――――お兄ちゃんを喪った次の年、12歳の私はひとりで鬼鳴村に招かれた。
「お前は俺のものになるんだ!」
ズカズカと向かってきた保成が無理矢理私の手首を掴む。
「や、やめ……っ」
「うるさい!ようやっと邪魔な譲がいなくなったんだ!」
もう、守ってくれるお兄ちゃんはいないから。私は……。
「大人しく来い!」
何を……されるの?女としての本能が危険だと告げている。だけど……きつく握られた手を振り払うことはできない。
「やめて!」
その時私を押し倒すように飛び付いてきた影に保成が驚いて手を放したのが分かった。
強く抱き締められたまま、地面に倒れた。
「くそ……!どけっ!この女!」
保成が激しく蹴っているのが彼女ごしにも伝わってくる。
「この俺は宗家だぞ!分家の嫁ごときが!」
それでも彼女は……万智叔母さまは私を放すことはなかった。
その後騒ぎを聞き付けた叔父さまが来てくれて、保成を追い払ってくれた。
――――あの時、万智叔母さまが必死で抱き締めてくれなかったら、私は……。
だから。
「……っ」
蹴られても、髪を引っ張られても、絶対に桔梗ちゃんを放さない!
「くそ……っ!どけ……このっ!」
保成が破れる着物に構わず力を加えてくる。
「やめろぉっ!」
その時陸璃くんの声と共にぶすりと何かが突き刺さる音がする。
「ぎゃぁぁぁっ!!?」
保成が後ずさるのが分かった。
陸璃くんの手には……小柄!
「くそ……っ、何をす……っ」
「陸璃くん!」
保成が陸璃くんの小柄を奪い取ろうとした……その時。
「てめぇ、ざけんなぁ――――っ!!!」
「げふっ」
保成が飛び蹴りで思いっきり突き飛ばされたのだ。
「大丈夫か!」
「鳴砂!私は大丈夫!」
しかし私の破れた着物を見て鳴砂が瞬時に羽織を被せてくれる。
「陸璃は大丈夫か」
「う……うん、なず兄」
「く……そ、お前ら……っ」
苦し気に身体を起こそうとする保成に刀を突き付けたのは紅鳶さんだ。
「お前には……吐き気をもよおすほど怒りを覚える」
「ひ……っ」
やがて万智叔母さまと叔父さまが駆け付けてくる。
「桔梗は……っ、雛ちゃん!?」
叔母さまも私の破れた着物を見て息を呑む。
「私は大丈夫です。それより桔梗ちゃんを」
「わあぁぁぁん」
両親が来たことで緊張の糸がほどけたのかわぁっと泣き出してしまい、万智叔母さまが優しく抱き締める。
「雛」
「大丈夫、鳴砂。私も万智叔母さまの腕で守ってもらったから。だから……これは恩返し」
「まさかあの男……」
鳴砂が保成をキッと睨み付ける。
「前にも……無理矢理。でもまさかこんなに幼い桔梗ちゃんにまで……」
「クズ野郎だな。もう村の中で処理する粋を超えている。これはさずりと連携しないと……」
と、鳴砂が言いかけた時、一華が呼びに来る。
「まぁ。母子揃って最低ですわね」
「待て、母子揃ってとは……?」
鳴砂の問いに一華が玄関の方を示す。
「今、氷雨さまが容赦なく締め上げてますわ」
「……見に行こうか」
保成を縄に繋ぎながら玄関へ向かえば縄で締め上げられている絹子伯母さまと刀を突き付けている氷雨さんがいた。
「氷雨、どう言うことだ?」
「この女が俺たちの靴を盗もうとしたんだよ」
「い……いいじゃない!あんたたちは都でいい暮らしをしているんだから!」
絹子伯母さまが吠える。
「そうやって私たちのものを取ってしまうから、私たちは粗末な装備で来るしかなかったの」
「ひどい話だな。そもそも俺たちが都から来たからってものを盗んでいい理由にはならないだろ!」
その通りだ。本当ならば万智叔母さまや桔梗ちゃんにも靴や衣を送ってあげたいが、絹子伯母さまが何でも盗ってしまうから出来なかったのだ。
そうやってこの伯母は村のみんなからもちょっといいものがあれば祭主の妻を理由に何でも盗ってしまう。
「これは母子揃って牢送りだろ」
「私は祭主の妻よ!」
「お……俺だって祭主の息子で……」
「黙れ!お前らは立派な盗っ人と性犯罪者だバカヤロウ!」
「せ……せい……」
保成は鳴砂の言葉に口をパクパクさせるが、やったことは鳴砂の言う通りである。
やがてさずりさまが村長たちと駆け付けてくれた。
「この母子は東部駐留の憲兵たちが来るまで頑丈な納屋に幽閉します。鍵は私が管理します。いいですね、村長」
「は……はい、しかし保一がどう言うか……」
「今確認してもらったんだが」
叔父さまが村人たちと戻ってくる。
「どうにも兄さんがどこにもいない。もしかしたら先に山に登っているのかもしれない」
「もう暗いぞ」
鳴砂の言う通りだ。
「ええ……でもそうとしか。まああそこにも山小屋はあるので寝ることはできますし」
私も休ませてもらったことがあるし、叔父さまも準備のために泊まらされたのだっけ。
何だか腑に落ちない感じはすれど、ひとまず私たちは明日に備えて夕食をとり、就寝することになった。
「雛」
その折、廊下で鳴砂に呼ばれる。今回は女性の寝室と男性の寝室で分けたから別々の部屋なのだ。
「どうしたの?」
「……紅鳶のことだ」
「紅鳶さん?」
「村の連中の反応だよ。ほとんどのやつらが『譲』と呼んで脅えた。保成も最後は譲、譲と呟きながら脅えていたろう」
「うん。お兄ちゃんにそっくりだから」
「本当にそっくりなだけか?」
「え……っ」
「俺もこう言う立場だ。怨鬼たちは記憶を失うが魂に刻まれた大切な存在だけは探し当ててやりたいと思ってしまう。だから怨鬼がいかにしてそうなったのかある程度の記録は残す」
「……紅鳶さんの場合は」
「都近辺の梔山で保護した。場所的には可能性はあるだろう」
「だけどお兄ちゃんは事故で……」
「なら何故遺体がない。骨すらない。遺品すらないんだ」
「……」
「もしも怨鬼として蘇ったのならなくて当然だ」
「だけど怨鬼になる条件は……」
「柊木家当主は本当に真実を告げたのか」
「それは……」
「譲の死で一番得したのは誰だ」
「水面を……異母弟を跡取りにしたかったお父さまと継母」
「……本当に事故だったのか」
「違う……?」
「そうかもしれない。祭が終わったら確かめてみたいことがある」
「確かめる?」
「土地の権利書だ。雛はそれを誰に託すかもう決めているんだろう?」
「うん。でも奪われてしまわないかどうか」
絹子伯母さまたちは憲兵に捕まるとしても伯父さまは……?
「全ては明日、封印を確かめてからだな」
「うん」
「引き留めて悪かった。今夜はゆっくり休んでくれ」
「分かった」
お兄ちゃん……もし本当に紅鳶さんがお兄ちゃんだとしたらどうして怨鬼となったのか。
それほどまでにひどいことをされたのか。ひどいことをする存在なんて決まっている。
それを思うと涙が込み上げてくる。だけど今はこらえなきゃ。部屋で待つ一華たちを心配させてしまう。
お兄ちゃんと紅鳶さんのことは気になるけど……まずは明日の山登りに備えないと。
※※※
――――翌朝、早朝
私たちは村人たちよりも早く出発の準備を進める。
「ききょうもいく!」
「桔梗はお母さんと待っていてもいいのよ?」
万智叔母さまは告げるのだが。
「いく!おいてかれるの、いや!」
みんなと一緒に行きたいのだ。その気持ちは私も分かる。
「まぁ朝も早いし子連れでもな」
鳴砂が頷く。
私たちはさずりさまたちと合流し、桔梗ちゃんを連れ叔母さま叔父さまと山登りを始めることになった。
「ゆっくり、ゆっくりな」
「うん!」
「緩やかな傾斜だが、山をみた限り登る高さはそれなりだ」
「確かその、五合目からでも景色がきれいなの」
「俺も何となく覚えてる」
「まぁ、2人の思い出の山なのね」
さずりさまが微笑ましげに頷く。
「今年からはさずりさまとの思い出にもなります」
「ええ。思い出が増えるのは嬉しいものね。忌面衆にとっても、忌み明けの鬼たちにとっても」
そっか……記憶のない彼らにとっては大切な記憶になるのだ。
「紅鳶さんや氷雨さんにとっても」
「……えっ」
紅鳶さんが驚いたように顔を上げる。考え事をしていたのだろうか?
「行動食、食べます?」
「うん、もらうよ」
手渡した飴はかつてお兄ちゃんにもらった時のことを思い出してしまう。本当に他人の空似なのか……か。
「つかれたぁ……」
あれ、後ろでは桔梗ちゃんの声が響いてくる。
「だからお家で待っていることも言ったのに」
万智叔母さまが戸惑っていれば氷雨さんが片腕で桔梗ちゃんを抱き上げる。
「ほら、これでいい」
「うん!」
どうしてか桔梗ちゃんが嬉しそうである。
「氷雨さまにしてはお優しいのね」
一華がふふっと笑う。
「後ろでわんわん泣かれながらついてこられるよりましだ」
と言いつつもあまり揺らさないように抱えて登ってくれるのは優しさだろう。
「ほら、2人も食べる?きゃらめる」
陸璃くんが氷雨さんと桔梗ちゃんにきゃらめるを伸ばせば、氷雨さんが受け取り桔梗ちゃんの口にあーんし、自分も口に放り込む。
「あまぁい!おいしい!」
桔梗ちゃんは大感激のようだ。
微笑ましい様子を見ながら登っていれば、後から村人たちが追い付いてくる。
そろそろ五合目である。
儀式の場を目指していた……その時、山がガクンと揺れる。
「見ろ!」
鳴砂が指差したその先。山の上部から禍々しい光が立ち上がる。
「子どもや村人たちはここで待っていてくれ!」
鳴砂が告げれば、氷雨さんが桔梗ちゃんを万智叔母さまに託し、私たちは叔父さまの案内で儀式の場へと急いだ。

