忌み鬼に嫁いで山に登ります



先程まで嘲笑していた鬼たちが一切の口を封じ道を開けていく。

周囲の人間たちはこそこそと囁き合う。

『忌み鬼は不吉な鬼。触れれば穢れ、人間ではいられなくなる』と。

目の前の彼が忌み鬼だと分かるのは目元を隠す黒い面布に朱で書かれたまじないの文字。いわゆる忌面(きめん)と呼ばれるものだ。

そして忌み鬼は……彼はどうしてか、そっと手を差し出してきた。紫色に蠢く何かを宿した手で。

※※※

――――数刻前。

鬼と人間が共存するこの都に暮らす私、柊木(ひいらぎ)(ひな)は居間に呼ばれていた。

目の前には当主である父・源蔵(げんぞう)。元愛人で後妻の地位に収まった継母の真幸(まゆき)

「お前の縁談が決まった」
父親が口を開く。
私も明日18歳になる。ようやっとこの家から出られる。

「ふん……役立たずの(ゆずり)が死んでようやっとお前ともおさらばできるわけだ」
唯一の家族だったお兄ちゃんをそんな風に言うなんて。

「元々は先代当主が鬼鳴村の借金の担保に押し付けてきた婚姻。あの女との縁もおさらばだな」
お母さまは鬼鳴村の先代村長が嫁がせてこちらに来たと聞いた。

家と家の縁談では断れなかった。後妻との愛を引き裂いた私たちを相当憎んでいたのだろう。

「さらには鬼に嫁ぐのなら結納金も弾むはずだ!」
そしてしまいには金儲けのことしか考えていない。

「しかも忌み鬼ですって。ブス顔のあんたにはお似合いね」
継母がせせら笑う。確かに薄藍色の髪に瞳、平凡な顔立ちだが。

「うちの美百合(みゆり)は美しく鬼の宗家……頭領の跡継ぎに嫁ぐことが決まっていると言うのに。無様だわ」
美百合は一歳年下の異母妹。私の母が存命だった頃から父親と浮気をして産んだ娘だ。

「だがこれでようやっとおさらばだ。あの生け簀かない女の産んだ子どもがいなくなる!」
父の妻の座をを望んでいた後妻としてはよほど憎かったのだろう。

「それに結納金がたんまり手に入るぞ!はっはっはっはっはっ!」
父親は上機嫌だ。だからなんだと言うのだ。もうあなたたちに求めるものは何もない。私にはお兄ちゃんに愛されたと言う記憶があればそれでいい。どんなに……寂しくとも。
もう私を呼んでくれなくとも。

「迎えは明日だそうだ。それまでは家の仕事をしろ!ほら、とっとと行け!」
「……はい」
夕飯の買い出しに行かなくては。
廊下を歩いていればコツンと頭に石を投げられる。

「ここはぼくの家だぞ!お前なんてとっとと出ていけ!」
振り返ればお兄ちゃんの後に嫡男の座に収まった水面の姿がある。まだ6歳だが、だからこそ善悪の区別もつかないのか。
「……はぁ……」
思わず溜め息が出る。
両親にまるで似ないというのに、父親は継母との間に男を授かれて有頂天になった。
それ以来甘やかされて育てられればこれである。

「……」
無視してとっとと行こう。玄関を手早く出れば、玄関の向こうで癇癪を起こす声が響いてくる。

「……バカらしい」
とっとと買い物を済ませて帰ろうと市に向かえば会いたくない顔と出くわす。

「きゃぁっ、こんなところに何の用よ、ブス」
そう告げたのは亜麻色の髪に瞳の美少女。名を美百合と言う。

「まさか私の美百合に危害を加えに来たのか」
美百合を抱き寄せながら淡い金髪に赤い瞳、金色の角の鬼が叫ぶ。鬼目(おにめ)薙斗(なぎと)。美百合の許嫁だ。

「……」
ひどい言いがかりだ。しかしここで言い返しても美百合が喚き散らすだけ。

「おい、何とか言ったらどうなんだ、この醜女!」
薙斗が突き飛ばしてくる。

「薙斗さまぁ、恐いわぁ。雛はいつもこうなの。私のものを欲しがって」
欲しがったことなどあろうか。
「私のも欲しいものを奪っていくの」
それはお兄ちゃんのことだろうか。他の何を美百合に取られても耐えられるが、お兄ちゃんだけは一生渡すものか。
「ねぇ、薙斗さまぁ」
美百合が甘えるように薙斗にすがり付く。またあることないことを薙斗に告げ口して悲劇のお姫さまを演じているのだろう。

「大丈夫だぞ、美百合。美百合は私が守ろう」
鬼の社会的地位は絶大だ。未だに為政者が人間であることが不思議なくらい。

「私は鬼の宗家の嫡男だぞ!」
「まぁすてき、薙斗さま!」
鬼は裏からこの国の政治すら握っている。その宗家となればなおのこと。

しかしながらそんな鬼にも弱点がある。それは女鬼が少なく人間の花嫁を迎えねば繁殖できないと言う点だ。

さらに厄介なことに鬼は花嫁を溺愛したがるのだ。

「美百合は私の花嫁だ。私の花嫁を虐げるお前には相応の罰を与える!」
周囲の鬼たちが宗家の嫡男に罰を与えられる人間の娘を嘲笑する。
人間たちは哀れや哀れと囁くだけで知らん顔をする。

「さぁ、覚悟を……」
薙斗が腰の刀に手を伸ばす。

何をする気……!?
尻餅をついたまま思わず後ずさる。

――――しかしその時だった。

先程まで嘲笑していた鬼たちが一切の口を封じ道を開けていく。

周囲の人間たちはこそこそと囁き合う。

『忌み鬼は不吉な鬼。触れれば穢れ、人間ではいられなくなる』と。

目の前の鬼は黒ずくめの袴姿にどこか見慣れない外套を身に付ける。
しかし彼が忌み鬼だと分かるのは目元を隠す黒い面布に朱で書かれたまじないの文字。いわゆる忌面(きめん)と呼ばれるものだ。

そして忌み鬼は……彼はどうしてか、そっと手を差し出してきた。紫色に蠢く何かを宿した手で。

「……」
どうして?
私が暫く呆然と見上げていれば彼はスッと手を引いてしまう。

その時咄嗟に感じたのだ。あの手を逃してはダメだと。

「待って!」
必死に彼の手にしがみつけば光が溢れる。気が付けば彼の手にあの紫の蠢くものはない。きれいな手だ。

そして呆然としていれば私たちの前に2人の鬼が躍り出る。
「彼らは……?」
どちらも忌面を身に付け、薙斗に刀を突き付ける橙の髪に朱い角の青年。刀を腰に帯ながらも錫杖を持つ銀髪に黒い柊のようないびつな鬼角の青年。

「ひぃっ、何なのよ!薙斗さま、助けて!忌み鬼をやっつけて!」
美百合が叫ぶが薙斗は震えながら目を見開くだけだ。

「去れ。主の邪魔だ」
橙の髪の青年が冷たく言い放つ。

「い……行こう美百合!」
薙斗が強引に美百合の腕を引っ張る。

「そんな、薙斗さま!忌み鬼をやっつけてよ!ねえ、ねえってばぁっ!」
しかし薙斗は逃げるように美百合を引っ張っていってしまった。

呆然としていれば主と呼ばれた忌み鬼が力強く引き上げ私を立たせてくる。

「あ……ありがとう」
そう伝えれば主さんは口元にニッと笑みを浮かべ掌を頬に当ててくる。
温かい……こんなに温かい手はいつぶりだろうか。

「……」
主さんは無言で銀髪の青年に合図を送れば銀髪の青年が口を開く。

「あまり遅くならないうちに帰るんだよ」
「……っ」
主さんの言葉を代弁してくれたのだろうか。どうしてかその言葉の響きに懐かしさを覚えながら去っていく彼らの後ろ姿を見送った。

※※※

買い出しを済ませ夕飯の支度をしていれば、不快な声が響いてくる。

「私、聞いたのよ。雛。あんた、忌み鬼に嫁ぐんだってね!」
日中のことで不機嫌になっているかもと危惧したが、その縁談を聞いた美百合は満足げだった。

「もしかしてあの時の忌み鬼かしら?ああなんて穢らわしいのかしら!」
「……っ」
彼は穢らわしくなんてなかった。あの場で唯一手を差し伸べてくれた鬼。だからこそ彼に嫁げるのだとしたら私にとっては僥倖だ。

「何よ。何で何も言わないのよ」
「……夕食の支度中ですので」
「生意気よ!」
「きゃっ!」
美百合が突き飛ばしてくる。その反動で鍋に腕がぶつかり熱湯がかかる。
「……っ」
「あっははははっ!無様ね!」
美百合は満足したように去っていく。

火傷した場所が熱を帯びる。濡れぶきんを腕に当てながらもここに私のための薬などない。

その夜は火傷の痛みに耐えながら眠れぬ一夜を過ごした。

※※※

「雛、雛」
懐かしい声が呼ぶ。もう決して私を呼ぶことのない声が。

「奉公先でいただいたんだ」
「わぁ、かわいい飴!」
「最近流行っているんだって」
「んん……甘くて美味しい」
そんな私をお兄ちゃんは微笑ましそうに眺めながら優しく頭を撫でてくれる。

「雛はお兄ちゃんが守るから」
懐かしい……お兄ちゃんの声。

――――しかし。

そんな優しい夢幻も父親の怒鳴り声で掻き消える。

「いつまでボサッとしている!支度をしろ!そしてとっととこの家から出ていくんだ!」
「……」
私はどうせ、ここでは余所者なのだ。

時代遅れの着物に袖を通し、着物が擦れて熱く痛むのを我慢しながら玄関を出る。
見送りなど来るはずもない。

――――だけど。

「……」
相変わらず無言だが、昨日と同じ優しい手が差し伸べられる。
その手にそっと手を重ねれば昨日と同じように紫色の澱みが消えていく。

やはり、彼が迎えにきてくれたんだ。

ホッとしたのも束の間、彼の脇に控えていた銀髪の青年が私たちを覆うように庇う。
コロンと地面に転がったのは……石。

「出ていけ!忌み鬼と一緒に!」
水面が石を投げ付けてきたのだ。それを隣で見ていた美百合がニヤリと笑み大きめの石を手に取り振りかぶる。

「あんたなんてこうよ!忌み鬼ごといなくなれ!」
あんなもの当たったら銀髪の彼も……!しかし次の瞬間橙の髪の青年が素早く抜刀し石を一刀両断する。

「主に敵意を向けるのなら……女子どもだろうが殺す」
脅しではない、本物の殺気。さすがの水面も美百合もガクガクと膝が震えて尻餅をつく。
「わ……わたしは、薙斗さまの……花嫁で」
美百合は声を絞り出すが水面は口をパクパクさせるだけで声も出せないようだ。

「だから?」
本気でその場が凍り付く。

――――しかしその時、主さんが橙の髪の青年の袂をぐいと引き下がらせる。橙の髪の青年は渋々刀を納めてくれたようだが。

「その、主さん」
「主の名は鬼塚(おにつか)鳴砂(なずな)さまと申す。主のことは鳴砂さまと」
銀髪の青年が告げてくる。

「鳴砂さま」
そう呼べば鳴砂さまが昨日のように口元にニッと笑みを描いた。