――――都に帰ってきて暫くした頃だった。鳴砂に呼ばれ居間に落ち着けば。
「北部の忌み鬼、遠塚三雲さんから手紙が来たんだ」
「北部の……?」
鎮命山に登った時は直接お会いしてはいないはずだけど、先に登っていらっしゃったはずだ。
「そう。北部の登山に同行しないかとな。登る予定なのはここ……遥かな山脈」
鳴砂が地図を広げて指を指す。
「その……山脈?」
「そう。あそこは幾つもの山々が連なり、その山あいに村々がある。俺たちが行くのは1泊2日の登山行程となる巫女岳雌峰村」
「1泊って言うのは山でってこと?」
「ああ。山小屋で1泊して辿り着く。行程はかなりきついが……来てみるか?」
「……!」
山で泊まること自体は初めてではないものの、今回の山登りは鎮命山のように慣らしながら行くのではなくそもそもの行程で1泊しないと行けないのだろう。
「行く!私も鳴砂と行きたいから」
「うん、そう言ってくれると思っていた。北部の山々はこちらとはまた違った景色を見られるんだ。俺も雛に早く見せてやりたい」
「私も楽しみ!」
今度の登山ではどんな景色が待っているのだろうか。
「そうと決まれば、紅鳶たちいつもの面子と……忌面衆を中心に同行者を募るか。紅鳶、一華」
「うん、希望を聞いてくるよ」
「はい、わたくしも」
2人が早速手分けして向かう。
「ぼくも行きたかったのになぁ」
「陸璃くん?」
泊まり自体は陸璃くんも経験しているのだが。
「今回の登山は渡渉を含むから、原則成人のみだ」
つまり私を含めた18歳以上。
「だけど渡渉って……?」
「沢を歩いて渡るんだ。地図のここ」
鳴砂が指差した山の地図には渓流や沢の印がある。
「ここを越える時に軽すぎたり小さすぎたりするとそれだけで不利になる」
「もうそんな子どもでもないのに」
陸璃くんが頬を膨らませる。
「もう少し大きくなったら連れてってやるから」
「分かったよ」
鳴砂がぽふぽふと頭を撫でれば陸璃くんは渋々納得したようだ。
「鳴砂、人数集めてきた」
「私たちの人数と合わせて……15人ですわね」
お兄ちゃんと一華が戻ってきた。
「よし、向こうでは20人分装備を用意してくれているそうだから足りるな。だが沢足袋は持参だから各自用意だな。一華、雛の分を用意してくれ」
「はい、ただいま」
暫くすると一華が足袋の形の履き物を持ってきてくれた。
「この足袋の底面って……」
「ああ。これは沢を渡るためのものだ。沢底の滑りにも強い羊毛を使っている。最近の言葉で言えば……ふぇると、だな」
「ふぇると……」
こんなに直に触るのは初めてだ。普段の登山靴ともまるで違う装いに驚きながらも幾つか大きさを合わせてみてちょうどよいものを持っていくことになった。
「ああ……あと、三雲さんからお土産の催促が……何々?『ちょこれいと買ってきて』……?」
「ちょこれいとって……」
美百合が前に薙斗に買ってもらったと自慢していたお菓子である。
「仕方がない。行動食のついでに買ってくるか。雛、陸璃もおいで」
「うん、鳴砂」
「ぼくもいいの?」
「連れてってやれない詫びだよ。お前はちょこれいといいのか?」
「いいや、いる!」
「言うと思った」
鳴砂がカラカラと笑う。これも鳴砂なりの気遣いなんだよね。何だか微笑ましくなってしまう。
※※※
――――side:薙斗
鬼目家での謹慎を終えた薙斗は急ぎ向かっていた。
そこは日中は閑散としているものの、見世はかろうじて茶屋だけは開けている状態である。
その中の高級見世に向かった薙斗は店主の案内で奥座敷に通されていた。
「美百合!」
その名を呼べば奥から眠たげな声が響いてくる。
「何よぉ……昨晩も客をとって眠いって言うのに……」
「美百合!」
しかし再度の呼び掛けにのっそり顔を出した美百合は目を見開く。
「薙斗さま!?何でここに……」
「それはこっちの台詞だ!お前ここがどんな場所だか知っているのか!」
「どんな場所だって……殿方と寝るだけでお金がたーっくさん入って、たーっくさん贅沢できる素敵な場所じゃない!」
「俺の花嫁でありながら、他の男と……っ」
薙斗は怒りに拳を震わせる。
「だから何?薙斗さまが鬼目のお屋敷に住まわせてくれないから、私はこうして自力でお金を稼いで贅沢をしていたのよ!その何が悪いの?」
「何がって……」
「全ては何も与えてくれない薙斗さまが悪いんじゃない!」
「だったら与えてやる!来い」
薙斗が美百合の手首を引っ張る。
「ちょ……っ、私の稼いだお金、衣に宝石!それに寝巻きだし……っ」
美百合は抵抗するのだが、店主は美百合を厄介者のようにねめつける。
「鬼の宗家の花嫁だと!?そんなものうちで商品に出したらうちが潰されちまう!とっとと連れていってくれ!」
「言われなくても!」
薙斗は強引に美百合を引っ張っていく。
「ああんっ、薙斗さまぁっ!」
「ここだ」
薙斗は下町の長屋の一郭にに美百合を押し込む。
「な、なんなのよ、ここ!狭いし汚い!」
「我慢してくれ。俺の謹慎は解けたがまだお前は鬼目家には入れない。だからここの長屋を借りた」
「嫌よ!私、見世に戻る!」
「俺の花嫁だと明らかになった以上、どこの見世もお前を受け入れない」
「な……ぁ、何てことしてくれたのよ!」
それはこちらの台詞だと薙斗が肩を落とす。
「必要なものならこちらで用意する」
「ならちょこれいとが食べたいわ!」
「……ちょこれいと?」
「今夜太客が買ってきてくれるはずだったのに!だから目一杯のちょこれいと!じゃないと許さないから!」
「……分かった」
薙斗は渋々頷く。
やっと見付け出した花嫁。花嫁が再び自分の元に戻って来てくれるように。
※※※
――――side:雛
街の市場で行動食を買い足しつつも、私たちは一際大きな建物を訪れる。
「いわゆる百貨店ってやつだ」
「初めて来た」
「人が多いだろう?ちょこれいとはここで売ってるからな」
「うん!」
中ではどんなちょこれいとが待っているのだろうか。
売場を訪れれば、独特のいい匂いがしてくる。
「前に母さまが分けてくれたちょこれいとの匂い!」
陸璃くんがウキウキしている。
「そうだなぁ。ついでに母さんの分も買ってくか」
鳴砂が苦笑しつつもちょこれいとを選ぶ。
「土産用はこのでかいのにしとこう。北部は遠塚に仕える女鬼も多いから」
あれ……?女鬼は少ないはずなのに……多いの?
「母さんにはこれと……雛、陸璃。それから一華。好きなの選んでいいぞ」
「好きなもの……」
「ぼくは甘いのがいいなぁ」
「まぁ、わたくしも?嬉しいですわ」
3人でおのおのちょこれいとを選べば、鳴砂が会計を……と言う時だった。
「だからここのちょこれいとを買い占めると言っている!」
この声って確か……。
「お客さま、困ります。他のお客さまの分が……」
「俺は鬼の宗家の跡取りだぞ!」
「それは……その……」
薙斗が店員に強引に迫っていた。
「おい。てめぇは鬼目家の面汚しか」
鳴砂の声に薙斗がハッとしてこちらを振り向く。
「氷雨、コイツを百貨店の外に放り出せ」
「了解」
氷雨さんが薙斗を乱暴に外に引きずっていく。
「おいやめろ、俺は……っ」
「お前が何?俺は鳴砂以外はどうでもいいんでね」
「う……っ」
薙斗が氷雨さんの迫力に押し負ける。
「さて、百貨店側も遠慮はいらない。こちらから頭領に話を通しておく」
「いつもありがとうございます、鬼塚の坊っちゃん。大奥さまによろしくお伝えください」
百貨店の責任者がやって来て丁寧に礼を述べる。
「ま、母さんのお気に入りでもあるからな」
鳴砂はこくんと頷き、店員たちがさくっと会計と包装を済ませれば、お兄ちゃんと戻ってきた氷雨さんがサッと荷物を持ってくれる。
「氷雨、薙斗は?」
「あの腰抜けなら逃げ帰ったよ」
「ん、上出来」
鳴砂がケラケラと笑う。しかし薙斗はどうして買い占めなどしようとしていたのだろう?もしかして美百合の我が儘だろうか。

