「今から行くのは、君たちが『神社林』て呼んでいる場所だよ」
畑の間の暗くて歩道もないような細い道を歩きながら、人差し指を立てて男が言う。その2歩ほど後ろを、俺と海人は並んでついていく形で追っていた。
……この男はなんか、やたらと姿勢がいい。普通は姿勢がいいというのは印象のよいものだと思うけれど、妙にピンと伸びた背中はなんだか少し不自然なものを見ているような気分でなんというか少し気持ちが悪い。と、思ってしまうのは俺がこの男のことを怪しいと思っているせいだろうか。
海人は小学校に来た時のようにスコップを担いでいて、ランタンは俺が持っていた。夜道で使うと流石に目立ちすぎるから、暗いけれど灯りは今は消してある。
──あれから。
もう遅いし暗いし、危なそうだからせめて明るくなってから出直そうと俺は散々主張したのだが、海人が「でもまた出直すの面倒だし済ませられるなら済ませちゃおう」と主張したため、こうして男の先導で小学校を出て移動することになったのだった。
歩きながら携帯の画面で確認すると、時間は午前2時を回ろうとしているところだった。いわゆる丑三つ時……よりによって、一番なんか出そうな時間帯である。
怪談話を信じているわけではないがなんとなく不吉な気持ちになっている俺とは対称的に、海人は「神社林? うわ、懐かしー」と呑気な声を上げている。
神社林というのは文字通り、小学校の近くにある神社が所有し管理している山林一帯の中の、あまり山深くない入り口付近のことを指した通称だ。
どちらも小学校の近所にあることから神社は美術の写生や奉仕活動の掃除などの場として、神社林は林業体験などの課外活動や放課後の遊びの場として使われているため、当然在学中にそれらを経てきた俺たちにも馴染みの場所だった。
「……なあ。やっぱりこんな時間にそんなところに入るの、危なくないか?」
「えー、大丈夫だよ。神社林でしょ? 昔めっちゃ行ったし」
歩きながら海人のTシャツの裾を引っ張って主張してみたけれど、返ってくる言葉は相変わらず呑気だ。それどころか、
「俺、この前買ったやつの性能試してみたかったんだよね。見てよこれ」
と言ってどこか楽しそうにポケットから出した鍵を揺らす。そこにはよくあるキーホルダーとかではなく、暗くて見づらいけれど何か黒い塊が一緒に下がっていた。
「何それ」
「携帯ライト。これすごいんだよ。色んなモードがある上に、メインのライトは明るさが調節できるんだけど一番明るくすると直接光源を見ると目を痛めるくらい明るい」
「なんでそんな危険物持ってるんだよ要らないだろ」
「小さいのにギミックの多いガジェットはロマンあるでしょ。分かんないかなぁ」
「わかんない」
そんなやりとりの間に、「君たち仲良いね」というこれまた呑気な調子の感想が挟まる。男の声を聞いて存在を意識して、やっぱり今からでも海人を捨てて自分だけでも逃げようか、という考えが一瞬心の中を過った。けれど、判断が少し遅かったようだ。
気付いた時には、神社林の入口まで来ていた。
先を歩いていた男が立ち止まったから、俺たちも少し距離を空けたまま一旦足を止める。
街灯なんてものが当然無い木立は吸い込まれそうなくらい暗く、得体の知れない虫の声があちこちから聞こえてくる。こういう場所に来ることが無くなって以来感じる機会も減っていた土や植物の匂いが涼しい風と一緒に暴力的なくらい圧倒的な強さで押し寄せて来た。
緩く吹きつけてくるその風は蒸し暑い夜には心地よい筈なのに、なんとなく気持ちが悪いような気がして、俺は無意識にむき出しの腕を擦った。
「じゃあ行くよ。暗いし、迷わないように着いてきてね」
こちらを見てそう前置きすると、男は結んだ髪を揺らして神社林の中に踏み入っていく。
本当に行くのか? と俺はもう一度問いかけようとしたけれど海人は躊躇う様子もなくさっさとその後を追って歩きだしたから、中途半端に伸ばしかけた手が空を切った。
──気乗りはしないままだけど、覚悟を決めるしかないかも知れない。
一度息を吐いて、俺もその後に続いた。
神社林の中は、よく人が通る場所になんとなく踏み分けられた道のようなものが出来ている。とはいえきちん整備された道ではないためサンダルから覗く素足に何かしらの草が当たるのがなんだか嫌だし、そこら中に生えている笹で脚が切れないか心配になる。
しかし同じサンダル履きだけど海人は全く気にならないようで、
「すご、めちゃめちゃ暗い」
と、どことなく楽しそうに言いながらカチカチと手元のライトを点ける。途端に少し先がパッと光に浮かび上がる。夜道の暗さに慣れた目に強い光が眩しくて反射的に目を閉じて、少しずつ慣らす。つい今しがた迷わないようについて来いと言われたところだけど、これだけ明るければまず前を歩く奴とはぐれることはなさそうだ。
ライトの光は確かに暴力的なほどに明るいけれど、明るいからと言って不気味さがマシになるわけではない。寧ろ明かりに白々と照らされている木々の陰影は、余計にそこに何かいそうな感じで落ち着かないような気がした。
「うーん。明るいのはいいけど、これだと明るすぎてちょっとムードが台無しかな? でもユウは明るい方がいいよね」
強さの段階を変えながら海人はそう言ってこちらを見る。
「ムードってなんのだよ……というか俺、別にそこまで明るくなくてもいいんだけど。なんだよ急に」
「え、でも保育園の『なつのこどもかい』のおばけ屋敷、入った瞬間に泣き出したじゃん」
「……あれは! 想定よりも暗かったからちょっとびっくりしただけであって。別に暗いのが怖かったわけでもお化けが怖かったわけでもないって、俺昔から何回も言ってるよな!?」
小さいころからずっと蒸し返され続ける話に顔を顰める。というかそんなエピソードをこんな知らないやつの前で暴露しないでほしい。
「2人とも仲良いね。あとすごいね、それ。すごく明るい。文明の利器ってやつだ」
前を歩く男は楽しそうに笑うけれど、直前のエピソードに触れてこないのが有難いような、却って居たたまれないような複雑な気持ちになる。
……そういえばこいつ、見たところ光源のようなものは何も持っていないようだけど、もしも俺たちが何も灯りの類を持っていなかったらどうするつもりだったんだろう。
「……あの。これ、どの辺りまで行くんですか」
得体の知れない人間と言葉を交わすことには少し抵抗があったけれど、「これが読書灯で、こっちがブラックライトで」と光源を切り替えて遊んでいる海人は頼りに出来なそうなので、自分で先を行く背中に向かって問いかける。
光源を変えたことで前を照らす能力が落ちたから、言いながら俺も手元のランタンを点けた。
「この先、もっと行ったところに祠があるのを覚えてる? そこの少し先だよ」
「祠……」
言われて頭の中にそれを思い浮かべる。
少し急な斜面を背にするようにして建つお世辞にも立派とは言えないサイズ感と年季を持った木造の祠は、小学生の頃はあまり林の奥に入り込みすぎないようにするための目印としてよく使われていた。
当時からあまりきちんと手入れをされているようには見えなかったそれがまだ存在していることに驚きと感心と懐かしさが混ざったような気持ちでいると、「あー、あったあった」と海人が声をあげる。
「あれでしょ、昔ユウが壊したやつ」
「おい、捏造するな。やったのはお前だしそもそもあれは別に壊した訳じゃなくて」
「なに? 君たち、あの祠壊したんか?」
どことなく浮世離れしているというか、俗物の匂いがしない感じの男がネットで見掛けるようなセリフを吐いたことに少し意外さを感じていると、海人が「あー違いますよ」と手を振った。
「あそこ、古いし元々壊れてたらしいんですよね。そこに昔の俺たちがぶつかって、ちょっとその壊れてたパーツが外れちゃったというか」
「俺たちって言うな、俺もやったみたいだろ。ぶつかったのはお前だけだ」
……ついでに言うなら、「ちょっとパーツが外れた」という言葉で済むようなレベルの壊れ方でもなかった気がする。
さっきからやたらと共犯にしてくる海人の脇腹を強めに肘でつつきながら心の中でそう付け足していると、白い光の中にその祠が見えてきた。
思い出したばかりの記憶の中では海人がぶつかったせいで屋根が一部落ちて扉も外れていたけれど、流石にそんな状態のままで何年も放置されているわけもなく、今はきちんと建物の形は保っているように見える。
「あの後どうしたんだっけ。なんとなく復元を試みて帰ったんだっけ?」
「たしかそれっぽく戻したような気がするけど……」
「あはは、まあこれもかなり古いからねえ……だからもうお役も御免なんだろうし」
「……?」
少しトーンを落として呟かれた言葉の意味に内心首を傾げている間に、男は祠の少し手前辺りで「ここ、こっちに行くよ」と行って踏み固められた道から外れて進んで行く。
笹がたくさん生えている場所を踏み越えていく形になり、脚を撫でる感触に眉をひそめながら歩いていると、
「死体を埋めに行く時って、こんな感じなのかな」
不意に、隣を歩く海人が言った。
その喩えは普通に不謹慎だ。……でもシチュエーション的に、理解できるのも悔しいけど確かで。
そんな気持ちがないまぜになって俺が何も返せずにいると、少し前を歩く男が「なかなか面白いことを言うねぇ」と笑って背中を小さく揺らした。そして軽く振り返って続ける。
「これからするのは真逆のことなのに」
光の当たり方の加減だろうか。比較的見慣れてきたその胡散臭い笑みからどうにも得体の知れない不気味なものを感じて、思わず海人のTシャツの裾に手を伸ばしかけた時。
「ああ……ここだよ」
と、ようやく男は歩みを止めた。そして、
「そこの、木の根元」
と少し先を指差す。場所が分からなくならないようにだろう、海人が「ここ?」と男を追い抜いて指が指している辺りの場所に立つ。
俺はそのせいで空を切った手の行き場に迷ってから、男の指示のもとで細かい位置の確認をしている海人に近付いてその手からライトを取った。
歩いてきた方向に向かって照らすと、強力な光の向こうに小さく祠が見えて胸を撫で下ろす。道から外れてきてしまったから迷わないか少し心配だったけれど、少なくともこれなら戻れなくなるという心配はなさそうだ。
「……ユウ? なにしてるの?」
目印のためかざくっと軽くスコップを地面に突き立てた海人に、「なんでもない」とライトを返す。もう歩き回るわけではない中でこの強さの光は強すぎるからだろう。海人はライトをカチカチと弄って少し明るさを落とすと、光の輪の外にいる男に向かって声を上げた。
「それで、確認なんですけど」
ここまでずっと俺たちの前を歩いていたこの男は、何故か先ほど立ち止まったところから動かずにそのまま立ち続けていた。
「俺たちはここに埋まっているものを掘り出して、どこかに移動させればいいんですよね」
「うん、そうだよ。移動先とか……その先のことは問わない。ここから動かしてくれれば、それでいい」
「それを果たせば、タイムカプセルの場所を教えてくれると」
「あぁ、あそこに埋まってるのってタイムカプセルなんだ。へぇ、なんというか浪漫があるねぇ……まあいい。君たちが仕事を果たしてくれたら、そのタイムカプセルの場所を教えるよ」
「方法は?」
「そうだな、何かしらの方法で。まあ、見れば分かるようにしておくよ。それか最悪、夢枕にでも立とうかな」
「分かりました」
「え、それでいいのか?」
思わず声を上げた俺とは対照的に、海人は物わかりよく頷くと突き立てていたスコップを引き抜く。
……この期に及んでまだ胡散臭い、と思ってしまう俺は、往生際が悪いんだろうか。でも今の問答だって、正直はぐらかされているというか、あんなのどう考えても真面目には答えられていないだろう。そもそもここに何が埋まっているのかだって、結局知らないままだ。
「……なあ、本当にやるのか」
「ここまで来てやらないって選択肢はないでしょ。……あー、これやりにくいな。ユウ、ちょっとこれ持ってて」
ライトを持ったままスコップを握れないか試行錯誤していた海人だったが、どうやら無理だったようでライトの方をこちらに渡してくる。
「この辺り照らしてて。後で交代ね」
「……分かった」
分かってはいたけど帰るつもりはないようだ。諦めてライトとランタンの角度を調整して掘っているところが暗がりにならないように光を当てた。
人の手があまり入っているわけではない地面だとはいえ、小学校のように盛んな人の行き来によって踏み固められた場所ほどは掘りにくくないようで、海人はさっきよりは調子よく掘り進めているように見える。
このままこいつ1人でやってくれないかな、なんて思っていると、視界の端に立ったままの男が映った。
「……あの、あんたはやらないんですか」
訊きながら木に立て掛けられたもう1本のスコップに目を遣ると、男は芝居がかった調子で肩を竦めて、腕を広げて手のひらを上に向ける。そして「やれやれ」とでも言うように首を振った。
「自分ではできないから、こうして、わざわざ、君たちみたいに優しくて、親切そうな人に頼んでるんだよ」
所々わざとらしく強調して言う。……芝居がかっているというか、もしかしたらこれはバカにされているのかも知れない。
「自分ではできないって、どういうことですか。箸より重いものは持てないとでも?」
「うーん、そうだな。まあ……一身上の都合で、かな」
──どうやら、答えるつもりはないらしい。
「……じゃあもし、俺たちが断ってたらどうするつもりだったんです?」
「その時はその時かなぁ。他の、もっと優しくて親切そうな人に頼むか、諦めるか。……まあでも、君たちならやってくれると思ってたから」
「……? それはどういう」
妙に確信を持ったようなその言葉の意味を図りかねていると、「じゃあ後は頼んだよ」と男は踵を返そうとした。
「えっ」
思わず声を上げると、全く同じタイミングで声を上げたらしい海人のそれがピタリとハモった。
「え?」
当の男はというと、こちらに背を向けかけた体勢のまま首を傾げている。
その姿勢のまま、
「帰るんですか?」
という海人の質問に「うん、」と頷いた。体が傾いたせいで、長い髪が肩を滑り落ちて揺れる。
「だって、何も出来ない奴がここにいたって無駄でしょう?」
「いやまあ、それはそうですけど……でも、俺たちがちゃんと仕事するか見てなくていいんですか? このまま帰るかも知れないですよ」
「大丈夫だよ、分かるから」
「どうやって?」
「それはほら、あれだよ」
男は一旦言葉を切ると、もう一度こちらに向き直り、両手の平をこちらに向けた。
「ハンドパワー」
それに対して何と返したものかと俺たちが顔を見合わせている間に、男は今度こそこちらに背を向ける。そして、
「じゃあよろしくね、海人くんに結弦くん」
と手を振って溶けるように闇の中に消えていった。その流れがあまりにも自然だったからだろうか。
「……あの人、明かりとか持ってないのかな」
少し経ってから海人がそう言うまで、それに気付かなかった。
これだけ暗いというのに、闇に溶けるように消えた……男は何も光源を持たずに離れていったことになる。これは、ここに来る途中にも少し気にはなったことだ。
行きは海人の強力なライトがあったから、少し前を歩いていてもある程度明るさがあった。けれど今、それは俺の手の中だ。
男が消えていった方向にライトを向けてみる。……出力は少し落とされているとはいえ、それでもまだ充分な明るさのあるライトの光の中に、男の背中は見えなかった。
──もしかして、本当に消えた?
思わず海人と顔を見合わせる。
「……えー、なんだろう。もしかしてこれ、ホラー的なやつだったりとかする?」
「馬鹿、多分木の陰とかになってるだけだって。暗いところだって、夜目が利く人なら歩けるだろ」
引きつった笑いを浮かべる海人の言葉を切って捨てる。ちょっと口調が強くなってしまったのは、言っている俺自身がそうだと信じたい気持ちの表れだろうか。
海人はゆっくりと掘り返し作業に戻りながら、不意に真面目な顔で呟いた。
「もしかしてだけどさ。俺たち、ちょっとやばいこと引き受けちゃったのかな」
「……気付くのが遅ぇんだよ! 俺、ずっと、言ってたよな!?」
気付けばTシャツの背中を殴り付けていた。
言葉を区切りつつ二度三度。突っ込みと言うには力がこもりすぎた拳を、海人は避けるでもなく全部受けては「痛て」とさして痛がっているでもなさそうな声で言いながらも地面を掘る手は止めない。……この状況でもまだ続けるのかよ。
「……なあ。ヤバいって気付いたんだから、もう帰らないか? どうせバレないって。というかバレたところで仕事丸投げして帰ったあいつが悪いだろ」
「えー、でもハンドパワーがあるし」
「なんでお前はそんなにハンドパワーに全幅の信頼を置いてるんだよ……」
なんだかどっと疲れを感じて穴の傍にしゃがみこむ。
地面と距離が近くなったことで土や下草の匂いをより強く感じていると、頭の上から「それにさあ」と声が降ってきた。
「ユウは気にならない? ここに何が埋まってるのか」
「それは……」
なるかならないかと言われたら、それは正直、前者だ。怪しさという要素を一切無視して答えるなら、迷うべくもない。
言葉にはしていないけれど、俺の気持ちなどお見通しなんだろう。
「俺も気になるよ。だから、ここまできたら何が出るのか見てやろうかなって。どうせ乗り掛かった船だしね」
「……泥船かも知れないのに?」
「まあその時はその時だよ。蛇《じゃ》が出るかヘビが出るかだね」
「それは両方ヘビなんだよ……」
やっぱり一抹の不安が拭えない。
──けれど、流石にもうここまできたら腹を括るしかないか。
俺は立ち上がってスコップを指差した。
「そろそろ代わる。それ、貸して」
そして差し出されたスコップの柄を、ぐっと握りしめた。
畑の間の暗くて歩道もないような細い道を歩きながら、人差し指を立てて男が言う。その2歩ほど後ろを、俺と海人は並んでついていく形で追っていた。
……この男はなんか、やたらと姿勢がいい。普通は姿勢がいいというのは印象のよいものだと思うけれど、妙にピンと伸びた背中はなんだか少し不自然なものを見ているような気分でなんというか少し気持ちが悪い。と、思ってしまうのは俺がこの男のことを怪しいと思っているせいだろうか。
海人は小学校に来た時のようにスコップを担いでいて、ランタンは俺が持っていた。夜道で使うと流石に目立ちすぎるから、暗いけれど灯りは今は消してある。
──あれから。
もう遅いし暗いし、危なそうだからせめて明るくなってから出直そうと俺は散々主張したのだが、海人が「でもまた出直すの面倒だし済ませられるなら済ませちゃおう」と主張したため、こうして男の先導で小学校を出て移動することになったのだった。
歩きながら携帯の画面で確認すると、時間は午前2時を回ろうとしているところだった。いわゆる丑三つ時……よりによって、一番なんか出そうな時間帯である。
怪談話を信じているわけではないがなんとなく不吉な気持ちになっている俺とは対称的に、海人は「神社林? うわ、懐かしー」と呑気な声を上げている。
神社林というのは文字通り、小学校の近くにある神社が所有し管理している山林一帯の中の、あまり山深くない入り口付近のことを指した通称だ。
どちらも小学校の近所にあることから神社は美術の写生や奉仕活動の掃除などの場として、神社林は林業体験などの課外活動や放課後の遊びの場として使われているため、当然在学中にそれらを経てきた俺たちにも馴染みの場所だった。
「……なあ。やっぱりこんな時間にそんなところに入るの、危なくないか?」
「えー、大丈夫だよ。神社林でしょ? 昔めっちゃ行ったし」
歩きながら海人のTシャツの裾を引っ張って主張してみたけれど、返ってくる言葉は相変わらず呑気だ。それどころか、
「俺、この前買ったやつの性能試してみたかったんだよね。見てよこれ」
と言ってどこか楽しそうにポケットから出した鍵を揺らす。そこにはよくあるキーホルダーとかではなく、暗くて見づらいけれど何か黒い塊が一緒に下がっていた。
「何それ」
「携帯ライト。これすごいんだよ。色んなモードがある上に、メインのライトは明るさが調節できるんだけど一番明るくすると直接光源を見ると目を痛めるくらい明るい」
「なんでそんな危険物持ってるんだよ要らないだろ」
「小さいのにギミックの多いガジェットはロマンあるでしょ。分かんないかなぁ」
「わかんない」
そんなやりとりの間に、「君たち仲良いね」というこれまた呑気な調子の感想が挟まる。男の声を聞いて存在を意識して、やっぱり今からでも海人を捨てて自分だけでも逃げようか、という考えが一瞬心の中を過った。けれど、判断が少し遅かったようだ。
気付いた時には、神社林の入口まで来ていた。
先を歩いていた男が立ち止まったから、俺たちも少し距離を空けたまま一旦足を止める。
街灯なんてものが当然無い木立は吸い込まれそうなくらい暗く、得体の知れない虫の声があちこちから聞こえてくる。こういう場所に来ることが無くなって以来感じる機会も減っていた土や植物の匂いが涼しい風と一緒に暴力的なくらい圧倒的な強さで押し寄せて来た。
緩く吹きつけてくるその風は蒸し暑い夜には心地よい筈なのに、なんとなく気持ちが悪いような気がして、俺は無意識にむき出しの腕を擦った。
「じゃあ行くよ。暗いし、迷わないように着いてきてね」
こちらを見てそう前置きすると、男は結んだ髪を揺らして神社林の中に踏み入っていく。
本当に行くのか? と俺はもう一度問いかけようとしたけれど海人は躊躇う様子もなくさっさとその後を追って歩きだしたから、中途半端に伸ばしかけた手が空を切った。
──気乗りはしないままだけど、覚悟を決めるしかないかも知れない。
一度息を吐いて、俺もその後に続いた。
神社林の中は、よく人が通る場所になんとなく踏み分けられた道のようなものが出来ている。とはいえきちん整備された道ではないためサンダルから覗く素足に何かしらの草が当たるのがなんだか嫌だし、そこら中に生えている笹で脚が切れないか心配になる。
しかし同じサンダル履きだけど海人は全く気にならないようで、
「すご、めちゃめちゃ暗い」
と、どことなく楽しそうに言いながらカチカチと手元のライトを点ける。途端に少し先がパッと光に浮かび上がる。夜道の暗さに慣れた目に強い光が眩しくて反射的に目を閉じて、少しずつ慣らす。つい今しがた迷わないようについて来いと言われたところだけど、これだけ明るければまず前を歩く奴とはぐれることはなさそうだ。
ライトの光は確かに暴力的なほどに明るいけれど、明るいからと言って不気味さがマシになるわけではない。寧ろ明かりに白々と照らされている木々の陰影は、余計にそこに何かいそうな感じで落ち着かないような気がした。
「うーん。明るいのはいいけど、これだと明るすぎてちょっとムードが台無しかな? でもユウは明るい方がいいよね」
強さの段階を変えながら海人はそう言ってこちらを見る。
「ムードってなんのだよ……というか俺、別にそこまで明るくなくてもいいんだけど。なんだよ急に」
「え、でも保育園の『なつのこどもかい』のおばけ屋敷、入った瞬間に泣き出したじゃん」
「……あれは! 想定よりも暗かったからちょっとびっくりしただけであって。別に暗いのが怖かったわけでもお化けが怖かったわけでもないって、俺昔から何回も言ってるよな!?」
小さいころからずっと蒸し返され続ける話に顔を顰める。というかそんなエピソードをこんな知らないやつの前で暴露しないでほしい。
「2人とも仲良いね。あとすごいね、それ。すごく明るい。文明の利器ってやつだ」
前を歩く男は楽しそうに笑うけれど、直前のエピソードに触れてこないのが有難いような、却って居たたまれないような複雑な気持ちになる。
……そういえばこいつ、見たところ光源のようなものは何も持っていないようだけど、もしも俺たちが何も灯りの類を持っていなかったらどうするつもりだったんだろう。
「……あの。これ、どの辺りまで行くんですか」
得体の知れない人間と言葉を交わすことには少し抵抗があったけれど、「これが読書灯で、こっちがブラックライトで」と光源を切り替えて遊んでいる海人は頼りに出来なそうなので、自分で先を行く背中に向かって問いかける。
光源を変えたことで前を照らす能力が落ちたから、言いながら俺も手元のランタンを点けた。
「この先、もっと行ったところに祠があるのを覚えてる? そこの少し先だよ」
「祠……」
言われて頭の中にそれを思い浮かべる。
少し急な斜面を背にするようにして建つお世辞にも立派とは言えないサイズ感と年季を持った木造の祠は、小学生の頃はあまり林の奥に入り込みすぎないようにするための目印としてよく使われていた。
当時からあまりきちんと手入れをされているようには見えなかったそれがまだ存在していることに驚きと感心と懐かしさが混ざったような気持ちでいると、「あー、あったあった」と海人が声をあげる。
「あれでしょ、昔ユウが壊したやつ」
「おい、捏造するな。やったのはお前だしそもそもあれは別に壊した訳じゃなくて」
「なに? 君たち、あの祠壊したんか?」
どことなく浮世離れしているというか、俗物の匂いがしない感じの男がネットで見掛けるようなセリフを吐いたことに少し意外さを感じていると、海人が「あー違いますよ」と手を振った。
「あそこ、古いし元々壊れてたらしいんですよね。そこに昔の俺たちがぶつかって、ちょっとその壊れてたパーツが外れちゃったというか」
「俺たちって言うな、俺もやったみたいだろ。ぶつかったのはお前だけだ」
……ついでに言うなら、「ちょっとパーツが外れた」という言葉で済むようなレベルの壊れ方でもなかった気がする。
さっきからやたらと共犯にしてくる海人の脇腹を強めに肘でつつきながら心の中でそう付け足していると、白い光の中にその祠が見えてきた。
思い出したばかりの記憶の中では海人がぶつかったせいで屋根が一部落ちて扉も外れていたけれど、流石にそんな状態のままで何年も放置されているわけもなく、今はきちんと建物の形は保っているように見える。
「あの後どうしたんだっけ。なんとなく復元を試みて帰ったんだっけ?」
「たしかそれっぽく戻したような気がするけど……」
「あはは、まあこれもかなり古いからねえ……だからもうお役も御免なんだろうし」
「……?」
少しトーンを落として呟かれた言葉の意味に内心首を傾げている間に、男は祠の少し手前辺りで「ここ、こっちに行くよ」と行って踏み固められた道から外れて進んで行く。
笹がたくさん生えている場所を踏み越えていく形になり、脚を撫でる感触に眉をひそめながら歩いていると、
「死体を埋めに行く時って、こんな感じなのかな」
不意に、隣を歩く海人が言った。
その喩えは普通に不謹慎だ。……でもシチュエーション的に、理解できるのも悔しいけど確かで。
そんな気持ちがないまぜになって俺が何も返せずにいると、少し前を歩く男が「なかなか面白いことを言うねぇ」と笑って背中を小さく揺らした。そして軽く振り返って続ける。
「これからするのは真逆のことなのに」
光の当たり方の加減だろうか。比較的見慣れてきたその胡散臭い笑みからどうにも得体の知れない不気味なものを感じて、思わず海人のTシャツの裾に手を伸ばしかけた時。
「ああ……ここだよ」
と、ようやく男は歩みを止めた。そして、
「そこの、木の根元」
と少し先を指差す。場所が分からなくならないようにだろう、海人が「ここ?」と男を追い抜いて指が指している辺りの場所に立つ。
俺はそのせいで空を切った手の行き場に迷ってから、男の指示のもとで細かい位置の確認をしている海人に近付いてその手からライトを取った。
歩いてきた方向に向かって照らすと、強力な光の向こうに小さく祠が見えて胸を撫で下ろす。道から外れてきてしまったから迷わないか少し心配だったけれど、少なくともこれなら戻れなくなるという心配はなさそうだ。
「……ユウ? なにしてるの?」
目印のためかざくっと軽くスコップを地面に突き立てた海人に、「なんでもない」とライトを返す。もう歩き回るわけではない中でこの強さの光は強すぎるからだろう。海人はライトをカチカチと弄って少し明るさを落とすと、光の輪の外にいる男に向かって声を上げた。
「それで、確認なんですけど」
ここまでずっと俺たちの前を歩いていたこの男は、何故か先ほど立ち止まったところから動かずにそのまま立ち続けていた。
「俺たちはここに埋まっているものを掘り出して、どこかに移動させればいいんですよね」
「うん、そうだよ。移動先とか……その先のことは問わない。ここから動かしてくれれば、それでいい」
「それを果たせば、タイムカプセルの場所を教えてくれると」
「あぁ、あそこに埋まってるのってタイムカプセルなんだ。へぇ、なんというか浪漫があるねぇ……まあいい。君たちが仕事を果たしてくれたら、そのタイムカプセルの場所を教えるよ」
「方法は?」
「そうだな、何かしらの方法で。まあ、見れば分かるようにしておくよ。それか最悪、夢枕にでも立とうかな」
「分かりました」
「え、それでいいのか?」
思わず声を上げた俺とは対照的に、海人は物わかりよく頷くと突き立てていたスコップを引き抜く。
……この期に及んでまだ胡散臭い、と思ってしまう俺は、往生際が悪いんだろうか。でも今の問答だって、正直はぐらかされているというか、あんなのどう考えても真面目には答えられていないだろう。そもそもここに何が埋まっているのかだって、結局知らないままだ。
「……なあ、本当にやるのか」
「ここまで来てやらないって選択肢はないでしょ。……あー、これやりにくいな。ユウ、ちょっとこれ持ってて」
ライトを持ったままスコップを握れないか試行錯誤していた海人だったが、どうやら無理だったようでライトの方をこちらに渡してくる。
「この辺り照らしてて。後で交代ね」
「……分かった」
分かってはいたけど帰るつもりはないようだ。諦めてライトとランタンの角度を調整して掘っているところが暗がりにならないように光を当てた。
人の手があまり入っているわけではない地面だとはいえ、小学校のように盛んな人の行き来によって踏み固められた場所ほどは掘りにくくないようで、海人はさっきよりは調子よく掘り進めているように見える。
このままこいつ1人でやってくれないかな、なんて思っていると、視界の端に立ったままの男が映った。
「……あの、あんたはやらないんですか」
訊きながら木に立て掛けられたもう1本のスコップに目を遣ると、男は芝居がかった調子で肩を竦めて、腕を広げて手のひらを上に向ける。そして「やれやれ」とでも言うように首を振った。
「自分ではできないから、こうして、わざわざ、君たちみたいに優しくて、親切そうな人に頼んでるんだよ」
所々わざとらしく強調して言う。……芝居がかっているというか、もしかしたらこれはバカにされているのかも知れない。
「自分ではできないって、どういうことですか。箸より重いものは持てないとでも?」
「うーん、そうだな。まあ……一身上の都合で、かな」
──どうやら、答えるつもりはないらしい。
「……じゃあもし、俺たちが断ってたらどうするつもりだったんです?」
「その時はその時かなぁ。他の、もっと優しくて親切そうな人に頼むか、諦めるか。……まあでも、君たちならやってくれると思ってたから」
「……? それはどういう」
妙に確信を持ったようなその言葉の意味を図りかねていると、「じゃあ後は頼んだよ」と男は踵を返そうとした。
「えっ」
思わず声を上げると、全く同じタイミングで声を上げたらしい海人のそれがピタリとハモった。
「え?」
当の男はというと、こちらに背を向けかけた体勢のまま首を傾げている。
その姿勢のまま、
「帰るんですか?」
という海人の質問に「うん、」と頷いた。体が傾いたせいで、長い髪が肩を滑り落ちて揺れる。
「だって、何も出来ない奴がここにいたって無駄でしょう?」
「いやまあ、それはそうですけど……でも、俺たちがちゃんと仕事するか見てなくていいんですか? このまま帰るかも知れないですよ」
「大丈夫だよ、分かるから」
「どうやって?」
「それはほら、あれだよ」
男は一旦言葉を切ると、もう一度こちらに向き直り、両手の平をこちらに向けた。
「ハンドパワー」
それに対して何と返したものかと俺たちが顔を見合わせている間に、男は今度こそこちらに背を向ける。そして、
「じゃあよろしくね、海人くんに結弦くん」
と手を振って溶けるように闇の中に消えていった。その流れがあまりにも自然だったからだろうか。
「……あの人、明かりとか持ってないのかな」
少し経ってから海人がそう言うまで、それに気付かなかった。
これだけ暗いというのに、闇に溶けるように消えた……男は何も光源を持たずに離れていったことになる。これは、ここに来る途中にも少し気にはなったことだ。
行きは海人の強力なライトがあったから、少し前を歩いていてもある程度明るさがあった。けれど今、それは俺の手の中だ。
男が消えていった方向にライトを向けてみる。……出力は少し落とされているとはいえ、それでもまだ充分な明るさのあるライトの光の中に、男の背中は見えなかった。
──もしかして、本当に消えた?
思わず海人と顔を見合わせる。
「……えー、なんだろう。もしかしてこれ、ホラー的なやつだったりとかする?」
「馬鹿、多分木の陰とかになってるだけだって。暗いところだって、夜目が利く人なら歩けるだろ」
引きつった笑いを浮かべる海人の言葉を切って捨てる。ちょっと口調が強くなってしまったのは、言っている俺自身がそうだと信じたい気持ちの表れだろうか。
海人はゆっくりと掘り返し作業に戻りながら、不意に真面目な顔で呟いた。
「もしかしてだけどさ。俺たち、ちょっとやばいこと引き受けちゃったのかな」
「……気付くのが遅ぇんだよ! 俺、ずっと、言ってたよな!?」
気付けばTシャツの背中を殴り付けていた。
言葉を区切りつつ二度三度。突っ込みと言うには力がこもりすぎた拳を、海人は避けるでもなく全部受けては「痛て」とさして痛がっているでもなさそうな声で言いながらも地面を掘る手は止めない。……この状況でもまだ続けるのかよ。
「……なあ。ヤバいって気付いたんだから、もう帰らないか? どうせバレないって。というかバレたところで仕事丸投げして帰ったあいつが悪いだろ」
「えー、でもハンドパワーがあるし」
「なんでお前はそんなにハンドパワーに全幅の信頼を置いてるんだよ……」
なんだかどっと疲れを感じて穴の傍にしゃがみこむ。
地面と距離が近くなったことで土や下草の匂いをより強く感じていると、頭の上から「それにさあ」と声が降ってきた。
「ユウは気にならない? ここに何が埋まってるのか」
「それは……」
なるかならないかと言われたら、それは正直、前者だ。怪しさという要素を一切無視して答えるなら、迷うべくもない。
言葉にはしていないけれど、俺の気持ちなどお見通しなんだろう。
「俺も気になるよ。だから、ここまできたら何が出るのか見てやろうかなって。どうせ乗り掛かった船だしね」
「……泥船かも知れないのに?」
「まあその時はその時だよ。蛇《じゃ》が出るかヘビが出るかだね」
「それは両方ヘビなんだよ……」
やっぱり一抹の不安が拭えない。
──けれど、流石にもうここまできたら腹を括るしかないか。
俺は立ち上がってスコップを指差した。
「そろそろ代わる。それ、貸して」
そして差し出されたスコップの柄を、ぐっと握りしめた。
