終電で眠ってしまい、ふと気がつくと誰もいない無人駅に到着していることがある。
だけどうっかりその駅で降りてはいけない。それは浮かばれない霊の行き着く先だから。
呪われれば死あるのみ。
その名はきさらぎ駅。
そこから無事に帰ってくるためには、確かな救いの手が必要なのである。
『きさらぎ駅』
「どけよ!ったく、取り憑かれてるだなんて失礼だろ!気味悪いんだよ!」
「っ!」
どんっと押されよろけてしまう。
だけど僕は、そのおじさんにめげずにまとわりついた。
「あの、じゃあこのお札だけでも持っていって!死霊から少しは守ってくれる。ね!」
「いらねえよ!霊なんているか!」
跳ね除けられたお札はびしゃ!と泥水へと落ち、革靴で踏んづけられた。
「あ、待っ……!行っちゃった。どうかご無事で……」
確かに霊に巻きつかれているおじさんの背中を見ながらため息を吐いた。
まあ、しょうがない。別の人を探そう。
僕が救うべき、霊に取り憑かれているやばそうな人。
人でいっぱいの夜の渋谷を見渡す。
霊感の強い僕は、霊にまとわりつかれている人特有のオーラを感じ取ることができた。
いるはずだ、集中しろ。どこにいる……。
その時、ドクンと心臓が鳴った。
あ、あの人だ!
横断歩道の向こうから、いま丁度足早に歩いて来ている。金髪の不良っぽい男の子。憔悴した顔をしている。
年は17あたり。僕と同じくらい。ブレザーの制服をものすごくだらしなく着崩している。
今回は死霊は見えない、だけどあれは確実に呪われている。 僕は声をかけた。
「あ、ねえ、そこのあなた!最近怖い霊に遭遇しませんでした?頭の中で『死ね』みたいな声が聞こえて困ってません!?」
「!?な、なんで知ってんだ!?」
男の子は、その端正な顔立ちをぎょっとさせた。良かった、今度はちゃんと立ち止まってくれた。
並ぶと随分大きいのが分かった。
「あなたから随分重たいオーラが出ていたのでつい声を掛けました。
僕、きっとお役に立てると思います、だから話してくれませんか?」
「え、あ……何なんだよお前?」
「僕、死霊祓いをやってるんです。あなたのような人を救うことが、僕のおつとめでして。
あ。ごめんなさい、申し遅れました。
僕、彼岸由真って言います。
彼岸っていうのは、あの彼岸花の彼岸」
それから場所をマックに移して、二人で会話した。
「俺の名前は瓦落駿(がらく しゅん) 。それにしてもお前やばいな、一体何なんだよ?年同じくらいだろ?」
「えっと実家がお祓いやってる系なんですよね」
「……ふーん……」
鞄の中のお札をそっと見せたら納得してくれたようだった。
瓦落くんは声を落としてボソボソと話し出した。
「……でさ。さっきの話だけど。マジで言われた通り、俺の頭ん中で女の声がすんだよ。俺は気い狂ってなんかいない。
心当たりはある。いわくつきの場所に行ったからだ」
僕は頷いた。
「きさらぎ駅。いま都市伝説で噂になってるヤツ。……信じる?」
瓦落くんは、まるで冗談には見えない顔でそう言った。僕は真剣に頷いた。
どこかホッとした表情を浮かべた瓦落くんは、詳しく話し出してくれた。
「自分でも信じられないけど、俺、一回だけ確かにきさらぎ駅に行ったことあるんだよ。嘘じゃねえ!
夜、渋谷から帰ろうとして、眠っちまって……それでふと起きたら真っ暗な無人駅に着いてたんだよ。もちろん誰も周りにいねえ。
ぼんやりしてた俺はあの時フラフラと電車を降りた……。
だけど歩いてもなかなか改札につかない。
おかしい、と思った時。
遠くの方で、ボウッて、なんかひらひらするみたいに、白い霊っぽいもんが浮かんでたんだよ!顔がついててさ。オンナだった。
それで、お、俺が動けないでいたら、向こう向いてたはずの霊が、こっち見たんだよ!
嘘じゃない、俺はそいつと目が合ったんだ!
にた、とその口が笑ったのを見て、俺は全速力で来た道を走って逃げた!
『待って』『待って』ってずっと背中のすぐ後ろから聞こえて、一度だけ首にふわ、って触られた時は生きた心地がしなかった。
電車はもうすぐそこって時、ちょうど、『渋谷行き、発車します』ってアナウンスが流れてきたんだ。置いてかれたら死ぬ!そう思って飛び乗った!
だけどその時ウッカリ、ホームに定期入れを落としちまったんだよ。あれは俺にとって大事なヤツなんだ!
だけど、だけど、拾う余裕なんかなかった!
ちょうど閉まったドアの向こう。
閉まったドアの窓ガラスに……ウ、うえ……あの、白い女がべったり張り付いて、真っ赤な唇で『オイテカナイデ』って口パクパクさせてたんだ……!!
あの目、あの口、忘れられない、本当だ、嘘じゃねえ!」
顔を真っ青にしてぶるぶる震え出した瓦落くんの背中をさすった。
「それは怖かったですね、大丈夫、落ち着いて」
「う……っう、はあ、はあ……それで……。
……。俺は、顔を覆って、何も見えないようにした。『きさらぎ駅、出発します』ってアナウンスが流れたのを覚えてる。電車は動き出した。
俺はただひたすら『助けてくれ』って念じてた。ずっと、ずっと何十分も。いや何時間も、だったかもしれねえ。
だけどそれで、気づいたら『お客さん、終点だよ』って駅員に声かけられて……ハッと気づいたら、いつもの渋谷だったんだ」
瓦落くんは憔悴していて、縋るように僕を見つめた。僕は頷いた。
「助かったと思った。だけど。
あれ以来、頭ん中でオンナの声がするんだ。
『きさらぎ駅に会いにきて。七日以内に来てくれなかったらあなたを呪い殺すから』って……!!
でももう六日目なんだ。女の声はどんどん大きくなる。なあ、これ、見ろよ!」
瓦落くんはぐいと自分の服の首元を引き下げた。
「!!」
そこには何者かに絞められたかのようなアザがついていた。
「あの時触られたからか?苦しくってたまんねえ。俺はこのまま呪い殺されるってのかよ?あああ!!」
「大丈夫、落ち着いて」
「落ち着いてられっかよ!
なあ、きさらぎ駅にまた行ったらどうなる?行かないとやっぱり死ぬのか?
だけど、きさらぎ駅なんて調べたけどそもそもどこにもなくってよ!いつもつるんでる奴らは誰も助けてくれない。
俺はどうしたらいい?なあ、助けてくれよ!」
今まで抑えこんでいた恐怖が一気に吹き上がってきたのだろう。
瓦落くんは僕に掴みかかるかのように迫ってきた。
「っ大丈夫ですよ!僕が一緒に行ってあげますから。この事件、解決しましょう」
「え……ま、マジ……?」
僕は任せてとばかりに頷いた。
「これがおつとめだって言ったでしょ。渋谷駅に行きましょう。時間がないですよ」
そうして僕らは、瓦落くんがきさらぎ駅に行ってしまった時と同じホームで電車に乗った。並んで座席に座る。
「なあ、これって必須なのか」
「はい、ごめんなさい。嫌だと思うんですけど我慢して」
周りから見えないように、僕らは手を繋いでいた。もちろん事務的に、必要最低限にだ。表面的に触れているだけ。
これは霊感の強い僕とこうして強く念じていれば、死霊の世界に繋がることができるからだ。
「俺一人だけ着いてたとかやめろよな!?」
「僕もちゃんと行くから大丈夫ですよ。ていうか前回一人で行けたの才能ありますよ」
死霊の世界と生きるものの世界は稀に交差してしまう時がある。
それはよっぽど霊の訴えとシンクロするものがある時だ。または、もともと霊的な素質があるか。
でも霊力の出力が安定しないと、狙った通りに異界にはいけない。彼も前回はたまたま行けてしまったのだろう。
「それからさっきも言いましたけど、ちゃんと目を閉じて眠ってくださいね。眠ってこの生ける世界から目を背けることが、一つポイントです」
耳元でヒソヒソ言う。
「分かってるけどよ……」
いざ行こうとするとドキドキするのだろう。
『渋谷発、発車します』
電車が発車のアナウンスを告げた。
覚悟を決めたかのように瓦落くんは目を閉じた。鼻筋が通っていて整った横顔だなとは思った。僕も目を閉じた。
「……!」
瓦落くんは、少しだけ指先に力を込めてきた。そっか怖いよね。僕も同じくらいの強さで握り返してあげた。手の平のほんのり温かいぬくもりを感じた。
神経を集中させる。周りの喧騒が聞こえなくなる。
そうしてしばらく経った時。
『……来て、迎えに……早く。マッテル……』
!!
瞬間的に女が啜り泣くような、何とも言えずおぞましい声が頭に響いた。これは瓦落くんの頭の中で聞こえている声がシンクロしているのか?
僕は更に意識を集中させた。
『次は終点、きさらぎ駅』
そう聞こえてハッと目を覚ます。瓦落くんも飛び起きた。僕らは電車を降りた。
「……な、んだ……ここ……!」
瓦落くんが絞るような声を出した。
無理もない。
真っ暗で所々さびれたライトが点灯していて、床には血溜まりのようなものがある……。
そんなこの世のものとは思えない場所だったから。
駅の看板には間違いなく『きさらぎ駅』とあった。
「前はこんなのなかったはずなのに……」
「霊感強い僕と一緒にいるから見えちゃうのかも」
「げえっマジかよ……!
……ホントに来ちまったんだな……」
ゴク、と喉を鳴らしつつ、咄嗟に僕の腕を掴んだ瓦落くん。
「……もしかして怖いの、結構苦手?」
「だ、誰だって怖えだろこんなの!」
まあ普通はそうか。
僕はリュックから懐中電灯を取り出してライトをつけた。
「さて……ここでの目標なんですけども。
あなたに呼びかけている霊を見つけて、成仏させる。それが出来ないならこれで切り裂く」
僕は鞄から小刀を取り出して見せた。鞘から抜くと、刀身がぎらりと鈍く光った。
「霊力のある小刀です」
「お、おお……っ」
「ただ切り裂きに失敗したら僕は死にます。その時は助けられずごめんなさい、一人で逃げて。
でもあなたを救うため、できる限り倒す方向に努めますから。
じゃあ行きましょうか」
「ま、待てよ!」
ぐっと引き止められた。
「なんです?」
「いや、軽く言うなよ!
失敗したら死ぬんだろ?なんでお前、今日初めて会った俺にそんな身体張るんだよ?自分のこと安売りしすぎだろ」
「だから。それが僕のおつとめなんですって。良いんです」
そう。別に最悪失敗して死んだって構わないのだ。そしたらおつとめの裏にある、本当の恐ろしい宿命から逃れられるから。
なんてそんなこと言えないんだけど。
「心配してくれてありがとう」
僕は微笑んで見せた。
実際、こうやって僕のことを心配してくれる人は珍しかった。皆自分が逃げ切ることの方がもちろん大事だから。それは当たり前のことだし。
「優しいんですね」
「あたりめーだろこんなの……」
心底納得いかないという顔に、心の奥がほんのりと温かくなる気がした。
「まあまあ。さ、行きましょう。まずは女の霊を見つける必要があります。あなたのことは僕が守りますから。
……あれ見て!」
その時、ふと頭上の電車の発車案内板に、パッと映った『次発 最終 渋谷行き』の文字。
「いつ出発すんだよ!?」
時刻は表示されていない。
「……霊の世界は気まぐれだから。でもあれに乗れないと本当に帰れなくなるかも。急ぎましょう」
僕たちは歩き出した。ところどころに血溜まりのある、おぞましいホームを。
「やっぱり異次元だよなここ……ホームがすげえ長い。おかしいだろ」
どこまでも続きそうで、どこにも辿り着けなさそうだ。電車はもう遠くにある……。
女の霊はまだいない。
「!」
そして僕の懐中電灯が照らすホームには、この場にそぐわない様々なものが落ちているのを見つけた。この世界に深入りしてきたってことかな……。
ボロボロのクマのぬいぐるみ、古いアルバム、エプロン。
または肩掛け紐の切れた小さな女性用のバッグ、古い片方のローファーなど、実に意味深なものまで。
「な、なあ……そもそもここって一体なんなんだよ?」
「そうですね、ちょっと待って」
それらにそっと触れて意識を集中させると、頭の中に直接映像が流れ込んで来た。
見えるのは、様々な人の生前の記憶と思われるものだ。
『どうしてそんな意地悪言うの?』
『お願い、見捨てないで』
『ひっく……う……うぅ……大好きだったのに』
『分かったわよ、私が消えれば良いんでしょ!』
『さようなら』
そしてホームから飛び降りる瞬間。
暗い車輪の下で、血の滴るちぎれた腕。
だけどその白い指先は救いを求めるようにどこかへ向けて広がっている。
死の間際に流れる一粒の涙。
『どうして私だけがこんな辛い思いしなきゃいけないの。……恨んでやる』
そこで映像は途絶えた。
……最後のは結構ゾクッとしたかも。
僕は手を合わせ、無言で立ち上がった。
「ここは自死した霊の溜まり場ですね、おそらく……」
「……っ!」
「中には随分誰かを恨んでいる霊もいるみたいです。
……その、何か心当たりあります?その、自死とか恨みとかって……」
「!……そんなのねえよ!自死なんて周りにいねえ!それに俺を恨む女の霊なんて……。いて……欲しくねえ……」
「……あるんです?」
「……」
瓦落くんは目を伏せた。
「ね、僕に話してください。あなたを救う鍵ですから」
瓦落くんは迷って迷って、最後に苦しげに話し出した。
「……ナホ。もういない俺の妹。守れなかった。理由は……言いたくない。
とにかく、俺がここで落とした定期入れは元々ナホが使ってたやつなんだ。
俺のお守りっていうか、言いたくないけど形見っていうか。肌身離さず持っていたやつだった。
あれは確かにナホの名前が書いてあったけどさ。
……あのバケモンがナホで、それで俺をここに呼んだって言うのか?俺を相当恨んでるから?
そりゃ、そうかもしれねえ。俺はダメな兄貴だったから。
だけど、でも、ナホはあんなバケモンじゃない!それに……本当に死んでるだなんて、思いたくねえ!」
そう瓦落くんが大声を張り上げた時。
ふいに突然、瓦落くんの上からぬっと覆い被さるような不気味な何かが視界の端に映った。
「瓦落くん、う、後ろ……!」
瓦落くんが振り返る。
そこには白い女の霊がいた!目をぎょろぎょろさせた、真っ赤な唇の女だ。
『お か え り』
!!!!
女はニタ、と笑うと、瓦落くんの首を突然ぎゅっと絞めた!
『ナホって、また呼んでくれて嬉しい』
「……っくっ……!」
瓦落くんが必死にもがくが、動けない!
「よ、よせやめろ!う……!?」
助けようとするが、『邪魔するな』と言わんばかりに女の怨念に身体が本当に硬直した。この女、すごいパワーだ……!
『これでやっと一緒に死ねるわね。待ってたわよ……』
ぎりぎりと首を絞める力は強くなっていく。
僕はなんとか指先に力を込めた。指先から少しずつこの拘束を解いていく、くそ……!
「ナ、ナホ……?本当に、お前なのか?迎えに来てって、俺を……呼んだ、のか?最初に俺をここに呼び込んだのも、お前なのか……?」
女の霊は笑みを深くした。
『そうよ、あなたが死ぬとこ、見たかったもの』
「!……それで、お前は少しは楽になれそうか……?それなら俺は……」
瓦落くんはふら、とよろめいた。霊の前で我を失ってはダメだ、これはまずい!
僕の指先が何本か動いた。どうにか……!
『そうよ、私を見捨てて!この裏切り者!』
女はあふれるような恨みのエネルギーを爆発させた。身体がビリビリと痺れるような!
その瞬間、僕の頭に女の人生が走馬灯みたいになだれ込んできた!
若いカップルが見える。可愛い女性と、背の高い大柄な男性。
男性の方は全体的に少し悪い雰囲気で、だけど顔はぐしゃぐしゃと塗りつぶされた様に見えない。
『なあ、ナホって可愛い名前だよな』
『俺を信じてついてきて欲しい』
それから次に見えたのは、ビリビリに破れた婚姻届、狭いアパートで大喧嘩する様子だった。
『あなた、独身だって言ってたじゃない!どうするのよ、私、子供ができたのに!』
『ナホ、一緒に死のう。生まれ変われば、今度こそ幸せになれる』
揃いの遺書が置かれた部屋で。
『(く、苦しい……。息ができない……!)』
もがき苦しんだ女の、死の間際。
『やっと死んだ、バカ女』
『あ、あなた、裏切った、のね……
……許さない……ユウヤァ!』
そこで映像は途切れた。
ハッとした!分かった、瓦落くん、間違えられてるんだ!
僕は渾身のエネルギーで女の霊的な拘束を破った。
そしてポケットに入れていたお札を女に叩きつけた!
『キャアアアアーーーーー!!!!!』
耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。
「瓦落くん、一旦逃げよう!」
僕は未だ呆然としている瓦落くんを引っ張って走ってとにかく逃げた。
「はあっはあ……う」
相当遠くまで走った。ここに来た時の電車はもう少し先だ。車内は煌々と薄ら寒い光を発している。
相当走ったはずなのに霊がすぐそばにいる気がする……。気分が悪い。
「瓦落くん、しっかり、げっほ」
「……」
さっきの女が妹と信じてしまっている瓦落くん。ぼうっとしている。
「ねえ、あれは、妹さんじゃないですって!ねえ!」
「……俺さえ……ここで……」
だめだこんなんじゃ!
「ごめんなさい!」
僕は瓦落くんにバチン!と平手した。
「!」
驚いて頬を押さえて僕を見つめた瓦落くん。あ、良かった。世界と焦点が合っている。
「ねえ、何死ぬ覚悟してるんです!?さっきの女の霊は妹さんじゃない。別の『ナホ』さんなんです!」
「え……」
僕が感じ取ったあの女の人生を話した。
「そういうことだったのか……」
おそらく既婚者に騙されて自殺に誘導された『ナホ』という女の霊で、『ユウヤ』と瓦落くんを混同していると。
「それは……女も確かに許せねえだろう。けどよ、なんでユウヤと俺を間違えるんだよ!?」
「強い恨みだけが残って、肝心なことを忘れてしまう霊は、実はよくいるんです」
「……!」
それに瓦落くんの内心の後悔の念と女の恨みの念がまずい形でシンクロしてしまったのは、あるかもしれない。『ナホ』を起点に。
「だから、まずはユウヤじゃないとわかってもらえれば良い。それで成仏させられれば、一番平和的に瓦落くんは解放される」
「お、おお!でもどうやって」
「僕がユウヤに成り代わる」
「はあ!?」
「ターゲットを外れれば瓦落くんは安全になる。最悪僕を置いて電車に乗って帰れば良い。お守りのお札は渡しますから」
はい、と強めの効果のあるお札を渡した。
「おい、お前、だから何言ってんだよ!おつとめだからとか聞きたくねえんだよ、ふざけんなって!!!自分の命大事にしやがれ!」
「!」
どうしてそんなに一生懸命になれるんです?ざら、と心がざわめいた。この人といると、大事な何かを思い出させられそうになる。
それは冷たい心に、温かい手を添えるような。
「いえ……」
どくんどくんと鼓動が鳴る。どうにも落ち着かない。
僕が目を向けた、その時。
その瞬間。
『見いつけた』
慌てて振り返る。背後からぬっとあの影がさす。殺されると肌で感じた。だめだ、もう迷っている暇はない!
『ユウヤア!!この……っ!』
「ユウヤは僕だよ!ナホ!!」
「!!」
猛然と瓦落くんを狙っていた女が、ぎらりと僕の方へと向いた。浴びるような殺気にドクンと心臓が波打った。
「その子は友達なんだ、放っておいてやって。呪いは解いてやってよ。ねえ僕だよ、ユウヤは。忘れちゃった?」
『ユ ウ、ヤ……?』
「こっちへおいで……今までごめん」
「よせやめろ!」
「駿くんは黙ってて!ね!ユウヤは僕!」
僕は決死の覚悟をして女に向かって両手を広げた。
『ユウヤア』
ぶわ、と何か目に見えないものにまとわりつかれた感触に、全身の悪寒が止まらない。
『死』そのものが目の前に迫っている。歯を食いしばって耐えた。
「ふ、あはは……」
僕は頬が引き攣って自然に笑えない。でも耐えろ由真!瓦落くんだけは絶対逃す。あったかい人はこんなところで死んではだめだ。
「ごめんね、僕もここに来たよ。こんな暗いところで一人で大変だったよね……」
女の霊をふわりと撫でた。このまま何とか説得して成仏の方向に……!
「……償いたいんだ、君を楽にさせてくれないか」
『……』
お札をそっと取り出す。霊を納得させた上でこのお札を貼れば、成仏させられる。
「もう彷徨う必要はないんだ」
ふと女の力が抜けた。いけるか?なんとか……!
だけど女は気持ちを改めるかの様に、突然、ギリッと僕の髪を掴んだ。
「ううっ!」
『いやよ』
「!!!」
その瞬間、稲妻のような衝撃が全身に走り、握っていたお札は真っ黒焦げに変色した。
これはまずい!
『あなたが優しい時って、私を陥れる時だったもの!もう誤魔化されないわよ、ユウヤア!!!』
一瞬で死霊の憎悪が激増した。
ヤバい!と思うと同時に、女はさらに膨らんで一気に化け物のような姿に変身!襲いかかってきた!
僕はすぐに霊力のある小刀で応戦した。咄嗟に少し切り裂いた!
『イヤアアア!!!!ユウヤア!!!!アタシを、これ以上傷つけないで!!!』
この世の終わりともつかない激しい音量とエネルギーに全身がビリビリと痺れる。
「!」
『殺してやる!』
カツンッ!と音が鳴る。小刀を相当遠くに弾き飛ばされた!電車の方向だ。早く拾いに行かなきゃ。
だけどこの女、恨みがめちゃくちゃ強い。隙がない。やばい、これは、本当にまずい!
「……っく!」
『また騙した!そうやってアタシのこと殺そうとする!!!アタシをまた捨てるの、ユウヤああ!!!』
霊が大きな口を開けた。無数の歯が目前に迫る。
ばくん、ばくん!と大きく噛みつこうとしてくるのを、死に物狂いで避けた!一回、二回!
「くっ彼岸!」
女に決死の覚悟で飛びついてくれた瓦落くん。だけど女の恨みの力で吹っ飛ばされた。
小刀は遠い……!
『死ねえ!!!!』
バクンと食べられる一瞬先の未来が見えた。ぎりぎり避けれたけど、もうそろそろ限界だ!
「うっ!」
僕は女に腕を掴まれた!死ぬ!
「……くっそ!!」
瓦落くんはさっきあげたお札を女に貼った!女にバチ!と衝撃が走り、僕は女の拘束を逃れた。
「瓦落くん!そんな、それじゃ君の身を守れなくなる!」
「そんなこと言ってる場合か!」
『消してやるわ……ユウヤ……それに邪魔するお前も……!』
女が瓦落くんをぎらりと睨みつつ、僕に迫る。
だめだ。このままじゃ二人とも死ぬ。
僕は一歩、二歩と後ずさる。
そのとき。
『最終 渋谷行き まもなく発車します』
割って入る様にアナウンスが流れた。
「っが、瓦落くん!アレに乗って逃げて!あの終電逃したらホントに帰れないかもしれない!」
「おっお前はどうすんだよ!」
「僕はどうでも良いです!早く!!逃げて!今逃げればあなただけなら助かる!!お札ないんでしょもう!早く!!!」
「あ……。く……っ!」
一瞬迷って向こうへ走り出した瓦落くん。
ホッとして見送った。怖いの苦手そうだったし。多分根は優しい人だから。
犠牲は僕一人で良い。とにかく時間だけは稼がなきゃ。
『おつとめして早く死んだら良いのに』と、かつて親族に言われた言葉がふと頭に浮かんだ。僕のその隙が致命的だった。
「……っあ!」
脚がもつれた。僕は転んだ。ずり下がって逃げようとしたが、ホームの壁に背をついた。もう逃げ場がない。
目の前にニタリと笑う女が迫る。
相棒の小刀は、ない。
『ユゥヤァアア!!!』
ダメだ、助からない!
頑張れ由真、死ぬ時は一瞬のはず!
その時。
「うらああああ!!!」
瓦落くんの声が間近でした。小刀を持っている!
「食らえ!!」
瓦落くんは、女のすぐ側で小刀を振り上げた。
「やぁああああ!!!」
小刀が一瞬パチッと輝くのを僕は見た。まさか霊力か?瓦落くんはそのまま死霊に突き刺した!
『アアアアアアアア!!!!!』
耳をつんざく轟音のような悲鳴が響いた。女はのたうち回っている。
あれは霊能力者にしか扱えないはずなのに!
「瓦落くん、なんで戻ってきちゃったの!?」
「お前一人置いていけるかぁ!」
「……っ!」
「二人で生きて帰るに決まってんだろ!」
瓦落くんは僕に駆け寄ると、ぐいと僕を引っ張り起こした。こんな力強くて温かい腕、人生で初めてだった。
「それにな!」
瓦落くんは蠢く死霊に向き直った。
「ナホ!よく聞け!!俺もこいつもユウヤじゃない!
自分を捨てたヤツをいつまでも惨めに待つな!
こんなとこで燻ってんじゃねぇ!
生まれ変わって、今度こそ幸せになれよ!だせえ男で自分の人生諦めてんじゃねえ!!」
『なによ、そんな!そんな!あああああーーーー!!!』
もがき苦しむ女の声。
同時にジリリリリ!と発車ベルが鳴る。
『終電 渋谷行き、もうまもなく発車します』
時間はもうない!
「おい、行くぞ!!」
「……!!!」
説得の時間はない。僕はお札を女の近くに置いた。
「もし楽になりたかったらこれを抱いて。そしたらゆっくり眠れるから。また生まれ変われる」
そして走り出した。だけど。
『……うあああーーーーーっ!』
僕らを追ってきた女。ダメだ、成仏を選んではくれなかったのか!
瓦落くんに無理やり引きずられる様にして必死に走り出す。だけど、僕はもう足がもつれて……!
『ドアが閉まります、ご注意ください』
「乗れ、ほらこっち!」
先に乗った瓦落くん。
僕が電車のドアに隔てられそうになると、中から手を差し出してくれた!
僕がその手を掴むと、強い力で引き入れてくれた。
ギリギリで後ろで閉まるドア。ドアの向こうの女。
きさらぎ駅から、渋谷駅に向かう―― 。
「お客さん!終点だよ」
ハッと飛び起きた。いつの間にか気を失っていたらしい。
車掌さんが無愛想にこちらを見下ろしている。途端に流れ込んでくる周囲の喧騒。
瓦落くんは僕に寄りかかるようにして眠っていた。お守りみたいに繋いでしまっていた手を、ぱっと離した。
誤魔化すように周囲を見渡す。
「ここは……あ、渋谷駅だ。良かった帰って来れた」
心底ホッとした。崩れ落ちそうになるのを瓦落くんが力強く支えてくれた。
「あ、ありがとう」
「お互い様だろ」
結局のところ、あの死霊を祓えたのかは分からない。最後を見届けていないから。
でも、僕らは無事に帰って来れて、頭の中で女の声もしないし、いつの間にか例の定期入れは瓦落くんのポケットに入っていたし、瓦落くんの首のアザも消えていた。
特に霊の恨みを受けている体感もない。
これらを鑑みるに、あの女は成仏を選んだと思われる……。
結局あの女は迷った末、瓦落くんの心からの言葉によって、最終的には新しい人生を選ぶことにしたのだろう。
その気持ちは分からなくはない。
僕もつい、あの時の瓦落くんの言葉にじんわりしてしまったから。
花が光ある方向を向く様に。瓦落くんには、人を生きる方向に向かせる何かがあるのかもしれない。
ファミレスで時間を潰し、明け方5時台の始発を待っている間。
疲れでぐっすり眠る瓦落くんの寝顔を見て、すこし苦笑した。
死霊祓いが助けられちゃダメだよね。
なんてほっこりしてたら僕も寝てしまった。寝過ぎちゃって6時に起きたんだけど、ふと起きたら僕に瓦落くんのブレザーがかけられていた。
早朝の渋谷駅にやってきた。
ホームには、サラリーマンに混じって、朝練へ行くのだろうユニフォーム姿の学生や、真面目に参考書を読んでる子なんかもいる。
清々しい青春だな、まあ僕はあっち側じゃないけど。高校なんて行ってないし。でも同じ清々しい朝を共有してる……つもり。
僕と瓦落くんはホームが別だった。
「あ、じゃあ。僕こっちなので。お疲れ様でした。もう大丈夫だと思いますから、よく家で休んでくださいね。それじゃ」
そう言って去っていこうとしたらぐいと肩を掴まれた。振り向けば瓦落くんは眉根を寄せている。
「え、なんです?カツアゲ……?」
「んな訳ねえだろ。ちげーよ。そんなサクッと帰ろうとするなよ。連絡先ぐらい教えろよな。ってかその敬語やめろ」
「あ、はい」
ぎら、と睨まれる。
「うん」
言い直した。
促されるまま携帯を出す。
ちなみに僕の携帯は丸っこいキュートなオバケのキャラクターが待ち受けである。
連絡先を交換した。
「今回はありがとな、ほんと」
「あ、いや。最後は瓦落くんのおかげだから」
「俺のために身体張ったヤツがいたから俺もああ出来ただけ。
なあ、近々またどっかで会おうぜ。
お前は一人でいたらダメだ。お前だって誰かに守られないと、そのうちホントに死んじまうんじゃねーの。
……じゃあな、由真」
クールな不良くんはそう言って帰って行った。
少しだけ行ったところで瓦落くんは振り返り、大きく手を振ってくれた。
ばいばいと手を振り返す。そのやり取りに、心がほんのり温かくなった。なんか、良い人だったな。
僕も反対側に歩き出す。
由真、か。へへ、良い響き。
足取りが少し軽い。ジュース買っちゃおっかな。僕は自分のホームにつくと、自販機で浮かれてピッとコーラを買った。
ぶし、とキャップを開ける。ふわふわする気持ちを鎮めるべく、一気にごくごく飲んだら喉がシュワシュワと焼けて、溢した。
「げっほげほ……もー、ばか」
また連絡するってホント?友達だと思って良いのかな。
今までは死霊祓いをしても、誰もそれっきり。感謝はすれど誰も僕には近寄らなかった。
霊感強くて周囲を怖がらせ、友達なんかずっといなかったし。
でも彼は違うらしい。連絡、本当にくるのかな……と思って携帯見たら早速来てた。
『こぼすなよ』
ふと見ればあっちのホームで瓦落くんが苦笑していた。
本当に電車が来てバイバイと今度こそ別れた。ふくふくと胸がくすぐったかった。寝たらもったいない。そんな気持ち。
でもこんな僕に友達なんてな……。そもそも長い命じゃないからな。ズキリと胸が痛みもした。
いやいや、今だけは忘れよう。
走り出した電車の外。朝の空は、一際まぶしく感じられた。
また会ってみたい人が出来たことを、今はただ喜べば良い。
次に会うことがあったら何話そう。ねー学校どこ?とか聞いて良いのかな。それか本当にあった怖い話とかして怖がらせてみようかな。
ふふ、いやいや。
……なんかただ近くでおしゃべりしてるだけで元気になれる気がする。少しだけわくわくした。
そういえば瓦落くんって妹さんのことで、なんかずいぶん悩んでるっぽかったな。
いつか教えてくれないかな。そしたら何か役に立てるかも。そうなれたら良いな。
だけどうっかりその駅で降りてはいけない。それは浮かばれない霊の行き着く先だから。
呪われれば死あるのみ。
その名はきさらぎ駅。
そこから無事に帰ってくるためには、確かな救いの手が必要なのである。
『きさらぎ駅』
「どけよ!ったく、取り憑かれてるだなんて失礼だろ!気味悪いんだよ!」
「っ!」
どんっと押されよろけてしまう。
だけど僕は、そのおじさんにめげずにまとわりついた。
「あの、じゃあこのお札だけでも持っていって!死霊から少しは守ってくれる。ね!」
「いらねえよ!霊なんているか!」
跳ね除けられたお札はびしゃ!と泥水へと落ち、革靴で踏んづけられた。
「あ、待っ……!行っちゃった。どうかご無事で……」
確かに霊に巻きつかれているおじさんの背中を見ながらため息を吐いた。
まあ、しょうがない。別の人を探そう。
僕が救うべき、霊に取り憑かれているやばそうな人。
人でいっぱいの夜の渋谷を見渡す。
霊感の強い僕は、霊にまとわりつかれている人特有のオーラを感じ取ることができた。
いるはずだ、集中しろ。どこにいる……。
その時、ドクンと心臓が鳴った。
あ、あの人だ!
横断歩道の向こうから、いま丁度足早に歩いて来ている。金髪の不良っぽい男の子。憔悴した顔をしている。
年は17あたり。僕と同じくらい。ブレザーの制服をものすごくだらしなく着崩している。
今回は死霊は見えない、だけどあれは確実に呪われている。 僕は声をかけた。
「あ、ねえ、そこのあなた!最近怖い霊に遭遇しませんでした?頭の中で『死ね』みたいな声が聞こえて困ってません!?」
「!?な、なんで知ってんだ!?」
男の子は、その端正な顔立ちをぎょっとさせた。良かった、今度はちゃんと立ち止まってくれた。
並ぶと随分大きいのが分かった。
「あなたから随分重たいオーラが出ていたのでつい声を掛けました。
僕、きっとお役に立てると思います、だから話してくれませんか?」
「え、あ……何なんだよお前?」
「僕、死霊祓いをやってるんです。あなたのような人を救うことが、僕のおつとめでして。
あ。ごめんなさい、申し遅れました。
僕、彼岸由真って言います。
彼岸っていうのは、あの彼岸花の彼岸」
それから場所をマックに移して、二人で会話した。
「俺の名前は瓦落駿(がらく しゅん) 。それにしてもお前やばいな、一体何なんだよ?年同じくらいだろ?」
「えっと実家がお祓いやってる系なんですよね」
「……ふーん……」
鞄の中のお札をそっと見せたら納得してくれたようだった。
瓦落くんは声を落としてボソボソと話し出した。
「……でさ。さっきの話だけど。マジで言われた通り、俺の頭ん中で女の声がすんだよ。俺は気い狂ってなんかいない。
心当たりはある。いわくつきの場所に行ったからだ」
僕は頷いた。
「きさらぎ駅。いま都市伝説で噂になってるヤツ。……信じる?」
瓦落くんは、まるで冗談には見えない顔でそう言った。僕は真剣に頷いた。
どこかホッとした表情を浮かべた瓦落くんは、詳しく話し出してくれた。
「自分でも信じられないけど、俺、一回だけ確かにきさらぎ駅に行ったことあるんだよ。嘘じゃねえ!
夜、渋谷から帰ろうとして、眠っちまって……それでふと起きたら真っ暗な無人駅に着いてたんだよ。もちろん誰も周りにいねえ。
ぼんやりしてた俺はあの時フラフラと電車を降りた……。
だけど歩いてもなかなか改札につかない。
おかしい、と思った時。
遠くの方で、ボウッて、なんかひらひらするみたいに、白い霊っぽいもんが浮かんでたんだよ!顔がついててさ。オンナだった。
それで、お、俺が動けないでいたら、向こう向いてたはずの霊が、こっち見たんだよ!
嘘じゃない、俺はそいつと目が合ったんだ!
にた、とその口が笑ったのを見て、俺は全速力で来た道を走って逃げた!
『待って』『待って』ってずっと背中のすぐ後ろから聞こえて、一度だけ首にふわ、って触られた時は生きた心地がしなかった。
電車はもうすぐそこって時、ちょうど、『渋谷行き、発車します』ってアナウンスが流れてきたんだ。置いてかれたら死ぬ!そう思って飛び乗った!
だけどその時ウッカリ、ホームに定期入れを落としちまったんだよ。あれは俺にとって大事なヤツなんだ!
だけど、だけど、拾う余裕なんかなかった!
ちょうど閉まったドアの向こう。
閉まったドアの窓ガラスに……ウ、うえ……あの、白い女がべったり張り付いて、真っ赤な唇で『オイテカナイデ』って口パクパクさせてたんだ……!!
あの目、あの口、忘れられない、本当だ、嘘じゃねえ!」
顔を真っ青にしてぶるぶる震え出した瓦落くんの背中をさすった。
「それは怖かったですね、大丈夫、落ち着いて」
「う……っう、はあ、はあ……それで……。
……。俺は、顔を覆って、何も見えないようにした。『きさらぎ駅、出発します』ってアナウンスが流れたのを覚えてる。電車は動き出した。
俺はただひたすら『助けてくれ』って念じてた。ずっと、ずっと何十分も。いや何時間も、だったかもしれねえ。
だけどそれで、気づいたら『お客さん、終点だよ』って駅員に声かけられて……ハッと気づいたら、いつもの渋谷だったんだ」
瓦落くんは憔悴していて、縋るように僕を見つめた。僕は頷いた。
「助かったと思った。だけど。
あれ以来、頭ん中でオンナの声がするんだ。
『きさらぎ駅に会いにきて。七日以内に来てくれなかったらあなたを呪い殺すから』って……!!
でももう六日目なんだ。女の声はどんどん大きくなる。なあ、これ、見ろよ!」
瓦落くんはぐいと自分の服の首元を引き下げた。
「!!」
そこには何者かに絞められたかのようなアザがついていた。
「あの時触られたからか?苦しくってたまんねえ。俺はこのまま呪い殺されるってのかよ?あああ!!」
「大丈夫、落ち着いて」
「落ち着いてられっかよ!
なあ、きさらぎ駅にまた行ったらどうなる?行かないとやっぱり死ぬのか?
だけど、きさらぎ駅なんて調べたけどそもそもどこにもなくってよ!いつもつるんでる奴らは誰も助けてくれない。
俺はどうしたらいい?なあ、助けてくれよ!」
今まで抑えこんでいた恐怖が一気に吹き上がってきたのだろう。
瓦落くんは僕に掴みかかるかのように迫ってきた。
「っ大丈夫ですよ!僕が一緒に行ってあげますから。この事件、解決しましょう」
「え……ま、マジ……?」
僕は任せてとばかりに頷いた。
「これがおつとめだって言ったでしょ。渋谷駅に行きましょう。時間がないですよ」
そうして僕らは、瓦落くんがきさらぎ駅に行ってしまった時と同じホームで電車に乗った。並んで座席に座る。
「なあ、これって必須なのか」
「はい、ごめんなさい。嫌だと思うんですけど我慢して」
周りから見えないように、僕らは手を繋いでいた。もちろん事務的に、必要最低限にだ。表面的に触れているだけ。
これは霊感の強い僕とこうして強く念じていれば、死霊の世界に繋がることができるからだ。
「俺一人だけ着いてたとかやめろよな!?」
「僕もちゃんと行くから大丈夫ですよ。ていうか前回一人で行けたの才能ありますよ」
死霊の世界と生きるものの世界は稀に交差してしまう時がある。
それはよっぽど霊の訴えとシンクロするものがある時だ。または、もともと霊的な素質があるか。
でも霊力の出力が安定しないと、狙った通りに異界にはいけない。彼も前回はたまたま行けてしまったのだろう。
「それからさっきも言いましたけど、ちゃんと目を閉じて眠ってくださいね。眠ってこの生ける世界から目を背けることが、一つポイントです」
耳元でヒソヒソ言う。
「分かってるけどよ……」
いざ行こうとするとドキドキするのだろう。
『渋谷発、発車します』
電車が発車のアナウンスを告げた。
覚悟を決めたかのように瓦落くんは目を閉じた。鼻筋が通っていて整った横顔だなとは思った。僕も目を閉じた。
「……!」
瓦落くんは、少しだけ指先に力を込めてきた。そっか怖いよね。僕も同じくらいの強さで握り返してあげた。手の平のほんのり温かいぬくもりを感じた。
神経を集中させる。周りの喧騒が聞こえなくなる。
そうしてしばらく経った時。
『……来て、迎えに……早く。マッテル……』
!!
瞬間的に女が啜り泣くような、何とも言えずおぞましい声が頭に響いた。これは瓦落くんの頭の中で聞こえている声がシンクロしているのか?
僕は更に意識を集中させた。
『次は終点、きさらぎ駅』
そう聞こえてハッと目を覚ます。瓦落くんも飛び起きた。僕らは電車を降りた。
「……な、んだ……ここ……!」
瓦落くんが絞るような声を出した。
無理もない。
真っ暗で所々さびれたライトが点灯していて、床には血溜まりのようなものがある……。
そんなこの世のものとは思えない場所だったから。
駅の看板には間違いなく『きさらぎ駅』とあった。
「前はこんなのなかったはずなのに……」
「霊感強い僕と一緒にいるから見えちゃうのかも」
「げえっマジかよ……!
……ホントに来ちまったんだな……」
ゴク、と喉を鳴らしつつ、咄嗟に僕の腕を掴んだ瓦落くん。
「……もしかして怖いの、結構苦手?」
「だ、誰だって怖えだろこんなの!」
まあ普通はそうか。
僕はリュックから懐中電灯を取り出してライトをつけた。
「さて……ここでの目標なんですけども。
あなたに呼びかけている霊を見つけて、成仏させる。それが出来ないならこれで切り裂く」
僕は鞄から小刀を取り出して見せた。鞘から抜くと、刀身がぎらりと鈍く光った。
「霊力のある小刀です」
「お、おお……っ」
「ただ切り裂きに失敗したら僕は死にます。その時は助けられずごめんなさい、一人で逃げて。
でもあなたを救うため、できる限り倒す方向に努めますから。
じゃあ行きましょうか」
「ま、待てよ!」
ぐっと引き止められた。
「なんです?」
「いや、軽く言うなよ!
失敗したら死ぬんだろ?なんでお前、今日初めて会った俺にそんな身体張るんだよ?自分のこと安売りしすぎだろ」
「だから。それが僕のおつとめなんですって。良いんです」
そう。別に最悪失敗して死んだって構わないのだ。そしたらおつとめの裏にある、本当の恐ろしい宿命から逃れられるから。
なんてそんなこと言えないんだけど。
「心配してくれてありがとう」
僕は微笑んで見せた。
実際、こうやって僕のことを心配してくれる人は珍しかった。皆自分が逃げ切ることの方がもちろん大事だから。それは当たり前のことだし。
「優しいんですね」
「あたりめーだろこんなの……」
心底納得いかないという顔に、心の奥がほんのりと温かくなる気がした。
「まあまあ。さ、行きましょう。まずは女の霊を見つける必要があります。あなたのことは僕が守りますから。
……あれ見て!」
その時、ふと頭上の電車の発車案内板に、パッと映った『次発 最終 渋谷行き』の文字。
「いつ出発すんだよ!?」
時刻は表示されていない。
「……霊の世界は気まぐれだから。でもあれに乗れないと本当に帰れなくなるかも。急ぎましょう」
僕たちは歩き出した。ところどころに血溜まりのある、おぞましいホームを。
「やっぱり異次元だよなここ……ホームがすげえ長い。おかしいだろ」
どこまでも続きそうで、どこにも辿り着けなさそうだ。電車はもう遠くにある……。
女の霊はまだいない。
「!」
そして僕の懐中電灯が照らすホームには、この場にそぐわない様々なものが落ちているのを見つけた。この世界に深入りしてきたってことかな……。
ボロボロのクマのぬいぐるみ、古いアルバム、エプロン。
または肩掛け紐の切れた小さな女性用のバッグ、古い片方のローファーなど、実に意味深なものまで。
「な、なあ……そもそもここって一体なんなんだよ?」
「そうですね、ちょっと待って」
それらにそっと触れて意識を集中させると、頭の中に直接映像が流れ込んで来た。
見えるのは、様々な人の生前の記憶と思われるものだ。
『どうしてそんな意地悪言うの?』
『お願い、見捨てないで』
『ひっく……う……うぅ……大好きだったのに』
『分かったわよ、私が消えれば良いんでしょ!』
『さようなら』
そしてホームから飛び降りる瞬間。
暗い車輪の下で、血の滴るちぎれた腕。
だけどその白い指先は救いを求めるようにどこかへ向けて広がっている。
死の間際に流れる一粒の涙。
『どうして私だけがこんな辛い思いしなきゃいけないの。……恨んでやる』
そこで映像は途絶えた。
……最後のは結構ゾクッとしたかも。
僕は手を合わせ、無言で立ち上がった。
「ここは自死した霊の溜まり場ですね、おそらく……」
「……っ!」
「中には随分誰かを恨んでいる霊もいるみたいです。
……その、何か心当たりあります?その、自死とか恨みとかって……」
「!……そんなのねえよ!自死なんて周りにいねえ!それに俺を恨む女の霊なんて……。いて……欲しくねえ……」
「……あるんです?」
「……」
瓦落くんは目を伏せた。
「ね、僕に話してください。あなたを救う鍵ですから」
瓦落くんは迷って迷って、最後に苦しげに話し出した。
「……ナホ。もういない俺の妹。守れなかった。理由は……言いたくない。
とにかく、俺がここで落とした定期入れは元々ナホが使ってたやつなんだ。
俺のお守りっていうか、言いたくないけど形見っていうか。肌身離さず持っていたやつだった。
あれは確かにナホの名前が書いてあったけどさ。
……あのバケモンがナホで、それで俺をここに呼んだって言うのか?俺を相当恨んでるから?
そりゃ、そうかもしれねえ。俺はダメな兄貴だったから。
だけど、でも、ナホはあんなバケモンじゃない!それに……本当に死んでるだなんて、思いたくねえ!」
そう瓦落くんが大声を張り上げた時。
ふいに突然、瓦落くんの上からぬっと覆い被さるような不気味な何かが視界の端に映った。
「瓦落くん、う、後ろ……!」
瓦落くんが振り返る。
そこには白い女の霊がいた!目をぎょろぎょろさせた、真っ赤な唇の女だ。
『お か え り』
!!!!
女はニタ、と笑うと、瓦落くんの首を突然ぎゅっと絞めた!
『ナホって、また呼んでくれて嬉しい』
「……っくっ……!」
瓦落くんが必死にもがくが、動けない!
「よ、よせやめろ!う……!?」
助けようとするが、『邪魔するな』と言わんばかりに女の怨念に身体が本当に硬直した。この女、すごいパワーだ……!
『これでやっと一緒に死ねるわね。待ってたわよ……』
ぎりぎりと首を絞める力は強くなっていく。
僕はなんとか指先に力を込めた。指先から少しずつこの拘束を解いていく、くそ……!
「ナ、ナホ……?本当に、お前なのか?迎えに来てって、俺を……呼んだ、のか?最初に俺をここに呼び込んだのも、お前なのか……?」
女の霊は笑みを深くした。
『そうよ、あなたが死ぬとこ、見たかったもの』
「!……それで、お前は少しは楽になれそうか……?それなら俺は……」
瓦落くんはふら、とよろめいた。霊の前で我を失ってはダメだ、これはまずい!
僕の指先が何本か動いた。どうにか……!
『そうよ、私を見捨てて!この裏切り者!』
女はあふれるような恨みのエネルギーを爆発させた。身体がビリビリと痺れるような!
その瞬間、僕の頭に女の人生が走馬灯みたいになだれ込んできた!
若いカップルが見える。可愛い女性と、背の高い大柄な男性。
男性の方は全体的に少し悪い雰囲気で、だけど顔はぐしゃぐしゃと塗りつぶされた様に見えない。
『なあ、ナホって可愛い名前だよな』
『俺を信じてついてきて欲しい』
それから次に見えたのは、ビリビリに破れた婚姻届、狭いアパートで大喧嘩する様子だった。
『あなた、独身だって言ってたじゃない!どうするのよ、私、子供ができたのに!』
『ナホ、一緒に死のう。生まれ変われば、今度こそ幸せになれる』
揃いの遺書が置かれた部屋で。
『(く、苦しい……。息ができない……!)』
もがき苦しんだ女の、死の間際。
『やっと死んだ、バカ女』
『あ、あなた、裏切った、のね……
……許さない……ユウヤァ!』
そこで映像は途切れた。
ハッとした!分かった、瓦落くん、間違えられてるんだ!
僕は渾身のエネルギーで女の霊的な拘束を破った。
そしてポケットに入れていたお札を女に叩きつけた!
『キャアアアアーーーーー!!!!!』
耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。
「瓦落くん、一旦逃げよう!」
僕は未だ呆然としている瓦落くんを引っ張って走ってとにかく逃げた。
「はあっはあ……う」
相当遠くまで走った。ここに来た時の電車はもう少し先だ。車内は煌々と薄ら寒い光を発している。
相当走ったはずなのに霊がすぐそばにいる気がする……。気分が悪い。
「瓦落くん、しっかり、げっほ」
「……」
さっきの女が妹と信じてしまっている瓦落くん。ぼうっとしている。
「ねえ、あれは、妹さんじゃないですって!ねえ!」
「……俺さえ……ここで……」
だめだこんなんじゃ!
「ごめんなさい!」
僕は瓦落くんにバチン!と平手した。
「!」
驚いて頬を押さえて僕を見つめた瓦落くん。あ、良かった。世界と焦点が合っている。
「ねえ、何死ぬ覚悟してるんです!?さっきの女の霊は妹さんじゃない。別の『ナホ』さんなんです!」
「え……」
僕が感じ取ったあの女の人生を話した。
「そういうことだったのか……」
おそらく既婚者に騙されて自殺に誘導された『ナホ』という女の霊で、『ユウヤ』と瓦落くんを混同していると。
「それは……女も確かに許せねえだろう。けどよ、なんでユウヤと俺を間違えるんだよ!?」
「強い恨みだけが残って、肝心なことを忘れてしまう霊は、実はよくいるんです」
「……!」
それに瓦落くんの内心の後悔の念と女の恨みの念がまずい形でシンクロしてしまったのは、あるかもしれない。『ナホ』を起点に。
「だから、まずはユウヤじゃないとわかってもらえれば良い。それで成仏させられれば、一番平和的に瓦落くんは解放される」
「お、おお!でもどうやって」
「僕がユウヤに成り代わる」
「はあ!?」
「ターゲットを外れれば瓦落くんは安全になる。最悪僕を置いて電車に乗って帰れば良い。お守りのお札は渡しますから」
はい、と強めの効果のあるお札を渡した。
「おい、お前、だから何言ってんだよ!おつとめだからとか聞きたくねえんだよ、ふざけんなって!!!自分の命大事にしやがれ!」
「!」
どうしてそんなに一生懸命になれるんです?ざら、と心がざわめいた。この人といると、大事な何かを思い出させられそうになる。
それは冷たい心に、温かい手を添えるような。
「いえ……」
どくんどくんと鼓動が鳴る。どうにも落ち着かない。
僕が目を向けた、その時。
その瞬間。
『見いつけた』
慌てて振り返る。背後からぬっとあの影がさす。殺されると肌で感じた。だめだ、もう迷っている暇はない!
『ユウヤア!!この……っ!』
「ユウヤは僕だよ!ナホ!!」
「!!」
猛然と瓦落くんを狙っていた女が、ぎらりと僕の方へと向いた。浴びるような殺気にドクンと心臓が波打った。
「その子は友達なんだ、放っておいてやって。呪いは解いてやってよ。ねえ僕だよ、ユウヤは。忘れちゃった?」
『ユ ウ、ヤ……?』
「こっちへおいで……今までごめん」
「よせやめろ!」
「駿くんは黙ってて!ね!ユウヤは僕!」
僕は決死の覚悟をして女に向かって両手を広げた。
『ユウヤア』
ぶわ、と何か目に見えないものにまとわりつかれた感触に、全身の悪寒が止まらない。
『死』そのものが目の前に迫っている。歯を食いしばって耐えた。
「ふ、あはは……」
僕は頬が引き攣って自然に笑えない。でも耐えろ由真!瓦落くんだけは絶対逃す。あったかい人はこんなところで死んではだめだ。
「ごめんね、僕もここに来たよ。こんな暗いところで一人で大変だったよね……」
女の霊をふわりと撫でた。このまま何とか説得して成仏の方向に……!
「……償いたいんだ、君を楽にさせてくれないか」
『……』
お札をそっと取り出す。霊を納得させた上でこのお札を貼れば、成仏させられる。
「もう彷徨う必要はないんだ」
ふと女の力が抜けた。いけるか?なんとか……!
だけど女は気持ちを改めるかの様に、突然、ギリッと僕の髪を掴んだ。
「ううっ!」
『いやよ』
「!!!」
その瞬間、稲妻のような衝撃が全身に走り、握っていたお札は真っ黒焦げに変色した。
これはまずい!
『あなたが優しい時って、私を陥れる時だったもの!もう誤魔化されないわよ、ユウヤア!!!』
一瞬で死霊の憎悪が激増した。
ヤバい!と思うと同時に、女はさらに膨らんで一気に化け物のような姿に変身!襲いかかってきた!
僕はすぐに霊力のある小刀で応戦した。咄嗟に少し切り裂いた!
『イヤアアア!!!!ユウヤア!!!!アタシを、これ以上傷つけないで!!!』
この世の終わりともつかない激しい音量とエネルギーに全身がビリビリと痺れる。
「!」
『殺してやる!』
カツンッ!と音が鳴る。小刀を相当遠くに弾き飛ばされた!電車の方向だ。早く拾いに行かなきゃ。
だけどこの女、恨みがめちゃくちゃ強い。隙がない。やばい、これは、本当にまずい!
「……っく!」
『また騙した!そうやってアタシのこと殺そうとする!!!アタシをまた捨てるの、ユウヤああ!!!』
霊が大きな口を開けた。無数の歯が目前に迫る。
ばくん、ばくん!と大きく噛みつこうとしてくるのを、死に物狂いで避けた!一回、二回!
「くっ彼岸!」
女に決死の覚悟で飛びついてくれた瓦落くん。だけど女の恨みの力で吹っ飛ばされた。
小刀は遠い……!
『死ねえ!!!!』
バクンと食べられる一瞬先の未来が見えた。ぎりぎり避けれたけど、もうそろそろ限界だ!
「うっ!」
僕は女に腕を掴まれた!死ぬ!
「……くっそ!!」
瓦落くんはさっきあげたお札を女に貼った!女にバチ!と衝撃が走り、僕は女の拘束を逃れた。
「瓦落くん!そんな、それじゃ君の身を守れなくなる!」
「そんなこと言ってる場合か!」
『消してやるわ……ユウヤ……それに邪魔するお前も……!』
女が瓦落くんをぎらりと睨みつつ、僕に迫る。
だめだ。このままじゃ二人とも死ぬ。
僕は一歩、二歩と後ずさる。
そのとき。
『最終 渋谷行き まもなく発車します』
割って入る様にアナウンスが流れた。
「っが、瓦落くん!アレに乗って逃げて!あの終電逃したらホントに帰れないかもしれない!」
「おっお前はどうすんだよ!」
「僕はどうでも良いです!早く!!逃げて!今逃げればあなただけなら助かる!!お札ないんでしょもう!早く!!!」
「あ……。く……っ!」
一瞬迷って向こうへ走り出した瓦落くん。
ホッとして見送った。怖いの苦手そうだったし。多分根は優しい人だから。
犠牲は僕一人で良い。とにかく時間だけは稼がなきゃ。
『おつとめして早く死んだら良いのに』と、かつて親族に言われた言葉がふと頭に浮かんだ。僕のその隙が致命的だった。
「……っあ!」
脚がもつれた。僕は転んだ。ずり下がって逃げようとしたが、ホームの壁に背をついた。もう逃げ場がない。
目の前にニタリと笑う女が迫る。
相棒の小刀は、ない。
『ユゥヤァアア!!!』
ダメだ、助からない!
頑張れ由真、死ぬ時は一瞬のはず!
その時。
「うらああああ!!!」
瓦落くんの声が間近でした。小刀を持っている!
「食らえ!!」
瓦落くんは、女のすぐ側で小刀を振り上げた。
「やぁああああ!!!」
小刀が一瞬パチッと輝くのを僕は見た。まさか霊力か?瓦落くんはそのまま死霊に突き刺した!
『アアアアアアアア!!!!!』
耳をつんざく轟音のような悲鳴が響いた。女はのたうち回っている。
あれは霊能力者にしか扱えないはずなのに!
「瓦落くん、なんで戻ってきちゃったの!?」
「お前一人置いていけるかぁ!」
「……っ!」
「二人で生きて帰るに決まってんだろ!」
瓦落くんは僕に駆け寄ると、ぐいと僕を引っ張り起こした。こんな力強くて温かい腕、人生で初めてだった。
「それにな!」
瓦落くんは蠢く死霊に向き直った。
「ナホ!よく聞け!!俺もこいつもユウヤじゃない!
自分を捨てたヤツをいつまでも惨めに待つな!
こんなとこで燻ってんじゃねぇ!
生まれ変わって、今度こそ幸せになれよ!だせえ男で自分の人生諦めてんじゃねえ!!」
『なによ、そんな!そんな!あああああーーーー!!!』
もがき苦しむ女の声。
同時にジリリリリ!と発車ベルが鳴る。
『終電 渋谷行き、もうまもなく発車します』
時間はもうない!
「おい、行くぞ!!」
「……!!!」
説得の時間はない。僕はお札を女の近くに置いた。
「もし楽になりたかったらこれを抱いて。そしたらゆっくり眠れるから。また生まれ変われる」
そして走り出した。だけど。
『……うあああーーーーーっ!』
僕らを追ってきた女。ダメだ、成仏を選んではくれなかったのか!
瓦落くんに無理やり引きずられる様にして必死に走り出す。だけど、僕はもう足がもつれて……!
『ドアが閉まります、ご注意ください』
「乗れ、ほらこっち!」
先に乗った瓦落くん。
僕が電車のドアに隔てられそうになると、中から手を差し出してくれた!
僕がその手を掴むと、強い力で引き入れてくれた。
ギリギリで後ろで閉まるドア。ドアの向こうの女。
きさらぎ駅から、渋谷駅に向かう―― 。
「お客さん!終点だよ」
ハッと飛び起きた。いつの間にか気を失っていたらしい。
車掌さんが無愛想にこちらを見下ろしている。途端に流れ込んでくる周囲の喧騒。
瓦落くんは僕に寄りかかるようにして眠っていた。お守りみたいに繋いでしまっていた手を、ぱっと離した。
誤魔化すように周囲を見渡す。
「ここは……あ、渋谷駅だ。良かった帰って来れた」
心底ホッとした。崩れ落ちそうになるのを瓦落くんが力強く支えてくれた。
「あ、ありがとう」
「お互い様だろ」
結局のところ、あの死霊を祓えたのかは分からない。最後を見届けていないから。
でも、僕らは無事に帰って来れて、頭の中で女の声もしないし、いつの間にか例の定期入れは瓦落くんのポケットに入っていたし、瓦落くんの首のアザも消えていた。
特に霊の恨みを受けている体感もない。
これらを鑑みるに、あの女は成仏を選んだと思われる……。
結局あの女は迷った末、瓦落くんの心からの言葉によって、最終的には新しい人生を選ぶことにしたのだろう。
その気持ちは分からなくはない。
僕もつい、あの時の瓦落くんの言葉にじんわりしてしまったから。
花が光ある方向を向く様に。瓦落くんには、人を生きる方向に向かせる何かがあるのかもしれない。
ファミレスで時間を潰し、明け方5時台の始発を待っている間。
疲れでぐっすり眠る瓦落くんの寝顔を見て、すこし苦笑した。
死霊祓いが助けられちゃダメだよね。
なんてほっこりしてたら僕も寝てしまった。寝過ぎちゃって6時に起きたんだけど、ふと起きたら僕に瓦落くんのブレザーがかけられていた。
早朝の渋谷駅にやってきた。
ホームには、サラリーマンに混じって、朝練へ行くのだろうユニフォーム姿の学生や、真面目に参考書を読んでる子なんかもいる。
清々しい青春だな、まあ僕はあっち側じゃないけど。高校なんて行ってないし。でも同じ清々しい朝を共有してる……つもり。
僕と瓦落くんはホームが別だった。
「あ、じゃあ。僕こっちなので。お疲れ様でした。もう大丈夫だと思いますから、よく家で休んでくださいね。それじゃ」
そう言って去っていこうとしたらぐいと肩を掴まれた。振り向けば瓦落くんは眉根を寄せている。
「え、なんです?カツアゲ……?」
「んな訳ねえだろ。ちげーよ。そんなサクッと帰ろうとするなよ。連絡先ぐらい教えろよな。ってかその敬語やめろ」
「あ、はい」
ぎら、と睨まれる。
「うん」
言い直した。
促されるまま携帯を出す。
ちなみに僕の携帯は丸っこいキュートなオバケのキャラクターが待ち受けである。
連絡先を交換した。
「今回はありがとな、ほんと」
「あ、いや。最後は瓦落くんのおかげだから」
「俺のために身体張ったヤツがいたから俺もああ出来ただけ。
なあ、近々またどっかで会おうぜ。
お前は一人でいたらダメだ。お前だって誰かに守られないと、そのうちホントに死んじまうんじゃねーの。
……じゃあな、由真」
クールな不良くんはそう言って帰って行った。
少しだけ行ったところで瓦落くんは振り返り、大きく手を振ってくれた。
ばいばいと手を振り返す。そのやり取りに、心がほんのり温かくなった。なんか、良い人だったな。
僕も反対側に歩き出す。
由真、か。へへ、良い響き。
足取りが少し軽い。ジュース買っちゃおっかな。僕は自分のホームにつくと、自販機で浮かれてピッとコーラを買った。
ぶし、とキャップを開ける。ふわふわする気持ちを鎮めるべく、一気にごくごく飲んだら喉がシュワシュワと焼けて、溢した。
「げっほげほ……もー、ばか」
また連絡するってホント?友達だと思って良いのかな。
今までは死霊祓いをしても、誰もそれっきり。感謝はすれど誰も僕には近寄らなかった。
霊感強くて周囲を怖がらせ、友達なんかずっといなかったし。
でも彼は違うらしい。連絡、本当にくるのかな……と思って携帯見たら早速来てた。
『こぼすなよ』
ふと見ればあっちのホームで瓦落くんが苦笑していた。
本当に電車が来てバイバイと今度こそ別れた。ふくふくと胸がくすぐったかった。寝たらもったいない。そんな気持ち。
でもこんな僕に友達なんてな……。そもそも長い命じゃないからな。ズキリと胸が痛みもした。
いやいや、今だけは忘れよう。
走り出した電車の外。朝の空は、一際まぶしく感じられた。
また会ってみたい人が出来たことを、今はただ喜べば良い。
次に会うことがあったら何話そう。ねー学校どこ?とか聞いて良いのかな。それか本当にあった怖い話とかして怖がらせてみようかな。
ふふ、いやいや。
……なんかただ近くでおしゃべりしてるだけで元気になれる気がする。少しだけわくわくした。
そういえば瓦落くんって妹さんのことで、なんかずいぶん悩んでるっぽかったな。
いつか教えてくれないかな。そしたら何か役に立てるかも。そうなれたら良いな。
