アイドルと伝播する血液の怪異

【4話】

 明日、地方都市で開催される大型の合同フェス。CI-FARは期待の新人枠として招待されていた。
 俺たちはリハーサルを終え、宿泊先である市街地を見下ろす外資系のシティホテルへと移動した。


 アイドルの宿泊先はグレードよりもセキュリティが最重要視される。
 一般客との接触を防ぐためにフロアは占有され、ロビーどころかフロアから出ることは許可されない。居場所がバレるのと盗撮を防ぐため、フロア中のカーテンをかたく閉ざすよう厳命されている。

 俺たちに用意された部屋は、珍しくシングルルームで、思いのほか広かった。ダンスの一部始終を撮影した動画を入念に確認しなおす者、早めに休息を取る者。皆思い思いに時間を過ごしている。明日のステージを楽しみにするファンに向け、ライブ配信を披露する者もいるだろう。

「始まったかな? こんばんは。HALO、見てくれてる? LIOです」
「リハーサルが終わって、宿泊先に戻ってきました~。JJで~す。KEIにも声かけたんだけど、もう寝るんだって」
「KEIなら毎日、俺の腕枕で寝てるから…。枕が変わったら、寝られないかもしれないな。あとで届けてあげるか、俺の腕」
「どういうこと?? まあいいや」

 俺はといえば、与えられた部屋で一人高熱を出して伸びていた。

 どこかでいわれのないデマを流されているような嫌な予感がして、頭だけ起こして辺りを見回す。LIOあたりが、配信して何か言っているかもしれない。俺は諦めて再び枕に沈んだ。

 明るい光が目に突き刺さる気がして、ダウンライトのみ残した室内はぼんやりと薄暗い。疲れたから早めに休むので、そっとしておいてほしいと言ってはある。だがスタッフやメンバーの誰かが、様子を見に来ることは十分あり得る。
 目を閉じて、不快感をやり過ごそうとする。

「は……アッ…はぁ……」

 身体の中で侵食が音を立てて進んでいるのがわかる。肌のいたるところが白く透き通り、内側から青白く発光している。

 コンコン。

 不意に、扉がノックの音を立てる。

 誰かが黙りこくって部屋の扉の前に立っている気配が、扉越しに伝わってくる。

 誰だろうか、メンバーの誰かなら、扉越しででも何か話しかけてくるだろう。
 スタッフでも無言ということはない、ホテルの人間だろうか。それとも声を俺が聞き逃しただけか。不可解な気持ちが胸をよぎる。

 汗でベタベタの着衣を見下ろす。髪も乱れているだろう。寝ていたことにして無視しようか。少し迷ったあと、ベッドからのろのろと立ち上がり、廊下の先にある扉へ向かっていく。チラリと姿見で髪を確認し、手櫛を通す。

 扉がやけに遠く感じる。
 カチャリと鍵を外す。

 そこでどういうわけか一瞬躊躇する。

 これを開けると、何かが不可逆に変わってしまう。説明できない嫌な予感が胸に溢れてくる。だが、熱にぼうっとしていた俺は、その予感を見逃し、従うことをしなかった。

 ドアノブに手をかけ扉を引く。
 ガチャリとやけに大きな音が響く。


「誰……」

「こんばんは、慧一。来ちゃった」

 扉の向こうに立っていたのは、メンバーでもマネージャーでも事務所の人間でもない。
 汐人だった。

 汐人はムニッと口角を上げ、白い歯の見える人好きのする微笑みを浮かべていた。その目は好奇心たっぷりにしっかりと俺の目を見つめ、アイコンタクトを試みてきている。

「また会えて嬉しい」
「汐人………」

 俺は思いもよらない訪問者に言葉を失い、ドアノブを持ったまま固まっていた。

 学生らしいゆったりとした黒っぽい格好の上下をまとい、汐人はそこに立っていた。
 また会えるとは言っていたものの、汐人が何を目的にやってきたのか。想像がつかなかった。 

 長身でそこまで筋肉がついているわけではないが体格の良い骨格。少し伸びた癖のない黒髪。
 長めの前髪がかかる、シルバーの細いフレームの眼鏡。白い歯の見える口角の上がった口元は、整った顔立ちの可愛い印象と相まって、いかにも人のよさそうな好青年。過剰な華やかさや磨き上げた感じはなく無防備ないでたち。
興味と好奇心に満ちた光を帯びた目が、こちらを見てきらりと光っていた。

 ――助けを求めるか。

 大声で人を呼んだとして、汐人という怪異に、あらたな犠牲者を巻き込んでしまうかもしれない。人の良い6人のアイドルたちと、毎日顔を合わせている俺たちのために走り回っているスタッフたちの顔が、頭にちらつく。

 俺たちは扉を挟んで、しばし見つめ合っていた。先に動いたのは汐人だった。

「入るよ、お邪魔します」

 汐人は扉を押さえると、誰もいないことを確信しているのか、躊躇なく部屋にするりと入ってくる。ガチャリと、汐人の背後でオートロックでドアが施錠された音がする。二人きりの空間に閉じ込められたのだと、遅れて理解する。
 
 汐人の来訪を受けてなのか、身体中の血が落ち着きなくざわざわと騒ぐ。全身の神経が逆なでされているようだ。

 このホテルに今日宿泊していることは、もちろんファンに知られることのないように厳重に隠されている。
 出入りは正面エントランスではなく、地下の駐車場。仮にバレたとしても、エレベーターはセキュリティキーがないとこのフロアには止まらないし、非常階段は念のため事務所の人間が交代で見張っている。

 部外者の人間が、部屋の前にまで来られるわけがなかった。

「……なんでここがわかったのかなんて、聞かなくてもわかる。俺の中にお前の血があるんだからな」

 汐人は嬉しそうに目を細めると、俺を見つめた。

「体調は大丈夫? 辛そうだね」
「おかげさまで…お茶でも出してやりたいとこだが、あいにくこんな具合なんでな。長居するなら自分で淹れてくれ」 
 
 部屋に備え付けのティーセットを指さす。
 汐人がつられてそちらに目線を移している。その隙に、壁にすがるように体重を預ける。立っていられずに、ずるずると身体が下がっていき、床に手をつく。全身汗ばみ発熱し、はだけたシャツから熱が出ていく。

「はぁ……はァ、はぁッ、はぁ………」
 
 汐人の来訪に呼応するように、俺の中の血は狂ったように暴れ始める。床に爪を立ててそれに耐えるしかない。見下ろされているようだが、地を這っている俺にはその表情が見えない。
 ふいに汐人が膝を折り、しゃがみ込む気配がする。そうして地を這う俺に近づくと、耳元で吹き込んだ。

「具合が悪いなら、寝てたほうがいいよ」

 今まで俺に触れなかった汐人の手。それが躊躇なく俺の肩を掴み、強引に引き上げる。その手のひらの冷たさに、ゾクリとしたものが這い上がる。
 汐人は俺の腕を引いた。廊下を抜け、ベッドのあるメインの部屋へ向かっていく。その腕に抗えず、俺はされるがままに汐人についていく。

 掴まれていた腕をベッドに向けて解放され、俺の身体はマットレスに沈み込んだ。つづけてマットレスが俺とは別の体重で沈み込む。ベッドに乗り上がった汐人が、俺を見下ろしていた。宿舎のシングルサイズのベッドとは違い、セミダブルサイズのベッドは体格のいい男が2人が乗ってもかろうじて余裕がある。
 
「全て置き換わってしまえば楽になる。免疫反応が苦しみをもたらすから。抵抗を諦めると少し楽になるよ」
「嫌だ、俺の身体は俺のものだ、誰だろうと、汐人でも明け渡す気はない」
「残念だけど。一度浸食が始まってしまうと、もう後戻りできない」

 そう言うなり汐人は、俺の手首を掴みあげる。高く掲げられた俺の腕の血管は、青白く発光していた。

「何……」
「俺の血、順調に混ざり合ってる」

 満足気に微笑むと、汐人は自身の顔に俺の腕を引き寄せる。
 俺の手首に、汐人は何度か角度を変えて、キスするように唇を寄せる。そして最後に、強く噛み付いた。

「痛ッッ…………!!」

 皮膚が食い破られる、鋭利な痛みが走る。
 口から大きめの悲鳴が漏れ、衝撃で身体が弓なりにしなる。のしかかる汐人の体重に押さえつけられ、そこから逃れることが許されない。振り払おうにもままらない。

 そんな場合ではないのはわかっているのに、明日のステージの衣装を急いで思い出す。

 出番自体は10分、2曲を披露する。
 ステージ前の写真撮影は、オーバーサイズ気味のモダンなスーツ。ステージでは一転して、クロップド丈のジャケットに、手首を強調するショート丈のレザーグローブ、そして鈍い光沢を放つフェイクレザーのパンツ。 1曲目が終わるとジャケットを脱ぎ捨て、肩のラインを強調するタイトな白のノースリーブに変わる。手首はギリギリ隠れるだろうか。
 とにかく、腕に目立つ傷をつけられるわけにはいかない。

「止めろ…!」

 俺は腕を力任せに振って、決死の抵抗を試みる。だが、俺の手首をつかむ手は、万力のように締め付けてびくともしなかった。もう片方の腕も掴まれて、一切の抵抗を封じられる。

「これは僕のわがままなんだけど…。僕以外に、慧一にとって心を許せる人間ができたのには、少し妬いてる」

 JJと風呂に入ったこと。LIOに貧血気味かと誤解され抱き寄せられたこと。同じベッドで眠ることがあること。他のメンバーとも物理的に距離が近くなっていること。
 汐人がそのことを言っているのだと、すぐに思い当たる。

「あれは、ただの仲間内のコミュニケーションう………あッ……!!!」

 汐人は喋るために口を離し、また再び俺の腕に歯を立て、ギリギリと力を強めていく。

「慧一はそう思ってても、向こうは違うかもしれないし」
「あッ!!!…………はアッ……」

 汐人は俺の拒絶など眼中に入れず、愉しそうに俺の腕を噛む。ギリギリと力を加えて皮膚を食い破り、離し、また噛みつこうとしている。新しい遊びを覚えたかのように。

「ごめん。慧一に心を許せる仲間ができたのは祝福すべきことだってわかってる」
「嫌だ………」

 俺は与えられる痛みに外聞もなく怯え、過ちを否定するように、頭を横に振る。汐人が再び俺の手を取り、歯を近づけていくのがスローモーションのように目に入る。

「痛………ああッ……………いあッッ………ッ…………はァ、あッ………ゔ、アッ……………はあッッ…………あ………あああッ………………い………ひ…は、ああッッ!!…………は…あ……い……あッ………!!!あッ………はあッ……………は………………は…あ………はァ…はァ………」

 口の端からは唾液が流れ落ち、目からも痛みによる生理的な涙がダラダラと零れ落ちる。両腕を掴まれ拘束されていては、拭うこともできない。

 拷問は意識が遠のくほどの時間、続いた気がした。だが時計に目をやるとわずか時間にすると数十分のできごとだったらしかった。

 俺の両の前腕―― 肘から手首までの間に、隙間なく赤黒い歯型の模様が刻まれるまで、皮膚を食い破られる痛みは続いた。腫れあがった両腕は激痛を訴え、息は上がり心臓はドクドクと音を立てる。

 明らかに男の大きな歯型が無数に刻まれ異様な様相になった腕は、歯型の主の執拗な執着を雄弁に語る。傷や変色は化粧で隠せるだろうが、腫れはどうしようもない。俺は奥歯をギリリと噛み締める。

 ベッドの上。ようやく解放された俺は、仰向けに横たわったままで息を荒げていた。
 目の前の男から顔を背け、乱雑に顔を手で拭った。涙と唾液と鼻水と汗とが混じり合ったものをシーツへとなすりつける。
 汐人がホテル仕様の箱に入ったティッシュペーパーを、場違いな気遣いを発揮して差し出してくる。この男は育ちがよいことを思い出す。俺はそれをベッドの下に叩き落とした。

「……汐人は俺がアイドルを目指すのを応援してくれていた。おまえは誰だ。汐人じゃないなら触るな」
「ごめん慧一。外から見える腕に傷跡を残したのは、確かに……悪かったよ。見えない場所……胸や腹だと、苦痛が強すぎるかもしれないから腕にしたんだけど。脚にしたらよかったね」