死にたがりの僕を、君の手だけが離さない―都市伝説探索レポートー

学校の屋上へと続く階段。それはいたずらに段数が増えることがあるという。

その階段を上り切ってしまうと、そこは死霊の世界へと繋がっている。

死霊の世界から帰ってきたければ、死霊に見つかることなく出口を目指さなければならない。

狭い場所に隠れて、声を殺して、やり過ごして。

これはそんな異世界に大切な男の子と共に迷い込んでしまい、鼓動が鳴り止まなくなったとある霊感少年の話……。





『異世界行きの階段』




『……でさあ、今度どこ遊びに行く?』

自分の部屋で、瓦落くんと電話で話している時にそう聞かれ、思い切って言ってみた。

「えっとね、瓦落くんの学校行ってみたい!」

『はあー?』

「校舎とか、プールとか。普通の青春久しぶりに覗いてみたいっていうか、瓦落くんと同級生ごっこして遊んだら楽しそうだなー、なんて……」

僕なりの『生きる』を言葉にしたらこうなったんだけど。

「……」
「その、やっぱだめ?だよね?」

部屋の壁に貼ってあるお札を、かりかりと剥がす……。

『おまえってかわいいやつだなあ』
「!」
『良いよ』
「え。やったあー!」

小ジャンプしてしまっていた。

「いつ行く?」
『別に。今からでも良いけど』
「いつものとこで待ってて!じゃあね」
『あっ由』

僕はお札ばっかりの自分の部屋から、逃げるように飛び出した。





「そんなに楽しみか?」
「うん」

瓦落くんが苦笑するのにくっついていく。

「俺の高校遠いんだよなあ。まあ通ってないけど」

ちなみに今は放課後の時間。

皆が下校していく夕暮れの中、僕らはその流れに逆行して歩いて行く。

「あー瓦落!超久しぶりじゃん。ねー今日はカラオケ来てよ」
「またいつか」

瓦落くんは時折、派手な同級生っぽい子たちに話しかけられて、軽く話しては進んでいく。

「駿、おまえ遊びの誘い無視すんなよ」
「わり」

僕の知らない横顔だった。

「その子誰ー?」
「親戚。ちょっと似てるだろ」

無理な親戚設定がなんか嬉しかった。

やがて下駄箱へと着いた。

『瓦落』って雑にマッキーで書いたネームプレートが、夕日に照らされている。

教室とかはあっちなのかな。どうかな。ちょっと背伸びしてあっちこっち見渡す。

そんな僕を瓦落くんは上から下まで見下ろして苦笑した。

「なに?」
「いや。浮かれてんなあって思って」
「え」

瓦落くんはぽふ、と僕の頭に手を置いた。

「うちの学校に馴染みたかったら、そうだなあ……」

その手が滑り降りて、僕の着ていたシャツのボタンをひとつ開けた。二つ目も、三つ目も開けた!

「え、え?え!?」

心臓がバクバクだ。

「あとは……っと」

瓦落くんは次いで鞄からワックスを取り出すと、僕の頭をがさってセットした。

瓦落くんの大きな手の感触に何だかソワソワして、少しの間目を閉じた。

「ここに真面目なやつなんていないから。それくらいの方が良いんじゃね」

「う、うん」

そういうことね……!ああ、びっくりした。頬がじんじんと熱い。

校舎をあっちこっち眺めつつ、最初に来たのは瓦落くんの教室。

皆遊びに行きたいからなのか、誰も残っていなかった。

「お邪魔しま〜す」
「俺の席は多分ここ」

なんかワクワクしながら瓦落くんと隣り合って座ってみた。わー。こんな感じなんだ……!瓦落くんの金髪が夕日に少し透けている。

「どう?久々の学生気分は」
「楽しいよ」
「出た、めっちゃ良い笑顔」

瓦落くんは眩しそうに笑った。

「由真は大学とか行く系?」
「ううん」
「そっか。俺も。この先なんも決めてないからなあ。どうしよっか俺ら。なあ?」
「これから決めないとだね」

宙ぶらりんな僕らは、お互いが居場所になりつつあるのかもしれない。

そう思うと胸の奥にじわ、と甘い感情が滲んだ。

だけどその感情に名前をつけるのは、まだ少し怖かった。

「……あ、そうだ。次、屋上とか行ってみたい!」
「ああ、良いよ。こっからだとえーと……」

二人で教室を出た。

屋上へと歩いていく最中。

「なー、屋上に着いたら俺への告白でもあんの」
「ないよ。何言ってるの」
「つまんねーな」
「ハア〜?」

やばい、目が泳いでないかすごい心配。なんでこんなこと言うの?

「だって屋上ってそのための場所だろ」
「お昼ご飯とか食べる場所でしょうよ」
「中学生かよ」
「なに。瓦落くんはそんな楽しいイベントあったの?」
「あったよ」
「……!」

つい歩みを止めてしまった僕。

じっと見つめ合う僕ら。ポケットに両手を入れたまま、何も言わない瓦落くん。

「……そうなんだ」

瓦落くんの脇をすり抜けて、屋上へと続く階段をのぼっていく。

音の響く階段は、声も響いた。

「おぉい、待てよ由真ぁ」

僕は逃げるように階段を駆け上がった。


……本当は君にもう少し近づきたいよ。僕だって。

だけど、そんな。分からないんだ、一体どうしたら良いのか。

ドッドッと階段を登る音が妙に大きく耳に響いた。

ふと思い出す、今までの恐怖体験の中で瓦落くんに触れた思い出。

霊のおかげ、か。

心の中にぼや、と広がる仄暗い気持ち。

ドクンドクン、ドクンと心臓が鳴る。

少し擦りむけた心で、僕は『ガチャ』と屋上への扉を開いた。






「え……」

僕は目の前に広がる光景を見て、呆然と立ち尽くした。

「おいそんな拗ねるなって。どうした由、真……」

状況を理解した瓦落くんも混乱していた。

無理もない。

目の前は夜で、一階にあるはずのプールが広がっていたから。

夜の蛍光灯にきらきらと照らされる水面が、僕らを嘲笑っているようにも見えた。

「何これ……?あっ」

突如バターン!!!とすごい音で扉が後ろで閉まった。ハッとして慌てて振り返る。

今来たドアは消えていた。

代わりに普通の鉄製のプールサイドのドアがある。

そして注意書きが貼られていた。

『夜の校則 死の四箇条

一、誰も絶対に攻撃しないこと。破ったら即死。
二、屋上の扉から絶対に帰ること。破ったら即死。
三、来た道を絶対に戻らないこと。破ったら即死。
四、××××××××に見つからないこと。破ったら即死。』

四箇条目は擦り切れてよく見えない。

「な、何これ……」
「即死って……ふざけんなよ!」
「シッ」

僕は慌てて瓦落くんの口を押さえた。嫌な気配がしたんだ。

「こっち来て……」

そしてできる限りの小さな声で瓦落くんをプールサイドの端っこの方に導いた。そして、できる限り小さく一緒に身を潜めた 。

「……あれ見て……」
「……っ!」

プール中央の水面がちゃぷ、ちゃぷと揺れ出したんだ。風はないし、誰もいないはずなのに。

ざわざわと肌にまとわりつくような不快感。明らかな霊の気配だ。ぞくり、ぞくりとそれはせり上がってくる。

……この夜の校舎、たぶん霊だらけだ。

攻撃してはいけないっていったって……。ポケットのお札を握りしめた。

瓦落くんと身を寄せ合ってプールを見守る。

ちゃぷ、ちゃぷ、ちゃぷ……という音は大きくなる。そしてプールの向こう側へと移動していく。

まるで中で誰かが泳いでいるみたいに。

その時、ガサっと音がした。向こうのプールサイドに猫が迷い込んできたんだ。

「ブミャア!!!」

それは一瞬の出来事だった。

不気味な白い何かが、プールの中から一瞬伸びて猫を掴もうとした。だけど猫が一瞬早く逃げて行った。

『チッ……』

不快そうな何者かの舌打ちがその場に響いた。

瓦落くんが僕を庇うみたいにぎゅっと抱きしめた。

あれに引きず込まれたら助かる気がしない。お札貼って逃げるしかない。でもそうしたらこの校舎の絶対の掟・即死が待っている。

どうしよう、やばい、逃げなきゃ!

向こう側にあるプールサイドのもう一個の金網のドアから逃げるしかない。

僕らは目を合わせて頷いた。

細心の注意を払ってそろりそろりと移動する。

だけど僕が、慎重に金網のドアを開けようとした時 。

『キ』と少し音が鳴ってしまったんだ!

「!」

瓦落くんは迷わず自分のスマホを力強くプールに投げ込んだ。

ピラニアの如く蠢く水面。合間に見える白い手の数々。

――行こう 。

瓦落くんに促されてそこから逃げ出した。

校庭の隅っこで。

「はあ……はあ……瓦落くん、ごめんね、本当ごめん」
「ゲッホゲホ、はあっ、スマホは全然、大丈夫……それよりさ」

暗がりの中で、僕の頬に触れた。温もりが優しくてドキッとした。

「大丈夫、お前」
「え……」
「さっきからずっと震えてる」
「え……そう?」

瓦落くんは何度も頷いた。

「霊力で戦えないもんな、ここ。由真が意外と普通で、なんか安心もした。はは……」

「う……」

なんか恥ずかしかった。お札使えなければ弱い子なのが……。

「まあ、頑張ってここから逃げよう。な。俺が案内するから」

「う、うん……」

その時。

ふと、きゃははと笑い合う女の子たちの声が風に乗って聞こえてきた。

でもこれ、割と既にすぐそこに来ている気がする。第四条はあれに『見つかるな』なのか?

ぞくりと肌が泡立つ。

瓦落くんは無言で僕の腕を掴むと、スッと歩き出した。

女の子たちのクスクス、キャッキャと忍び笑う声はずっとすぐ近くで聞こえている気がして、正直寒気が止まらなかった。

やがて学校の下駄箱についた。瓦落くんは丁寧に校舎入り口の重たいドアを閉めた。

どこまで意味があるかは分からないけれど、そうしたい気持ちはすごくわかった。

「……さて……」

電気の消えた暗い校舎は、火災報知器の赤いランプだけが煌々と廊下を照らしている。

長い長い廊下の奥には、誰か潜んでいる気がしてならない。

「流石に暗いよな。……あ、これ使うか」

たまたま廊下に据え付けられていた、非常用の懐中電灯を手に取った。

ほんの少し先を、明るく照らしてくれる。

「屋上に最短で行くには、この先、理科室前の階段を上ってまずは二階へ。

そこから渡り廊下を渡って新校舎へ行くんだ。

新校舎二階の奥、図書室すぐ近くの階段から登れば屋上に行ける」

僕は頷いた。

「由真。絶対に俺から離れるなよ。死ぬからな」
「うん。瓦落くんが一緒なら大丈夫」
「!……そっか」

瓦落くんが僕の手首を掴んで歩きだそうとした矢先。

『キャアーーッ!』という謎めいた女の悲鳴がどこかから聞こえてきた。二人息を飲み、どちらからともなくするりと自然に手を繋いだ。

歩き出す……。

できるだけ、懐中電灯が照らす先だけを見つめて歩いた。

僕は瓦落くんの指先がわずかに震えていることに気づいた。その震えは少しずつ大きくなる。

僕を不安にさせまいとして、瓦落くんは強がってくれてるんだよな……。

僕はその手を、ぎゅっと握った。そしたら同じ強さで握り返してくれて、僕の鼓動がまたひとつ鳴った。

暗闇の中では、どこに何が潜んでいるのか分からない。べったりと張り付くような視線をどこかから感じる気もする……。

理科室が見えてきたんだけど、扉が半分くらい開いている。いかにも何か出てきそうだ。

「行こう……」

瓦落くんは頭上でひそひそと囁いた。僕は頷いた。

だけど理科室前にある階段の上の方から、『スタン、スタン』と誰かが階段を降りてくる音が聞こえてきた。

結構早い。

やばい、どうしよう。隠れる場所なんて他に候補はなさそうだ。

迷っている間にも『スタン、スタン』という足音は早くなる。

僕らは誘い込まれるように、理科室へと身体を滑り込ませた。

外の灯りがぼうっと差し込むだけの薄暗い理科室。

「……!」

僕ら二人とも叫び出すのを頑張って我慢したと思う。

暗い部屋の中、ホルマリン漬けの容器が至るところに置いてある。普通こんなにないと思う。

それだけじゃない、ホルマリン漬けの中の生き物やちょっとした臓器は、少しずつぴくぴくと動いている。

まだ『生きてる』……?

僕は首を振った。叫び出してしまいそうだ!

一方で冷静な瓦落くんに促され、ひとつのテーブルの下の空きスペースに一緒に滑り込んだ。懐中電灯の灯りを消した。

それと同時に、ガラッ!と勢いよく理科室のドアが開いた。

『見回り中、見回り中。悪い居残りは、見つけ次第殺しまあす』

ドクン、ドクンと心臓が鳴る。

狭いスペース内でぎゅっと身を寄せ合う僕ら。肌が直接触れて、温もりをそのまま感じる。

ねっとりと歩くようにスリッパの音が近づいてくる。向こうが持ってる懐中電灯の灯りがサーチライトの如く、いたずらに辺りを照らす。

見つかったら死。見つかったら死。見つかったら死!

この温もりも失うんだ!


懐中電灯が間近を幸運にもギリギリ避けて通り過ぎる。出口へと帰っていくっぽくて安心しかけたのも束の間。

たまたまなのか理科室のホルマリン漬けの容器が落ちてきて割れたんだ!中に入っていたのは目玉。『見つけた』と言わんばかりにぎょろりとこっちを見つめている!

僕が悲鳴をあげるより一瞬早く瓦落くんが手で僕の口を塞いだ。

『……誰かいますねえ?』

戻ってきた。最悪だ!

瓦落くんが僕に目配せした。『付いてこい』ってことだ。

瓦落くんが本当にうまくタイミングを測り、見回り男の懐中電灯から逃れて、物陰から物陰へと移動を成功させていく。

そのまま滑るように、音を殺して僕らは理科室を出た。背後では『どこだ?どこだ?』という声。

チラと振り返ったら、僕らがいたあたりを、這いつくばって懐中電灯で床を舐めるように探している男の影が見えた。

そのまま階段を静かに登り、渡り廊下前まで僕らは走り抜けた。

「はあ……はあ……あの見回りが死の四箇条目か……」
「うん、そうっぽいね……」
「初見殺しも良いとこだろ。……はあ、あいつが厄介だ。多分また戻ってくる気がする。急ごう」
「うん……」

繋いだ手は、ぴったり握り合わせたまま。

「由真を傷つけさせないさ」

瓦落くんは僕の手の甲に、ほんの一瞬だけキスをした。

鼓動は増す。けど勇気をもらった。

そろりそろりと渡り廊下を歩き出す。

渡り廊下は、両脇にずっとガラス窓が続いているのだけど……。

「!!」

すぐ脇の窓にドッと窓ガラスに何かぶつかる音がした。見ればガラス窓の外側から赤い手形がべた、とついている。

手形から血がたら……と垂れたのを目の当たりにした。

また反対側でドッと音がした。同じように手形がつく。また反対側で、ともう認識する間もなく、ドッドッドッドドドドドッと大量にガラス窓全体に手形がついていく。

埋め尽くされていく。手形がつく音は、天井からも、床下から聞こえる。

悲鳴をあげる代わりに瓦落くんの大柄な体に抱きついた。お札も小刀も使えないのがこんなにも心細いものだなんて知らなかった。まだ瓦落くんと生きていたいと思えばこそ、怖かった。

「由真、由真。落ち着けって」

ぎゅっと抱きしめてくれた。この匂いは安心する。

「こわい」

僕はそもそも強くない。物理的にも、精神的にも。

「目を閉じてろ。俺についてくれば良いから」

瓦落くんの大きな手がそっと僕の瞼を撫で、閉じさせた。

それから瓦落くんは僕の肩を抱いて、ぴったり抱き寄せて少しずつ歩き出した。その間もドドドッという手形が張り付く音は聞こえ続けている。

ビクッと震えた僕の身体。

「なあ、由真……俺の声だけ聞いて」
「な、なあに?」

「ここ無事に出れたらさ、何する?」
「何って?」

そろそろと歩みを再開させる瓦落くん……。頑張ってついていく。

「俺はさ、一緒にカラオケとか行ってみたい」
「カラオケ……」
「あと海も。まだ由真と行ってないところがたくさんある」
「う、うん」
「来るよな?」
「ん、もちろん……あっ」

震える足で転んでしまった。床に手をついて這いつくばる体勢に。

「大丈夫か!」

床下からの手形の衝撃がすごい。直に伝わってくると『殺してやる』と言われているかのようだ。

自分の体の震えがやばい。どうしよう、まだ生きるって決めたはずなのに。

瓦落くんは僕に覆い被さるように耳元で言った。

「由真。大人になったら一緒に暮らすのって楽しそうじゃないか?」

「え……」

ドキンと鼓動が大きく跳ねた。起き上がって瞳を開けた。少し微笑んだ瓦落くんが目の前にいる。

「それか二人で店やってみるのはどう。楽しい計画立ててみないか」
「……ほ、ほんと……?」
「本当。だから今は生き残ろう。立てる?」

僕は瓦落くんの手を掴んで立ち上がった。

そのまま歩き、そして走り出す。

全力で駆け抜けた。

手形はもう、怖くなかった。

後から思い返すと、僕が恋にどっぷり落ちたのはこの時だったと思う。






「はあ……はあ……よく頑張った由真……」
「うっありがとうね本当……君のおかげ……」

きっと優しい嘘だったのだろうけど、心のお守りにできそうだった。

呼吸を整えて、僕らは再度歩き出した。

「次はこのまま図書室前まで。図書室の目の前に階段があるからそれを登っていけば良い。

ゴールはすぐそこだ。頑張ろうな」

頷いた。

懐中電灯が廊下を照らす。図書室はそう遠くないらしい。

良かった、このまま逃げ切れるかも。

そう思ったとき。

スタン……スタン……と聞き覚えのある音が聞こえてきた。後方からだ。

それはどんどん早くなる。このままでは追いつかれるかもしれない。

「くそ……図書室でやり過ごそう」

足早に図書室へと向かう。

図書室のドアにはデカデカと張り紙がしてあった。

『カップル イチャつき厳禁!大変下品、目に毒』と。邪魔だ。

僕らはドアを僅かに開けて中に滑り込んだ。中から鍵を閉める。

「由真、こっち……」

向こうの大きめのテーブル下に隠れようと思った矢先、ガガガッ!と入り口の扉が揺れる音がした。来た。

時間がない。僕らはそのまま、近くにあった本棚の奥へととりあえず身を潜ませた。でも隠れてるって言わないよこれ!

「見回り 見回り 居残りは殺しまあす」

鍵を壊してガラ……と入ってきた見回りの男。懐中電灯が周辺をサーチしている。

どうしよう、近づいてくる!もうすぐそこだ!

そんな時、瓦落くんがヒソヒソと言ってきた。

「……恋人同士のふりをすれば見逃されるかも」

あの張り紙が脳裏をよぎった。『いちゃつき 目に毒』なるほどそうか。

迷っている余裕はなかった。頷いた。

僕は瓦落くんに本棚に押し付けられた。ガタッと音の立つ本棚。

「ふ……っ」

瓦落くんに荒々しく首を吸われてビクッとした。音も立てるしで、それは人生で一番の鼓動だった。

「う……」

声が漏れた。チラ、と見たら本棚の奥で、見回り男の懐中電灯の動きは止まっている……。

「俺のこと好き?」
「!……す、き……」

瓦落くんはなおも音を立てて僕の首に悪戯をした。今度は反対の方。ざっくり開いたシャツでは、瓦落くんにされるがままだ。

僕はこっちのドキドキが理由で死ぬのかも……。ひ〜ん……!

「……下品 下品 見たくない 大変下品 あとで殺します 要反省 顔を洗って 襟を正して 待ってるように あとで殺しにきます」

見回りの男は、ブツブツと文句を言いながら、遠ざかっていく。

やがてガラ、と出ていく音が聞こえた。

はあ〜と気が抜けた。

「……俺だってこうなんだからな」

瓦落くんが僕の手で触れさせた心臓付近。僕以上の波打ちで、ちょっとびっくりした。

「さ、このまま逃げよう。あいつはまた来る」

そろ……と図書室のドアを開けて外の様子を窺う。見回り男の懐中電灯の灯りは少しだけ遠くをウロウロしている。

「……行くぞ」

瓦落くんは僕の手をしっかり握り、階段へと向かった。

音を殺して階段を駆け上がる。

「由真、今だ」
「う、うん!」

僕らはスピードを上げた。

やけに重たい屋上のドア。

男二人で全力で押して、少しずつ開くような重さだった。

隙間からビュウ……と強い風が吹き込んでくる。

見回り男が異変を察知したのか、スタン、スタンと足音を響かせてこっちに来る。

くそ、見つかる前に、早く!

「もう行こう由真!」

僕らはギリギリの隙間から体を押し込んだ。

二人離れないようにしっかり手を握りながら。






ハッと気づいたら、そこには来た時と同じ夕暮れの校舎。

窓から柔らかいオレンジの光が差していて、そこには通常通りの世界が広がっていた。

「あ……帰って、来れた……?良かった、帰って来れたよ!……あ、ご、ごめん」

僕は繋いでいた手を、ついパッと離してしまった。

「……」

何も言わずに僕をじっと見下ろす瓦落くん。

「……?……?」

明るい場で改めて瓦落くんを見て、さっきまでこの人にくっついていた自分を思い出した。

どうしよう恥ずかしい!でもこういう時なんて言えば良いのか一個も分からない。心臓の音が聞こえたらどうしよう。

つい半歩、一歩、二歩と後ずさってしまう。

「……由真」
「帰ろっか!ほら、あっち」

僕はそそくさと歩き出した。

顔が赤かったらどうしよう。全部夕陽のせいにしよう。わあー!

瓦落くんは遅れてついて来た。

「……なー、せめてどっか寄って帰ろうぜ」
「う、うん。サイゼの割引券あるよ」
「お、やるじゃん。長くいれる。……あ、てか俺のスマホ!ポケットに戻ってきてる!

すげえびしょ濡れ!あ、でも電源ついた!やったぜ由真!」


いつもよりちょっと遠い気がする、僕と瓦落くん。


異世界だったらあんなにくっつけたのに。

つまんない。なんで戻って来ちゃったんだろう!

僕はポケットのお札をくしゃり、と握りしめた。

「……」

だけど、そんな僕らの後ろ姿をじいっと見つめるひとつの影がいた。

ドアの隙間から熱心に、じっとりと。

異世界から余計なものを連れて帰ってきてしまったことを、その時の僕らはまだ知らない……。