アイドルと伝播する血液の怪異



 汐人とのできごとは、常に頭の隅に引っかかったままだった。

 だが、デビューを目前に控えた日常が、容赦なく時間を押し流していく。
 スケジュールは分刻みの多忙を極め、追い打ちをかけるように肉体を酷使する猛烈なレッスン。スニーカーにガラスを入れられることも、もうない。立ち止まって、汐人のことを、深淵を覗き込む余裕など、今の俺には許されなかった。
 

 最初の違和感が起きたのは、汐人と出会ってから十日ほど経った、深夜のことだった。

「はあッ……はあ……ッ」

 ベッドの中、体内の違和感はもはや誤魔化しようがなかった。だが同室のLIOに、気取られるわけにはいかない。
 俺はブランケットを頭からかぶり、必死に息を殺す。さっきから腕が、焼けるように熱い。それがドクドクと不快な拍動を刻んでいる。俺はスウェットの袖をまくり上げた。

「これは……!?」

 露わになった左腕では、異様な変化が起きていた。
 血管が青白く発光し、脈々と浮かび上がっていたのだ。脈打つたびに不気味に浮かび上がるそれは、手の甲まで続く。喉の奥まで出そうになった悲鳴を、必死に飲み込む。

 汐人の言っていた現象が、ついに俺の身にも降りかかってきたのだ。
 俺の身体で、俺のものではない異様な血液が作られ始めているのだろうか。何かが、俺の中で増殖を始めているのだろうか。俺の身体が、俺でないなにかに侵食されていく。

 どろりとした悪寒が背中を駆け上がり、骨の髄まで戦慄が突き抜ける。皮肉なことに、骨の髄こそが、血液が生み出されるその場所だ。

 ――SNSを介して受け継がれる怪異。その伝播の連鎖に、俺も引きずり込まれたのだ。

 やがて俺の身体を流れる血液は、汐人から発した異質な血液にすべて成り代わる。そうして、この身を奪われ、殺されるのだ。ようやくアイドルになる望みを掴んだばかりで、まだなにも成し遂げられていないのに。

 病院に行くべきだろうか。スマホの検索窓に、”血管 発光する病気”と入れて調べてみる。そんな病気が存在するのだろうか。だが、出てくるのは脳や目の病気を疑う所見だけだった。

 俺の脳か目が、おかしくなっているのだろうか。
 ジリジリとした、午後の強い日差しに支配された河川敷。桜の木の濃い影の中にいた青年ーー汐人の姿を思い返す。あまりに鮮やかなあの光景は幻だったのだろうか。

 汐人は、俺の脳の異常が見せた、存在しない存在だったのだろうか?

 残念ながら、俺は自分の身体に何が起きたのか理解していた。否定したくとも、俺の中に突如現れた汐人の血液が、雄弁に伝えてくるのだ。

 できることは、ただ自分の身に起きていることを呆然と眺めることだけ。発光している血管は熱を持ち、どくどくとそれ自体が独立した生命のように波打つ。
 恐怖、混乱、逃れたい、何らかの取引で逃れられないかという浅ましい足掻き。……混乱で支離滅裂になった考えが脳内を忙しく駆け巡る。

 だがふとある考えがよぎると、それきり一切の考えが流れてくることはなくなった。
 俺の頭の中はしんと静まりかえる。

「……なんか綺麗だな」

 ブランケットの暗闇の中で、自分の手を掲げてみる。
 浮き出た血管から光が溢れる。腕全体が幻想のように白磁の光を帯び、白く透き通るように発光している。人を魅入らせる光。

「生き物じゃないみたいだ……」

 逃げようという意志も、助かりたいという願いも、霧散していく。
 いつしか恐怖を忘れ、俺は青白い光を飽きずに見つめ続けていた。


 身体を異様な血液に侵食されていく現象は、容赦なく続いていった。

 デビュー直後のアイドルグループのメンバーに、誰にも見られない場所など与えられない。数少ないオフ日の単独外出も、スキャンダルを警戒する事務所によって厳しく制限されている。プライバシーなど存在しない。

 その日は夜、バスルームで一人その現象に耐えていた。

 その日の異変は、左腕だけに収まらなかった。右腕もじわじわと同じように青白く発光しはじめていた。恐る恐る下を見る。裸足の足の甲の血管も。確認しなくても、身体中の血管に異様な変化が起きているのは、火を見るより明らかだった。

 ここなら、多少音を立てても水音でかき消される。だが、長い時間こうしているわけにもいかない。何かあったのかと誰かが、あるいはLIOが、長いこと部屋に戻らない俺を気にして様子を見に来るだろう。

「はあ………ッあ、はあ…はぁ…熱ッ」

 侵食は、逃げ場のない物理的な苦痛をもたらした。

「はぁ…はぁ……はぁ………」

 血管の隅々までもが沸騰しているかのような熱を帯びる。冷水のシャワーを浴び続けても、触れた瞬間に蒸発してしまうのではと錯覚するほどに、火照りは一向に収まらない。
 洗面所に誰かが入ってくる。JJだ。さっき、新しいヘアケア用品を一緒に使おうと言ってきていた。

「KEI、ここに置いとくね~」
「ありがと」

 ――俺はどうなってしまうのだろう。


 鏡越しの自撮りで見慣れているはずの、鏡の中の自分の姿に、息が止まる。

「はあ………」

 鏡の向こうでは、白金色の髪の若い男が、壁に体重を預けて、苦しそうに表情を歪めていた。
 陶器のように薄い白い肌は、内側からの青白い光に透かされている。皮膚の下を走る血管が青白く発光し、稲妻のような模様となって浮かび上がり全身を走っていた。 
 鼻筋はすっと通り、形のよい艶やかな唇は紅色をしている。切れ長で目尻がやや上がっていて、少し三白眼ぎみの目、 たっぷりとした上下のまつ毛がそれを縁取っている。
 その目が、薄っすら発光しているように見えた。


 部屋に戻った俺を、LIOが待ち構えていた。
 その表情、彼は何かを察しているのだろう。咄嗟に、どうやって誤魔化そうかという思考が頭の中を駆け巡る。

「KEI、やっぱり体調が悪いんだろ」
「…そうかも、疲労と寝不足かな。LIOも気を付けて。今日は早く休むことにする……」

 LIOの脇をすり抜けようとしたとき、不意に視界が揺れ、身体がふらついた。俺の腰を、LIOが咄嗟に抱きとめて支える。
それをやんわり振りほどこうとするが、逆に引き寄せられ、抱きすくめられるような格好になる。

「スタッフに言って、病院に行こう」
「……大したことない、すぐ治る」
「KEI」

 どういうわけか、彼はそのまま動こうとしない。自分より体格のいい男に、しっかりホールドされると容易には抜け出せない。服の下で熱くなっている身体を、まだ淡く発光している血管を見つけられかねない。
 俺は恐怖に近い焦りに突き動かされ、離す気配のないLIOの胸を、なりふり構わず力任せに押し返した。

「離せ」

 静かな室内に鋭い拒絶が響く。

 自分でも驚くほど、露骨な拒絶を投げつけてしまったことに気づき、動揺する。俺はLIOの顔を見られず顔をそむけたまま、取り繕うように、続ける。

「……ただの風邪だよ。移すかもしれないし…」

 恐る恐る顔を上げる。

 なぜ俺がそんなにもかたくなに拒絶するのかわからずに困惑したような表情を、LIOは浮かべていた。だがそれは一瞬のことで、外面を気にすることもできないほど体調が悪いのだと、理解したらしい。彼は気遣うようにそれ以上何も言わず、自分のベッドに引き下がった。

 あとでフォローしたほうが良い。そう思ってはいるものの、光る血管を抱えた熱を持つ身体を抱えていては、これ以上LIOに近づけなかった。



 独特の世界観に、抜群のビジュアルと抜きん出た実力。オーディション番組の激戦を経て、結成された7人組のボーイズアイドルグループCI-FAR (シー・ファー)。コンセプトは【ミステリアスな月の裏側】。

 そのファンダムに与えられたファンネームは、HALO(ヘイロ)。月の光輪から、月であるCI-FARを囲む光という意味づけがなされている。

 ステージの中央、眩しいライトを浴びて、優雅な華やかさをまとうHAULが、センターに立つ。言葉は多くないが、知性にあふれた男で、多言語を巧みに操る。優し気な微笑み。指先まで優雅さに満ちた彼の一挙一動から、視線が離せない。
 
 チョコレート色の髪、目が大きく美少女のような可愛らしい印象の風貌に、似合わぬ長身と低音ボイス。さらにバラエティで巧みな面白いトークで翻弄するJJ。時々見せる雄みとのギャップに、悲鳴のような歓声が上がる。

 日米ハーフで、特有の精悍で目を引く造形、身長185cmで筋肉質な恵まれた体格を持つLIO。一匹狼のような風貌と思いきや、愛嬌のある世話焼き兄貴的な性格のギャップも、ファンを狂わせる。

 メインボーカルのRYUは、次元の違う表現力で感情を歌に乗せ、観客を魅了する。中性的な正統派の美少年の風貌に、アーティスティックで非凡な感性、ファッションセンスを持つ。

 最年少のJACK。涼し気な目元が印象的な、クールなルックス。とは裏腹に、軽快なトークで魅せる。周りの潤滑油的な存在で、ノリで適切に場を回していくが、その裏には的確な気遣いと計算がある。

 赤い髪の、感情表現が豊かなYUNA。誰もがつられて笑顔になってしまう。いると画面がパッと華やかになる。身長186cmで小顔のスタイルお化け。 


 俺たちは、没個性的な一つの美しい集団であるようにも、あるいはあふれ出る個性を主張し合う集団であるようにも振舞えた。彼らの誰もが、眩しいばかりの魅力にあふれ他人を魅了していた。

 練習生の中では異質に目を惹く存在であった俺でさえ、このなかに放り込まれれば、背景として埋没した存在になる。悔しさは全くなかった。彼らはそれに相応しい実力者だからだ。

 俺は後列で踊りながら、より目を引く存在になるにはどうするべきか考えていた。
 メンバーたちは理想のようなお手本になる。ファンを愛すること、感情を表に出すこと、自己を開示すること、自信を表すこと、……。


 デビュー直後から、CI-FARの人気にはすさまじい勢いで火がついた。俗に言うロケットスタートだ。

 オーディション番組が生んだ前評判とファン、公開と同時にSNSで爆発的に拡散されたMVが火種となった。予想を裏切る勢いで再生回数が跳ね上がり、そのまま俺たちは文字通り最前線へ押し出された。

「MV動画を見ていたかと思ったらファンクラブに入っていました。今日からHALO」

「銀縁メガネでバキバキに踊るHAULのギャップ、天才すぎる」
「JJのきゅるるんさと雄みの同居具合に狂う」
「LIOの沼深い、デカさと腕と胸の厚みに狂うし、それでいてお兄ちゃんとか属性が渋滞すぎる」

「RYUの歌声、聞くたびに全人類が狂う。なのにお顔が美少女」
「キリっとした美少年かと思いきや、JACKのトークの上手さと面白さよ。永遠に喋っててほしい」
「YUNA実在してる? スタイルお化けでCGかと思った」

「クールな性格に見せかけて、メンバーとの過剰なスキンシップが刺激的なKEI。言葉が端的過ぎて深読みが滾る。一番笑顔が少ないのに、笑うと心臓止まるかと思った」

 即、スケジュールも火がついたような過密を極めていく。あの部屋に寝に帰る間すら惜しみ、現場を回る日々。

 だが、この常軌を逸しているとも思える仕事量に、ついてこられなかったり不満を漏らす者は誰一人としていなかった。 皆、極限状態でも、疲れなど知らないように振舞っていた。完璧に鍛えられたアイドル候補生だった俺たちは、寝ずとも、何時間でも笑顔を振りまいて踊り続けられるくらいの体力は、当然のように持っている。

 
 出番を間近に控えた控室。セットされた髪が崩れないように、俺は注意しながら軽く目を閉じる。

 両耳が鈍く痛む。前日、ピアスを付けるために穴をあけられていた。
 その痛みが、俺に求められていることをじわじわと知らしめてくる。自我を殺すこと、ミステリアスな雰囲気だが照れ屋でかわいいところのあるKEI ――虚構の与えられた役になりきること。髪を白金色に脱色され、華美に装飾された衣装を着せられ飾りたてられ、圧倒的な憧憬の対象に作り替えられること。手の届かない美として立ち振る舞い、微笑みを送り魅了し続けること。
 それがアイドルになることの対価なら、望むところだ。

 不意に内側から、あの血液が、どくどくと波打ってくるのを感じる。
 衣装を身に着け、髪も綺麗にセットされているので、乱すわけにいかない。掌を握りこみ爪を立てて耐える。口の端から唾液が垂れてきて、それを拭うと手の甲に紅色のリップが付いてきていた。
 

 やがて、俺に巣食った汐人由来の異様な血は、予想だにしない副産物をもたらした。

 どういうわけか、浸食が進むに連れ、俺の放つ空気は変質していったのだ。
 鏡の中の俺には、これまで持っていなかった不安定で不可思議な色気が現れ始めていく。それは、死が迫る物の放つ、危うい透明感に思える。
 だがはた目から見ると、別世界から来た存在じみた、底知れないミステリアスさ、人ならざる美しさとして映るらしかった。 

 ファンはそれに目ざとく感づき、ステージライトに浮かび上がる俺の姿に熱狂するようになった。

 白金色に輝く、量が多く華やかで、艶のある癖のない髪。
 曲線を描く額、意志の強さと神秘性を感じさせる眉、そして上下の長いまつ毛が彩る切れ長の瞳。
 端正にすっと通った鼻筋。柔らかで華やかな印象の唇、つんとした顎のライン。
 すらりとした長い首から続く骨格は、恐ろしいほど均整が取れ、すらりと伸びた手足が軽やかに見る者を。
 なにより、内側から輝くきめ細かな色の薄い肌。

「オーディション番組でも十分美しかったけど、デビューしてから完全に化けた」

「実物のKEI、画像の100万倍発光してた。あの透明感、意味が分からない。化粧品メーカーは今すぐ広告塔に採用するべき」
「顔が小さすぎて、腰の位置も高すぎる。奇跡の178cm」
「激しいダンスでもステップでも全くブレないし、汗がライトに照らされるの、透明感通り越して肌が透けるかと思った」

 それはそうだろう。俺の身体に宿った、この世ならざる色気。
 それを化けたと称賛する世界に対し、俺は完璧に作った微笑みを返す。悲鳴が響く。

 ――俺のことを二度と忘れられないようになるまで、離してはやらない。


 俺は視線を一身に集め、見る者に抗えない恍惚を与える。振り向くたびにその心を鷲掴みにし、深く突き刺す。

「冥界から来た?」
「まるで死を予感させるような、危うい美がすぎる。今すぐ美術館に収容しなくては」
「KEIに殺されたい」
「KEIの声を聞きながら息絶えたい」
「KEIを最後に見て死ねるなら、それ以上の人生はないのでは」

 彼らが熱狂の渦の中で吐き出す言葉。
 それは間違いなく、俺の中で侵食がもはや戻れないほど進んでいるという事実を突きつけてくる。この血に殺される日が近づいている絶望と同時に、胸の奥から湧き上がるような恍惚も感じる。

 生来の望みが現実になる、絶対のアイドルになれるという、昏い喜びだった。

 ――突き刺さらなくては。最後のその日まで。
 観る者の魂をえぐり、二度と忘れられない傷跡を残さなければ。


 SNSのフォロワーは、日ごとに見たことのない勢いで増えていく。DMはもう追えなくなった。そこには自動的にファンダムが形成されつつある。

 俺はすでに、他人を信じられず友達がいない、人との距離を近づけられない不破慧一ではなかった。

 世界に存在するのは、自信に満ち溢れたKEIというアイドルでしかなかった。


 そして次にリリースされる新曲で、俺の立ち位置はセンターになった。
 

【4話へ】