アイドルと伝播する血液の怪異




 火曜日の夕方。

 指定された待ち合わせ場所は、事務所の拠点から離れたある地方都市。さらにその市街地からバスに揺られた先にある河川敷だった。

 その日は夕方からオフ。俺は目立ちすぎるプラチナブロンド色の髪を、目深にかぶったキャップに押し込んだ。念のため、顔を隠すためのマスク。
 駅からバスを待とうか、タクシーを使うか考える。本数も多いし、汐人の見ている風景を知りたくて、バスを選ぶ。帰宅途中の女子学生たちがこちらをチラチラ見ているのに気づき、俺は顔を隠すようにうつむいた。

 内心ではまだ疑っていた。本当に汐人は現れるのだろうか。


 季節は初夏。視界の開けた、見晴らしの良い河川敷には、遮るもののない午後の空が広がっている。
 広く取られた川幅を、深く水量の多い水が穏やかに流れていく。ときおり、犬を散歩させる近所の住民がと通っていくくらいで、人は少なく静まり返っていた。
 ところどころに桜のような木が植わっていて、今は青々とした生命力の塊のような青い葉が濃い影を落としている。春には、一面が薄いピンクの花で埋め尽くされるのだろう。

 桜の花はわりと好きだ。1年のうちたったの10日足らずしか咲かないゆえの特別感があるから。

 日はまだ高く、河川敷には眩しい午後の気配がまだまだ残っていた。

 河川敷へと降りていくと、指定された待ち合わせ場所の近く。一本の桜の木の側に、見知らぬ青年がたたずんでいた。
すらりと背の高いその姿を認めた瞬間、心臓が大きく跳ねる。

 近づいていくと、青年の容姿は、俺の知る瀬田汐人のものではないことがわかる。
 年はやはり大学生くらいだろう、学生らしいラフな黒の上下を着たすらりとした調整の取れた骨格。彼は俺を認めるまで目線を伏せていた。

 青年は俺に気が付き、体をこちらに向けると、俺を見た。

 汐人が持っていた癖の多い黒髪でも、黒目がちな瞳でもない。顔にかかる癖のない長めの髪、左側の目の下にあるほくろ、シルバーの細いフレームの眼鏡が洒落た印象でよく似合う。俺も上背はある方だが、向こうの方が目線が高かった。

 その目は、こちらへの強い関心を宿し、俺をじっと見つめていた。彼は唇を閉ざし、一言も発しようとしない。
 その表情からなんの感情も読み取ることができず、俺はかすかに戸惑った。真意を測るべく、俺もまたその視線を受け止める。
 そのまま無言でしばらく時間が過ぎる。ガァガァと水鳥が鳴く声が遠くで聞こえる。

 沈黙を破ったのは俺だった。

「おまえは瀬田汐人か?」

 彼は変わらずじっとこっちを見つめていたが、目にこれまでと違う感情が浮かんでいた。少し逡巡しているようにも見えた。

「……そう。慧一だね」

 俺が頷くと、彼は急に何かが決壊したように雰囲気を変えた。
 表情を崩し、白い歯を見せて嬉しそうに微笑んだ。

「慧一、会うのは初めてだね。動画で見たのと同じ慧一だ」

 目の前に立つのは、画像で知る汐人とは、違う容姿を持つ青年だった。だが、わかる。

 どういうわけかフリマアプリで出会い、SNSでたわいない話を交わし続けたあの汐人だ。
 まだ見ぬ知らないことへの興味関心と好奇心で輝き、それを見極める理知に満ちた感性。目の奥に宿る独特の光が、彼がまぎれもなく汐人本人であることを俺に告げていた。

 ――否、汐人だったなにかだった。

「こんなのになって、会いに来てごめん」

 初夏の日中の強い光が頭から降り注ぎ、汐人に強い影を落としている。
 汐人の外見はありふれた青年のそれだった。だが、彼の周りには異質なとしかいいようがない異様な雰囲気が漂っていたのだ。

 端的に言えば、死の気配だ。
 汐人は死の気配を全身にまとい、こちらを見ていた。俺は思考がまとまらないまま、目をそらせずに固まっていた。

 背中に冷たい汗が流れていくのが妙にゆっくりとわかる。霊とか呪いとか怪談とか…そういった類のものを、俺は一切信用していない。それらしい恩恵を受けたことがない俺は、神も存在しないと思っている。だが、現に目の前に現れたものは否定しようがなかった。
 俺の戸惑いに気が付いたのか、汐人は思い出したように気まずそうにした。俺は何事もないように表情と声を取り繕った。

「ううん。会えてよかった。返事を返してくれてありがとう」

 汐人は目尻を下げ、愛おしいものを見るような目で俺を見た。

「デビューしたのを知って、すごく嬉しかった。あんなに一途に追っていた望みを、慧一はついに自力で叶えたんだな」
「………ありがとう」
「デビューが決まったオーディション番組も、全部見た」
「……ありがとう。俺は見てない」
「なんで? 面白かったよ」
「既定路線でストーリーを作って、いちいちインタビューを曲解して、それっぽく編集されるから腹立つ」
「今回のストーリーは、人を信じない冷淡なヒールの美少年が、愛に目覚めるまでだな」
「ヒールじゃない…」
「いや、またヒールだったよ。また口を歪めて笑うところがフィーチャーされがちだったし。でも今度は感動的なストーリーだった」

 俺たちは互いを確認するように、軽くじゃれあうように、言葉を交わし続ける。これはやはりよく知るあの汐人だと、俺は再び確信する。
 聞きたかったことを聞かなくては。この機を逃しては…おそらくもう二度と聞けないだろう。

「汐人、聞きたいことがある」

 俺の様子に何かしらの決意を感じ取った汐人が、まっすぐ俺の目を見た。

「俺と話していたころ…汐人は迫りくる死と戦っていたんだろう。汐人が何を考えていたのか。もしよければ聞かせて。言いたくなければ、拒否してくれていい」

 汐人はあっさりと頷いた。

「いいよ。……その代わりというか、僕にも慧一のことを聞かせてほしい」
「俺のこと?」
「慧一がアイドルを志す理由を知りたい。もう少し生きられたら聞くつもりだったのに、その前に死んだから。今の慧一の、生きる理由の全てと言ってもいいだろ?」

 思いがけない言葉に、逡巡する。だが俺も汐人に俺のことを知ってほしかった。自分のことを話すのは慣れていない、どこから話すべきか考えて、俺はしばらく黙った。汐人は遮ることなくそれを待っていた。

「アイドルを志す理由は……人には話したことはなくて、今初めて話す。俺は、他人の中に在りつづけたいんだ」

 自分の根底にある望み。

「深く突き刺って俺のことを忘れないようにさせたい。それが一人だと心もとないし信用できない。刺さる人間の数は多ければ多いほどいい。それを実現できる最適な手段がアイドルだった。ファンを幸せにしたくてアイドルをやっているわけじゃない、ただの俺の利己的な欲望を叶えたいだけだ。俺には最初から両親も兄弟もいない。だから本能的にそう思うんだろう」
 
 自分の中ではずっと自明なことだが、言葉にしたのは初めてで。俺はゆっくり一言ずつ言葉を選んだ。

 汐人はSNSごしにそうしていたであろう、目に興味関心に満ちた光をたたえて、口元に期待をはらんだ笑みを浮かべ、俺の顔を凝視していた。そこになにか、彼にとって面白いものを見いだしているのだろう。
 そうやってかつてのように、奇妙な寄り添われ方をされるのに、俺は不思議な安心感を覚えていた。


 地方の児童養護施設。物心ついたときにはすでにそこにいた。
 ただの事実だから、そこに感傷もないしなんとも思っていない。

 両親がどういう人間だったのか、その一切をするすべはない。

 ただ一つ確かなのは、彼らが類まれなる美貌の持ち主だったのではないかということだ。
成長するごとに、俺は極めて優れた容姿の遺伝子を宿していることを、周囲の過剰なまでの反応から嫌というほど思い知らされてきた。

 そして、俺が大人びていくにつれ、この容姿は周囲を焼き尽くす火種へと変わっていった。

「けいくんのいちばんは、わたしなんだから。ねえ、そうでしょ?」
「けいくんがあたしに笑いかけてくれたの、あんた見てなかったの?」
「うそつき! けいくんは、あたしとだけおはなしすればいいの!」

 施設では俺を奪い合って、女子生徒同士のトラブルが頻繁に起きるようになった。時には男子生徒同士ですら不穏な衝突が起きた。
 それどころではない。職員、出入りする関係者、果ては他の保護者が、俺と二人きりになろうと画策したり、直接触れてこようとすることも一度や二度ではなかった。
 俺は次第に他人を信じられなくなる。周囲を拒絶するように性格は刺々しくなり、他人と深く関わるのを避けるようになった。

 学生になって、騒ぎは収まるどころか、むしろ火種はより大きく広がっていった。俺はたびたびトラブルの元凶として扱われた。

 ある時、職員室に呼び出され、何もしていないのに叱責されるであろうことに、ふてくされていた時のことだ。
不意に部屋の鍵を閉められ、執拗に距離を詰められ迫られたときは、忍耐が限界を超え、近くにあった椅子を窓ガラスに投げつけた。ガラスが割れる破砕音が周囲に響き渡り、俺の内心もひび割れていくように感じた。

 そんなとき、学校の用事で都心に向かった際、偶然居合わせた事務所の関係者にスカウトされた。
 俺はそれをきっかけに、アイドルを目指す練習生としての道を選ぶことにした。

 自由になる金銭などほとんど持っていなかったが、それも事務所が工面するという。
 胡散臭さはぬぐえなかったが、何も持たない俺は、その不確かな希望に縋りつく以外の選択肢はなかった。

 その頃のことだ。俺の中で、歪な願いが育ち、鎌首をもたげるようになっていったのは。

 ――より多くの、夥しい数の他人に突き刺さり、永遠に忘れられなくさせたい。
 俺をお望みならば。降りかかる欲望を消費されるがままにはさせない。こちらから蹂躙してやる。

 その俺の目的を叶えるために、アイドルという道は、その時の俺が選択できる中で最良な手段に思えた。唯一の武器である、この外見を役立てられるのが、近道であるには違いないと考えたからだ。

 そうして練習生としてレッスンに励むようになったが、皮肉にもこの性格が災いし、思うように成果につながらなかった。出口が見えず停滞する日々を送っていたころ――汐人に出会った。


 汐人は目を伏せて、何かを、俺とやり取りをしていたころの時間を思い出しているようだった。
強い光で色濃く浮き上がる桜の葉の影が、風に揺らされてその影の形を変え続ける。

「それからは汐人の知るとおり。こうやって話すと、馬鹿みたいな人生だ」
「…………利己的で我が強く、才能にあふれた天才肌。目的のために手段を選ばないし、手間も努力もその一切を厭わない。僕が知ってる慧一はそんな存在で、僕が持っていないものばかりを、無数に持っていた。そんな慧一の気高さに触れる時間がたまらなく好きだった。慧一の存在は、烈しくも美しいストーリーのようで、僕はそれを読んでいる読者の気持ちだった」
 
 それは初めて聞く、俺に対して汐人が持っていた感情。
 もう手を離れてしまった尊いものを思い出すような。視線を落とした汐人の表情からは、そんな気配が感じられた。

 一度は振り払ったはずの後悔が、急に胸の中を占め始める。 後悔なんて、この世で一番意味のないものだと切り捨ててきたのに。 会える時に会って、こんな話をすればよかったんだ。

 きっと初めて会う俺と汐人は河原で話し続け、しんみりしたり笑いあったりしただろう。

 空腹になったら適当に周囲の飲食店を一緒に探し、適当にひき肉のパスタやサラダを食べながら感想を言い合う。
それからまた河原に戻って、尽きない話の続きをしながら、時折星が動いていくのを見上げて夜を明かすだろう。
 朝になれば、近くのパン屋にでも行き何か買って二人で食べるのだ。
そうして朝の強い光の中、寝なかったゆえにだるい身体をひきずって俺はレッスンへ、汐人は大学へ戻っていく。

 SNSでまた会う約束をし、毎日やりとりしながらその日を心待ちにし、会えばまた夜を徹して話し続けただろう。