
「だけどこれ、過去の幻じゃ……」

「ハァ……?幻じゃないけど」

『え……?』
それもそのはず、氷雨さんはまっすぐに私たちを見たのだ。

「氷雨、お前俺たちが見えるのか」
「見えるから見てるんでしょ」
「さ、さわれるのか……」
鳴砂がベタベタとさわる。私も間違いなく本物かどうかペタペタと確かめる。

「ちょ……やめてくれる?」
「す、すまん」
「ごめんなさい」

「でもお前、どうしてここに?今まで何をしていた?」
「はぁ……何度も『兄さま』と呼ばれて刺されてここに捨てられる。それを繰り返してた。だけどようやく止まったようだ」
「それは何よりだが……何故か止まったのか」

「呪いだからじゃない?」
「呪い……」
「怨鬼が逃れられない大切な存在の姿。それが何度も何度も最期の姿を見せてくる」
「でも終わった」
「……俺を氷雨にした鳴砂が来たから」
「氷雨……遅くなってすまなかった」
「いいよ。別にこれくらい」
これくらいと言うような記憶じゃなかったけど。

「でもどうやって現実に戻ればいい?」
「まだこの幻が消えないなら……一華を連れ戻すしかないんじゃない?」
奥殿に消えていった一華を。
「一華はいるよ……あそこに。分かるから」
やっぱり氷雨さんは。

「行こう、鳴砂」
「ああ」
急いで社に戻り、奥殿を開けば。そこで丸くなり泣きじゃくる一華の姿がある。

――――その時。

突如地鳴りが起き、壁を突き破り土砂が流れ込んでくる。

「きゃっ!?」
「動じるな、幻だ」
氷雨さんの言う通り、土砂が私たちを襲うことはない。そしてまるで一華を守るように覆い被さったのは……律華さん。

「どうして……どうしてあんたは」
氷雨さんが言葉を飲み込む。
「似ていたから……だと思います」
「似ていた?」
「律華さんはお兄さんを喪って怨鬼になった。一華も鎮め巫女になったことでお兄さんを喪った。怨鬼となって村を滅ぼしたのは氷雨さんだったけど……でもだからこそ、守ろうとした」

「そう考えるのが妥当だ。それに律華は一華が鎮め巫女になった時には既に浄化を終えていたんじゃないか?」
立ち上がった一華には鬼角が生え、白い髪にどこまでも白い肌だった。

「だからこそ律華が同化した一華は鎮命山に登っても浄化の対象にはならなかった」
鳴砂の考えならば納得がいく。もし浄化が終わっていなければその対象になるはずだ。
雌峰村では穢れを纏ったが、それも同じような境遇の魂を救うため。

「自身の浄化が終わっても、鎮め巫女は山神さまの生け贄だから終わらすことが出来ない。でもだからこそ律華さんは一華を守り続けた」
自身の穢れを背負ってくれた鎮め巫女たちのためのせめてもの償いに。お兄さんを失った一華のために。

一華は透明な涙をぽたぽたと落とす。

「……お前、バカなの?」
氷雨さんったら、いきなりそんなこと。

「兄さまは……そんな言葉遣いはしません」
一華がか細い声を震わせる。

「俺はお前の兄じゃない」
「兄さまは自分を『俺』だなんて言いません」
「俺はお前の兄にはなれない」
「あなたの中にはもう……兄さまはいないの?」
「いない」
「ああ……ああぁぁぁっ」
一華が泣き崩れる。

「……して」
え?

「ならせめて……その顔で、身体で……兄さまの身体で殺して」
ああ……だから律華さんは残り続けたのだ。本当ならば村が消えたその時に社は潰れ、役目を終え、成仏することだってできたのに。
一華を殺さないために、律華さんは残ったのだ。

「一華」
一華を抱き締める。

「雛……さま」
「嫌だよ!」
「……」
「一華がいなくなったら嫌だよ!私は……一華がいたからここまで来れたの!鎮命山でだって、一華が励ましてくれたから!一緒に登ってくれたから!どんなに辛くても、鳴砂に触れることすら出来なくても」
この力は呪いだ。穢れを浄化する力。だけどだからこそ、鳴砂が一番苦しい時に身体すら抱き締められない。……でも。

「いつも一華がいてくれるから、私は来年もその先も……登れるの。歩いていけるの」
「……」
「……生きていけるの」
「でも……でも私は……私はこんなんじゃ、生きられない。兄さまがいない……兄さまがいない世界でどうやって生きていけばいいの!?」
「私が……私が手を握るから。一華の手を引くから。一華がしてくれたように。一華が生きていけるように。私が……一緒にいるよ」
「雛さま……」
「だから、生きていこう。一緒に」
「ああ……あぁあっ」
いつの間にか、夜が明けていた。土砂に埋もれた村にはもう鳥居の影もない。

急いで駆け付けてくるお兄ちゃんたちの姿に、私たちは戻ってこれたことを知る。

山小屋に戻れば、山城跡から戻ってきた千里さんたちと合流する。一華は相変わらず泣いていたけれど、ご飯が出来上がる頃には涙も落ち着いていた。

「……おい」
「……氷雨さま?」
その時氷雨さんが一華に何かを手渡す。

「熱いぞ」
「え……?」
「結局食べもしなかったくせに何が思い出の味だ」
「……」
一華が恐る恐るそれを受け取り、中を開けてみれば。

「……焼き芋?」
氷雨さんったらいつの間に買っていたの!?

「お前の思い出なんだろう」
「……はい」
「なら、思い出にしろ。俺の中にはお前が求めていたものなんてないから」
「……」
そう言って去っていく氷雨さんの背中を一華は呆然と見つめる。

「……一華?」
「……バカ、ですわ」
「え?」
「あの方、大バカものですわ!」

「え、ちょっとどうしたの?」
一華の声に陸璃くん、お兄ちゃん、鳴砂もやって来る。

「はぁ……全くもう。あの頑固さ、誰に似たのかしら」
うーん……一華の頑固さは確実にお兄さんからの遺伝だと思うが。

「根本的な部分は変わってませんもの」
そう言うと一華はふうふうしながら焼き芋をむしゃむしゃと食べ始める。
「でも何か、そうかも」
お兄ちゃんを見て微笑む。

「そう言うものなのか……」
お兄ちゃんが頭をポリポリと掻く。でももしかしたら本当にそうなのかな?

ふと、氷雨さんが去っていった方向を見れば。

優しく微笑み、スッと消えていく律華さんの姿が見えた。そっか……役目を終えたから。

「……今までありがとう、律華さま」
一華がそう、ふんわりと笑んだ。

※※※

南部への旅路を終えた私たちは再び都に戻ってきた。氷雨さんは相変わらずなのだけど、一華はそれを楽しんでいるようにも見える。

やっぱり根本は優しいから……なのかな。

「雛」
「鳴砂?」
「一華も氷雨もすっかりいつも通りだな」
「うん。一華も元気、出たみたい」
「そのようだ。これなら来年の鎮命山だって乗り越えられるな」
「うん。一華も一緒だもの。だけどその……」
「ん?」
「みんながいるから前に進めるの。みんなの思いを背負って登るから見られる景色があるし、得られるものがある。色んな山登りを通じてそう思ったの」
「雛……」
「だからね、たとえ触れられなくても、抱き締められなくても。みんなの思いを背負ってくれる鳴砂を一番に抱き締めたい」
「……奇遇だな、俺もだ」
そう言うと鳴砂がふわりと抱擁する。幸せを享受しながら、私も鳴砂の背に腕を回すのだ。



【完】