死にたがりの僕を、君の手だけが離さない―都市伝説探索レポートー

こんな噂がある。

臨時放送で、突然人名一覧が流れることがある。

それはスタッフの名前などではない。

その日の犠牲者のリストである。

もしも大切な人の名前がそこに載った時、あなたはどうするだろうか。

その大切な人が抗うどころか、

『ほんとは死にたかったからちょうどいいや』

だなんて言い出した時には……。





『死の臨時放送』





「本当に大丈夫なのか由真」
「うん、もう平気だよ。あのあと二週間も家で寝てたからね」

身代わり人形の件が解決した後。

僕は意識を失い、また少し病院のベッドで寝た。そして目が覚め次第、お医者さんが止めるのを振り払って強引に退院した。

『家で寝てれば大丈夫だよ』
『じゃあ俺が面倒見にいく』
『いや本当大丈夫』

そんなやり取りをしたのも、少し前の話だ。

あのお化け屋敷みたいな僕の家に瓦落くんを連れてくるのは憚られたからだ。

家まで送るという申し出も再三お断りした。

そこからあったのは、瓦落くんから二週間、毎日電話がかかってくるというオンラインお見舞いだった。

『大丈夫か』ってひたすら聞いてくる。

金髪でガラの悪そうな見た目からは考えられない真面目ぶりだ。こんな風に僕のことを気にかけてくれる人、なかなかいない。

だから二週間経って本当に体調が持ち直した頃、僕の方から誘ってみたんだ。

『ね、良かったら今度、一緒にどこか遊びに行ってみない?その、気分転換にさ』って。




というわけで今、僕らはJRのホームにいる。

今回はぶらっと電車に乗って、ちょっと自然多めなところに行こうって話。

瓦落くんは、ただのお洒落なイケメンとして待ち合わせに現れたのであった。

「よお由真。なかなかの荷物だな」
「ああ、うんお札多めにね。今日行くところ、調べたらいわくつきっぽかったから……」
「げえっマジかよ……!」
あからさまに瓦落くんは顔を青ざめさせた。
ツッパリなのに怖いもの苦手なのがおもしろくて、僕はつい意地悪をしてしまう。

本当は、入ってるのはただの上着なんだけど。

「うん、なんか近くに祀られてない祠があるらしくて……瓦落くん気をつけてね……」

僕が口元に指先をやりながら神妙な顔をして言うと、瓦落くんは信じた。

「ううう……勘弁してくれよ……お札一個くれ」

仕方ないので一個あげた。瓦落くんは切実な顔でお札を抱くと、しっかりとポケットにしまった。

まあ持ち歩くお札を多めにしてみたのは事実だ。

実は、この身に引き受ける祟りを増せば増すほど、僕自身に死霊を呼び込む力が強くなるから。

電車のガラス窓に映る、僕と瓦落くん。

トンネルに入った時、僕の近くに苦しそうな顔の霊が見えた。

「!」
「どうした由真?」

電車はトンネルを抜ける。

「ううん、なんでもないよ」

良かった、気づかなかったみたい。

瓦落くんと一緒にいるのは楽しい。でもやっぱり生きる世界が違うことを、忘れてはいけない。




ガタンゴトンと一時間ほど電車に揺られて、僕らは目的の場所に着いた。

のどかな場所で、確かにこの空気自体が身体に良さそうだ。

「それにしても、河川敷をただ散歩したいだけって欲がねえな〜お前は」
「そう?天気良くて気持ち良いじゃない?」

どこまでも青空が広がっている。死霊の世界なんか最初からどこにもない気がする。

「ね、今度キャッチボールとかする?」
「良いよ。ミット持ってる」
「やった」

少し弾むと、さっきコンビニで買った、コーラ二缶を入れたビニール袋が揺れた。

ふわ、と爽やかな風が吹いた。瓦落くんは眩しそうに目を細めている。

「なんか今日暑いね。僕もうコーラ飲んじゃおっと。……あーっ」

缶を開けたらシュワと泡が割とこぼれた。

「だからこぼすなって由真あ。ときどき不器用だな」
「ごめんごめん」

しゃがんで、僕のハンカチでズボンに垂れた分を拭いてくれたりした 。僕を見上げた瓦落くんが悪戯っぽく笑った。

「貸しな」
「けち」

くだらない会話が心地良かった。

それから近くにあったベンチに座った。河川敷のむこうできらきら光る川を見つめる。

「のどかで良いなあ……」
「じじいかよ」
「そうだよ」
「適当に返事しやがって」

プシ、と瓦落くんもコーラを開けた。ゴク、と一口飲んだ。

「うめえ」

近くを部活の練習中だろう子らが走っていく。

僕らとほぼ同じ年齢の。やや不思議そうに僕らをちらと見て走っていった。

「由真はなんで学校行かねえの?」
「え、なんでバレてるの」

「ど平日の昼間に俺と会えるやつなんか学校行ってねえよ」
「あそっか。んーまあ、僕は家が特殊だからね」

瓦落くんは、コト、とコーラの缶を置いた。

「どうせ『おつとめ』のせいなんだろ?その『おつとめ』ってさ、辞めれねえの?」

さっき向こうを走って行った子たちの元気なランニングの掛け声だけが聞こえる。

「……辞め……」
「辞めようぜ。もうズタズタになるな。こうやって俺と遊んでれば良い」

「……僕だって……」
「なあ、お前の親、何でそんなことお前にやらせてんの?毎回のように死にかけてんだぞ?」
「……」

少し見つめ合った。それから僕は目を背けた。本当、おっしゃる通り。

「まあ、ウチもヤバい家でよ。その辺は同じかもな……」

瓦落くんの声は、戸惑いつつも優しく寄り添ってくれる。

「……まあでも、由真に救われて助かる奴も実際いるだろうしな。俺とナホみたいに」

ふと目を閉じる。まぶたが柔らかい日差しで暖かい。

「でもさ。良かったら俺にも教えてくれよな、お前のこと。一人で消耗するな」
「……そう?」

これを言うのは少しどきどきする。だけど、瓦落くんになら言っても良い気がする。

「……おつとめは、彼岸家の男に生まれたからには逃げられない宿命なんだ。絶対に。

だからやってる。

でもね。本当のこと言うと、自分の人生早く終わりにしたいんだよね。楽になりたいっていうかさ。

霊に遭遇するって、僕にとっては死ぬチャンスでもあるんだ。……だから霊に困ってる人を探してる……」

「……由真。だから自分の命、投げやりだったんだな」
「そうとも言う……」

きゅ、と手のひらを握った。

「でも俺やナホを助けようとしてくれた気持ちは本物だったって、分かってるから」
「うん……ありがとう」

瓦落くんの低い声は耳に心地良かった。

このまま生きても辛いだけなのに。でも今の僕は、少しだけ立ち止まってしまってもいる。

それが良いことなのか悪いことなのか、分からないけれど。

「また誘うから。絶対来いよ。由真には青春が必要だ」
「……ふふ、まあそうだね」
「お互いに学校行ってないから味わえる青春もあるってことで」
「こういう散歩?」
「そう。俺たちは一緒に青春の外側を歩く。歩き続ける」
「そっか」
「おし、じゃあまたちょっと歩こうぜ」

そう言って僕を立ち上がらせた。

歩き出すと歩幅を緩めて、僕がついてきてるかを逐一確認した。瓦落くんは優しい。知れば知るほど。

ふと、風に乗ってブラスバンドの音が聞こえてきた。学校が近いんだろうな。

それに野球部の、カキンと空高くボールを打つ音が聞こえる。

僕と瓦落くんにはない青春の音を、今二人で共有していた。

瓦落くんは、一人じゃない暖かさをくれる。

僕はふと立ち止まった。

少し先を歩く瓦落くん。金髪で、少し毛先は跳ねている。頼もしい背中。風で黒のトップスが少しはためいている。

じわ、と自分の胸に滲む感情があった。

このまま行くと、本当に懐いてしまいそうだ。

友達として、兄貴分として。あるいはその先、名前のつけられない感情が芽生えそうで。

大切なものができるのは嬉しい。だけど怖くもあった。だって手放さなくてはいけない時が確実に来るから。

死ぬことだけ考えている方が、実はずっと楽なんじゃないか。

「どうした由真?」
「ううん、何でもない」

僕は少し駆けて追いついた。

『死』は僕にとって救済のはずだ。迷っちゃダメなんだきっと。

手のひらをギュッと握ったその時。

『こっちにおいで』

ふと、そんな声がどこかから聞こえた気がした。



『こっちにおいで』

呼び声は繰り返す……。

「由真?」
「……」

ふらふらと足が別方向へと向かって勝手に歩き出す。

『こっちだよ』

これはまさか死霊の声?分からない。だけどこの先、なにかものすごく悪いものが待ってる気がする。

なのにどうしても身体が言うことを聞かない。

「由真!おい由真」
「……」
「どうしちまったんだよ!」

瓦落くんがすごく心配そうにするのを、かわしながら歩いていく。僕の意思と関係なく。

夢うつつにふらふらとしばらく行った。どれくらい歩いたのかも分からない。

ハッと気付くと、目の前にお地蔵さんがたくさん立っていた。随分うら寂しい場所だ。

ドクン、と心臓が鳴った。

お地蔵さんは老若男女、様々な人の優しい声で僕に話しかけてきた。

『あなた苦しいんでしょう?』『本当は死にたいって言ってたわねえ』『こっちにおいで』『楽になりたいんだろう?』『叶えてあげよう』

それはつい心を許しそうになる安心感のある声だったのだけど。

「や、め……て……」
思わず後ずさった。

『君は親が守ってくれんもんなあ』『坊や随分、今まで頑張ったわねえ』

どうしてそれを?あなた達は誰?

『我慢しちゃいけないよ』『一人ぼっちにはしない』『わしらと一緒にいよう』

頭の中がそんな声で、お地蔵さん達の顔で埋め尽くされていく。

『辛いことがあったんだろう?』『逃げてもええ』『由真くん、こっちにおいで』

それは暖かい陽だまりのようで……。

『こっちだよ』
「あ……」

うっかり手を伸ばし、ふらりと歩きかけたその時。

「由真危ない!!!」
「!!!」

瓦落くんの必死な顔が目の前に現れて、びっくりした。僕の両肩をがっしりと掴んでいる。

「しっかりしろって!」
「あっ……え?」
「下見てみろ!」
「!!」

僕の目前には崖。下の方に川が流れている。お地蔵さん達など、どこにもいない。

「取り憑かれてんじゃないのか!?」
「え、あ……どうしてこんなことを!ごめん、分からないんだ。でも大丈夫、もう正気 」

じく、と胸の祟りが疼いた。やっぱり祟りの影響で、死霊を強く呼び寄せてしまったのか?

僕が死を願ったから、更に厄介なものを?

悪寒が止まらない。

「もう帰ろう」
「うん、そうしよう」

僕の腕を掴んで連れて行く瓦落くん。その温もりに少しホッとする。

だけどそんな去り際。

『ほな、君には特別な死の案内が必要みたいやなあ』



そんな声が頭の中に直接響く。

ぐにゃりと視界が、一瞬歪んだ気がした。

「やべ、目まいが……」
「あ、瓦落くんも?」
「お前も?ああ、暑かったからか?まあ良い。気をつけて帰ろうな」

そこから電車に乗った。僕らはつい眠ってしまった。ハッと起きたらいつもの渋谷駅だった。

人の波がおさまるのをしばらく待ち、降りようとしたその時。

ふいに頭上のラックから新聞が滑り落ちてきた。

「おっと。……!」

何気なく目に入った見出し。【死の臨時放送 本日の犠牲者】という欄。そこに僕の顔写真と共に『彼岸由真(十七)』と書いてある。

「え……!?」
「由真、降りよう!」
「あ、うん!」

ドキドキしながら降りた。

目の前の人混みの中で、金髪のあの後ろ姿に安心感を覚えた。

き、気のせいだよね?似てる名前の人だったのかも。

でも脳内にはっきり浮かぶのは『彼岸 由真』の文字。新聞に確かにそう書いてあったはず。

不安に思いながらも、駅の改札を出たとき。

外が暗くて驚いた。そんなに帰ってくるの遅かったっけ?

腕時計は二十時半を指している。え……そうだったっけ……え……?ぼんやりする、電車乗るより前のことが、何故かはっきり思い出せない……。

ぼんやりしてたら瓦落くんが話しかけてきた。

「由真、どっかで飯食ってこうぜ。お前を一人にするの、なんか心配だし」
「あ、ごめんね。瓦落くん」
「謝ってんじゃねえ、その分しっかり食えよな。それでどこ行く?」

僕は視線を彷徨わせる。
えーっと。

「あ、あそこのビルに牛丼屋さんあ……る……」

指差した先。僕は言葉を失った。

ビルの巨大電光掲示板。

『死の臨時放送 死の臨時放送 

本日の犠牲者 彼岸 由真。
本日の犠牲者 彼岸 由真。
本日の犠牲者 彼岸 由真。

本日の犠牲者 彼岸 由真。
本日の犠牲者 彼岸 由真。
本日の犠牲者 彼岸 由真。

本日の犠牲者 彼岸 由真。
本日の犠牲者 彼岸 由真。
本日の犠牲者 彼岸 由真。』

真っ黒な背景に真っ赤な文字。

映画の終わらないエンドロールのように、それが永久に流れていく。

「え、え……え……?」
「お、おい由真……何だありゃ……」

引き攣った瓦落くん。ざわつく周囲。

慌てて周囲を見渡す。

皆が僕を見ている。え、どうして僕が彼岸由真だと皆、知っているの?何?どうして?スマホを僕に向ける人もいる。明らかに僕だと思ってるよね皆?

皆が口々に言う。

『かわいそうねえ』『死ぬんやて』『せめて楽だといいねえ』

老若男女、様々な人の優しい声が聞こえる。なのにじわじわと追い詰めるような。どこかで聞いたような気がする声だ。でもどこで?分からない。

背筋を嫌な汗が流れた。

「何……」
「なんだよてめえら、こっち来んなよ!行こう由真」

ちょうど信号が青になったタイミングで、瓦落くんは僕の腕を引いてその場から走り去ってくれた。

路地裏にて。

「はあっ……はあ……」
「まじ何だったんだ、あれ?畜生」

額の汗を拭った。

「僕、やっぱり悪い死霊に取り憑かれてるんだ。姿は見えないけど。今、除霊のお札を」

そう思って鞄を漁った。

「な……!」

そうして唖然とした。

何枚も持っていたはずのお札が、全部真っ黒になって使えない状態になっている。それに霊力のある小刀まで、途中でバッキリ折れている。

「そんな、いつの間に!」

びっくりしすぎて鞄ごと落としてしまった。慌てて拾ってくれた瓦落くん。

「これ、どうなってんだよ!」

「僕だって分からない!それにさっきから霊感が何も働かない。こんなこと、気づかないわけないのに!」

「だ、大丈夫だ。由真。俺が守ってやるから」

「瓦落くん」

「とりあえず俺ん家行こう。駅を避けて。結構遠くなるけど」
「う、うん」

行き方を調べようとして携帯を取り出した瓦落くんだったけど。

「な、何だよこれ!」
「どうしたの?」

見れば、携帯の画面に『本日の犠牲者 彼岸由真』ってさっき見たのと同じ字面がずっと続いてるんだ。

「携帯が操作できない、一体どうなってんだよ!」

「そんなの、絶対おかしい、じゃあどうにか他の手段、で……」

あたりを見渡して、僕は唖然とした。

街角のコンクリートブロックに貼ってあるポスター、看板、ちょっとした細い字幕が流れる電光掲示板に至るまで。

どこを見ても、街全体に赤・赤・赤の呪いみたいな『本日の犠牲者 彼岸由真』の文字。

完全包囲だ。僕に取り憑いた強力な死霊が、僕を本気で殺そうとしている。

この渋谷の街全体を使って。

ドクン、ドクン、ドクン、と自分の心臓の鼓動だけが聞こえる。

ふと近くを通り過ぎていくカップルは、僕の方を見つめたのだけど、その顔はぐにゃりと歪んだ。

「……っひ!」

どこに逃げ込んでもおそらくこんな感じだろう。

僕にとってこの街に、安全などない。

このまま行くと本当に死ぬ!

……でも待てよ、でもそれって悪いこと?本当に?

だって今回のターゲットはおそらく僕一人。瓦落くんは関係ない。もうナホちゃんは救ったし。

なら……。

「由真、急ごう」

グッと僕の腕を引いた瓦落くんを、僕は反射的にパッと振りほどいた。

「!」

「ごめん……瓦落くん。僕一人で行くよ」
「はあ!?何言ってんだよ」

手を差し伸べてくれた瓦落くんから一歩後ずさった。

「ごめん、ほんと、一人で平気だから」
「んな訳ないだろ!お前一人にするかよ」

瓦落くんはすごく頼もしく見える。

「な、ほら。俺なら大丈夫だから」

良い人で、優しくて。

「やだってば」

僕の手を掴もうとしてくれたその手を、もう一度振り払った。

「由真」
「迷惑」
「え……」

これは僕一人で死ねるチャンスでもある。

「が……瓦落くんは足手まといなんだよ!僕だってホントは死にたくないし!……じゃあね!」

「あっ待てよ由真!」

別の方向に僕一人で走り出した。

「おい!」
「こっち来ないでよ!」

これで良かったはずだ。




僕はたまたま見つけた廃墟の三階、その屋上にいた。

「はあ……ああ……もうこれ以上、走れないよ、うう……」

僕はよろよろと端に寄って座り込んだ。

「はあ……」

夜風が汗ばんだ身体を冷やしていく。

これで一人ぼっちだ。まあ最初からそうか。

死ぬってどんな感じなんだろう?

「……っふ」

本当は怖くて怖くて堪らない。見下ろしたお気に入りのスニーカーは情けなくも震えている。

怖い、怖い。

いやだ……早く……楽になりたい……。

そう思ったその時。

キィ……と屋上の扉が開く音がした。

ハッと顔を上げた。

視界が捉えたのは、夜の空にはためく白い女の霊……。

思った通りだ。僕がどこでどうしていようと、街全体を使ってこうして『死』を仕掛けてくる。

あの女はきっと、死の実行役なのだろう……。

女の霊は僕に何か問いかけるわけでもなく、音もなく段々近づいてくる。

遠くにいたと思えば少し手前、すぐ手前。

僕はつい、反射的に自分の鞄を盾のように前に抱いた。

すると女は僕から鞄を取り上げて、屋上から捨て去った。数秒後、ガラン!とアスファルトに金属がぶつかる音がした。

ニヤ、と笑う女。震えの増す足。

これで本当に丸腰だ。

ゴク、と喉が鳴る。

女のすごく冷たい手が首に触れる。

『覚悟はいいかしら』

ぎゅ……と首が絞まった。

ぐ……と息が苦しくなる。

指先が悪あがきに暴れそうになる。でもあとちょっと、あとちょっと頑張れば楽になれる。

解放されるんだ、おつとめの先の本当の地獄から!瓦落くんを失う不安からも……。

意識が遠のきかけたその時。

「……由真ーっ!」

どこかから聞き慣れた声が聞こえた。

女の力が一瞬緩んだ。

途端に肺に流れ込んできた空気。ゲッホゲホと咳をした。再度締まる首。

「……くっ……」
「おい!どこにいんだよ!」

野犬が吠えるような喚き声だった。

「鞄落としてんじゃねえーーー!ここか!?」

外の階段をガンガンと駆け上がる音は、やがて信じられない速さでこの屋上階へとたどり着いた。

「ひっ由真!今助けてやるから!」

瓦落くんはすぐさまこっちへ来ると、自分のポケットに入っていたお札を霊にぶつけるように叩きつけた。

『イヤァアアア!!!』

悲鳴をあげて逃げるように消えていった霊。

「大丈夫か」

僕に手を差し伸べてくれた。

「……」

掴んで良いのか迷っていた僕を、瓦落くんはそのまま抱き寄せた。

大きな身体にすっぽりおさまった。

「やっぱ死にかけてたじゃねーか」
「そんなことないよ」

「いや首絞められただろ。もっと抵抗しろよ」
「したよ」

「嘘が下手だな」
「……」

「一人で死のうとするな。俺に嘘をつくな。今日あんな話聞いたばっかなんだぞ。分かるわお前の本心くらい」
「……。だってちょうど良いタイミングだったから……」

「ばかやろう。そんな強がり言うな。めちゃくちゃ震えてるくせに。俺にもお前を守らせろ」
「う、ん……」

瓦落くんは僕の手をそっと握った。

「今死ななくたっていい。とにかく俺と今を生き延びよう。まずはそれだけで良いから」
「……うん」

瓦落くんの体温に触れ、スニーカーの震えは少しして消えた。

「……よし、じゃあそろそろ作戦会議するか」
「うん」

瓦落くんのそばを離れるとき、名残惜しい気がした。

「さて、どうやってここを生き延びるかだ……」

瓦落くんは屋上から街並みを見下ろした。

「『本日の』っていうのが気になるよな、今日中に死ぬってことかよ?隠れ続ければなんとかなる?」

「うーん……」

でも戦える持ち物はもうない。そうするほかはなかった。

「まあしばらくここにいる、か……由真!」

瓦落くんは僕の腕を引いた。

振り向くと、半透明な手が何本も何本も蠢き、僕をビル下へ引きずり下ろそうと手を伸ばしていた。

うそ、全然気が付かなかった。タラ、と汗が滴り落ちた。

「ここも安全じゃないってことかよ!逃げるぞ、由真!」
「う、うん」

僕らは外の階段を駆け降りてその場を逃げ去った。

そうして逃げ場所として選んだのは、一番近くにあった神社。信じられないぐらい暗い。

「頼む……ここだけはもう何も来ないでくれ……」

やけに真っ赤な鳥居をくぐって中に入った。
神社の境内に並んで座る。

「……静かだね」
「ああ」
「時間は……え」

見ると時計は二十三時半を指している。

「そんな……」

驚いて顔を見合わせる。

「おかしい……」

すると時計は見ている間にもぐんぐんと進んでいく。

「な、何これ!」

気味が悪かった。

「で、でもさ。今日が終われば良いんだろ?なら良いこと。……ん……?」

瓦落くんはふら、と導かれるように神社の奥へと行き、同じようにして戻ってきた。

「なあ、こんなもんあったぜ」
「日本刀?」
「なんでこんなもんが神社にあんだろうな……」

瓦落くんはふいにスラリと刀を鞘から抜いた。

上段に構える。夜のネオンの光を浴びて、刀身がぎらりと輝いた。

「……。すげえ……本物みたいじゃん……なあ」
「う……うん。でもやめて、怖いよそれ……」

僕は後ずさった。

「……動くな」

瓦落くんは僕に近づくと、刀を振り下ろした!

「やだあ!」

ぎりぎり避けた。刀は正面から賽銭箱に落ち、深く食い込んだ。

「由真ァ……ッ」
「が、瓦落くん!」
「逃げるな!」

もちろん逃げようとした!

でも何かに封印でもされているみたいに、鳥居の外に出られない!

「らあああ!!」

瓦落くんが僕に迫る、力いっぱい刀を振り下ろした。

僕は悲鳴をあげてしゃがんだ。

ガキィン!と嫌な音が響いた。

ギリギリ軌道が逸れて、それは鳥居に命中した。

「が、瓦落くんを操ってまで僕を『本日の被害者』にしようだなんて、卑怯だぞ!」

「俺の意思だよ!由真!」
「そんなっ!やだあ!!」

その時、僕の頭にふと、誰かの囁き声が流れ込んできた。老若男女の優しい声。

『ぶっそうな友達じゃのお』
『おお、そうじゃそうじゃ』
『守りたいだなんて大嘘じゃない。結局負けてるわ』

「いやだ……黙れ、黙ってくれ!」
僕は頭を振った。

その間も瓦落くんは僕の方へと刀を引きずって向かってくる!

僕は後ずさって転びながら走って逃げた。

『どうじゃ由真くん。人の感情なんぞ弱いもんじゃ。彼に心惹かれる理由なんぞ、どこにもないと分かるじゃろ』

「……っそんな!」



『だけどわしらは違う。君をちゃあんと受け入れる。こっちへおいで。

彼に殺されておいで。そうすれば楽になれる』

「由真……動くなよ」

「ひ……」

もう後ずさりはできない。

「由真!……死ねえーーっ!」

目の前に迫る瓦落くんは、精一杯刀を振りかぶった。ぎらりと眩しいくらいの輝きで、それは一瞬スパークした。

あれに斬られたら、瓦落くんにはもう会えなくなるんだ!

「やだあーーっ!まだ瓦落くんといたい!殺さないで!」

「うらぁああああ!!!ワラワラと由真に取り憑いてんじゃねえーーーー!」

瓦落くんは僕の頭上、宙を横一文字に切った。

その途端、頭上から血飛沫がたくさん飛んできた。

見上げると、鬼みたいな顔の沢山の死霊の群れが僕の後ろにまとわりついているのが見えた!

『ギィヤアアアアア!!!』

そんな阿鼻叫喚の悲鳴があたりに響いた。

「頭ん中で、由真を殺せ殺せって、さっきからずっとうっせえんだよ!誰が殺すかーーーっ!!」

怒りをぶつけるように、瓦落くんはさらに日本刀で死霊たちを切り裂いた。

「姿を現すの、ずっと待ってたぜ!」

『ギャアアア!!!ウギャアアアーーーーッ!!』

それと共に、足場がどんどん崩れていく。

それだけじゃない。ビルが、街灯が、アスファルトが崩れていく!

がら、と大きく崩れかかった僕の足元!

「由真!こっち来い!!」

瓦落くんが僕を抱き寄せてくれたおかげで、落ちずに済んだ。

「てめえら……!」

瓦落くんが死霊の群れに向かって日本刀を振り上げる。

『いたい、いたい。一旦、逃げるでえ』

割れた地面から突如、強烈な光が差した。僕らは目をつむった。




「っ!う、はあっはあっ、え……」

ハッと気づいたら、僕らは床に倒れ込んでいた。酸素を貪るように呼吸をした。

「あれ?ここって……」

気づけば僕らはあの旅先にいた。まだ昼間だ。そして目の前にはあのお地蔵さんたちがいる。

だけどそれらは首が全部落ちていて、切り口からは真っ赤な血のようなものがどろり、どろりと垂れている。

「わあっ!」

僕らはつい悲鳴をあげた。

逆さまに落ちたお地蔵さんのひとつひとつの顔が、じろりと僕らを見つめている。

『こんな目に遭わせよって……覚えとき』

そんな恨み節っぽい声が耳元で聞こえ、そして消えた。

「うるせえなじじい。蹴っ飛ばすぞ」

僕はしゃがんでそのお地蔵さん達を観察した。

「……このお地蔵さん達だったんだね。僕に取り憑いていた悪霊の群れの正体。

……渋谷全体を使って襲ってくるとはなかなかやるね。幻覚だとしても怖かったよ……」

立ち上がった。

「瓦落くん、ありがとうね」
「別に」
「なんであんなに強かったの?」
「さあ……護らなきゃと思ったらなんか不思議な力が湧いたぜ」

瓦落くんは、あの時。

確かにあの日本刀に並々と霊力を注いだと思う。だから霊を退けられた。

だけど死霊に最後、逃げられたのは却って幸運だった。完全に切り裂いていたら、瓦落くんが祟られるところだった。

「由真、そういえば鞄は?」
「え?あ、ああ」

中を確認したら、お札も小刀も無事だった。

「良かったあ……」

遠くでプァアアーーン!と音がして、駅に入っていく長い長い電車が目に入る。

「さて、俺たちもまた帰るか」
「うん。お腹すいた」
「渋谷に着いたら牛丼でも食ってくか」
「うん大盛りにしよ」
「珍しいな」

歩き出した僕ら。

ふと振り返れば、あのお地蔵さん達は、にた、と笑い、そしてまたも消えた。血溜まりだけを残して。

まだまだ世に残るつもりなのだろう。さすらうように居場所を変えてまで。

今後も誰かを、死の臨時放送に陥れるのかもしれない……。

「なあ、ところで由真」
「なぁに」

「俺とまだいたいって……ほんと?」
「……うん」

「もう死にたいとか、あんま思うなよ」
「……うん」

「俺だって、お前ともっと生きたいと思ってんだよ。その『死にたい』って気持ちはこれからもどっか飛ばしとこ。良いな」
「……。はい」

瓦落くんは一瞬止まった。

「……由真。はは、お前ってそんな風に笑えたんだな。かわいいじゃん。びっくりしたわ」